#09 雪の降らない街
遠坂凛がセイバーを、衛宮士郎がアーチャーを召喚することからはじまる第五次聖杯戦争ifストーリー十話目。腐向け。
版権元:Fate/stay night
注意(シリーズ共通):
腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現
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深山マウント商店街。スーパーマーケットの猛威にも負けずに頑張る地域の台所に足を運んでいた。日はまだ高く、おやつ時とするにも少し早いくらいの時間だ。
用件は単純に買い出しだ。いつぞやの反省も活かして今回はアーチャーもついてきていた。……流石に俺も背後霊さながらに後ろに続く高位の幽体の気配くらいはわかる。
とはこの状態で会話しても周りには俺が独り言を言っているようにしか見えないわけで、必然的に会話はなかった。そもそも今日の俺はずる休みをしている状態なので、あんまり悪目立ちはしたくないのだ。
昼間のこんな人通りの多いところで万一のこともないとは思うが、これからのことを考えれば食材は多目に買い込んでおきたい。出かけると言い出した時にはアーチャーから謂れの無い非難を受けたが、腹が減っては戦はできないと昔の偉い人も言っているのだ。ただでさえ大食らいの藤ねえに加えて遠坂もセイバーもアーチャーもいるのだから、結構な量を備蓄しておかねばいざというときに困る。
日持ちする根菜とかツナ缶とかを買おうかと買い出し内容を組み立てつつ、新鮮さが売りの食材にもついつい目移りしてしまう。アーチャーが静かなのを良いことに一人で目利きに熱中しながら提げる買い物袋を重くしていく。
『おい』
「…………ん?」
と、その途中。何やら水で隔てられたような奇妙な距離感のある声がすぐ後ろから聞こえてくる。距離があるのに近いとはおかしなことを言っているが、本当にそんな感覚なのだから仕方ない。
声は低い男のもので、つまりは俺についてきてくれているアーチャーのものだった。さりげなく背後を確認してみるが、今通り過ぎてきた商店街の光景が映るだけだ。器用にも霊体のまま声だけを届かせているらしい。回りの人々に聞き咎められないように、抑えた声量でアーチャーは続けた。
『このまま行けば向こうのイリヤスフィールと鉢合わせるが、いいのか』
「イリヤスフィール……?」
『……まさか忘れたなどとは言わんだろうな。バーサーカーのマスターだ』
呆れた物言いに反射的に言い返しそうになって、はたと開きかけた口を閉じる。
忘れられるはずがない。立ちはだかる巌、セイバーの宝具を受けてなお衰えない眼光。
「まだ昼間だぞ!?」
叫びたいのをギリギリで堪えて抑えた声量で呻く。辺りには買い物に勤しむ客や客引きをする店員の姿が多くある。こんなところで戦闘など、悪夢以外の何ものでもない。
歩みを止めて注意して道の先を見てみると、なるほど確かに物陰に隠されながらも白い髪が踊っているのが見える。低い身長のせいで言われるまで気づかなかったが、視力の強化も必要ないくらいの距離だ。――向こうが少し振り返れば、あちらも俺に気づける距離ということである。
『警戒心を忘れていないようで結構だが、よく見ろ。相手はバーサーカーを連れていない』
突然の遭遇に身構えた俺に、落ち着いたアーチャーの声が届く。
……確かに。距離があろうが霊体化していようが絶対にわかるだろう圧倒的存在感が感じられない。箱入り娘丸出しの爪先立ちで店を覗くイリヤスフィールの周りには、サーヴァントはおろかお付きの人間の姿もなかった。
「一人なのか……?」
買い物に来たにしては両手が空で財布すら持っていない。というかそもそも、商店街で買い物とかしそうにない。
令呪がある以上、バーサーカーが連れていないからといってイコール安心とは言えないが、それでも少女が戦うつもりでここに来たわけではないことの証明にはなるだろう。
安心して肩の力を抜き、さてそれじゃあどうしたものかと気を取り直した矢先、視線でも察したのかイリヤスフィールが急にこちらを振り返った。
「……あっ! シロウだ!」
姿は見えても四、五十メートルは距離がある。俺を発見した途端嬉しそうにこちらに手を振りだした白い髪の少女は、その距離でも聞こえるくらいに声を張り上げて俺を呼んできた。
「………………」
えーっと。
「あれ? 気づいてないのかな? おーい、お兄ちゃーん!」
少女の呼び声の先を辿って商店街の人たちの視線が俺に集まる。今に親切な誰かに「あなた、呼ばれてますよ」とか教えられそうな気配だ。こんな親しげにされるような関係じゃないんですと弁明してもとても信じて貰えそうにない。
テッテとこちらに向けて駆け出してきたイリヤスフィールの姿は兄に駆け寄る妹そのものである。あまりに親しげな様子に俺の方が混乱した。あの夜無邪気な殺意を纏って俺たちにバーサーカーをけしかけたのはこの少女と同一人物だったはずなのだが……?
「こんにちは、お兄ちゃん。アーチャーを連れてお散歩してるの?」
悠長に悩んでいるうちに、イリヤスフィールは俺の目の前まで到着していた。小さい体を腰から屈めて覗き込むように聞いてくる。霊体化したままのアーチャーにも当然気づいている様子だ。それでこれだけ無警戒なのはどういうことなのか。
「散歩とはちょっと違うけど……。おまえこそ何の用なんだ」
「もう。前に言ったじゃない、シロウに会いに来たんだって。シロウがショーテンガイに出没するのなんて、私にはお見通しなんだから」
えっへんと胸を張る。毒気が抜かれる仕草だった。
「バーサーカーも口煩いセラも置いてきたわ。ね、お話しようよお兄ちゃん」
「お、おい。ちょっと待て、なんでおまえそんなに馴れ馴れしいんだ」
「なにが? 普通だよ?」
荷物を持たない方の手を掴んで引っ張るイリヤスフィールは、慌てた俺の制止にキョトンと首を傾けた。邪気の欠片もない。
相手はあのバーサーカーのマスターで、遠坂とも渡り合う油断ならない魔術師なのだ。それはわかっている。わかっていたが、俺の手を引いて話がしたいと笑う少女とて現実だ。
対処に困って後ろのアーチャーを振り返ってみたが、姿は見えないし当然なんの助言もない。結局グイグイと手を引くイリヤスフィールに抗いきれず――。
――人気のない公園。利用者になり得る子供たちは今頃小学校を走り回っているのだろう。
ブランコや鉄棒といったお決まりの遊具を並べるだけで手一杯というような、あまり大きくない公園だった。
イリヤスフィールはようやく俺の手を放し、物珍しそうに公園内を散策し始めた。不思議そうにブランコの台座部分を突いて揺らしている。
ここまで来たら、逃げるとか戦うとかいう次元は過ぎているだろう。よくわからない現状に息を吐きつつベンチにビニル袋を置いて腰掛ける。冬だししばらくは大丈夫だと思うが、生ものもあるしあまり長居はできないだろう。
「それで、何の用なんだ?」
警戒を残しつつ水を向けてみる。ベンチより少し離れたところで揺れるブランコを蹴飛ばして遊んでいたイリヤスフィールは振り返って俺のいるベンチのところまで駆けてきた。身を固くするこちらを余所にえいやと隣に飛び乗るように座る。プラプラと揺れる足は地面についていない。
「警戒してるの? かわいいね、シロウは」
こちらを覗き込んでニコリと笑う。
「なにさ、かわいいって……。さすがに俺だって、自分を殺すって言ってきてたやつ相手とそんなすぐに仲良くはやれないぞ」
「それは夜の話でしょ? お爺さまからお日様がある内は戦わないのがルールだって聞いてるもの」
眉を寄せて顔を背け、不信感を顕にしてみるがどこ吹く風だ。
……だが、確かに。アーチャーを連れている俺の前へバーサーカーを従えずに現れたのだから戦う気がないのは本当なのだろう。何度も同じことを説明させられて、イリヤスフィールは少し拗ねた様子だった。
「――わかった。じゃあ日が明るい内は俺もおまえも戦わない。それでいいんだな?」
「うん! 戦うなんて野蛮だもの。今日は『遊ぶ』だけにする」
この無邪気さを疑い続けるのも難しい。苦笑して向き直ると、少女の赤い瞳と目が合った。血の赤がそのまま透けたような色だ。
「それじゃあシロウ、何して遊ぶ?」
それにしても綺麗な声だった。鈴が鳴るような、というか。小鳥が囀ずるような、というか。所作も仕草も見かけも年端もない少女のものなのに、瞬きの仕方や微笑む唇の角度には大人の魔性が潜んでいた。
不完全という完成形。そういう一つの作品としての美が、彼女には備えられていた。
イリヤスフィールは俺を見つめるのみで動かない。それで、質問されたことを思い出した。
何をして遊ぶ、か。どうしようか、何なら楽しませてやれるだろうか――――。
「仮にも貴族の令嬢とあろう者が」
浮わつく思考に割って入ったのは低い男の声だった。
霊体の際の滲んだものではない。ハッキリと鼓膜を震わせる肉声だ。
「こんなところで男漁りとは趣味が悪いのではないか? フロイライン・アインツベルン」
ベンチに並んで座る俺たちの前。立ったままの姿で現界したアーチャーは、イリヤスフィールを睨み付けていた。
「……品のないセリフ。聖杯から口の利き方を教わらなかったのかしら。シロウは私と遊ぶって言ったのよ、亡霊風情は引っ込んでいなさい」
「随分都合のいい記憶をお持ちのようだ。そこの男が同意したのは『ここでは戦わない』ということだけで、お前の戯れに付き合うなどと承知してはいない」
イリヤスフィールが険しい顔つきで押し黙る。アーチャーを睨み付ける彼女の赤い瞳は俺の方からは逸らされて、体に纏わりつくような重みが和らいでいく。
そうして正常な思考を返されて、現状も何も忘れてイリヤスフィールのことしか考えられていなかった自分に気づいて身震いする。
アレはおそらく魔眼だった。目を合わせるだけで成立する魔術。さっきの一瞬イリヤスフィールへの感情は一方向に誘導されていた。おそらく、暗示や誘惑の類だったのだろう。
嫌な汗の滲んだ額をビル風が撫でていく。邪魔されたことが不満だったのか、サーヴァント相手に怯まず眼光を鋭くしていたイリヤスフィールだったが、不意に空気を一変させて頬を膨らませて顔を背けた。背けた先に俺の顔があるので、また目が合ってギクリとする。
「何よ! お兄ちゃんったら、アーチャーのこと全っ然躾けられてないじゃない! サーヴァントも手懐けられないマスターなんて三流以下なんだからね」
が、妖艶な微笑みも瞳に乗った魔力も今はない。年相応に拗ねる子供の態度だった。
二転三転する相手の様子に戸惑うのはこちらばかりで、地面に届かない足をバタつかせて憤りを表現したイリヤスフィールは言い足りない様子で文句を連ねている。腕を組んでこちらを見下ろしたままのアーチャーを存在しないものとでもするような振る舞いだった。
「デカいし、黒いし、ゴツゴツしてるし、口は悪いし、レディの扱いがなってないし。ダメよ、シロウ。この間言っておいたのに、ちゃんと躾けてくれなきゃ招待もできないでしょう?」
「躾って……。おまえ、さっきからアーチャーのことをそんな犬猫みたいに」
「同じようなものじゃない。使い魔の不作法は主人の不手際だわ。あのね、令呪だって結局は魔力の塊だってだけなんだし、ちょっとレイラインからガツンと魔力を流してやればサーヴァントなんて簡単に言うこと聞くんだから」
「いや、だからそういうことするつもりはないって……」
けん玉のコツでも説いてみせるような軽い口調で言ってくる。苦笑いしつつ首を振って否定すると、イリヤスフィールはバタつかせていた足を止めて、ベンチの上で体育座りでもするように持ち上げて両膝を抱え込んだ。
「ふぅーん。確かに、こんなお粗末なパスじゃあ放し飼いも同然ね。シロウはホウニン主義なの?」
「放任……そういうつもりもないけど。あのなあ、本人を前にして躾けるだの飼うだの言うもんじゃないぞ。失礼だろ」
当のアーチャーは俺たちが会話を始めると不機嫌ながらも口をつぐんで大人しくしているのだが。普段俺に対しては口喧しいくせにこういうとこはあまり気にしないのだろうか。
「シロウって変なの。サーヴァント相手に礼なんて関係ないのに」
イリヤスフィールは本当に不思議そうにしている。
……遠坂もたまに似たようなことを言ってくるが、俺にはどうもその辺理解できそうにない。突き詰めれば高性能な使い魔だっていう説明もわかりやすくはあったが、アーチャーやセイバーたちサーヴァントはどう見たって俺たちと同じものを見て同じものを感じられる人間だ。そもそも彼らが普通の人間と同様に誇りを守ろうとしたり不満を抱いたりするからこそ令呪なんてものが必要となってくるのであって、遠坂たちの言い分は矛盾していると俺は思う。
などと思い返しているうちに日頃からの不満がつい顔に出てしまっていたが、イリヤスフィールはそんな俺とは反対に楽しそうに微笑んだ。
「でも、そういうフツウの人みたいな考え方、嫌いじゃないよ」
――――それに、思わず目を奪われる。
特別なものなど何もなかった。ただ、心底から湧いて出たんだろうなと納得できる飾り気のない自然な笑顔だった。
それだけだ。それで、思い知るのには十分だった。サーヴァントが人間と同じ心を持つように、殺し合いなんてする羽目になる敵マスターもまた、俺と同じ人間であるのだと。
「――――――」
返す言葉が思い付かず口を閉じる。イリヤスフィールは俺の忘失に気づいた様子もなく、「あ、失礼なアーチャーはキライだけど」などと続けていた。
「それは重畳。君の好意など物騒なだけだからな、なつかれるよりは余程いい」
「……そういう無礼な態度。放し飼いの雑種には去勢が必要かしら? ねえシロウ」
「きょ――! お、女の子がそういうこと言うなバカ! アーチャーもややこしいから黙ってろ!」
目を眇めて皮肉気に言うアーチャーに、スッと目を細めたイリヤスフィールがとんでもないことを言ってきた。イリヤスフィールは完全にサーヴァントを使い魔程度にしか考えていないようだが、アーチャーの見かけはどう見たって成人男性のものなのだ。洒落にならない。
「ほう。貴様がノコノコと人形遊びされるのを黙って見ておけばよかったと? どうしても遊ばれたい願望があるなら止めはしないが」
「人形遊びされる――?」
なんか妙な言い回しに感じて少し引っ掛かる。が、本題はそこではない。
「いや、そんな願望あるわけないだろ」
「ええー! シロウはわたしと遊びたくないの? シロウだけだったら、ウチに招待してあげるのに」
「……折角だけどやめておくよ。どっちにせよ今日はナマモノも買っちまってるから帰らなきゃ」
横に置いたビニル袋を指して言う。それでも納得いかないのか、イリヤスフィールはそんなものどうでもいいじゃない、と口を尖らせて抱えていた足を伸ばした。駄々っ子そのままに足をバタつかせる振動が同じベンチに座る俺の方にも伝わってくる。こういう風にしていると、本当に見たままの無邪気な少女だ。
――だが、さっきの魔眼。どれだけ俺を連れ帰りたかったとしても、ただの無邪気な子供は暗示などかけてこない。イリヤスフィールはアインツベルンのマスター、何百年続く魔術師の家系の末裔だ。俺みたいなモグリの魔術師とは、生きている世界も重んじる常識も違うのだろう。
爺さんは俺が魔術を覚えることに反対していた。魔術の行使には常に死が伴い、平穏とは対局にある道だからだ。『子供はたくさん遊んで笑うことが仕事だ』と、何度も言い聞かせてくれていた。幼い内から魔術になんて関わるもんじゃないと。イリヤスフィールが見せる無邪気さや残酷さは、まさに切嗣が嫌った魔術師の子の業のように思えた。
……俺は恵まれていた。切嗣に拾い上げてもらって、叱りつけてくれる騒がしい姉代わりまでいて。
「――そこまで言うなら、イリヤスフィールがウチに来たらいいじゃないか。口に合うかはわからないけど、夕飯ぐらいならご馳走できるぞ」
イリヤスフィールはバーサーカーのマスターで、非情な魔術師だ。だけどああして笑えるのなら、きっとまだ間に合う。
そんな風に思って、思わず誘いがついて出ていた。
「……イリヤが? お兄ちゃんの家にいくの?」
思わぬ申し出だったのか、大きな目を瞬かせて首を傾げている。
「人には来い来いって言うんだから、おかしな話じゃないだろ」
「うーーん。そうかな。シロウはやっぱりすっごく変だと思うけど」
ウンウンと唸りつつ返される。左右に小首ごと体を傾けて俺の提案を真剣に吟味している様子だ。
「確かにそれも面白そうだけど……。ディナーのお誘いとしては零点ね。それに、お兄ちゃんの家に行ってたらその間に日が沈んじゃう。バーサーカーも連れてこないと一緒に遊べないわ」
言いながら両足を前後に振った勢いでベンチから飛び降りる。黙ったまま俺たちの会話を俯瞰しているアーチャーの視線をやはり一切気にした素振りを見せず、彼に背を向けるように振り返った。
「お兄ちゃんが城に来るつもりがないのはわかった。でも面白かったから、今日はこれでオヒラキにしてあげる」
さっきまで散々渋っていたのが嘘のようにあっけらかんと宣言すると、座ったままの俺を置いてさっさと公園の出口へと歩き出した。ガサリと音のするビニル袋を持って慌てて立ち上がり後を追う。泣いたカラスとでも例えるべきか、先に道路へ出たイリヤスフィールは特に名残を惜しむこともなく手を振って、
「イリヤスフィールじゃ言いにくいでしょ? 今度からイリヤって呼んでいいよ」
それじゃあバイバイ、と最後までマイペースに帰っていった。
*
ガラガラと戸を開けて靴を脱ぐよりも先に荷物を廊下に置く。玄関の鍵を閉めながら靴を脱いで、靴下で慣れた段差を上った。
基本的には一人暮らしである家だ。まだ平日の日中なので当然だが、中に人の気配はない。
「…………文句があるならさっさと言えよ」
ビニル袋を拾い上げて居間に向かう。苛立ちを含んだ俺の言葉には返事がないまま居間の畳に足を踏み入れた辺りで、ようやく男の声が返った。
「黙れと言ったかと思えば話せと言う。フン、横暴なものだな。一丁前に主人気取りか?」
「お前みたいな召し使いは俺の方から願い下げだ。それより、帰る間ずっと睨んでくるくらいに気になることがあるんだろうが」
アーチャーは帰りの間ずっと霊体化していた。睨んでくるというのは比喩である。だが実体を持たないはずの瞳に睨み付けられている錯覚を覚えるくらいだったのであながち間違いでもあるまい。
台所まで行って買ってきた食材を冷蔵庫へと詰めていく。アーチャーは居間のところで立ち止まったままでいるようだった。
「貴様に言いたい文句など星の数より多くあるが――なぜ最後イリヤスフィールに誘いをかけた?」
「なぜって言われても……。別にいいだろ、メシくらい」
「たわけ。バーサーカーは一騎で他の六騎を相手どれる相手だ。敵対を避けるまではわかるが友好的であるメリットは何もない。油断させたところを突くというならわからんでもないが」
聞き捨てならない言葉にむ、と顔をしかめて冷蔵庫を閉じ振り返る。俺の背中を睨み付けていたらしい男とまともに視線がかち合った。
「……貴様にそういう腹芸は期待するだけ無駄だということくらいは知っている」
「ああ、おまえと違って生憎な。だけど俺だってイリヤと手を組むのが難しいことくらいわかってるし、そんな期待だってしてないさ。だけどお互い手を出さないって言った間くらい、相手のことを知りたいと思ったっていいだろ」
「知ってどうする? 最後には結局殺すのに?」
「……聖杯戦争に勝つのに、なにもマスターを殺す必要はない」
「はっ、めでたいやつだ。それであのバーサーカーを破るつもりか? そんな夢みたいな方法があるなら遠坂凛に教えてやれ。きっと泣いて喜んでくれるだろうよ」
背筋に震えが来てグッと歯を噛み締める。腹の底から沸き上がって遡る激情の正体は怒りだった。アーチャーが手の届く範囲にいなくてよかった。近ければ手が出るくらいはしたかもしれない。
「アイツは確かに、俺たちの敵だと思うけど。……でも、話せばわかるとも感じた。戦いは避けられなくても、命のやりとりなんてことしないで済む道があるんじゃないのか」
「――――だから貴様は愚かだと言うんだ。アインツベルンの聖杯にかける思いはそんな簡単なものじゃない。二百年の妄執を舐めるなよ」
怒りや失望、恨み、諦め、無力感。
そういうものに沈められた声だった。それらがヤツの灰の瞳を通るころには、俺に対する殺意に置き換わって射抜いてくる。
「お前の言うことの方が正しいってことはなんとなくわかるよ。ああいう風に会話なんかしたって、ほとんどの場合は無駄なんだろう。だけどわずかな意味あるものを手繰り寄せようとする足掻きがなくちゃあ何も始まらない。初めから何もかも諦めるのは、無駄は生まないかもしれないけど……なんていうか、ただ無意味だ」
殺意が強くなる。俺から見てもわかるくらい強く握られた拳を見て、コイツも俺が近くにいたら切りつけるくらいはしてきていただろうなと思った。
アーチャーは目を塞ぎ、震える呼吸を何度か繰り返して感情を飼い慣らそうとしているように見える。俺の歩幅で五歩くらいの距離。先に立つ英霊にまで至った男からの威圧は、燻る炎に似て感じられた。
閉じた目をゆっくりと開いて、白い布に僅かに隠された唇が開く。声は、思ったよりも穏やかだった。
「足掻いた先に結局何も得られず、ただ周囲をかき乱して傷つけるだけならそれこそただの悪だろうよ。意味の有無以前の問題だ。お前のソレは誰も幸せにしないし、衛宮士郎もまた幸せになどなれやしない」
「……別に、幸せになりたいだなんて思っちゃいない。俺はただ、自分で信じたことをやり遂げたいだけだ。イリヤがあんな風に笑える子だって知ったんだったら、それを守れる道を選びたい」
戦わず、血を流さず、誰も傷つかず終われるのならそれ以上のことはない。最善への道筋が見えているのなら、それがどんな悪路だろうが迷わずそちらを選ぶべきだ。選んだ俺がその過程でどんな報いを受けようが、そんなもの自業自得に過ぎないのだから気にするに値することではない。
そう、そのはずだ。ましてアーチャーは『アーチャー』であるのだから、彼にとって俺の死は自分の脱落を意味しない。
「前に言ったことを信じるなら、お前は別に勝ちたいわけじゃないんだろう? 俺が気にくわないなら、無理無謀も好きにさせておけばいい。それで俺がのたれ死んだなら、お前にとってそれが一番いい筋書きなんじゃないのか?」
不満よりも、ただ不思議に思ったから訊いた。
アーチャーの言い分は合理性のみで言えば間違いなく正論だったが、そもそもこいつが正論で俺を導く必要などどこにもないはずだ。
この殺意が偽物だとはとても思えない。が、一方でコイツが一度ならず俺を救っているのも事実だった。一見して矛盾している。だがそう感じるのは、俺がアーチャーのことを知らないからなんだろう。彼は明らかに何かを隠していて、相反して見える言動や俺への強い敵意の理由はそこにある気がした。
……が、黙ったアーチャーがフイと首ごと視線を外したのを見て、俺からの問いがまた無駄に終わったのを悟る。
「さて、自らの命は省みないくせに死ぬわけにはいけないなどとほざく破綻者に言われたくはないな。……もう充分付き合ってやっただろう。私は休む」
「おい待てよ、まだ話は――――」
急な宣言に慌てて制止の声をあげるが、アーチャーは気にする素振りも見せずにさっさと霊体化してしまった。
*
「…………この暇人が」
苦い声で吐き捨てられる。癇には障るが言われるだろうなと予想していれば聞き流すくらいの余裕はあった。
場所は土蔵。対するアーチャーはいつも通りの特等席である。
言い逃げられてしばらくは俺もイライラと洗濯なんかで時間を潰していたのだが、それでも全然傾いていかない太陽を睨み付けているうちに当初の目的を思い返したのだ。わざわざ学校まで休んだのは、遠坂にもセイバーにも指摘されているコイツとの関係性を解消するためであって、間違っても溜まった家事都合を片付けるためのものではない。このまま夜を迎えれば帰ってきた遠坂にまた講義と言う名の説教を頂きかねなかった。
そんなこんなで土蔵に突入した俺を見たアーチャーの台詞が、冒頭のアレだ。皮肉も悪態も無視するに限るので、返事をしないままミニテーブルの天板を拭き持ってきたお盆を置いた。殺風景な土蔵にはなんとも不釣り合いな甘い匂いが広がる。
「ちょうどおやつ時だし、食べればちょっとは回復できるんだろ」
有り合わせの材料で作った、極シンプルなクッキーだった。甘味はあまり得意ではないが、混ぜて焼くだけくらいなら俺でもできる。
アーチャーは焼きたてのクッキーを睨み付けて難しい顔をしている。……コイツの魔力不足につけこんだ餌付け作戦みたいで俺としてもあまりいい気はしないのだが、これくらいしかまともなコミュニケーションを図る手段がないのが現状であるので背に腹は代えられない。それに、作った以上は美味しく食べてもらいたいのが人情だが、散々文句をつけつつ全部食べきる姿も見ていて結構気分がいい。――全部食べきらねばならないのは結局俺の未熟さに直結するので、こんなこと思っているってバレたら本気で切りかかられそうだが。
軽く食器の位置なんかを整えて、俺もテーブルを挟んだ向かい側のブルーシートに腰を下ろす。おやつ時の飲み物は、今までは大体煎茶だったのだが今日に限ってはダージリンだ。ティーバッグだと遠坂がうるさいので、今日の昼間買ってきたばかりのちゃんとした茶葉だった。自分の分のカップを手に取り口をつけてみる。
「…………うーん?」
うまいのかどうなのかよくわからない。説明書の通りに淹れたので不味いと言うことはないと思うが。
自分でも出来がわからず首を捻っていると、溜め息をついたアーチャーが腰掛ける段ボールから立ち上がってテーブルについた。嫌々ながらも拒否しないのは、俺がコイツとの付き合いをなんとなく察してきたように、あちらも折り合いの付け方を学んできたのだろう。
「自分で首を捻る出来のものを人に振る舞うな、たわけ」
「む……」
相変わらずの口の悪さだが今回に関しては正論だった。
返す言葉もなかったが一応フォローは入れておく。
「俺が飲み慣れてないだけで、不味いってわけじゃないぞ」
「さて、どうだかな」
不信感丸出しのままアーチャーがカップを手にとる。口をつける前に静かに匂いを確かめて、――そこで盛大に顔をしかめた。
罵詈雑言が来るかと覚悟し身構えたが、アーチャーは文句はまとめることにしたのかまずは無言で一口飲んだ。丁寧に時間をかけてゆっくりと飲み下す喉が上下する。
「………………」
ティータイムにはまったく似つかわしくない表情のままクッキーにも手が伸ばされる。サクサクと小気味よく口の中に消えていく焼きたてクッキーであったが、正直端から見ている分には行軍中の兵士の栄養補給の図にしか見えない。
栄養補給を完了したアーチャーは大人しく待つ俺を前にわざとらしく首を振りながらため息をついた。
「一応確認しておくがこれは遠坂凛の希望で購入した、彼女らが飲む予定のある紅茶だな?」
「そりゃあ、俺も藤ねえも煎茶派だし」
「…………貴様の飲む分が紅茶を騙る色つき水だろうが知ったことではないが、遠坂凛の口に入れる前にもう少し飲める出来にしておくことだ」
「色つき水……」
そんなに酷いかと思いつつもう一口飲んでみるがそこまでの謂れを受けるものには思えない。しかしアーチャーの失礼な物言いに文句をつけようにも、当の本人は嫌そうな顔をしながら紅茶もクッキーも飲み込んでいっているのだからなんとも言いづらい。
とりあえず間を繋ぐためにクッキーにも手をつけてみる。絶品かと言われれば頷けないが断じてこの男のような不快顔で食さなければいけないものでもないと自分では思うのだが……。
不味いなら食うなよと言いたいところだが、残念ながらこれは禁句なのである。
「……お前の故郷では紅茶を飲む風習があったのか?」
仕方がないので適当な話を振ってみた。
――が、これは案外悪くない質問かもしれない。コイツの正体のヒントになるような情報は多いに越したことはないし。
「あるともないとも言えん。まあ、そもそも故郷と呼んでいいのかも怪しいがな」
言ったこちらに探る気がなかったのが幸を奏したのか、アーチャーは非常に珍しく素直な答えを返してくれた。どう捉えたものか悩ましい返答ではあるが。
これはもしやもう少し踏み込んだことを訊いてみるチャンスなのかもしれない。謎の緊張に呼吸が浅くなる。ソワソワとしているのを悟られぬよう細心の注意を払いつつ重ねて訊いた。
「じゃあ……家族、とかは」
さりげなく言ったつもりだったがやや言葉が詰まった。ティーカップを傾けるアーチャーの眉が訝しげに寄せられたのを見て慌てて言い加えた。
「あんただって一人で生きてたわけじゃないだろ。料理だって見た目にこだわるくらいなんだから誰か作る相手がいたんだろうし。だから、その……家族とかいたんじゃないかって気になってだな」
後半尻すぼみになりつつ言いきってみたのだが、アーチャーは何か思案する風に紅茶の水面に目をやっている。
そうしてこのままスルーする気なんだろうなと俺が勝手に納得するのに十分なくらいの沈黙を経て、ようやくアーチャーが口を開いた。
「…………そうだな、姉がいた」
カチャリ、と陶器のすれ合う音がした。丁度ソーサーに置こうとしていた俺の手元がぶれたためだった。
返答があったことにもその内容にも驚く俺をよそに、アーチャーが静かに回想する。
「生前、姉と呼べる人が二人いた。……乞われて料理を作ることだってあっただろうさ」
「――――――――」
短く零された言葉が冷えた土蔵に消えていく。俺は一度口を開いて、結局何も言えずに閉じた。
穏やかと言うには抑揚のない声だ。暖かな家庭を感じさせる告白なのに、それを発する本人の表情はあまりに空虚だった。
アーチャーにとっていい思い出なら幸せそうにすればいいし、辛い思い出なら苦しげに吐き出せばいい。だけど今のはそのどちらでもなかった。他人事よりももっと遠い距離感で自身の家族を語るアーチャーに、何と返せばいいのかわからなくなる。
じっとしていられないかのような感情の渦。心臓の辺りを握り潰そうとするその情動は、やはり怒りと呼ぶのが一番近い気がした。だけどここで思うがまま怒鳴り上げるのは違うだろうと抑える自分も確かにいる。
自分の心だと言うのに持て余し黙り込んだ俺を見て、アーチャーは見慣れた皮肉屋の顔に戻してくだらなさそうに鼻を鳴らした。
「…………とでも答えておけば満足か? 馬鹿馬鹿しい、英霊などと言ったところで結局我々は死してなお願いなんてものを捨てきれなかった亡霊に過ぎない。そんなものの生前の記憶など録なものではないだろうよ、下手な好奇心を抱かぬことだ」
真実だった。
例えば輝かしい戦果を挙げたあのアーサー王ですら、裏切りに彩られた失意の最期を迎えるのだ。満足して死んだ者は、こんな魔術儀式の奴隷になれだなんて呼び掛けられても応えない。
――しかし、それでは。
「おまえも自分のことを、『録なものじゃなかった』って思うのか?」
この男が、その人生を、踏破した道程を、振り返った軌跡を、……後悔しているというのなら。それはひどく認めがたいものに思えた。お前だけはソレを言っちゃあ駄目だろうという――――そう、失望にも似た気持ちだった。
問い詰める声は押し殺したつもりだったが昂りを受けて僅かに震える。コイツを前にするといつもこうだ。感情の針が大きく振れて、すぐに自制が効かなくなる。
「……さあな。ここに至ってはもはやどうでもいいことだ。だが一般論として英霊なんぞ『録なものではない』のだから、私だけ例外というわけにも行くまいよ」
「何を、他人事みたいに。おまえ自身の人生じゃないか」
否定の言葉がでてこないことが嫌だったのだろうか。とにかくアーチャーの答えに納得できず返すと、彼は心底面倒くさそうに顔を歪めた。胡座をかいていた膝の片方を立てて、同じ側の腕をその頂点にひっかける。そうすると纏ったままの白布が彼の全身を綺麗に覆うようになり、慣れた所作なのだと感じられた。
「客観視するなら、他者を省みず数多の願いを踏みにじって何も果たさず死んだ、凡夫にも劣る怪物のような生涯だっただろう。その上で、私はその人生になんの悔いも残さなかった。犠牲を重ねた分だけ近づいて見える理想の正しさだけを信じていた。――英雄なんぞ揃ってくだらない存在だが、私はその中でも一級の愚か者だろうよ」
思考が回る。
なにか、なにか大切なことに気づけそうな気がする。強くなる頭の痛みこそが、真実へ迫ることへの警告のように思えてくる。そう直感して痛みを堪えて言葉を紐解こうとするが、結局それも予感に過ぎず男の真意には至らない。俺に対するコイツの言葉は時々ひどくぞんざいで、意味を探しても見つからないことだってある。
――――ただ。
そう、気づいたことがあった。
コイツの俺を嘲笑う視線の冷たさも、皮肉に見える自嘲に込められた憎悪も、本質的には同じものだった。アーチャーの中で燻り続ける憎悪の火種は、俺に対する時と自分に向ける時で、同じ色合いを見せるのだ。
そんなこともあるだろうと流そうとする自分を押し留める。ここで流してしまうのは簡単だ。適当に話を切り上げれば、この頭痛も消えてなくなるだろう。だけど、おかしなことなのだ。誰かを憎むのとまったく同じだけ、自分のことを恨むなんていうことは――。
「おまえは、自分のことが嫌いなんだな」
俺のことが嫌いであるのと同じか、もしかしたらそれ以上に。
……理由なんて知らないが、少なくともそれだけは確かだった。
問いかけすらなく一人で納得した俺にどう思ったのか、アーチャーはいつものように眉を寄せて、
「…………別に。ただ、これ以上は耐えられないだけだ」
と美味しくもなさそうにカップを煽り杯を空にすると、「気が済んだなら出ていけ。貴様といると頭が痛む」と吐き捨てた。