SZ MEMBERSHIP

テック共和国のつくり方[パランティア式]|Book Review

軍産複合体をテクノロジーによって活性化すれば米国は再び偉大になると、ピーター・ティールが設立したデータ分析企業パランティアのCEOで哲学者のアレクサンダー・カープは考えている。彼の新著『The Technological Republic』のブックレビュー。
テック共和国のつくり方[パランティア式]|Book Review
Illustration: Alex Merto

2014年春、トランスジェンダーでアナーキストのグーグルエンジニアが、米国の衰退を食い止めるための請願をホワイトハウスに提出した。提案された計画は簡潔で、「1. すべての公務員を年金全額支給付きで退職させる。 2. 行政の権限をテック業界に移す。 3. エリック・シュミットを米国のCEOに任命する」というものだった。

当時グーグルの会長だったシュミットは、技術官僚的リベラル主義を象徴するような存在だった。その20年前のシュミットはSun Microsystemsの最高技術責任者としてまだほぼ無名だったが、ビル・クリントン政権時代にホワイトハウス公式ウェブサイトの立ち上げを手伝い、のちにオバマ政権が始まる頃には民主党とシリコンバレーの橋渡し役のような存在になっていた。

テック業界で最高に名誉ある「創業者(ファウンダー)」の肩書きはもたないが、いつでも優秀な取りまとめ役だった。例えば、セルゲイ・ブリンがグーグル初の社用ジェット機にカリフォルニアキングサイズのベッドを置きたがり、ラリー・ペイジがそれに反対したときには、シュミットが間に入って合意点を見いだした。公徳心のある常識人で、場をまとめる“大人”だった。

当時、シリコンバレーは政治的ではない場所とみなされていた。テック業界の人々は、世間知らずのテクノユートピア思想、つまり政治の問題も工学的に整理すれば解決できるという信念をもっていると考えられていた。時には自由至上主義(リバタリアン)的、さらには無政府資本主義的な発言さえ出たが、その根底にある思想は多かれ少なかれ進歩主義的だった。

ピーター・ティールは自由と民主主義は両立しないと考え、優れた起業家は独裁者に共通するものがあると主張したが、こうした意見も危険視されるというよりは変わり者の自己陶酔的な妄言としてとらえられた。シリコンバレーによるクーデターを支持するような請願をグーグルのエンジニアが出したことは、ただのおふざけと受け取られたのだ。

「慢性的な王の不在」

しかし、実際は違った。ベイエリアではすでに「新反動主義」と呼ばれる思想運動が起こっていた。その目的は、政治という城塞から距離を置くことではなく、むしろ包囲し乗っ取ることだった。そのエンジニアは、君主制を支持するカーティス・ヤーヴィン(別名メンシウス・モールドバグ)という無名のプログラマーから影響を受けていた。ヤーヴィンは、米国は「慢性的な王の不在」に苦しんでいると主張していた。その点、シリコンバレーで成功した企業は幹部によるトップダウンの経営で動いており、秩序と効率を実現させる術を知っていた。

J・D・ヴァンス副大統領が影響を受けた人物として挙げたこともあるヤーヴィンは、いまやすっかり有名人だ。控えめにもヤーヴィンはひとりの王しか求めなかったが、いまの米国に王はふたりいるようだ。ドナルド・トランプイーロン・マスクは、個人的な利益を追い求めているという点で共通しているように見える。しかし、ふたりが公言する政策の優先順位は、少なくとも一見したところでは一致していない。

トランプは過去に目を向けてその復活を約束するナショナリストで、グリーンランドを手に入れたがっている。マスクは未来に目を向けてその実現を約束する自由市場主義者で、火星を手に入れたがっている。リベラル派は、ふたりのパートナーシップは根本的に不安定そうだと安心するかもしれないが、それはある意味、現実逃避にすぎないだろう。

データ分析企業パランティア・テクノロジーズ(Palantir Technologies)のCEOであるアレクサンダー・C・カープとその側近ニコラス・W・ザミスカの新著『The Technological Republic(テクノロジー共和国)』(未邦訳)は、こうした一見異なる思想がいかにして有益なかたちで組み合わさる可能性があるかを示す。カープはトランプを嫌っているが、もっと力強い米国を求めてはいる。一方のマスクのことは称賛しているが、政府の機能は維持すべきだと考える。

本書の中心的主張は、米国という実験国家が存続するためには軍産複合体をテクノロジーの面から再び活性化することが不可欠だ、というものである。国家に対する誇りがシリコンバレーに使命感を与えるはずだ。ひいては、シリコンバレーの技術力が国家としての米国の力に対する国民の自信を取り戻すかもしれない。つまり、グリーンランドを手に入れたいという願望から、火星を手に入れる能力が生まれるかもしれないということだ。

パランティアの誕生

ビジネスと自己啓発をクロスオーバーさせる書籍ジャンルのなかでもピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』は例外的な存在感を放っているが、テック界の大物が書く本はたいていが期待外れだ。

カープはその伝統をいくらか変えることのできる人物のように思える。彼はフィラデルフィア郊外でユダヤ人小児科医と黒人アーティストの親に育てられ、ハバフォード大学からスタンフォード大学ロースクールへ進んだ。性に合わず好きではなかったスタンフォード大学での日々で唯一価値を感じたのは、ピーター・ティールが同級生だったことだという。カープがかつて用いた表現を使えば、ふたりは「野生動物」のような濃厚な敵対関係を結び、夜遅くまで社会主義と資本主義のどちらが優れているかについて激しい議論を交わした(ティールは資本主義派)。

その後カープは、伝説的な「フランクフルト学派」を生んだ社会研究所のあるゲーテ大学フランクフルトで哲学の博士課程に進んだ。そこでユルゲン・ハーバーマスに短期間師事し、ハーバーマスの「正統性の危機」論に感銘を受けたという。03年、ティールはパランティアを立ち上げ、直後にカープを経営陣に迎えた。

『指輪物語』に登場する「見る石」にちなんで名付けられたパランティアは、ふたつのインスピレーションのもと立ち上げられた。

ひとつは、初期のeコマースを中心に漂っていた軽薄な雰囲気を一掃したドットコムバブルの崩壊。もうひとつは9・11同時多発テロだ。ティールは、成熟しつつあるテック業界はお遊びのeビジネスを手放して国防というまじめな使命に本気で取り組む必要があると考えた。パランティアのデータ統合プラットフォームなら、人間の分析者では見抜けないようなパターンを発見できるという。

カープは、自社の究極的な目標は「西洋を支えること」だと語っている──『指輪物語』の表現で言えば、サウロンの目から「シャイアを守る」のだ。個人データを収集・分析し警察や軍などにも提供するそのビジネスだが、ティールとカープは「情報を徹底的に可視化する力」と市民の自由を守ることのバランスは取れていると主張した。しかし、批判の声は左右両派から上がった。

当然ながら市民自由主義者たちは反発し、まるで映画『マイノリティ・リポート』のディストピアで将来的な犯罪者を予測し拘束する監視システムだと言った。また、実体のない技術を売りつけようとしているだけではないかという非難もあった。監視塔に情報インフラを売ることは安全な商売とは言えず、投資家たちも物怖じした。

パランティア社員たちはそうした悪評は不当かつ不正確だと感じていたが、広報チームは怪しげなイメージはむしろマーケティング的に好都合だと考えた。CIAのベンチャー部門からの支援に加え、いくつか契約を取りつけたことで会社は生き延び、やがては世界がその事業の価値を認めた。現在、パランティアの時価総額は2,800億ドル(約42兆円)に上る。

西洋を支えるという目標

『The Technological Republic』は、パランティアの歴史、悲哀、教訓がそれぞれ同じ比率で構成されている。最初のテーマでは──多くの人がほとんど無造作に捨ててしまった──「西洋」の文化的・政治的・技術的な姿勢を力強く概説する。

そして、次のように嘆く。米国政府は「かつて原爆やインターネットを生み出したような大規模なブレークスルーを追求する野心を失ってしまった」。シリコンバレーは「自己中心的になり、狭い範囲の消費者向け製品にばかりエネルギーを注ぎ」、より重要な社会的責任を放棄している。

そのうえでこう提案する。「わたしたちの目の前に差し迫る重大な課題に対応できるテクノロジーと人工知能(AI)」を築くためには、いまこそ団結し倍の努力をしなければならない。なかでもとくに重要な課題は、AIで力をつけた中国・ロシア・イラン勢力がもたらす脅威である。だが、真の敵はすでに国内にいる。いまの西洋社会は方向性を失い、軟弱になってしまった。

この本の主張は、新右派の思想家の多くに共通する「ポスト・リベラリズム」的視点と重なっている──「何がよい人生をつくるのか、社会が目指すべき集団的な目標とは何か、集団としての国民的アイデンティティは何を可能にするか、といった重要だが答えを出しづらい問題は、時代錯誤のものとして脇に追いやられてしまっている」という考えだ。

そしてこの本もまた、「去年の10月」という古い時代の産物である。政府とシリコンバレーが支え合うというその理想は、いまや時代遅れでのんきな幻想のように思えるほどだ。

当時カープはジョー・バイデンカマラ・ハリスの選挙活動を支持しており、本書は明らかに民主党が勝利する前提で現状に対する提言を意図して書かれている。そこで描かれるのは政府のない世界ではなく、より積極的に機能する政府の存在だ。

カープの政治的立場には、いまや冷戦期のリベラリズムと呼ばれ批判されがちな思想の再興を試みる意図が伺える。その思想とは、われわれは自由と快適な暮らしを求めてふたつの戦線で戦ったのだ──つまり、国内における平等の追求は国外における共産主義との闘いと結びついている、という考えである。

他国の攻撃に対する抑止および国内産業の進歩という両面で成果を上げた原子力開発プログラムをカープはモデルとして考え、AI技術も同じく双方の目的のもと活用すべきだと主張する。AIが関わる軍拡競争は、かつての核開発競争と同様、世界の勢力図を再編する可能性がある。中国に先手を取られることは非常に危険だ。

国家を裏切ったシリコンバレー

この種の未来予言、特にそれが結果に利害関係をもつ人々によるものである場合、その内容を信用できない理由はいくつもある。さらに軍拡競争というものは根拠のない予測にとどまらず、自己成就的な予言になるかもしれない。

一方、この本がAIの現状について語る見解は議論の余地が少なく、的を射た内容だ。AI開発の驚異的なスピードに目を向けると、米国の技術力がいかに価値あることに使われていないかが浮き彫りになる。わたしたちはスタートアップに対し、広告技術の向上やくだらない農場ゲーム、20代の都会人向けの贅沢なおもちゃよりも、もっと優れたものを期待すべきだ。

問題は、なぜこんな状況になったのか、ということだ。カープの仲間の多くは、シリコンバレーから面白いことをする能力を奪ったのは政府の規制だと非難している。カープにも米国政府の官僚主義に対していら立ちはあるが、『The Technological Republic』の主な批判対象は、シリコンバレーを裏切った国家ではない。

この本がより説得力と独自性をもって伝えるのはむしろ、シリコンバレーが国家を裏切ってきた物語だ。社員は甘やかされ、投資家は臆病者、業界の大物たちはただの店長や店員が有力者の皮を被っているにすぎない。エンジニアも経営者も、もはやロケットや偵察機への情熱を失ってしまった。

18年春、グーグルの社員たちは、偵察画像をAIで解析する国防総省の軍事計画「Project Maven」への自社の参加に抗議した。しかし、社員たちの不満は「平和主義や非暴力への信念」に基づいたものというより、自分が不自由なく快適に暮らせること以外のすべてに対しての「信念を根本的に放棄していること」の表れであった、とカープとザミスカは述べる。

結局パランティアがその穴を埋め、政府と契約を結んだ。パランティアはそうして国防という重大な責務を引き受け、さらにのちには国家に奉仕する権利を得るために闘った。当初、国防総省の煩雑な調達規則の下ではパランティアの商用ソフトウェアは使えなかった。16年、パランティアはそれについて政府を訴え、勝訴した。その2年後には陸軍との大規模な契約を獲得した。

もしハリス政権が誕生していれば、『The Technological Republic』はカープの自己アピールの書に過ぎないとして一蹴されたかもしれない(基本的にその通りだが)。民主党全国党大会の演説でハリスは、「最大の破壊力をもつ最強の軍」を備える国家をつくると発言しており、パランティアはシリコンバレーの数少ない防衛関連企業として繁栄し続けただろう。

しかし、実際にはハリスの敗北もカープに恩恵をもたらした。数字面だけで言えば、バイデン政権時代の平均株価と比べてパランティアの株価は600%近く上昇した。しかし、もっと興味深いのは、カープの思想に説得力が加わった点である。

甘やかされた社員に対するマスクのやり方は、粛清だった。Twitterを買収した後、彼は「岐路」と題したメールを全社員に送り、自分の命令通りに働くか辞めるかの二択を迫った。その目的はツイッターの業績改善ではなく、社員に自分たちが代替可能であると思い知らせることだった。トランプ政権下で 政府効率化省(DOGE)を構えた際にも、マスクはまず全政府職員に早期退職を勧奨するメールを送った。その件名が「岐路」だったことからも、彼自身の発案であることは明らかだ。

カープの考えはマスクとは異なる。カープにとって、シリコンバレーは君主制の実験場ではない。戦争の実験場なのだ。

美化され捏造される神話

シリコンバレーには特別な文化が存在する。あるいは、かつて存在していた。その文化は政府への反抗から生まれたのではなく、国家の現代的プロジェクトの礎石として育まれたものだった。連邦政府が技術開発に対して行なった支援はもちろん財政的なものだが、そこには金銭以上の重要性があったとカープは考える。軍産複合体の構築は一種の精神的投資であり、研究者たちのやる気に火をつけて団結させる存在だった。

工業化時代の企業労働者はまさに歯車だったが、大量生産をするためにはピラミッド型の管理構造が必要だったのかもしれない。対照的に、エレクトロニクス時代の科学者やエンジニアはトップダウンの指示下ではあまり能力を発揮しなかった。

それよりも、意義ある課題に挑むときにこそよく動いた。解決すべき難題と、その解決に取り組む正当な理由、そのふたつさえあれば、狭い部屋に閉じこもるのも荒野に行くのもいとわなかった。そして、最大の課題は国防であり、それに取り組む最善の理由は全国民の自由と繁栄を守ることだった。

これは爆弾などの物理的な発明ももたらしたが、同時に制御理論やサイバネティクスといった新しい概念やプロセスの誕生も促し、それが巡り巡って社会の仕組みを新たに変化させた。科学者とエンジニアは、互いに批判しながらもすぐに許し合うという、入れ子構造のようなフィードバック・ループのなかで共に働いた。支配力ばかり追求する利己的な人間は多くなかった。自分たちの仕事には市民的な目的があるのだという信念から生まれる、ある種の品格がそこにはあった。

サンフランシスコとサンノゼの間に次々と誕生した企業キャンパスは、「現代の芸術家コロニーや技術者コミューンのようなもの」であり、そこには「金融市場をいじったりコンサルをしたりするのではなく、もっとほかのことをしたいと考える人材」が集まっていた、とカープとザミスカは記す。

テック文化の起源について美化しながら大雑把な記述にとどまっている『The Technological Republic』は、フレッド・ターナーの古典的名著『From Counterculture to Cyberculture』(未邦訳)のChatGPT版とでも表現できそうだが、マスクのような天才がゼウス神さながらの完全体として突然現れ、すべてを変えたという幻想をうまく是正してはいる。

かつてのテック企業は冷酷な天才たちが支配する独立特区のようなものだった、というイメージは最近になって語られ始めた神話にすぎない。それよりもさらにあとに生まれたのが、マスクが若きエンジニア軍団を率いて、動きの鈍い政府を打ち倒してくれるかもしれないという考え方だ。

しかし、物事を壊して回るだけでは社会全体の再生には至らないと、『The Technological Republic』の著者らは考える。むしろ政府側がもっと強い姿勢で何が必要かを明確にし、その理由を堂々と伝え、応じようとする企業にそれを普通のかたちで──4,000ページにわたるややこしい規定書ではなく──示さなければならない。政府の需要がなければ、企業は消費者市場に目を向けるものだ。しかし、消費者市場に価値の決定を任せるべきではない。

「シリコンバレーの創業者たちは大声を上げたが、その内容はとにかくつくろうというばかりで、何をなぜつくるのかと問う者は少なかった」と、カープとザミスカは述べる。テック業界は、自分たちの優先事項を見直して、政府と互いに歩み寄らなければならない。国益の追求は崇高な目的である。スマートフォン向けゲームの開発とは違うのだと。

再び愛国心を抱くための“許し”

この現象、つまりイノベーションと称しながら「派生的で時代遅れの」製品を量産するテック業界の現状を的確に指摘している点で、『The Technological Republic』は優れている。しかし、この本自体もまさにその現象の好例だと言える。

その内容は、まるで国家衰退がテーマのヒット曲を集めたSpotifyの自動再生リストだ。「米国精神の空洞化」などの章タイトルでさえ、アラン・ブルームやジョナサン・ハイトが好きな人に刺さりそうなワードをアルゴリズムが選んだような響きである。「この国の魂」は「包摂性の名の下に捨て去られ」、「多くの企業の重役室、そして間違いなく名門大学の教室では、偉大な目的をまじめに信じること自体がはるか時代遅れなものとして見下されている」。

カープは自身がリベラル派であることをわざわざ主張しているが、本書が取り上げているリベラル派思想家はコミュニタリアン哲学者のマイケル・サンデルのみだ。引用されている論者は主に、ロジャー・スクルトン、ロジャー・キンボール、アーヴィング・クリストル、レオ・ストラウス、ニーアル・ファーガソン、ペギー・ヌーナンという、保守派の不満分子をアルゴリズムが自動で選んだような顔ぶれである。

こういった記述には、昔ながらの不満を包み直して提示している印象があり、好機を逸しているように感じられる。米国のイノベーションが方向性を失っているという点は、左派右派を問わず認識されつつある。しかしその現状を野心の欠如や衰退文化のせいにしたところで、それは問題を言い換えているに過ぎない。相対主義やポストモダニズムが社会の信頼を腐らせたのだというお決まりの批判は、もっと具体的で簡明な解釈を見逃している。

軍産複合体がその輝きを失ったのは、すべての文化には等しく価値があるという考えが米国人に刷り込まれたからでも、誠意というものが流行らなくなったからでもない。実際に軍産複合体が無意味で破壊的な戦争を繰り返したからだ。米国の社会制度は、わたしたち自身の行動によって傷ついた。だからこそ、かつての自分たちを思い出せと訴えるだけでは再建することはできない。

米国人に必要なのは再び愛国心を抱いていいのだという許しである、とカープは考えているようだ。彼の博士論文「Aggression in the Life-World: The Expansion of the Parsonian Concept of Aggression Through the Description of the Connection Between Jargon, Aggression, and Culture(生活世界における攻撃性:パーソンズの攻撃性理論を拡張し、専門用語・攻撃性・文化の結びつきを考察する)」は、ドイツ人作家マルティン・ヴァルザーが1998年にドイツ書籍協会平和賞を受賞した際のスピーチに対する解釈で締めくくられる。

そのスピーチでヴァルザーは、ナチスのホロコーストの歴史が「道徳の棍棒」となってドイツ人に永遠に恥を感じさせ続けている、と述べて物議を醸した。ドイツ人を被害者扱いするヴァルザーの主張は事実として正しくはないが、それでいて極めて強い効果をもたらしたと、カープは指摘する。ヴァルザーのスピーチは、聴衆の無意識の怒りや屈辱を認識し代弁した。ドイツ人はただ誇りを取り戻したかっただけで、ヴァルザーがそれに許可を与えたのだ、と。

『The Technological Republic』もこのエピソードに触れるが、そこでヴァルザーはもはや予言者的存在として描かれる。いつまでも過去の罪を背負い、そこから逃れられずにいることはドイツに深刻な影響を及ぼしてきたと、本書は指摘しこう述べる。「戦後の荒廃のなかで、ドイツ的アイデンティティをもってはならない、あるいは国家という感覚さえ許されないのかもしれないという感情を国民が強く抱いたことは大きな代償をもたらし、結果として欧州はロシアの侵略に対して信頼できる抑止力を失ってしまった」

プラグマティズムと「血税」

米国人もまた、国家としての誇りの欠如に苦しんでいる。進歩派の一部の人々は、「わたしたち」はもはや救いようがなく、米国における民主主義の実験が道徳的進歩として語られていたこと自体がリベラル派の妄想だったのかもしれないという疑念が、トランプの再選によって確信に変わったと感じている。それに対して『The Technological Republic』は、国が蓄積してきたノウハウの価値を考えて自国に関する健全なイメージをもつべきだと提案する。技術の進歩、そしてそこに象徴される未来への希望が国家というプロジェクトを堅固な基盤に立たせるかもしれないという主張を展開している部分は本書のなかでも説得力がある。

カープは、米国の技術力に対する自身の信頼を同国のプラグマティズム(実用主義)の伝統に重ねている。『The Technological Republic』では、わずか3ページ内に「貪欲なプラグマティズム」「冷酷なプラグマティズム」「貪るようなプラグマティズム」という表現が立て続けに使われている。

実際、プラグマティズムの思想は忠誠心・繁栄・戦争の相互関係について古くから洞察を与えてきた。1910年、米国国家哲学の始祖のひとりであるウィリアム・ジェームズは「The Moral Equivalent of War(戦争の道徳的等価物)」というエッセイを書いた。戦争は昔から「社会の結束を育む血まみれの看護婦」のような存在として認識され、「一種の儀式」でもあると、ジェームズは述べる。

戦争の犠牲はニーチェ的価値観における英雄性の代価なのだとし、こう記した。「その『恐怖』は、事務員と教師の世界、男女共学と動物愛護の世界、『消費者団体』と『慈善事業』の世界、際限なき産業主義と臆面もないフェミニズムの世界という、戦争なき場合に想定される唯一の代替世界から逃れるために支払う代償としては安いものだ。そのような世界には、もはや軽蔑も、厳しさも、勇敢さもない!」

規律、集中、相互依存、そして「剛勇」という戦闘的美徳なしに健全な社会は成り立たない、とジェームズは述べた。ただし、こうした価値観を育むうえで実際の戦争は十分条件かもしれないが、必要条件ではないかもしれないと考えた。そして、若者たちが国家奉仕活動というかたちで「血の税」を支払うことを提案した。金持ちの子どもも貧しい子どもも同じように作業帽をかぶり、高層ビルやダムを建てる。そうすれば国民全体に恩恵をもたらすうえ、好戦的な排外主義に陥ることなく国家としての一体感を育むことができるというわけだ。

ただし、ほかのプラグマティストたちがみな戦争の誘惑から逃れることはなかった。わずか数年後、ジョン・デューイは戦争を通じて社会改革も推進されれば一石二鳥だと考え、プロイセン的軍国主義に対抗する米国の第一次世界大戦参戦を支持した。デューイの元教え子ランドルフ・ボーンは、デューイがナショナリズムへの熱狂という安っぽい興奮に屈し「戦争は国家の健康である」という思想を受け入れたと非難した。カープは、1922年のデューイによる「気取った態度をやめて、泥臭い現実に飛び込まなければならない」という発言を肯定的に引用している。

しかしデューイはのちに、国外で大量の苦しみと死をもたらし、国内では市民の自由を抑圧しただけの戦争に期待したことを後悔している。遅まきながら、ボーンが説く教訓を学んだのだ──一石二鳥を狙うと、実用主義的な制御のきかない力が解き放たれてしまう──と。一方、カープはいまもなお戦争を二重の目的に使える技術だと信じている。しかし本書を支えるロジックは、国家の安全保障は自国への誇りを育むが、自国への誇りはおそらく国家安全保障の前提である、という堂々巡りの議論だ。

国家の目的を再定義する

『The Technological Republic』の実用主義的な側面は、先進AIが戦場での中心技術となる未来にどう備えるべきかという、純粋に戦略的な問いを提起している。「われわれの目の前に広がる問題は、AIを搭載した新世代の自律型兵器が今後つくられるかどうかではない。誰がどのような目的でつくるのか、という問題である」と本書にはある。これは真剣に考えるべきことであろうし、これに関してパランティアは本格的に準備を進めているのかもしれない。

一方、本書のもうひとつの側面は、戦略的なプラグマティズムから離れ、次のような壮大で形而上学的な精神論に流れている。「最も能力が高く、これからの軍事力を構築するのに最も適した立場にある世代は、国防や共同体目的に関わるプロジェクトから身を引いた生活に最も満足してしまっている世代でもある」

このように、国家の目的を定義することもまた真剣に取り組むべき仕事だろうが、おそらくパランティアに任せるべきことではない。

(Originally published on The New Yorker, translated by Risa Nagao/ LIBER, edited by Nobuko Igari)

※『WIRED』による書評の関連記事はこちら


編集長による注目記事の読み解きや雑誌制作の振り返りのほか、さまざまなゲストを交えたトークをポッドキャストで配信中!未来への接続はこちらから


article image
イーロン・マスク率いるDOGEで働く担当者が、国防総省が設計した連邦政府職員の大量解雇を支援するソフトウェア「AutoRIF」のコードを編集しているようだと、情報筋が『WIRED』に語った。
a distorted close up of Elon Musk's face
19歳から24歳のエンジニア集団が、マスクの米国連邦政府での基盤固めに重要な役割を果たしている。多くがマスクの関連企業での勤務経験はあるが、司法や行政関連の専門知識に乏しく、セキュリティ・クリアランスへの懸念も高まっている。

テック共和国のつくり方[パランティア式]|Book Review

雑誌『WIRED』日本版 VOL.56
「Quantumpedia:その先の量子コンピューター」好評発売中!

従来の古典コンピューターが、「人間が設計した論理と回路」によって【計算を定義する】ものだとすれば、量子コンピューターは、「自然そのものがもつ情報処理のリズム」──複数の可能性がゆらぐように共存し、それらが干渉し、もつれ合いながら、最適な解へと収束していく流れ──に乗ることで、【計算を引き出す】アプローチと捉えることができる。言い換えるなら、自然の深層に刻まれた無数の可能態と、われら人類との“結び目”になりうる存在。それが、量子コンピューターだ。そんな量子コンピューターは、これからの社会に、文化に、産業に、いかなる変革をもたらすのだろうか? 来たるべき「2030年代(クオンタム・エイジ)」に向けた必読の「量子技術百科(クオンタムペディア)」!詳細はこちら