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択捉島沖、海上。
いわゆる北方領土にほど近い、ギリギリ新ソ連領に入らない海域に、日本国防海軍の保有する艦隊が集結していた。
大戦末期に就航した正規空母を中心に、VTOL/STOL機の母艦としても機能するフリゲートが2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻、補給艦1隻、そして空母と同じく大戦中から配備が開始されている原子力潜水艦が1隻。いわゆる1個空母打撃群である。
すわ開戦かと思わせるような陣容だが、集結の名目はあくまで演習だ。各方面への事前連絡も済ませており、演習内容は一般のマスメディアにも公開されている。
演習目標は「オホーツク海の制海権確保と極東ロシアへの逆侵攻」を想定したものであり、領土侵犯を実施してくる新ソ連を名指しで対策するような内容だ。
とは言え、新ソ連側も似たような内容の……それこそ「制海権確保と北海道の占領」を目標とする演習は数えきれないほどやったことがある。
新ソ連にとって問題は2つ。
第一に、非公開の戦略級魔法師「鉄仮面」が、この艦に乗っているという真偽不明のリーク情報が存在していること。
日本政府がこの軍事演習を佐渡侵攻への報復、あるいは当てつけとして実行しているのは誰の目にも明らかであり、圧力をかけるために空母打撃群+旗艦に戦略級魔法師という現代先進国における「戦争」を行うための戦力を持ち出したことは、普段の日本ならば滅多にないレベルの挑発行為である。
そのかの沖縄海戦で絶大な威力を見せた戦略級魔法「海割り」の使い手が乗艦していると聞きつけ、世界中の注目が集まっている。
今も日本は沖縄で使われた魔法を「深淵」であると言い張っているが、明らかに別物であることはもう他国の間でも知られている。五輪澪ではない極秘の使い手がそこにいるとなれば、実質核武装した原潜が演習に参加しているようなものである。国際社会の注目は否応なしにそこへ向かった。
それこそが第二の問題。この日は新ソ連の軍事パレード開催日だ。
もともと、沖縄海戦で日本の魔法戦力の決定的優越が明らかになったため、ここ1年で各国は急速な軍拡路線へと傾倒している。
名目上は同盟国の米国ですら、沖縄海戦から数か月で新型ステルス戦闘機をロールアウト、向こう5年間で航空戦力を倍増させる大統領令が発動し、ダメ押しとばかりに新たな戦略級魔法師「アンジー・シリウス」を公表した。
大国で最も割を食っているのは大亜連合であり、「海割り」によって予想される沿岸地域の壊滅と、黄河や長江を遡上してくる津波による大規模な塩害へ有効な対策を打てていない。皇帝(ここでは、大亜連合の国家主席を指す)の徳が足りないのではという前時代的な言説が国内の統制を貫通し始めており、国内全土に見え隠れし出した反乱の兆しを鎮圧するため、数か月前から国家非常事態が宣言され一足先に戦時体制への移行を果たしている。
オーストラリアは国際世論による猛批判と西EUからの懲罰動議を受けて完全鎖国体制に戻った。国外からの一切の取材をシャットアウトしているため詳細は不明だが、徴兵制の復活が議論されているそうである。
逆に東南アジア同盟やインド・ペルシア連邦はこれまで以上に日本に接近し、事実上の対大亜連合包囲網となる(中華以外)全アジア軍事同盟の設立も視野に入っていると言う。
そして、軍拡路線の先頭を行っていたのが新ソ連だった。かの国は国土が極めて広いこともあり、推定2~3000kmと考えられている「海割り」で受けるダメージは限定的なものだ。「海割り」対策で各国が追われている隙を突き、周辺国を刺激せずに軍拡を実施するチャンスだったから乗った、という側面が大きい。
そしてその成果は、例年より1.5倍ほど豪勢になった軍事パレードの中で明らかとなる予定であった。
ところがである。第三次世界大戦での「戦勝」を記念して毎年赤の広場で行われているパレード開催日に日本が軍事演習をぶつけて来たことによって、今頃モスクワにいる報道陣は情報弱者か各紙の2軍のみ。新ソ連は面子を潰された格好になる。
「……というような仕掛けらしいですよ」
同じころ。空母の艦橋内には、2名の高レベル魔法師が乗艦している。
非公認戦略級魔法師「鉄仮面」こと榊創一朗大尉と、公認戦略級魔法師「五輪澪」だ。
世間で流されている噂のレベルを超えて、この艦には日本の保有する戦略級魔法師の2/3が乗っているのだった。
1年数か月ぶりの邂逅となった二人は、相変わらず創一朗が澪の車椅子を押す形で艦橋を進む。
澪は現在も創一朗の影武者 兼 戦略級魔法師として、あくまで海軍の要請に従う形でこの手の演習に参加している。その分、持っている情報は限定的なので、完全に軍の管理下にある創一朗が裏話を吹き込んだ形だった。
「最初からあなたが出ればいいじゃない」
「自分もそう言ったんですけどね、一応非公認の身分なので」
まさか五輪澪の車椅子を押してるヤツが本物の鉄仮面だとは、一般のマスコミなどは誰も思わない。鉄仮面だと分かるような国家の上層部は、既にかの魔法師の脅威度を知っているので不用意に動くことができない。そういう段取りであった。
「ここまでやって新ソ連は怒らないの?」
「怒るでしょうね、怒らせに行ってるので。ただ、統合幕僚会議の見解では"新ソ連は律儀に挑発に乗るようなことはしない、するとしたら南方への奇襲か、演習が終わってからの襲撃だろう"と」
「嫌な説得力ね」
「ええ。俺はここから沖縄を攻撃できますんで、海軍としてはむしろ今の内に攻撃してきて欲しいんですがね」
正面から堂々と戦ってくれるなら新ソ連軍は今ほど脅威じゃない、というのは軍部の共通見解だ。その分、今この隙を狙って沖縄方面に奇襲をかける可能性は高いと見積もられている。
その時は、この空母に極秘で搭載されている艦載型"セイレーン"が火を噴くという段取りだった。
「ふぅん」
澪の返答はいつもよりそっけない。
彼女は確かにその手の機微に疎かったが、淑女としてそれなりの洞察力は持っているつもりだ。
今の創一朗に、前はあった"可愛げ"――女性への、特に身体に触れることに対する余計な遠慮であったり、こまごまとしたところへの気遣いの不足だったり、周囲に他人がいることを想定しない身体の動かし方だったり――がなくなって、外見年齢に相応しい大人っぽさが出ていることを、澪は見抜いていた。
それは一般には「男を上げた」とか「一皮むけた」とか言われる成長だ。澪がもう少しスレていたら「童貞を捨てたな」とドンピシャで言い当てられる所だったが、幸い彼女にも男性経験がなかったので、「さては彼女が出来たな?」くらいにマイルドな表現になった。
ただ――創一朗にそれを齎したのが自分ではないことが、無性に腹立たしかった。
「……やっぱり、船旅は身体に堪えますか」
創一朗は敬語が下手だ。礼儀正しい動きは軍に入ってから叩き込まれた軍人口調が限界で、それすら時々崩れては部隊ごと腕立ての憂き目に遭うことがある。
ただ、私生活での親しみやすさがそのあたりから出ているのも確かで、少なくとも澪はそのあたり気にしていなかった。
「はぁ」
この溜息は、見当違いの方向を心配している創一朗に怒る気力が湧かなかったからだ。
「あの、澪さん?」
「知りません」
つーん、という効果音が聞こえてきそうなわざとらしい不機嫌ぶりは、結局創一朗がオロオロしているのが面白くて「まあこれくらいにしておいてやるか」と澪が機嫌を直すまで、およそ30分続いた。
◆ ◆ ◆
米国某所。
米軍特殊部隊「スターズ」専用の訓練施設として作られたそこでは、数か月前から「鬼」が出ると噂されている。
「次!」
投げ飛ばされ、撃破判定となった隊員が起き上がるより早く、相手――無造作な赤髪を振り乱した「鬼」から怒号のような指示が飛ぶ。
それに応えるように、さらに2人の魔法師が自己加速術式を使用。「鬼」に向かって飛び掛かっていく。
「遅い!!」
言い終える前に、「鬼」は模造ナイフを飛ばして1人をメッタ刺しに、もう一人の喉元を蹴り上げ悶絶させる。硬化魔法やベクトル反転術式を間に合わせない早業であった。
「次!」
なおも彼女の覇気は衰えない。
そんな「鬼」に、たった1人、模擬ナイフ1本で向き合っていく猛者が1人。
「っは、化けたな隊長。ニホンで一体何を見たんだ?」
「……」
鬼は答えない。ただ、「剣筋から読み取って見せろ」とでも言わんばかりにナイフを構えるのみだ。
「いいよ隊長。今のあんたになら命を預けられる。行くぞ!!」
女――シャルロット・ベガは、スターズの第四隊を預かる部隊長だ。
彼女はかつて、自分より軍歴も年齢も下のリーナが総隊長に就任するのを強硬に反対していた人物だった。
最終的にその決着は模擬戦で付いたのだが、それでもわだかまりは残ったまま。いつか離反するのではと密かに警戒されていたが――日本での任務を経て変わった「鬼」、もといアンジー・シリウスを、最も歓迎したのもまた彼女だった。
この日シャルロットは都合8回リーナに挑み、その全てでこっぴどく撃破された。
「リーナ……」
その訓練の様子を遠巻きに見守っているのが、スターズ第一部隊の隊長であり、全体の副官も務めるベンジャミン・カノープスだった。
その片目は医療用の眼帯で覆われ、今も訓練を見学している。
現代の再生医療によって眼球自体を回復させることはできたが、ベンジャミンには心因性の視覚障害が残り、今でも潰れた方の目は光を取り戻していない。事件や事故など物理的な原因で目を失った人間にはままある症状だった。
だが彼は、その程度の怪我に弱音を吐くような人間ではない。彼が気を揉んでいるのは、専らアンジー・シリウス――リーナのことだった。
あの日。帰還した彼は叱責されることも、処分されることも、かといって賞賛されることもなく、ただ政変によって大騒ぎになった軍内部の後処理に加わった。リーナはこと事務仕事や政治工作では何の役にも立たないので、訓練中の怪我という名目で休養が言い渡された。
任務自体が「なかったこと」になるのは極秘任務ではよくあることだったが、これほどの重大事を経て何のアクションもないのは、かえって彼らの心に大きなプレッシャーを与えた。
自分はいい。愛国者として、汚れ仕事に殉ずる覚悟はできている。任務を失敗させた手前、どんな沙汰があっても甘んじて受け入れるつもりでいた。
だが、リーナは。
彼女は本国に帰還して以来、今のような激しい訓練に身を投じるようになった。
「生まれて初めて魔法力で上回られてやる気になったんだろう」。軍上層部はそう言って楽観視しているが、ベンジャミンはリーナがそんな好戦的な性格ではないことを知っている。
あれは一種の逃避行動だ。自分を徹底的に鍛え抜き、半ば気絶するような形でしか、彼女は睡眠が取れなくなっていた。
――ベンジャミンは今でも、自問することがある。
あの日、無理を言ってリーナを連れて行かなければ、ここに「鬼」が生まれることはなく。
そして、自分が速やかに自害することで米国は不利な条件を飲まされることもなかったのでは――。
軍人に後悔はいらない、ただ命令を熟すのみだ。そう理屈では分かっているが、眼前でほとんど自傷行為のような激しい訓練を続ける13歳の修羅を見ると、彼はそう考えることを止められなかった。
責任を取って退役しようかとも考えたが、彼は今や世界的に貴重な「鉄仮面」との実戦データを保有する個人だ。それを持ち去ることは軍が、ひいてはアメリカ政府が許さなかった。
「……私は」
ベンジャミンの苦悩は、終わりそうにない。
10:30追記:空母艦名が命名規則に沿っていないことが分かったため削除