本編最新話の少し前、入学編と九校戦編の間辺りに入る話です。
2095年のある日。大亜連合の政府系ニュースサイトが、香港系犯罪シンジケート「無頭龍」の崩壊を報じた。
ワールドカップから九校戦まで、世界的なスポーツ賭博の元締めとして裏社会で大きな影響力を有していた「無頭龍」だったが、何者かによる同時多発的な襲撃により、その栄華はたった一晩で崩れ去ることとなる。
襲撃を受けた拠点は事務所から幹部の私邸まで全世界22カ所に及び、本拠地である香港に限らず、マカオ、北京、上海、重慶、天津、台北、ソウル、横浜、大阪、福岡、ニュークラークシティ、ハノイ、プノンペン、クアラルンプール、ジャカルタと東アジア全域の拠点が軒並み標的となった。
死者・行方不明者の数は推計で1000人超、国際手配されているトップのリチャード=孫と最高幹部ジェームズ=朱をはじめ、名だたる裏社会の大物たちの遺体が現地当局に回収されている。有力な幹部どころか上級構成員が根こそぎ殺害されたとみられ、大陸制覇も目前と言われた強豪マフィアはこの日、事実上の滅亡を迎えた。
直後、彼らをライバル視していたいくつかの大陸系マフィアが犯行声明を発表しているが、こういうのは「言い得」な部分があるため実際に彼らが手を下したとはあまり信じられておらず、結局のところ犯人が誰だったかは分からずじまいだ。
ただ、現場の状況から各拠点を襲撃したのはいずれも5人以下の少数だったことが判明しており、また激しい魔法の撃ち合いが行われた形跡も見つかっている。
無頭龍はジェネレーターやソーサリー・ブースター等魔法師関連部材の流通を手掛ける魔法犯罪組織でもあり、幹部は全員が魔法師という話もあるため現場に魔法の痕跡が残るのは不自然ではない。
だが、「撃ち合い」ということは襲撃した側も魔法師だったということで、これらの証拠は犯人がただの犯罪者ではなく、訓練を受けたプロの戦闘魔法師であることを示唆している。
そのため、巷では魔法師による未確認の犯罪結社説や米軍特殊部隊「スターズ」説、大亜連合の暗部説、四葉家説などが飛び交っている。
各国政府はいずれも関与を否定しているが、それが却って憶測に拍車をかけているのだった。
「さ、こいつに乗ってください、お客さん」
カリフォルニア州、サンディエゴ郊外。ここまで「客」を先導してきたアロハシャツ姿の男は、キツい南部訛りの英語で乗船を促した。
サンディエゴはかなり栄えた町だが、この建物は隠れた場所にあって人影がない。男はどこにでもいそうな小汚い恰好だったが、短パンのポケットにはこれ見よがしに大型拳銃が突っ込まれている。彼はいわゆるギャングの一員ではなかったが、犯罪で日銭を稼ぐアウトローの一員だ。
公的な届出や免許がある訳でもないが、男は「逃がし屋」と呼ばれていた。訳あってアメリカにいられなくなった人間を、「様々な手段」でメキシコをはじめとした目の届きにくい地域へ送り込むのが仕事だ。
両国はUSNAという1つの国に纏まって長いが、かつてあった国境線と、それを跨いでの文化や治安の違いはそうそう薄まるものではない。今でもメキシコは世界的な犯罪組織の名産地だったし、アメリカ本国にいられなくなった人間の逃げ場という役割も、旧国境線沿いの厳重な警備も、違法な越境を手掛ける暗黒産業も現役だった。
本人は組に所属しない半グレだったが、仕事柄色々な犯罪組織に顔が利き、地元で強い組織のいくつかに恩を売ったことがあるという理由で、どこからもケジメを取られずに済んでいる。
「ええ」
後ろについて歩いていた女性は、促されるまま簡素な船着き場に用意されている漁船に向けて歩みを進める。
女性は切れ長の眼をした美人で、おそらく中華系だろうと逃がし屋は思った。
見た目高校生くらいだが、アジア人は若く見えるので大学生か、ひょっとしたら社会人かもしれない。服は一見してお洒落だし恐らく高級品である一方で、よく見ると端々が泥や煤で汚れていて、取ってつけたように制汗剤の匂いがする。表情は取り繕っていても疲労の色が滲んでいたし、化粧している暇がなかったのか目元の隈も隠せていない。
ゆっくり風呂にも入っていられない身の上、急ぎの客にはよくある傾向だ。そもそも護衛付きの若い女性という時点で、相当な厄ネタだというのは理解できる。堂々とした態度なのは大したものだが、その実相当追い込まれているのだろう。
とはいえ、逃がし屋もこの稼業が長い。客の事情に首を突っ込むと碌なことがないと知っていたから、彼は何も言わなかった。
「どうせ中古屋から買い叩いたボロ船だ、向こう岸までは持つだろうがそっから先は保証できねぇ。着いたら乗り捨ててください」
その分の金は貰ってるからよ、とへえこらしている男を傍目に、女性は木製のタラップ(の役割を果たしているだけの板)まで到達。後ろで控えていた何人かの黒服の男が先んじて船に乗り込み、その後女性が続いた。
そのまま、特に挨拶もなく船にエンジンが入り、岸を離れていく。
逃がし屋の男は既に結構な額を貰っている。彼の仕事は客がこの岸を離れるまでで、後で当局に見つかるなどしても、それは管轄外だ。堅気のようなサービスはない。
それでも、このような「裏切り」は逃がし屋にとって初めてだった。
「……メキシコの後は、どこへ向かうので?」
海上。逃がし屋の用意した漁船で密航を試みている女は、同行している護衛からそう問われた。
「しばらく潜伏した後、ほとぼりが冷めてから大亜連合に戻ります」
彼女の名は孫美鈴。数日前に壊滅した無頭龍のトップの養女で、組織が壊滅した今、残党たちをまとめる後継者候補と目されるマフィアの姫だ。
アメリカに留学中だった彼女は、無頭龍壊滅の報を聞くや家を飛び出し、数日間の逃避行の末に米墨国境にまでたどり着いていたのだった。
「養父が死んだ以上、私が生き残りを纏めないと」
――へぇ、そうなんだ。
美鈴の護衛に女性はいない。
割り込んで来た知らない女声に、美鈴は弾かれたように銃を構えた。
組織が健在だったころ、養父に買い与えられたオーソドックスな9mm口径の自動拳銃。
女性とは言えマフィアの跡取り娘だ。この手の武器の扱いは一通り教え込まれている。
「テメェ――」
護衛のために周囲を固めていた男たちも、当然懐から武器を持ち出して異物を排除しようと襲い掛かる。
船室にいる護衛は2人。両方とも魔法師だ。1人はかつてリチャードの護衛だったこともある歴戦の戦闘魔法師、1体はジェネレーター。
だが戦闘魔法師が懐から特化型CADを持ち出すよりも早く、ジェネレーターが超能力を完成させるよりも早く、足元からレーザーのごとく飛び出した水流が魔法師の股下から頭頂までを貫通し、そのまま身体を両断。
「!?」
魔法師だったものが崩れ落ちるより早く、ジェネレーターが超能力を完成させる。単純な移動魔法だが、狭い場所では吹っ飛ばして壁にぶつけるだけで致命傷足りうる。
しかしそれが形になるより早く、銀髪の女の身体から高濃度のサイオンが噴き出し、ジェネレーターの魔法を吹き飛ばした。
術式解体。
攻撃を不発にされたジェネレーターはなおも物理攻撃による制圧を試みるが、飛びかかるより早くジェネレーターの身体が地面に崩れ落ち、そのままプレス機で押されたかのように潰れていく。
「ひ、ぃ……っ」
自我がないためか、魔法兵器であるためか、ともかく直接干渉する魔法に一定の抵抗があるらしいジェネレーターは、それゆえ女の――榊白巳の「鉄槌」を受けてなお、数秒の時間をかけてゆっくりと、骨が砕け、内臓が潰れ、行き場のなくなった体液が弾ける様をまざまざと見せながらプレスされていった。
直後、綺麗に両断された戦闘魔法師の死骸が、その見事な断面を晒しながら倒れる。この男の命を奪ったのは「鉄槌」のバリエーションの一つで、「偏倚解放」の要領で水などの液体を超高圧状態にし、小さな穴から発射することでウォータージェットを作り出す。これを使って船倉の下の海面から水を噴出させ、船底ごと人体を両断したのである。
それ単体では射程も短く使いづらいが、「鉄槌」を防ぐには情報強化や領域干渉が必要な一方、この魔法を防ぐには斥力場や対物障壁が必要になるため「鉄槌」との二択を強制する意味で活用されていた。
かくして、護衛の魔法師2人を瞬時に無力化した白巳は、カタカタと震える手で銃を構えたままの美鈴に向き直る。
笑うでも、怒るでも、憐れむでもなく、白巳は全くの無表情で、返り血で汚れて、表情が感じられなくても、尚「美しい」と感じさせる不釣り合いな美貌が存在していた。
「撃ってみたら?」
プラチナブロンドというよりアルビノ的な白さを持つ髪と肌。同色の瞳。美鈴より背は高かったが、現役大学生だった彼女よりさらに幼く見える顔立ち。およそ鉄火場に相応しくないことが、逆に彼女の異質さを際立てている。
つまり白巳は、最初から船室にいた。
嵌められた。
それを理解しつつ、美鈴は引き金に力を籠める。
胴体めがけて、乾いた音が立て続けに8発。
薬莢の転がる音と、弾切れの銃の引き金を引く音だけが響く中で、それでも女には傷一つついていなかった。
「……障壁、魔法?」
流石に恐怖が襲ってきたか、青ざめた顔で問いかける美鈴。彼女は魔法師ではないが、自分の組織が取り扱う「商材」として、並の人間よりよほど魔法に詳しい。
「ハズレ」
言いながら、女は美鈴の銃を持つ手を包むと、万力のような力で締め上げる。
「い゛っ」
ほんの一瞬で骨が砕けるような痛みを感じ、美鈴は持っていた銃を取り落した。
直後には美鈴の両手は結束バンドで拘束され、そのまま船倉の椅子に拘束する。
「じゃ、行こっか」
その言葉を最後に、鳩尾と顎に叩き込まれた打撃によって美鈴は意識を飛ばされ、ぐったりしたところをひょいと担ぎ上げられる。
ふと、白巳の腹から何か金属片が零れ落ちた。
円盤型に潰れたそれは、先ほど美鈴の撃った鉛弾だ。
白巳は障壁魔法で自分を守った訳ではなく、持ち前の強化された身体と着込んだボディアーマーに硬化魔法をかけることで拳銃弾を防御していた。
白巳は創一朗と違って、強化措置こそ受けているがそのレベルは身体の異形化を齎さない程度に抑えられている。とはいえボディアーマー込みなら、9mmパラベラム弾を至近距離で連射されてもほとんどノーダメージで済ませられる肉体強度を有している。硬化魔法も込みなら重機関銃や対魔法師用ハイパワーライフルを相手取っても十分やり合える実力だ。
「これで"稼働試験"は完了」
白巳は今回の"無頭龍"殲滅戦それ自体には参戦していなかったが、残党の中に神輿になりかねない存在がいると分かり、ゴールデンウィークの休みを利用して急遽カリフォルニアくんだりまで飛んできていたのである。
彼女の性能は既に示されていたが、あるいはだからこそ、さらに重要度の高い任務をこなし、ゆくゆくは創一朗のいる第一実働小隊――特選隊の中でも突出した実力の持ち主で、個別に行動を指定すべき大ゴマが割り当てられた花形部署――への合流を目指す。
「お兄、褒めてくれるかな」
ぐったりしたままの美鈴を肩に担いだまま、操舵手を殺しに行った別動隊メンバーと合流して帰還するため、白巳はタラップを上がっていく。
既に別動隊メンバーは仕事を終えていたようで、甲板に上がると帰還のためのヘリが立てる轟音が白巳の耳に流れ込んできた。
◆ ◆ ◆
「……協力、感謝する」
岸から離れた漁船が見えなくなった頃、物陰からスーツ姿の男が現れる。
男は先ほどの客と同じアジア人で、サングラスで目線を隠していた。
機械を通しているのか、声は加工のかかった聞き取りづらい調子で、恐らく訛った英語だということしか分からない。
「これで逃がし屋としちゃ終わりだ、どの道俺ぁ出てくしかねぇ。なあ頼むよ、命だけは助け――」
スーツの男は命乞いに目もくれず、目にもとまらぬ速さで懐から自動拳銃をとり出すと、逃がし屋の顔面目掛けて3発発砲。
45口径の大型弾が効率よく頭部を破壊し、その場には血と脳漿をぶちまけて倒れる亡骸があるだけとなった。
「終わったか」
男は銃を懐に戻すと今度は無線機を取り出し、どこかと会話を始める。
「そうか。私は別の任務がある」
短く要件を伝え、無線機の向こうにいる"協力者"の任務が無事完了したことを確認すると、男は漁船を制圧した協力者たちと合流することなく、メキシコへ向かう道路へ消えていった。
男はUSNA中央情報局(CIA)の工作員であり、魔法担当業務を主に任されている日系アメリカ人だ。日本の内閣府情報管理局(内情)に協力する形で無頭龍殲滅作戦を手助けした人物でもある。
彼はいわゆるBS魔法師で、使えるのは「顔と声を覚えられなくなる」という古式の精神干渉系魔法のみ。それも録画・録音で「記録」されたものには効果が及ばない弱いものだが、非合法活動にはうってつけだった。
元々、この作戦は日本側が勝手に実行したもので、アメリカに無頭龍の関係者がいた都合上話が行っただけという建前で行われている。以前の"ドッキリ津波事件"に連なる暗闘の結果により、日本からの無茶ぶりを突っ撥ねられない程度には力関係が日本優位になっているので、アメリカとしては協力せざるを得ないのである。
ともかく、何人かの非合法の人間を闇に葬るのと引き換えに日本人たちは満足して帰っていった。そのことを確認して、男は一つ息を吐いた。
尤も、彼はこの後も中央メキシコで盗掘者と戦争を繰り広げている「スターズ」総隊長からお呼びがかかっており、休む暇はなさそうだが。
――ほどなくして、大陸方面に散らばっていた第一小隊含む主力メンバーは相次いで帰還。大規模犯罪シンジケート"無頭龍"は残党を含めて掃討され、完全に息の根を止められることとなった。
わずかな生存者は皆秩父の魔法刑務所へと送致され、壊滅を確認するための生き証人となる。
ただ一人若い女性であったリン=リチャードソンこと孫美鈴がその後どのような扱いを受け、どんな末路を辿ったのか、一切の記録は残っていない。