【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~ 作:梅山葵
イヴが話す。私に話す。"シンデイル"って、どういうことか。
ギャリーは横で聞いている。私と一緒に聞いている。
イヴは私を見つめてる。ギャリーは私から目を逸らしてる。
2人とも何故か暗い顔で、私だけが明るい顔で。
「……ずっと、眠ってしまうこと。……もう、話せなくなってしまうこと。……もう、撫でてもらえなくなってしまうこと。……どこか遠くへ行ってしまって、もう戻っては来てくれないということ。……もう会いにも行けないってこと。……だからとっても、悲しくてたまらないこと」
そしてイヴの言葉を聞いていくうちに、私の顔も暗くなった。
イヴがした"シンデイル"の説明。それを、傍で聞いてるギャリーも訂正しない。だからきっと、ギャリーが私に言った「お父さんは"シンデイル"」も、これと同じことなんだろう。
イヴの言葉はゆっくりだったから、大きくなくてもちゃんと聞こえた。でも、言われたことの意味が、全然分からなかったから、私の口から疑問が漏れる。
「……どういう、こと?」
いや、分からないんじゃない。分かりたくないんだ。イヴは私に分かるように、難しい言葉を使わなかった。だけど、そんなことはアリエナイから、両手でイヴの肩を掴んで顔と顔を近づけて、その内容をハッキリ確かめる。
お父さんが最後に話してくれた時の、あの落ち着いた声色が頭をよぎる。
「……お父さんと、もう話せないって言うの?」
私が訊いた問いかけに、イヴはゆっくり頷いた。
お父さんが最後に撫でてくれた時の、あの大きな手が頭をよぎる。
「……お父さんに、もう撫でてもらえないって言うの?」
私が訊いた問いかけに、イヴはゆっくり頷いた。
お父さんは、"シンデイル"。だから思い出に残ってる、こんなお父さんとはもう会えない。そんな突拍子もないことを、イヴは言う。
……アリエナイ。みんなとは、家族とは、いつまでも一緒にいるもの。そんな当たり前のことも知らないなんて、イヴもギャリーもバカじゃないの? その証拠に、お父さんが創ったみんなは、全員そろってココにいるもの。
……でも、お父さんは? ここ最近、ずっと。お父さんと、話せてない。お父さんに、撫でてもらってない。お父さんは、外の世界に行ってしまったままで。お父さんに、会えてない。
そんな今の状況が、まるでイヴの言っていることが合ってるみたいで、でもそれは絶対に合っていてはいけなくて、私は振り払うように言い返した。
「……イヴのウソつき。だってお父さんは、外の世界にいるもん。外に出たら、また会えるもん。外に出たら、また話せるもん。外に出たら、また撫でてもらえるもん」
そうだよ。"どこか遠く"、なんかじゃないもん。お父さんがいるのは、外の世界。ちょっと出るのに手間取っちゃってるけど、額縁の向こうのすぐそこで、私が確かに行ける場所。私が迎えに行ける場所。
そうやって私が否定すると、イヴは一度両目を閉じて、ゆっくり首を横に振った。
そして再び目蓋を開くと、その赤い眼でジッと私を見詰めて、言い聞かせるようにこう呟いた。
「……外の世界に。メアリーのお父さんは、ワイズ・ゲルテナは、もういないんだよ」
「え……」
パチ、パチ。考えてもみなかったことを言われた私は、2回大きく瞬きした。
お父さんが、外にいない? それは、考えてもみなかった。だって私がお父さんを最後に見た時も、お父さんはあの外の世界への額縁の向こうへ消えていった。それはお父さんが外へ行く時の、いつも通りのやり方で、そして私もいつも通り、お父さんを見送った。
いつもと同じ出かけ方なのに、別の場所に行っちゃうなんて、どうしてそんなことになるの? だいたい別の場所に行くつもりなら、お父さんはそうだと言ってくれるハズ。
だからこそ、私は考えたんだ。
「お父さんは、外の世界が楽し過ぎて、私達を忘れちゃったから……」
お父さんが戻ってこない理由は、コレしかないって。だから逆に、私が外に行くしかないんだって。
それなのに。イヴはまだ言い続ける。
「……忘れたわけじゃ、ないと思う。ただ、もう戻ってこれないほど、遠いところに行っちゃっただけで」
イヴの言葉に味方するように、ギャリーも眼を閉じて浅く頷いた。そんな2人が並ぶ姿に、すごくすごくイライラする。
「……おかしい! おかしいよ! 忘れてないなら、戻って来てくれるもん! だって、お父さんはなんでも出来る!! 本当に私達に会いたいと思ってくれてるなら、来れないわけがない! この世界だって、お父さんが創った! 世界だって創れるお父さんが、会いに来れないほどの遠い場所なんて、そんなのあるわけないじゃないっ!」
忘れたわけじゃない? 忘れてないなら、何だっていうのよ。お父さんは私達を覚えてるのに、それでも私達を捨てたって言いたいの?
……だいたい、さっきから、ギャリーもイヴも。「私なんかが外に行ったところで、お父さんには会えないよ」って、そう言いたいみたいじゃない。私が外の世界に行って、何か困ることでもあるわけ?
そう思って、ハッとした。
……あるじゃん。私に外に出られたら、困る理由。お父さんの作品の私が、外に出るために必要なルール。存在の交換。私が外の世界に出たら、誰かが代わりにこの世界に残らなきゃいけない。
イヴもギャリーも、このことは知らないハズって思ってた。私が黙り続けている限り、きっとバレないって思ってた。でも、まだ私が作品だってことを隠してた時、イヴはそれを見抜いてる。
……私が知らないうちに、2人があのルールに気づいたんだとしたら? 2人が私に、「外の世界に行きたくない」って思わせようとする理由になる。……たとえ、ウソをついてでも。
そのことに気づいた瞬間。私を何とか繋ぎ止めていた何かが、頭の中でプツンと切れた。
「ウソつき! ウソつき! ウソつき! ウソつき! ウソつき! ウソつき!」
グシャグシャと頭を掻きむしり、イヴとギャリーを睨みつける。そして、お腹の中から沸き上がってきたその単語を、何度も何度も繰り返し吐き出す。
「イヴも、ギャリーも、ウソつきよ! 私に外に出てほしくないから、自分達がここに残りたくないから、だからそんなこと言うんでしょ! この世界から出られるのが、2人だけだって知ってるから!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! なにそれ、聞いてないわよ!」
ギャリーが、さも何も知らなかったかのように、慌てた顔で私に訊き返してくる。イヴも、初めて聞いたと言わんばかりに、眼を揺らがせながら口元を両手で覆っている。
そんな様子に、「2人とも本当に知らなかったんじゃないか」なんて一瞬だけ考えたけど、もう騙されてなんてやるもんか。
だから私は、全部ぶちまけてあげた。こんなことを隠してる意味なんて、とっくのとうに無かったんだから。
「知ってる癖に! 私が外に出るには、誰かと存在を、薔薇を交換してもらわなきゃいけないって! それが嫌なら、そう言ってよ! なんで2人とも、こんな酷いウソをつくの!?」
……許せなかった。"シンユウ"だって、思ってたのに。もうちょっとだけでも3人で一緒にいたいって、そう思ってたのに。それなのにそれは私だけで、イヴもギャリーも、ホントは私を置いてくつもりだったんだ。
……そして何よりも許せないのは。よりにもよってそのために、私の一番大切な、お父さんともう会えないなんてウソをついたこと。これだけは、これだけはどうしても、どんなに頑張っても、許せない。
……もう、知らない。誰かと一緒じゃ、なくてもいい。私は1人でも、外へ行く。それでお父さんに会えれば、それだけで、全然いいんだから。それでイヴもギャリーもウソつきだってハッキリして、嫌な気持ちごとバイバイできるんだから。
そのためには、薔薇がいる。私が持ってる"バラ"じゃなくて、2人が持ってる薔薇のどっちか。
私の視界の低い所で。赤い薔薇が揺れている。それを持ってるイヴの手は、小刻みに震えているようだった。
私の視界の高い所で。青い薔薇は揺れていない。それを持ってるギャリーの手は、ちゃんとしっかり安定していた。
そしてイヴもギャリーも、私が言ったことの内容について、考えるのに必死な感じ。それが演技かどうかなんて、どうでもいい。ただ、2人の薔薇への注意は、今この瞬間は薄れていた。
……直感的に、気づく。
"盗るなら、今だ"
どっちも薔薇から気は逸れてる。でも、軽く指先で抓んでるだけのイヴと、掌でしっかり握りしめているギャリー。私と同じ子供のイヴと、私よりずっと大人のギャリー。どっちが奪いやすいかなんて、分かりきってた。
気もそぞろになっているイヴに向かって、倒れかかるように体当たりした。
トサッ……という鈍い音と共に、呆気にとられた様子のまま、軽く尻もちをついたイヴ。頭から倒れこまないよう無意識に、両手を地面に付けながら。
そして近くに落ちた赤い薔薇をサッと拾って、私はイヴとギャリーを振り切って駆け出した。2人が事態が呑み込める前に、十分離れちゃえば、こっちのものだよ。
だって、ここは私の世界。ここのことは一番、私が知ってる。イヴもギャリーも、ここじゃあ私に追いつけない。
無我夢中で走った先は、自然と私の家の方。イヴとギャリーを撒く方法を、一生懸命考えて、慣れ親しんだ我が家に閉じこもることを、私は選んだ。この薔薇を持ったまま、そのまま外の世界に行ってしまいたい気にもなったけど、おもちゃのカギを持ったままこの世界の出口に向かったら、イヴやギャリーと鉢合わせちゃう。
それは嫌だ。今だけはどうしても、イヴの顔もギャリーの顔も見たくない。いつもの場所で、ひとりっきりになりたかった。
家に入ってすぐさまに、階段を急いで駆け上がって、奥の部屋に転がっていたクレヨン一式を眼につく限りにかき集めると、すぐにまた階段を下りて家のドアを開けた。そして玄関すぐ前のピンクの道を、黒のクレヨンで線を引いて塗り潰す。これで入口は無くなったから、もう2人はすぐには踏み込んでこれない。
これだけでも、十分かもしれない。でも、このムシャクシャした気持ちに突き動かされるように、私は持っていたクレヨンを、緑と黄色に持ち替えた。
そのままクレヨンを手に、今度は家の奥の階段を歩いて上がりながら、手当たり次第そこら中、黄色い薔薇と緑のトゲトゲを描きまくる。道を塞ぐためってよりは、どっちかと言うとイライラ発散の八つ当たり。お陰で出来たトゲトゲの柵は、今の私みたいに尖った出来栄え。これなら万が一にだって、イヴやギャリーが立ち入れる余地なんてないハズ。
そうしてやっとクレヨンを手放した時には、家は静かになっていた。そうしてやっと、ひとりになれたって一息ついて、部屋の奥の方へと歩み寄る。そこが私の、いつもの場所。
この世界に誰かが来たって気づいた時、慌てて飛び出してきちゃったから、まだ辺りは散らかったまま。ちょっと足の踏み場もないくらい。だから奥に進むには、足元のそれらが煩わしい。
「邪魔だなぁ……、邪魔だなぁ……」
お化粧で一緒に遊んでた、白いみんなを蹴り飛ばす。カードで一緒に遊んでた、青いみんなを放り投げる。そして最後に開いたままの絵本を掴んで、奥の壁に向かって叩きつけた。
そしてその勢いのまま、片手に持ったイヴの赤い薔薇の花びらに指をかけて……そこでピタッと、手が止まった。壁に当たって落ちた絵本の表紙が、『ともだちのつくりかた』っていう文字が、私の眼に入ったから。
イヴもギャリーも、ウソつきだった。お父さんが"シンデイル"なんて、そんな酷いことを言うウソつきだった。
でも、それはホントに、全部だったのかな。作品の私を受け入れてトモダチになってくれたことも、ウソだったのかな。外に出たいって私を応援してくれたことも、ウソだったのかな。
そしてあの時、イヴが教えてくれたこと。「"イタイ"は行き過ぎると"ナオセナイ"」ってアレも、やっぱりウソだったのかな。
こうして持ってる、イヴの薔薇と私のバラ。その違いがなんなのか、まだ私は分かってない。
今、イヴの赤い薔薇は、私が持ってる。この薔薇の今の持ち主は、ある意味では私ってこと。
でも、それは仮初の関係。イヴから無理矢理盗ってきちゃった以上、逆に取り返されちゃったりしたら、すぐに持ち主はイヴに戻る。
そうならないようにするためには。このままここで花びらを、私の手で全部取ってしまえばいい。それで正真正銘、この赤い薔薇の花びらは私のモノ。どうしたってそれで動かなくなる。
だからそれは正しいことのはずなのに、あの時イヴが言った"イタイ"の違いが、私をどうしても躊躇させる。イヴが二度と、動かなくなる。イヴが二度と、話さなくなる。そしてイヴとは二度と、会えなくなる。ウソだって可能性もあるはずなのに、それだけで私は動けない。
だって、しょうがないじゃない。会えないってことは、辛いこと。会えないってことは、寂しいこと。お父さんに会いたくてたまらない私は、そんなことはとっくに知っていて、だから誰かのそれを作り出すかもってだけで、私はとても怖くなる。
『ともだちのつくりかた』の絵本から視線をあげて、奥の壁に立てかけられた、今は誰もいない額縁を見上げた。そのすぐ下には、お父さんに初めて貰ったプレゼント、『メアリー』の名前。それを指でなぞりながら、お父さんとのこれまでを思い返す。大事ないつものルーチンをやれば、このBlueな気持ちだって、きっと落ち着くはずなんだ。
潜る、潜る、深く潜る。私の世界、私の記憶。誰にも決して譲れない、私だけの宝物。
私はこの中から、この額縁の中から飛び出してきた。お父さんが、私を絵として描き終えた時に、私は初めてここから出てきた。
あの時は、それだけで良かった。私を描いてくれたお父さんに、直接撫でてもらえるだけで、それで確かに幸せだった。私を描いてくれたお父さんと、一緒に話しているだけで、それで確かに幸せだった。
それからこの世界でお父さんと一緒に過ごすうちに、いつしかそれは当たり前で。それが無くなるなんて、あるハズなくて。
お父さん。お父さん。お父さん。お父さん。お父さん。お父さん。
あれが最後で、お別れなんて。そんなの絶対、認めない。