#08 力の在処
遠坂凛がセイバーを、衛宮士郎がアーチャーを召喚することからはじまる第五次聖杯戦争ifストーリー九話目。腐向け。
版権元:Fate/stay night
注意(シリーズ共通):
腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現
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世界に肯定されている。
それは怖気が走る感覚だった。
だって人が死んでいるのだ。
貫かれ、絶叫し、助けを求めて、それも叶わず死んでいくのだ。
何度罪状を求めても是だけが返される狂気の中、それでも縋り付くように叫んでいた。
人が殺されるのを許すなんておかしい。生きたいと願うのが人の総意だと言うのに、死にたくないと泣き叫ぶ人々を切り捨てて平然とするなんて誤りだ。
ああ、畜生。こんなのはもううんざりだ。俺の気が狂っているのか? いつか善悪の秤もわからなくなりそうで、それが一番恐ろしい。
無限の殺戮と絶対の肯定の中、声が涸れるまで叫んで、それでも何も変わらなくて、今はただ祈るばかりである。
誰でもいい、同意して欲しかった。お前の考えは間違えていないと言って欲しかった。
そうだろう? 簡単な話だ。
人が死ななければならない世界は間違っている。だから、■■■■は間違っている。
それだけだ。それを証明する機会だけを、もうずっと求めて願っていた。
*
「――い」
声がする。
現実からの呼びかけに、夢うつつの瀬戸際で踏みとどまっていた。
酷く、気分が悪い。本当は目を逸らしたい。だけどこの願いを、慟哭を、認めなくてはならないと感じていた。
「――おい、衛宮士郎」
千切れ離れていく幻想の欠片に縋って意識を底へ沈めていく。低い男の声が聞こえていないわけではなかったが、うるさい、呼び声など今だけは知ったものか……。
「…………っ!?」
が、瞬間。
頭上から落とされた舌打ちに嫌な予感を感じ取った体が、不穏に揺れる空気を察知して飛び起きていた。ついさっきまで俺の頭があったであろう空間を、男の爪先が勢いよく通過していく。
「チッ、寝呆けていた割には察しがいいな」
人の頭でサッカーの練習でもしそうな蹴りをしてきた男は少しも悪びれる様子もなく、バクバクと暴れる心臓を抑えつける俺を見下ろしていた。
「な、な、なにしやがる!」
「ハッ、起こしてやったというのに随分な言い草だな」
「起こしてやっただぁ? ふざけんな、ただの暴力だったぞ今のは!」
「声をかけてやったのに起きない貴様が悪い。……それより本題だ。いつまで寝ようと勝手だが、藤村大河が暴れているぞ」
朝食を与えてやらなくていいのか、と。アーチャーは顎だけでクイと土蔵の外を指した。日はすっかり昇っていて明るい。その日差しの角度が、確かにいつもと違うような……。
慌てて時計を見ると、朝の七時を過ぎている。
まずい、確かにこれは大寝坊だ。上体は起こしたが座り込んだままだった体を急いで立ち上がらせる。土蔵で魔術の鍛錬をする内に眠ってしまったのだろう。体にはまだ違和感がある気がするが、特に問題はなさそうだ。
ブルーシートで寝ていた体の埃だけ叩いて土蔵を出る――には、アーチャーの横を通り過ぎなければならないわけだが、無言で走り出るのもどうかと思って足が止まった。
起こしてくれたのは事実なのだが、起こし方が凶悪すぎる。礼を言って調子に乗られるのも業腹だ。迷った末に結局、
「……おはよう」
内容に相応しくない、爽やかさの欠片もないおどろおどろしい声で呟いて、言い逃げのように暴れる虎の下へ向けて走りだした。
……いや、言い逃げなんかじゃない。ただ、アーチャーと言い争っている時間がなかっただけだぞ、本当に。
*
好き勝手茶碗を鳴らし吼え立てる藤ねえをなんとか宥めすかせ台所に入る。時間が無くて卵かけご飯と味噌汁くらいしか用意できなかったせいか大層ご不満そうだったが、ともあれ無事に送り出すことに成功した。
――そう、送り出した。一緒に家を出たのではない。藤ねえたちだけでなく、遠坂たちもこの玄関で見送ったのだ。
『休むの? まあ、確かにほとんどのサーヴァントと顔をあわせているし、ここまでくれば必死になって他のマスターをあぶり出すような必要もないか』
と、少し驚いていた遠坂も最後には納得して、自分は用事もあるし今日一日は普段通り登校すると言って出立した。当然セイバーも一緒である。
つまり何が言いたいかと言うと、俺は今この屋敷にアーチャーと二人きりなのだった。
「………………よし」
遠坂たちの気配がすっかり遠ざかったのを確認し、一人気合いを入れる。
休んだのは、体が本調子じゃないというのもある。キャスターやライダーやバーサーカーといった怪物たちが跋扈する外へ出るメリットがあまりないというのも、もちろんある。
が、一番の目的は残ったアーチャーそのものだった。一度きちんと話し合おうと伸ばし伸ばしにしてきた決意を、いい加減形にせねばなるまい。
台所に戻り一人前の朝食――に加えて、もう一人前用意して盆に並べる。要は二人前の朝食だった。藤ねえには悪いが学校を休むと決めてしまえば時間に余裕ができたので、手早く焼いた魚とほうれん草のお浸しを追加しておく。
準備した二人分の食事を手に台所を後にする。目的地はもちろん、アーチャーのいる土蔵だった。
慣れた扉を前に一呼吸。何せ今から精神鍛練と疑うばかりのストレスが俺を待っているのだ。心を落ち着けておくに越したことはない。
冬の朝の冷えた空気が全身を正していくようで心地がよい。ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。肺の中を新鮮な大気で置換させて、覚悟を決めて戸に手をかけた。
朝食の時間と察していたのか、アーチャーは初めから実体化してそこにいた。…………座り方とかにはもうツッコまないぞ、俺は。
「セイバーたちは行ったようだが、なぜまだ残っている」
セイバーがアーチャーの気配を察せられるように、アーチャーもセイバーが出て行ったことくらいはわかるのだろう。アーチャーが不機嫌そうなのはデフォルトとして、その上に更に訝しげな様子が乗せられていた。過去の英霊だろうが聖杯からの知識もあるし、なにより昨日も登校についてきたのだから、俺が本来学校に行っていなくちゃいけないこともわかっているらしい。
もっともな疑問だったがそれに素直に「おまえと親睦を深めるため」などと回答するのはちょっと……いやかなりの抵抗があったので、黙秘したままいつもの小さなテーブルに盆を下ろす。朝食の内容を確認したアーチャーの眉根がさらに寄った。普段の倍の量が用意されている意味に気づいたのだろう。
「俺もここで食うから」
先手必勝、コイツには口を開かせないに限る。素っ気なくそれだけ言って、俺もさっさとテーブルの前に腰を下ろした。冬の大気に床は随分冷やされていたが、慣れた冷たさだ。
アーチャーは変わらず段ボールの群れで踏ん反り返ったままなので、座した俺からは見上げる形となる。
「ほら、おまえも食えよ。冷めるぞ」
アーチャーの無言は恐らく俺の振る舞いのどこから難癖をつけてやろうか思案しているだけだったが、黙っている分には静かでいい。無言の抗議を無視して催促すると、呆れたため息とともに頭を振った。
「わざわざ休んで何を企んでいるかと思えば……。お断りだ、貴様の顔を見ながらなど、不味い食事がさらに不味くなる」
絶対言うと思ったけど案の定料理にケチをつけられた。予想していようが腹が立つものは腹が立つ。
「おまえがここで食べて、俺が一人で居間で食うって方が変な話だろ。不味いってんならいい機会だ、文句つけたいなら聞いてやるから言ってみろよ」
「……不明を恥じて教えを請うならまだ可愛いげがあるものを。礼儀知らずもここまでくれば無様を通り越して醜悪だな」
「礼儀知らずはおまえの方だろ、」
文句があるなら食べるなよ、と続けかけて寸でのところで踏み止まった。尋ねてみるまでもなく、アーチャーとて好きで俺の料理を食べているわけではないだろう。こんなこと言ってしまえばコイツが臍を曲げて何も口にしなくなるのは簡単に予想できた。魔力不足に追い込んでいるのは俺の方に責任があるわけだから、この台詞は言っちゃあダメだ。
一呼吸挟んで気を取り直した。アーチャーと顔を合わせているだけで早くも薄れていく初めの決意を奮い立たせて、罵りあいの軌道修正を図る。
「文句も料理への注文も、食ってから言うんだったら考慮する。だからとりあえず食べろって」
コイツが席に着かねば俺も食べられない。このままじゃ冷めちゃうだろうがと抗議を込めて睨んでいれば、挑発と受け取ったのかアーチャーが立ち上がり、小さなテーブルを挟んだ向かいに座った。
「わかった、そこまで言うなら貴様が如何に未熟か教えてやろう」
一々ムカつく言い方しかできないやつだな、と思いつつ、この先なにを言われようが仏心で全て聞き流してやらねばならないぞ、と身構えた。
――正直に言えば、単純に日本食の味付けがコイツの口に合っていない可能性もあるんじゃないかと憂慮していた。聖杯で喚ばれるのは西洋の英霊ばかりだと言うし、過去アーチャーが食していた料理と俺の作る和食では味付けも何も違うのだろう。味の好みとかがあるなら把握しておきたい。
様子を窺う俺を気にした様子もなく、朝食を前にしたアーチャーは箸もとらないうちから「まず」と前置きをして話し出した。
「彩りが悪い。緑、黄色はまあいいとして、赤が足りん。魚に添えるミョウガの一つも置いていないのか? 無理ならせめて器に工夫しろ。色もそうだし、もう一回り大きなものを使うべきだ。料理に対して皿が小さいと安っぽく見える。食事は味覚と嗅覚の他に第一にまず目で見るものなのだから、その辺りには気を配るべきだ。……別に私の分はアルミ皿だろうがどうでもいいがな、どうせ他の人間に作るときもこんな気の一つも利かないくだらない盛り付けをしているのだろう。それから味のほうだがな、これは前から思っていたのだが、お前は米をどんなとぎ方をしているんだ? 舌触りが悪い。それに炊き上がりの水分量もまちまちだ」
……。
卵かけご飯を作ろうとしたまま醤油さしを手に呆けていた。豆鉄砲の襲撃を受けた鳩の気分が今ならよくわかる。
アーチャーは語りながらもようやく箸を持ち、二本の棒というシンプル極まりない食器を完璧に操りながら料理を口に運びまだ文句を続けている。
最初に感じた苛立ちとかが、それ以上の衝撃によって完全に吹っ飛んでしまっていた。
「……アーチャー、おまえ、料理できるのか」
間抜けなことを聞いていた。料理ができないやつがこんな重箱の隅をつつきにつつくような指摘をできるはずがない。仮にここでアーチャーが「できない」と答えたところでどう考えても嘘とわかるのだから、聞くだけ無駄な質問というやつだった。
アーチャーは俺の質問を聞いたとたん立て板に注いでいた水を止めて押し黙った。難しい顔をしているが、余計なことを言ったという後悔が顔に滲み出ている。
今更否定もできないということは流石にわかっていたのだろう。アーチャーは忌ま忌ましそうに、
「……サーヴァントと言えど生前はただの人間だ。料理くらい作れもする」
「いや、今のはちょっと作れるとかいうレベルじゃなかったぞ」
「おまえの料理が余りに不出来だから思わずついて出ただけだ。大体サーヴァントの料理の腕前など知ったところでなんになる? 我々は小間使いではないのだぞ」
「いや、だからそういう話じゃなくてさ」
別にアーチャーに料理人のスキルがあると判明したところで、「じゃあ今度から食事の準備は任せた」とか言うつもりはもちろんない。単純にこの男がそういう家庭的とも称される特技を有していた事実が気になっただけだが――まあ、それこそアーチャーの言うとおり、元は人間なのだから料理くらい作れたところでそうおかしな話ではないのだろう。
「――いいよ、聞くから続けろよ。遮って悪かった、魚の焼き方がなんだって?」
俺が声をかける直前に言っていた文句を掘り返して水を向けてやる。
アーチャーは砂でも噛んでいそうな……頑張って解釈すれば悔しそうにも見えなくもない表情でしばし咀嚼を続けていたが、開き直ったのか我慢できなくなったのか、促した通りの話の続きをし始めた。
「……厚いところに火を通したいのはわかるが、端の水気が飛んでパサついている。グリルを使うにせよ火元からの距離を考えろ。どうせ何も考えず間抜け面晒して放り込んでいたんだろうが」
ハッ、と鼻で笑う。
…………話を聞くと言ったのは俺の方だ。こういう些細な言い回しに腹を立てていては度量の無さを証明するようなものである。それに言い方はともかく指摘の内容は割と興味深い。藤ねえたちも忌憚なく味の感想を教えてくれるが、ここまで作り手への思いやりなく批評してくる相手もなかなか貴重だろう。
顔を引き攣らせたままなんとか自分の朝食を飲み込んでいく。これは一種の精神鍛練であるという心構えがよかったのか、――何回か反論してしまい険悪な空気になったものの――朝食は辛うじて平和に終了した。
「ごちそうさま」
と、やはりこういうところばかり妙に礼儀正しい男が手を揃える。「おそまつさまでした」と返してこちらも頭を下げた。
俺の精神衛生はともかくわざわざ冷えた土蔵で食事をするくらいの意味はある時間だったろう。盆を持ち上げながら立ち上がる。次だ。
「アーチャー、これの片付けが終わったらまた呼びにくるから、ちょっと付き合ってくれないか」
*
床張りの中央に立ったアーチャーは、その場で首を巡らせていた。こいつのガタイと身長だと個人所有にしては過分な広さを備えるはずの道場も狭く見える。
竹刀を三つ拾い上げて俺も中央へ歩み寄る。
「自分から叩きのめされたいとは……とんだ被虐趣味もあったものだな」
「そんなことは一言も言ってない。試合だ、試合」
「変わらんだろうが」
挑発とかでもなんでもなく普通の顔で言われる。……まあ結果的にはそうなるのかもしれないけど、やってみなくちゃわからないことを断言されるのもいい気分ではない。
「マゾヒストなら素直にそう言えばいいものを。私にサディストの趣味はないが、貴様が相手なら協力してやらんでもない」
「なんで急に乗り気なんだよ。そんな趣味あるわけないだろ、馬鹿」
減らず口を黙らそうと竹刀二本を放り投げる。結構勢いよく投げてみたのだがアーチャーはなんなくキャッチした。俺は二刀流の心得はないので一つの竹刀を両手で構える。
「腕を折るとか、そういう今後の戦いに影響が出る怪我は困る。……けど、それ以外なら文句は言わない。俺もお前を倒すつもりで行く。手加減無しで頼む」
「ふん。私がおまえを殺さないという時点で手加減の限りを尽くすことになるのだがな。だが、まあ。自分から言い出したのだからどんな目に遭おうが文句はあるまい。貴様にうろちょろされると目障りだ。仮にもサーヴァントを相手に“倒す”つもりだなどという思い上がりは、二度と口にできないようにしてやろう」
「おい、後に響く怪我は困るぞ」
不穏な気配に釘を刺す。が、アーチャーは不適な笑みを浮かべると、
「困るというなら精々足掻け」
言い終わると同時に予備動作もなしに突っ込んできた。
いや、正確に言えば予備動作はあった。前進しようというのだから必ず直前には重心の移動や筋肉の収縮が発生する。ただ、俺がそれを認識できなかっただけだ。
速いとかそういう次元ではなかった。凄まじい重圧が迫ってくることだけがわかる。思考を介在させている時点でとてもではないが追いつけない。肌を走った感覚だけを頼りに首の横に竹刀を差し入れた、直後。構えた竹刀もろとも薙ぎ払われて踏み締めていたはずの地面から足が浮いた。
体勢を整えるとか悠長なことをやっている暇はどこにもない。吹っ飛ばされて倒れ込んだ俺への追撃を転がってなんとか躱す。避けた顔の真横で、竹刀と床を打ち合わせただけでは到底鳴らないような強烈な破裂音がした。
(こいつ――ッ!)
全っ然手加減してやがらねえ!
令呪もあるし竹刀を使ってくれているあたり殺す気はないのだろうが、全治数ヶ月の大怪我くらいは負わせるつもりだ、絶対。いや、もしかしたら手加減してコレなのかも知れないが、自分がサーヴァントだからって人の体を頑丈に見積もり過ぎである。
だが始まってしまった以上文句を言う余裕は与えられない。俺も腕の一つや二つ折られるかもしれないという覚悟は決めて誘いをかけたのだ。やつの言うとおり自分で負傷を回避する他ない。
転がる勢いで立ち上がる。見せたつもりのない隙でも猛烈な勢いで突いてくるので、無様でも構わず必死を打って逃げ回り、痺れる腕でなんとか竹刀を持ち上げ受け止めた。
息を整える暇なんてないし、酸欠で頭がガンガン鳴ってもアーチャーはお構いなしで攻めてきた。……いや、逆だ。呼吸が乱されると苦しいし頭も働かなくなる。だから立ち会いにおいて、如何に相手の息と思考を邪魔して自分のそれを保持できるかが重要なのだ。俺を待たないのは当然だ、アーチャーはわざとやっている。
だったらこちらも、苦しかろうが暇がなかろうが無理矢理タイミングを見つけて息を継ぎ、思考を回し続けるしかない。腕力も体格も技術も何もかもがあちらが上手。一朝一夕では覆せぬこの差を少しでも縮めようとするのだから、せめてアタマくらいは働かせ続けろ。考えることを止めてはいけない。
蹴り飛ばされた衝撃で息を吐き、滑る体の勢いを殺さず距離を取った。入口付近まで戻される。
守りのための手が足りない。相手は二刀でこちらは一刀なのだからそれも当然なのだろうか。竹刀といえども皮膚よりは固いわけだから、無手で何度も受けるわけにもいかない。これで敵の獲物が真剣であればなおさらだろう。
一で足りぬなら次の一を。魔術師らしい考えで結論して、起き上がりざま余っていた竹刀の一つを手に取った。俺の背後に壁が迫っていようが問答無用のアーチャーの一撃を、持ったばかりの竹刀でなんとか逸らす。外れたとわかるが早いか直ちに鋭角に切り返され戻ってきた二撃目を屈んで避けて、そのまま男の横を走り抜けた。
とにかく壁際は立ち回りが制限されてよくない。中央付近に舞い戻り追撃に備えようと振り返る。
「――――?」
が、予想に反してアーチャーは壁まで俺を追い詰めた辺りの位置に留まっていた。半身振り返って無言で俺の方を見てくる。両手の竹刀はぶらんと脱力して下げられていた。
よくわからないが余裕ができた、と思い当たった途端、爆発寸前に拍動する心臓と酸素の供給を求める体中から催促が一気に体にキた。汗が噴き出す。酸欠状態で酷使した脳が脈打つように酷く痛んだ。
座り込みたいのを堪えて犬みたいな息を繰り返す。アーチャーは俺を見て、俺の持つ竹刀を見て、何も言わないまままた俺を見た。
「なんだよ」
息継ぎの合間に問いを放る。来ないならこっちから仕掛けてやろうか、と隙を窺っていると、質問には答えないままアーチャーが呟いた。
「竹刀とは言え我々が打ち合えばこうなっていくか」
「……? 何言って――」
「やめだ。サーヴァントと張り合おうなどという考えが如何に馬鹿げたことか多少は身に染みただろう」
言ってサッサと両手の竹刀を元の置き場所に戻そうとしている。
「ちょっと待て! 俺はまだ全然いける。大体まだ始めたばかりじゃないか」
「あとに残る怪我は避けろなどという条件つきでなんの修業になるものか。貴様の被虐嗜好につきあう理由もない」
「む……俺は割と、修業になってると思うぞ。おまえがどう動くか、考えてるだけでためになるし」
と、言うつもりがなかった後半部分まで飛び出してしまい慌てて口をつぐんだ。
――だけど、表立って口に出すのは嫌にしても、アーチャーの太刀筋を綺麗に感じるのは確かだった。俺がコイツを道場に誘った理由もその辺りにある。
話すのも普通に過ごすのもムカつくし頭が痛むので避けたいのだが、そうやってアーチャーと向き合うことから逃げていてはなんにもならない。このままでは俺達はいがみ合ったまま聖杯戦争をやり過ごし、最後にはコイツか俺の死をもって決着するだろう。俺はそんなことのために戦っているのではない。
それに、やっぱりコイツが剣を振るう姿を見るのは嫌いではなかった。セイバーやランサーやバーサーカーといった天性の肉体に恵まれた英雄達とは違う、血に塗れ泥を啜り非才な自身を罵りながらそれでも歩みを止めなかった、自己鍛練の集大成。不毛な丘で一人、無いはずの果てを目指し続けた傷だらけの背中には、幾度も鍛ち直された鋼にだけ許された輝きが確かにあった。
「ならばなおのこそ、こんなオモチャを振るっていたところで意味はあるまい」
アーチャーの声にハッとする。
見慣れた道場に立つ男の姿を認めてようやく、今の一瞬自分の意識がここではないどこかに飛んでいたことに気がついた。
目に映る光景は何も変わっていない。現実感は無いがどこか見覚えのある情景を垣間見た気がするが、思い返そうとすると酷い頭痛が邪魔をした。
苦悶の声を漏らすほどではないが、自然と表情は険しくなる。置いた竹刀に片手を添えたままのアーチャーは、俺のそんな様子には気づいていないのかそのまま続けた。
「力を得たいのなら、剣を振る練習はおまえにはあまり意味がない。やりたいのなら好きにすればいいが、それでは少なくともこの聖杯戦争中でモノになることはあるまい」
正面から見据えてくるアーチャーの静かな物言いは、真摯であればあるほど頭痛を強めていくようだった。
「遠坂凛に魔術の教えを受けているそうだな。こちらに関してもそうだ。このまま馬鹿正直に手習いを受けても効果は薄い。彼女は優秀な魔術師であるが、おまえに魔術を指導するにはあまりに王道に過ぎる」
「……さっきから何が言いたいんだ」
「言葉のままだ。この先死にたくないのなら力をつけろ。そして、力のつけかたは考えろ。――そうだな、一つアドバイスをしてやろう」
言葉の途中だというのにアーチャーは俺に背を向けた。しかし出口に向けて進むことはせず背中で語る。
「おまえが土蔵に転がしているガラクタの一つを遠坂凛に見せてみろ。中身に欠けたハリボテをな。何にせよ、まずは自分の本質を知れ」
こちらのことなどお構いなしに顔すら向けないまま言い切ったアーチャーは、半ば棒立ち状態の俺を置いて一人で先に出ていった。
最後に、「何のために求める強さなのかまでは知らんがな」と言い置いて。
「…………」
残された俺の額を汗の雫が伝い下りていった。それをきっかけに体が随分と冷えてしまっていることに気づく。そういえばあれだけの頭痛も過ぎ去っていて、何か釈然としない気持ちを抱えながらとりあえず汗を拭って水分を補給するために母屋に戻ることにした。手にした竹刀を一度戻す。
しかしそこから手を離さず、低い声が残した言葉を反芻していた。
――――何のために強くなるのか。
「……そんなの、決まってる」
なすべきことを一つでも多く果たすため。
短期的にはこの聖杯戦争を生き抜くためであるが、長い目で見た時の答えはいつだって一つしかなかった。誰に聞かれたところで今更揺らぎはしない。何と言ってもこれは、俺の生きる理由のほとんどそのものに等しいのだ。
――だが、アイツが。誰よりも自分を苛め抜き、様々な技術の集合体を純粋な強さとして昇華するまで鍛え続けたあの男が、言った言葉だと思うのなら――。
一度目を閉じてまた開く。振り切るように竹刀から手を離し、靴を引っかけて外に出る。
朝と昼の間。高く昇っていく太陽に照らされた中庭は、仄かな暖かみを帯びて感じられた。
*
空いた時間はアーチャー曰くの『中身の欠けたハリボテ』を作ることにした。昨日遠坂にこじ開けられた魔術回路の感覚に馴染んでおきたいという狙いもある。
お決まりの自己暗示を唱えて投影を終了させる。回路が放つ燐光が失せた手のひらには、変哲もないカッターナイフが握られていた。
反対の右手に持っていたカッターナイフと並べて文机に置く。少なくとも外観上は、作った自分ですら区別が難しいほどに完璧な模造品。だが、実質は確かにハリボテだ。強化の魔術では物質の構成に沿わせて魔力を通し切れ味といった性能までもを強化するが、俺の作った投影品は物質の構成に間隙が多く、伴って切れ味も悪くなっていた。
これなら最初から市販されているカッターナイフに強化の魔術をかけたほうがいい。爺さんの教えはもっともだと俺も思うが、アーチャーはどうしてコレに目をつけたんだか。
頬杖をついて左に置いたカッターナイフをつつく。折角使えるのだしと思って投影の練習もしてきてはいたので、そのうちに投影のしやすさというのがあるのには気づいていた。その経験から言えば、俺はどうやらこういった刃物の類いの方が投影しやすいらしい。
――例えば。セイバーのエクスカリバーやアーチャーの干将・莫耶。こういった魔剣宝剣を投影できるというのなら、投影する価値はあるだろう。
しかし宝具というのは時には英霊の人生そのものを示す神秘の究極だ。投影などできるはずがない――――そう自覚しつつも、試すだけはタダじゃないかとも思う自分を抑えきれずにいた。それに、昨夜折角本物を握れる機会を得たのだから忘れない内に活かしたい。
目を閉じて思考を沈めていく。色や形、握った感触、手の内に感じた切っ先の重み、月光を弾く光沢の違い、構成する材質、匂いに至るまで。一度手にして振るった剣だ。想像の中で剣を握る手には、重みすら感じられるようだった。
今のままでもきっと形だけは作れる。見た目だけは全く同じ、故にこそタチの悪い模造品を。
だけどそれじゃあ意味がなかった。意識を更に埋没させる。雌剣、莫耶。西暦の始まりより遥か昔。刀匠の妻の名そのものを冠した白亜の刀身に、水波模様が刻まれた中華剣。
「……あれ?」
ふと思い至ったことがあって集中が切れた。回路を回していたら間違いなく失敗の苦痛にもがき苦しむことになっていただろう気の抜けぶりだ。しかし気づいたことがあった。
「――あいつ、西洋の英雄じゃないのか?」
今さらである。
というか宝具というのは英霊の象徴そのものであり、干将莫耶を持って現界している以上アーチャーの正体はかなり限られてくるのではないか……?
遠坂たちが何も言っていない辺りからすると的はずれな考えなのかも知れないが、どうせ話す話題もないのだし聞いてみるのもいいだろう。
カッターナイフを机の上に残したまま立ち上がる。ちょうどよく昼前だ。少し早いが、昼食の準備を始めるとしよう。
*
最近特に頻繁にくぐることになった扉を開く。アーチャーの姿は見えない。
「アーチャー、飯できたぞ」
誰もいない虚空に向かって声をかけると、少ししてから景色が揺らいで白い布を纏った背の高い男が現れた。
「……ああ、もうそんな時間か」
俺への返事というより独り言といった風だった。相対的に普段の声より数段も穏やかに聞こえて落ち着かない。いや、普段が物騒かつ嫌味すぎるだけなんだが。
起き抜けと思えば納得の行く無防備さなので、セイバーの言う「寝ている」という例えは思ったより適切なのかもしれない。貴重な険のない顔だったが、俺を見下ろしてすぐにいつもの仏頂面に戻った。
「それで、なぜ貴様は手ぶらなんだ」
顎で俺の手元を指して聞いてくる。指摘の通り、確かに俺は手ぶらだった。要は食事を持参してきていないということだ。
「今は藤ねえもいないんだし、居間で食べたらいいだろ? 持ってくるのも面倒だし」
開け放した扉の先を親指で指して移動を促す。アーチャーは案の定嫌そうな顔を隠そうともせず反抗した。
「おまえの手間など知るか。居間がいいなら一人で食べろ」
「二人しかいない家なのに俺が居間でおまえが土蔵で食べるのって、相当変だぞ。料理だってちゃんと腰を落ち着けて、清潔なところで食べる方がおいしいに決まってる」
「貴様の作った料理が場所を変えた程度で美味く感じるわけがないだろう。別々に食べるのに不満があるなら私が食べなければいい話だ。実際昨日まではこの時間帯にわざわざ食事を摂ってはいなかった」
「学校に行ってる間のことは悪かったよ。気が利いてなかった。だけどそれとこれは話が別って言うか、食べられる時に食べておいた方がいい。……魔力、足りてないんだろう」
声のトーンを一つ下げる。
言ってしまえば俺のせいで起こっている現状だ。あまり大きな声で聞けるほど、俺も開き直っちゃいなかった。
「なんだ、あの女の入れ知恵か? 貴様のような未熟者にわかることとも思えんが」
「む。口が悪いぞ、アーチャー。俺はまあいいけど、遠坂の前では間違ってもそんな言い方はしてくれるなよ」
いや、俺だってよくはないんだが、コイツ相手に言ったところで無駄だろう。いい加減多少は慣れてきたというのもある。しかし遠坂は別だ。アイツは人の家だろうが他所のサーヴァントだろうが容赦なくヤる。巻きこまれては敵わない。青筋を浮かべて笑顔でガントの構えを取る遠坂の幻覚を首を振って振り払う。
「……とりあえず、冷める前に食べようぜ。魔力のために土蔵にいるって言ったって、少しくらい出ても構わないだろ」
見上げて言う。
「…………」
アーチャーは無言で見返してきた。刺激せずに待つ。
やがてアーチャーは大袈裟な溜息を一つ吐くと、灰の瞳を閉じて吐き捨てた。
「下手なものを食わせてみろ、容赦せんぞ」
*
火を少し強めれば、すでに完成間近だった鍋はすぐに煮立った。ぐつぐつと気泡が食材を押し上げて揺らしては、ダシのいい匂いを拡散している。
アーチャーはやはり奇妙な律儀さを発揮して俺の向かいにちゃんと正座で着座していた。あの鬱陶しいマントみたいな白い布をついに取っ払って、楽しくもなさそうに煮える鍋を見下ろしている。
この光景ってかなりの快挙なんじゃないか? と思いつつ、同意してくれる人がいるはずもない馬鹿な発想なのでそのままフタをして、代わりに菜箸を手に取った。春菊を最後に入れれば完成である。
冬だし白菜を使いたかったし、土蔵に籠ってちゃあ食べられないものを用意したかったが故のチョイスなのだが、思いの外シュールな絵面になってしまった。とりあえず箸を自分の分に持ち替えて手を合わせる。
「……えーっと。じゃあ、いただきます」
挨拶はしっかり。我が家に住み着く虎の教えである。流石に教師を目指すだけはあったのか、あの人は礼儀作法についてやたらに厳しく無頓着な俺や日本の文化に不慣れな切嗣なんかをバリバリに躾けてくれたのだ。
手を伸ばして野菜や鮭の切り身を皿に取る。一番面積を占めていた白のイメージから一転、全体的に黒っぽくなった男は箸を往復させる俺をただ見ていた。
「――なんだよ」
「…………いや。二人で鍋とは考えなしもここまでだったかと呆れていたところだ」
アーチャーはそういうがちゃんと人数を考えて小さめの鍋を使っている。未だにアーチャーが食べる量に迷うのでこれを機に確かめてやろうと多目に作ってはみたが、目くじらをたてるほどではない。……まあ、恐らくコイツが言いたいのはそういうことじゃないのだろうが。
しかし“同じ釜の飯を食った仲”なんて言葉が存在するくらいだ。古今東西、一つの鍋をつつけば人は和解できるようにできているのである。相手がこのムカつくサーヴァントだったとしても、何かしらのご利益的なものがあるに違いない。
とりあえず聖杯のおかげなのか、アーチャーが鍋という食文化に馴染みがあるようでなによりだ。嫌味はスルーして「春菊は早く上げないと苦くなるぞ」と勧めてみる。
「………………………………」
とんでもなく不服そうな顔をしていたアーチャーは、長い沈黙の末、鍛えられた太い腕では細くすら見える箸を手に取った。
「――いただきます」
備えて耳をすませていなければ聞き逃しそうなほど小さな声で告げて、煮えた鍋へと手を伸ばす。
……ここから先は聞くに耐えない言い争いが勃発したので、詳細は省こうと思う。お察しの通りと言うやつだ。
ただ、アーチャーは人の料理をボロクソに扱き下ろしつつも、なんだかんだ一人で二人前に近い量を平らげたことだけは追記しておく。