#18 光の温度
衛宮士郎がアーチャーを召喚する第五次聖杯戦争ifストーリー十九話目。腐向け。
版権元:Fate/stay night
注意(シリーズ共通):
腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現
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「今日はもう帰ったらどうだ」
遠坂たちを置いて公園を出て、大橋にも繋がる大きな道路の近くまで来たときにようやく後ろのアーチャーが口火を切った。
イリヤも遠坂の姿もなく一人になった俺にどんな罵倒が浴びせてくるかと思っていたが、特に変わった様子はない。
「帰ったってどうするんだよ。まだ日も高いし、俺一人でもライダーは探せるぞ」
「それこそ探したところでどうする気だ。仮にライダーが手負いのままでも、今の私単独ではまともに打ち合えるかもわからん。そうなると見つけたところで精々遠くから距離を取って眺めるくらいが関の山だ、それなら他のことに時間を使った方が有意義だろう」
「俺は元からお前に戦わせる気はない。疲れたなら、先に帰っておけばいいだろ」
「…………」
話しながらも新都へ向かおうとしていたのだが、そこで足を止めてしまったアーチャーに仕方なく俺も立ち止まった。振り返ると苦虫を噛み潰したような不愉快げな顔で見下ろされる。
「とんだガキだな。見ていて胸くそが悪くなる。馬鹿げた理想論を振りかざしてイリヤスフィールにも遠坂凛にも見捨てられた次は、『一人でできる』と駄々でもこねるか? 拗ねて喚いても何にもならない。少しは冷静に考えろ」
「うるさい。気分が悪くなるって言うならなおさら帰れよ」
「まったくだ。私も叶うならばそうしたい」
と、心底嫌気の差したように言うくせに、アーチャーはその場から動かない。俺が帰ると言うまで待っているのだろう。……なんとなくだが、俺が聞く耳を持たず強引に新都に向かったとしても、なんだかんだと着いてくるんだろうなという予感があった。
それで俺も余計に動きづらくて、向かい合ったまま黙り込む。遠坂が人避けをしている影響か、風で流される木の葉以外に周囲に動く影はない。
「――戦うのを見るのが嫌だ、誰の犠牲も出したくない、だけどサーヴァントには戦わせない。全く見上げた思想だな。真理の把握でも説くつもりか? 争わず従わずして自らの願望を押し通すには、長い時間、賛同する協力者、驚異的な勇気と忍耐が必要になる。残念なことに、貴様にはそのいずれもないな」
「それじゃあお前は、理想論だから目指すだけ無駄だって賢しく押し黙ることが正解だとでも言うのかよ。争う意味のない殺し合いは回避すべきだ。話し合いを放棄して衝動のまま敵を食い破るなんて、そんなのは獣と何も変わらないじゃないか」
「ああ、そうだとも。もとより“人”とは秩序を得た獣が騙りだした別名に過ぎん。ゆえに戦争とは人が獣であることを忘れないために必須な一種の儀式であり、切り離そうとしても無くせるようなものではない。
そもそも不殺や非暴力は戦いを回避するための手段であって、すでに火蓋の切られた獣の闘争を治めるのには何の効力も発揮しない。そんな殺気に満ちた面構えをしているんだ。今のお前にだってこの聖杯戦争において力が必要なことくらいはわかっているんだろう」
――咄嗟に浮かんだ反感は、台詞にするなら「知った風な口を利くな」に近かったろうか。
衝動に任せて啖呵を切るのをこらえられたのは、向かい合う男も怒鳴りつけたい気持ちを抑えて諭すような口調を保っているのが察せられたからだ。
開きかけた口を一度閉じる。ぐるぐると心窩の辺りで滞る感情に苛まれつつ、アーチャーの言葉を忠告として受け取って吟味する。
非暴力・不服従など実践するつもりはない。あれは降りかかる火の粉すら振り払わず、燃え尽きたとしても良しとするような覚悟が必要だ。泥沼の殺し合いよりずっといいとは俺も思うが、弱者から犠牲になっていくことに変わりはない。
それにアーチャーの指摘する通り、すでに武器を取り流血の覚悟をしてにらみ合う他人と他人を諫めるのにも向いていない。非暴力不服従は己に向けられる暴力に対する抗議にしかならない。
ありふれた理不尽から他人を救いたいのなら、撥ね退けるだけの力が必要だ。そして今の俺に、それだけの力があるのかと言うと――。
「……わかった、それじゃあ日が沈むまでには帰る。折衷案だ、それで文句ないだろ?」
アーチャーの返事は瞑目のみであったが、異論がないのが了承だった。それだけ見届けて、今度こそ新都に向けて歩き出す。この冬木も今は冬、日が暮れるまでの時間は短い。のんびりしている時間はない。
会話のない道中、アーチャーの語った言葉が魚のように脳裏を巡っていた。
犠牲になる人なんてもう見たくはない。己以外の手を汚させたくない。目に映る全てを幸福にしたい。そんなエゴを叶えるために俺は強くならねばならないが、今の俺には力が足りない。
そうだ。アーチャーの言うことはいつだって正しい。
俺が、胸を灼く焦燥感と嫌悪感を無視できたなら。
*
決めていた通り、陽光が隠れきるより前に慣れた玄関の戸をくぐった。朝に出て行った時のまま、三和土には帰宅した俺の靴しか並んでいない。
靴を脱ぐのにまた手間取って、左手の感覚もずれたままだったことを思い出さされる。その間にアーチャーはさっさと廊下を進んでいた。
「――――はあ」
脱いだ靴に手を添えたまま息をつく。結局、何も進展しないままなのに帰ってきてしまった。遠坂もイリヤも今はおらず、弓道部の顧問を勤める藤ねえもまだ帰ってこないだろう。自分一人で家に帰ってきてもできることなんて何もないのだから、今からは無為に時間を消費するしかない。鍛錬でも何でもやればいいのだが、『そんなことをしている場合じゃないのに』という思いが拭えない。
先に行ってしまったアーチャーを追って廊下を進んだがすでにどこかに行ってしまったらしかった。おそらくは土蔵だろう。探しに行こうかとも思ったが見つけたところで何か用事があるわけでもないので好きにさせておく。
特に目的もなかったが習慣で居間の方に立ち入ると、照明の落とされた室内の卓上に置かれた紙の白さが目に留まった。そういえば遠坂宛の置き手紙を残していたんだったな、と思い出しながら無用と化した紙切れを拾い上げる。
「――――」
『イリヤスフィールと出かけるが心配はいらない。夜までには戻る』とだけ書かれた端的なメモだ。やや言葉足らずに思えるのは、うっかり藤ねえが目にしても不審に思われないような内容にしたからだろう。書いたのが俺ではないと万一にもバレないよう素っ気なくも見えるシンプルな文面だ。
俺をよく知る藤ねえでも……いや、よく知る藤ねえだからこそ、これを目にしたら俺が残した手紙だと思って信じるだろう。それが意味する違和感の正体に思い至って、ぞわりと背筋に粟が立つ。
だって、これを書いたのは――。
プルルルルル、と耳障りな音が続く。
耳から得られる情報を時間をかけて認識して、ようやく自失から復帰する。
「……電話」
手にした紙切れを左手で咄嗟に握りつぶしてポケットに突っ込み、鳴り止まぬ電話機の方へと走った。根気よく鳴らされ続けていた受話器を慌てて持ち上げる。
「――はい、衛宮ですが」
「柳洞です。衛宮だな? 休んでいたのならすまない」
「ああ、一成。大丈夫だ、出るのが遅くてごめん。どうした?」
「いや、怪我をしたらしいが不便なことはないかと思ってな。登校もしていないし、思ったよりもひどいのか」
毎日顔を合わせていた相手だったが、なんだか久しぶりに聞いたような気がする声だ。機械越しでも耳慣れたそれに肩の力を抜いて廊下の壁にもたれ掛かる。
「おう、大したことないぞ。学校を休んだのもこれを機にやっておきたいことがあってのことだから」
「そうか。いや、それならいいんだ。本来なら直接見舞いに行くべきところ電話ですまん、何せお山は落雷騒ぎで人手がいくらあっても足りんのだ」
「落雷?」
なんのことだ、と訝しんだが、誤魔化しきれないほど派手にやらかしたキャスターとの戦闘のことだと思い当たった。昨夜藤ねえとの間でも話題になったが、教会はそういう風に誤魔化しているらしい。
「――ああ、そうだったな。寺のみんなは無事なのか?」
「幸い寺にいる者はみな無事だ。
……しかしな。ここだけの話だが、騒動にあわせてか宗一郎兄が奥方と連れたっていなくなってしまってな。あれだけの別婿、それも異国の人となると添い遂げるのにも苦労があるのだろう。顔に似合わず情熱的なお人だよ」
「……」
電話だというのにわざわざ声を潜めて言う。
一成が『宗一郎兄』と慕うのは葛木のことで、その奥方というのはキャスターのことだ。遠坂とセイバーは倒したとだけ言っていたが、もはや命はないだろう。
駆け落ちや愛の逃避行くらいに捉えているらしい電話越しの声に胸が痛んだが、言い出したところで意味はない。
「……そういや、学校の方はどうだ? 俺が休んでいる間変わったこととかなかったか」
できるだけ自然な風を装って話題を変える。一成は特に気にした様子もなく、「うむ」と一拍悩んだ後教えてくれた。
「それが今日は二年生だけで五人も休んでいてな。それが有名人ばかり抜けたものだから少し静かな感じだ」
「五人?」
「衛宮と慎二のやつ、それから遠坂めと転校生のセイバーさん、最後に美綴だ」
(――美綴?)
予想していなかった名前だ。そりゃあアイツも人間だし休みの一つや二つするだろうが、文武両道を地で行くだけあって早々体調を崩したりもしないのだが……。
「衛宮は事情があるし、あの女怪も転校生の世話だかで休みの連絡が入っているからいいが、慎二のやつは連日無断欠席! 家にも帰っていないというし、まったくどうしようもないやつだ。……一応聞くが、衛宮も慎二の居場所に覚えはないか?」
「いや、悪いけど全然だ。やっぱり、学校には行っていないんだな」
「ああいうやつだからな、大方遊び惚けているのだろう。せめて一言連絡をいれろと言うに……」
妹にも心配をかけるようではな、と怒り半分呆れ半分心配ちょっとなボヤキが挟まる。それがおさまるのを少し待って聞いた。
「なあ、美綴のやつはどうしたんだ?」
「俺も詳しくはないのだが、どうも昨日の放課後から体調を崩しているらしい。随分具合が悪そうだったから部活は早退させたと藤村先生が言っていた。そのまま今日も欠席だ。衛宮の怪我といい、凶事というのは重なるものだな」
「そうか。心配だな……」
「うむ……。だが今朝はきちんとご両親から病院に連れて行くと連絡もあったそうだ。直に帰ってくるだろう」
本心から心配をこぼすと、気落ちした俺を気遣ってか一成の声のトーンが上がった。そのさりげない心遣いに、学校での日常が思い返されて穏やかな気持ちになる。
それからしばし雑談に興じたが、一成の声の向こうから喧噪に紛れて大きく彼の名前を呼ぶのが聞こえた。寺は騒ぎになっていると言っていたし、惨状を元に戻すため忙しいのだろう。
「――はい、今戻ります! ……衛宮、すまないのだが聞いての通りだ」
頭を下げている図が思い浮かぶくらい申し訳なさそうな謝罪だ。結構話し込んでしまったし、この場合謝るべきはこちらだろう。
「ああ。電話ありがとな、一成。俺はこの通り元気だから。生徒会の仕事、しばらく手伝ってやれなくて悪い」
「何を言う。怪我は残念だが、これもいい機会だし衛宮はしっかり休め。なに、休んでいる間の授業は元気になったらみっちり教え込んでやるゆえ心配無用だ」
「はは、助かるよ。そのときはお手柔らかにな」
「任せておけ。それではまたな、衛宮」
「うん。また学校で」
別れを告げて受話器を置く。会話の余韻のせいだろうか、先ほどよりも廊下の静寂が耳につく気がした。
「……偶然、だよな」
冷えた空気を誤魔化すように一言こぼす。
美綴が街中で倒れたとかならいざ知らず、部活中に少し気分が悪くなったというだけの話だ。病院にも行くと言っているのだから本当にただの体調不良だろう。
学校に張られかけたライダーの結界は結局解除されていたが、それでも霊脈に歪みが残っており魔力を吸い上げるには向かないと遠坂が言っていた。それにあの敷地内に収められる人数なんてたかが数百。新都の繁華街の喧噪とは比べるまでもない。ついでに言うと隠れられる場所も限られていて、しかもそれなりの有名人である慎二は結構な数の生徒に顔を知られているのだ。雌伏の間の潜伏先とするにはあまりにも不適である。
それでも様子を見に行くくらいはどうだろうかとも思ったが、もう日は沈んでいる。遠坂と手を組んでいた時なら今からでも提案して捜索に出向いてもよかったが、彼女の手はもう借りられない。
代わりと言ってはなんだが、戦力としてはバーサーカーを従えるイリヤは申し分ない。今日のイリヤの態度からすれば頼めば手を貸してくれる望みもある。しかしそもそも連絡の手段がないし、イリヤと遠坂の対立姿勢は明らかだ。気軽に助力を頼める相手でもない。
ならば自分一人でも、と思うと今度は戦力不足だ。ここに関してはアーチャーの指摘する通りだし、俺だって犬死にをするつもりもない。
「……自分の要領の悪さが嫌になるな、本当」
息を吐きながら冷えた廊下の壁に寄りかかる。首を上げて変哲もない天井をぼんやりと眺めて思案する。
最も安全で、確執もなく実行できる方法が一つあった。少し前までの俺だったら、迷いなく選べていただろう道だ。
――アーチャーを戦える状態にして、ライダーを倒す。
必ずしも令呪を解除する必要だってない。アーチャーがライダーを相手取る間に、俺が慎二を倒せばそれで終いだ。もちろんそう簡単に話が済むとは思わないが、遠坂とイリヤの関係に頭を悩ませて時間を浪費するよりかはよほど確実な方法だろう。なのにそれを、俺だけでなくアーチャーですら言い出さない。
マスターとのレイラインに乏しいアーチャーは、最初の召喚の際に聖杯から割り振られた初期魔力をやりくりしないと現界すらもままならない。だけどもう彼の魔力は一度の戦闘もままならないほど底をついていて、外部からの供給がない限り増えることは絶対にない。奴隷とはそういうものだ、マスターがいなきゃ成立しないように作られている。
もちろん食事なんかで得られる魔力は微々たるもので、アーチャーを戦闘可能なまでに復活させるために取れる方法は実質のところ二つに一つだ。キャスターと同じ魂食いか、俺とのパスを強固にするか。
今更その具体的な方法に文句をつけるつもりもない。……いや、土壇場になったら色々と狼狽してしまう気はするが、必要となればやるだけだ。だから問題は、パスを繋げたあとに起こる事象だけだった。
遠坂とセイバーの例のように、それが全くの他人であったとしても、パスで繋がった主従は同じ記憶を共有する。
それを『悪い夢』とアーチャーは称した。この言葉こそが、アイツがこの手段を提案してこない一番の理由だろう。
彼に対して悪夢なんかじゃないと言った俺の心に嘘はない。知るのが怖いから後込みしているわけじゃあ断じてない。
――これ以上進んでは、一つの結論が出てしまう。
俺はそれを恐れている。
あるいは、その先の破綻を惜しんでいた。
*
「フーフーフフーンフーフーフ、フフフー……?」
そんな鼻歌混じりに玄関戸を開けた来訪者は、音に反応して玄関を見ていた俺と視線を合わせて「士郎?」と不思議そうな声を上げた。
「何してるのぉ、そんな廊下に突っ立って。あ、もしやお出迎えかな? うむうむ、くるしゅうないぞ。良きにはからえ」
靴も脱がずにその場でエヘンと胸を張っている。相変わらずだな、と暖かいものを感じつつ、表情だけは不服そうに装って見せた。
「残念ながら電話に出てただけですので、藤村先生を待ってたんじゃあありません。……ていうか、何で来たんだ? 今日うちに来ても晩飯は出ないって言っておいただろ?」
「んま~! 今日も今日とて心配して来てやったお姉さんに対してなんて生意気な態度なのかしら! これだったら、やっぱり二人でおいしいものでも食べに出かけちゃおっか。ねえ、桜ちゃん?」
「――桜?」
今度は俺が不思議に思って首を傾げる。言われてみれば戸を潜ってすぐのところで立ち止まっている藤ねえに遠慮してか、屋外に一人分の影が待っている。
俺の態度を嘆いている藤ねえがよよよとわざとらしく泣き崩れながらようやく室内に入ってくると、おずおずと後輩が顔を出した。
思えばインターホンは鳴らなかったし、となると俺は鍵を開けていない。それなのにこうして藤ねえが入ってきているということは、合い鍵を持っている彼女の協力があったのだろう。
「お久しぶりです、先輩。すみません、お料理の作り置きだけでもお手伝いにと思ったんですが、……やっぱり突然じゃご迷惑でしたよね」
「迷惑なわけないじゃない、毎食TKGの危機から救ってくれる桜ちゃんは弥勒菩薩で救世主に違いなし! って、あれー? イリヤちゃんは?」
よくわからないことを自信満々に言う藤ねえは、玄関に並ぶ靴の少なさに首を傾げた。
「イリヤは今日はもう帰ったけど。……いやそうじゃなくて、久しぶりだな桜。迷惑とかそんなこと全然思ってないよ。手伝いとかはいいから、折角来たなら上がっていってくれ」
「すみません、お見舞いも遅れた上に鍵まで勝手に使わせてもらって……。では、あの。失礼します」
桜の遠慮を押し切って、上がってきた二人からトヨエツのビニル袋を受け取る。見るとジャガイモやらニンジンやらが顔を覗かしていて、底の方ではカレールウのパッケージが透けて見えていた。
「長持ちして食べやすいのがいいかと思って、カレーを作らせてもらいますね。簡単なもので恐縮ですが、精一杯腕を奮いますので先輩は藤村先生と一緒にドンと構えてお待ちください」
頼もしさのアピールか、言葉とともにフンと握り拳を作る桜。俺もできるなら手伝いたかったが、片腕だけじゃ皮むきもままならない。ここはありがたくお言葉に甘えよう。
本人は度々手抜きで申し訳ないと口にしていたが、市販のルウに種々の隠し味とスパイスを加えた桜のカレーライスは絶品だった。毎食食べても五日くらいは保ちそうな量を大鍋に作り置いてくれたそうで、正直かなりありがたい。
「うし! ごちそうさま、桜ちゃん。今日もすっごくおいしかった!」
ガッガッガッといつにも増した勢いで大盛り一杯平らげた藤ねえは、勢いよく手を合わせる。そしてその勢いのまますっくと立ち上がり、
「それじゃあ、準備して車取ってくるわね。また呼びに来るまでごゆっくり~」
ポカンと間抜けに口を開けて見上げる俺にひらひらと手を振り、止める間もなくさっさと居間から出て行ってしまった。
「……? なにさ、あんなに急いで。何か用事があるのか?」
ホクホクの芋を咀嚼しながら首を傾げると、脱兎の勢いで消えた虎の代わりに向かいの桜が答えてくれた。
「これから学校の先生方で街の見回りに行かれるそうなんです。色々あって、私も先生の車で先輩のお家から自宅まで送っていただけることになっていて」
「見回りって、これからか?」
「はい。その……兄さんのことで」
「あ――」
思わず声が漏れたが、余計なことを口走らないようそこで唇を閉じ奥歯を静かに噛みしめた。
キャスター・ライダーとの戦闘は火曜の夜で、今日は二日経った木曜だ。元からサボタージュも平気でやるのが慎二だが、家族とすら連絡が付かず二日間行方不明というのは捜索願を出すかどうかの瀬戸際と言ったところだろう。
特に藤ねえは担任だ。本人の感情としても役職としての責任から言っても呑気に放置とはいかないのはわかる。
「桜…………」
桜は落ち込んでいるようだった。端から見ていて必ずしもいい兄であるとは思えないが、それでも桜にとっては大切な家族なのだ。それが急に行方を眩ませれば心配するに決まっている。
「――――」
そんな彼女に励ましの言葉をかけるべきだとわかっていたが、どの口が、と罵る自分に従って沈黙した。
結果として失敗したが、俺は完璧な理性の元の判断によって、間桐慎二を殺そうとしたのだ。
「俺も心配だ」とか「きっと無事だ」とか、そんな不義理な言葉をかけられるはずがない。もういない葛木の幸いを願う一成の言葉を聞き流した時と同じ、逃避のための沈黙を選ぶしかなかった。
口を閉ざすほど胸に鉛のような不快感が積もっていくようで、どうしても眉間に力が籠もる。
「そんなに心配しないでください、先輩。兄さんのことだから、きっとどこかで元気にしてます」
わざとらしいくらい明るい様子で、桜がこちらをのぞき込んでくる。「えい」とかわいらしいかけ声とともに、弦を引くために少し固くなった働き者の両人差し指の先が俺の眉間に添えられた。
「ほら、そんな怖い顔をしていたら、シワになっちゃいますよ」
そんなことを言いながら、強ばる眉根を解そうと左右に動かし始めた。
彼女に見えないように、机に隠した左の拳を握りしめる。
「……ごめん、桜」
情けなくて、不甲斐なくて、腹立たしくて涙が出そうだ。絞り出すような思いで、だけど声だけは普段通りになるように努力して一言つぶやいた。
桜は俺の謝罪に困ったように首を僅かに傾けたが、何も言わずに両手を膝の上に戻した。
「謝らないでください。先輩だって、今大変じゃないですか。自分が怪我されてるのに、余所のことにまで責任を感じなくっていいんです。それに、本当に謝らないといけないのは――」
最後の方は消え入って、唇の動きによって言葉の続きがあるのだと察せられる程度だった。俯いた桜の表情は落ちた前髪でわかりにくい。
「桜?」
促すつもりで名前を呼んだが、ぱっと顔を上げた桜はいつもの蕾の花開くような暖かな笑顔だった。
「先輩は、いつから学校に来られそうですか? 考えこみすぎちゃう頭を空っぽにするには、弓道なんかオススメですよ。
もちろん、体が辛いのならまだお休みするべきだと思いますが、先輩って根っからの真面目でお家で療養してても気を休められそうにもないし、気分転換になるんじゃないかなって」
弓を引く動作を真似してみながら言う。いつもの食卓を思い起こさせるような元気な声だ。
――話題を変えられた、とわかったが、つまり桜は追求をされたくないということでもある。この話を続けづらいのは俺の方も同じだ。自分なんかをまだ弓道部に戻そうとしてくれる後輩の努力に苦笑しつつ、大人しく転換された流れに乗る。
「腕がこれじゃあしばらく弓は引けそうにないな。けど、うん。明日は学校に一度顔を出そうと思う。要らぬ心配をかけてるみたいだから」
「! はい、体調に無理がなければ是非」
こちらを心配しながらも嬉しそうにしている桜に穏やかな気分になりながら、手製のカレーが冷めてしまう前に口に運ぶ。
そうして二人だけの珍しい夕食を恙なく終え、後片付けをしている桜の後ろ姿を眺めていると(手伝おうとしたが猛反抗にあったのだ)、玄関戸が開いた音とともに藤ねえの声が廊下越しに転がり込んできた。
「桜ちゃん、お待たせー! もう出られるかなー!?」
ちょうど食器棚に洗い終えた最後の食器を戻していた桜は、危なげなく陶器を元の位置に収めて台所のカウンターからやや身を乗り出し「少し待っていてください!」と返事をした。
ナイスタイミングでしたね、と自分の大声にはにかみ誤魔化すようにこちらに微笑みかけると、手早くエプロンを外して帰りの支度をし始めた。俺も立ち上がって見送りのために玄関まで続く。
靴を脱がずに三和土で待っていた藤ねえは、駆け寄る桜の姿に申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「そんなに急がなくてよかったのに、ごめんね桜ちゃん。私一人だから慌てなくていいのよぉ」
「……一人?」
思いもよらぬ台詞にぎょっと目を剥く。ローファーを履くためにしゃがみ込んだ桜の背中越しに開きっぱなしの玄関の外の様子を窺ってみるが、アイドリング状態の車が一台停まっているだけで他の教師の姿はおろか藤村家の強面の姿もないようだった。
「ちょっと待て、まさか藤ねえ一人で行く気なのか?」
口振りからしててっきり他の教員と一緒に市内を巡回するのだと思っていた。辺りはすっかり日が落ちていて、今は聞こえる団欒の声もあと一時間もすれば眠り支度のため細められていくことだろう。
繁華街を女性が一人歩きするだけで感心しないのに今は聖杯戦争まっただ中なのだ。慎二を探すためにとうろついて本当にライダーとはち合わせたりしたらどうなることか。
しかし本気で心配して聞いたこちらに対して、藤ねえはまともに取り合わずに「あらら~?」と伸ばした四指で口元を隠し意地悪く笑うだけだ。
「もしかして士郎、心配してくれてる? 一端に紳士ぶっちゃって、このこのぉ」
「心配するに決まってるだろ。新都が近頃物騒だって知ってるくせに、何考えてんだ」
ツンツンとつついてくる指先を振り払いながら憮然と告げると、俺が真剣なことに気づいたのか藤ねえはようやく含み笑いを止めた。代わりにやれやれと両手を腰に当てて呆れ顔だ。
「大丈夫よ、新都までは車で行くし向こうじゃそれぞれ色んな先生たちが見回りしてるんだから。滅多なことなんて起きないし起こさないわ。無謀にも挑んでくる悪漢なんて、我が大虎一刀流の錆にしてくれる」
「馬鹿言うな、現実は剣道の試合じゃないんだぞ。とにかく、そう言うことなら俺も着いてくから――、ッ」
ブンブンと素振りの真似事をし出した藤ねえに、埒が明かないと自分も靴を履くために足を進めかける。その瞬間、玄関脇に立てかけられていた雨傘の一つを手に取った剣士の殺気に、咄嗟に前へ流れかけていた体重を急制動した。
瞬間、予備動作がほとんどないまま下段から猛烈な勢いで迫る突きをのけぞってかわす。鼻先すれすれで静止したビニール傘の切っ先が、伸びきった直後ながらも僅かな硬直もなく間断入れず振り下ろされようとするのを察して、もう一歩後退しようと板張りの廊下を踏みしめる。
「――フッ」
視界を占有し半透明に濁るビニル傘の柄の方から、勝ち誇ったような吐息の音。それを疑問に思う間もなく、踵側から勢いよく軸足を払われ、堪えきれず背中から無様に転倒した。
――隠し持っていたもう一本の傘の持ち手をかけて引き倒したのだ。
グルンと反転する景色でギリギリ確認した藤ねえの姿に彼女の技を悟ったが、今更気づいたところでどうしようもなかった。辛うじて石化している右腕を庇い丸めた左肩で接地して衝撃を殺したが、急なことに驚いた肺が意志に反して勝手にせき込む。
「ふははははは、そのような腕前で他人様の心配など片腹痛し! さ、行こっか桜ちゃん」
「ええっ?! でも先輩が――。お、押さないでください藤村先生っ」
「ほらほらぁ、早くしないと士郎が追ってきちゃうからっ」
「おい、待てって――!」
慌てて上体を起こしたが、ポイポイと二本の傘を放った藤ねえは狼狽する様子の桜を押してさっさと外に出てしまっていた。すぐに立ち上がって不便な片手でスニーカーを引っ張り出し、踵を潰して引っかけてピシャンと閉まった玄関戸を開けたが、すでに二人は車に乗り込んでしまっていた。
「それじゃあね、しろー! ちゃんと宿題と歯磨きして早く寝るのよー!」
人の気も知らず、脳天気な声でそれだけ言って走り出てきた俺の目前で車は発車してしまう。
「……! あんの、ばか!」
堪えきれない怒りに声が震えた。何よりあんな足払いを避けられなかった自分が腹立たしい。気を抜いていたにも程がある。
道に迷った犬か何かのようにその場でぐるぐると歩き回りながら考える。もちろんこのまま大人しく就寝するなんてできるはずもない。一般人の藤ねえが知らなくても無理はないのだが、今の冬木で夜間出歩くのは本当に危険なことなのだ。ライダーに限らず、あの酷薄なランサーだってどこで何をしているかわかったものではない。
しかし今更走ったところで追いつけるはずもなく、イライラと地面を一度蹴った。桜を送ると言った以上行き先の一つは間桐の家で確定しているのだし、自転車ならなんとか追いつけないか――。
「おい」
追走の手段を思案していると、いい加減聞き慣れた耳障りな声が頭上からかかった。なんだよ、と苛つきを引きずったまま返して顔を上げるが、予想に反して白髪頭は見あたらず、代わりに黒色が視界一杯に広がった。
――黒?
「ぅわぷっ! な、なんだ?!」
首を傾げる暇もなく鼻から上の顔面を覆われた。何か被せられたのだ、と気づいて押さえつけてくる男の手首に爪をかけたが、当然の如くびくともしない。
「騒々しいな。舌を噛みたくないなら黙っていろ」
自分が仕掛けてきたくせに本心から煩わしそうに俺の抵抗を切って捨てたアーチャーは、視界を塞いでいた手を離した代わりに今度は人のシャツの首根っこを掴んで、反論の間もなく跳躍した。
いつぞや人を土蔵に放り込んだのと同じ手段だ。もちろんシャツの襟部分で首は締まるし服は伸びるしすごく揺れるしで運搬される俺の方は溜まったものじゃない。
「――何しやがる、下ろせこのッ!」
届かない手足を振って抵抗を示すが、アーチャーは俺の文句をまるきり無視して近場の松の木に足をかけ上へ上へと音もなく上り詰めた。頂点より僅かに下部で張り出した枝に掴んでいた俺の衣服を引っかけると、
「アシを取ってくる。行き先だけ見張っていろ」
がなり立てる俺を最後まで無視したまま、建物で言うと五階分くらいの高さはある枝から遠い地面へ躊躇いなく身を投げて着地し、人外の速度でどこぞへ走り去った。
「――――はあ?」
突如の奇行に怒りより困惑の方が先に立った。無意識に手に掴んでいた、俺の視界を塞いでいた物体Xを見てみると、こちらはつばのあるスポーツキャップのようだ。ますます意味がわからない。
しかし放置の仕方の悪質さは大したもので、命綱代わりの松の枝が嫌な感じでしなるのに恐々としながら、背中へと左手を回してなんとか拘束を取ろうと奮闘する。
夜とは言えどこんな場面誰かに見られたら都市伝説にでもなってしまう。目撃される前に脱出せねば、と無言の戦いを続けていると、控えめなエンジン音が近づいてくるのに気づいてハッと動きを止めた。
さすがにこの高さでは深山全体を見通せる、というわけではないが、それでも何区画か先までは苦もなく視界に収められる。反射的に息を潜めて車のヘッドランプが動くのを見下ろしていると、障害物になる家々の先、角を曲がった拍子に車のフォルムが僅かに見えた。……見覚えがある。あれは藤ねえの車だ。
なすすべもなく干されたままの俺の眼下で、藤ねえが運転しているであろう車は予想の通り桜の家のある方向に進んでいく。
ブロロロロ……と移動するエンジン音をなんとも言えず見守っていると、別の方向からもう一台、別の乗用車が近づいてきた。全くもって無難きわまりない黒のセダンだ。
危なげない運転で吊られる俺の真下にエンジンを吹かしたまま停車したその四輪の運転席から、車体と同じ黒一色の私服を纏ったサーヴァントが現れる。
「――――」
目を丸くする俺の見る中で男はそのまま重力の制限などないもののように軽やかに樹上にまで舞い戻った。呆然としている俺にはお構いなしに行きと同じように後ろ襟を掴んで回収し、すぐさま道路へと飛び降りる。着地の衝撃に息を詰めるマスターへの敬意の欠片もなく、下手な荷物の扱いよりもぞんざいに助手席へと放り込んだ。ぐるりと回って自分は運転席に乗り込み、
「追うぞ。子供だましのようなものだが、一応帽子で顔は隠しておけ」
手際よくシートベルトを締めるなどしている。何も特別なことはしていませんと言わんばかりの頓着のなさだ。
「おい、何を呆けている。道案内くらいは役に立たんか」
カチカチとうるさいハザードランプを黙らせたアーチャーは、ここまで沈黙を貫く俺に苛々と催促をかけた。神経質にハンドルを爪先で叩いている。
放り込まれたせいでまともに着席もできていない俺は、座席の脚部分に半分以上沈みながらようよう口を開き呟いた。
「………………なんでさ」
突然コメント失礼します。いつもこのシリーズの小説を楽しく読ませていただいております!本当にキャラが話しているのが聞こえるみたいで読んでいてとても引き込まれます。士郎とアーチャーの関係性が丁寧に描かれているのが本当に好きです。続きがどうなるのかとても楽しみです!長文失礼しました。