【Fate/槍弓】黒猫
第5次アーチャー&ランサー中心 Hollow 日常系ストーリー。
海沿いにある古びたアパートで一人暮らしを始めたアーチャーの中篇小説です。
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「あら、結構いい間取りじゃない」
そう言いながらも足を進める度に舞い立つ埃に顔をしかめつつ、少女はその部屋に足を踏み入れた。
部屋の中はがらんどう。
かろうじて、前の住人が処分に困って置いていった簡易ベッドの骨組みだけが、その部屋に生活感をかもし出していた。
簡素な2DKながらも寝室とリビング兼用の窓際の奥の部屋は、十畳程の板張りのフロアになっていて、一人暮らしであれば色々と融通がききそうだった。
―― 前の住人は外来人だったのか、その残されたベッドも日本で市販される規格のものよりも大きくパイプも太い。
そして土足生活だったせいか、今踏み入る室内には埃と共に、年季の入ったドロのつく足跡が無数に床上に残されていた。
扉を開けた時、それを見て躊躇なく靴のままに奥まで足を踏み入れた己のマスターを、彼は溜息まじりに入口に背をもたれさせたまま、眺めていた。
「見て、アーチャー、ここからの眺めは結構いいわよ?」
「…眺めはともかく、君は誰がここを掃除すると思ってるんだね」
少女はきょとんとした顔をしたまま、振り返り意地悪そうに、にんまりと笑った。
「ははぁ、土足が気になる? 見かけによらず古風な認識ね」
「気になるも何も、では何故この部屋にはわざわざ玄関口に靴箱がついているのか。それとも君は衛宮邸にも土足で上がる主義だったかね」
「失礼ね、そんな事しないわよ。でも主のいない部屋に守る礼儀も無いじゃない」
彼のマスターは無敵だった。
―― 時は半日前に遡る。
「ねぇ、アーチャーお願いがあるんだけど」
聖杯戦争の終結した今はもう、厳密にはマスターではない ―― しかし協定としての繋がり上マスターと呼ぶ間柄の少女に、彼は初めてお願いをされた。
彼のマスターは、命令はしてもお願いはしない主義だ。
「妙な感じだな。サーヴァントとしてなら命令すればよかろう」
「うん、まぁ命令は他に用意してあるけどね」
そう言われると、どちらも聞きたく無くなるのが、彼女を知り尽くしている者の正しい心情だろう。
それでもアーチャーは、立場上嫌でも聞かざるを得ない訳だが。
「実はね、ちょっとお化け退治をして欲しいの」
そしてそのお願いは、正しく彼の理解の範疇を超えていた。
「あら、この窓、開けっ放しにしてたら下に余裕で落っこっちゃわないかな」
ここ三階なのに、とひょいっと上半身を窓からせり出して下を眺める彼女 ―― 凛の腰がふわっと煽られて浮いたのにぎょっと驚き、アーチャーは同じく靴のままズカズカと部屋に踏み込むと、彼女の身体を窓から引き離した。
「あ、びっくりした。窓幅大きいもん。落ちちゃうわね、やっぱり」
「落ちちゃうじゃなかろう…全く君は…」
はぁ、と今日何度目かの溜息をつく。
そしてその腕の中の主をストンと床に落とすと、室内をぐるりと見渡した。
「それで、その化け物とやらはどこに居るっていうのだね」
その室内は、永らく家主の居ない空間独特の薄暗さと無機質さを感じたものの、霊的な干渉を匂わせていない。
この部屋が無人となった経緯は、彼をここに連れてきた凛が語る限り「幽霊騒ぎで入居者が留まらず困っている」管理人より、除霊を依頼されたからだ。
「遠坂家がそんな分野まで精通しているとは知らなかったな」
凛はむっとしたように、乱れた髪を撫で付けながら彼に抗議した。
「誤解無い様に言っておくけど、別にウチは拝み屋ではないわよ。ただ、ここはうちが代々お世話になっている税理士さん経由で管理してもらってる遠坂家の持ち財産なの。入居者も長居してくれなかったら詐欺みたいだし実入りもないでしょ?
特に事件らしい事件が起きた訳でもないのに、最近じゃ自殺者の霊がうんぬんとか、尾ひれが付きまくりだって泣きつかれるし、何せ不名誉じゃない」
「で、もう一度聞くが。私はここで何をすればいいんだね」
主の発言が一度たりとも訂正された事など無い事は重々承知で、アーチャーは確認する。
「ええ、この部屋に居住して、その霊をどうにかして欲しいの」
「生憎だが、私も拝み屋でも除霊師でも無い」
「でも同じ霊体じゃない、しかもあなた英霊でしょう?同じ英霊のサーヴァントが倒せるなら、その他の悪霊なんて楽なもんじゃない」
基本扱いが違うだろう、と言いかけ、また家を出る前の押し問答になる事が予想されたので、それ以上の抗議は諦める事にする。
「まぁ、実際本当に幽霊が居るかどうかも、怪しいんだけどね。
―― で、ここからはマスターとしての命令。私はこれから半年程、ロンドンに行かなきゃいけないの。そこでその間、貴方が私に代わってここから冬木の治安の管理をしなさい。必要なものは全て揃えるから」
それはこの部屋を根城にして、主の不在を守れと言う事だ。
「回りくどい、最初からそう言えばいいだろうに」
「遠坂家の主たる者、どこの馬の骨とも分からない人間に管理を任す訳には行きませんから。いい? 少なくとも私が戻るまではここに住んで、普通の人間として周りと接しなさい。何があって代行者として顔を出す事になるか分からないんだから。これは命令だからしっかり守ってね、サーヴァントさん」
「まぁ、大体は把握した。幽霊の件はともかくとして、命令ならば治安の件は受け持とう。それでいいんだろう?マスター」
「おおむねいいわ。まあ、そう面倒臭そうにしなくてもいいんじゃない?鬼の居ぬ間に息抜きって言うじゃない」
そう目の前の、自称小鬼はにっこりと彼に微笑んだ。
「地に足をつけた生活も、たまにはいいものだと思うわよ」
このアパートの名は『ランブルフィッシュ』
スカイブルーの外装に彩られた3階建てで小造りの、海沿いに面した鉄筋建ての古びた借アパートだった。
その名の元となる小さな熱帯魚を彼は脳裏に思い浮かべる。
「…人間として、ね」
ひらひらと可憐な尾ひれをなびかせた、鮮やかな色彩に彩られたその魚をそう呼ぶのだと。
以前、猫好きなこの主に、飼えないから見るだけだと、無理矢理連れて行かれたペットショップで店員に教えてもらった事がある。
コップやポット等の場所をとらない容器でも簡単に飼育できるその魚は、だがその可憐な外見とは違い、実は生命力が強いのだと ―― だからこそ、それに甘んじで飼育を怠る飼い主にかかると、やはりあっという間に死んでしまうのだと、店員は寂しそうに笑っていた。
小さな器に収められたその姿が、まさに今の自分のようだと彼はひそかに苦笑した。