夢のかけら…24年ぶり遺族の元へ 上智大生殺害事件で父の無念新た 

2020年8月27日 05時55分 有料会員限定記事
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警視庁から返却された遺品の一部で、小林順子さんが参加していた英語ボランティア活動の修了証。放火された自宅の消火作業のためか、にじんで読めないメッセージもあった


◆国際ジャーナリスト志望 愛娘の面影まざまざ

 1996年9月9日、上智大4年の小林順子さん=当時(21)=が東京都葛飾区柴又3の自宅で殺害、放火された事件で、警視庁が事件の証拠品として保管していた小林さんの遺品の一部が先月、24年ぶりに遺族の元に戻ってきた。
 ジャーナリストを志し、米国留学に出発する2日前に突然、命を奪われた順子さん。国際問題への考察をまとめた直筆の原稿用紙の端は焼け焦げ、事件の爪痕を物語っていた。ただ、学生生活の楽しそうな写真や、留学前に同級生にもらった寄せ書きなど、遺品はどれも未来への夢でいっぱいだった。
 父賢二さん(74)はまな娘の遺品を見つめ、「順子の生きた証しが残っていた。大きな夢と希望を胸に学生生活を謳歌おうかしてくれていたんだな」と在りし日の姿に思いをはせた。(奥村圭吾)

◆直筆レポート、旅行写真…「よく残っていてくれた」

 「よく燃え切らずに残っていてくれた」。賢二さんは、警視庁から返却された遺品を手にこう語った。遺品はジャーナリストになる夢を追っていたまな娘の人生そのもの。24年前の娘の夢と再会した賢二さんは、娘を奪われた悔しさに震えながら「本当によく頑張っていたんだね」と声を振り絞った。

放火により焼けた跡が残る小林順子さんの論文


 「アメリカ研究・後期レポート『日米経済摩擦について』Junko Kobayashi」。取材当日、賢二さんが封筒から取り出した8枚の原稿用紙の1枚目に、こうタイトルが記してあった。
 これは順子さんが大学時代、米国が対米貿易黒字を出し続ける日本を批判した問題への考察を記したもの。「問題は、双方の文化に深く根ざしたもの」「お互いが努力をし歩み寄ることで、問題解決が促進されるのではないでしょうか」と自らの意見を論じていた。
 「国際舞台で活躍するジャーナリストを目指し、幅広い関心を持って知識を吸収していた」と賢二さんは振り返る。シャープペンシルで書かれた原稿用紙は、放火の爪痕でどれも左端が茶色に焼け焦げていた。

1993年にサマーティーチングプログラムで撮影された小林順子さんの写真

 順子さんは大学時代、小中学生に英語を教えるボランティアサークル「サマー・ティーチング・プログラム」に参加していた。その活動記録や仲間からの寄せ書き、旅行写真のほか、高...

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