日刊22位
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五輪澪はこの日、愛媛県宇和島市某所の研究所を訪れていた。
魔法技能開発第五研究所。物体の形状に干渉する魔法を研究テーマに掲げ、2つの戦略級魔法を開発したことで知られる名門研究所だ。
そして、現代における日本最強の魔法師集団「十師族」の一角、五輪家を「開発」した研究所でもある。五の各家が運営側に回ってからも魔法研究は続けられ、澪自身も自らの魔法の調整などのため、東京の別宅から時折この研究所に訪れていた。
今日来たのも定期的な魔法のチェックの為だったが、今回はそれ以外にも予定があった。
(わたしに来客……一体何者なのかしら)
研究所に来客があるのはわかる。第五研究所はその性質上、海軍とのパイプが太い。第三研究所ほどではないにしろ、軍人が出入りするのは日常茶飯事だ。今日訪れている「来客」も、海軍に新設された特殊部隊の人間だという。
澪は(少なくとも公式上)日本唯一の戦略級魔法師である。その縁で、澪自身は外出もままならないほどの虚弱体質であるにも拘らず軍との関わりが強い。
彼女の魔法「アビス」は、水面を半径数kmの半球状に陥没させる。その性質上船か飛行機で使用する必要があり、澪は虚弱の身を押して式典や演習などで艦艇に乗ることも多い。結果として一族は繁栄し、大将クラスから防衛省のお偉方まで様々なところと顔繋ぎをすることになったが、澪自身はあまり気乗りしないというのが正直な所だった。
「どーも、初めまして」
果たして、どんな偉い人が来るのか様子を見ていた澪だが、ドアから聞こえてきた予想外に軽い口調に一瞬力を抜こうとしていた。そのせいで彼女は、視線を入口の方へ向けた瞬間、そこに立っていた男の格好を見て度肝を抜かれる羽目になった。
「失礼いたしました。自分は国防海軍対魔装特選隊 榊 創一朗(さかき そういちろう)曹長であります」
隣の上官に小突かれて気を取り直したか、軍人らしい丁寧さで名乗られてからも、澪はそれなりの時間あっけに取られていた。
「公的記録に存在しない特殊部隊」は、大体どこの軍隊でも都市伝説的に存在するものだ。そしてその一部は、例えばデルタフォースのように実在が確実視されるものもある。
この年、2091年4月に発足した国防海軍特殊部隊「対魔装特選隊」もまた、そういう実在する都市伝説のひとつだ。江田島に所在する特別警備隊と違い、こちらは横須賀に本部があるとされているが、その実態は同じ基地の人間にすら伏せられているという。
澪自身、海軍と特別太いパイプがある五輪家の人間だから辛うじて存在だけは知っていたくらいで、隊員や装備、任務などについての情報はない。
それにしたって、のっぺりした黒いバイザーで顔全体を覆った大男が出てきたら、誰だってフリーズするだろう。
「榊曹長は海軍の最重要機密人物であります。軍機につき、素顔を晒せないことをご容赦願いたい」
隣にいる大佐殿(対魔装特選隊の隊長と名乗った)から大真面目にそう言われてしまっては、個人としては車椅子に乗った小娘に過ぎない澪には何も言えなかった。軍人が「最重要」と称することの意味を、彼女は知っていたからだ。
「はぁ……」
「本日こうしてお伺いしたのは、彼の魔法技能についてであります」
それを言われて、多少は納得が行った。澪は海軍の要人だが、一方で身体が弱く軍人どころか十師族の務めにも耐えない。その価値が戦略級魔法を撃てるところにしかないのは、少なくとも自分で認めるところだ。
「単刀直入に申します。榊曹長は、貴研究所の〝深淵〟を行使しうる適性を持っております」
だから、それを言われても澪に驚きはなかった。
しかし、五輪家とそれに連なる一門の人間で、自分以外に戦略級魔法〝深淵〟の使い手が現れたという話は聞いたことがないのも事実だ。魔法力の話がブラフでないなら、この曹長とやらは軍が「独自に」調達した魔法師ということになる。
十師族と師補十八家、そして彼らが実質的に支配している日本魔法協会は、日本国内の現代魔法師とその血筋をほぼ完全に把握している。研究所で兵器として作られた十師族は、だからこそ同胞が必要以上にこき使われないよう徒党を組んだのだ。
彼らの繋がりは昭和以前の日本の田舎的なウェットなものであり、良くも悪くもお互いの動向が筒抜けになる特性を持っている。戦略級魔法師かその候補なんてものが生まれたのなら、どこかしらに情報が伝わっていないとおかしい。
繋がりを辿れないとしたら3種類。一般人同士から生まれた第一世代魔法師、数字落ちや四葉家の闇の中、そして、研究所で新たに製造された調整体。
この動きの裏側に存在するであろう「何か」が相応の闇を孕んでいることを認識して、それでも澪は動じない。
公称日本唯一の戦略級魔法師として、十師族の、そして海軍の深いところに関わり続けた彼女にとり、これくらいの厄ネタは日常茶飯事だった。
ただ、久しぶりに「自分の番」が回ってきたのだ。
「そうですか。では、わたしはお役御免ですか?」
口から出したのは皮肉のつもりだったが、そこには本人が思った以上の喜色がこもっていた。
確かに今の五輪家の栄達は、国家公認戦略級魔法師「十三使徒」の一角である澪の功績に寄るところが大きい。
自分が任を解かれれば、それは五輪家の失墜をも意味するだろうが――それ以上に、彼女は疲れていた。
「いいえ、そうではありません。統合幕僚会議は榊曹長の魔法力を秘匿する方針で一致しました。それを踏まえて、新たな方針をお伝えします」
そこで一旦話を切り、大佐は目線だけで素早く周囲を確認。
その動作で最高レベルの極秘事項が伝達されるのだと察し、澪も車椅子の上で姿勢を整えた。
「……今後、実働すなわち〝深淵〟の使用が想定される任務は、1年ほどかけて段階的に榊曹長へ移管します。その間、五輪殿は榊曹長に術式の手ほどきを行って頂きたい。移管完了後も戦略級魔法師として公的に認定するのは五輪殿のみとします。式典等にはこれまで通り、体調の都合がつく範囲で出席頂きたい。これは、統合幕僚長本部の承認を受けた計画です」
――それは、いわば事実上のクビ宣告と引き継ぎの案内だった。違うのは、澪の言った、あるいは望んだ「お役御免」は訪れず、代わりに「影武者」が業務を代行するということ。
自分以外で深淵の使い手が現れたらこうなるだろうことは、澪にとって予測できていた。身体の弱い澪に無理をさせるより、彼女には「看板」だけやらせて実働は別人に任せる方がいい。出来るものなら。
核兵器を封じられている今の世界で、戦略級魔法師の動向は国家の一大事だ。澪自身、総理大臣が代替わりする度内閣の承認やら何やら、数々の政治的手続きを(実際にはほとんどポーズに過ぎないと知った上で)こなしている。こういう動きを行うには、最低でも防衛と外務、両大臣クラスの承認がいる。それらをかいくぐって話を通し終えた、承認を得たというのなら――
「わたしに、影武者になれと?」
彼女の行動には十師族として五輪家が、政府の戦略級魔法師として海軍が命令権を持っている。ことは一撃で艦隊を壊滅させる戦略級魔法に影響するため、その意思は様々な思惑の下でがんじがらめにされ、本人だけでは事実上何も決められない状態が長く続いていた。
「……そう、受け取って頂いて構いません」
流石の大佐も言葉を選んだが、一瞬の沈黙の後はっきりとそう言った。
「それは」
師族会議に持ち上げるべき案件だ。自分どころか、五輪家だけで決めるには手に余る。
「この件は既に、貴女のお父君に承諾を頂いています」
しかしそれを口に出すよりも、大佐の追撃が早かった。
「父が!?」
思わず感情をあらわにし、身体が少し前かがみになる。虚弱な彼女でなかったら立ち上がっていただろう。それほど、大佐の発言は意外なものだった。
澪の父、勇海は十師族の当主にしては温和な、悪く言えば優柔不断な所がある。師族会議でも存在感がなく、専ら「七草派」の賑やかしのような扱いに甘んじていた。気質的にも能力的にも、このようにあからさまな「厄ネタ」に乗っかるような人物では決してない。
こういうのは七草か、そうでなければ四葉の領分。それが現十師族の共通認識だった。
勇海とて無能ではない。ただ、彼は澪が戦略級魔法師だったおかげで十師族の座に就いたのだ。娘の意向を確認もせずにことを進めたことなど、今までなかった。
ただ、澪の体質は生まれ持ったもの。勇海は父として、澪に重責を強いたことを悔いていた。公的な場はもちろん、私生活でさえそれを口に出したことはなかったが、それでも澪は知っていた。
「……わかりました」
そこまで考えの至った澪に、もはや抵抗の意思はなく。
「おたくの娘さんを影武者に使わせてください」という無茶な要望は、結果的にあっさりと叶えられることとなる。
「受諾いただき、感謝申し上げる」
「よろしくお願いします」
澪は折り目正しく一礼する男――榊創一朗を、ここではじめてしっかりと見た。
バイザーのせいで素顔は分からないが、声からして若いようだ。ひょっとしたら自分と同年代かもしれない。
また、大佐殿も軍人らしく体格に恵まれているが、隣に立つ創一朗はそれより一回り大きい。身長自体はあまり変わらないようだが、肩幅が広く骨太でガッシリしている。魔法なんか使うより普通に殴った方が強いんじゃないかと思ってしまうような体躯は、しかし本人の気さくな挨拶があってか威圧感を感じさせなかった。
軍と関係が強いと言えど、普段はいわゆる官僚軍人や政治家ばかり相手している澪にとっては新鮮なタイプである。
「よろしくお願いしますね」
車椅子の向きを軽く創一朗の方へ向け、挨拶を交わす。
特殊部隊の隊員として日夜戦っているのだろう創一朗。ある意味「魔法使い」然として虚弱で、車椅子の力を借りなければ日常生活もままならない自分。そこだけ切り取れば両者の関係は対照的だ。
しかし、なまじ強い力を持って生まれたために自由を失ったという意味で、彼と自分は似ていると澪は思った。
自分の足で歩くことすら満足にできない自分の代わりに彼が思い切り暴れてくれたら、この鳥籠のような世界を少しは好きになれるだろうか。
「頑張ってくださいね」
澪はいつもの余所行き笑顔ではなく、久しぶりに本心からの笑顔で創一朗に笑いかけた。
この日、五輪澪は実質的に戦略級魔法師の座を降りた。
そして、新たな戦略級魔法師が生まれる。
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