【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~ 作:梅山葵
この『死後の逢瀬』は、このゲルテナ世界のおよそ最深部、その部屋の中央に鎮座している。変幻自在に造りを変える空間的制約が無いこの世界で、それでも最中央に据えるということには間違いなく意味があり、おそらくこの作品はゲルテナの核に近い。
『死後の逢瀬』という題材から察するに、およそ死期を悟ったゲルテナが、来世で再び想い人に会いたいという願いを込めた、集大成的作品がコレなのでは。それがギャリーの予想である。
"……嗚呼、それでも。『メアリー』が、ゲルテナの生涯最後の作品、なのよね"
『ゲルテナ作品集 下』に記載された内容を振り返ってみる。
"『メアリー』 ----年 ゲルテナが手掛けた、生涯最後の作品。まるでそこに存在するようにたたずむ少女だが、もちろんのこと彼女も実在しない人物である"
『赤い服の女』の考察では、書籍に描かれた内容、ひいては世間に出回っている『赤い服の女』の定説を疑ってみたが、『メアリー』に関するこの記述は正しいような気がする。
しっかりしたものではないが、一応の根拠はある。それは、『赤い服の女』は現実世界で既にゲルテナ作品として確認されているのに対し、『メアリー』はそうではない、ということだ。
ギャリーがゲルテナ作品の『メアリー』を知らなかっただけ、というのは考えにくい。現代アーティストゆえに世間一般の認知度はそこまでだったが、ワイズ・ゲルテナの死は、一部の芸術界隈ではそれなりの騒ぎとなったものだ。
そんな彼が遺作として、こんなにも謎に満ちた女の子を描いた作品を遺していたら、間違いなくゲルテナの最も有名な作品の1つとして、その名が広く知れ渡っていよう。
つまり『メアリー』は、おそらく現実世界には存在していなかったか、あったとしてもゲルテナの作品とは知られず埋もれていた。そんな状況の作品だったのだと考えられる。
世間に知られていない以上、『ゲルテナ作品集 下』に記された文章は、世間一般の通説ではありえず、この世界で作られた内容で、すなわち作者であるゲルテナだけが知っていることだったと考えるべきだ。
『メアリー』。彼女は、ゲルテナにとっての何なのか。
これほど執拗なまでに繰り返し登場した、『赤い服の女』を押しのけて急に現れ、彼の最後の遺作という、一番を掻っ攫っていった少女。他の作品達があくまで動く作品を超えられなかったのに対し、彼女だけはギャリーもイヴも、出会った最初は彼女が作品だと気付けなかった。こうしてギャリーの手に渡った造花の黄薔薇を、わざわざ手創りして贈っていることからも、『メアリー』こそがゲルテナにとって、『赤い服の女』以上の特別なのだ。
……いや。急に現れたわけでは、ないのかもしれない。ギャリーがここで夢想するのは、実はあの『メアリー』が、『赤い服の女』の延長線上にある作品だったという可能性である。
メアリーが描いたというあのクレヨンの世界で耳にした、彼女の言葉を思い出した。
「お父さんに会うの! 外の世界に行っちゃったままの、お父さんに!」
彼女は父親に会いたいとは言ったが、母親の話は出てこなかった。作品である『メアリー』には、親と呼べるものは創造主たるゲルテナしかおらず、だから彼女目線からすれば、母親がいないのは当然である。
だが。『メアリー』が自分には母親はいないと思っていたからといって、ゲルテナが『メアリー』に母親はいないと思っていたかは、別のように思うのだ。……ゲルテナは『メアリー』を描いた時、その母親役とした女性はいなかったのだろうか?
ここの作品達は、基本的に全てゲルテナが手掛けたものばかりだ。創造主のことを親と呼ぶのであれば、この世界の作品達は例外なく、ゲルテナが親となる。
しかし。数ある作品達の中で、明確にゲルテナを「お父さん」呼びしているのは、『メアリー』一人だけなのだ。それはゲルテナが『メアリー』に、自らが手掛けた作品として以上の実の娘としての役割を投影したことの現れであるように思う。最も『メアリー』を描き上げた際の外見的な年齢差を考えれば、実際は孫娘がより正確かもしれないが。
ゲルテナが『メアリー』を実の娘と位置付けていたのなら、『メアリー』のモデルの一人はゲルテナ自身だろう。おそらく、『メアリー』の外見にはいくつか、ゲルテナ自身との類似が確認できると思われる。それはさながら、娘が父親に似るように。
ただし言うまでもないが、ゲルテナは男だ。男の自分を参考に、自分の子供としての女の子を描くには、参考元としては不十分ではないか? やはり女を描くに当たっては、誰かしら脳裏に浮かぶ女を参考とするのが自然だろう。そしてそんなアンノウンXにピッタリ当て嵌まりそうな女に、ギャリーは一人心当たりがある。
つまり、ギャリーの最終的な予想は、次の通り。
ゲルテナが「もしも自身と『赤い服の女』と結ばれて子供がいたら」というIFを空想して描いた少女、それこそが『メアリー』なのではないか、ということである。
それならば。『赤い服の女』に執着していたゲルテナが最期に『メアリー』を描くという流れ、これが一本の線として綺麗に繋がる。『赤い服の女』以上に、『メアリー』が愛される理由も分かる気がする。愛していたのに結ばれなかった人と自分との間の子供なんて、それはもう可愛くて可愛くて仕方なかったはずだ。
そうやって改めて考えてみれば、『ゲルテナ作品集 下』に載っていた絵画としての『メアリー』と、『赤い服の女』はとっているポーズが非常に似ている気がしなくもない。
……さて、そう考えると疑問が残る。ゲルテナはそんな愛する娘を、外の世界に出してあげる気は無かったのか? いや、ゲルテナは愛する娘のために、自分を身代わりにすることは考えなかったのか?
あれからこのゲルテナ世界の探索を続ける中で、ギャリーは書斎でゲルテナ自身によるものらしき言葉を見つけた。
"存在を交換することにより、空想が現実になり得る"
ゲルテナ自身の言葉を書き残されたこれは、ゲルテナがメアリーを外に出す方法を知っていた証拠だ。メアリーがゲルテナに貰ったという黄色の薔薇の造花を使うことで存在の交換が成立したことからも、ゲルテナはこの方法を使ってメアリーを外に出すことを考えてはいたはずだ。
ゲルテナはこうして自らの世界を創り上げるほどに芸術にのめり込んだ人物ではあるが、それでも現実世界出身であることに変わりはない。ギャリーとメアリーの存在の交換が成立するなら、ゲルテナとメアリーの存在の交換も、同様に成立すると考えてよいだろう。……それでもメアリーとの存在の交換をしなかった理由は、たとえ愛娘のためであったとしても、やはりゲルテナもこの世界に閉じ込められるのは嫌だった、そういうことになるのだろうか?
……いや、別の理由も考えられる。そうして外の世界に出した後の、メアリーが心配だった、という可能性だ。
ギャリー自身、最初に作品である『メアリー』が外の世界に行きたいという話を聞いた時、いろいろと懸念点が浮かんだものだ。
作品として生を受けた『メアリー』は、元は文字通り空想の存在。外の世界において頼るべき縁を、外の世界での居場所となり得る人間関係を、彼女はゲルテナ以外に持っていない。
そのゲルテナ張本人が、メアリーと存在を交換してしまったら。メアリーは正真正銘のひとりぼっちで、外の世界に放り出されることになる。ゲルテナには、愛娘が無事に外の世界で無事にやっていけているのか、それを見守ってあげられる手段が無い。
幻想の存在であったメアリーと、現実の存在であったゲルテナが、共存できる場所はこの世界だけだった。他の誰かを犠牲にしない限り、メアリーがゲルテナと存在を交換して外の世界に出た時点で、ゲルテナとメアリーが一緒にいれる時間は終わりを告げる。
ならばできるだけ、ギリギリまで。時間の許す限り一緒にいたいと思うのが、家族というものなのかもしれなかった。あるいはそれは、いつか来るはずの子離れ・親離れの時を惜しみ、それを出来る限り先延ばしにしようとしてしまう過保護な親心に近いものがある。
そうして先延ばしを続けた結果……、遂にどうしようもない意味での制限時間が来てしまった。それだったら、「メアリーがゲルテナに愛されていたということ」と、にもかかわらず「メアリーがこの世界に取り残されてしまったこと」。どちらもが両立できる説明ができるように思う。実際に現実でだって、独り立ち前に予期せぬ親の他界に遭ってしまう子供は、そう珍しくないのだから。
このゲルテナの世界に外の世界から迷いこんだのは、なぜ2人だったのか。極端な話、メアリーとの存在の交換相手を求めていたのであれば、1人で足りる。それでも2人になったのは、メアリーと外の世界を結ぶ接点になる人が必要だと、この世界は分かっていたのかもしれない。
……そう言えば。さっきまでの考察では、『赤い服の女』がイヴのご先祖様かもなんて奇天烈な思いつきをしてしまった。でも、今までのギャリーの妄想が仮に正しかったとするならば、イヴとメアリーの間には、『赤い服の女』を通じて、いわば仮想的血縁関係があるということになる。
だとしたら。外の世界に出たメアリーの新しい居場所は……イヴの家族が、自然なのかもしれない。