Skeb依頼が一段落したので更新再開します。
「次兄上が
「エリカ、声」
千葉家の離れ。思わず声を上げたエリカを、向かい合って座る修次が制した。
この日は既に全体稽古が終わっており、広い屋敷からはほとんど人の気配がない。この部屋にいるのも二人のみだ。
修次は防衛大の学生の身分だったが、既に世界的な剣術家として「3m以内でなら世界最強の一角」と称される千葉の麒麟児だった。
その腕前を買われ、国内外の軍隊や警察組織に指導役として招聘されることも珍しいことではない。そういう任務を終え帰還した修次にエリカが土産話をねだるのも、また毎度のことであった。
そのたび修次は守秘義務が許す限りで戦いの顛末をエリカに教えていたのだが、今回は特に修次を困らせた。今回は自分も機密性の高い部隊としか聞かされておらず、あまり深入りすべき案件ではないだろうことが明らかだったからだ。当初はそういう任務があったこと自体黙っておくつもりだったのだが、この妹がどこからか聞き出してしまったらしかった。
「模擬戦とはいえ、手も足も出なかったのは久しぶりだよ」
やむなく、困ったように応答する修次。嘘で煙に巻いたり一喝して黙らせたりしないところに、この男の性格が表れていた。
「あり得ません! 白兵戦で次兄上が不覚を取るなんて……」
家庭環境の複雑さゆえに家族にも心を開かないところがあるエリカだが、唯一次兄だけは例外だった。普段の虎のごとき彼女を知っている者ほど、この甘えた態度に強烈な違和感を覚えることだろう。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、僕も世界最強ではないからね。第一今回は指導のための模擬戦であって、看板を賭けて死合った訳じゃない」
一般論で諭した後、修次は一瞬考え込むような素振りを見せてから、小さく「この子には言っておいた方がいいかな」と呟いた。
「それで、相手は一体どのような――」
「エリカ」
エリカの言を遮ったのは、相手の素性に対する情報が軍機扱いになっており、口外できなかったことを誤魔化すためだ。
そうでなくとも、剣士として有望ではあっても精神面は未だ年相応な所がある妹へ、ひとつアドバイスを与えようと考えた。その静かな圧の強さに、エリカは抵抗する術を持たない。
「我々剣士は……いや、もっと広い概念かな。戦士は、と言うべきかもしれない。
エリカは当人らしくもない正座姿で(これに関してはイメージにそぐわないと言うだけで、道場などに縁のある人間なら普段から正座姿を見ることができるが)、ただそれに聞き入っている。
「本当に強い人間ほど、表向きの名声や地位とは離れた所にいるものだ。世界が情報化しても……いや、情報化したからこそ、我々が真に"達人"と呼ぶような存在は、決して世間の光が当たる場所にはいない」
それは、魔法師という突出した個が1999年まで「発見」されていなかった理由でもあった。
体力づくりや精神修養をしたければスポーツでよい。剣術とは、魔法とは常に殺し合いの技術であり、究めれば究めるほど、頂に近づけば近づくほど、その活躍の場はむしろ暗く狭くなっていくことを、修次は身に染みて知っていた。
「世界で一番殺し合いが上手い人間」が重宝される場所は、断じて老若男女の喝采に彩られた明るい世界ではないし、そうであってはならない。
「エリカの言うことは正しい。背負っている諸々とか政治的なあれこれとか、そういうものを抜きにして、純粋に剣を突き詰めたら……僕の剣はもう一歩か二歩、上に行く余地はあると思う」
エリカが顔を上げる。その目は期待に輝いていて、「やっぱり」と言いたげなのは明らかだ。
「でも、そうしていない。突き詰めるということは尖らせるということで、尖らせるということは削ぎ落すということだ。その先には何もない」
例えば待遇。健康。名声。伴侶。家族。そういう諸々と天秤にかけ、「安定」を取った時、人は止まる。
1日が24時間であり、一生の長さに限界がある以上、なんでもは手に入れられない。バランスを取って……人間性を保ったままたどり着ける強さには限界があった。
「
――「それ」は、ある種の狂気だった。
一度剣を向け合えば、相手がどんな生き方をしてきたか修次には手に取るように理解できる。
自分を完膚なきまでに打倒した「それ」は、至って普通の人間だった。だからこそ、まともな存在ではないと修次は直感した。得体のしれない「何か」が、バイザーを被って人間の真似をしているようにさえ思えた。
「ただ、強さを」。そういう宿業を背負って生まれた「彼」に、人の身では及ぶべくもないと理解した。
「エリカには才能がある。だからこそ、壁にぶつかった時焦らないで欲しい。それぞれに合ったやり方は――」
ゆえに修次は、エリカに修羅の道を進ませないようにこの助言をした。
彼女が武人どころか求道者気質なのは分かっていたし、自分になついているのも「強いから」だろうと薄々察していたからだ。
だが、結果としてエリカに伝わったのは、「あの次兄上を上回る使い手が軍のどこかにいる」「本当に強い奴は世間の目の届くところには居ない」という事実ベースの部分。
本来の歴史では表に出ることのなかった、彼女の力の信奉者としての部分だった。
第一高校入学後、あからさまに強者のオーラを放っている守衛を発見したことでエリカの「読み」は「確信」に至り、そして彼女は「頂」を知った。
◆ ◆ ◆
「んで、そしたら平気な顔で8杯目をお代わりされちまって」
「むしろよく7杯までついて行ったな……」
第一高校に繋がる大通り。4月なので季節としては春だが、かつての寒冷化の影響かこの日は肌寒かった。
普段は妹と2人で登校している司波達也だが、今日は道すがらクラスメイトの西条レオンハルトに遭遇し、3人となっていた。
ちなみに、話題はいつぞやに自然発生した食堂大食い対決についてだ。
その日達也たちは勧誘ついでに生徒会室で昼食をとっていたため居合わせなかったが、創一朗の食事量を挑戦と受け取った(もちろん、当人にそんな意図はない)部活連メンバーによる突発大食い大会の逸話は、準優勝を飾ったレオともども今や伝説となっている。
創一朗には「監視そっちのけで何をやっているんだ」と上からお叱りが来た訳だが、おかげで上級生・新入生問わず人気を獲得したのも事実で、体格と合わせて配属1月足らずで彼は名物守衛の座を確保しているのだった。
「ごめん、ちょっといいかい?」
そんなレオの武勇伝で盛り上がっている(なお、深雪は一貫して「殿方はそういうのがお好きですよね」という一歩引いたものだった)ところ、背後から声を掛けて来る男子がいた。
「レオ、知り合いか?」
「いや……でも確か俺らと同じクラスだったよな。確かそう、吉田。何か用か?」
達也も彼がクラスメイトだったことは覚えていたが、先にレオの友人という線を疑ったのは単に順番の問題だ。二人ともこの男子に関りがないと分かると、落とし物とか伝言を頼まれてるとか、そういう事務的な用事が想定される。
「ああごめん、僕は吉田幹比古って言うんだ。千葉エリカって子の知り合いなんだけど」
そう切り出されて、達也は用件を理解した。
「幹比古と呼んでいいか?」
「ああ、もちろん」
「では幹比古。察するに、エリカがここ何日か休んでる件だな?」
達也の言に、幹比古は「そうなんだ」と認める。
「実家同士が関わりがあってね。エリカとは中学の時からの付き合いなんだけど……ちょうど休み始めてから連絡がつかないんだ」
「風邪でもひいて寝込んでるんじゃねえか?」
メッセージも返せないのは確かにちょっと心配だけどよ、とはレオの言。だが、幹比古の心配ごとはそこではなかった。
「いや……僕が聞いてる限りだと、最後に登校した日に守衛の榊さんと模擬戦をしたらしい」
目の前のレオが「何やってんだよアイツ」と驚いている間、意外とよく知ってるな、と達也は思った。
あの時集まっていたのは武闘派の上級生と生徒会関係者が大半で、1年生にはまだ情報が降りていない。もう数日もしたら「先輩から聞いたんだけど」と達也の風紀委員入り共々話題になるだろうが、この時点ではあまり知られていない情報だった。
「それで、あー、僕も達也って呼ばせてもらうね。達也、模擬戦に居合わせたって聞いたから聞きたいんだけど、エリカが"表道具"を持ち出したって言うのは本当かい?」
レオは「オモテドウグ?」となっているが、達也には意味が伝わった。
剣術の大家である千葉家にとって、剣術の技のいくつかは使ってよい場所の限られる「秘技」だ。
事前の取り決めで殺傷性の高い魔法の使用も一部認められていたとはいえ、一族の流儀として「見せたからには殺すしかない」みたいな代物が混ざっていないとは、あの必死さを見たら言えなかった。
「……確かに、それと思われる挙動はいくつかあったな」
認めつつ、ある程度穏当な表現にとどめる。達也の頭には、当時行われたエリカの動きが筋肉の動きから魔法式まで完璧に記憶されているが、バカ正直に全て教えるほど達也は人格者ではなかった。
現に、千葉流の詳しいルールを知らない達也では、どの動きが秘伝に抵触するかまでは知らない。
「やっぱり……! 実はその関係で、千葉家のご当主がカンカンに怒ってたって話を聞いてるんだ」
そしてどうやら、達也への事情聴取は「裏取り」であったらしい。
「ここ何日か休んでたのは、怒ったご当主に徹底的に折檻されてるからって話で……」
そこで、幹比古の背後に人影が現れる。
達也が指摘するより早く、人影は背後からチョップを入れた。
「ぐえっ」
「ミキ、誰の話をしてるのかな~?」
噂をすれば影が差すという言葉通り、現れたエリカは普段通りに見える。
達也にだけは、酷使された筋肉と蓄積した疲労から、「どうやら折檻は本当らしいな」と分析していた。
「エリカ、もう大丈夫なの?」
心配を最初に口に出したのは深雪だった。
「あーごめんごめん、心配かけちゃった。もう全然大丈夫だから!」
深雪やレオも彼女が疲れているらしいことには気づいていたが、「本人がそう言うなら深入りはしないでおきましょう」「意地を張ってるのに突っ込んでやるのもだせぇよな」という二人それぞれの理屈により、その点には触れられないまま会話は進行した。
「おはよう」
――違和感が露わになったのは、校門にたどり着いてから。
「おはようございます、榊主任」
「おはようございます」
司波達也と深雪が一番に挨拶を返す。特に深雪の一礼は見事なもので、その美貌と合わせてまたしても周囲を少しどよめかせた。
「うっす」
「おはようございます」
少し遅れて、レオと幹比古。ここまではいつも通り。
「……ぁ、ど、ども……」
――さっきまで笑いながら幹比古をベシベシ叩いていたエリカの様子がおかしい。
「おお、復帰したのか。お疲れさん」
「ぁ、ゃ、はひっ」
顔を真っ赤にしたエリカは、明らかに挙動不審な様子でモジモジしている。
一方の創一朗は特に何事もなく応対しようとしているが、流石に異変に気付いているようでもあった。
「……? まあ、また今日から頑張ってな」
「ぁりがと ござ ます……」
蚊の鳴くような声でかろうじて応答する様は、絶望的にエリカらしくもない、あからさまな「乙女」そのものであり。
こいつマジか――
という心の声が、明らかにその場の全員で一致していた。
10年くらい前、なろう系が台頭してくる直前くらいの石鹸枠で親の顔より見たやつ。
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