試合開始と同時に、まず観客席からどよめきが起こった。
エントリーしていた選手全員が「跳躍」ではなく「飛行」したからだ。
魔法師でもない一般人が、それも傍目からそれらの違いを見分けることは極めて困難だが、どよめきは最初の跳躍の瞬間から起こっている。それだけ「分かっている」者たちばかり観客席に集まっているということだ。
この数時間前の時点で達也と愛梨は、大会委員からの説得によって「飛行魔法」の中身を開示している。
この時、両陣営が開示したのは、あくまで個別の調整や改造が施される前の標準的な飛行魔法の術式、既に世界に公開されているそれと同様のものにとどまった。
開発者(司波達也)の優秀な設計により、標準となる飛行魔法の術式には安全装置が盛り込まれている。
FLT社内で行われたテストの段階でサイオンを使い果たして墜落する魔法師が相次いだためだ。
そこで達也は、飛行魔法の式そのものに改良を施し、術者のサイオンが枯渇した場合は自動的に残っている微弱なエネルギーを集めて減速、ゆっくりと地面に降りていくことになる。
これ自体は素晴らしい設計だったが、一色愛梨が使用している術式では、これが外されていた。
極限の動作軽量化と最適化のため、1文字単位で魔法式を短く切り詰めているためだ。
のちに「ソードオフ・ウィング」と呼ばれ正式にルールで禁止されることになる安全装置を外した飛行魔法の使用だが、この時点ではルール整備の方が追い付いておらず、黙認された。
ただ大会運営としても、そこまでピーキーな術式を公開して事故でも起こされたら堪ったものではない。ただでさえCADを確認していたスタッフが「電子金蚕」を選手のCADに紛れ込ませるというスキャンダルを起こしたばかりだ。
その案件は隠蔽されているとは言え、スタッフたちはことの顛末をある程度知っている。実行犯だったのは腕利きの魔工技師で、雑用や他人の仕事の代理でも文句ひとつ言わずにこなす仕事熱心な男だった。
家族ぐるみで付き合いがある同僚の話によれば、当人が拘束された翌日あたりから、妻と子供を含む家族全員と連絡が付かなくなっているとか何とか。それを話してくれた同僚も、その日の昼休みに呼び出されて以来会社に来ていない。
そんな状態でも、上司は何も口に出さず、発表もなく、粛々と運営が続いている。異様な状況だった。
これ以上「事故」なんて起こした日には自分たちまでまとめて「行方不明」にされかねない。スタッフの怯えと、それでも仕事を放り出さないプロ根性のせめぎ合いの結果、他校へ開示されたのは通常型の飛行魔法のみにとどまった。この点、M機関側の戦略は上手だったと言える。
かくして、各校エンジニアが威信をかけて初見の飛行魔法を突貫工事でチューニング。半日も離れていないこの決勝戦に間に合わせてきたのである。
彼らは間違いなく最大限の仕事をこなした。完全新規、それもトーラス・シルバーが開発した最新鋭の術式を見せられて、次の試合までに使える状態にしろというのである。どれだけ負担がかかったか想像に難くない。
この無茶をやってのけたというだけで、大抵の民間企業や軍が求める「無茶」をやってのける素地は十分示したと言える。現に先ほどから、何校のエンジニアの名前はなんだ実家はどこだ、いくら出せば会社に来てくれそうかと早くも争奪戦が始まっている。
因みに、筆頭たる達也の名前はホクザングループ(北山雫の親元)がガッチリ囲っていて並大抵の組織は手出しできなかったし、当のホクザングループはどうもこいつがトーラス・シルバー本人らしいと察してそっと手を引いた。
選手たちはエンジニアと二人三脚の壮絶な努力の結果、同じ土俵に立った。
だが、残念ながらそこまでだ。
「とりあえず飛べる」。それでは深雪とのスペック差・練度差を覆せない。
第一ピリオドは周囲の予想を超えて一方的な展開となった。
暫定1位、一色愛梨、27ポイント。
暫定2位、司波深雪、25ポイント。
――その他、全員合わせて2ポイントだ。
ちなみに、6人いた決勝進出者のうち3人はこの段階でサイオン切れを起こし脱落。安全装置によってゆっくりと会場から除外されており、大会委員の選択が正しかったことを証明している。
「……凄いな、善戦どころか押してる」
海軍側ラウンジでも、いつの間にやら司令官クラスやら会計将校やら別口の特務機関長やら、すっかりすし詰め状態になってしまった。
「"エクレール・アイリ"の電光石火は、脳の命令をダイレクトに筋肉に届ける。反応速度が人間を超えてるんだ、空中に構えた上でマーカーが像を結んだ瞬間飛びつけば、よほどのことがなけりゃ追いつけねえよ」
創一朗の感嘆しきりのコメントに、隆が返す。
実際、一色愛梨はまだ第一ピリオドとは言えあの「司波深雪」に優位を取っている。
彼女の常軌を逸した発動速度に食らいつくため、愛梨は初手からフルスロットルだった。
そのことは、第一ピリオド中に彼女が
普通、このような断続的な魔法行使をする場合、前の魔法が切れてから次の魔法を連続して発動することになる。
この継ぎ目のことを「息継ぎ」などと表現するのだが、深雪はこれが抜群に上手いと言われる。つまり、いつ魔法をかけ直したか見てわからないほどに流麗ということだ。
加速・減速・高度変更・あらゆる動作をフレキシブルにこなせる深雪に対して、跳躍を織り込んで制御している愛梨ができるのは向きを定めて飛び出すことくらい。反応速度とトップスピードでは愛梨が優位でも、そもそもの操作性が全く異なる。
結果、文字通り「妖精」のごとく優雅に飛び回る深雪と、"紫電"の名に相応しく残像が残るほどの高速・直線的な移動で追随する愛梨。
それは今までのミラージ・バットの常識を覆す美しい光景であった一方で、観戦する2人は依然として厳しい表情のままだった。
「ただ……」
「そうですね、
飛行魔法は見た目の優雅さや術式規模の小ささに比してかなり消費の重い魔法だ。小規模とは言え重力制御魔法をループキャストで連発する訳で、並大抵のサイオン量の持主では数分でガス欠を起こすほどに燃費が悪い。
現に、テスト段階でFLT社の魔法師を軒並みKOしているし、九校戦に出て来るレベルの腕利きの魔法師でも第一ピリオドで半分が脱落していることからも明らかだ。
術式を解析した研究室の面々曰く、「開発者の技術力ならもっと低燃費にできるはず」。ただし、それは効率化を怠っているという話ではなく、技術としての実証性やその先に見据えているだろう技術の開発の方にリソースを割いているということ。
そのため、愛梨の術式は基本的に「跳躍→重力と慣性をゼロ化して停滞→跳躍」というプロセスを噛ませることで消費を最低限に抑えている。
それでも限界まで飛ばせば十数分でガス欠だ。サイオン量は魔法師の中で評価される項目ではなかった――魔法師に蔓延る決闘文化の悪癖でもある――ため、師補十八家だろうがあまり連発はできない。
世界大戦中、魔法師は特殊部隊的な役割が求められたが、基本的に彼らは少数であるために補給で困ることがあまりなかった。継戦能力が求められるような状態に陥るときはそもそも戦術的・戦略的に失敗しているとみなされる向きが多く、また当時のCADでは何十個も魔法を使いまくることは想定されていなかったために、サイオン量はあまり重視されてこなかったのだ。
正確には、ループキャストの登場によって、それまでは評価される項目ではなかったサイオン量が重要項目に躍り出た、と言うべきだろう。その場その場の技術水準や求められる役割によって、評価基準というのは往々に変わるものである。
国際魔法協会の評価基準に囚われず、戦争における有用性を考慮して魔法を磨いていたのは、十師族の中でも「兵器」であり続けて来た四葉家くらいなものだ。
一色とて、大亜連合と新ソ連を相手に戦い続けて来た武門の家。戦闘への意識は劣っていない。
「くっ……!」
だが窓の向こうで、愛梨は動きに精彩を欠きはじめ、少しずつ深雪が得点ペースを上げ始めている。
デバイスの技術と練習量で並び立った今、一色愛梨と司波――四葉深雪の間にあるもの。
それは、ただ継戦能力に差があるという一面的なものではない。
血筋によって積み重ねた「才能」の差。
遺伝子操作という手段さえも忌避しない「狂気」の差。
第二ピリオドを終えて、最後まで二人に食らいついてきた第二高校の選手が脱落した。
これで正真正銘の一騎打ち。だが、愛梨はカメラに見えるだけでも明らかに肩で息をして満身創痍を闘志で誤魔化しているような状態なのに対し、深雪は未だ周囲にファンサービスをする程度の余裕を残している。
暫定1位、司波深雪、53ポイント。
暫定2位、一色愛梨、44ポイント。
「……"カテゴリー3.5"を相手取ってこれなら、十二分な成果です。もとより"あれ"を相手に、正攻法での勝利は不可能でしょう」
「俺もそう思う。だからお前から言ってやってくれ」
一連の試合情報を経て、司波深雪の"性能評価"は一段階格上げされ、「カテゴリー3と4の間」に位置付けられることとなった。
榊創一朗をもってしても苦戦の可能性があると認められる相手。
それを相手にここまで善戦したのだ。一色愛梨は間違いなく、十分以上の成果を見せたと言えた。
「お前、あの嬢ちゃんに懐かれてたろう?」
俺は女の扱いはわからんからなぁ、と呆れ顔の隆をよそに、創一朗は最終ピリオドの行方に見入っていた。
◆ ◆ ◆
「――はぁっ。はっ、はっ、はっ、はっ……う゛っ、げほっ、ごほ……」
最終ピリオドを終えて、控室。
カメラに映る範囲から離れた瞬間、愛梨は崩れ落ちるように座り込み、頭からタオルを被って蹲った。
頭の中の何かが削り取られるような激痛と痺れ。平衡感覚の喪失。強烈な吐き気。意思と無関係に震える手足。
定まらない焦点で床を見つめているように見える愛梨だが、もはや気絶しないだけで精いっぱい、ろくに視覚情報を処理できていない。
ほぼサイオン切れの肉体から無理矢理サイオンをひねり出して稼働し続けたことで、愛梨の魔法演算領域はオーバーヒート寸前まで追い込まれていた。
「ナイスファイト、愛梨ちゃん」
気を利かせて部屋には入らずにおいている四十九院沓子と十七夜栞は、創一朗の来訪を知るやドアの前からも姿を消していた。
そして今、愛梨がぼやけた視界で辛うじて顔を上げた先には、スポーツドリンクを差し出す創一朗の姿がある。
「……みないで」
愛梨の声は、普段の覇気に満ちた様子が嘘のように弱弱しいものだった。
「わたしは、げほっ、
「愛梨ちゃんは十分頑張ったろ。十師族の中で何人がアレとあそこまで渡り合える?」
創一朗の言は、なにもお世辞や甘言の類ではない。
司波深雪の性能は、同年代十師族の魔法力水準を大きく超越している。創一朗から見れば「鉄槌」の相性の関係で完封できると目される彼女だが、シンプルな魔法力で言えば明確に格上だ。当の創一朗ですら、"正攻法"での突破はほぼ無理と見ている。
白巳の時も半ば奇襲のような新型CADの持ち込みと、白巳側に有利な競技ルールがあってなお惜敗している。
――あの場で80対61という数字を再現可能な人間が、国内に何人いるか。
「ちがっ、ちがうの。わたしは――」
勝ちたかった。
十師族昇格のため、一色家の力を証明したかった。
三高女子グループのリーダーとして、無様な戦いを見せたくなかった。
――そして、創一朗が見ている前で、いいところを見せたかった。
「……十分、魅せてもらった。尊敬するよ」
「っ……!」
本心だ。
創一朗は常々、自らの欠点を自覚している。普段戦いを楽しんでいるように見えるのは、たまたま今の人生で、自分より強い奴と殺し合ったことがないからに過ぎない。
周りが常に命を懸けている中で、ひとり命を脅かされることなく、気持ちのいい勝利が得られる。だから一般人の創一朗でも軍の暗部が務まっている。
いざ格上の相手との死闘を迎えたら、そうでなくとも互角の勝負を演じることになったら、土壇場で創一朗の一般人としての部分が顔を出して、気持ちで相手に負けてしまうのではないか。
格上に追いすがる力は、逆境に抗う力は、俺にはない。常にそう疑念を抱いている。確信していると言ってもいい。
だから、
創一朗は動けない愛梨の前に跪いて、蹲った彼女をそっと抱きしめた。
女性の機微にはかなり疎い方という自覚のある創一朗から見ても分かるくらい、そうして欲しそうだったからだ。
「ぁ……うぁ、あ、あぁあ……っ!」
愛梨はこの日、物心ついて以来初めて声を上げて泣いた。
原作(優等生)の決勝戦ではほぼ深雪のポイント独占状態で、愛梨が1ポイント取っただけで会場がどよめくレベルで圧倒してました。
それを踏まえてのこの戦績は、メチャクチャ健闘したと言えます。まず基本スペックが3回りくらい違うので。