【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~   作:梅山葵

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『永遠の恵み』

「"痛い"! "痛い"よイヴ! いったい、何をするの!?」

 

 周囲の状況を把握する間もなく、頭をゴスッ! と揺さぶられて、無意識に声が出た。

 

 なにこれ、"イタイ"と全然違うじゃん!? 今までの"イタイ"って、なんだったわけ!? というか、なんで私、こんな目に遭ってるの……!?

 

 立て続けに襲い来る理不尽に、流石に怒りがこみ上げてくる。その感情に身を任せ、胸の中身を全部吐き切ったら、重苦しい空気は随分減って、真っ暗だった視界に少しずつ、明るさが満ちてくる。

 

 グチャグチャに融けたと思った美術館は、形と色を取り戻していた。さっきまでの悪夢がウソみたいに、ただただ普通な世界がそこにはある。

 

 両膝をついたイヴが上から、私のことを覗き込んでる。床にへたり込もうとする私の首の、スカーフの根元を左手で掴み、私が倒れることを許さない。空いている方の右手では、固そうなグーが作られたままで、私の反応次第では、まだ殴る気なんだってすぐに分かった。

 

「やめて! もうぶたないで!」

 

 反射的に身体をすくませて、必死に頭を腕で庇う。

 

 ……そんな私の姿を見て、やっと少し落ち着いたのか、イヴはゆっくり息を吐くと、握った右手を解いていく。でも、私の首のスカーフを掴んだ、左手の方は放さずに、むしろ右手でもそれを掴んで、喉の奥から絞り出すように、私に向かって叫ぶのだ。

 

「おうちに、帰りたい……!? なんで今さら、そんなことを言うの……!!」

 

 私の首元を引っ張り上げて、イヴは私が眼を逸らせないようにしてくる。

 

 イヴの瞳は、赤だった。激情に染まった、赤だった。

 

「だったら、ギャリーはどうなるの!? メアリーが外に出たいって言うから……! だから、ギャリーは……!」

 

 ……ギャリー。

 

 その名前が耳に入ってきて、それが意味することが分かって、やっと私は自分から、イヴのことを見つめ返す。

 

「イヴ……? 私の知ってる、イヴなの……?」

 

「……うん」

 

 私が呆然と問いを投げると、イヴは怒った顔をいったん引っ込め、悔やむような顔で頷いた。

 

「忘れちゃってたのは、ごめん……。全部忘れちゃえば、傷つかなくて済むって思って。……それで私、忘れようとしたの。それってメアリーを、ひとりぼっちにするってことなのに。……だからそれは、ほんとにごめん……」

 

 そうして頷いたそのままに、イヴはだんだんとうなだれていく。イヴの身体を支えるものは、私を掴む両手だけ。

 

「でも、だからって……! あっちに帰りたいなんて、今さらメアリーが言うのは許さない……!」

 

 でも、最後には弾かれるように頭を上げて、またすごく怒った顔で私を睨む。

 

 イヴが怒っていた原因が、少しずつだけどわかってきて。私はそれを言ってしまった、理由を少しずつ話し始めた。

 

「……お父さんが、いないの」

 

「……うん」

 

 イヴは首を縦に振る。

 

「……みんな、お父さんが"シンデル"って言うの」

 

「……うん」

 

 イヴは首を縦に振る。

 

「……みんな、私がお父さんの子じゃないって言うの」

 

「……ううん」

 

 イヴは首を横に振る。

 

「私は、そんなこと言わない」

 

「……」

 

 そこで一回、一息ついて。再び私は、話し出した。

 

「……家族のみんなが、動かないの」

 

「……うん」

 

 イヴは首を縦に振る。

 

「……ギャリーが、ここにはいないの」

 

「……うん」

 

 イヴは首を縦に振る。

 

「……私を知ってる、人がいないの」 

 

「……ううん」

 

 イヴは首を横に振る。

 

「私が、いるよ」

 

「……」

 

 私が喋る1つ1つを、イヴはちゃんと聞いてくれた。肯定するものも、否定するものも。

 

 イヴがこうしていてくれるお陰で、ひとりぼっちじゃないって分かって、すごくホッとはしたけれど。逆に言えばイヴ以外に、"ホンモノ"の私を知ってる人が、この世界にいないって分かってしまって、帰りたい気持ちは拭えない。

 

 私の曇った顔を見かねてか、イヴはどこか尻込みするように、手の指を遊ばせていたけれど、最後には決意を込めた眼で、私にそれを訊いてきた。

 

「ねぇ、メアリー……。メアリーのお父さんも、メアリーの家族も、そしてギャリーも、確かにいないかもだけど……。でも、それで全部なの……?」

 

 親指大の黄色の袋を、イヴは私の前で取り出した。袋の両端を引っ張って、結ばれたその包みを解いていく。

 

「口開けて」

 

「え……?」

 

「開けて」

 

 そのレモンキャンディって確か、イヴがギャリーに貰ったもので、Sketchbookで私がねだった時は、絶対あげないって言わなかった……?

 

 間抜けに開いた私の口に、イヴは袋から取り出した黄色い飴を、有無を言わさず入れてきた。

 

「ゆっくり、舐めて。……噛んだら、絶対許さない」

 

 イヴの言葉に従って、玉を舌の上で転がすと、ツンとした酸っぱさが鼻をついた後、ほんのりとした甘さが広がる。コロコロと丸い舌触りが、滑らかでどこか心地良い。たまに左のほっぺたの方に行くと、叩かれて腫れてるとこに沁みて、それが少し痛かった。

 

「……どう?」

 

「思ってた、味と違う……」

 

 甘味は優しい雰囲気だけど、酸味はちょっと癖がある。お菓子はただただ良い味なのだと、シンプルに思い込んでた私は、こんな小さな飴玉1つでも、いろんな感想が出てくるんだって、今ここで知った。

 

 ただ、1つだけ言えることは……。囓ってたクレヨンの無味無臭と違って、そこには味も匂いも、いっぱいあった。それだけは、ハッキリ違った。

 

「おいしい……」

 

 ただ浮かんできた言葉を、そのままに呟く。それを上手く表現する言葉を、それ以外には知らなかったから、私はただそれを繰り返し続けた。

 

「おいしい……! おいしい……! おいしい……!」

 

 眼を閉じて舌先に神経を集中させて、無我夢中でその味を噛みしめる。

 

 イヴは私を邪魔しない。でも、たまに私が薄目を開けて、イヴの様子を見ると、何とも言えない羨ましそうな眼で、私のことを眺めていた。

 

 ……一生懸命、舐めていたら。口の中から小さな飴が、消えてしまうまですごくあっという間だった。行き場を失った私の舌が、もっと欲しいと言い続ける。

 

「……約束、したでしょ」

 

 私が口を動かさなくなったのを確認してから、イヴがポツリと呟いた。

 

「食べたいものも、見たいものも。メアリーがやりたいことができるところへ、私が連れてってあげるって」

 

 それはまだ、こっちに来る前。私がこの世界のことを、ただ楽しいだけの場所なんだと、そう思いこんでた時にした、あの約束。あの後、私が薔薇を奪ったから、全部帳消しになったんだと思ってた、あの約束。

 

 そんな約束をもう1つ、イヴはこんなにもすぐに果たしてくれた。美味しいお菓子を食べたいと夢見た私に、このレモンキャンディの味を教えてくれた。

 

「……まだ、私は子供だけど。それでも9年この世界を生きた私は、初めてのメアリーよりは少しだけ、この世界の歩き方を知ってるの。……だから」

 

 そうしてイヴは顔を歪ませ、私に向けてこう続ける。

 

「まだ何も、知らないのに。こっちの世界の、楽しいものも、綺麗なものも。いいもの何も、知らないのに。勝手にあこがれて、勝手に幻滅して。それであっちの方が、良かったなんて。そんなの絶対、言わせない……!」

 

 イヴはすごく、怒ると怖い。どっかで聞いたようなフレーズが、頭の中を駆け巡る。

 

 ……でも。その怖さはけして、冷たいものなんかじゃなかった。私を叱る言葉の中に、確かに愛情が込められていて、だから私はイヴの言葉を、ずっと忘れないだろう。

 

「……イヴが言う、通りなら。……本当にこっちの世界が、いいものばかりでいっぱいなら。……イヴはどうして、そんな顔するの」

 

「そんな、顔……?」

 

 私の問いかけを聞いてから、イヴは自分の顔を手でなぞる。自分が今どんな顔をしてるのか、それを確認するように。そうして当てた掌が、濡れているのを目の当たりにして、イヴはようやく気付いたようだった。飴玉みたいにポロポロ落ちる、小さな雫の数々に。それは降ってきた雨みたいに、イヴのスカートを濡らしていく。

 

「……だって。……私、だって」

 

 それまでハッキリ喋っていたイヴの声に、だんだん嗚咽が混じっていき。

 

「ギャリーに……。ギャリーに、会いたいよ……!」

 

 そして最後に、決壊した。周りのこともはばからず。

 

「うあああああああぁぁぁぁ………………!!!!」

 

 静かな美術館の中だから。イヴが叫ぶ大きな声は、とても大きく響き渡った。

 

 左ほっぺを、いたわるように。そっと左手をそこに当てた。左腕に巻かれた腕時計が、サイズ外れでやけに重い。

 

 口の中に広がる、ほんのりとした甘酸っぱさと。余韻のように残り続ける、腫れた左ほっぺの鈍い痛み。お父さんが見てきた外の世界を、これからイヴに教えてもらえるんだっていう嬉しさと。漠然と悟った、ギャリーと、お父さんと、家族のみんなと、会えないんだっていう寂しさ。そういったものがグチャグチャに混じって、私のことを圧倒する。

 

 それは全て、知らないものばかりで。どうしていいか、分からなくて。

 

 だから私は、導かれるように。イヴの姿を、なぞるように。

 

 私は生まれて、初めて泣いた。

 

 瞳から滴り落ちる水滴は、一向に止む気配がない。それはもしかしたら永遠に、続くんじゃないかとさえ私は思った。

 

 知らなかった。外の世界の人達も、他でもない私自身も、こんなにたくさんの水が流れてたこと。

 

 零れ出す。溢れ出す。心の奥底に溜まってた、そんな想いが波となって、私を堰き止めていたナニカを押し流し、涙となって外に出てくる。

 

 そうやって気持ちの澱みを全部丸ごと、吐き出し切ったその最後。自分でも気づいていなかった、痛みの核が顔を出した。

 

 ずっと一緒に、いたかったの。いつまでも一緒に、いたかったの。

 

「なに? なに? なんの騒ぎ?」

 

「子供の泣き声が聞こえる……」

 

「迷子らしいよ」

 

「いや、子供の喧嘩だって」

 

「嫌だわ、ご両親はどちらかしら?」

 

 私とイヴが身体を寄せ合い、ふたり一緒に泣く姿に。美術館にいた沢山の人達が、ざわざわ周りに集まってくる。

 

 みんな心配そうな顔をしていて、私を怖がらせる敵なんて、誰もいなかったんだと私は気づいた。

 

 その中に、男の人と女の人。とくに慌てた様子のふたりが、真っ先に私達へと駆け寄って。ふたりで併せて包み込むように、私達を抱きしめた。

 

「イヴ!? メアリー!? どうした!? 何があった!?」

 

「ごめんなさい……! ごめんなさい……! 先に行かせたりなんてして、放ったらかしになんてして、本当にごめんなさい……!」

 

 その腕のあたたかさを感じた時、ストンと胸に落ちてきた。

 

 私はこの世界に、いてもいいんだ。私の居場所はちゃんとここにも、この世界にもあったんだ。

 

 洗われていく。癒やされていく。私についてた、心の傷。

 

 私の左の、耳元近く。腕時計の秒針が、小さく音を響かせた。

 

~『ようこそ私達の世界へ』~

 




赤児よ赤児、何故泣くの。

父親の生まれた世界をしっておそろしいのか。


お誕生日、おめでとう。


~???~


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