新学期早々の昼休み。
まだまだ新入生が学校に慣れずにいる中、2年の壬生紗耶香はトイレの個室に水をぶっかけるという古のいじめを受けていた。
たまたま遭遇した創一朗は彼女を介抱し、保健室へと連れて行き今に至る。
部室に置いてあるという自前の着替えを安宿先生が取ってくるまでの間、紗耶香は1:1で緊急カウンセリングということになった。
詰所に連絡して午後の仕事を代わって貰い、いったん廊下に出る。
すぐの所にある渡り廊下(1階なので、シームレスに中庭と繋がっている)で時間を潰していると、ふと誰かの気配を察した。
否、この表現は正確ではない。紗耶香を介抱したあたりからずっと、創一朗はつかず離れずで着いて来ていた気配に気づいていた。
「なんだ、覗きか?」
隠れているだろう方向を見て、これ見よがしに言い立てる。本気でそう思っている訳ではない。口調の軽さとは裏腹に、訳がありそうだったから対話という穏便な形を選んだ。
すると、巧みに気配を消してついてきていた赤毛の少女が姿を現す。
「いやいや、あたしそっちの趣味はないから」
分かってて揶揄ったでしょ? と悪びれもせず返すのは、司波達也のクラスメイトの1人、千葉エリカだった。
「っていうか、今の気づけるんだ」
けっこう自信あったんだけどな、と落ち込んで見せるエリカだが、しかし顔から好戦的な笑みが隠せていない。明らかに彼女の期待は「見破られる方」に置かれていて、創一朗はそれを満たしたらしい。
笑顔というのは本来どうのこうの、という薀蓄が見事に当てはまりそうな、ネコ科の猛獣を思わせる面構えであった。
「実際、普通に軍でやってける練度だよ、大したもんだ」
「でもバレたし」
「相手が悪かったな。俺はかのミズ・ファントムの隠形も見破れるんだぞ?」
「いや誰よミズ・ファントム……」
エリカは確かに千葉家の娘で、警察や軍に強いコネを持つ人物だが、公安の秘密捜査官の素性までは流石に知らないらしい。
「……あたしの実家が剣術道場なのは知ってるでしょ」
エリカは観念したように語り始める。どうやら彼女も、教員はともかく職員に敬語を使うタイプではないらしい。あるいは、創一朗の軍人らしからぬ気さくな人柄がそうさせるのか。
「ああ。前の部隊でも千葉流のヤツはよくいたよ」
"剣の魔法師"の異名は伊達ではない。軍や警察の機動隊など、国内の組織化された戦闘魔法師は、その訓練カリキュラム内でほぼ確実に千葉流剣術に触れることになる。
ゆえに千葉家は魔法師であるか否かを問わずメジャーであり、門弟のネットワークという形で各方面に強い影響力を有する。軍の下士官クラスや警察省の機動隊に限って言えば、彼らの力は時に十師族をすら凌いでいた。
対魔装特選隊が生まれる以前。各方面でスペシャリストと戦って回った「武者修行」時代、高レベルの千葉流剣術使いにも複数遭遇していた。
エリカはあずかり知らぬことだが、その中には彼女の兄、千葉修次も含まれる。創一朗の得意とする圧斬りは、元をたどれば千葉流のそれを見て盗んだものだ。
「それ絡みで、あのセンパイのやらかしにはウチの門下生が一枚噛んでる」
創一朗は一瞬ん? と思ったが、そういえば紗耶香のことを「さーや」呼びするほど仲良くなったのはこの件が片付いた後だったな、と思い直す。
同時に、話が本題に近づいてきたのを察知してそれとなく遮音フィールドを展開。内緒話にはうってつけの魔法で、このくらいの無断使用は生徒会構成員も日常茶飯事であるから、いちいち咎められることはない。
「ありがと」
平然とそれについて礼を言うエリカだが、創一朗の魔法行使は残留サイオンなどの痕跡が極めて少ない。特殊部隊としての任務を想定し、余剰キャパシティを隠密性に割いているためだ。
古式の名手である山田の指導もあり、創一朗の、特に速度を度外視した魔法行使を見抜くのは魔法師でも困難を極める。それを事もなげに知覚してのけるエリカには、間違いなく天賦の感性が備わっていた。
「事情に詳しいみたいだな」
「ウチの門下生……3年の渡辺摩利が関わってるって聞いて、家の力を借りたの。ちょっとムカつくけど」
ブランシュ事件(未遂)の顛末は「頂上作戦」として大々的に報道されているが、それは「反魔法師団体がテロ等準備罪で摘発された」という部分だけ。
「魔法師でありながらそれに参加し、あまつさえ自分の学校を襲撃しようとしていた連中がいる」というのは、実際に摘発に関わった公安関係者と警察の一部しか知らない(ことになっている)情報だった。エリカが紗耶香のテロほう助(未遂)を知っていたのは、本人の言う通り「家の力」によるものだろう。
この時期の、千葉の苗字を名乗ることを許されたばかりのエリカが実家の力を使ってまで捜査に乗り出しているのは明確な相違点であったが、創一朗はそこまでは気づかなかった。
「最初のきっかけは、あの女……ああ、渡辺摩利のことね。あの女が手合わせを断ったとか断らないとか、そういうしょーもない話から拗れたみたい」
3年生を相手にわざわざ注釈をつけてまで「あの女」呼びを崩さないあたり、兄(千葉修次のほう)の恋人が余程気に入らないと見える。
経緯自体は原作と同様。渡辺摩利が、入学したばかりの壬生紗耶香からの指導の申し出を辞退したこと。
「じゃあ当人の間で解決すれば良くないか?」
「そっちはいいわよ、あとで当人同士殴り合いでもしたら丸く収まるでしょ。あたしが気に入らないのは、センパイがああもやられっ放しなこと」
常識的な心配をしているのかと思った創一朗だが、エリカの言い分は違った。
「ジェダイの騎士じゃあるまいし、原動力が憎しみだろうと勘違いだろうと、そこにあったやる気と身に付いた実力を千葉流は否定しない。センパイは中学時点で剣道全国2位の実力者だった、今はそこにもっと磨きがかかってる」
「……?」
「わかんない? センパイは格上の一科生よりも、おなじ二科生からイジメられてるの。自分たちが我慢してるのに、余計なことして状況を悪化させやがって~ってなもんよ。可愛いからやっかみも込みで」
そう言われて、創一朗はようやく察しが付いた。
クラスごとの管理の円滑化のため(実際のところ、少しでもいざこざを減らすため)、一科生と二科生の教室は棟からして分けられている。壬生紗耶香が昼休み、教室最寄りのトイレで一科生に遭遇することはない。
「そりゃ、魔法力じゃ一科生にかないっこないかも知れない。でもケンカの実力ってそれだけじゃないでしょ?」
そう言って獰猛に笑うエリカにも、肩のエンブレムは存在しない。
だが彼女には、この発言を「二科生の負け惜しみ」と言わせないだけの凄味が確かに存在した。
「センパイもそう。だから来たの」
「来て、どうすんだそれ。話を聞く限りかなり拗れてんぞ」
それはあまりにも乱暴な発想だったが、奇しくも原作の流れをなぞっていた。
「ケンカを売る。そんで認めてもらう」
「誰に、何を?」
「
――勘違いで1年を棒に振っても、間違った行動に訴えて失敗したとしても。
アンタには、
「
襲撃予告じゃないか、と創一朗は頭を抱えたが、一方で案外悪くない手かもしれないと思う自分を自覚していた。
もとより徳治主義的なところがある生徒会や風紀委員は、この手の暴力沙汰に異常なほど寛容だ。どころか自分たちの揉め事を決闘で解決した事例が作中に存在し、推奨している節さえある。
事情を知った七草会長らがなあなあで処分を下さない未来は、創一朗にも容易に想像できるものだった。一科生の増長の原因が魔法力の優越にあるとして、別分野でそれを上回る存在は、校風に風穴を開ける存在足りうるだろう。何しろ、原作で司波達也が実践したのだから。
しかも創一朗は、原作の壬生紗耶香が立ち直ったのは、渡辺摩利(千葉流目録)よりさらに格上のエリカ(千葉流印可)を相手にいい勝負をした=投じた時間が無駄ではなかったと理解したからという部分が大きいのを知ってしまっている。
その流れを考えれば、壬生に自信を付けさせると言うエリカの方法論は大いに暴力的である一方で、ただでさえ乱暴で実力主義的な側面の強い魔法科高校生にとっては有効に思えてならなかった。
「そうだとして……なんで俺に話した? 聞いた通りチクったらお前停学もんだぞ」
「んー何でかな、同類だと思ったから?」
答えるエリカ自身、ハッキリとした確信はないような口ぶり。
「何だそれ……」
呆れて返す創一朗だが、ここでペースに乗ったのが良くなかった。
「榊さんさ、特殊部隊の人でしょ」
「……」
唐突な指摘に創一朗は何も返答しなかったが、それは答えているのとほぼ変わらなかった。
「歩き方でもう分かる、普通の軍人にしちゃ強すぎ。こんな見るからにただ者じゃない術者は普通、ホイホイ民間企業に出てこれるような部隊にはいられない」
でもミッドポイントにいる、とエリカは続ける。
「何より、あたしが名前も聞いたことない魔法師がいる部隊なんていくつもないわ。陸軍なら情報部の一部と独立魔装大隊。海軍なら――対魔装特選隊」
「まあ、軍機だからその推理に対する反応はできないが……」
「でも本気で隠そうとは思ってないんでしょ?」
分かる人にはすぐ分かっちゃうよと平然と言ってのけるエリカ。自分が潜入に向いていないのを承知で第一高校に来た身として、創一朗は(やっぱりこの任務無理があったのでは?)と苦々しく思った。
「だからかな。思わぬ所でとんでもない戦士を見たからっていうか、強い人の前で嘘つきたくないなとか、そんな感じ」
言葉を続けるエリカは、やや頬を紅潮させて答える。これがもう少し色気のある内容だったら可愛げもあっただろう。いや、実際彼女なりの憧れだとか尊敬だとか、プラスの印象から来る照れくささだろうことは間違いなかったが、傍からは猛獣がじゃれているように見えたはずだ。
ただ、当の創一朗はこれを割と好印象に受け止めていた。裏も何もなく、純粋に強者として尊敬されるという状況で、相手に悪印象を抱くほど彼は拗らせていない。相手が美少女と呼べるルックスであれば猶更だ。
総じて、内容の物騒さから十分に目をそらせる程度の可愛らしさは残っていたと言える。
「つまり勘か?」
「勘よ。榊さんの立ち合いなら、多分上手く行く」
悪びれもせず言い切られて、創一朗はいよいよ困惑したが、断っても状況改善の見込みがないのは確かだった。
もとより、壬生紗耶香は事前情報で「要注意生徒リスト」の筆頭近くにあった名前だ。上の方の生徒は軒並み退学なり転校してしまっているので、繰り上がりで今や恐らく2位に位置する。司波達也とその関係者(同率1位)に次ぐ優先事項だ。
そうでなくても、一高にカウンセラーとして潜入中の小野遥――もとい、ミズ・ファントムからもできる限りの助力をと頼まれている。
「…………放課後、模擬戦名目で演習室を借りる。俺は正規の教員じゃないが、まあ生徒会に頼めばどうにかなるだろ」
たっぷり数秒間沈黙した末、創一朗の判断は受諾だった。
――試合がこの1勝負だけで終わるはずもなく、なし崩しに創一朗が土俵に引っ張り出されることになるのは、また別の話だ。