2095年4月。
いよいよ新年度がスタートし、ここ国立魔法大学付属第一高校でも入学式が行われた。
今年の新入生総代……つまり入試主席に輝いたのは司波深雪。知る人ぞ知る四葉家現当主の姪であった。
そこまでは良かった。四葉家は当主と次期当主以外は公開しない習わしだが、深雪の経歴の隠蔽は完璧である。そのまま何事もなく過ごしてもよし、将来的に正体を現す日が来たら遡って箔が付くのでよしという考えだ。この年はほかに十師族の直系も居なかったため、ひとまず「主席」を巡る諸問題はそれで片付く。
問題は、同学年の兄として入学した司波達也の存在だった。
今も表向き世間は平穏無事なまま。反魔法主義狩りを始めとするいくつかの犯罪組織の摘発があったくらいで、沖縄戦当時の緊張は既に霧散している。どこかの国との外交チャンネルが閉じていないし、テロの予兆も確認されていないし、経済も概ね平常運転だ。
大多数の一般市民と、大多数の魔法師は、少しだけ軍の存在が身近になった日常をいつも通りに過ごしていた。
――だが十師族を筆頭とする魔法界の頂点付近では、沼の底のような静けさの中で熾烈な情報戦が行われている。
沖縄海戦が歴史にとっての転換点であったとしたら、十師族にとってのそれは、司波達也と榊創一朗によって行われた模擬戦だ。
その戦いで、十師族は強大な二つの脅威を認識することとなる。
一つは、国防軍が誇る最強の調整体魔法師「榊創一朗」。魔法力の源である血筋を独占し、横並びで軍に反抗してきたことが十師族の強みであったのに、創一朗の登場はその政治的バランスを根底から覆してしまった。
そしてもう一つは、推定四葉の秘蔵っ子、司波達也の存在であった。
もちろん、四葉家は公式に関与を認めてなどいない。全ては憶測で、本来なら一笑に付される陰謀論の類。
だが十師族全体を見渡した上で「あの模擬戦」を企図した九島は、二つ返事でとんでもない人間兵器を持ち出してきた四葉は、情報がない事実が逆説的に四葉である証左と断定してカマかけに近い決め打ち調査を実施した七草は、それぞれ方法はどうあれ「十師族最強の魔法師」の存在を認識している。
結果として、大黒竜也=司波達也=四葉達也の図式は、九島と四葉がそれを知り、七草が確信し、国防軍の伝手で模擬戦の情報を仕入れた一条と十文字は裏を取れず半信半疑と言ったところ。
だからこそ、これを受けての各家の対応にはバラつきが生じた。
九島はあくまで十師族体制の存続を念頭に、榊という脅威に対抗するため連帯を呼び掛けている。現在においても彼らは最大派閥であり続けているが、彼らにとって最大戦力になるはずだった四葉をつい最近まで排斥しようと画策していたのもまた彼らであり、そうでなくとも七草や十文字のような有力な家ほど結束に縛られず好き勝手行動している節があるのも事実だった。
四葉は一足先に十師族を見捨て、これまで通り政府の協力者としての立場作りをスタートした。表立って体制を攻撃するような事態は確認されていないが、ここ数年で露骨に軍や政府からの依頼を受けて動くことが多くなっている。
七草もまた、独自の立ち位置を持った家の一つだ。かねてから政治力の拡大に余念のなかったかの家は、その甲斐あってか「榊創一朗」と「司波達也」、現在の二大キーマン両方の事情をある程度知っていると言う唯一の立場を獲得するに至る。この情報的優位を背景に戦況をコントロールし七草にとって最大限利益の大きい形に着地させる……と当主たる七草弘一は意気込んでいるが、要するにそれは日和見であった。
十文字は創一朗出現とそれを取り巻く情勢の変化から、現状を政治的有事であると断定して十山家と全面的な協力体制に入っている。その一方で、揺れる十師族に対し彼らはかなり早い段階で完全中立を宣言していた。上がどうなろうと、あくまで「首都および政府機能の最終防壁」という家の役目に徹する構えだ。
一条はこれまで以上に軍との連携を強め、日本海沿岸の防衛力増強の観点から海軍対魔装特選隊の存在に行きつき、現在も探りを入れている。尤も彼らの場合、政治的により良いポジションを確保しようとかではなく、単に沿岸防衛の新たな戦力として渡りをつけたいだけと思われるが。
そういう背景もあって、今やこの二人は魔法界のパワーバランスを大きく左右するキーパーソンと化していたのである。
――だから、生徒会長として第一高校を取り仕切る立場にある七草真由美は、事情を知りすぎてしまっていた。
彼女は知っている。
今年入学してきた総代の司波深雪よりも、兄であり二科生の達也の方が戦力的・政治的にとてつもない爆弾であるということを。
その監視のため、国防軍が最強の戦闘魔法師「榊創一朗」その人を寄こして来たことを。
その上で、七草家当主たる弘一の命令はこうだ。
("少なくとも片方と懇ろになれ"って何平然と言ってくれてんの!?)
元々、七草弘一が軍のリョウメンスクナ計画に乗ったのは、常識を超えて強力な魔法師を作り出し、政治力に限らず戦力という面でも四葉を超えようと企図したからだ。そうして「完成」した創一朗を娘たちの誰かとくっつけて七草の血筋に取り込み、初めて計画は成る。
当初の計画では真由美ではなく妹のどちらかをそれに使うこともやぶさかでないとしていた弘一だったが、せっかく真由美のいるところに転がり込んできたのだ。五輪の娘に先を越される訳にはいかないと、さっそく真由美に取り込み工作を指示していた。
一方、軍は弘一の予想すら超える超兵器を作り出した訳だが……ここで誤算が生じた。四葉は司波達也というさらなる脅威を抱えていたのである。しかも調べてみれば、その司波達也は現当主・四葉真夜の甥だというではないか。
そこで弘一は発想を変えた。この政変で四葉が強気でいる理由、リョウメンスクナの怪物をすら上回る司波達也を、家の娘とくっつけてしまえばよい。
果たしてその計画に、自分の娘と四葉真夜――かつての婚約者の姉の息子を結婚させるという作戦の中に、弘一の私利私欲が含まれていないと果たして言えるだろうか。
土台、七草家が司波達也を取り巻く事実関係にたどり着けたのは、弘一の偏執的と言える四葉へのマークが功を奏した部分が少なからずあるというのに。
(洋史さんとの婚約話もいつの間にか立ち消えになってるし! どんだけ本気なのよあの狸!!)
弘一と真夜の間に横たわる事情までは知らないにしろ、真由美がこうして頭を抱えているのも当然と言えた。"持ちうる手段は全て使いなさい"という父の言葉は、実質色仕掛けも込みで手段を選ぶなと言われたに等しい。実際、弘一としては最悪でもどちらかの胤だけ手に入れれば良しとする方向で工作を仕掛けていた。
「おーい、そろそろ報告続けていいか?」
ここは生徒会室。そう、真由美は今、風紀委員長・渡辺摩利からのトラブル報告に対し現実逃避をしていた。
「…………お願い」
父親を足蹴にする妄想から戻ってきたがらない自分を叱咤して、どうにか消え入りそうな声で続きを促す。
「懸念されてた通り、二科生差別が悪化してる。事実関係を隠せても、生徒が休学してた事実は隠せないからな……あたしや服部が見ている前じゃ大人しくしてるが、裏じゃ相当言われてるようだぞ」
そもそもが魔法力に劣って差別される者たちだったのに、あまつさえ自分が魔法師でありながら反魔法主義に傾倒し、挙句蜂起にすら失敗して連れ戻された。彼らには多分に情状酌量の余地があったが、それを正しく理解しているのはごく一部だけだ。
むしろ、ただでさえ「劣等種族」扱いだったのに危うく本当の犯罪者になりかけたとあって、校内の二科生差別はさらにヒートアップしているのが現状だった。
厄介なのは、生徒間のもめごとの仲裁も務める風紀委員に、それらの訴えが全く上がってこないことだ。
「とりあえず、ウチの連中には二科生だからって訴えを握り潰したりしないように強く言って聞かせてるが……そもそも生徒会も部活連も風紀委員も幹部は全員一科生だからなあ」
向こうからすればあたしたちですら敵なのかもしれん、と摩利は続ける。
「頭が痛いわね……ここまで来ると、平等に裁定したら逆に一科生・二科生両方から批判されかねないわ。相手に贔屓してるって」
「ありそうな話だな……しかしどうする?
そうよねぇ、と相槌を打つも、真由美も有効な対策を考えだすことができずにいる。
「ああそれから、今年主席の司波なんだが」
その言葉を聞き、真由美はピクリと反応する。
「二科生の兄と一緒に帰ろうとしたところを一科生のクラスメイトに引き離されそうになったとかでな……言い合いが過熱して、その場で魔法の撃ち合いになりかけ」
「それどこでやってるの!?」
摩利の報告内容を看過できず、ガタンと音を立てて机から勢いよく立ち上がる。
「落ち着け、もう済んだよ。場所的に守衛詰所が近くてな――」
◆ ◆ ◆
ひとまず入学式が恙なく完了し、俺以外の守衛詰所の職員たちには一定の安心感が漂っている。
俺――榊創一朗の職場が海軍基地から第一高校の守衛詰所になって数日。設立初期ということでバタバタしているものの、俺以外の警備員も元軍人ということでテキパキと作業が進んでいき、ようやく一息つけると言ったところだ。
民間軍事会社「ミッドポイント」全面協力のもと司波達也の監視のため潜入している俺は、名目上は警備主任だが実際のところ会社の管理体制から独立している。
登下校の時間は門の前に立ち、授業中は決められたルートに沿って校内を巡回、最終下校時刻後に残っている生徒がいないか確認し、教室を施錠するなどしているが、これらはあくまで別でいる担当者の手伝いであり、俺は1人で任されている業務がない遊兵だ。
警備員の立場をフル活用して司波達也について情報を集め、日報としてまとめている。基地にいた当時より自由が利くし労働時間も短いのはいいが、司波達也のお膝元での活動とあって気が抜けない。
「さよなら」
「っす」
「さいならー」
今の時刻は放課後。詰所のカウンターに座り、下校してくる生徒たちと適当に挨拶を交わしている。一応、俺や「ミッドポイント」の存在は全生徒に通達が行っているそうで、初日はだいぶ奇異の目で見られたり警戒されたりしていたものの、頑張ってフレンドリーに接していたおかげかある程度受け入れられ始めたようだ(未だに女子とかには怖がられてるが)。
「でっけ~守衛さん何センチあんの?」
「203cm*1だよ。あと敬語使いな?」
「えめっちゃムキムキじゃん、ヤバ」
「鍛えてるから……敬語ね」
「昔は軍の特殊部隊にいたって本当ですか?」
「それは軍事機密だから」
俺の体格とバイザーが一部生徒の琴線に触れたのか、教育実習生が来た時のごとく群がられて質問攻めに遭ったりもしたが……まあ、うまいこと躱せていると信じたい。デカい先生いるととりあえず人気になるよね。俺は先生じゃなくて守衛だけど。
そうやって生徒とダベって過ごしている訳だが、別にサボっている訳ではない。仲良くなっておけば学校内で何かあった時噂話を仕入れられるし、今日は特に――
「同じ新入生じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですか!?」
そら始まった。
俺の"原作知識"――もう15年も6年も前だからだいぶぼやけ始めているけど――によれば、入学から数日の段階で、校門付近で達也一行と一科生の、あー、誰だっけ、そう森崎だ。森崎たちがケンカをする。
今日放課後になってからずっと校門に突っ立っていたのは、その発生を見逃さないためだった。
「なんだ、ケンカか?」
「あー、ちょっと仲裁してくる。皆は早めに帰りな~」
風紀委員が着いたらお説教に巻き込まれるぞ、とおどけて見せて周囲の生徒を避難させ、歩いて現場に近づいていく。こういうのは、慌てる様子を見せないことも大事なのだ。
眼前では既に一科生と二科生のグループが睨み合っており、一触即発の空気になっている。
「どれだけ優れてるかって……? だったら教えて――」
「何してる! やめろ!!」
一科生の先頭にいた男子がCADに手をかける寸前、耳にビリビリ来るくらいの大声で割り込んでやめさせる。
遠巻きに眺めていた生徒たちの半分ほどがそそくさと逃げ出し、怒鳴られた一科生たちは多少なり悪いことをしてる自覚があったのだろう、一気に顔を青ざめさせてこちらを見ている。
怒鳴られてない側の二科生や野次馬ですら慄いている中で、例外は3人。
「っ!」
「俺が介入してきた」ということ自体に驚いた様子だが、怒鳴り声自体には全く気圧されていない司波深雪。
「……」
どうやってこの場を収拾するか考えているのだろう、いつも通り無表情でピクリともしていない司波達也。
「へぇ」
そして懐に腕を突っ込んで姿勢を低くしており、恐らく警棒でCADを叩き落すつもりだったのだろう赤毛の女子生徒、千葉エリカ。
「よし、そのままゆっくり腕を下ろせ」
この男子、確か森崎と言ったか、彼がビビったことをダサいとは思わない。多少鉄火場の経験があると言っても、所詮は高校生になりたての15歳だ。俺や達也がおかしいのであって、普通は2メートルのマッチョが怒鳴り込んできたら震え上がるんだよ。
「君たち新入生だな。魔法科高校の敷地内だからって、許可なく魔法を使うのは禁止されている。迂闊に魔法を使うのは、迂闊に銃を使うのと一緒だぞ」
原作知識があるから事情は知ってるし司波達也とは顔見知りだけど、この場は守衛として仲裁する必要がある。大きな声を出した手前、なあなあにしたらこっちまで怒られるしな。
「すみません。悪ふざけが過ぎました」
「悪ふざけ? どんな?」
そういうアイコンタクトを送ったのが伝わったのか、達也がズイと出てきて話を合わせてくれる。
「あの有名な森崎一門のクイックドロウを見学させてもらうつもりだったんです。誤解を招いてしまい、申し訳ありません」
「それなら――」
「では、そこの女子が攻撃性の魔法を発動しようとしていたのはどうしてだ?」
話を丸く収めにかかった俺を遮るように、背後から女子生徒の声がする。
「風紀委員長の渡辺摩利だ。事情を聞かせてもらいたい」
――あれ、この場って七草真由美も出て来たんじゃなかったっけ?
俺がその違いについて考えている間に、達也が「あれはただの閃光魔法で攻撃の意図はない」「発動速度の比較対象として頼んでただけ」と弁明を続けている。予定とは違ったが、俺も「魔法発動の兆候があったから飛んできたが、どうやら自習の類だったらしい」と援護しておいた。
七草会長が居てくれれば、司波兄妹の秘密が分かっているからあまり詮索せずに解放されると判断していたのに、少し手間である。生徒会長がこの大事な時に一体なにを……。
「君、名前は?」
「1年E組、司波達也です」
「なるほど、君が……覚えておこう。それから榊主任、迅速な仲裁に感謝します」
「いえ、むしろ早とちりで大声を出して申し訳ない」
結局この場は(七草会長が居なかったこと以外)ほぼ原作通りに収拾され、司波達也は「起動式の読み取り」という手札を晒す事無く追及をかわし切った。
◆ ◆ ◆
「と、言うことがあってな……あの時の司波の堂々たる態度、相当肝が据わってると見た。あいつは風紀委員向きだな」
「ああ、そう、そうよね事後よね……報告になってるんだものね……」
そう話を締めくくり、達也を高く評価した摩利だったが、一方の真由美はますます頭を抱えるばかりだ。
「本当に大丈夫か? お前が校内で魔法の兆候に気づきもしないなんて相当キてるだろ」
摩利の言う通り、真由美のマルチスコープをもってすれば校内全体で魔法の不正使用を取り締まることはできるし、彼女はそれを補助するように本来生徒会長に許されるレベルを超えて校内の監視システムに介入出来る、まともな手段で手に入れたとは思われないコードを保有・行使している。
だというのにこれだけの大事がありながら事後報告されるまで気づけなかった己の不調ぶりと、気を使われて今まで放っておかれてしまった不甲斐なさを感じ、真由美の胃壁はさらなる負担を受けるのだった。