#01 不殺の心得
遠坂凛がセイバーを、衛宮士郎がアーチャーを召喚することからはじまる第五次聖杯戦争ifストーリー二話目。腐向け。
版権元:Fate/stay night
注意(シリーズ共通):
腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現
執筆スピード優先で、ダイジェスト気味に場面が飛びますのでご注意ください。
プロローグからたくさんのご評価をいただきありがとうございました。ゆっくりとですが完結目指して頑張ります。
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不殺の心得
人は二度も三度も死ぬことはできない。そりゃあ死ぬの自体は簡単だ。体を焼かれれば死ぬし、心臓を刺されれば死ぬし、あるいは首を絞められても死ねるだろう。だけど、一度きりのはずである。死んだら終わりだ、生き返ることなどありはしない。だから、もし死んだ人間が再び目を覚ますことができるとすれば、それはきっと奇跡というのだ。
絶対に殺されたと思った。間違いなく心臓に穴が開いたのだ。あるいはあの痛みこそ夢だったのだと納得するには、今も鼓動の度に引き攣る胸が邪魔だった。重くふらつく体を引きずって家路を歩く。鞄を持たない右手は自然に左胸へと置かれていた。
自分の身に起こったことなのに、何があったか理解できない。放課後と言うには遅い夜、校庭で二人の人間の殺しあいを見た。いや、人間ではなかったかもしれない。彼女らはあまりに強く、早かった。しかし二つの脚で駆け、両の手で武器を振るう姿は人間のものと全く同じと言ってよい。その二人の片方、赤い槍を携えた男に、この左胸を確かに貫かれた。
ポケットに入れた赤く大振りな宝石のネックレスを思う。あとは死にゆくばかりだった身で何かをできたとは思えない。だから多分、誰かが助けてくれたのだと思う。かつての自分を救い上げた義父のように、また俺は救われたのだ。冷たい血だまりの廊下に残されたこのネックレスが、顔もわからぬその奇跡の担い手が残した唯一の名残だった。
縺れる脚でなんとか家まで辿りつき、暗い玄関で脱いだ靴を半ば放り投げて下駄箱にしまう。鞄も何も投げ出して今すぐ眠ってしまいたかったが、転がり込むように入った居間の食卓を見てふっと日常が思い起こされた。
「桜には悪いことしたな」
ラップで覆われた手料理と、非難の一言もなく先に帰ることだけ書かれたメモを見て呟く。帰りの遅い俺をきっと心配しただろう。さらに申し訳ないことに、今はとても食欲がわかなかった。冬だから痛んではないことが幸いだ。明日食べさせてもらおう。
桜も藤ねえもとっくに帰った静かな家で息をつく。明かりすら点けずにいたが、雲がなければ見事な満月の夜である。慣れた我が家であればたまに雲が薄れる分だけで光源としては十分だ。
桜のメモを見るために屈めた腰を、駄目だとわかっていても下ろしてしまった。鞄も放って深く息を吐き、両腕をだらし無く投げ出して机に突っ伏す。このまま眠れそうだったが、血で汚れた制服のことを思って必死で意識を留めた。
五回の深呼吸の末気合いを入れて体を起こす。それでも立ち上がる気にはなれなくて、眠気覚ましにと無理矢理頭を回転させるとポケットの中の重みを思い出した。手を入れると細いチェーンが指先に触れた。手繰るようにして引っ張り出す。
眼前に宝石が来るよう掲げ持つと、慣性でしばらく揺れていた。色彩の乏しい夜の中にあっても、ハッとするほど美しく澄んだ赤色だ。チェーンで吊り下げると逆三角形になるよう、底辺の部分で銀細工により固定されている。宝石を見る目などないが、本物だとしたらとんでもない値段になるんじゃなかろうか。
返さなくてはいけない。返して、できれば礼を言いたい。静止したペンダントを眺めて強く思う。言葉もなく立ち去ったことから正体を明かすつもりはないのかもしれないが、せめてそれくらいは許してほしかった。手がかりはほとんどないが、いつかきっと――。
思案に沈みかけていたその時。カラン、と鈴が鳴った。金属音ではなく木製のそれを振るったような音だ。意識を切り替えて耳をすます。手にしたペンダントをポケットに戻し、立ち上がる。
魔術らしい魔術を見せてくれない爺さんがはっきり残してくれた魔術たる結界が反応する音だった。この音がするとき、すなわち招かれざる客の来訪を示す。害意あるものの侵入に反応し、家主にそれを伝える結界。
脈打つ鼓動の音すら邪魔だと感じた。息を殺しながらそっと武器を探す。藤ねえの残した丸めた鉄製ポスターくらいしかなかったが、無手よりはマシだと拾い上げた。
一呼吸の後、呟いて回路を開く。激痛が齎す呻きすらも飲み込んだ。炉で熔かされた鉄を流し込むように、手にしたポスターに強化をかけていく。
「――全工程、完了」
最後に唱えてみれば、この土壇場で成功したようだった。普段の鍛練がうまくいかないことが今になってうまくいくことをどう思えばいいか、余裕があれば悩むこともできたのだろうが……。
今はただ戦う手段を得たことを重視しよう。強化したポスターを竹刀と同じように両手で構えて誰とも知れぬ敵を待つ。
寒気に似た感覚が背筋を撫で上げ、体を走った震えを取り払った、瞬間。
「――――ッ!」
悪寒は燃えるほどの警告に変わり、それに押されるように前へと転がり込む。寸前まで俺がいた畳を、担い手ごと落下してきた穂先が音もなく貫いた。
*
ガラクタに思い切り突っ込んだ。肺から押し出された空気を追うように息を吸ってすぐ咳き込んだのは、舞った埃のせいもあるかもしれない。一度咳込めば止まらない反射を意志の力で押さえ込んで前を向いた。四角く切り取られた中庭の中、俺をここまで蹴り飛ばした長身の男はすでに土蔵へと足をかけていた。
「機転も利くし基本の動きも悪くねえ。ただ力も魔術もからっきしだな」
襲撃者は身勝手にも落胆すら滲ませてそう言った。勝手に押しかけて来て偉そうに、と思ったところで無駄口を叩くほどの余裕もない。
全身を青で包んだ、しなやかな獣を思わせる男だった。広く遮るもののない草原に放てば、一つに纏められた青い髪を尾のように翻して駆けるのだろう。健康的な陽の光すら彷彿とさせる男だったが、ほの暗い夜の中で怪しく光る禍々しい赤槍を手にする姿は温情も嘆願も切り捨てる非情さのみを浮き彫りにさせた。
「この時代、こんなものかね。見られれば殺すというのもわからんでもない」
槍使いの歩みはゆっくりとしたものだった。反抗されることなんて恐れていないような――いや、反抗されることこそを望んでいるような悠長さだ。死に物狂いにかかってくるならそれも一興とばかりで、それがひどく気に障った。
なんでもいい、まだ諦めない。何かを求めて固い土蔵の床を爪で削った。せめて一矢報いると決死の覚悟を決めたわけではなく、ここで絶対に殺される運命なのだとしても、ただ殺されたくなかった。こんなところで、手の一振りで虫けらみたいに奪われていい命ではない。あらゆるものを踏みにじって、救われたままここまで来たのだ。一度目は炎の夜に、そして二度目はまさに今夜、赤い宝石の持ち主に。
「悪いな坊主。だがまあ、ちったあ楽しめたぜ。せめてもの手向けだ。今度こそ殺しきってやる」
歯を食い縛る。ポケットの中の重みを思った。青い男のつまらなさそうな口上も遠く、蹴られた胸の痛みも膜を隔てたように薄い。クルリと回されこちらに向けられた切っ先もまた、遠かった。
「まだだ……」
一度貫かれた心臓はうるさいほどに動いている。だったら、まだ。まだ終わらせない。心から思って、点で迫る穂先を睨み上げた。
「こんなところで、俺は死ねない――!」
叫んだ。
それは見下ろす男の眉一つ動かさない、無力な筈の叫びだった。それに応えるものがなかったのなら。
左の手の甲に火が灯る。そこから何かが流れ込むような、あるいは流れ出すかのような感覚。灼けた炉が、煮えたぎる鋼が、内側から俺を燃やし尽くそうと迫っている。
寂しいばかりの丘の中、錆びた剣を見下ろしていた。
「愚かだな。結局オレはお前を殺すぞ」
静かな男の声がする。
それでもいいと、それで構わないと――。これは大事なことだと思うのだが、忠告を無視して先に手を伸ばしたのは、俺だった。
*
鉄を打つ音が、二度。
それから青い槍使いが大きく後退し中庭に着地してからようやく、助けられた事に気づいた。
見上げると男の背がある。僅かな攻防の名残か、首から足元まで覆う大きさの古ぼけた白い防塵マントがはためいていた。それも無風の土蔵の中ですぐにおさまる。
ゆっくりと振り向く男を捉える視界の端で何かが煌めく。一瞬そちらに目をやって、男が手にする白い中華剣に気がついた。よく鍛えられ研ぎ上げられた刃が月光を弾いて主張を上げる。
槍使いに劣らぬ長身で槍使いより優れた体格を持つ男は白と黒で構成されていた。肌はムラなく灼けて褐色で、額を晒して撫で付けられた髪の毛は褪せた白色だ。限界まで鍛えぬかれた体躯を覆う袖のない服と分厚いズボンも黒く、それを隠すように首から巻かれた大きな布は薄汚れた白をしている。視線のあった瞳すら、色のない灰の色だった。
背負った月が影を落として表情はうまく窺えない。満月が切り抜く男の影の黒の強さにようやく、分厚い雲が一時晴れたのだと思い至った。
「お前は……」
低い声だった。
似たようなことを言おうとしていたところに、不思議と聞き覚えのあるような声がして、目の前で声を発した男がいるのに自分で喋ったのかと錯覚する。
男の一言目には垣間見えた驚愕も、一瞬で取り繕われてなくなった。逆光でわかりづらい顔には、僅かな笑みが浮かんだように思えた。
……何を笑うんだ、この状況で。
反感に似た疑問が沸き上がったが、男が振り返っているのも僅かな時間だった。すぐに土蔵の入口に向き直る。白布に遮られた視界の向こうに、険しい顔の槍使いの姿が時々覗いているのがわかった。男は槍の石突きを地面に置いて、空けた左手を腰に置いて重心を傾けている。
「……セイバー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。とくれば貴様は、アーチャーと呼ぶのが妥当か? 七体目のサーヴァントよ」
「さて、所詮これは名など意味を成さぬ殺し合いだ。君の好きに呼べばいいさ、ランサー」
距離を取って人を殺すための武器を携えたまま、世間話に似た軽い口調で俺の前に立つ男が返した。
「借り物の名だとて無意味じゃああるまい。獲物を出しな、アーチャー。喚ばれたばかりだ、それぐらいは待ってやるよ」
ランサーと、振るう武器そのままの名前を呼ばれた狼に似た男が言う。褐色肌の男に隠れて見えないが笑っているに違いないと想像できる、挑発とするには率直な楽しみを滲ませた声だった。
「結構だ。というよりも生憎、誇れるような弓を引いた記憶はとんとない。お相手するならこちらになるだろうが――」
言葉とともに右手の白い剣を軽く持ち上げるが、一拍の沈黙ののちすぐに下ろされた。
「正直、君にかかずらっている暇も意義もない。幸い理性なき獣ではないようだ。取り引きをしないか、ランサー」
「……言ってみろ。聞くだけは聞いてやる」
「別にどうということもない。ただ、ここは一度退いて欲しいというだけだ。君か、君のマスターの狙いはこの小僧だろう? だったら損はさせんよ。果たし合いがお望みなら、心配せずとも後でいくらでも付き合おう。そうしてくれた方が私も色々と気兼ねない」
「何?」
ランサーが怪訝そうな声を上げた。
そのまま二人無言の束の間が過ぎ――音のないまま空気が凍った。
「そういうことか、弓兵が」
吐き捨てる声がする。
冬とは言え世界がいきなり凍りつくはずもなく、体の震えも錯覚だ。だが氷柱で貫かれたかのような、耐えがたいほどの寒気だった。突然のランサーからの凍てつく怒気を一身に浴びているはずの男が平然としているのが信じられない。
「見下げ果てたぜ。最後の一騎が貴様のようなやつとはな」
「何故君が怒ることがある? 今まさに殺そうとしていたところだろうに」
「オレにとっては殺すべき相手だ。今となっては敵マスターでもある。……が、貴様は違うだろう。誰を頼って現界を果たせたと思っている」
「得意げにクラスを言い当ててみたにしては勘が鈍いな。私がアーチャーだと言うのなら、スキルを思えば一人目にこだわる理由もあるまい」
手にした武器が振るわれないことが不思議であるほどの殺意に満ちた言い争いは、いよいよ高まったランサーの殺気に終わりを見た。
座り込んだままでは危険に思えて、できるだけゆっくりと立ち上がる。少し体をずらすと、知らぬ間に赤槍に両手をかけて腰を沈めたランサーの姿が見えた。やはり獣のような印象を受ける――それも酷く狂暴で、怒り狂っている。
「もういい、不愉快だ。貴様は一生口を開くな」
ぞっとするほど冷たい声だった。それでも、アーチャーと呼ばれた男はなんでもなさそうに呟いた。
「死者に対して『一生』とは、妙なことを言うものだ」
挑発に似た指摘に、もはやランサーは応じなかった。低く身を伏せ、ついに怒れる餓狼が地を蹴る。
「……そこから動くな」
低く呟かれた声が、自分に宛てられたものだと気づくより先に、白い布をはためかせた男は、青い槍使いの突進に応じていた。
*
動くなと言われても、指をくわえて見ていられるわけじゃなし。
そっと足音を消して中庭に出た。視線は二人に固定したままだ。警戒もあったが、正直に言うと目を奪われていた。
赤と白が閃いては、軽くしなやかな動きに反して体ごと震わすような轟音を立てて激突する。剣合の数は判然とせず、めまぐるしく立ち回る男たちの姿が残像を伴ってなんとか見えた。
気付けば呆と口を開けていた。どう見たって人を殺す威力を持った一撃の応酬だ、止めなくてはと思うのに足も出なければ声も出ない。強い。いや、強すぎる。こんなものは人の技ではない。
人ではない強さ――それを成しうる手段に一つだけ心当たりがあった。あまり具合がよくなさそうでフラフラしてても、結局一度も勝てなかった親父の姿を思い出す。なんで勝てないんだと喚いてみれば、切嗣は困ったように笑って「僕はズルをしてるからね」と俺の頭に手を置いた。
そんなことを思い出すように落とした、視線の先。まだ熱を持った左手が、奇妙な紋様に彩られていることに気づいた。痣とするにはあまりに幾何学立った左右対象の図案。どこか、剣に似て見える。
(――――剣)
俺はそれを知っていた。ずっと夢に見てきて、それからついさっき、この手で手繰り寄せたのも錆びた剣だった。いや、厳密に言えばそれらは同じ剣ではない。夢見ていたのはいつだって、輪郭すら拝めぬほどに輝く一振りの宝剣だ。先ほど幻視した剣とは似ても似つかない。だけど不思議な実感だった。二つの剣は同じではないが、同じものだった。つまり、俺はこれらを知っている。
「――っ! たわけが!」
叱責が飛んだ。
呆けていたのを自覚してハッと顔を上げると、白布を翻した男が眼前にまで迫っていた。ほとんど目で追えない速さでしなる片足の意図を直感して、慌てて両腕をクロスさせて防御姿勢を取った、直後。
大砲で吹っ飛ばされればこんな気持ちになるのかもしれない。蹴りの威力はあまりに強力で体ごと十メートルは蹴り飛ばされた。背中から地面に衝突し中庭の砂利に晒した皮膚を削られながらなんとか滑る体を制動する。一瞬のことだというのに土蔵とは逆の庭の端まで移動させられていた。
蹴りを真正面から受け止めた両腕は痛みを通り越し痺れしか感じ取れない。まともに持ち上がらないのを見るに折れているんじゃあないかと疑うが、悠長に体の調子を確かめている時間はなさそうだ。ランサーと切り結びながら後退してきた褐色肌の男が怒りも露に声を荒げる。
「邪魔だ、動くなと言ったのすら聞けんのか大馬鹿者め!」
体勢的に尻餅をついたまま男の背を見上げる形になる。こちらに視線すらやらないまま吐き出された台詞にムッとした。
「意味くらいわかる。けど、なんでお前の言うことを俺が聞かなくちゃならないんだ」
自分でも不思議だが、こいつを見ているととても気に障るのがわかった。見下ろされる身長差も、低い声も、武器をとる無骨な灼けた肌も、何もかもが気に食わない。冷静に考えれば俺の命を寸でのところで拾い上げたのはこいつなのだし、動くなと言うのは忠告の意味が濃くあった。だから俺の反発にはおおよそ根拠がないものなのだけど、それでも唯々諾々と従うのは嫌だった。
しかし流石に、俺の言を聞いて首だけで振り向いたアーチャーの眼光の鋭さに多少後悔した。言葉もなく、瞳孔だけ開いた男の胃腑が激情で焼かれているのが傍から見ている俺にもわかる。ゆらりと振り返る男の意図ははっきりとしていた。座り込んだままはまずい、殺意に怯んだ体になんとか鞭を――。
「――っ、後ろ!」
当然だが彼らは戦闘中で、背を向けるなど最大の隙である。視認よりも先の感覚、気配としか言えない暴威の接近に咄嗟に声を張り上げた。白布の男が舌を打って白刃を構える。甲高い音が響いて火花が舞い、ランサーと呼ばれた獣じみた男の姿を照らしあげた。
隙を晒したのはアーチャーの落ち度だろうが、目にも止まらぬ強襲を一撃いなしてみせたのは見事だった。しかし、魔槍を防いだ代償に男の姿勢は大きく崩れ、何より右手の剣が消えている。
背後でサン、と音がした。獲物を弾き飛ばされたのだと思い至った時に、ランサーの声がした。
「まぬけ」
刺突が一瞬ならば、戻しもまた一瞬。二メートル近い赤槍は既に引き絞られ、解放の時を待つのみとなっていた。アーチャーに武器を拾う時間は明らかにない。
助けないとと、何かを求めて手を握ったが、そこに武器になるものなどなかった。こういうときのために日々鍛えてきたのに、結局俺の無力はいつまでも変えられないで現実として横たわる。
――だけど今、手本の様に宙をなぞった手があった。
右腕を跳ね上げられた不十分な体勢のまま、男が何も持たないはずの左手をひらめかせる。息を呑んで見つめる俺の目の前で、答え合わせのようにその輪郭が形どられていく。男の手の平の中、粒子は集い、空想は現実に落とし込まれ、剣の形として顕現した。
緊張状態にあったためか、最初の一合だけは目で追えた。のけ反り隙を晒した上半身、その心臓までを一直線に結んだ無駄のない軌跡を待ち構えていたように黒い剣が斬り払う。槍使いの目が驚愕にやや見開かれ――あとはただ嵐であった。
打ち合いの衝撃は地に罅を刻み、押し出された空気は砂を飛ばすほどの暴風となる。たまらず両腕で顔を庇った俺の耳に、遅れた剣戟が届いた。
目まぐるしく立ち回っていた時から一転、両者地に足をつけての攻防となった。上半身の力だけで繰り出されたとは思えない面に等しい突きの全てを、白髪の男が凌いでいく。最中、繰り返しのように何度か手から弾かれる剣もあったが、それに一瞥すらくれず――おそらくいくつかはわざと手放して――何食わぬ顔で男は剣を造り続けた。右に白、左に黒。アーチャーは気づけば両手にそれぞれ武器を手にしており、形状からしてそれらは本来二つで一対の夫婦剣であるとわかる。
そうして少し距離があってもお構いなしに叩きつけられる殺意に耐えることしばし。ランサーが舌打ちし、薙ぎ払いで一瞬の空白を稼いでから後ろへと跳んだ。のしかかるような圧迫感が和らぐ。
「妙な野郎だな。弓兵かと思えば剣使い……それも弾いても弾いてもキリがねえと来たもんだ」
奇妙な話だが、青装束の男からの怒気は少し緩和されたようだった。射抜く視線の鋭さは変わらないが、声には面白がるような弾みが隠しきれずに混じっている。
「誇るほどの弓は持たないと言ったろう? それなりの見世物にはなったはずだ。満足したならお引き取り願いたいが」
対するアーチャーはあれだけの攻防をした割に、殺意もなく、なんなら敵意すら見せないまま語りかけるように言った。一貫して戦闘に乗り気でないようだ。その証拠のように両手剣の片方を粒子へと解いて消してみせて、これで最初と同じように右手の白剣のみが残された。
雲に覆われほの暗い夜の中、しばしの静寂。しかしピクリと眉を上げたランサーに対して、男がじりとわずかに足裏を滑らせたことからお互いに戦闘体勢を解いてはいない。ただ、一時的な空白がようやく俺を冷静にして、いい加減こいつらを止めて何が起こっているのか突き止めなければならないと思い至った。乱暴な扱いを受けて軋む体を庇いつつ、戦いが再開するより前になんとか会話を試みようとした、丁度その時。
口を開きかけた俺の機先を制するように、睨み合う男二人が同時に家の外へ気をやった。釣られて視線を向けるが、何の変哲もないいつもの塀が……、?
いや、変わりはあった。というより、今まさに降り立った。白鳥の着水よりも涼やかに、繋ぐ碇よりも重厚に。風が吹いたが彼女の底冷えた銀鎧を揺らすに足りず、星の煌めきに似た金髪だけを揺らして通り過ぎていく。
ポカンと口を開けて仰ぎ見たのは、実際は僅かな時間だったのだと思う。それぞれの立ち位置を軽く俯瞰した突然の訪問者は、三人分の視線を意にも介さず無言で塀を蹴り中庭に着地した。それから、左手で抱えていた荷物を丁寧に下ろして姿勢を正し、何か両手で剣でも持っているような構えを見せる。
荷物――俺はその荷物に見覚えがあった。結わえた黒い髪が肩へかかるのを片手でピンと弾き、両の足でしっかりと地を踏み締め仁王立ちする一人の少女。憮然にも見える表情で「なんでこんな状況になるのよ」と小さく呟いている。夜闇にも鮮やかな赤い服がよく似合う彼女は、
「と、遠坂……?」
違うクラスの同級生、遠坂凛その人であった。
*
さて、とどうでもよさそうな前置きをして。立ち上がってもなお見上げるほどの身長差。上向けた視線の先、男が静かに名を問うた。
付き纏う既視感と嫌悪感はどうあっても払えなくて、眉根を寄せて返答に迷う。しかし見下ろす男の鉄の瞳に答えないのも癪で、引き結んでいた口を開く。
「衛宮――衛宮士郎だ」
短い答えに、男の眼が硝子玉に似た透きとおりを見せた。
「そうか」
返事にも満たない男の呟きは、突如怒号をあげた根源との交流によって隠される。鉄の瞳は逸らされず、覗き込んでいた俺もろともに無限の回顧が試みられ――知らない記憶が蘇る。
年若い少年がしりもちをついて見上げて来る。子供はまだこれから成長しあらゆることを成しうる可能性を秘めている。
だから俺はその可能性こそを間引かねばならない。
作物と同じだ。一つの果実を守るために、切り落とすべき実だってある。そしてそれは、勿体振らず早いうちに摘み取ってしまったほうがいい。
手遅れになる前に――。握った剣を頭上へ掲げる。少年は怯えたように後ずさりかけたが、うまく距離をとれず無様に足をばたつかせるに終わった。
せめて一太刀でと、思う心の傲慢に吐き気がする。不快感に寄せた眉間のシワはもうすっかり跡になっていた。
月光を弾く白刃が、いずれ破壊者へと至るまだ力無い少年の首筋へと吸い込まれるような軌道を描く。
悲しいのは、これが理想の答えじゃないと知って振るわれる剣の正しさだった。
*
冷えた冬の空気が肌を刺し、夢と現の境が乱れて一瞬ひどく混乱する。
名を聞いた時のまま腕だけを振りかざした男を見るに、瞬きの間の回想だったと思われる。しかし、彼が人殺しの準備を済ませるには十分な時だった。
その切っ先が首筋目掛けて振り下ろされると知っていたから、後先考えず倒れるつもりで後ろへと地を蹴る。予感は強迫観念に似た強い命令をもってして頭蓋を揺らす。
――『こいつに殺させてはならない』と。
深い意味は考えなかった。ただ脳内で言う声に従って全力で体を引いた俺の残像を、男の刃が追いかけてくる。
斬られたかどうかは自分でもわからなかった。むしろ地面へ倒れ伏した衝撃の方が強く感じる。奇妙なほどにゆっくりと進む世界の中、男の左手に粒子が集う。それが形を成すより先に、その二撃目が振るわれる。
確かなのはこれらを知覚できる以上俺はまだ生きているということで、ならばこれも避けねばならないということだった。だけど体勢は最悪で、受け止めようにも武器がない。それでも目だけは逸らしてやるものかと迫る切っ先を追い続けた。ブレのない太刀筋だ。全ての動きに習熟の跡が見て取れて、不釣り合いなまでに澄んでいる。言葉を選ばずに言うのなら、それはとても美しい剣技だった。
半ば見惚れるように凝視する黒い剣が迫る。その近さに流石に覚悟を決めたとき、銀の輝きが色のない男に凄まじい勢いで突進し、なびく白布を俺の視界から掻っ攫っていった。
「衛宮君!」
集中が切れて正常な時間の流れが帰ってきた。止めていた呼吸をやっと思い出して荒れた息を整える俺のもとへ、遠坂が声とともに駆け寄ってくる。倒れ込んだままではみっともないので、慌てて起き上がる。と、温い液体が首元から不愉快に胸へと伝った。
む、と顔をしかめて首を押さえる。痛みは前面から生じていた。手についた生温さを離して見てみると、想像通り血が出ていた。
とはいえ、頸動脈をやられていたらこんなに呑気に出血確認をしている暇はない。単純に皮膚と肉を裂かれたことによる流血だろう。骨ごと切り飛ばしそうな一閃を思えば間一髪というところだった。
今すぐ生死に関わる傷でないと遠坂にもわかったのだろう。「押さえときなさい」と真っ当な忠告が飛んできたので息苦しさを堪えて大人しく圧迫止血を試みる。
先ほどから彼女の振る舞いがあまりにも俺の知っている学園のアイドル遠坂凛と違っていると感じるが、悠長に尋ねている暇はなさそうだ。カァンと聞き慣れない破裂音が響いてくる。アーチャーの手にした中華剣が衝撃に耐えかね砕ける音だった。
俺に九死に一生を齎した銀の影の正体は、遠坂とともに現れた年若い少女だ。無手のまま何かを握っている奇妙な構えを取っているが、更に不思議なことに、構えた見えない何かを重量感もあらわに振り回してアーチャーを苛烈に攻め立てている。アーチャーは時々手にした剣を砕かれては、ランサーに対していたときと同じように幾度も作り直してなんとかこれを防いでいた。距離を空けたがっているようだが、少女に阻まれ苦戦して見える。
「遠坂、あの子は何なんだ? 大丈夫なのか?」
この光景を目にして見た目通りの女の子と思い込むほど馬鹿ではないが、俺より小さな体格と年齢で戦う少女を見るとどうもそわそわとして落ち着かない。
「いいから自分の心配をしてなさい」
答える遠坂の声には苛立ちが滲み出ていた。間近で立ち上る不穏な空気に男女の攻防へ向けていた視線を隣にやると、不機嫌そうにこちらを睨みつける遠坂と目があった。
「……自分のサーヴァントに殺されそうになるこの体たらく。令呪のれの字も知らないんでしょうね、当然」
なんのことだかわからない理不尽な言い掛かりに感じたが、とりあえず素直に知らないと返すと、疲れたため息を一つ漏らした。
「いい、手短に説明するからよく聞いて。まず、彼女たちはサーヴァント。要は魔術師の使い魔なんだけど、実力は見ての通り使い魔なんてもんじゃないわ。だけど私たち魔術師――すなわちマスターは彼らを使役することができる。いくつか理由があるんだけど、一番わかりやすいのはこれ」
遠坂はそう言って、止血に使っているのとは別の、重力に任せて垂らしていた方の左手を指す。突然現れた剣に似た奇妙な痣がある手だ。
「三回限りの絶対命令権。これを令呪と言うわ。令呪をもってすればほとんどのオーダーを聞かせることができる。例えば、『自害しなさい』って言ってもね」
ぞっとするほど冷徹な声だった。その声が続ける。
「命じなさい、衛宮くん」
「なに、を……」
「自害を」
誤解しようもない。遠坂の言い分は苛烈で明瞭だった。
言い淀む俺の沈黙を責めるように、男女二人の――遠坂の言うところのサーヴァント二人の――途切れない剣戟が響き渡る。
それは殺し合いだった。俺がここで黙っていても、いずれ誰かの命が潰えるのだろう。自覚はなくとも、俺はそれに巻き込まれていて、今やその只中にいるらしかった。
「……あなた、殺されかけたのよ。わからない? 断言したっていいけどね、自分のサーヴァントに命を狙われるようなマスターじゃこの先絶対――」
そこで言葉を切り、弾かれたように振り返る。いくらでも剣を作り続ける故の暴挙か、追い込まれ姿勢を崩しながらもアーチャーが双剣の片割れを投擲してきていた。剣士を相手にして普通にあることではない、これにセイバーの反応がやや遅れる。
「凛!」
叫んだ少女が言うが早いか男に背を向けて地を蹴り、ギリギリのところで投じられた中華剣を弾き飛ばす。剣圧が遠坂の黒髪を大きく靡かせたが、彼女には傷一つない。捨て身の守護がマスターとサーヴァントの正しい形だと言うのなら、なるほど確かに俺たちは間違えている。
ランサーにセイバーと呼ばわれた少女が再度振り返り不可視の剣を構える。アーチャーは遂に距離を空けることに成功し、土蔵の屋根上に矢を番えて陣取っていた。射手にあるべき統一の間を全て省略して、しかし乱れぬ必中の矢が放たれる。
一射が十矢を越えていた。それが作業じみた異常な速さで射られ続ける。実際はともかく体感としては万軍を相手にするほどの迫力だった。守るべき人間を後ろにしたセイバーは足を止めて防御に専念せざるを得なくなり、優劣は逆転する。
「……まずい、逃げられる」
鼓膜を揺るがす連続した金属音の中、じりと遠坂が呟いた。アーチャーというのが名の通り弓の担い手であるのなら、距離を開くほど男が有利になるのだろう。見れば雨あられと殺意を降り注ぎつつ、白布の男は少しずつ離脱を図っている。
「衛宮くん、もう何でもいいからさっさとしなさい」
「何でもって言われても……」
「素人だからって舐められてるのよ。そうじゃなきゃ、主従契約を破棄する方法を知っているかのどちらかだわ。このまま逃げられて四六時中狙撃されるなんて冗談じゃない、どっちの立場が上なのかあいつにはっきりわからせてやりなさいって言ってるの!」
苛々とした様子を隠そうともせず遠坂が吼える。相変わらず着いていけない展開の速さだが、彼女の言い分は理解できた。
左手を見下ろす。男を喚ぶ直前、焼き付くような熱を覚えた左手だ。
首からの流血は粘度を増したもののまだ続いていた。男が俺を殺そうとしたのは事実だろう。だけど少なくとも初めの一度、彼は俺を助けたのだ。何かの思惑があったにせよ、そこは紛れも無い事実だった。
俺の都合で呼び付けた癖に、都合が悪くなれば切り捨てるのか?
(――そんなもの)
そんなものは、間違っている。
歯を食いしばり高所の男を睨み上げる。多分俺は、こいつが嫌いだ。わけもなく苛ついて落ち着かない。ならばこいつも俺のことが嫌いなのだろう。その証明のように、放たれる矢の全ては声高に俺への殺意を叫んでいた。俺たちはきっと否定しかしあえない。だけどそれでも――。
「要は、俺はあいつのマスターとやらで、あいつが危険なやつじゃないってことを証明して見せればいいんだな」
遠坂、と呼ぶと呼ばれた対象は怪訝そうに頷いた。
「待って、言っておくけど、令呪は不明確な命令には効きが悪いわ。あなたの力量じゃ具体的で単一な命令じゃないと――」
心配してくれているのか、遠坂が口早な説明をくれる。それを申し訳ないと聞き流しつつ、俺の心はもう定まっていた。
思えば最初からそうだった。それは直感すら生温いほどの鮮烈さを持って俺の脊髄を直接揺さぶっていた。
奇妙な話だが、俺はお前を知っている。だから人の精神を縛る罪悪感も振り切って、俺は堂々と宣告できた。
「令呪をもって命じる」
口上に、男があからさまに顔を歪めた。それを告げさせてなるものかと、連射を捨てて歪つな矢を全霊をかけて振り絞る。明白な隙にセイバーが地を蹴った。
俺はそれらを全く無視して、剣に似た男を見据えて息を吸う。
「アーチャー、誰も殺すな」
願いはそのまま力となり、左の甲で弾けた魔力の塊が世界を震わせて伝搬する。それはまもなく男の元へと到達し――効果は劇的に現れた。