「――え?」
静まり返った演習室の中、誰のとも知れない気の抜けた声が妙に響いた。
その試合が終わった時、状況を正しく認識できている人間はごく僅かだった。
創一朗と同様、マルチスコープにより「2カメ」「3カメ」をリアルタイムで同時認識している真由美ですら、あまりの技巧に何が起こったか分かっていない。
大多数の観客と同様、「エリカが持っていたはずの竹刀を創一朗が持っていて、それがエリカの首元に添えられている」という結果だけが、理解可能な視覚情報として存在していた。
「……今のは、無刀取りか?」
摩利の絞り出すような言葉も、見えていて出た言葉ではない。状況的に、あるとしたらそういう技だろうという当て推量だった。
もっと言えば、それは自分の考えを整理するための独り言という性質が強く、答えが返ってくるのを期待したものではなかった。
「いえ……柳生新陰流の無刀取りも、合気道の太刀取りも、基本的には投げ技とセットになるはず。アレは、意識の隙を突いて刀を掠め取ったように見えます」
それを拾って投げ返したのは、後列で、しかしじっと模擬戦の様子を見続けていた達也だった。
「今のが見えたのか!? いや、お前には魔法式の分析ができる目があるんだったな。これくらいは訳ないということか……」
自分で驚いて自分で納得している摩利をよそに、達也は自らも思考の海に沈もうとして、この場を作った張本人がこちらを向いていることに気づいた。
「彼の言ってる通りですよ。
固まってしまっているエリカを放って、創一朗は達也と摩利の方に歩いてきた。
「折角だから少し解説しましょう。渡辺委員長、協力してもらっても?」
「いいんですか? むしろ願ったりだ、よろしくお願いします」
摩利は快諾し、創一朗に言われるまま、手ごろな道具としてポケットからハンカチを取り出し、手に持って構える。
「今から俺がそのハンカチを取るので、"取られる"と思ったら力を込めて妨害してください」
「力いっぱい抵抗していいんだな?」
「何なら魔法使ってもいいですよ」
余裕そうに告げる創一朗。ちなみにだが、このハンカチは絹か何かで出来ている逸品だ。"か何か"という言い分の通り、真由美からの貰い物である。エリカがまだ起動中だったら、こういうところが
この二人なら力づくでハンカチを引き裂くことは容易だ。だがそういう趣旨でないことは、摩利にきちんと伝わっているらしかった。
「じゃ、行きます」
そう宣言して数秒と経たないうち、創一朗は何の抵抗もなかったように、摩利の手からひょいとハンカチを引っこ抜いた。
「!?」
「つまり、こういう理屈ですよ」
ハンカチを適当に4つ折りにして返却すると、摩利は「あ、ああ」と思わず素が出ている。
「ずっと力を入れていると思っていても、実際には力加減に波みたいなものがあります。その一番弱まるタイミングを狙って、かつ意識の隙を突いて反応できないようにすれば、簡単に持ち物を奪い取れる。マジシャンとかスリでも、達人は着けてる腕時計を持っていけるって言うでしょう」
一試合目に
「力の入れ具合が外から見て分かるんですか?」
意外にも、達也は会話に乗ってきた。これ幸いと返答する。
「目がいいんだよ。要は身体スペックのゴリ押しだな」
――ああいうやり方にしないと、普通に殴ったら殺しちまうから。
そう続いた創一朗の言葉に、「流石にそれはない」と突っ込める者はいなかった。
「そうだ、風紀委員になるなら今後関わることも多いだろう。名前は?」
「司波達也です」
かくして、創一朗は達也の印象を上書きすることで必要以上に名声が広まるのを防ぎつつ、初対面というテイで接点を作り出すことに成功した。
「…………」
兄の活躍が霞んでしまっていることに思い至ったか、背後から僅かに冷気が流れ込んできていたが、創一朗は努めて気付かなかったことにした。
◆ ◆ ◆
「あんなもんで大丈夫でしたか?」
おおよそ人がはけた頃、創一朗は廊下の何もない所に向かって声をかけた。
それはパっと見では奇行だったが、すぐに廊下の空間が歪んだかと思うと、そこには一人の女性が現れていた。
現れたのではない。最初から彼女はそこに居て、隠形を解除したのだ。
「ホント、普通に見破って来るのね。自信なくしちゃいそう」
「そういう設計なもので」
現れたのは、今の時間は保険室にいるはずのスクールカウンセラー、小野遥だった。
尤も、遥がカウンセラー資格を持っているのは本当だし、本人はこちらが本業であると主張しているが、世間的に知られている彼女は公安の諜報員、「ミズ・ファントム」だ。
「"頂上作戦"以来、小野先生んとこにはお世話になってますからね」
創一朗が何かと彼女の言うことを尊重するのは、一高にのさばっていた"ブランシュ"の専横を外部にリークしたことによる。
公安上層部は学問の自治を盾にとって好き放題するブランシュに有効な手立てを打てていなかった……というより、まともに対処する気がなかった。生徒会長でありながら状況を解決できない七草家に対する「爆弾」として、政治的カードに用いられる予定だったのだ。
その方針に表立って異を唱える訳にいかない遥は、わざと報道規制に穴をあけて十師族ならギリギリ情報入手が可能な状態にし、その上で三矢家へそれとなく情報を流した。
この三矢家という選択が絶妙だった。三矢家には中学2年生(当時1年生)の末娘、
もっと言えば、魔法力の伸びが思わしくない彼女の護衛――
十師族には縄張りがある。「外」の学校に進学するにはそれなりに理由が必要で、「自分とこの学校がテロリストに汚染されてるから逃げてきました」なんて正直に言った日には、問題を解決できなかった七草・十文字ともども腰抜けの謗りは免れない。最悪のケースとして、十師族内で確固たる地位を確立している二家と違い、三矢だけがとばっちり気味に師補十八家に落ちるということもあり得た。
そういう計算も込みで、2年後に第一高校へ入学する末っ子のため、武器商人であり国外情勢も取り扱う身分の三矢家当主・三矢元が動いた。
結果、彼は自らの伝手――十山家と陸軍情報部に協力を依頼して情報の裏取りを実施。遥の予想していたより話が大きくなり、最終的に対魔装特選隊が投入される騒ぎになった……というのが「頂上作戦」の真相であった。
「聞きましたよ。これだけやったのに上の覚えが良くないとか」
一連の大立ち回りは途中から遥の手を離れており、彼女はむしろドミノ倒しで拡大していく問題を震えながら見ていた身だが、公安上層部はそれを裏切りと見ている節がある。
実際、今回の件で対魔装特選隊に借りを作った(自分たちでは戦力不足で解決できないと泣きついたようなもの)公安は、以来何かと情報面で対魔装特選隊に便宜を強いられていた。
ただ、彼女は諜報員である前にカウンセラーだと自己を定義していて、目の前で助けを求めて来る壬生紗耶香を見捨てられなかっただけだ。そこに後悔はしていない。
「覚悟の上です。そういう意味では、あなたに感謝しないとね」
遥は、創一朗にも事前に話を通していた。壬生紗耶香はもちろん、ブランシュに洗脳・記憶の誘導・強要などを受けて人間関係が壊れた生徒は多くいる。そういう生徒たちを可能な限り踏みとどまらせることが、今の遥の使命だった。
「そうでしょうか」
「……どういうこと?」
だが、創一朗は感謝を受け取らなかった。
「
「処分を受けると言いたいの?」
「いえ、麻薬所持あたりの冤罪を吹っ掛けられて檻から出られなくなるんじゃないかと。連中、面子を潰した相手にはヤクザ並に容赦ないですからね」
遥の顔色が悪くなった。
そもそも彼女は、生まれ持った魔法の資質が有用だったから首輪を付けて飼われているだけの一般人だ。
飼い主の思い通りに動かない犬は、多少優秀であろうと組織には置いておけない。それは裏社会では基本ルールだが、遥はなまじ実力があるためにピクニック気分で暗部に所属してしまっている節がある。そういうシビアな部分はピンと来ていなかった。
「でも、我々はあなたを評価していますよ」
「……なによ、結局引き抜き工作?」
ジト目で睨む遥だが、警戒より落胆の割合が多いことを読み取って創一朗は畳みかける。
「小野先生なら俺たちはいつでも歓迎します。でも勧誘は目的じゃなくて手段ですよ、我々としても優秀な諜報員に派閥争いなんかで消えられたら困る。公安がいよいよヤバい時の避難先だと思って、これからもよろしくお願いしますよ」
公安内部が「犯罪魔法師有効活用派」と「あくまで生え抜きの魔法師を主軸とすべき派」で割れているのは確認が取れている。
公安を足抜けしても行く先のない彼女に、対魔装特選隊という逃げ先を与えるのが目下創一朗の目標だ。手元に回収できれば儲けもの、そうでなくても、これからも情報収集を手伝わせることができるだろう。
「はぁ、最近はとんでもない子ばっかりね」
やれやれとため息をつく遥。それはパっと見ただの愚痴だったが、その実早速の情報提供であると、創一朗は見逃さなかった。
――既に、遥に接触して情報提供を持ちかけた人間がいる。
それを正しく読み取った創一朗は、一つ連絡を追加しておくことにした。
「……ああ、それと。これは純粋に忠告なんですけど」
「?」
創一朗から特に感情は感じられなかったが、明確に「圧」が増したのを遥の感覚器は感じ取った。
「司波達也について嗅ぎまわるのは止めた方がいい。……扱いを間違えると貴女が思ってるよりずっと大勢死にますよ。ミズ・ファントム」
忠告はしましたからね、と念押しして創一朗が去ってから、直立不動で凍り付いていた遥が解放されて今度は過呼吸気味になるまで、およそ30秒を必要とした。
長くなったので分割します。
完全硬直中のエリカの明日はどっちだ。