「人生最大の判断ミス」妻助けられなかった元消防士 今、語り部として問う「誰の命を守るか」 #知り続ける
「すぐ逃げろ」。15年前の3月11日。たった一言、そう電話していれば、大切な人を失わずに済んだかもしれない―。東日本大震災にはたくさんの語り部がいる。始める理由は人それぞれだが、元消防士の佐藤誠悦さん(73)=宮城県気仙沼市=の場合は「後悔」だった。体験を語った回数は800回に達した。 「自分と同じ過ちが繰り返されてはならない」。最近は大病をわずらったが活動を続けている。(共同通信=酒井由人)
▽消防署で渡されたリスト
東日本大震災当時、佐藤さんは気仙沼消防署の指揮隊長だった。3月11日は非番で、自宅で強い揺れを感じてすぐに消防署に向かった。派遣を命じられたのは、市中心部に近い鹿折(ししおり)地区で起きた火災現場。空が真っ赤に燃え上がり、多くの住宅が猛火に包まれていた。 このままでは人手が足りない。無線を通じて近隣からの応援を求める。 ―岩手県陸前高田市、出動要請します 「高田は壊滅状況」 ―では、南三陸町からの出動要請願います 「南三陸も壊滅状態です」 災害の大きさを思い知った。 火勢が強く、消火栓も壊れて使えない。燃え尽きるのを待つしかなかった。だが放っておけば山に火が移り、手が付けられなくなる。佐藤さんらは、1キロ以上離れた山中にある貯水槽からホースを伸ばし、延焼を食い止めようとした。 また津波が来るかもしれないという恐怖と戦いながらの活動だった。海岸線が引いたと連絡が入れば、配置に就いたばかりの隊員もすぐ撤退させた。一進一退の放水作業は夜通し行われた。防火服は雪と寒さで白く凍った。「消防士としての使命」だけが体を突き動かした。 翌日、応援部隊に任務を託してようやく消防署に引き上げた。そこで見せられた1枚の紙が佐藤さんの人生を変えた。
▽無言の帰宅
行方不明者リスト。上から2番目に妻厚子さん=当時(58)=の名前があった。膝から崩れ落ちた。 厚子さんは自宅近くの高齢者施設で働いていた。佐藤さんは自宅を飛び出して署に向かった時、家にいた母親らの無事は確かめた。ただ施設は高台にあるため、厚子さんは「大丈夫だろう」と連絡しなかった。「人生最大の判断ミスだった」。厚子さんは高齢者の家を見回っている最中、津波にのまれたとみられる。消火活動や救助の任務の合間を見つけて厚子さんを捜し回った。 「指揮隊長、奥さんが見つかったぞ」 署長からこう告げられたのは、地震発生から5日後だった。発見場所は海岸。遺体の安置所になっていた高校に収容されたと聞かされた。 体育館には遺体が入った袋が並んでいた。ひつぎが足らなかったためだ。案内を受けてステージから少し手前に置かれた袋を開けると、裸で目を閉じた厚子さんがいた。いてつく寒さ。思わず抱きしめると涙がこみあげた。 互いが20歳の時に出会って「奥さんになる人だ!」とひとめぼれした。約2年後に結婚し、2人の息子に恵まれた。いつも相手のことを思いやるやさしい女性だった。夫婦げんかは一度もしたことがなかった。 「助けてやることができなくて、ごめんな」。着ていた消防の活動服を厚子さんの体にかけ、家に連れ帰った。自宅で待っていた親戚から掛けられた言葉が忘れられない。「誠悦さんが悪いんでない。津波が悪いんだ」