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蓮見スイ
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蓮見スイ
@HasumiSuis
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国会図書館デジタルコレクションってすごいな。200万冊も家で読めて、しかもPDFにも落とせる。
しかも著作権も切れてない1990年代以前の本がたくさん入っているから、名著って呼ばれるような本が大量に入っている。
教養の宝庫だ。これ、知らないと損している。
『ぬきたし』って、ネタにされているけれど、選挙に選ばれた県知事がドスケベ条例という性の形を規定する条例を作ったことにより不特定多数との性行為が強要される世界で、主人公たちは純愛、特定の人との性行為を取り戻すためにレジスタンスを起こすという、正統派ディストピア文学なんですよ。
教養を手に入れたいなら多分新書を読むのが良い。本屋の新書コーナーを眺めて好きなものを買えばいいけど、レーベルごとに難易度変わるので注意。
一番難しいのが、岩波新書。
次点で中公新書。
程よいレベルが、ちくま新書、光文社新書。
ちょっと変わった本が読みたいなとなるなら、ハヤカワ新書。
言語化せずに、ボケーっと何かを見て、ボケーっと好きだなあって思う方がきっと幸せなんだろうな。
別に好きという感情に、批評家しぐさはいらないなあと漠然と思う。
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蓮見スイ
@HasumiSuis
「好きを言語化する技術」という本が出たときにも思ったけれど、好きは個人の好きに留まらず、社会において好きを発信しなくてはいけないという切迫感がこの社会にあるのだなあと感じた。
好きという個人的な感情が、否応なく社会に引きずり下ろされ、言葉にすることが求められる。
この本かなりヤバい。
アンケートやテストとか数量的なデータを評価に使いすぎることが、むしろ世界を悪くしてると指摘する。
データを取るために余計な仕事が増え、良く見せようと負のインセンティブが働く。
みんな自分の判断が信用出来ないから、データという絶対的に見える幻想物に頼ってしまう。
ダサいかもしれないけれど、ちゃんと本を読もうと思い始めたきっかけって、中学生の頃に岡田斗司夫やDAIGOにハマったのがあって、彼らから学ぶことの大切さを学んだ気がするんだけれど、ある程度いろんな本を読むようになって彼らを批判してしまうようになって、何か親不孝みたいな感覚がある。
「好きを言語化する技術」という本が出たときにも思ったけれど、好きは個人の好きに留まらず、社会において好きを発信しなくてはいけないという切迫感がこの社会にあるのだなあと感じた。
好きという個人的な感情が、否応なく社会に引きずり下ろされ、言葉にすることが求められる。
この本、だいぶヤバい。
遠近法ってのは正しい世界の見方ではないと主張する。
美術の授業で学ぶ遠近法、私たちはそれを自然な世界の見方のように思ってる。
けれど遠近法は世界の見方の一つでしか無い。冒頭で遠近法ってのは歪な見方なのだと思い知らされる。
世界の見つめ方が変わる良い本。
自分の家には文化資本が無かったーとか嘆いている暇あったら、お前が文化資本をちゃんと蓄えるんだ。
本を買って、映画も観て、音楽も聴いて、子供に受け継がれる文化資本を増やしていくんだよ。
お前が文化資本そのものになるんだよ!
文化資本の再生産が起きるかどうかはお前にかかってるんだ!
自己啓発が、むしろ世界を悪くしていると主張する本。
あんまり話題になってない本だけど、とても良かった。
自己啓発本ばかりがベストセラーになるこの世界で、一度自己啓発について立ち止まって考えるきっかけに。
「自己啓発は自分一人の責任、という考えを終わらせる必要がある。」
前も話したけれど、言語化ってある種の騙しで、饒舌に喋るときほど、嘘をついている感覚に苛まれる。
抽象的な感情に無理矢理メスを入れて、歪な形に整形しているような感覚。
美術系資料、どんなにニッチなものでも東京都現代美術館の美術図書室に行けば、間違いなくあるのすごい。展覧会のカタログも大学図書館に入ってないものも多いし、画家の同人誌的な本、部数が極端に少ないパンフレット的なものもあったりする。
情報露出狂という言葉を流行らせたい。
言う必要もない個人的なことを、ネット上でどうしても呟きたくなってしまう人たち。
ある種、社会や情報技術が個人に対して、すべての情報を吐き出せよって促している気もする。
こんなにインフルエンサーへの批判的文章書けないな。ここまでの切れ味が欲しい。
「インフルエンサーの振る舞いは、あたかも救世主のごとくである。
ソーシャルメディアは教会に等しい
「いいね」は「アーメン」である。
シェアは聖体拝領である。消費は贖罪である。」
読書が安上がりな趣味だよと言ってしまうのは、特に小説の文庫本が600円程度で買えてしまうから。
けれど新書は最近1400円はザラだし、専門書は安くても2400円ぐらい。もっと高い翻訳書なら5000円越えてしまう。
読書安上がり論は、結構狭い範囲の書籍を見て言ってそうだなと思ってしまう。
人間って、喋り方が下手なだけで中身のない人間だと思われるし、逆に喋り方が上手いだけですごい人間だと思わせることが可能なので、中身を磨くよりも絶対に話し方を磨いたほうがコスパ良いんだろうな。
就活していてかなり実感した。
文学部に入学した人たちへ。
・課題はほとんどレポートです。
・大学受験のテスト対策のノウハウは何も活かせません。
・過去問なんて出回りません。レポートだもの。
・自分が好きな授業を取りましょう。他人と合わせると興味関心が違って苦しみます。
・レポートは多いときで3000×10本書きます。
「文系学問はお気持ち、理系は客観的で正しいものを研究しているんだ」と言う人たちに対して、科学哲学や技術哲学を持ち出して、「君たちの客観性とは何? 科学も時代的、文化的構築物だよ」って論破する人いないのはなぜだろうか。
誰も本も活字も読まない時代に「言語化」というワードが流行るのは、活字文化の復権の兆候ではなく、言葉に対してみんながいい加減で、適当になった証拠だと思っている。
「言語化」は分かりやすくファストで簡単な言葉を求めていて、本質は言語の軽視である。
取り敢えず印象に残ればいいという雑さ。
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主人公の妹とかは女の子が好きで男性との性行為を拒む的な文脈もあって、性に関するテーマを意外とちゃんとやっている。
そもそもエロゲーで性的満足の性質もあるけど、ある種、性的搾取の風刺も同時に描いているようにも感じる。
160ページで短いし、絵や図も多い本なのだけど示唆に富む本。
動物や虫たちの世界の見方を知ることで、私たち人間の世界の見方を考え直すきっかけになる。
特に「環世界」は、現代人に刺さりそうな概念。
客観性の強い科学で、主観性に注目した素晴らしい本。
無印良品は、ボードリヤールの消費社会批判から生まれたと聞いて少しワクワクしてる。
ボードリヤールは、消費はもはや記号の消費で、人々はパノプリ(パッケージ)だけで買っていると言う。
無印良品のパッケージのあの無個性さは、パッケージしか見ない消費者のアンチテーゼなんだろうな。
「好き」を表明することが、自己ブランディングの道具になってるの、ちょっと怖いよね。純粋に好きって気持ちが、SNSで「私はこういう人」って演出に使われてる。いつからこんな風になったんだろう。
文学部にいる学生、全員いつかは國分功一郎や千葉雅也みたいにアカデミックでバリバリやっていくか、ゆる言語学ラジオや三宅香帆みたいに一般向けの人文コンテンツで食っていくかの2択しか考えてない。
マルセル・モースの贈与論読んでたら、お互いが身を滅ぼすまで贈与をして互いの権威を主張する競争的贈与というものが出てきて、それってオタクの推し文化における消費活動と似てるなあって少し思った
言語化ブームってあるけれど、もっと言葉にならない何かを大切にしたほうがいいのでは?
言語化が下手な人って、作り出した言葉に自分の感情すらも変えられてしまうので、言葉にすることで自分が何を言いたかったかすらも変わってしまう。
そういう人は自分が言語化が下手なことにすら気付かない。
最近読んだ本で驚きだったのは、昔の医学ではホームシックは病気として扱われていて、実際に体調不良を起こすし、最悪死に至る病として扱われていたこと。
奴隷貿易で売られた人達が、故郷に帰りたくて精神おかしくなって死に至ることを、ホームシックとして分類していたのはなかなかに闇深いけど。
現代の人って「コミュニティ中毒」の節があると思う。好きなものがあるなら好きな人と集まろうって意識がどこかにある。
それはネットで好きなものが一緒の人と繋がりやすくなったというのもあるだろうけれど、出来るからといって、わざわざ繋がる必要もないとは思うけどね。
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オンラインでも利用者登録できるので、18歳以上の人はぜひともやってみて。少し今は時間かかると思うけれど。
ndlsearch.ndl.go.jp/register/mail
推し文化について、外から見ると単なる自己満足だけでなく、パフォーマティブ(演技的、見せびらかし的)な意味が込められ、まるで推し=自分のアイデンティティにしてしまっているところに、距離感を感じてしまう。
全身全霊の好きしか許されない、なんとも言えない窮屈な感覚。
「趣味を持つことは良いことである」というのは間違いないのだけれど、あまりにも「好き」なものは良いことであると賛美され続けた現代に、自分はやや違和感を持っている。
人間は常に「好き」という感情で駆動され続けているにせよ、何か現代の「好き」は歪な構造を持っている気がする。
三宅香帆が『なぜ働』でビョンチョル・ハン『疲労社会』を引用していた。
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『疲労社会』を読んでみる。まあ面白い
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『透明社会』を読んでみる。自分の問題系と近すぎて、歓喜。
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『情報支配社会』を読んでみる。最初の10ページで、この本のえげつなさを感じる。
ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」、ラーメンハゲの「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」というセリフを真面目に考察した本のような気がしてきた。