拝啓クー・フーリン様
とあるカルデアのエミヤと、フレンドさんのクー・フーリン(槍)とのお話です。召喚先で自身の立場に悩むエミヤに、フレンドのランサーが交換日記をしよう!と提案して…。ある方へ書かせて頂きました。
”フレンドさんのサーヴァント”、という響きよくないですか(’-’*)色々とんでもない設定だのなんだのが入っているので、都合よくそこは薄目で見て頂けますと幸いです。
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※ここのマスターは冬木クリア済、影弓とのことがあり冒頭で感慨深くなっています。
矛盾としてここのカルデアに何故クー・フーリン(術)がいないかというと、BOXの中にいるからです。種火が回せないのでコールドスリープです ということを今思いつきましたので宜しくお願い致します^^
招かれる声に応じ召喚された先は、カルデアと呼ばれる場所だった。
未だ魔力が色濃く滲む空気の中、薄暗い室内で足元の召喚陣が淡く燐光を放っている。ぱらぱらと青い光の粉が散る先、陣の外に立つ人物に視線を向けた。
幼く見える少年……否、青年だろうか。
私をここへ招いたマスターは、何故かくしゃりと表情を崩し唇を震わせた後、感慨深げに暫しの間目を伏せた。
すぐに薄く瞳を開き柔らかい笑みを浮かべ、爪先から天辺まで視線を向けた後に、元気よく「はじめまして!」と挨拶を寄越してくる。はじめまして、その言葉が不思議と胸に響いたが――結局何故かはわからないままだ。
此度の召喚は、正規の聖杯戦争は行われていないらしい。
ここがどういった場所であるのか、何を目的に行動しているのか、私に何をさせたいのかを彼は殊更丁寧に時間をかけて説明をした。世界を守るためにどうか助力してくれと、最後は仰々しい言葉で括られた。
「何人も英霊を召喚していると言ったが、毎回時間をかけて説明をしているのかね」
「うーん、ある程度は。でも今回は特にかな」
「何故」
「……、必要だと思ったからかな。いや、僕がしたいと思ったからだよ」
意味深に含みを持たせた物言いに片眉を跳ね上げるが、微笑まれるばかりで結局はぐらかされてしまった。
が、何故だか不信を抱くこともなく、そうかと胸にすとんと落ちてくる。違和感がないことが引っかかりはするが、不思議と口に出すことは憚れた。
「お願い、できますか」
どこか不安げに上目に見上げ尋ねられ、双眸を眇めた。
大きな使命を背負っておきながら、守護者一人如きに対してこの対応。あまりに頼りない。成程、これならば手を貸したいと思う者達は多くいよう。例外もあるだろうが、多くは頼られることを好ましく思うような連中ばかりなのだから。英雄とは元よりそういう存在だ。
小さく溜め息をつくと、びくりと肩が跳ねた。こちらの同意を求められなくともさしたる問題もなかろうに。令呪だってある、最悪忠誠を誓わせることもできるだろう。何をそこまで気にすることがあるというのか。
(まったく……)
問われるまでもなく、答えは決まっていた。
世界の平和の為に一人のマスターに仕えること。この身にとってどれ程の身に余る名誉であることか、きっと彼は知らない。それなりにいくつか気になることや懸念すべきことがありはしたが、重く低く承知したと短く返事をした。
「私でよければ力を貸そう。宜しく頼む、マスター」
翳っていた表情が、ふわりと花咲くように綻び笑う。
きっとこのときの表情を忘れることはないだろう。どんなことがあろうとも、決して。
それが後に自分を苦しめることとなるとも知らずに。
今思えばだが、あの頃の私は柄にもなく期待をしてしまっていたのかもしれない。
崇高な目的を持ち、世界平和の為に召喚されたサーヴァント同士が一時休戦し力を合わせる。肩を並べて、時には背中を預けることもあるだろう。常の――名高い英雄達と刃を合わせられるような――とはまた異なる種類の誉があり、無意識の内に浮かれていたのかもしれん。
すっかり忘れてしまっていた。英雄とは常軌を逸した存在であり、常人とはスケールが違いすぎるものだ。
つまりなんというべきか、簡単に言えばキャラが濃く突っ切っている。もっとわかりやすく述べるのであれば、性格に難がある者が多い。
……何が言いたいか? 広くはあるが限られた空間の中、何人もの英霊が顔を突き合わせ生活をしていればどうなるか。考えるまでもない、様々な問題が山のように出てくるわけだ。
私とて別の世界軸で幾人もの英霊に出会い、彼らと戦った身だ。その辺りを理解していたはずだというのに、改めて突きつけられた現実に酷く頭を痛めた。
「ちょっとした戦争だな」
「呑気に感想を言っている場合じゃないでしょっ!」
人口が増えれば自然と問題は生じやすいものだが、英霊も同じだ。
案内されたのは食堂だったはずだが、中ではサーヴァント同士の戦闘が始まっていた。
なんでも口論からうっかり殺し合いにまで発展しているというのは、近くの机の下に隠れていた職員から聞いた言葉だ。
(シュミレーションルームとやらではないはずだが)
現場を眺めていると、隣で立っていたマスターの顔色が見る見るうちに青褪めていった。諫めにかかり声を張り上げているが、止まりそうな気配はなかった。
よりにもよって何故食堂で諍いを起こすというのか、このバカどもは。
見たところ知った顔もありはするが、殆どは見ない顔だった。さすがに宝具を展開させる様子はないものの、男女入り乱れてやりあっている。
どいつもこいつも争う口実ができたとばかり目の色を変え、嬉々として得物を手に獰猛な笑みを浮かべている
……野蛮だな。猿かこのたわけ共が。頭痛がする、意味がわからない。
机はひっくり返り、割れた皿が散乱し、テーブルクロスだった物らしきボロ布が可哀想に隅に蟠っている。
マスターがおろおろと泣きそうな顔でどうしたらいいかわからず狼狽えており――ああ、厄介な場所に喚ばれてしまったなとつくづく思った。
その場は結局何もせずに介入しないまま終えたが、聞けばレイシフトに同行しない者達の多くは、長い時間このカルデアという場所に閉じ込められて過ごすらしい。成程、道理で……。
「元から血の気が多いという理由がある者もいるだろうが、大抵は鬱憤が溜まってしまっていることが考えられる。兎角環境を整えることが重要だな」
犬とて散歩も行けずサークルに閉じ込められていればあたもするし、大いに拗ねるだろう。ましてや血の気の多い者は英雄に多いのだから、この現状も仕方がない。
「だからといって甘受しろというわけではないがな」
「!」
「どうにか上手いこと鬱憤を晴らしてやらねばならない」
少し思案し参考になるかはわからないがと口を開くと、すぐに新米マスターはメモをどこからか取り出しせっせとこちらの言葉を拾っては書き始めた。勉強熱心なのはいいことなので、特に触れずに淡々と続ける。
状況を改善するためには、食事、運動、ある程度の娯楽が必要となる。特に一番最初のそれは英霊には必要はないことだが、摂ればやはり満たされ心はある程度穏やかになると思われる。
シュミレーションルームとは別にトレーニングルームを作り、カードやボードゲームなどを用意された。食事の提供には私も関わることとなり、気づけばキッチンを任されることになった。
見立て通り、導入後は殆どの者が暴れることはなくなった。マスターは大喜びし、大きな悩みの種は減ったようだ。うむ、内部のことにこうも悩まされてはおちおち世界も救ってもいられないだろう、我ながらいい仕事をした。
が、それでも片付かない問題というのはやはりある。
例えば元から相性がよくない因縁の者同士だとか、痴話喧嘩だとか、何らかの悩みを抱えてどうにも常々表情が暗い者だとか……。つまるところデリケートな問題を抱えている者達、こいつらが厄介だった。
気遣いのできる者がいればいいのだが、残念ながら筋肉に物を言わせたのかと言わんばかりの連中ばかりで役に立ちそうにない。
それとなく誰それの元気がないのではないかと試しに話を振ってみても、そんな物は体を動かしていればどうにかなるだとか気合が足りんだとか、根性論ばかりで根本的な解決には至りそうにもない。これだから単細胞は困る。
召喚されてからはずっと世話のかかる連中のフォローを入れはしてきたが、そこまで面倒をみてやる必要はないだろう。
サーヴァントとしてマスターに頼られた身として、すべきことは既にしてきた。細かなケアなど誰がするか。私はカウンセラーではない、多少の雑務は請け負ったとしても、メンタルだの面倒ごとだのに関しては仕事外のこと。
「…………」
そう自身の中で言い聞かせてはいたというのに。
「どうかしたのかね」
ついつい声をかけてしまうから、どうしようもない。
――この目は、あまりに見えすぎる。
余計なことが目についてしまえば、気になってしまう。他に任せられる者がいれば気にも留めなかっただろうが、なんせこのカルデア内にはそういったことに長けた者がいないと知っているから、ついつい口を出してしまう。
諍いに巻き込まれもつれることもあった。上手くいかないことだって山のようにあり、冷たい目を向けられることも多い。
だがありがとうと感謝を口にしてくれる者はその倍以上いて、一度だけでなく以降も何度も相談を持ちかけられることが増えていった。
「エミヤがいてくれて助かるよ」
カルデアに身を寄せることになり結構な時間が経った頃、マスターは穏やかな表情で告げた。邪気もなく、悪気もなく、感謝の気持ちが篭っている言葉だ。
だというのにこの胸には苦々しい物しか広がらず、眉間の皺を深く刻んだ。
気づけば英霊の数は更に増え、最初の頃の殺伐とした探り合うような空気は失せつつあり、今や和やかな物へと変じていた。
数が増えれば出番は必然と下がる。レイシフトには同行させてもらう機がないわけではないが、格段に回数は減ってしまい、主な仕事はカルデア内のサポートとなっていた。
頼むとマスターに任されたことを思えばとても喜ばしいこと……なのだろうがな、素直に嬉しいと受け止めることができなかった。
この場では戦うことだけが全てではない。これもまた必要なことと理解はしている。
しかし時折考えてしまう―― いったい何のためにここにいるのかと。
長い目で見て主力になりうる英霊達のサポートをすることは、世界の平和に繋がるだろうと言い聞かせてきた。
しかし任されることがあまりにも、あまりにも御粗末でしょうもないことばかりで……。自分の召喚された意味とは何なのだろうか。アイデンティティーを問う機が増えていった。
……否、聞こえのいいように並べただけだな。実際はそうお綺麗な物じゃあない。恐らくは疲れていた、それに尽きる。毎度毎度相談事ばかりで(しかもくだらないことだ)、うんざりしていた。
そんなときだ、彼に出会ったのは。
「――お前さん、いっつもつまらなさそうなツラしてんなあ?」
「……」
「よっ! アーチャー、今日も宜しくな」
蒼穹を思わせる髪は長く後ろで一つに束ねられ、意思を持つ獣の尾のようにゆらりと揺れる。神性を孕む双眸の色は煌々と燃えるように赤く、その手には負けず劣らず鮮烈な深紅に染まる魔槍が握られていた。
見覚えのある姿ではあるが、私が身を寄せる場には彼はいない。最近レイシフト先で顔を合わせることの多い、フレンドさんのランサー ――アルスターの光の御子、クー・フーリンだ。
なんというべきか、正直複雑だった。知った顔もあるし、この現界時にいつか会うこともあるとは予想はしていたが、その一番初めがフレンドさんのサーヴァントとしてだとは。否、どんな形であれ戸惑いはしただろうが……問題はそこではなかった。
因縁が多いことからして若干の気まずさもありピリピリとしていたわけだが、相手の方ときたら全くこちらに対して気にした様子はない。他の英霊と同じように普通に話しかけてくるし、気さくに接してくるのだ。
ちょっと嫌がる素振りだとか、何かあってもおかしくないはずだと構えていたのにどういうことだ? とんだ肩透かしもいいところだ。これでは逆にまるで私が無駄に意識しているようじゃないか。
(腹の立つ……っ!!!!)
ではこれならばどうだとばかりこちらがこさえたとっておきの厭味を口にしてみるのだが、これもさらりと流してしまうので驚いた。以前ならば絶対に噛みついただろうに、どうしたというのか。私の知っているランサーとは違いすぎて混乱した。
「君、頭は大丈夫かね」
「んー? 喧嘩売りてえの?」
「そ、そういうわけではないのだが……」
動揺しすぎてダイレクトに尋ねてみると、さすがに鼻上にくしゃりと皺を寄せ顔を顰めはしたが、吠えつくようなことは一切なかった。ぶつぶつ文句は口にするも、それ以上はない。
……なんということでしょう。どういう匠の遊び心が働いたというのだ? 大人だ。彼にしては、大人すぎやしないか。
今は敵対していないせいだろうか……? 状況が違えど、それにしても違和感が強い。いっそ友好的ともいえる対応の仕方に困惑した。
「んん? ああ、成程成程……やー、わかんぜ、オレも最初の頃はお前と同じような反応ばっかしてたんだがな。嫌でもここで沢山の手前ェと何度も何度も顔を合わせてると、段々慣れてきちまってよ。いちいち突っかかんのも面倒になってくるんだって」
どこぞのフレンドさんの「私」なんかは穏やかなもので、厭味を口にはするものの目は明らかに子供を見守るそれと同じだったそうだ。
突っかかろうがあしらわれ、宥められ、柔く躱されてしまった。そうしているうちに段々と吠えついている自分が子供のように感じ、喧嘩を売るのはやめるようになったとガシガシと髪を掻きながら小さく笑った。
「断言してやる、手前もじきにこうなる」
「そ、そんなものだろうか」
「応」
ぴ! と指を突きつけられて不覚にも狼狽えた。あるわけがなかろうと咽喉元まで出かかっていたが、何故だか説得力があり、声に乗せ発することはできなかった。
いつぞやの聖杯戦争でやりあったこともあり、いけ好かない相手ではある。
しかし元来は気のいい男であり、竹を割ったような性格である。それに加わり犬のとうにころころと変わる表情に目を奪われ、段々とこの関係性にも少しずつではあるが慣れていった。
血気盛んではあるし今も時間があれば私と一戦やりあいたいとギラついてはいるが、記憶にあるランサーとはやっぱり違っている。
よそのランサーがどうかはわからんが、このフレンドさんのランサーは中々に気遣いの上手な男だった。
最初は気のせいだと思っていたが違う。常に周囲の状況に気を配り見渡し、苦戦している者がいればすかさず助けに入る。乱暴で荒々しい動きを見せはするが、よくよく観察していると自分本位の戦いは決してしない。
戦闘以外にも緊張に顔を強張らせている者なんかを見つけると、肩を叩き殊更明るい調子で話しかけて空気を抜いてやったりと配慮は尽きない。
「さすがだ、皆のお兄さんって感じだよねぇ」
「…………」
うちにも来てくれないかなあなどと溜め息をつくマスターの隣で、なんとも言えない表情で黙り込んだ。
森を散策中、休憩時にふと二人きりになったときになんとなしに気が向き、うちのマスターが褒めていたと教えてやる。無論ただ伝えたわけではなく、言葉の裏には随分変わったものだなという意味を含ませてだ。
察した男は、あー……と微妙げな声を出した。なんぞ気を悪くさせたかと首を傾げると、違う違うと槍を扱う大きな手が宙で振られた。
「なんつうかね……他のオレに刺激されてるんだわ。ほら、この世界にはクラス違いで召喚された姿の自分もいるわけなんだがよ。奴らを見てるとな、よくも悪くもちいっとばかし改めようって気になんだよ」
少し照れたようにはにかむ姿に、すとんと答えを得た気がした。
学ぶべきところは学び、改めるべきところはできるだけ改める。これが本来のクー・フーリンなのだろう。場所と状況が異なるだけで、こんなにも違う存在になるのか。
(いや、違う)
彼は変わってなどおらず通常運転だ。真っ直ぐである魂も性根も今もそのままで何も変わりなどない。
随分摩耗したはずだというのに、不意に『記憶』が途切れ途切れに浮上し再生し、ツキンと左胸が僅かに痛む。目の前の存在がどうにも眩しく感じられ、双眸を眇めた。
「ところでお前さん、相変わらずつまんないって顔してんのな」
「……この顔は生まれつきだ」
「たわけ、そういうことを言ってんじゃねえっての」
不意に確信を突くような物言いにドキリとした。
赤い目が、何もかもを見透かすような視線が突き刺さる。
「なあ、何が面白くないっつうんだ? オニーサンに言ってみろって」
フレンドさんの英霊なのだ、失礼な態度はできない。
そうでなくても気遣ってくれていることもあり、素っ気なく突き放すことは躊躇われる程度には心を許しつつあった。
(どうしたものか)
顔に出したつもりはないし、今までこんな風に声をかけられたことがないので動揺していた。何故彼だけがこうも察したというのか、獣の勘というやつだろうか?
気のせいだよと笑い飛ばすこともできた。彼に倣い大人の反応とやらで、大丈夫だと告げた後に感謝の言葉を添えることもできただろう。
だが不思議とどれも選べず用意していた言葉を全て忘れてしまい、ぽろりと唇から漏らしてしまったのだ。
「話すことが、得意ではない」
ああ、なんとも中途半端な……曖昧な言葉。
失言だったと気づいてももう遅い。ハッと我に返り顔を上げると(そのときに漸く俯いていたことに気づく始末だ、どうかしている)、ランサーは表情一つ変えることすらなく真顔のままだった。
「わかった」
「……ッ」
食い下がることはなく、あっさりとしたものだった。
「ん? オタクんとこのマスターが呼んでる、行こうぜ」
「あ、ああ」
声を絞り出し返事をする。ショックを受けていることに遅れて気づき、二重にダメージを受けた。
なんだというのだ……ありえない。そもそもにして自分から聞いてもらうことを拒んだくせに、何故突き放された気分になっているのか? 酷く自己嫌悪し、立ち直れそうにもなかった。
甘えている、気を許しすぎだ。
(私は誰かに聞いてほしかったのか)
多少疲れていると思い込んでいたが、それなりにストレスを抱えていたらしいと苦く笑う。
情けない姿を晒しはしたが気にすることはない、忘れよう。自分の状況を知ることができたと思えば、悪い結果ではないのだから。二度とこんな失態を繰り返さないように気をつけることができる。
それに気にかけてくれただけで十分だ。こんな身にまで気遣えるとは、さすが英雄である。
悶々として落ち込み悩み続けたが、どうにか自分を励ましいいように思考を切り替えた頃、またレイシフト先で彼と顔を合わせた。
二人きりになることもあったものの、あのときの話は一切出なかったので助かった。平常心を心がけていたおかげで妙な空気も出さずに済んだ。
「ああ、そうだアーチャー」
「……?」
これでいつもの状態に戻れるとホッとしかけた帰り際。敵を倒し一端カルデアに戻ろうとマスターの呼びかけにより各々が帰り支度を整えている最中、ふと呼びとめられて振り返った。
「ほい、これ」
胸元にぐっと何かが押しつけられ、反射的に受け取ってしまう。
視線の高さまで持ち上げて確認してみると、それは一冊のノートだった。今までどこに仕込んでいたというのか、男を見るとにこにこと機嫌よく笑っている。
「これは?」
「ノートだ」
「わかっている、そんなことを聞いているのではない。どういうことかと聞いている」
「ん? ああ。アーチャー、オレと交換ノートってやつしようぜ!」
「は…………?」
こうかん? のーと??
神代の英雄の口から出てくる言葉としては随分可愛らしいそれに耳を疑った。できれば聞き違いであってほしいが、そうもいかないらしい。
「いやあ、あのよお。オレんとこで英霊が一気に増えたときがあってな、KAKIN……だったか? 召喚に使う石を一気に集める現代魔術を駆使した時期だ」
課金という言葉もできれば聞きたくはなかったが、この男が俗世に塗れているのは今更すぎる気もするのでそのあたりの衝撃はさして受けずに済んだ。
あれ凄えなあ! などと感心している声が無邪気なのがまたなんとも言えない気分にさせてくれる。触れるのはよそう、深く考えては負けだ。無心、無心で用件に耳を傾けろ。
「人口が増えたせいでコミュニケーションが減っちまうのが気になるからと、マスターがやろうって持ちかけたときがあってよ」
「ああ、それで存在を……。で? 何故私に?」
「話すのが苦手っつっただろ、それに書けっつってんの」
「…………」
覚えて、いたのか。
ぱちぱちと白い睫毛を瞬かせた。次ぐ言葉が咄嗟に出てこない。
何故、どうして。もういいのではなかったのか。
私が半端な態度をとったから、煮え切らんつまらない男だと呆れてて、あの話は終わりにしたのではなかったのか。こんな物まで持ち出してきて、交換ノートだと? よりにもよって何故こんな手間のかかる方法を選んだというのか。バカじゃないのか。
あまりに幼く効率のいいとは思えない手段に(何が正解なのかはわからないが)、毒気が抜けただろうがたわけが。
言ってやりたいことは山のようにあったが――目前の笑みを前に全てが消え失せた。
にっこにっこと人の動揺なぞ我関せず、それはそれはご機嫌に笑っている。
どうやら頭の浮かれ具合が伝染したらしい。昏い底から引きあげられるよう、ゆっくりと気持ちが浮上していく。
咽喉を緩慢な動きで上下させた。心情を悟られないよう、表情に出さないように努める。嬉しいなんてことがバレでもしたら――本気で立ち直ることができない。
「何故、こんなことまで」
「オレが気になるし聞きてえからだよ。お前さんは何も深く考えなくていい。オレがしてえってんだ、腐れ縁のよしみで付き合えや」
突き返すのは中身を書いてからだ! などと眉間に皺を寄せて言い放ち、胸を指でトンと突かれた。
「何も考えんな」
「でも、だが」
「アーチャー、手前は真面目すぎる。オレが一時、お前の青いサボローになってやるっつってんの」
「さぼ……??」
トン! と石突で地面を打つ。
……やれやれ、こちらの意見など全く聞いていないらしい。これは言い争っても無駄だろう、退く気はないのだから。躍起になる方がバカをみる。
「…………なんだそれは」
「知らないのかよ、遅れてる!」
フレンドとは、いつ切れてもおかしくはない薄い縁だとランサーは穏やかな声で語った。
(そういえば、マスターも言っていたな)
カルデアでフレンドリストを淋しげに眺めながら眉根を下げていた。
「オレとしては最高のカルデアだと思っているよ? でもサポートに呼びだす相手として見ると、ちょっと物足りないみたいなんだよね」
指先は昨日まではあったはずの名を探し、上から下へと二度程彷徨った。幾度辿ったところで再び表示されることはないのに、念入りに探している。
「うちは星五の英霊もいないし、概装だってぱっとしない、他所様にとっては魅力は少ない。だから繋がりがいつ消えてもおかしくはないと思っているよ」
やがて諦めて名を連ねるリストを閉じて肩を竦めた。
そうだ、彼とは一時の間柄かもしれない。とてもとても、薄い繋がりの……。
「一時のもんで、軽い縁だ。だからこそ言えることもあんだろ。気にせずぶちまけちまえよ」
そうか、ならば言ってもいいのかもしれない。
通り過ぎていく者で、どうせいつか消えてしまうような相手なのだ。
ならば少しくらい吐き出しても問題はないのではなかろうかと考えが揺らぎ始める。というよりもどこかで流されてしまいたい気持ちが強かったのだろう、逃げ場をずっと探していたらしい。
こうして私はランサーとこの奇妙な交換日記を始めることになった。
何の変哲もない薄いノートをパラパラと捲ってみると、最初の一枚目には驚くことに既に文字が綴られていた。しかも一行だけだとか、一言だけといった短いものではないことがわかった。
何が書かれているというのか、というかこの男が日記に綴る内容とはどういうものなんだ?
そもそもにして文字をこうやって綴ることもできたのだなと変な感心をする。普段からは繊細さの欠片も感じられない輩だ、こういったまどろっこしいことは嫌いそうな雰囲気があるというのに。
もう建前も理由も本心も正直どうでもよくなり、単純に興味がわいてきた。
大きく開けて確かめようとすると、そっと節くれ立った手を上からやんわりと重ねられ閉じられる。白く長い指が褐色に絡む光景にざわりと肌が粟立ち、何故だか緊張に身を強張らせた。
「待ちな。こういうのはな、家で読むもんだぜ」
「家はないのだが」
「だあもう、自室だ自室! どっちでもいいだろ、人のいねえところで読めっつってんだよ。じゃあな!」
現地解散で自分の居場所へと戻る男はブンブンと槍を振り、もう役目は終わったとばかりあっさりと消えていく。
手元に残された物に視線を落とす。聞いてやる義理はない……が、なんとなく。なんとなーくたまには聞いてやってもいいかという気分になってくる。
(誰かに文字を貰うことは、そういえば久しぶりだな)
この紙の中に自分に書かれた言葉がここにあると思うと、ここで開いてぱっと流し読みしてしまうのは確かに気が引けて勿体ないとすら感じられた。
考え込んでいると視線を感じ、すぐに顔を向ける。
「……」
少し離れた場所でいつから見ていたのだろう。ニヤニヤニヤニヤとやたら意味深に笑うマスターの姿があり、むっと眉間の皺を深くした。
「帰るよ、エミヤ」
「…………」
「おうちに帰ったら楽しみだねえ」
くっ、しっかり聞いていたなコイツ……!
動揺を押し殺し、真顔を作り頷きを返す。
「ああ、楽しみだな。出発前に清姫くんが、疲れ気味なマスターの為にとっておきのドリンクをこさえておくと言っていたが、もう出来ている頃だろう」
「ぎゃああああああああ、忘れてたああああ!!!!!! 昏睡しそう、嫌な予感しかしない!」
さすがに毒は入っていないだろうが、うっかり眠りこけたり、ついつい発情したりはしそうな予感がなくもない。
イベント回避の知恵でも授けてやろうかと一瞬考えたがやめておく。人を揶揄おうとしたのだ、これくらいの意趣返しは許されるだろう。
ぞろぞろとメンバーと揃ってカルデアへと戻る。幸い着いた瞬間に清姫くんが待ち構えてくれていたお蔭で、マスターにそれ以上いじられることはなかった。
「おお、帰ったかエミヤ。機嫌がよさそうだが、何かいい食材でも得たのか」
「…………、気のせいだ。今日は早い時間に戻ってこれたので、多少浮かれたのだろう」
「む、そうか。時間ができるというのはいいな、好きなことができる」
廊下でディルムッドに出会いとんでもないことを言われ咳き込みかけた。
そんなに、そんなに顔に出ているというのか!? というか喜んでいるとき=いい食材が入ったときイメージが強いのが正直複雑なのだが! いつも嬉しそうな空気を出していたのか私は!
動揺しながらもどうにか声を絞り出して答えると、人好きのする笑みで頷いた。
また後でと片手を振り、ぎくしゃくと腕にノートを抱えて急ぎ足で自室に戻った。ぷしゅ! と短く音を立てて閉じる機械扉の音を聞くとどっと疲れを感じ、ベッドに深く腰をかける。
「はぁ……」
ノート一冊如きで随分翻弄されたものだ。
まだまだ未熟だなと小さく苦笑をする。手中に納めたそれは時々丸めて握りこんでしまったせいで、どうも若干よれてしまっている。膝の上に置き、丁寧に上から重をかけてできるだけ平らに戻そうと試みた。
暫く繰り返した後、頬をぱちぱちと両の手で叩く。すーはーすーはーと深呼吸を繰り返した後、漸く手に取り直して恐る恐る表紙を開き直した。
***
アーチャーへ
交換ノートっつうことで構えてるかもしれねえが、気楽なもんだと考えてくれりゃあいい。自分の話が難しいってんならそうだな……そっちのカルデアの話だとかを聞かせてくれや。
んじゃま、これから宜しく頼むわ!
***
冒頭は軽い挨拶に始まり、中身はどうということはないただの日記だった。
例えば向こうのカルデアで起こった小さな事件だの、ついこの間に何を食べて美味かっただのイマイチだっただのが記載されている。
しかも意外や意外、一ページぎっしりと綴られているときた。隅から隅まで読んだわけだが、別に変わったことは記載されていない。
(なんだ)
説教でも書かれているのかと正直構えていたので気が抜けた。
一度目はさっと目を通しただけなので、数度読み返してみた。
二度目は普段の様子がわかるなと、フンフンと頷きながら観察するように読んだ。もう一度頬杖をつき読み返す頃には、彼のいる場所や誰かと話している光景がありありと浮かびあがり、ふっと笑っていた。
ふむ、何を書けばいいのかわからなかったが……どうやら本当に気楽な物でいいようだ。時計をちらりと見る、既に夕飯の仕込みはしてあるのでそう急ぐこともあるまい。立ち上がり椅子を引き、文机にノートを開いて置いた。
ペンを手に取ってみる。彼の日記をふまえつつ、私もそれを真似て最近あったこと、書かれている文面に対してコメントを綴ってみることにした。
「ん」
「!」
「なんだ」
次に会った際に何食わぬ顔でノートを差し出すと、男はニカっと笑って受け取った。やけににこにこと機嫌よく笑っているので眉根を寄せると、ノートをどこかにさっとしまってから(手品みたいだ)口を開いた。
「相変わらず真面目な奴だなと」
「返せ」
「嘘嘘嘘! 冗談だってのッ! いやな、お前さんが返してくれないことも考えてたからな、よかったなあってよ」
「……」
「へへ!」
何がよかったのかさっぱりわからん。そして何故笑う。
(変な奴だ…………)
次に再会した際にまたノートが返ってきて、そこには私のつけた日記に対してのコメントと自身の日常が書かれていた。
何通かやりとりをしてすぐにわかったことは、まず彼は煩悩にまみれているということだろうか。
始めこそ紳士に見えたものの全然そんなことはない。
ちょいちょいノートには隙あらばお前は腰が細いだのむちむちしていてエロいだのなんだのから始まり、今度触らせろだのいい尻をしているのだのが綴られていた。
女性に対してではない、残念なことに私に対してなのだから驚かされる。今まで視線を感じるときはあったが、陸でもないことを考えていたんだなコイツ。次は絶対に一発喰らわしてやる。
呆れはしたが、驚き動揺したという程でもなかった。
……というのもだな、違う軸で彼とその……深い仲になったことのある記憶が私の中にも “記録 ”としてあったせいだ。恐らくだが、この男の中にもきっとある。
さすがに今度の現界ではそういった目で見られることはないだろうと思っていただけに考えもしなかったわけだが……物好きなことに、今でも私はそういった性的な対象であることには変わりがないらしい。さすが神代に生きた男、好みの幅が広いようだ。
日記やコメントの間に、兎角ガンガンセクハラ発言を捻じ込んでくるのでスルーできない。隙あらばいやらしいことを記載してくる。あまりに破廉恥な内容にどういうつもりだと詰め寄ったことがあるが、「今まで我慢してきた分が溢れちまってんだわ、悪いな! はははは!」と全く悪びれた風もなく謝るので相当性質が悪い。
何度やめてやろうかと思ったが、しかしながら他の部分に関しては興味深いところも多い。よそのところでどんな諍いが起こりどういう風に鎮まったのかなど、とても参考になる。角の立たないあしらい方など、とても勉強になる部分もあり……ぐ、ついつい続けてしまう。
卑猥な内容を許容したわけではない。よそ様に見られたら死んでしまう、いやもう死んでいるが!
お蔭で自室であるのに左右に誰もいないかを確かめてからこっそりと開き、ほぼ毎回内容を読んで一人顔を赤らめてしまっていた。
最初こそ気を抜かせる彼なりの配慮かと思いこもうとしたが、たぶん素だ。これが本性なのだろう。段々と日を追うごとに増えていくセクハラ発言に、何度この野郎と紙を破りかけたかわからない。顔を合わせてノートを渡すたび、蹴りだの夫婦剣だのをお見舞いしたが、けらけらと避けつつ奴は楽しそうに笑っていた。
すっかりスケベなうつけ者というイメージを持ちつつあったが、しかし愚痴だの相談のようなことをふとしたことで漏らせば雰囲気は一転した。
どんな些細なことでも拾い上げてくれる。丁寧に噛み砕いてはコメントをしてくれたり、助言をくれ、常とは異なり真摯に応じてくれた。
本当に小さなことですらだぞ。私がそこを気にしていると即座に見破り穿ってくるのだから恐れ入る。自分でも気づかなかったことを気づかせてくれる。ランサーからカウンセラーか何かにクラスチェンジしたのではないかと何度も疑ったものだ。
ブルーのインクで綴られる文字は、綺麗で丁寧だった。
存外まめなのか、毎度長い文を書いて寄越しては和ませてくれた。内容から総じて感じたのは、彼は彼のいる場所がとても気に入っているらしい。あの場にいる面々のことが、口ではなんだかんだ言いはするものの、大変気に入り好ましいと思っているということ。……なんだかちょっと羨ましくなった。
セクハラを除けば、毎回面白く穏やかな気分にさせてくれる日記ばかりだ。最初の頃は変わりはない・異常なしとしか記載しなかったが、私の方も何か少しでも返したくて、些細なくだらないことを沢山話すようになった。
綴るためにはネタが必要になってくる、それも重苦しいことではなくできるだけ楽しいことを。意識して日々カルデア内で話のネタを注意深く探すようになり、自然と周囲に向ける視線は柔らかいそれへと変化していった。
粗ではなく、面倒ごとでもなく、よさを探す。ここに来てからすっかりできていなかったことを彼のお蔭ですることができた。
考え方も棘ついたものから随分柔いものになった……と思う。
例えば内々に持ち込まれる相談について。どいつもこいつもくだらないことばかり持ちかけてくるとうんざりしていたわけだが、どうということはない。彼らは単に話題を作ろうとしているだけで、単純に私と話をしたいと思ってくれているだけだと漸く気づくことができた。
根性論ばかりの脳筋めと侮っていた連中に対してもそうだ。よくよく観察していれば落ち込んだり考え込んだりしている者を見つけると、今度二人で飲もうと誘いを持ちかけている。あれらは彼らなりの気遣いで、きっと見えないところで話を聞いてやっているに違いない。
気づかなかった、いや気づこうとすらしなかったことを深く反省した。ずっとピリピリしていたせいだろう。
どうかしていたのは、私の方だった。
「お前さんはいつも損をする生き方をしている」
向けられた言葉がいちいち胸に突き刺さるのだから腹が立つ。
「一人でなんでもかんでも解決しなくていい。つうか、できるわきゃねえだろ」
指先でなぞりながら口に発してみると、思いのほか胸にすとんと落ちてきた。
そうだ、できるはずがない。というより、しなくていい。もっと周りの人間を信じるべきだ。
受け止めると心に余裕が生まれ、生活が変わった。レイシフトに出ることがないときも随分穏やかに過ごせるようになり、まるで毎日に色がついたようだった。
ノートのやりとりが楽しい、彼と話すことが面白い。
とはいえ会う機は多くはないために、そわそわと日々を過ごしていたときだ。マスターが度々ごめんね! と手を合わせてくるので、顔を背けて「なんのことだ」と絞り出すのが精いっぱいだった。バレているのがもうむず痒いむず痒い……。
「……」
深夜過ぎ。今日もレイシフト先へは呼ばれず、カルデア内で過ごしていた。一通りやるべきことは終えている。今も翌日の朝食の仕込みを済ませ廊下を歩いている最中なわけだが……ふと視線の先、壁についている窓がおもむろにガラリと開かれ、外から見覚えのある色が飛び込んできたためにぎょっとした。
見間違えるはずがない、あの目に鮮やかな蒼――。
「こんなとこにいたのか」
「は?」
「よっ!」
繰り返すが相変わらずうちには “彼 ”はいない。
侵入者はこちらに気づくと普通に片手を挙げるもので、一瞬呆けてしまった。
「な、なんで貴様がここにいる!?」
侵入者はフレンドさんのランサー、私と交換日記をしている彼が普通にいた。
どういうことだ意味がわからない。「遊びにきた!」などと軽い調子で言うものだから頭痛がする。
ここは近所のコンビニでも友達んちでもないのだぞ、わかっているのかこの能天気男は。いよいよ頭の中身まで筋肉と化してしまったんだろうか。
「どうしてもお前さんと話したくてな、ダメだったか?」
すぐにとっ捕まえて詰め寄り問いただすと、どうやら一応マスター同士の許可を得てここに来たとのたまった。
予想の斜め上をいく男の思いつきに毎度振り回される。
「…………」
「アーチャー」
呼ぶ声は相変わらず耳に心地よくて、片手で顔を覆う。
なんてことはない風に言ったが、他所のカルデアに行き来するなど前代未聞すぎるだろう。
うちはともかくとして、どうやって向こうのマスターを説得したというのか。それもわざわざノート如きを届けるために、もっと言えば私に会うためだとぬかすのだ。こんなことくらいで、こんなことくらいで他所のカルデアに赴くだとか、普通はないだろう……!?
ああ、この男ときたら本当に……。
「……じゃない」
「聞こえねえ」
「………………。……ダメ……じゃない……」
小声で返事を繰り返すと、それはそれは満足げに応! と声を上げたのだった。
その日以来、なんとランサーはちょこちょこと真夜中に遊びに来るようになった。
よくもまあ説得してくるものだな……! もしかしたら最初以降、こっそり抜け出してきているのではなかろうか。この男ならありえそうで笑えない。
兎角その辺を普通に徘徊しているのでビビらされる。誰かに見つかって妙な詮索を受けるのも面倒なので、彼を発見するたびにすぐに部屋に連行した。
実は既に居合わせた英霊が数騎いた。
この男ときたら何をしに来たのだという問いかけに、必ず「アーチャーに会いにきたんだわ」と恥ずかしげもなく答えるため、誤解を招きかねないし会わせたくないッ!!
交換日記を始めてから、ノートだけでなく接触も多く増えつつあった。隙あらば腰を抱くしひっついてこようとする。何故だかよくこちらのことを撫でたがりもした。
……くっ。明らかに人の反応を見て楽しんでいるだろう!? 確実に揶揄われているとわかっているし反応してやりたくないのだが、それを察してこちらの顔が赤くなるようなことばかりを口にしてくる。
大の男が翻弄されてどうするとは思うが仕方がなかろう。斬りかかってみると一層ニヤニヤするので、精々恨みがましげに睨むことしかできなかった。
セクハラの数々を除けば、室内で交わされる会話の内容は常と変わらず他愛ないことばかりだった。
くだらない話をして笑い、時々人のベッドを使ってすやすやと勝手に仮眠することもあった。兎角自由なのだ。まるで山から遊びにくる野生の獣を相手にしているみたいだ……。餌付けされて懐いた山犬のようだと告げると、さすがにむっとしていたが。
相変わらずではある―― しかし変化が全くないというわけでもなかった。
具体的にどこがと言われると、あー……セクハラの質が変わってきたことだとか。明け透けな物言いをすることも依然多いものの、なんぞこうちょっと含みがある物言いをするようになった気がする。
か……可愛いだとか、キスしてやりたくなるだとか、とうとう一晩どうだなどと言われることもあった。
こんなガタイのいい男相手に、ないないない。いつぞやのときは思わぬことが重なり奇跡が起こったが、あれはたまたまだ。よくまわる舌だと逃げていたが、あまりにむず痒くて、とうとう躱せなくなってしまった。
「君はリップサービスが上手い。しかしなランサー、さすがに私相手だとしても勘違いをされてしまうぞ」
「勘違いって何をだよ」
私はベッドサイドに座り、彼はうつ伏せの状態で何故か私の腰に両腕を巻き付け、靴を脱いだ足をぶらぶらと上下に泳がせている。
この状況も落ち着いて考えればありえないことなのだが、慣れてしまって気づくことができないでいた。
「その……」
「ん?」
「口説かれているみたいだ、とな」
「何言ってんだ、口説いてんだろずっと」
当然と言わんばかりの声にさすがにぎょっとした。
口説いている? え、私を? ランサーが!?
「口説いているのか!?」
「おう。ンなに驚くことじゃねえだろうが」
「オオオオオオ、オドロクワワワワタワケ」
「大丈夫か、狼狽えすぎだろ」
「………………」
「アーチャー?」
「…………、そう……か」
「……」
「そうか……」
――どうしよう、顔が熱い。
今、真っ赤になっているに違いない。彼に向けることができない。
もぞもぞと背後で起き上がる気配がし、バクバクと心臓が喧しく動く。背後からぎゅうと抱きしめ直され、びく! と大きく身が跳ねた。
肩口に顎を乗せるとくつくつと咽喉奥で低く男が笑う。羞恥に睫毛を半ばまで伏せさせると、ちゅっと耳朶に柔らかな感触を受けた。
「ひぁ……っ」
「アーチャー」
記憶の中にある声と同じトーン、呼ぶ声は欲に濡れていた。ドサっと崩れる音が立ち、気づけばベッドの上に押し倒され……この日初めてランサーとセックスをした。
別段特別な言葉は交わさない。ただ幾度も可愛いと囁かれ、ゾクゾクとそのつど背筋が震え、体の深い奥が満たされていった。
部屋への訪問中、言葉を交わすだけのことも多いが、セックスをする回数は段々と増えていった。
昼間レイシフト先ではさすがに引きずらないように気をつけているがね。何食わぬ顔をして、今まで通り普通に過ごす……べきだというのに、アレはマイペースにちょっかいをかけてきた。二人きりになった瞬間に腰を抱き寄せるだとか、尻も触ってくる。い、いやらしい言葉を明るいうちから平然と囁いてもきた。
このすけべが! と罵り暴れ、怖い怖いと言いながらも毎回離れることはない。本気で斬られることはないと思っているのだから性質が悪いったらない。
こっちを向けと、オレが悪かったからと急に大人ぶってあやしにかかりキスをしてくるのは……そう キライじゃないかもしれない。少しだけ、であるが。
「何故私に声をかけたんだ」
「んー?」
以前からの疑問を寝台に寝そべりながら尋ねてみた。
ここには他の魅力的な英霊達も多くいるし、何より “私 ”ですらあちらこちらに存在している。どうしてその中から、今ここにいる私を構うようになったというのか、ずっと気になっていたのだ。
……気になっていたが、正直聞くのがなんとなしに躊躇われもしていた。
声が緊張に僅かに強張っている。悟られないよう、軽く咳払いをして誤魔化す。
ベッドサイドに腰かけている男は手を伸ばすと、慣れた手つきで白く長い指を白髪に埋める。指の先が時折地肌に触れるとゾワゾワとする。柔らかく梳くような動きが心地よく、とろりと双眸を蕩けさせた。
随分撫でているが、どこで撫で方を学んだのだろう。同じような私にもしてきたんだろうか。考えると、深い場所でチリっと何かが焦げつくような錯覚を覚える。
「んー、そうだな。体つきがエロ、うおおおお、危ねえなおい!?」
「チッ」
「舌打ちヤメテ! 冗談だっつうの」
「冗談で声をかけたということか」
「ちげえよ、ばあか。ばーかばーかばーかばーーか!」
投影した夫婦剣を見事に避け、忌々しげに舌打ちをするとギャアギャアと騒いだ。さっさと答えろと顎でしゃくると、むーっと眉間に皺を寄せる。
「色々なアーチャーを見てきたが、お前が一番危うくてよ」
「なっ。それは……。頼りない……ということだろうか」
「今にも崩れそうではあったな」
否定がないということは、つまりそういうことなのだろう。愕然とした。一番……一番……だと? 沢山存在している中で、一番頼りなかったのかこの私は。
ああああ……嘘だろう、頼むから嘘だと言って欲しい。へこむ。これは、めちゃくちゃ落ち込む。他の者とは兎角、せめて自分同士で比べた際は、多少はマシであってほしかったというのに。
「きっかけはな、そういう類だった。どうにも気になっちまって、放っておけなくて。だからいっぱい声をかけた」
「慈善活動ご苦労なことだ」
「拗ねんな」
「拗ねていない」
緩く撫でる手を払い除けると、おいと不機嫌な声が落ち視線を持ち上げた。
「慈善だけで動くかよ」
「……ッ」
拗ねたように唇を尖らせ不貞腐れた顔が妙に幼く感じた。妙に子供臭くて、そこに本質を見たようで……心臓がトクンと音を立てた。
すぐさま上体を起こして頭を胸に抱きよせると、蒼糸をわしゃわしゃと撫でる。文句はいくつか零されたが拒む気配はなく、それが凄く凄く嬉しい。胸にじわりと温かい何かが広がっていった。
異カルデア交流を重ねていくと、やはりいつも上手くいくばかりではなく、時には喧嘩をすることもあった。
(元より犬猿の仲のはずだからな、不思議ではないわけだが……)
こんな冷戦状態に持ち越すのは久しぶりのことだった。理由なんぞ本当に些細なもので、くだらなさすぎて覚えてもいない。だがどちらも退くに退けなくなってしまい、この膠着状態といった具合だ。
もう怒りなぞとうに消え失せてはいる。折れたくないという理由もこれといってないし、こちらが謝罪したって構わないとすら思い始めていた。
これから先、レイシフト先で顔を合わせることもまだまだ多いだろう。ならば冷戦状態はいただけないだろうし、周囲に気を遣われてしまう。
それに仲違いなど気持ちのいいものではないし、できることならさっさとどうにかしたい……のだが。しかしこういうときに限って残念ながらマスターからのお声はかからず、カルデアで待機の日が続いていた。
(そうか、こちらからは接触手段がないのだ)
例えば、こちらが向こうのカルデアへ赴くというのはどうだろう。
マスターに頼むこともほんの一瞬だけ考えてみたが、レベルの違いすぎるフレンドさん相手に頭を下げさせるのも気が引けるし、こんな個人的な頼みを願えるはずもない。
せめて何かしら連絡をとりたいが、最近はこのカルデアへの召喚依頼もないそうなので、誰かに言伝を頼むということもできない。こちらからできることなぞ何もないのだと思い知らされた。
(いつもいつもそうだ。ランサーがその気になってくれなければ、私は何もできない)
向こうが嫌だと思えば、どうにもならない。この縁はあまりに脆く、すぐに切れてしまうものだということをまざまざと思い知らされる。
部屋にいては気が滅入りるばかりなので、できるだけ外に出るようにした。といっても建物内だけであるが。
深夜過ぎ。悶々と考え込んでしまうため食堂に来たが、もう明日の朝食も昼の仕込みも夜の下拵えすら済ませてしまっており、何もすることがなかった。
一人ぼうっと座って幾度目かわからない溜め息を零す。
手元の陶器のマグの中身はとうに冷え切っており、紅茶の良質な薫りは薄れてしまっていた。半分程中身は残っているものの、再び口をつける気にはどうしてもなれない。
いつもは騒がしいこの建物内も今は静かだ。静かすぎてどうにも落ち着かない。
常ならば、誰かが酒だのツマミだのを漁っていてもおかしくはないというのに、何故いないというのか。
……って、これではまるで人恋しさに話し相手を探しているようだな。というか、というか!! まるでランサーに会えず淋しがっているみたいではないか!!!! ち、違う。断じてそういうわけでは――。
暇という物は碌なことを考えさせない。えらいことに考えが至りそうになり、自身に言い訳を重ね慌ててぶんぶんと顔を横に振っていたときだ。
遠くから何か騒音がする。
何かがここに向かって、廊下を駆け抜けている。荒々しく、まるで猪か何か獣が紛れ込んだのではないかと身構えた瞬間。
ぷしゅっ!
空気の抜ける音と共に、扉が開かれる。
「アーーチャアアアアア!!!!!!」
「!?!?!?!?」
「手前部屋にいねえと思ったらこんなところにいやがったかテメエ、探しただろうが!!!!」
目の前に悩みの元凶である本人が立っていた。
何故ここにいる!? 怒ったのではないのか、もう呆れられたのではないのか。混乱しすぎて反応が遅れ、何も言えなくなってしまった。
「ほらよ、続きだ」
「あ」
「開けよ」
「で、でも自室でと君が」
「いーいーかーらーー! 今! 開けっつってんのっ!」
“ ごめんなさい! ”
シンプルにそれでいて数行を使い大きく書かれた文字に、ノートを持つ主と字とを数度見比べた。
むっすーーっとした拗ねた顔は、普段大人びて見えるだけに酷く幼く見える。
「これでいいだろ。まだ何か文句があるってんなら、仕方がねえから聞いてやるよ」
「ランサー……」
「……次は手前の番だがどうする。やめちまうか」
「いや」
それは悩む一瞬すらない。
「続ける」
自然とすぐに口から出ていた。
あまりの即答っぷりに自分で自分に驚いた。ハッと我に返り困惑したが、ええい取り消すつもりもなければ言い訳も見苦しい。つけたす言葉は不要だ。
取り上げられてなるものかと唇をきゅっと尖らせると、開いたままのノートを胸に押しつけた。
深紅の瞳が眇められる。
「そうかよ」
ほっとしたように、嬉しそうに、男は破顔一笑した。
――――っっっっ。
なんだこの可愛い生き物は。何故、何故そこでそんな風に笑うというのか。はにかむでもなく、何故満面の笑みで!! 応じるというのか!!!!
「すぐ来たかったんだがオレにも意地はあるし……とか言ってたらこっちのカルデアが忙しくなっちまって、遊びにくる時間がなくてな」
「そうか、てっきり臍を曲げ続けているのかと」
すぐに来たかったのか……? 来てくれようとしていたのか。じわりと胸に広がる熱さに、小さく息を飲んだ。
もう私に呆れてどうでもよくなってしまっただとか、愛想が尽きたのだろうとか、飽きたに違いないだとか。ぐるぐると常に考えていたなんて知られたら、きっとバカだなと揶揄われるに違いない。肩を竦めるにとどめると、ランサーはまた唇を尖らせた。
「そんだけ?」
「他に何があると言うのかね」
「……。くそ、なんだよ」
「……? ランサー?」
「アーチャーに会えなくてよう、こっちは結構悶々してたっつうのにオレだけか」
「!!!!!!」
眉間に皺を寄せる様が…………かわいい。
こ、この犬め……可愛いなクソ!! きゅぅん……っ と今度こそ胸の底から妙な音が聞こえた気がした。寸前のところでオレもだよ!!!! と叫びそうになるのをどうにかして堪える。
オr……ンンッ! 私も結構な拗らせ具合になってきた。自覚し半分顔を抑えて呻くと、不思議そうな顔をして覗きこんでくるので肩を押すが離れない。寧ろべたりと身を寄せやたら密着してくる。
何を察したのかは知らんが、にっこにっこと満面の笑みを浮かべてた。尻の辺りに見えない犬の尾がブンブン左右にちぎれんばかりに揺れている幻覚まで見えた。
纏わりつく犬をあしらうもしつこく離れない、ガシっと腰を抱きこみ、捕獲! などとたわけたことを宣言した。
「何をじゃれついているんだこの犬、やめろたわけ!」
「犬じゃねえし、ちょっとくらいいいだろ」
くるっと向きを変える。
「てなわけで、だ。いいか手前ら、こいつに手え出すんじゃねーぞ! 唾つけてっからな!」
「……? 誰に何を言って、…………」
顔を向けた方角を見て硬直する。奥の方、食堂へ続く扉の一つが開いていて、外から見覚えのある顔が幾つも覗いておりうっかり叫びかけた。
聞いていないんだが!!!! 他に人がいるとか聞いていない!!!!
「な、いつからいたんだ!?」
「オレが来る前からずっといたようだが」
「ああああああああああああ」
「愛されてんなお前」
「ああああああああ…………!」
心なしかケルト勢がニヤニヤしている気がする。ディルムッドとフェルグス殿がとてもよい笑顔でウンウンと頷いていた。
なんてことをしてくれたんだこの男は、暫くネタにされてしまうだろうが!!!!!!
「だってよう、言っておきたかったしい」
「……」
ずるずると引きずる方向は別の扉で、向かう先は私の自室なのだろう。巣穴に持ち運ばれる餌になった気分だ。
(まるで独占欲、先制のようだった)
まさかあんなことを声高に叫ぶとは思わなかった。じわじわと今更顔が熱くなってくる。……たわけめ。こんなことをされたら、勘違いしてしまうだろうが。
境目がどんどん曖昧になっていく。あまりにも近くて、あまりにもこの男は心の柔い部分を平然と暴き自らも晒すのだ。
そういったつもりは恐らくはない……のだろう。そうでなくともこんな繋がりなのだ、深みに落ちてはいけない。ダメだとわかっているというのに――悲しいくらい、どうしようもなく惹かれていた。
「……、オレは一時のサボローだ」
「ああ」
「いつかは別れることになる」
不意に考え込むと空気が出ているのか、察するとすぐに即座にいつも同じ言葉を口にする。境目を引く声は酷く優しくて、困ったように眉根を下げてランサーは切なげに笑った。
甘い空気が心地いいのに、きゅうと胸の奥を締めつける理由はできるだけ考えないようにする。
狡い人だ。狡くて優しくて、やっぱり狡い人。
胸と腰に回された腕に、知らず縋りついてしまう。
「だがな、時々お前さんを連れ帰りたくなっちまう」
「…………」
離れることのないように、ずっと一緒にいられるように。
視線を合わせぬまま、ぶっきらぼうに言い放つ。
その白い手に縋らぬとわかっているからこそ彼は告げるのだろう。私という存在が脆弱ではないと信頼してくれるから、本心を零してくれるのだろう。
(だとしたら、過信しすぎだ)
こんなにも焦がれて、君のことで頭の多くを占めていると知ればなんと言うだろう。連れ帰ってくれと告げれば、君はどんな顔をするのだろうか。
がっかりする? 呆れる?
それでもいいからと溢れてしまいそうになる気持ちをぐっと抑え込んだ。
覚悟もなく唇を引き結び、結局何も言えぬままとなった。
部屋の位置を覚えてしまっている男はすぐに目的地に辿りついてしまう。扉が開くと同時に、この大きな体躯を有無を言わせず横抱きにして中に入り込んだ。
久しぶりに近くに感じる温もりに怒ることもできずじっとしていると、珍しく静かだななどと笑われる。
揶揄いすら久しぶりで悪くはないが、もっと違う言葉が聞きたい。相手の後頭部に手を添え引き寄せ唇で塞いでやると、逆に貪られてしまった。
ぼふりと二人して縺れるように、白い海に沈んだ。
ランサーと出会い、沢山の変化があった。毎日に色がつき輝いていた。
ぽこりぽこりと自分の中に、きらきらとした感情が降り積もっていく。摩耗した身でもこんなことをまだ感じるのかと驚くくらいの温かい物だった。
満たされていくのがわかる。溢れさせないように気をつけていたが、既にいっぱいいっぱいになっていて。ああ、困った……このままではいけない。
早くなんとかしなくては。これ以上甘えてはダメだ。どう処理をしたものかと悩みだしたとき、思わぬ味気ない形で事態は解決することになってしまう。
――――フレンドさんとの縁が切れた。
突然だった。ある朝、名前が消えていた。
「あれ、おかしいな~~! もおおお、あれれ~? 変なの、あれ、あれ??」
「マスター」
「あれれ、ちょっと待って! ほらまだログインされていないだけかもだしっ」
「マスター」
「待って、ちょっとだけ待って! ね、お願い。大丈夫だって、すぐに見つけるからさ!!!!」
「……」
「昨日はあったからね、大丈夫大丈夫! 安心してエミヤ、大丈夫だから!!!!」
あははは! と乾いた笑いにもう我慢ができない。聞いてもいないことを殊更明るい声でべらべらと一人で話しているのが妙に痛々しい。
数歩の距離を一気に縮めて背後に立つ。
「マスター」
「大丈夫、大丈夫だからさ。ちょっと待ってて! だいじょうぶ」
「あのフレンドさんは、もういない」
「――――」
そっと肩に手を置くと、呆然とした顔を漸く向けた。
見上げる顔は焦りに満ちていて、強張った引き攣った笑みを無理やり象る。
「あるはずなんだ!!!! 消えるわけがないよ!!」
私とランサーの関係が深いものであるということを彼はよく知っている。
そしてまた彼にとってのランサーは、初期の段階から世話になっていたこともあり、いつしかかけがえのない兄貴分のような存在になっていたことを私は知っている。
もう会えないなんて、考えられないのだろう。
覚悟はあった。常に持っていた。だがいざこの日がきてしまえば、動揺するのも無理はない。
「消えるわけない、消えるわけが、……っっ」
語尾がひっくり返り、くしゃりと表情が一瞬にして崩れた。
「あるはずなんだよぅ……」
自身も悲しいはずなのに――こちらの身ばかり案じている。優しい優しい、私の……私達のマスター。大丈夫、大丈夫だからエミヤ……と最後には泣きの混じる声が痛々しく、直視していられず瞠目した。
最後の挨拶すらすることもできず、ランサーには会えなくなった。
あまりにも、あまりにも急すぎる。フレンドさんという関係上、こういう日がくることも想定の範囲だったというのに……それにしても衝撃は大きい。
緩やかにだが、少しばかり時間が経った。
手元には返すことのできなかったノートが一冊残されていた。
自室にて、薄暗い室内。デスクの上にあるライト以外照明は落とされた中、ぼんやりと椅子に深く腰かけていた。
もう白い箇所には彼の記録が残されることはない。ページを捲り戻り、見慣れた文字を指先がなぞっていく。何の変哲もない、普段通りの言葉を探し求めて。
(ランサーは、もういない)
“ なあにぼーっとしてんだ、エミヤ―― ”
不意に彼の声が聞こえた気がして双眸を眇める、長く聞いていないあの声を思い出しては繰り返す。
くしゃり、顔を歪めた。
「……っ」
過ぎてから沢山のことに気づかされた。
君がどれだけ優しくしてくれたか、どれだけ思いやってくれたか。
境界線を幾度も引いたのも私のためで、きっと君はこうなることを見越していたんだろう。
だが悪いな、その努力は残念ながら報われはしない。
好きだ。
キミが好きだ、クー・フーリン。
無性に掻き立てられるものがあり、手には使い慣れたペンを握っていた。訳も分からず、一心不乱に机に向かって空白のスペースへと文字を綴っていった。
***
――――拝啓クー・フーリン様。
お元気ですか、こちらは元気だ。
会えなくなって結構経ったな。よすぎるこの目でも、もう君の姿を見つけることができない。それが酷く残念で、こんなにも淋しいとだとは思わなかった。
君のお蔭で沢山のことを学び、自分の小ささをよく知った。
君はこんな私を拾い上げてくれて、自分が気づかない泥に気づいてくれて、なんてことはない具合に払ってくれた。本当に、たった一人の私の英雄だ。今もずっと変わらない。
沢山与えられ、私はこの場で一つ成長したように思う。
気恥ずかしいし若干腹立たしいことであるが、君のお蔭だ。
何か一つでも返すことができれば……否、やめておこう。
ああ、一つニュースがあるんだ。実はとうとううちのマスターも、現代魔法を扱うことにしたらしい。
もうフレンドさんに切られることのないように、このカルデアを今以上に屈強な英霊ばかりで固めてやる! と豪語していた。
爆死しないといいのだが……、なんてな、冗談だ。きっと今の彼であれば、どんな姿の者とて召喚できるに違いない。
……ああ、ここは今以上に更に更によくなるだろう。
更に更に癖のある者が増えて悩みの種が尽きんだろうが、大事なことは全て君に教わったからな。もう大丈夫だ。
このカルデアが大きくなり、星を多く持つ強き者が増えたならば……。もしかすると君のところのマスターの目に留まることがあるかもしれんぞ。
今度は逆に手を貸してくれると乞われることがあるやもしれん。そう考えてみると、少し楽しみなんだ。
もしかしたら、とても少ない奇跡のような中で縁が再び繋がることがないとも言い切れないだろう……?
もしもが、もしもがあるとしたら。
きっと、きっとそのときは――――
***
文字を綴り終えると、深く息を吸いこみゆっくりと吐き出した。椅子に腰かけ直すと、ギシと背もたれから短く軋む音が響く。手元の白く無機質な明かりが眩しく感じられ、静かに目を伏せた。逆上せた際のように頭がぼうとしていて、熱を持っているようだった。
当然この文字も届くことはなく、ここで気持ちと共に燻り朽ちるのだろう。
(こんなにも苦しいというのに)
いつか、いつか昇華することができるだろうか。
君のように一皮二皮もむけて、大人になることは私にもできるんだろうか。あんなこともあったなと、君を思い出して笑える日がくることがあるのだろうか。
風変わりな男の姿を脳裏に思い描くと、じわりと目頭が熱くなる。ツンと鼻奥が痛む感覚に無理やり口角を引き上げた。
ああ、しっかりせねばな。新しいカルデアになると、今後もエミヤには頑張ってもらわないと! などと今まで以上にマスターには色々なことを頼まれているのだ。
頼られているの半分、余計なことを考えさせないようにと心配半分というところか。まったく、妙な気遣いには長けているらしい。
……。否、心配させてしまうようなこの未熟な身が一番問題なのだが。余計なことを考えるな、気を引き締めなければ、しっかりしろ。
(でも、だけど)
今日くらいは、こんな気分になることを許してほしい。
明日から、また頑張るから。頑張るために、今日はどうか許してほしい。
(……ああ、くそ。我ながら女々しいことだ。確かに深入りしない方がよかったんだろうな)
だけどオレは後悔なんざしていない。
お前の方はどうだ? なあ、ランサー。
あいたい。
あいたいよ、ランサー
目を閉じたまま、握ったままのペンが知らずに動いてしまう。何度目になるかわからない溜め息が静かに室内に落ちた。
―――― ぷしゅっ!
「よ、サボローぜ!」