#05 願いの確度
遠坂凛がセイバーを、衛宮士郎がアーチャーを召喚することからはじまる第五次聖杯戦争ifストーリー六話目。腐向け。
版権元:Fate/stay night
注意(シリーズ共通):
腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現
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ガラガラガラ、と玄関戸が開く音がした。それとほぼ同時に、「たっだいまー!」という明るい声と、「お邪魔します」とかき消されつつある穏やかな声が居間まで届く。
藤ねえと桜だ。もうそんな時間か、と思いつつ食器の準備をしようかと席を立つ。すぐにでも食べられる状態にしておかねばまた飢えた虎が暴れかねない。幸い、料理の方は完成していてかつまだ手をつけていない。これなら揃って食卓を囲むことも可能だろう。
呑気にそう思って立ちあがり、居間の状況を俯瞰してはたと気づき動きを止める。
明らかに日本人ではない金髪の少女。屋外野営中のような服装をした褐色肌の男。更には校内の有名人である遠坂。仲良く……とは言えないが、とにかく同じ部屋に居揃っているだけでも人間関係に疑問符がつくメンツである。昼間弁当を手渡した時はこんなことになると思っていなかったので、当然藤ねえたちには何の説明もできていない。いや。というか、これ、どうやって説明したらいいんだ……?
足音と話し声は一直線に居間に向かっている。照明がついているんだし食事の匂いもあるだろうからわざわざ寄り道しないだろう。
「ちょっと待った、藤ねえ――!」
せめて時間を稼がねばと慌てて声を張り上げたが、
「この食欲をくすぐる香しさは、中華とみたっ!」
わけがわからない宣言とともに障子が開け放たれる方が早かった。勢いよく滑った障子がスパーンッと小気味のよい音を奏でて、各自黙りこんだ居間に響く。
両手で戸を滑らせたのだろうことがよくわかるどこぞの変身ヒーローのポーズに似た格好で登場した藤ねえは、その体勢のまま硬直して目を丸くした。視線の先には、優雅に正座をしたままの遠坂の姿。
「……あれぇ? 遠坂さん?」
「お邪魔しています、藤村先生」
遠坂は品行方正な優等生としての綺麗な会釈を返した。藤ねえは条件反射か「こんばんはー……?」と返したが、傾げた首の角度は増す一方である。
立ち上がった中途半端な姿勢のまま、言い訳の言葉を必死で考える。固まった藤ねえと驚いた様子の桜から遠坂たちへと目を戻せば、一番目立つアーチャーの姿はいつの間にやら消えていた。恐らく今の一瞬の間で速やかに霊体化したのだろう。この状況だとものすごくありがたい。
「どうぞ。夕飯の準備は済んでいますよ」
「これはどうもご丁寧に」
「腕によりをかけて作りましたから、是非温かい内に召し上がってください。ほら、間桐さんも」
「あらほんと、おいしそう。お料理も上手なんてさすが遠坂さん。――って」
促されてもなお固まったままの桜を置いてフラフラと定位置に腰を下ろした藤ねえだったが、それも束の間。食卓に大皿で用意されている中華料理の数々も彼女の疑問を誤魔化すには足らず、
「どういうことなの、しろーーっ!?」
バーンっと食卓が叩かれ衝撃で皿が少し浮いた。遠坂とセイバーがお茶だけはさっと持ち上げてくれていたので零れる事態は回避している。
「私が真面目に働いてる間にぃ! こ、こ、こんなことおねーちゃんは許さないわよぉ!」
「こんなことも何も、何もないから。落ち着け藤ねえ」
「こっれが落ち着いていられるもんですかっ! 桜ちゃんというものがいながら、この浮気者!」
わけがわからない方向へ急加速していく話の流れに制止をかけるが、これで止まれるなら俺も苦労しない。
「なんだよ、浮気って……。というか、一緒に居間にいたってだけでそんなに騒ぐことないだろ」
「だってぇ、士郎が女の子を連れて来るなんて初めてじゃない。何かあったのかって思うのも当然でしょ?」
「だから、『何か』ってなんだよ。別に、遠坂達は普通に――」
普通に、なんなんだろう。
藤ねえに絡まれながら首だけ振り返る。アーチャーがいなくなってくれたおかげでなんとか日常感は保っているが、人当たりのよさそうな温和な笑みを携える遠坂と黙って成り行きを見守っているセイバーとの二人を「ただの友人だ」で果たして押しきれるのだろうか。
視線だけで遠坂にヘルプを求めていると、察してくれたのか「藤村先生」と声を上げた。掌で空いた座布団を指して、 被った猫を厚くする。
「ご説明します。冷めてしまう前に、どうぞ」
年齢差を忘れさせる落ち着き払った態度に、藤ねえが怯む。遠坂の言い分に従ったのか、食卓を彩る中華料理の数々に誘われたのか、神妙そうに眉根を寄せたまま着席し、桜も戸惑いを隠せないまま席に着く。
「急なことで驚かせてしまいすみません。先日、父を頼ってこちらのセイバーさんが尋ねて来たのが始まりなんですが――」
大体そういう切り出しで、遠坂の説明という名の嘘八百がはじまった。
……結果は大体想像できるだろうと思うので、あとは省略することとする。
*
「じゃあね、士郎。遠坂さんもセイバーさんも、困ったらいつでもウチに来ていいからねー」
言ってひらひらと手を振る藤ねえと、後ろでぺこりと辞去を示す桜。
「ありがとうございます、藤村先生。もう外も暗いのでお気をつけて」
玄関まで見送りに来た遠坂がにこやかに手を振り返す。セイバーはその後ろ、俺の隣で小さく会釈をしていた。
帰る二人と、残る二人。遠坂によると、家が改修工事になってしばらく他に宿を探さなければならない遠坂と、タイミング悪く遠坂の父を頼って来たイギリス人少女のセイバーが、色々あってここを仮の住まいとするのだという。
「……」
終始遠坂の独壇場で藤ねえの説得には成功していたので口を挟まなかったが、この流れだとこの二人、本気でうちに泊まることになるんじゃなかろうか。確かに荷物が多いなとは思ってたけど、いいのかそれで。というかまず遠坂は初めからそのつもりだったのなら俺に一言言ってくれてもよかったんじゃないか?
「あ、あの。少しいいですか、先輩」
と、一人悶々と家主の権利について考えていると、桜から遠慮がちに声がかかった。
「どうした? 桜」
「その、明日からのお手伝いのことなんですけど……。しばらく来られなくなりそうなんです。すみません」
「なんだ、そんなことか。いいよ、もとはと言えばこうやって来てもらっていたことの方がおかしかったくらいなんだから」
「おかしくありません! 本当に今だけ、来れないだけで……。それが終わったら、またお手伝いに来ますから。絶対ですから」
「あ、ああ……? それはありがたいけど、無理しなくていいんだぞ」
「無理なんかしていません!」
なぜか拳を握って力説する桜。
毎朝来てもらっているんだから、俺の許可なんてなくいつでも休んでもらっていいのだ。食卓は少し寂しくなるが、彼女に無理をさせては本末転倒である。
とはいえ、無理でないのならまた来てもらえる方が俺も嬉しい。 桜はすぐに我慢をする性格だから少し心配は残るが、謎の剣幕に若干気圧されるように頷くと桜はほっと拳を下ろした。
「突然ごめんなさい。多分、一週間くらいだと思います。またご連絡しますね」
それじゃあ、と今度こそお別れのムードになりそうなところを、今度は「間桐さん」と遠坂の声が割り込んだ。
「少し聞きたいことがあって。あなたのお兄さんのことだけど」
「……兄さんが、何か?」
「いや、大したことないのよ。ただこの間は少し言いすぎてしまったものだから、どうしてるかしらと思って」
「特に変わりは、ありません。遠坂先輩が心配するようなことは何も」
「そう、ならよかった。彼にもよろしく伝えておいて。調子が悪い時は、無理しないほうがいいってね」
「はい、わかりました」
やや不思議そうにしながら頷いたのを最後に、今度こそ藤ねえが「それじゃあ帰ろっか、間桐さん」と桜の手を取った。日はすっかり落ちて夜である。俺が送ろうかとも思ったが、お客さんが来ているんだからちゃんと家にいなさいと諌められたので、今日は藤ねえがエスコート役だ。
「じゃあね、遠坂さん、セイバーさん。また学校でねー!」
ブンブンと大きく手を振り門の向こうへ消えていく二人を「前見て歩けよ!」と見送った。少ししてから三和土に降りて玄関戸を閉める。
「さて」
施錠もきちんと行ってから振り返る。玄関に降りた分遠坂を見上げることになったが、ここは譲らないぞとジト目で睨み上げた。
「どういうことか、ちゃんと説明してくれるんだろうな、遠坂」
「説明ならさっきしたところだけど? 聞いてなかったかしら」
「聞いてたけど、初耳だ! 藤ね――藤村先生たちが来るまでにいくらでも時間はあっただろうに、なんで勝手に決めるんだよ」
「あら、無理しなくていいのよ。いつも通り『藤ねえ』って呼んだら」
「……遠坂!」
そりゃあ今更取り繕っても意味がない。意味がないけど、そこは見逃すのが人の心というやつではないのか?
不満を込めて声を荒げたが、頬が熱い自覚はあった。案の定遠坂はどこ吹く風のしたり顔で楽しそうだ。
「なんてね、冗談冗談。事後承諾になったのは謝るわ」
「全くだ。急に言われても、布団も干せてないって言うのに……」
もちろん定期的に日を当ててはいるが、折角なら干したての布団を提供したいのが人情だろう。謝ってくれたのだからこれで手切れにしようと思いつつ、大人気ない不満が口をついて出てしまう。独り言のつもりでそれをブツブツ零しながら段差を上って廊下に戻ると、なぜか遠坂が目を丸くしている。
「遠坂?」
玄関はさすがに肌寒い。ぼうっとせずにさっさと戻ろうと声をかけると、
「ぷ……あっはは! なあに、布団って? 士郎って本当に、士郎なのね」
「な、なんだよ。どういう意味だそれ」
「あんたはそのままでいなさいってこと! ぷくく……布団ときたか……」
何がツボに入ったのか、突如腹を抱えた遠坂が戸惑う俺の背中を押して居間の方向へと歩き出す。
対処に困ってここまで沈黙を守っていたセイバーに視線を送ってみたが、彼女にも微笑まれて一言。
「つまり凛は、あなたを褒めているのですよ」
どう見ても人をネタにして爆笑しているのだが。
もはや何も言うまいと口に閉ざすが、バシバシと人の背を叩いて追い立てて来る遠坂の笑いの波はまだ冷め止まないらしい。何を笑われているのか知らないが、ものすごく納得が行かない状況だ。
……なんなのさ、一体。
*
「それじゃあ、士郎も納得してくれたところで。いくつか話しておくことがあるんだけど」
と、例によって居間に膝を付き合わせての遠坂の一言。台詞の通り、彼女たちがこの家に滞在するのが先ほど確定した。
さっきはああ言ったが、俺だって別に本気で不満に思っていたわけじゃない。二人がこの家に泊まり込むのには理由があるのだから反対するつもりもない。
理由とはつまり、聖杯戦争。同盟の契りを結んだのだから行動をともにするべし、という方針である。……が、正直アーチャーも言うように俺達の戦力差は大きく、遠坂本人は否定しそうだが俺はこれを彼女の親切なんじゃないかと捉えている。それか、俺とアーチャーに対する監視も兼ねているか。
何にせよ断る理由もない。丁度客間は二部屋あるから遠坂とセイバーに一室ずつでいいだろうと、話がまとまったところで冒頭の台詞に立ち戻る。時計の短針は十の字を指していたが、まだ話が続くらしかった。
「サーヴァントの七つのクラスについては覚えているわね? セイバー、アーチャーがここにいるから、敵はランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの五騎。この内士郎が遭遇したことがあるのがランサーとバーサーカー。特にバーサーカーはアインツベルンのサーヴァントだから、マスターもはっきりしてるわね」
並び立てる遠坂に一つ頷く。白い長髪の少女の印象は一日経った程度で薄れはしない。
「ランサーのマスターは不明として……。話しておくことの一つはね、ライダーとそのマスターについてよ」
「ライダー? 何か知っているのか」
「知ってると言えば知っているわね。ライダーというより、そのマスターについてだけど――」
そこで言葉を切り、まだ半分ほど残っている湯呑みに急須から更に茶を注ぎ足している。言いづらそうな様子にも見えた。
「……まだるっこしいのは無しにしましょう。ライダーのマスターは間桐慎二よ」
マトウシンジ。
聞き慣れたはずの六音が、一瞬意味をなさずに上滑りした。
「……慎二だって? まさか、あいつもこんな物騒なことに参加してるっていうのか」
「私も驚いたわ。間桐は御三家の一つだけど、慎二には魔術師として絶対に必要な魔術回路が備わっていない。マスターにはなり得ないはずの人間なのよ、本来ならね。だけど衰退したとは言え間桐は元々令呪を完成させた一族だから、手を回せば慎二にマスターとしての権利を移すのも可能だったんでしょう」
「魔術回路を持たないままマスターになるって……そんなことができるのか? ――いや、何よりそれは、危険じゃないのか」
サーヴァントの力は圧倒的で、普通の魔術師では歯が立たない。ましてや魔術の使えない一般人では、抗う手段がほとんどない。聖杯戦争は殺しあいの儀式で、最も狙われやすいのがサーヴァント現界の礎であるマスターだ。
「それはもちろん、危険でしょうね。だけどアイツもそれは覚悟の上……というより考えが至ってないだけかも知れないけど、何にせよ自分から望んだことなら自己責任よ。昼間っから仕掛けてくるくらいには好戦的みたいだし」
「昼間から? 慎二が、遠坂に? ちょっと待ってくれ、理解が追いつかない。慎二が実はライダーのマスターで、しかも遠坂に襲いかかるなんて……」
「気持ちはわかるけど事実だわ。今日、あなたと会う前ね」
「今日?」
ぎょっと目を剥く。さっきから驚いてばかりだが、今日一日は平和そのものの休日だったのだ。その裏で同級生同士が戦っていたなど冗談ではない。
「ちょっと待てよ、俺は朝慎二とあったけど、なんともなかったぞ」
「朝? あなたこそ待ちなさい、朝会っていたですって? アーチャーは連れてなかったんでしょう?」
「そうだよ。藤ね――藤村先生に弁当を届けに行く途中だ。普通に話して別れた」
「普通に……? 話して……?」
俺の言ったことを口中で反復し、遠坂はそのままぶつぶつと黙りこんでしまった。考え込んでいるのか単語単語は聞こえるが何を言っているかまでは聞き取れず、最後に「……そっか、慎二には回路がないから士郎がマスターってわからなかったんだ」と結論した。
「つまり、たまたま運が良かったから命拾いしたってだけじゃない。揃って素人だから成立した奇跡みたいなもんね」
「うん……?」
「だ、か、ら! あんたは昼間でも得意げにサーヴァントを連れ回して所構わず仕掛けてくるような馬鹿な敵マスターを前にヘラヘラしてるような、危機意識欠落した大ボケの大バカだって言ってんのよ馬鹿士郎!」
「ば……馬鹿って、そこまで何度も言うことないだろ!?」
「馬鹿に馬鹿って言ってなんの問題があるのかしら? あのね、なんにせよ慎二はライダーの命令権を有してて、しかも休日とは言え昼の学校でライダーを仕向けてくるような考えなしなの。士郎がマスターだって気づかれてたら、アンタだって危なかったんだからね。どう? 少しはどういう状況だったかわかった?」
苛々と捲し立てる遠坂に圧されて、今日の出来事を思い返す。本当に遠坂の言う通り、慎二が時と場所を選ばず襲い掛かってくるようなやつだったのなら、アーチャーを連れていない俺なんぞは恰好の獲物だっただろう。
「……確かに、運がよかっただけなのは認める。それより、遠坂は大丈夫だったのか? 戦闘があったってことだろう」
「ご心配なく。あんなの、私のセイバーの敵じゃないわ。さすがに学校じゃあ気が引けるから今日は見逃してやったけど」
自分の前に置かれていた茶菓子をセイバーの方へ押しやりながら、何でもなさそうに遠坂が言う。俺たち二人の会話に口を挟まず茶と茶菓子を消化していたセイバーが一礼してこれを受け取っていた。なんでも、マスターからの供給以外にサーヴァントは食事からも微小ながら魔力を得ることができるらしい。表情から察するにそれだけが理由じゃない気もするが、喜んで食されたのなら藤ねえ持ち込みのちょっとお高い栗羊羹も本望だろう。
「話がずれたけど、要は慎二とライダーには気を付けなさいってこと。それから、――寧ろこっちが本題だったはずなんだけど――残るキャスターとアサシンについてね。一応聞くけど、この二騎に心当たりは?」
「……悪いけど、何も」
「でしょうね。まあ、アサシンはもともと暗躍に長けたクラスだから簡単には見つけられなくて当たり前。こいつに関しては警戒を怠らず、相手が仕掛けて来たら逃さず返り討ちにするって言うのが現実的な対処になるわね。で、キャスターなんだけど」
そこでおもむろにリモコンを手にした遠坂がテレビの電源をつけた。バラエティ番組だろう笑い声が三人の居間に響いたが、すぐにザッピングを初めて切れ切れになる。意図がわからないまま移り変わる液晶画面を見守っていると、地域の報道番組に達したところで遠坂が手を止めた。スーツ姿の男性が、一週間の出来事を簡単に読み上げていっている。子供だけ残されて殺害された家族の話。新都で続くガス漏れ事件――。
「ちょうどよかった。これらの事件は、恐らくサーヴァントの仕業よ。特にガス漏れ事件に関しては、十中八九キャスターの犯行でしょうね」
――不意に。
惨殺された男女の横たわるリビングを、残されて途方に暮れる子の背中を、日常を絶たれ理由も知らぬまま倒れ伏す人々を。そういう限りなく現実に近い空想の光景を写し見た。
「……あれも、聖杯戦争の影響だって言うのか」
「ええ。強盗だとかガス漏れだとかは魔術の隠ぺいのための適当な理由づけね。そして、やり方はどうあれ新都全体に渡る魂食いなんて、特殊な宝具でも持たない限りキャスター以外のクラスには不可能よ」
十年前の聖杯戦争。炎に沈む街並みが、その戦禍の一つであると今の俺は知っている。五百人余りの死者を出した未曽有の大災害だったが、ガス漏れの発生場所はそれよりも更に人口が密集する都市部だ。
「幸い今は死者が出ていないみたいだけど、魔力を集める方策が完成しているのならどれだけ『捕食』をするのかは術者の匙加減一つ。箍が緩めば、大変な被害が出る。……遠坂の管理する冬木で、こんな暴挙に出るやつらを放っておくわけにはいかない」
「ああ、遠坂の言う通りだ。俺にできる協力なら惜しまない。何をすればいい?」
キャスターに対する遠坂の怒りは本物だった。人として当たり前のことかもしれないが、死を身近に置き犠牲にも慣れた魔術師である遠坂が人命を思って憤る事実が、少しだけ救いに思えた。
遠坂は俺の視線を真正面から受け止めていた瞳を一時閉ざし、ふうと一つ息を吐く。
「……士郎ならそう言うと思ったけど、私以外にそういう安請け合いはしないことね。自分を安く見られるわよ」
「む……。遠坂を信用できると思ったから言ったんだ。俺だって、手を組む相手くらいは選ぶ」
「どうかしらね。私はきっと、あなたが期待するほどの『いいやつ』じゃあないと思うけど」
呆れ半分といった様子でパタパタと手を振る。自虐とするにはあっけらかんとした言い方に僅かに遅れた反論より先に、「それじゃあいい加減本題に入りましょうか」と話を元に戻された。
「目下の活動をどうするかってことね。今のところ、イリヤスフィールが動き出すより前に後顧の憂いを断っておきたい。更に時間経過とともに魔力を溜め込んでいくキャスターたちは早めに叩きたい。合わせると、まずはキャスターの根城を見つけてはっ倒すって方針になるんだけど、そっちは何か意見はあるかしら」
「いいや、特には」
他のサーヴァントの横槍が気にならないわけではない。が、キャスターを一日でも早く止めなければいけないのだから、後回しにするという選択肢はとれないだろう。
「ただ、根城を見つけるっていうのは具体的にどうするんだ? 何か、心当たりがあるとか」
「そうね。キャスターといえども、あれだけの広範囲から魔力を継続して吸い上げるとなると霊脈は利用してしかるべき――となると、まずは霊地を順に当たっていく形になるでしょう。これに関してはセイバーに心当たりがあるからいいとして、当たりを引いたら引いたで敵の陣地になるから、警戒と偵察のバランスをどうとるかっていうところなんだけど……」
「その必要はない」
割り込んだ声に遠坂が口を噤む。低い男のものだった。軽く視線を巡らせてみるが、姿はない。
「席は空いているけど、わざわざ立ち見が趣味なのかしら?」
「折角の気遣いだが、そう長居するつもりはないさ」
出所のわかりづらかったぼやけた声が徐々に鮮明なものになる。発生源を振り返ると、遠坂の言葉の通り、空席を前に立ったままのアーチャーが実体化するところだった。
「それよりキャスターの拠点の件だが、恐らく柳洞寺がそれだろう」
「……なるほど。天然の結界が強力すぎて普通のサーヴァントが拠点にするには向かないって聞いてたけど――初めから打って出る気のないキャスターにとっては、結界はいい方にばかり作用するっていうことか……」
「そういうことだ。我々サーヴァントでは正門からノコノコと階段を駆け上がるしか侵入の手段はあるまい。キャスターにとってはお誂え向きな霊地だろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
どんどん話を進めていく二人に慌てて声を上げる。
「柳洞寺だって? あそこには一成達が暮らしているんだぞ。そこがサーヴァントの拠点にされているっていうのか」
「アーチャーの言葉を信じるならそうなるわね。でもおかしな話じゃないわ。普通の魔術師なら持て余すほどの霊地だけど、キャスタークラスになるほどの英霊ならうまく扱うこともできるかも知れない」
「そんな……その場合、一成達は無事なのか?」
「新都のガス漏れ事件はここ数日に始まった話じゃないわ。それを踏まえれば、少なくとも現状命の危険はないんでしょう。ただ、暗示の一つくらいは掛けられていると見るべきね」
遠坂は、険しい顔をしているものの戸惑いはなさそうに見える。俺ばかりが困惑を示す中、セイバーが不意に口を開く。
「アーチャーは、どうしてその寺がキャスターの工房だとわかったのですか?」
「見てきたからだ。……というよりは、“見えなかった”からこそだな。弓兵のクラススキルとして私には千里眼が与えられているが、街を見渡した時不自然に何もわからない土地があった。アーチャークラスのサーヴァントですら見通せない結界が、この冬木でも一等の霊地に築かれている。となれば、恐らくキャスターが神殿に作り変えているのだろうと思ったまでだ」
証拠はないがな、とアーチャーは肩を竦めた。
俺の方はスキルだのなんだの聞き慣れぬ単語に首を傾げていたが、話を遮って訊くほどのことではあるまいと口は閉ざしたままでいることにした。あとで纏めて遠坂に質問しよう。
「証拠はなくても筋は通っている。否定する条件が揃わない内は信じておくわ。でもアーチャー、あなたって魔術にも詳しいのかしら? 弓手の割には目敏いように思うけど」
「さてな。これでも英霊と呼ばれるような存在なんだ、魔術の一つや二つ心得があるのかもしれん」
「何よ、他人事みたいに。そう警戒しなくても、探りを入れようってわけじゃないわ。ただ戦略を立てるのに必要なことくらいは確認させて欲しいってだけ」
「そういうことなら尚更心配ないさ。必要な情報は開示する、今教えてみせたようにな」
「どうだか。今まさに隠し事だらけなように思うんですけど?」
――と、こんな風にアーチャーと遠坂のやり取りが続く。アーチャーは変わらず立ったままだ。
話の流れに進展がなさそうなのを確認して、一応小さく断りを入れてさりげなく席を立つ。セイバーが急に立ちあがり台所へ向かう俺を気にしているようで何度か目が合い気まずかったが、用事はすぐ済むことだったので碧眼に追われるように元の場所に戻った。わざわざ立ちあがり取ってきた湯呑みに、急須からお茶を注ぐ。
「……おい。とりあえず、座ったらどうだ」
話が途切れた瞬間を狙って、注いだお茶を空席の前へと滑らせながら言う。想像の通り冷えきった視線が返されたがぐっと堪えて続けた。
「……俺も聞かせてほしいことがあるし、それじゃ話しづらいだろ」
「聞かせてほしいこと? なぜ私が貴様の言うことを聞かねば……」
嫌そうに拒否しかけたアーチャーはそこで一度言葉を止めた。思い悩んでいる風だったので急かさず待っていると、不服な表情のまま所作だけは不思議と丁寧に空いていた座布団に腰を下ろす。
「……アーチャー?」
勧めておいてあれだが、予想外の行動に目を丸くする。アーチャーは不機嫌極まりないことを隠しもしない顰め面で、横に座る俺に視線もくれないまま、
「聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」
と返答をくれた。
急な心代わりに困惑するが、姿すら見せなかった今朝までのことを思えば大幅な前進である。
「あっ――と。その、柳洞寺ってとこなんだが。俺の同級生や住職の人たちが住んでいるんだ。その人たちは無事なのかちゃんと聞きたい」
「言っただろう、見えなかったと。遠坂凛の言うとおり、傀儡にされている可能性を除けば無事だろうよ」
「……お前は柳洞寺を一目見て、キャスターがそこにいるって思ったんだろう? なんですぐに伝えてくれなかったんだ」
「は。なんだ、一丁前にマスターを気取るつもりか? 私の行動に制限をつけたいのなら、自分の力量のなさとアーチャークラスを呼び出した不運を歎くことだな」
「マスターとか、そういうことじゃない。ただ――」
――ただ、なんなんだろう。
自分でも言いたいことが纏まらないまま開きかけた口を閉じる。こいつを相手にしていると自然と沸き起こる不快感と鈍い頭痛が邪魔だった。
柳洞寺に人がいるなんてことアーチャーが知らなくても無理はない。言い方や態度は相変わらず鼻につくが、行いそのものは正しいことのはずだ。ただ、例えば。
「その時一言言ってくれたら、もっと早く動け出したのに」
平穏が悪いことだとは言わない。今日の説明がなければ藤ねえたちに余計な心配をさせていたことだろう。この一日を後悔するわけではない。だけど、俺がそうしている裏で、一成や住職の人たちが危険な目に遭っていたのだとすれば……。
「言うに事欠いて……。では聞いてやるがな、私が貴様に報告を入れていたとして、それでお前はどうするつもりだ。罪のない人を巻き込むなと、正面から怒鳴り込みでもしてみるか? 残念ながら、貴様のサーヴァントは現在戦闘に於いて最弱とされるキャスターにすら手が出せない役立たずだ。彼女たちと手を組んだ今ならともかく、それ以前の貴様に逐一報告してやる意義も必要も感じられん」
スラスラと並び立てられる台詞に反論できなかったのは、俺自身アーチャーの言い分に正当性を感じてしまったからかもしれない。
こいつはどんな形にせよ英霊に至った英雄で、戦術も立ち回りも俺なんかよりきっとうまくやるのだろう。あるいはこいつに全て任せてしまう方が、なにもかも手っ取り早く済んで、遠坂たちにとっても最善なのかもしれない。だけど、
「……確かに、お前の言うことは正しい。俺にできることは限られてるし、身の丈に合わないことを言っているんだろう。だけどな、アーチャー。お前の言う最善は、きっと誰かの涙を切り捨てる」
――だったらやっぱり俺は、それを見過ごすことはできない。
最後に言って、口を閉じた。アーチャーは何も言い返して来ない。どころか不思議と怒りすらしない。内心が一切読み取れない人形めいた無表情で、下手な怒気よりよほど肝が冷える。心臓だけが嫌な音を立てて不器用に鼓動を強めたが、手先は冷えたままだった。真正面からまともに視線がかち合って、呼吸すらも憚られる。
「…………そう信じたいのなら、すればいい。方針には従うさ」
徐にそう言って、何の名残も見せずアーチャーの灰の瞳が逸らされる。
「話を中断させて悪かったな、遠坂凛。私からはこれ以上開示できる情報はない。あとはそこの小僧と好きなように話し合いを続けてくれ」
アーチャーには先ほどの態度の片鱗も窺えない。慇懃無礼ないつもの態度だ。途中から黙って俺達のやりとりを見守っていた遠坂も、水を向けられると応じるように何事もなかったかのように話を再開した。
(――今のも、殺気だったのか?)
話に耳を傾けながら、粟立った肌を撫でて慰める。殺気というには怒りとも恨みともつかない、得体の知れない感情に思われたが……。
肺にわだかまっていた息を一つ吐く。シャツの下で、嫌な汗が肌を湿らせていた。
*
学校には変わらず通うこと、放課後合流して情報交換と校内の結界への対策を行うこと。特に俺は柳洞一成の様子に気を配り、彼がマスターなのか被害者なのか全くの無関係な一般人なのかはっきりさせること。
まとめるとこんなところだろうか。そういうことを決めて、長い話し合いはようやく解散の流れとなった。時計は十二時を指そうとしている。
テレビも落とされ静まり返った現在、居間には俺とセイバーだけが残っていた。遠坂には先に風呂を使ってもらっている。俺たちはその間、簡単な後片付けをしていた。
セイバーが畳み敷きの方から渡してくれる食器を礼を言って受け取り、泡立てたスポンジで手早く洗う。一つだけ口をつけられていないのは、言うまでもなくアーチャーに用意した分だった。勿体ないような気もしたが、湯のみをひっくり返して中身を捨ててしまう。
「…………」
最後に手の泡を洗い流して水を止める。タオルで水気を拭き取りながら、冷蔵庫に取り分けておいた一人前の夕飯をどうするか考えていた。飢えた虎の催促にも出さないで取っておいたのは、あの場でただ一人食卓につかなかった男の分であるのだが――。
無駄になるよりかは明日の朝食にでも回したほうがいいかもしれないとも思ったが、結局冷蔵庫からおかずと白米を取り出して電子レンジにかけた。駄目で元々、幸い今は冬だし余ってしまってもまた冷蔵庫に入れておけば大丈夫だろう。
ウゥーンと箱型の機械が唸り声を上げる中、手持ちぶさたなのかまたもや教科書類を読んでいるセイバーに声をかける。
「悪いセイバー。ちょっといいか」
「はい。なんでしょう」
開いていた現代文の教科書を閉じ、セイバーはすぐに顔をあげてくれた。律儀な反応が少し申し訳ない。
「その、本当はこんなことおまえに聞くのは情けないことなんだろうけどさ。今アーチャーがどこにいるか聞いてもいいか」
「アーチャーですか? 彼は中庭の蔵にいるようですが」
……遠坂に曰く。サーヴァントの居場所も状態も探れない状況というのは、可及的速やかに解決すべき言語道断の大問題とのことである。
が、とにかく現状としてある程度距離が離れると俺にはやつの居所がさっぱりわからなくなってしまうのだ。同じ霊体同士、遮蔽物に関係なく位置が探れるというセイバーの力を借りれれば手っ取り早い。幸いセイバーは嫌がる様子を欠片も見せず、すぐに答を返してくれた。
「庭の蔵って……土蔵のことか? なんだってわざわざそんなとこ」
この屋敷には余っている部屋がたくさんあるのだ。敢えて暗くてガラクタも多い土蔵を選ぶこともないだろうと首を傾げる。
「あそこはこの屋敷の中で、最も魔力を溜め込みやすい工房にも適した地ですから。通常サーヴァントは自身の身をエーテルで構成していますので、アーチャーが少しでもエーテルに富んだ場所にいようとするのもわかります」
「そうか……。この家は開けすぎてるって、遠坂も言ってたな」
確かに、この家を開放的か閉鎖的かで分ければ最も閉じられた空間はあの土蔵になる。なるほどな、と頷いていると、ちょうど良くレンジが加温の終わりを告げた。料理を取り出して盆に並べる。
「ありがとう、セイバー。行ってみることにする」
また口論になってしまう気もするが、それでも何も会話がないよりマシだろう。快く答えてくれたセイバーにお礼を言ってエプロンを外す。
「……シロウ。少しだけ」
温まりすぎたのか勢いよく湯気を立てる皿から萎びたラップを取り去っていると、セイバーから遠慮がちな声がかかった。
「どうした?」
「言いたくないなら答えなくても構いませんが。……あなたは、なんのために戦うのですか」
セイバーの声は痛いほどに真剣である。一度作業の手を止めて、流し台の向こうで座す彼女に目を向けた。
「サーヴァントは兵士だ。あなたの盾であり、剣である。好悪はあれ呼び掛けに答えた以上、私たちサーヴァントはその契約に同意している。だけどあなたは、その切っ先に革を宛がい誰も殺すななどという。――そんなもの、我々にとっては冒涜だ。サーヴァントに正しく力を奮わせることこそが、マスターの果たすべき役目ではありませんか」
静かだが強い声だった。道理に合わぬ要求を通すなら、せめてその理由を――俺の願いを示して見せろと、セイバーはそう問うている。それはこの短い間ですら、直接的にも間接的にも何度も指摘されたことだった。
……そうだ。言われるまでもなく、俺自身嫌になるくらいに、俺の方針は矛盾に満ちていた。この戦争を戦うと決めたのに、その手段であるサーヴァントには戦うなと命ずる。無茶苦茶な理屈だ。俺が逆の立場でも、こんな命令には承服できないと腹を立てていたことだろう。
――だけど。戦いの渦中にあって、それでもあいつに誰も殺させないこと。この一線が、絶対に越えてはならない境だと感じたのだ。理由を聞かれても答えられないくらい、形のないあやふやな思いではあるけれど。
「…………『誰も泣かずに済むのなら』」
最初に誰かが、そう願った。
この世界のどこにも存在しない、過去にも未来にもありえない、子供のような理想論。
「俺は、その願いが間違いじゃないことを証明したい」
セイバーは笑い飛ばしたりしなかった。代わりに秀でた眉が顰められる。
「シロウ。サーヴァントはマスターの方針に従うものだが、あなたのそれは最も困難な修羅の道だ。それを貫きたいのなら、令呪による宣誓では十分でないように私は思う」
「……そうだな。俺も、そう思うよ」
セイバーの言う通りだった。どれだけ大層なお題目を掲げても、現状ですでに俺は、アーチャーの意思を踏みにじっている。それでもあの令呪を解く気はないのだから、我がことながら身勝手に過ぎた。
「いえ。すみません、言葉が過ぎました。主従のあり方はそれぞれですし、あなたの願いはどこまでも正しい」
俺の気落ちした様子に気を使ってくれたのか、セイバーが明るい声で言う。
「ただ、その願いが正しければこそ。よく話し合うことです。あなたはアーチャーに信頼も信用もされていない。そしてそれは、この戦場においては命取りだ」
――どんな理想も、半ばで命を落とすようでは意味がありませんから、と。
最後にそう言って、青い眼が逸らされる。これで話は終わりだという、セイバーからの無言のサインだった。
*
盆と折りたたみ式の机を手にしたまま木造の扉を開く。近づいたおかげか、中に入ってみれば確かに俺でもわかるくらいの魔力の塊があった。気配は土蔵の奥からしていたが、姿は見えない。
「アーチャー。いるんだろ、出てこいよ」
片手で小さな机の足を広げながら声をかける。組み立て終わって遠坂謹製の中華をその上に置くのと同時くらいに、アーチャーが実体化した。肌は黒いが羽織る布が白いので夜闇では特に目立って見える。
アーチャーは無言で、俺の方――というよりは俺が設置した机と机上の料理とを見つめている。何をしにきたんだ、と思っていることは傍目にも明らかで、なんと切り出したものかとしばし唸る。
「……夕飯。藤ねえ達が来たせいで、お前だけ食べてなかったろ。ああ、いや。お前らサーヴァントが食事をしなくていいっていうのはわかってる」
意を決して用件を伝えた途端、何か言い返されそうになったので慌てて言い加える。
サーヴァントは言ってしまえば幽霊だ。よって人間が食べるような食事は基本的には必要ない。しかし食べられないというわけではないし、少しは魔力に変換できるというのだから敢えて食べない理由もない。なにより一人だけのけ者にするような状態は、俺の気が済まなかった。
「わかっているなら無駄な真似はするな。藤村大河は足りないと喚いていただろう、彼女にくれてやればよかったろうに」
「最初からお前の分も計算にいれて作ったんだ。藤ねえはいつもあんなのだから気にしなくていい。どうしても嫌だって言うなら無理強いはしないけどさ、せめて遠坂が作った分くらいは食べておけよ」
こいつが俺を嫌っているのははっきりとしているが、遠坂についてはその限りではないはずだ。そう思って勧めてみるが、反応は芳しくなくいつもの不機嫌な顔のまま黙り込まれてしまった。
……というか、俺が見ている前で食事をするのが嫌なのかもしれない。野生動物じゃあるまいしと思いつつ、人に見られているまま自分だけ食事を摂るのが落ち着かないのもわかる気がする。こいつと話しているとすぐ言い争いになってしまうし、鍛練は部屋でやることにして俺も母屋に戻ろうか。
致命的に性格があわないのか、アーチャーと話していると腹が立つことばかりだった。お互い敢えて不快な思いをすることもあるまいと、「邪魔して悪かったな」と捨て台詞を一つ残して土蔵を出ようと踵を返す。……が、不意にセイバーの言葉が思い返されて足が止まった。
――俺はアーチャーに『信頼も信用もされていない』。否定しようもない事実だが、言葉にしてみれば虚しい話だった。
(……よく話し合うこと、か)
数秒の再考の末、振り向いた背中を元に戻す。月光の射す入口付近にいる俺からは、陰に佇む男の姿は常より更に彩度に欠けたものに見えた。
日に焼けたような褐色の肌。色のない頭髪。背丈は高く、防砂布で隠されている肉体は鍛練の軌跡が見て取れるほど鍛えられている。アーチャークラスを与えられるだけあって、射撃の精密さと威力は常人を圧倒していた。少なくとも複数の武具を有しており、狙撃手でありながらランサーやセイバーとも渡り合うだけの技術を持つ。本人曰く聖杯にかける願いはない。こんなところだろうか、俺がこいつについて知っていることは。こうして並べてみれば驚くほど少ない。
振り返ってみれば知らなくても当然だ。そもそも俺が、知ろうとすらしていなかったのだから。
「お前、名前はなんていうんだ」
まともな答えはないとわかって尋ねた。こいつと交わした最初の会話も、思えば似たような質問だったなと思い出す。
「さてな。どうだっていいことだろう? 貴様は私に戦わせる気がないのだから、真名も私の戦い方も、何も知る必要がない」
「必要だとか不要だとか、なんでもすぐそういう風に考えるんだな。命を預ける相手のこと、名前すら知らないなんて不自然だ。それじゃあ理由にならないか」
「命を預けるだと?」
アーチャーの声が震えた。怒りによるものにも思えたし、俺の発言を笑い飛ばそうとして失敗したようにも思えた。
「馬鹿馬鹿しい、じゃああの令呪はなんなんだ? 偽善もほどほどにしておけよ小僧。私は貴様が嫌いだ。剣を預ける気はないし、お前の命なぞ預かるつもりもない」
イライラとした口調で言ったアーチャーは、そこで思いついたかのように「――ああ、そうか」と呟いた。俺を見下ろしたままの男の顔に嘲笑が浮かぶ。
「そうだな。私のような聞き分けのないサーヴァントの行いすらも許してやるという施しは、さぞ気分がいいことだろう。善いことだけをして生きるのは楽しいか?」
「……お前は」
――こいつは、何でこういう言い方しかできないのだろう。
俺は、どうしてここまでこいつの一言に腹を立てているのだろう。
アーチャーの言うことを、その発言に至るまでの思想を追いたかったが、急速に脳髄を熱した感情に負けてとても冷静な思考ができそうになかった。口をついて出そうになる堂々巡りの反論を紛らわせようと、目を閉じて数回深呼吸を繰り返す。
男の言い分を理解したいと思うのは嘘じゃない。こんなやつの言うことなんか理解できない方がいっそ幸せなのかも知れないが、俺が喚んでアーチャーが応えた以上、それは最低限の義務のように思われた。
「……いい。今日はもう戻るよ。このままじゃいつか手が出そうだ。俺は別に、お前と言い争いたいわけじゃないからな」
今のささくれ立った精神じゃ何を言われても挑発のように感じてしまうだろう。話し合いという単純かつ基本的な相互理解のためのすり合わせすらうまくいかないのは先が思いやられるが、根気よく続けて行けば多少態度が緩和されると信じるしかない。「この場所が都合がいいなら好きに使ってくれ」と言い添えて、返事も待たずに今度こそ土蔵を後にしようとアーチャーに背を向けた。
月明かりの差し込む扉から中庭に一歩踏み出す。扉を閉じようと片手をかけたが、せめてこれだけは伝えておこうと最後にもう一度振り返った。
「お前に何か思惑があったにしても、ランサーから助けてくれたことには感謝してる。……じゃあ、おやすみ」
言うだけ言ってすぐに顔を前に戻し歩き出す。
アーチャーが立つのは暗がりだったし俺も逃げるようにその場を後にしたから、彼がどんな顔で俺の言葉を聞いていたのかはよくわからなかった。