約束(前編)
幼馴染な中学生槍弓♀がすれ違ってもだもだする話。前編。
※槍弓(広義)
※弓側は全員女体化してます
※狂王黒弓、キャス影弓は設定が存在しているだけで、作中での描写はほぼ無いです。
表紙はこちら(illust/50751603)よりお借りしました。
- 329
- 370
- 6,900
震えながら固く口を引き結ぶ私の手を握って、幼い彼は人懐っこい笑みを浮かべる。
「じゃあケッコンすればいいだろ。それならいっしょにいられるじゃねぇか」
薄暗い部屋の中でも、彼の美しい髪は夏の青空のように鮮やかで眩しい。まるで彼だけが光を纏っているかのようにも見えて、私は目を瞬かせる。
「……けっこん?」
ずっと押し黙ったままだった私がようやく口を開いたことに気を良くしたのか、彼は頬を赤らめて益々笑みを深くした。彼の兄と弟とお揃いの小さな犬歯が、ちらりと覗く。
「ヨメにしてやるってこと、おれの」
可愛い子供の戯言だ。同じく幼い筈の私がふいにそう思った瞬間、視界がボヤけた。目の前にいた筈の彼が光の粒と共に遠くに消えていく。
そうか、そうだった。
私は知っている。
これは夢だと。
夢はいつも私の返答を待たずに終わる。まるでそんなものに意味は無いというように。実際、無いのだろう。自分はなんと答えたのか私自身も覚えていない。ただ、夢の中で夢だと認識するのも可笑しな話だなと、いつまでこんな些細な思い出に縋るのかと、自嘲しながら意識は遠のいてゆく。
◇
目が覚めて真っ先に枕元のスマホを確認すると、アラームの鳴る五分前だった。最近はいつもこうだ。一つ溜息を吐いてアラームを解除し、のそりと起き上がる。
「久々に見たな」
夢という名の過去のリプレイ。
幼い頃の記憶。
繰り返されるのは何故かいつも同じ記憶だった。幼馴染だった男との別れの思い出。いや、別れと表現するのは些か語弊があるか。今でも顔を付き合わせることはよくあるのだから。
(……あの頃とは、関係性も大きく変わってしまったがな)
んむ、と隣から妹の寝言が上がって、私はハッと意識を引き戻された。枕に顔を埋める妹の向こうには顔の半分まで布団被った姉の背中も見える。
毎晩、一つの部屋で高校生の姉と、中学生の私が小学生の妹を挟んで川の字に布団を並べて寝ているのだ。
仲が良いからという訳ではなく(いや姉妹仲は良いのだが)、一人に一部屋が当たるほどこの家が広く無いというだけの話だった。
「……朝御飯、作らないと」
あんな夢を見たからといって感傷に浸る時間も必要も無い。他の二人を起こさないようにそっと布団を抜け出し、洗面所へ向かう。顔を洗ってから制服に着替え、ようやく台所に立つと、ようやく気が引き締まった気がした。
三人分の朝食と、姉が学校へ持っていく弁当。少し早く起きてそれらを用意するのが、私の毎朝の日課だった。
「む、卵が無くなるな」
朝食と弁当用に卵焼きを作ったら、それでパックが空になってしまう。放課後にスーパーに寄って買っておかなれば。冷蔵庫に貼ってある買い物メモに『卵』と書き足す。
あと少しで朝食が出来上がる頃になると、姉と妹が起き出してくる。低血圧の姉が、目をこすってまだ眠そうにしている妹の手を引いて洗面所に向かう姿を確認して、つい笑みが零れた。
いつもと変わらぬ朝だ。
長女のオルタ。
次女の私、アーチャー。
末っ子のシャドウ。
両親は既に他界していて、今は父方の叔父夫婦が後見人となって主に金銭面で援助を受けている。この2DKのアパートの家賃も、彼らが負担してくれているのだ。
「……おはよう、アーチャー」
「おはよう、姉さん。おはよう、シャドウ」
「おはよぉ、お腹すいたぁ」
身支度を整えた妹が、さっさとテーブルの上に食器を並べてくれる。姉はコップに牛乳を注ぎながら、まだ覚醒しきらぬ目を伏せて「悪いな」と呟いた。
「いつもお前ばかりにさせて」
「好きでやってるんだ。それに姉さんは忙しいだろ? 暫くは私に任せてくれればいい」
姉は高校三年生で、就職志望ということもあり、今年は何かと多忙だ。それに加えて放課後はバイトもしているので、最近は私が家事を一手に引き受けていた。
いや、それはいいのだ。
家事は好きだし、ちっとも苦ではない。むしろ積極的に任せてほしいくらいだ。ただ、姉としてはどうしても心苦しいのだろう。私からすれば、私とシャドウの為に進学ではなく就職の道を選び、部活にも入らず夜までバイトをしている姉にこそ、申し訳ないと思っているのだが。
「お互い様だ」
「……そうだな」
姉は薄く笑ってコツンと私の頭を優しく小突いた。たった三人の家族。支え合って生きていかねばならない。
「ちぃねぇね、お弁当もう詰めた?」
いつの間にか側に来ていたシャドウが、背伸びをして台所の上にある二つ並んだ弁当箱を覗き込もうとしていた。
「いや、まだだ」
「じゃあキャスターのお弁当はシャドウがやる!」
シャドウは顔を輝かせて洗面所まで子供用のステップを取りに走る。姉はまた表情を曇らせた。
「……あの子には男を見る目を教えてらやんといかんな」
「キャスターは優しいじゃないか」
「お前もか、アーチャー。アイツは外面だけは良いんだ。やめておけ、泣かされるぞ」
「いや、私はそんなつもりは」
姉に誤解される前に急いで否定する。本当にそんなつもりはない。この弁当だって、キャスターの気を引こうと思って作り始めた訳ではないのだ。
「そういえば、真ん中は元気なのか。キャスターやオルタにはよく会うが、アレとはほとんど顔を合わせていないが」
ドキリと心臓が嫌な跳ね方をした。姉に変な意図が無いのは分かっているが、それでもなるべくなら避けたい話題だった。
「ら、……ランサーは、そうだな、元気だと思うぞ。多分な」
「そうか、なら良い」
姉はさして気にした風もなく、生返事をしながらステップを抱えて戻ってきたシャドウと一緒に、自分の弁当箱におかずを詰め始めた。
危なっかしい手付きで菜箸を使うシャドウの嬉しそうな横顔が眩しい。我が妹ながら可愛いいなと思う。自分はあんな風に素直にはなれない。
チラリと壁掛け時計で時刻を確認すると、いつもならとっくに朝御飯を食べ始めている時間だった。今朝はいつもより家を出る時間がギリギリになりそうだ。
(今日は見れないか)
仕方がない。今日はシャドウに付き合おう。私の都合なんて、大したことではないのだから。