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#16 幸福論/Novel by ちくわぶ

#16 幸福論

12,975 character(s)25 mins

衛宮士郎がアーチャーを召喚する第五次聖杯戦争ifストーリー十七話目。腐向け。 

版権元:Fate/stay night 
注意(シリーズ共通):
 腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現

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 ――仕方がないことだった、と。

 いつかどこかに置き去りにしてきた、友とでも呼ぶべきだったかもしれない人がよくそんな風に俺を慰めた。
 例えば間に合わず戦火に沈んだ街を前にした時だとか、便衣兵と見なされて惨殺された一家の亡骸を埋葬した時だとか、――疫病に侵された辺境の集落、封じ込めすらままならぬ僻地で、住民の皆殺しが実施された時だとか。
「ここから出ないと誓って欲しい。そうすればこんな作戦は実行せずに済む」
 事前に知れたのは佳境だった。俺は単身乗り込んで、ただ誠実に訴えた。だけどそれが愚かだった。彼らの文化には体調異常を感染と結びつける概念がなく、感染拡大を防ぐためという俺にとって当然の論理は、彼らにとっては異国の怪しい男が自分達を騙して閉じ込めるための詭弁にしか取られなかった。
 余所者の俺なんかより、作戦の立案者の方が、事態を正しく認識していたということだ。感染拡大は聳え立つ文化の壁を取り除く時間なんて与えてくれやしない。恐怖と怒りを抱かせてから殺すより、説明なしに気づく間もなく殺す方がまだしも慈悲があるという、それなりの人道に基づく判断だった。
 そんな選択はやっぱり間違っていると思うけど、俺はそう信じたからこそ、パニックになり感染症を抱えたまま脱出しようと走り回る人々を一人一人殺して回ることになった。瞬く間に人数を減らし怯えた目で俺を見る人々の中から、抵抗力の弱い老人、生まれたばかりの赤子を置いて、まだ若く病に冒されていない数名だけを選出して、逃げるように集落を後にしたあの日。安全な場所で、仕方がなかったことだったなんて励ましを受けながら、燃えさかる山間、立ち上る黒い煙、声もなく焼かれる足のない老婆、撃ち抜かれて死んだ夫にすがりついたままの女、父母の腕に強く抱かれ庇われたまま蒸し焼きの時を待つ無垢な赤子の姿をずっと見続けていた。
 助けたはずの人が泣き叫びながら罵声をあげている。俺は、自分の無力を痛感する。

 だから。
「……ああ。それは、願ってもないことだ」
 鍛えても鍛えても叶わなかった。どれだけ力を尽くしても、靴を舐めて泥を啜っても、自分の命を全て擲っても、必ず誰かを取りこぼした。
 俺の力では救えない人がいる。俺はそれを認めていた。認めないために救いの機会を探しながら、どうしようもない現実を受け入れていた。例えば、皮膚を溶かして視力を失い倒れ伏し太陽の爆発にも似たあらがいようのない終わりを待つだけの数百の人を前にする、今だとか。
 一人か、二人。若い男女を選んで担ぎ出せば少しは次代に繋がるだろうかだとか、少しでも過ぎったクソみたいな考えに吐き気がする。
 もうここは終わった土地だ。数人拾い上げたところで先はない。俺を含めて数百人は塵も残さず死ぬだろうし、周囲数万人の人々にも、死かそれに近い障害が降りかかるだろう。
 どうしようもない。助けに来たという俺を信じて祈ってくれた人も、厄災を招いた責任を取るために血を吐きながら制御しようとし続けた人も、すべからくここで死ぬのだ。俺にはそれを救う力がない。
 ……ここにあるのが、俺だけの力であったなら。
「契約しよう。我が死後を預ける」
 見上げる。大いなる存在、その端末。未熟な俺に、救いの力を与えるもの。
 世界という概念。個の群体は限りない知性に支えられながら個を消失し、生じる揺らぎは莫大な質量に塗りつぶされ均一で無機質な一側面だけが俺に晒されていた。
 契約の意味は理解していた。俺はいつかこの天体じみた総体に取り入れられ、自意識というノイズをはぎ取られ、永遠の機構と化すのだろう。だが、それでよかった。いいや、それがよかった。
 そうだ、願ってもないことだ。偽りなく本心だった。相対して思い知る、圧倒的な質量が有するエネルギー。これがあればきっと、できないことなんて何もない。
「その報酬を、ここに貰い受けたい」
 みんなを。
 もうどうあっても手遅れだけど、まだ確かに生きているみんなを。俺一人の決断で、何もかも救うことができるのなら。
 後悔なんて何もなかった。それは、俺が生涯で唯一成した、正真正銘完全無欠の救済だった。

 ――『誰も泣かずに済むのなら』。
 最初にそう願った誰かのカタチを、もう、思い出すことすらできないけれど。


 突っ伏していた顔を上げる。障子を超えて、冬の弱い朝日が射し込んできている。点けっぱなしだった保安灯は日光に負けてもはや意味を果たしていなかった。
 男の気配を探して、土蔵の方から動いていないのに安堵する。座ったまま眠ってしまって強ばった体を伸びしてほぐし、立ち上がる。
 洗面所まで足を運んでは、その間に誰かに出会ってしまうかもしれない。そのままふらふらと台所に行って、冷水で勢いよく顔を洗う。バシャバシャとしばし無心で顔越しに頭を冷やし、左手がかじかんできたころにようやく蛇口を戻した。タオルで濡れそぼった顔を拭う。
 意識して深い呼吸を繰り返して、千々に乱れる思考が落ち着くのを待つ。夢にも似たいくつかの光景も、忘れないようにと反芻した。
「くそ。……くそ、くそ、くそ、最低だ、本当に。なんなんだよ、アイツ。変なもん見せやがって」
 言いながらじわりと目の奥が熱くなり、喚くのをやめて唇を強く噛む。もう濡れてもいないのに、タオルに強く顔を押しつけた。
 ムカつく。人にあれこれ見せつけて来て悠々としているアイツにも、自分を切り捨てて平気な顔をしているかつてのアーチャーにも、その苦悩と選択を正しいと感じてしまう自分にも。
 ふざけるなよ、と思考が赤く染まる。共感なんてしてやれない。例えどれだけ正しくても、俺だけはそれを認めてなるものか。今日夢に見た彼は、昨日絞首刑を受けたヤツになり、今ここにいるアーチャーになるのだ。だったら正しく見えても間違っている。
 あんな人生を送って後悔がないなんて間違っている。/あんな生涯を遂げて後悔するなんて間違っている。
 前提、過程、結果。彼に纏わるあらゆる行程全てが否定されねばならなかった。俺のすべてを賭けてでも棄却すべき真実だった。
 皺だらけになったタオルから顔を離す。ぶらりと垂らした左手の感覚はズレたままで、骨折に見せかけた右腕は動かないままで、俺は強化の魔術一つ使えない未熟者のままだ。そんな当たり前の事実が、どうしようもなく気に障る。
「……腕の一つや二つ、なんだってんだ」
 命一つ、魂全てを差し出したあいつより辛いものがあるものか。
 熱く色づいた息を吐く。頭を冷やさないといけないとわかっていたが、走る炎に追い立てられるように気持ちが急いた。

 朝食の片づけも終わり、遠坂に宛てた置き手紙をしたためていたころ。
 慣れない左手でなんとか解読可能な文字を書こうと必死になっていると、ぴんぽーん、と間の抜けた音で呼び鈴が鳴った。
「……誰だろ? はーい、今出ます!」
 藤ねえが忘れ物でもしてユーターンし、殊勝に呼び鈴を押したのだろうか。興味深そうに首を巡らせチャイム音の出所を探しているイリヤに勝手に出てこないよう言い含めて玄関の方へ駆け足で向かい、
「どちらさまですか……っと」
 ガラガラガラと玄関戸を滑らせたところで言葉に詰まった。
 玄関より更に向こう、我が家と道路を隔てている外門のところで、何やら白い人物が頭を下げて待っていた。
 白というのは、まずは服装のことだ。歴史の資料集か美術の教科書でしか見ないような、ドレスというには装飾が控えめな……クラシカルなメイド服とかだろうか。ところどころ金糸の刺繍はあるが、上から下まで白で統一されている。さらには肌の色まで陶器のように白い。髪の毛まで白いんだろうか、と想像したが、頭は帽子みたいに白い布が覆っていてわからなかった。
 なんにせよ、見知らぬ人だ。頭を下げられる謂われもない。何がなんだかわからないが事情を聞こうと下履きを突っかけて門まで急ぐ。
「衛宮士郎様でございますね。まずは事前の知らせのない突然の無礼な訪問、お詫び申し上げます。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン様を主人と仰ぐ者でございます」
 俺が門を挟んだ近くまで行くと、頭を下げたままの人が訥々と語り出した。
「や、はあ。衛宮士郎は確かに俺だけど……」
 イリヤスフィールなんとかって言ったらイリヤの本名だ。それを主人とするということは、この女性は見たままイリヤのメイドさんということなのだろう。
「とりあえず頭をあげてくれ。俺は別に貴族とかそういうのじゃないから。イリヤは今遊びに来てるけど、中に入るか?」
「い、イリヤなどと……っ!」
 ここで話すのもなんだし中へ案内しようと思ったのだが、俺の提案を受けたメイドさんは頭を下げたままプルプルと何やら呟いて硬直している。
「……お嬢様には先代より賜りし由緒正しいお名前がございます。このような辺境の国の方には発音しづらいなどという事情が、万が一、もしかしたら! ――おありなのかもしれませんが。正しく呼んでもらわねば困ります」
「イリヤスフィールって? 別に、そう呼べって言うなら俺は構わないけどさあ……」
 最初にイリヤと呼んでいいと言ったのはイリヤの方だ。俺が突然他人行儀な呼び方に戻ったら拗ねやしないか。
「だめよ、シロウ。私がいいって言ったんだもの。セラの言うことなんて真に受けなくていいわ。それより、どうしてあなたがここにいるの」
 と、思ったところでちょうどご本人が到着した。勝手に出てこないようにという俺の言いつけは無視されたわけだがここでは言うまい。
 背後からあらわれて俺の隣に並んだイリヤ……イリヤスフィール……まあいいやイリヤで。イリヤは冷えた目で頭を下げたままの女性の後頭部を見下ろした。
「お嬢様、言いつけを守らず申し開きもございません。しかしどうか城へお戻りください。護衛もつけずバーサーカーも連れず一人敵陣で夜を明かすなど危険すぎます」
「シロウは何にもしないわ。仮に何かしてきても、令呪があるもの。アーチャーなんかバーサーカーの敵じゃないし」
「万が一ということがございます。何かあってからでは遅いのですよ。なにより、男の一人暮らしなど野獣の住処に等しいところ。淑女が長居してよい場所ではありません」
 ついに頭を上げてイリヤに反論しはじめたメイドさん。名前はセラさんでいいのだろうか。瞳は血の色そのままに赤く、イリヤと同じ色彩だ。
 イリヤはどう見てもわがままというかマイペースだし、言葉の通り心配して連れ戻しに来たのだろう。イリヤは年齢に似合わぬ冷めた態度で突っぱねているが、彼女も負けじと食い下がっている。
「それこそ、ありっこないわ。昨日はタイガだって一緒だったし、シロウはカイショーナシって言ってたもん」
「確かにそこな男は甲斐性に乏しそうではあります。が、婚礼前の男女が一つ屋根の下など言語道断。ましてやこんな掘っ建て小屋ではプライバシーなどあってないようなものではありませんか」
 ……口を挟んでもややこしくなりそうなので黙って聞いているが、さっきから野獣とか甲斐性なしとか掘っ建て小屋とか本人を前に好き放題言ってくれる。譲らない二人のデッドヒートを見守る俺の目は、反比例してどんどん据わってきていた。
「シロウは『妹みたいな女の子』が『毎日通い妻』しに来てても手の一つも出さなかった『唐変木』って言ってたもん。私くらいちっちゃい子の方が好みなのかもしれないってタイガも期待してたけど全然なーんにもなかったわ」
「はあ?!」
「なっ、なっ、ななな、な……!? や、やはり野獣ではないですか汚らわしい!! ことはもはや一刻を争います! 急ぎ帰って消毒をいたしましょうお嬢様!」
 藤ねえ、あいつなんてこと吹き込んでくれやがる……!
 なんでか少々つまらなさそうな様子のイリヤに、動転していると、俺以上に動揺を顕にしたセラさんが作法とかすっ飛ばしてとうとう玄関に上がり込んできた。イリヤがさっと俺の後ろに隠れる。
 俺は頭が痛かった。もうそっとしてて欲しい。
「ほら、もう帰れよイリヤ。ここまで来てくれたのに悪いだろ」
 やや投げやりに後ろに回った少女に向けて言うと、セラさんに舌を出していたイリヤはこっちを見て「ええー!?」と非難の声を上げた。
「ここで帰っちゃ意味ないじゃない! 今日はこれからデートでしょ?」
「するかばかっ! これ以上話をややこしくするな!」
「デート?! ――やはり蛙の子は蛙でしたか。もう我慢なりません、今すぐその汚い手を離して這い蹲り首を差し出しなさい下郎」
「ああもうほらこうなるじゃんか……。いやちょっと待ってセラさん、そんな約束一言もしてませんってば、イリヤならむしろこっちが連れ帰って欲しいくらいでちょっと待って痛い痛いちょっ、なんだこの馬鹿力?!」
「セラ、首はダメよ首は! 足になさい!」
「足もダメに決まってんだろ! いやタンマタンマタンマセラさん本気で止まってくれ頼む、誓って何もしてないしこいつが勝手に押し掛けてきたんだってば!」
「ではお嬢様には食指一つ動かないほど魅力がないと言うのですか!」
「その質問どっちで答えても不正解なやつだろぉ?! 冗談じゃない離せって昼間からそんな堂々と魔術を使っていいわけ――!」
 やばい、本気で死んだ。
 発動寸前の魔術の気配が俺の首を狙っているのがわかる。胴着のタイガーとジェノサイドブルマの影とかいうわけのわからないモノが脳裏を過ぎった。「こんなのが走馬燈か……」と決めたくもない覚悟を決めて目をつぶったとき、
「……紅茶が入ったが。血臭にまみれるより先に上がっていってはどうだ、お客人」
 ものすごく関わり合いたくないながらも放っておくわけにも行かず本当に渋々話しかけた――みたいな声が救世主代わりに降ってきた。

「帰らないわ。私はお兄ちゃんとお話しにきたんだから」
 というのがイリヤの主張。
「そこの男と出歩くのならば、せめて護衛をお連れください。いつ襲いかかってくるともわかりません」
 というのがセラさんの主張。
「…………」
 アーチャーは台所の壁に背を預けたまま両目を塞いでノーコメント。
「わかったよ、俺は慎二――ライダーを探しに街に出るから、イリヤもセラさんも一緒に行こう。それでいいだろ?」
 で、俺からの折衷案がこうだった。ていうかもう丸く収まるのがこれしかないだろう。
 それでもセラさんは余程俺が気に入らないらしくこの折衷案にも嫌そうに眉を寄せたが、不機嫌ながらに頷いた。居間に案内してからも鬼姑もかくやという勢いで文句をつけ、もはや天井の木目の数にすら文句をつけそうなセラさんだったが、アーチャーの提供した紅茶を口にしてから会話が成立する程度には落ち着いてくれたのは幸いだった。
 俺の前にも用意された透き通る琥珀色をじっと見つめる。誰が用意しただとか、そういう先入観を抜きにして改めて口をつける。
「……おいしい」
 悔しいから小声だ。しかしこれは確かに、俺に対しての色付き水といういつかの暴言も甘んじて受けようと思うくらいのレベルである。そこまで紅茶に詳しくない俺も多分飲み慣れている異国の二人でも全員満足させる域なのだから、正真正銘本物だろう。ほう、と三人分のため息のような呼吸が重なる。
 おいしいものを食べながら怒っていられる人はいない。混沌とした場を紅茶一つで治めるという快挙を成し遂げた当の本人は、素直に感嘆する俺に嫌みったらしく鼻を鳴らしたりはしたものの、席につかず奇跡の一杯を口にもせず台所で沈黙を貫いているのだが。
「私はお出かけできるならそれでいいけど、ライダーなんて探してどうするの? あんな小者、放っておいても自滅するじゃない」
「小者って……」
 危機感の欠如した様子を注意しようかとも思ったが、バーサーカーの力を思えば過信とも言い難い。過保護らしいセラさんもいるのだし、俺からわざわざ言わなくてもいいか。
 忠告は任せておくことにして、なぜライダーを探さなければいけないかの部分だけをかいつまんで説明する。イリヤは一般の人へ被害が出ることというよりは、人目にはばからず吸血に及びそうな見境のなさに不快を示した。
「ふーん、それは確かに鬱陶しいね。リンがいないのもそいつのせいなんだ」
「ああ。……今朝には帰ってくるかと思ってたんだけどな。何かあったのかもしれないし、それも心配してる」
「そっか。わかった、それじゃあ私も手伝うよ。せっかく一緒に行くんだもの、その方が私にもシロウにもちょうどいいでしょ?」
 裏なんてどこにもなさそうな申し出である。それに対してじゃあ頼む、と言い掛けたところを踏みとどまったのは、ふと思い出したことがあったからだ。あれはいつだったか。商店街でイリヤと出くわして帰宅したあとのアーチャーに曰く、バーサーカーと友好的であるメリットは何もない、と。
 理屈はわかる。バーサーカーが強すぎるのだ。イリヤと組んでも結局勝者は一人に決めないといけないのだから、最後にバーサーカーと一騎打ちになるような同盟では意味がない。出る杭は打たれるとか言うが、イリヤはまさにこの『出る杭』であって、本来は徒党を組んだ他のマスターに挑みかかられるラスボスのような存在だった。
「……なあ、一つ確認しておきたいんだが。聖杯が手に入ったら、イリヤは何を願うんだ?」
 回答を伏せて別の質問を振ってみる。
 イリヤはキョトンと首を傾けて、
「聖杯に願うことなんてなにもないわ。アインツベルンにとって、聖杯は使うものじゃないもの」
「どういうことだ? 聖杯を手にするために戦ってるんじゃないのかよ」
「ううん。私たちは聖杯を完成させるために戦ってるだけだよ」
「――? 最後の一人の前に聖杯は現れるんだから、誰が勝っても聖杯が完成するのには変わらないだろ? だけど勝ちたいっていうことは、聖杯を自分で手にしたいっていうことだ。だから、聖杯を手にしたいってことは、願いたいことがあるっていうことになるんじゃないのか?」
「ううーん。私以外に聖杯を渡すわけにはいかないんだけど、お願いごとがあるわけでもなくって……」
 説明を試みてくれるが、どうにも違いがわからず首を傾げる。
 イリヤもウンウンと首をひねっていたが、最終的に本筋には関係しないことに思い当たったのか「まあいいや、どうせ私が勝つんだもの」とばっさり切り替えた。
「シロウこそ、なんのために聖杯戦争に参加しているの? ついでに叶えてあげられそうなら、手伝ってあげる」
「俺? 俺こそ聖杯に願うようなことはない。ただ、そんな物騒なものを放っておくわけにもいかないだろ」
 ――炎と呪いに満ちた街並みを思い出す。
 あんなものを、もう二度と許すわけにはいかない。逆に言えば聖杯を変な使い方しない人であるのなら、例えば遠坂とかになら、さっさと聖杯を譲ったって構わないのだ、俺は。
「無欲なのね。セイギノミカタにはならなくっていいの?」
「……。藤ねえだな、ったく……。いいんだ。そういうのは、何かに願って叶えてもらうようなもんじゃないからな」
「……そっかあ。シロウはそういう人なんだ」
 イリヤはしみじみとそんなことを言うと、心底嬉しそうに破顔した。両手で頬杖をついて、ニコニコと対面に座す俺の顔をのぞき込むようにしてくる。
「な、なにさ」
「ううん。行こっか!」
 上機嫌の理由がわからず聞いてみたが、イリヤは答えずぴょこんと席を立った。言葉の通り出立するつもりなのだろう。俺も慌てて紅茶を飲み干して立ち上がる。
「待ってくれ、俺も準備があるからさ」
 今の服なんて半分ジャージのようなものだ。イリヤは気にしてなさそうだがセラさんは絶対に怒るだろう。とりあえず着替えて、あとは遠坂への説明文も書き上げなければ――。
「遠坂凛への手紙は私が書いておく。貴様はさっさと着替えて少しはマシな見た目になってこい」
 と、キッチンで沈黙を守っていたアーチャーがここでようやく口を開いた。素直にありがたい話なので、ティーカップを片づけるついでに頼んでおく。
「助かる。どうにも書きづらくってさ」
 右腕はもちろん左腕もかなり動かしづらい。慌てたところで読める字をスラスラ書けるような状態じゃないが、その間イリヤを待たせておくのも余計な不興を買いそうだ。
「――イリヤスフィールと手を組むということは、それなりの覚悟はついているとみていいんだな?」
 俺が持ってきたティーカップを半ば奪い去るように受け取ったアーチャーが、居間にいるままのイリヤたちには聞こえないくらいの声量で聞いてくる。
「覚悟ってなんだよ。そんなものが必要か?」
「……それならそれで構わない。好きにしろ」
 と、俺の質問には答えずに、アーチャーは会話を打ち切って洗い物を開始してしまった。
 相変わらずわかんねえやつ、と不満に思わないでもなかったが、喧嘩に発展するより前にイリヤが急かす声が居間の方から飛んできた。
「はいはい! すぐ終わらせるから、ちょっと座って待っててくれ」
 とりあえずは出かけよう。同行者が増えたが、ライダーを探すという目的には変わりないのだから、さっさと街に出るに限る。

 リムジンで送迎しようとするセラさん――セラの申し出を丁重に断り、昨日同様徒歩で移動する。俺とイリヤがほぼ横並び、三歩下がってアーチャーとセラがついてきているような構図だ。後ろの二人は比喩抜きで先ほどから一言も発しておらず、足音まで殺しているせいでたまに振り返らないとついてきているのか心配になるくらいだ。なお、セラさんがセラ呼びに矯正されたのは何か微笑ましい友好エピソードがあったわけではなく、当の本人から「お嬢様を呼び捨てにしておいて私だけ敬称をつけられるわけには参りません」と絶対零度の視線とともに呼び捨てを強要されただけであることは補足しておく。
 反してイリヤはよく喋った。昨日のたった一晩の内に藤ねえからあることないこと吹き込まれたらしく、彼女の話は大体俺のこと(それもよりにもよって幼少期のころ)に集約された。
「――でね、シロウは小学校を出るころには掃除に炊事に洗濯、電球の付け替え屋根の修理にモチツキタナバタクリスマスなんでもござれのパーフェクトおさんどんに進化してたんだって」
「…………」
 しかし他人の口から自分の昔話を教えられるこの状況はなんなのだろう。なんでかイリヤが得意げに語ってくれるので間違ってない限り水は差さないが、かなり不可思議な光景である。
「だからキリツグが死んじゃった後も、自分一人で大丈夫だー! って、タイガを追い返したから寂しかったって言ってたよ。シロウは年々冷たく素っ気なくなっていくのでお姉ちゃんは心配ですオヨヨ、とのことでした」
「……色々もの申したいけど、それはもう藤ねえ本人に言うよ……。でも追い返すって、別にそこまでしてないし、藤ねえが毎晩うちに居座って夕飯を食べていってるのはイリヤにもわかっただろ? それで寂しいって拗ねられてもなあ。確かに姉貴分みたいなもんだけどさ、藤ねえには藤ねえの家族があるし、高校教師がいつまでも一生徒の家に通い詰めとくわけにもいかないし――」
 と、ついつい日頃言い損ねている文句まで飛び出してきて、そこで慌てて口を噤んだ。藤ねえがいないところで、イリヤには関係ない話を聞かせるような真似はよくない。
 中途半端に言葉を切った俺を隣のイリヤがちらりと見上げてきたが、追求することはなくまた進行方向に向き直った。イリヤの歩幅に合わせて、ややゆっくりと探索は進む。
「私には、タイガの言うことわかるなあ。だって、一人は寂しいし、つまらないもの」
「だから、藤ねえは俺が何言ってもほとんど毎晩うちに来てたんだって」
「違うよ。タイガじゃなくて、シロウの話。ひとりぼっちのシロウが、キリツグに置いてかれたシロウが、寂しいなんてちっとも言わないのが悲しくって心配だっていう話」
 母性すら滲んで見える痛ましげな声。同情されているのだろうか、と不思議に思う。
「――――」
 そこで思考と感情がぶれた。
 イリヤが一歩先行し、惰性のようにもう二歩進んで、立ち止まった俺を追い抜いたところで足を止めて振り返る。
「どうしたの?」
「……俺には、おまえが何を言いたいのかわからない。話したいことがあって来たんだろう? なのに俺の話ばっかりして、何がしたいんだ」
 キン、と空気が張りつめる音を幻聴する。
 銃口を向けられているような緊迫感がにわかに生じたのは、目の前のイリヤではなく背後のセラからだった。
「やめなさい、セラ」
「いいよ。俺から喧嘩売り出したんだ」
 先に敵意を見せたのは俺だった。セラは俺に呼応して戦闘態勢に入ったにすぎない。
 もちろん俺にはここでイリヤに襲いかかるつもりなんてこれっぽっちもなかった。というより、俺自身が俺の変容に困惑しているような有様だった。
 ただ、イリヤとこのまま会話を続けることに、理由もなく拭いがたい危機感を感じたのだ。
「シロウとお話するために来たから、シロウの話をしているの。何もおかしくないでしょう。この間お別れしてからずぅっと、この辺りがモヤモヤしててね。これをなんとかしなくちゃスッキリできないって思ったから、会いに来た。それだけだよ」
 この辺り、と胸の辺りを片手で撫でる。突然の警戒心を向けられたイリヤこそが、一番動じていないように見えた。三歩分の距離を開けたまま、コテンと小首を傾げて続ける。
「これ以上訊かれたくない? でもね、私、これだけはシロウの答えを聞かないと帰れない。タイガの話を聞いて、余計そう思ったわ」
 そう、幼い子供に話しかけるような口調で語り、静かな紅玉が細められる。
「――シロウはキリツグと一緒にいて、幸せだった?」


 思考の空白。
 予期していたから無意識に警戒を向けていたのに、いざ投げられたその問いを前にして、自分がどれだけ硬直していたかわからないくらいに隙を晒した。
「そ、れは」
 強ばった唇を動かす。
 迷う必要なんてない。即答できなければならない。答えなんて一つしかないはずだ。
「俺は、……俺は、切嗣爺さんがいなきゃ死んでいた。命を救ってくれたのも、生きる理由をくれたのも、切嗣がいなくちゃ俺はなんにも――」
「違う。そうじゃないでしょう? 私は幸せだったか、そうじゃないのか、それだけを聞いてるの。答えてよ、シロウ」
 イエスか、ノーか。
 惑って、唇を強く噛む。二者択一を求められているのだとわかっていた。切嗣の息子である俺が、どう答えなければならないのかもわかっていた。
 だけど結局、何十秒もの長い沈黙を挟んで、見上げてくる視線に答えられず逃げるように顔を俯けて呟いた。
「わからない。その質問には答えられない。そんなこと、考えたこともなかったんだ」
 ――幸せとはどんなカタチをしているか。
 それはわかる。わかっているつもりだ。日々与えられる穏やかな時間。それを人は幸せと呼ぶのだ。
 だから、俺は幸せ者だった。誰も彼もが生を諦め死を受け入れて焼け落ちるのを待つだけだったあの地獄で、俺が生きるのを願い喜んでくれる誰かがいた。それだけで、俺の命には価値がある。だから笑って一言、幸せだったと言えばいい。
 ……なのにどうしてそんな簡単なことが、俺にはうまくできないんだろう。
「そう。そうなんだよね。キリツグがいたのに、シロウは幸せになれなかったんだ」
「違うっ。切嗣のせいじゃない、これは俺の問題なんだ。切嗣爺さんはちゃんと、俺のことを育ててくれたし、守ってくれた。俺が成長していくことを喜んでくれた。大切な時間だったんだ。だから――」
「だけどシロウは、生きてても嬉しくないんでしょう。そんなシロウを置いて、キリツグは死んじゃったんでしょう」
 問いかけではなかった。イリヤは確信を持って言っていた。
「……なんで、そんな風に言い切れるんだ。おまえに俺の何がわかるって言うんだ」
 ザリ、と砂利の擦れる音がする。気圧されるように一歩足を引いていた。
 喉が渇く。この目の前の小さな体の少女が、得体の知れない預言者か何かに見えて恐ろしかった。
「見てたらわかるよ。シロウって全然笑わないから」
 イリヤの声は、例えば親とはぐれたことにも気づかず鳴く雛鳥を前にしたときのような、憐れみの込もった優しげなものだった。
「嫌になるわ。モヤモヤをスッキリさせるために来たのに、なんだか余計にモヤモヤするんだもの。だってそうでしょ? こんなにかわいい一人娘を置いて息子を作ったなんて聞いたら、きっとその子と幸せに暮らしてるんだって、思うじゃない。だから私、そんな幸せ壊して回って、ざまあみろって言うつもりだった。私を裏切って勝手に幸せになるからだって、言ってやりたかった。私は寂しかったのに、待ってたのに。“エミヤ”シロウなんてそんなのずるいって、言ってやるつもりだった。
 ……でも、全然羨ましくなんてなかった。お兄ちゃんを見てると、私もすっごく悲しいよ。なんでこんなシロウをおいていったんだって、キリツグにたくさん文句を言いたい」
「……イリヤスフィール。おまえは――」
 呆然とした声が勝手に漏れる。今の話が本当なら、イリヤはつまり、切嗣の娘だ。それも、切嗣が俺を引き取る前の。
「シロウは笑えないんだ。タイガもずっと心配してるのに、あんなにいつも騒がしいのに。楽しくても、嬉しくないから。嬉しいことが、苦しいから。
 だからシロウは幸せになれないんだって、わかっちゃった。……私の代わりにキリツグと幸せになった男の子なんてどこにもいないんだって、わかっちゃった」
 イリヤは俺のこぼした呟きを無視して、長い話を今にも泣き出しそうな笑顔で終わらせた。
 俺はどうすることもできずに黙り込んでいた。切嗣に家族がいたことなんて初耳だったし、その娘が余所にいるのに俺と暮らしていたなんて知って、どうしたらいいのかわからなくなる。
「あーあ。キリツグが死んでなんかいなかったら、バーサーカーにお仕置きさせていたのにな」
 一転して冗談混じりの明るい声で、イリヤがくるりと反転した。長らく止めたままだった歩みを再開させる。
「ほら、行こうよ。ライダーをやっつけるんでしょ?」
 何も返せない俺を咎めることをせず、何事もなかったかのように急かしてくる。俺は凍り付いたように感じる重たい足をなんとか地面から引き剥がして、遠ざかる小さな背中を追いかける。

 ――ふと、そのとき振り返ったのは。
 自分でも理由はわからない。おそらく理由なんてなかったのだろう。
 直感が命じるがまま不意に後ろに向き直ると、イリヤと俺のやりとりを無言で見守り続けた男の鋼色の瞳と視線がかち合う。
 アーチャーは感情の抜け落ちた無表情で、眼差しの鋭さばかりが矢の如く、じっと何かを見定めるように、俺の挙動を見つめていた。

Comments

  • めっけ(うめD1)

    泣きたくなるほど絡み合うお話に引き込まれます…今回も続きが気になって気になってよだれが止まらない(きちゃない)いつも楽しみにしております!続きを待てるしあわせ!

    April 3, 2017
  • 朝子

    いつもお話ありがとうございます。 今回の士郎さんの歪みに迫る部分が見ていて苦しくなりましたが、同時に彼も踏みこまれたくないなあと思うんだな、となんとも言えない気持ちになりました。 アーチャーと共に戦うことで彼が最後に何を得るのか、楽しみにしています。

    April 1, 2017
  • ラズー
    April 1, 2017
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