利己的な恋(槍弓/リメイク)
こちらnovel/7996803のリメイク作品となっております。
一度でいいから槍弓web再録集を出したい!ということで作品の加筆修正に着手したはいいんですが
ろく、6年前?????と昔の自分の文章にほわぎゃーーーーーとなってしまい、ほぼほぼ書き直しました。
話の流れ自体は好きなので崩すことはなく、当時入れられなかったシーンをたくさん詰め込んでおります。
たくさんの方に読んで頂けてとても嬉しかった思い出のある作品です。
ぜひ改めてまた読んで頂けると嬉しいです。
夢の中で夢が叶う薬を飲む、槍に絶賛片思いをしている弓のお話です。
こちら6月のJBにて行われる槍弓オンリーで発行する予定のweb再録集、という名のリメイク集本に掲載予定です。
再録ヴァージョンは更にこちらに加筆修正がされているという長文っぷりです。
他にこちらの槍視点の「理不尽な愛」novel/8011581と花吐き病話の「がらんどうの心」novel/10444742
をリメイクして掲載予定です。本当はこちらに書き下ろし2本を加えた本にしたかったんですが
3本だけで360ページにもなってしまったので諦めました…分厚い本しか作れない…
イベントではこちらの再録本に加え結婚式ラブコメ本も絶賛原稿中です!!
初めての槍弓オンリーイベ参加で完全に浮かれていますがよろしくお願いします!!
あと今更槍弓垢を立ち上げました。よければフォローお願いします【@kizuatoyuyabl】
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利己的な恋
夢とは叶わぬからこそ自由に描き空想し、目が覚めた途端手が届かないことに安堵すべき絵空事なのだ
「――夢の中で夢が叶う話……?」
「そう、それこそまるで夢のような話だろう?」
かのダ・ヴィンチ女史に呼ばれてその工房の扉をくぐる。相変わらず雑踏としていてとても理路整然とは言い難い場所だ。何より様々な物に溢れ過ぎだと思う。
だが彼の、いや彼女の正史を思うにどれも全てが天才的発明品なのだろう。だからこそ手伝ってほしいと言われて些か疑問が沸いて出た。
私のような魔術師崩れに手伝えるような仕事があるとは思えない。金林檎の消費レシピならそれこそイベントの度にキッチン総出で意見が交わされる重大ミッションと言えたが。
食事関連ではない手伝いなど、それこそこの部屋の整頓だろうか。ならばやりがいがあるな、と捲った腕を思わず降ろしてしまうような一言だった。
「どうだい? 君はその光栄な被験者第一号に選ばれたんだ! これは誇ってもいいことだと思うよ~?」
「いやモニターではなく被験者と称されている時点で己の幸運Eを呪うばかりだが……そもそもサーヴァントは夢を見ないのでは?」
「普通の召喚ならそうだろうね。だが此度のこのカルデアに於ける英霊召喚はかなり特殊だ。数時間どころかそれこそ数年間、ここで一介の人のように過ごしてきたんだ。半受肉にも似て取れる状態になっているのは、古参の君には馴染み深い状態なんじゃないかな?」
「それは、まぁ確かに。全ての召喚記録を覚えているわけではないが、確実にこの召喚が最も長き現界だろうな」
「マスターちゃんが契約した英霊の夢、もとい記憶を追体験した記録も多い。そこからちょちょいとアイデアを閃かせたというわけさ!」
「はぁ、凡人の私には天才の考えることは分からないな……夢の中で己の願望が叶う瞬間を見せつけられる、ということか?」
「そんな映画を見るような感覚ではなく、実体験のごとく鮮明な体験をあなたに! がキャッチコピーかな? 大反響間違いなし!」
「いや反響がある方が危ういだろう。大体夢と現実とが区別の付かない者の多いこのカルデアでそんな劇薬を――あぁ、」
私は対魔力が高いわけでも特異な性質があるわけでもない。英霊としては下のランクに属するだろう。それでも器用貧乏なりにやれることがある。
誰かは私を飯炊き屋と嘲るかもしれないが、それでも現状最後のマスターが生きる糧をこの手で作り出せるのだ。そこに誇りこそ感じても決して後ろめたさは存在していない。
人の数だけ適材適所が存在し、難敵を倒す力がなくともそれを他の誰かに託し、私は彼女を連れて逃げる走兵にだってなれるだろう。まぁ許されるのなら最後の最後まで私とて敵を前に足掻きたいが。
これでもこのカルデアに最古と括られる時期に喚ばれた英霊としての自負がある。だから俯瞰して物事を観察する術に慣れ過ぎて、すぐにでもその答えに行き着いてしまったのだ。
「なるほど、だから私に白羽の矢が立ったというわけか」
「ははっ、さすがエミヤだね~まだ具体的なことは何一つ言ってないのに。鷹の目と呼ばれる所以かな?」
「そんな大層な物を所持した覚えはないが、自分の能力を正当に評価しているだけに過ぎないさ」
「正当にかはちょっと悩ましいな~君は自分を無自覚に卑下してしまう悪癖があるから。今回も君を見込んでの頼み事だよ?」
「ふ、そうだといいがね。まぁ、確かに私なら身分不相応な夢を抱くことはないだろう」
カルデアきってのリアリスト、なんて自慢するわけもないのだが。私は今や聖杯戦争に喚ばれる根底すら失ってしまった英霊に過ぎない。
聖杯に託す願いはなく、既に答えは得た。それが得難い経験であったと今でも思い描くことが出来る。もっともこの場に居る限り、一瞬金星の女神とその姿を重ねてしまいそうで罪悪感が湧くのだが。
だから今後私が喚ばれるとしたら純粋に主の願いを叶えるために戦うのだろう。此度の長きに渡る戦いがそれを指し示しているように。
叶わぬ夢を抱かない、それが現実主義者の私が出すここでの回答だ。だからこそ被験者に選ばれてしまったのなら複雑な心境でしかない。
「私なら他の者のようにマスターとどうにかなる夢を描きはしないし、世界を転覆するような野望を抱かない。せいぜいが……そうだな、最新式の家電カタログが欲しいといった所だろうか。性能さえ知れればいかようにもトレースする術がある」
「あははっ! 現代に生きる英霊だとしてもその回答は予想不可能だよ~とにかく、君なら怪しい願いを抱きはしないという、私の信頼が君をここに呼び出したんだ」
「それは光栄なのか理解に苦しむが、そうだな。他の誰かに渡ってまたトンチキな特異点を作られるよりは、私が消費してしまった方が事件を未然に防げるというものか」
「事件って! いやさすがに今はハロウィンでもクリスマスでもバレンタインデーでもないんだし」
「じゃあ、ぐだぐだ世界線やスペースウォーをどう見る? 天才技術顧問ダ・ヴィンチちゃん?」
「うんっ! あれだけは私も分からない! とにかく選ばれたからにはちゃんとモニター頼むよ? 被験者1号くん!」
「うっ、その呼ばれ方は、ちょっとさすがに選択を早まったかと後悔してしまいそうだから止めてくれ……幸運Eの呪いが今日も私を蝕む……」
ここで例えば私が誘いを断ったとして、正常に見える英霊の複雑な内心を具現化してしまったら、間違いなく特異点:夢模様が作られてしまうことだろう。
不可思議なカルデアに染まってしまったなぁと思わず苦笑が浮かんでしまうが、それでもきっと性根は変えられない、私は叶わぬ夢を見ることは敵わない。
小瓶の中で虹色に輝く液体を手渡され、それを灯りに翳して覗き込みながら。夢に色を付けるのならば千差万別、まさにこんな色なのだろうとそんな現実主義者にあるまじき感想を心に抱いていた。
***
今日も今日とてよく働いたとは思う。今は走り出したばかりのカルデアではなく、頼れる英霊の多い賑やかな場所となった。該当クラス僅かばかりの総出で回していた日々が懐かしいとすら感じるほどだ。
手が回らないよりは余裕がある方がいい。今やレイシフトもマスターが指名する任命制で、素材狩りなどの予定がない時はカルデアの雑務に集中出来る。
いつの間にかカルデアキッチンのチーフに任命されていた自分は調理場に居ることが多いが、それでも以前までの癖が抜けず機械修理や倉庫整備に精を出してしまうこともしばしば。
機械修理ならばエジソンやバベッジ卿が頼りにはなるし、細かい雑事が特異な英霊も増えた。服飾ならばヴラド公に、食材調理は狩りの得意な血気盛んな戦士たちに任せられる。
それでも空いた時間を無駄にすることなく費やしてしまうのは己の生粋の性なのだろう。サボることの出来ない自分らしい、と僅かばかりくたびれた身体をベッドに横たわらせれば、ふと違和感を感じ手を伸ばす。
(……あぁ、夢の中で夢が叶う薬、だったか……そんな都合のいい話も、ここでは簡単な事象というわけか)
ころり手の中で小瓶が転がっている。小さなそれがそんな大層な代物とは思えないが、感じる魔力は計り知れない。キャスターではない自分では分析することは敵わないだろうが。
夢の中でならどんな馬鹿げた幻想を抱いてもいい。それこそ子供の頃描いた正義の味方だって、そう考えて自嘲を零す。それこそ夢物語でしかないと身を以って知っただろうに。
だから今の私は果たして一体どんな夢を望むのか、そんな興味を抱いてしまったのだ。不相応な幻覚も、くだらないお祭り騒ぎのような賑やかさも、どこか冷めた目で俯瞰してしまう。誰かがそれを思い描いたなら決して馬鹿になどしないのに。
それを自分が抱いたというだけで反吐が出そうになる。夢など叶わないからこそ私のような非才には相応しいのだろう。だからこそ、と寝転がったままだらしなく小瓶の中身を仰いだ。
(誰に覗き見されるでもない、非難されるでもない。そんな奇跡があるのだとして――果たして私はどんな夢を抱くのだろう)
うとり、瞼が重く瞬きを防ぐ。催眠効果もあるのだろうか、今日は疲れ果てるほど魔力を消費した覚えはない。それでも意識はまどろみ眠りへと誘われていく。
秘めた願いがこんな私にでもあるのだろうか。だって叶えていい夢ならもう目の前にある。純粋な力を必要とされ、守護者として本来の使命を今も全うしている。
あの今を必死に生きるマスターとその盾を守れたのならきっとこの生に悔いはない。だからもし再び目を開いた瞬間、何もない真っ白な空間だったとしたら。
自分に掴みたい夢がない現実より、そんなペシミストのような夢を見たことを技術顧問へどう報告しよう。言い訳はきっと通用しないんだろうなと、そんな事後処理のことにばかり頭を悩ませ続けていた。
***
ぼんやりと目を覚ます。見上げた天井が何処か物悲しくて、思わず伸ばした手を見つめて身を起こした。ただ茫然と目を見開き手を握り締めては開く。
間違いなく自分の身体だ。走る魔力も唱えればすぐに双剣が呼び出されることも、英霊エミヤとして何ら可笑しなことはない。ただ一点、いつもと違うのはその服装。
再臨により魔力の練り上げられた霊衣ではない。地味でシンプルな黒いシャツとズボン。この着慣れた居心地を覚えている。そして何度も確認するように瞬きを繰り返し。
そこが以前自分が喚ばれた際に借りていたアパートの一室だと思い出すのだ。カルデアから逆算していったい何回前の召喚になるかは記録に遠いのだが。
それでも懐かしいその空気を覚えている。かつてヴラド公が現ルーマニアで呼ばれた際にその猛威を振るったように、私にとって最も馴染みのある場所はここなんだろう。
まぁだとしても知名度など無名に等しい掃除屋風情であるから誰に知られることもないのだが。いやそれより今はこの現状を認識することに努めなければ。
(間違いなく、英霊の私の姿だ。カルデアで増強された分を差し引いても申し分ない。身体の感覚も魔力の具合も、とても夢とは思えない出来だな……だが確かに、この光景を描けるのは私一人だろう)
冬木の街を再現するならば、例えばメディアやメドゥーサなら以前のマスターを思い描けるのかもしれない。セイバーもそこに含まれるだろうか。
だがいかに街並みを再現出来たといえ、この部屋は私しか知る由のない場所だ。眠るだけの部屋、質素で生活感に溢れることなく失われた住居。
よくこんな際限まで覚えていたものだと感心すらしてしまう。生前は確かにこの街で過ごしたが、この部屋で生活をしたのはそれこそ両手に収められる日数だろう。
そんなにもあの第五次聖杯戦争は私の記録に根付いたのだろうか。答えを得たという意味でならならその通りだったが、置かれた現状はあの戦争を終えた不可思議な四日間に近い。
(サーヴァントでありながら、喚ばれた多くの者達が不可思議な日常を謳歌していた……懐かしい、が、果たして夢見るほどその再現を願っただろうか)
確かに得難い日常だっただろう。聖杯戦争の血生臭さを日の沈んだ夜に内包しつつ、確かに陽が当たる街は人と英霊の不可思議な景色に溢れていた。
決して嫌いではなかった、だが喉から手が出るほど欲しいかと問われたら首を傾げてしまう。穏やかな日常というのなら今のカルデアでだって得られる光景だろうに。
とりあえず街に出てみることをせず自室に籠り、云々首を捻って唸っている自分はあまりに自分らしかった。あぁ、だからこそ外に出るためにはそれこそここから強引に連れ出してくれるような、そんな光をこそきっと待ち望んでいる。
コンコン、
「っ!?」
びくりと大袈裟に肩を揺らしてしまった。まるで世界に一人存在しているような気分に陥っていたから。こんな部屋を訪れる客人など居るはずもない。
だがこれは確かに私が求めた夢なのだ。だからきっとその扉の向こう側に居るのは敵ではなく、純粋に私がその来訪を望んだ人物なのだろう。
それは一体誰なのか、客人を待たせるわけにはいかないと重たい腰を上げて扉に近付く。向こう側の霊基を感知することすら忘れて、その手をドアノブに伸ばした。
インターフォンすらない質素なアパートへ足繁く通う君は何者なのか。ここには何もない、ただの私が居るだけ。スローモーションにすら感じる時の流れの向こう側で、確かに青空のように棚引く星を見た。
(――……、……あぁ、)
目を見開いて呼吸を止める。きっと心臓の鼓動も止まっていたかもしれないが、その心拍を止めたのは何より彼の獲物だっただろうに。
そんな果てしなく遠い記憶を呼び覚まし自嘲するように息を吐く。自覚などしたくなかった、勘違いで錯覚でしかないと思い込んでいたかった。
けれど今目の前に確かに存在している。そこには不可思議な縁で結ばれた大英雄――クー・フーリンの堂々とした姿が在った。それこそが答えであると胸の内を曝け出されてしまって、これはもうきっと言い逃れ出来ないのだろう。
目の前の彼はそんな私を前に酷く困惑している表情を見せている。私が描いた姿であるからか、何てリアリティのある顔だ。再現性の高過ぎるその姿に眩いものを見つめるように瞳を細めた。
確かにここで砂糖を吐くような甘い言葉を囁かれていたら自害する所だった。私が想像した彼だからこそ、いつもと変わらない姿で居てくれる。
「――おかえり、ランサー」
「――あー……っと、ただいま……?」
ならもういいだろう、仕方ない、こんな場所でまで違うと息巻いてどうする。現実はこれだ、天才の作り出した奇跡がこれをこそ私の夢だと再現してみせたのだ。
ならば間違いなくこれが私の夢なんだろう。今まで誰にひけらかすことなくひた隠しにしてきた恋心をようやく自覚させられて、苦々しい思いで胸中をいっぱいにするも。
どうせ夢なのだ、消え去る刹那なら溺れても構わないだろう。誰に覗き見されるでもなく、きっとこの世界なら本人からでさえ罵倒されないのだ。
だから自然と彼を出迎える挨拶を紡いでいた。同居していた記録など存在するわけもなく、彼とこんな懇意な関係性だったことなど勿論ない。
夢だ、紛う事なき幻覚。紡いだ挨拶に自然と返された返答に思わず笑みを零した。彼は困惑したまま後頭部をぼりぼり掻いて、居心地が悪そうに玄関に佇んでいる。その衣服も青い霊衣ではなく白いシャツと黒いズボンだ。あぁ、その姿の君は釣りやバイトがよく似合う、だなんて。
「あー、っと? 俺は何で呼ばれたんだ?」
「……ふ、さて、何故だろうな……立ち話もなんだろう、上がっていきたまえ」
「あ? あぁ、なら邪魔するか」
「何もない部屋だがな、茶くらいは出そう」
「てめぇの部屋がごちゃごちゃしてたら何だ? 今風に言うとそれこそ解釈違い、ってやつじゃねぇのか?」
「フ、確かに違いないな」
ここまでリアリティが高いのは娯楽として純度が高過ぎるな、そう冷静に分析する。それとも私が自身に甘い彼など想像出来ないからだろうか。
この薬はマスターに懸想を抱いている英霊にだけは渡せないなと封印指定のような配慮を抱きつつ、どうせならと彼を部屋へ招いてしまえる。
きっと今の彼ならば誘いに応じてくれるだろう。あの日々でも一度足りとてあり得なかった来訪ではあるが、明確に敵同士だったのだから当然だ。
今は少しばかり共に戦う同士としての態度を覚えたから。呈される苦言に皮肉を返すことなく素直な感想を漏らせば、それこそが意外だとばかりに彼の眉根が上がる。普段の私の態度がいかに酷いかを自認してしまえる反応だ。
確かに今までもこれからも彼相手に素直にはなれないのだろう。いくら同じ戦場で戦う同士になれたとして、本来の相性の悪さだけは誰にも覆せないのだから。
(食事など私しかしないからな……彼が来るのなら良い茶葉を選んでおくんだった。なんて夢の中で抱く後悔でもない、か……? ……なるほど、ここはあまりにも私に都合の良い世界なのだな……これは私でなければ溺れてしまう者も多いだろうに)
どこか戸棚を探せば茶葉の一つと茶器くらい出てくるのではないか、そう期待して開けたそこには――よく遠坂邸で淹れていた高級な茶葉がちょこんと存在していた。
殺風景な部屋に不釣り合いな美しいティーポット。確かに美味しい紅茶を淹れるならば食器とて一流の物が相応しい。まぁ彼は飲めるなら何でもいいと言うのだろうが。
私がそうしたいから、そう願った物がきっとこの手に現れる世界なのだろう。勿論私が思い描くことの出来ない状況は形にならない。だからこそ彼とも今こうして不可思議な関係性を保っていられるのだ。
氷上とまではいかないが明確な敵対心を向けているわけでもない。酷く凪いだ気持ちで丁寧に紅茶を淹れ、ローテーブルの上にそっと差し出す。
「ちょうど来客用の茶葉が残っていてね、幸運だったといえよう。まぁ凛からの贈り物ではあるが」
「へぇ、嬢ちゃんが選んだなら味に間違いはねぇな……ん、美味い。なんつー茶葉なんだ?」
「これはアールグレイといって、一般的に紅茶で使用される……、あぁ、すまない。こんな話君にとっては退屈だったな」
「いや? そうでもねぇよ。どうせここではやることねぇんだ。いくらでもてめぇに付き合うさ、アーチャー」
彼が私の淹れた紅茶を毒の心配をすることなく自然に含み、美味しいと頬を緩ませている。カルデアの食堂でも良く見られる光景ではあったが、それが今私だけに向けられている。
その特別さにもう既に胸がいっぱいだな、と感動すら覚えるのに。そんなすぐに覚める夢でもなさそうだ。もし本当に現実で目覚めるまでなら、6時間程の猶予はあるのだろうか。
彼は私が作り出した幻覚だ。だからこそ私を跳ね除けることなくそこで息をし受け止めてくれている。ただそれだけでこんなにも心は温かい、だがそれを彼は知らないままでいい。
「やること……確かにこんな殺風景な部屋では何もないだろうが」
「……なぁ、なんかやりたい事はねぇのか? せっかくの冬木の街なんだ、いくらでも出かけ様があんだろ」
「出かける、か……目的もないのに外出など、あぁでもここに君を縛り付けるのも申し訳ないな」
「殊勝なてめぇはなんかむず痒いな? なら何か目的を作れ、目的を」
「そ、それでは本末転倒ではないかっ……いやしかし、まだ時間はある。確かにただ無為に時間を潰すというのも……」
「何かしてぇことがあるから、ここに俺が喚ばれたんだろう? ならさっさとそれを見せてくれや」
「したいこと、と言われてもだな……」
彼はアーチャーと私を呼ぶ。カルデアと変わることないその呼び方にほっと安堵を覚える。真名を知られているからきっとその軌跡も知られてしまったのだろう。
だがそれでも彼には弓兵と私を呼んでほしかった。廃れた真名などではなく、慣れ親しんだクラス名こそが私には相応しいし何より嬉しい。
それはきっと戦士として向かい合えているからだ、なんて今最も戦場とは遠い場所に彼を縛り付けておきながら。その射貫くような視線を受け止め切れずそっと目を逸らして。
私の中の彼が問いかける。私が彼に何かしたいなどと、それこそ考えるだけで烏滸がましいというのに。あぁ、けれどたった一つだけ思い浮かんでしまった。確かめるようにその場を後にし冷蔵庫を開ければ――見事に中身は空っぽだった。
(フ……なんて私に都合の良い、)
「おぉ、見事に空っぽだな。てめぇらしくもない」
「っ、私一人なら、こんなものだ。でもこれで、君を誘う言い訳が出来たというものだな」
「はぁ? 言い訳ってなんだ」
「ご覧の通り、冷蔵庫が空っぽだから――私の買い出しに付き合ってはくれないだろうか、ランサー」
「――……行く」
私がかの大英雄に出来ることなど、それこそやはり料理を施すくらいしか出来ないように思うのだ。彼は全力を出し尽くすような戦いこそを望む戦士であるけれど、それは私じゃ叶えられない。
だが今の私は彼のためだけに存在している。いつものカルデアキッチンなら大衆向けの食事しか作れない。彼だけのメニューなどそれこそ作る言い訳が思い付かないけど。
今の彼は私にとっての唯一の客人だ。ならもてなすために料理をしたい、そのためには食材を買い出しに行かなければ。ご覧の通り冷蔵庫が空っぽなのだから。
自分で画策しておいて状況の拙さに笑ってしまう。だが一緒に冷蔵庫を覗き込む彼との距離の近さに息を詰めながらも、時間制限のある夢で良かったと心底思うのだ。
そんなまるで友人のような距離感、それにいつまでも心臓が持つわけがない。慣れることはないから夢から覚めた現実にまで引き摺ってしまうことはないだろうが。
硝子の心を整えるように深く息を吐き、いつもの場所に置いてあったエコバックを手にする。この機会を逃したら二度とかの大英雄と共にスーパーを巡るなんて軌跡出会えないだろうから。今はただ素直にその尊さを浴びて味わうことにしよう。
***
「何か食べたいものはあるかね? 今日は特別にどんなリクエストにも応えてみせようじゃないか」
「あー、いや特にねぇな。何でもいいぜ」
「何でもいい、が一番献立に困ると知っての返答か? それは」
「んなわけねーだろ。てめぇの作る料理の名前が分かんねぇんだよ、こっちは」
「あぁ、それもそうだな。じゃあ私が好き勝手作ってしまうが構わんか? 買い出しの時点で何か思い浮かんだなら、言ってくれれば変更は可能だ」
「おう、じゃあそうさせてもらうわ」
我ながら自分の願望の浅ましさに反吐が出そうになる。隣に彼が居る状況でそんなことをしたら、いつものように皮肉からの喧嘩になりかねないが。
今横を歩く彼は酷く穏やかだ。同じ陣営に属しているとはいえ、マスターに命令されたとしてもこうして二人買い出しなどしないだろう。
食料調達は私の専門で、彼はきっと狩猟や釣りに勤しむはず。いやでも大分現代に傾倒していたな……と様々なバイト先で働く彼の姿を思い出して思わず笑みを漏らした。
そんな私の横顔を彼が目を丸くして見つめていたなど気付かぬまま、慣れた手付きで材料を吟味し籠に入れていく。彼のためだけに調理するのだ、いつも以上に失敗は許されない。
「俺にはどれも同じにしか見えねぇんだが、何か違いがあんのか?」
「当たり前だ。君とて使いやすい槍とそうでない物くらいあるだろう? 新鮮さや質、艶から大きさまで……美味しい物を作るには材料選びからもう始まっている」
「はー、なるほど。確かに有象無象の槍が転がってたら、自分に合う合わないはあるわな。質の違いってやつか。分かりやすい例えをありがとよ」
「フ、それでも君ならどんな槍だろうと軽くいなしてしまうのだろうがね」
「ッ!? んだいきなり、気色悪いこと言いやがって……あぁでも、確かにてめぇの食材を見る目付きは武器を眺めるものと同じだな」
「それはまぁ、そうかもしれないな。真剣にもなる。君だけに食べてもらうんだ、失敗などしたらそれこそ苦い思い出として一生モノの傷になるだろうさ」
「傷……んなことで傷がついちまうのかよ、てめぇに」
「鋼の精神だが心は硝子でね。っと、このスーパーは当たりだな。どれも新鮮な食材が多い……いや、私がそう望んだからか、便利なものだ」
食材を丁寧に吟味する私を彼は興味深そうに観察している。ここは新都の広いスーパーを模していて、店内は広く品ぞろえも豊富だ。
好きに物色してくれて構わないというのに私から離れていかないのは、私自身がそう望んでしまったからだろうか。そう考えると居た堪れないのだが。
私の妄想の中の槍兵なのだ。遠慮する方が馬鹿らしいというもの。普段は決して零れ落ちない本音も跳ね除けられないのをいいことにスラスラ言えてしまう。
私の本音に驚いた顔を向けながらも距離を取ってはくれないのだから。武器と食材を見つめる視線が同じなどと、彼がどうして私のそんな姿を知っているのかと疑問にも思ったのだが。
カルデアという特殊な場を私は最大限有効活用すべく、数多の英霊たちに頼み込んでその獲物を解析させてもらうよう頼み込んでいた。
武器の構造を知ればそのままその獲物は私の固有結界に保存される。カルデアが解体された後も武器を投影すれば私はきっとその持ち主を思い描けることだろう。
だからその現場を見られたのかもしれない。人の獲物を複製してまで戦う惨めな戦士にすらならない掃除屋。そんな自分がこうして肩を並べて歩くなんて。
もちろん共闘したこともある。だからその記憶もきっと心に刻まれていくだろう。彼の朱棘の槍こそがきっと一番初めに私の内側に刻まれた傷痕なのだから。
「ふむ、こんなものか。一食分だというのについ癖で買い過ぎてしまったな……」
「それにしたって買い過ぎだろうが。ほら、半分寄越せ」
「えっ? いや平気だ。君に持たせるような物では、あっ!」
「変な所で意地張んな。俺が食う物なんだろう? なら俺の荷物でもある、何か文句あっかよ」
「……ない、な。それを言われてしまうと反論は出来かねる……すまな、うっ!」
「謝るくらいなら礼を言え、礼を。ただ施されるままってのは俺の信条に合わねぇ。こんくらいさせろや」
気が付いたら大きな袋2個分の荷物が出来上がっていた。手持ちのエコバッグで事足りて良かったと安堵するも、どうあっても一回分の食事の量ではない。
いつもならそんな無駄遣いしなかっただろうが、夢の中だから無駄も何もないと買い過ぎてしまった自覚はある。苦笑しながらどちらの袋をも手にしようとしてそれを防がれた。
彼が一つを、それも重たい方をさらりと持ち上げてしまう。かの大英霊にそんな庶民じみたことをさせたくはないのだが、彼は頑なにこちらの意見を通してはくれない。
自分の荷物でもあると言われてしまっては反論も萎んでしまう。そんな私に苦笑しながら指先でこつんと額を小突かれた。あまりの衝撃にぽかんと口を開けたまま額を抑えてしまう。
なんだその距離感は、自然な気遣いは。ただ荷物を半分持たれている、それだけでどうしてこんなにも泣きそうになってしまう自分が居るのだろうか。
「礼、礼か……そうだな。では少し寄り道をしないか? お詫びに何か奢ろう」
「いやそういう礼を求めてんじゃねぇんだよ、俺は……」
「ふむ、なら訂正しよう。少し小腹が空いてね。寄り道に付き合ってくれると助かるんだが」
「ん、それならよし」
そんな何でもない景色で感傷に浸っているなど知られたくなくて、誤魔化すようにした提案をゆるり拒絶される。だがそれではこちらの気が治まらないというものだ。
卑屈さを隠した誘いをかければ、彼はいとも簡単に首を縦に振ってくれた。両手に手荷物があった状態では寄り道も不可能だっただろう。これも彼との外出を楽しむために私が望んだ演出なんだろうか。
気兼ねない友人のような温かい空気に思わず夢であることを忘れてしまいそうだった。眩さに目を細めるも一瞬、夢だと理解しているからこそ可笑しなことをしようとは思わない。
夢の中でくらいと誰かは言うのかもしれないが、夢だからこそ溺れたくないのだ。目を覚ました瞬間冷えた空気に晒されて、凍り付いた心が粉々に砕け散ってしまったら困るなんてものじゃない。
つらつら他愛ない会話を続けていたら、すぐに公園が見えてきた。あぁ、まさにお誂え向きのシチュエーションだ。今日だけは幸運の低さがさく裂して土砂降りが襲うようなことだけはないだろうから。
「荷物を見ていてくれるか? 何か冷たい物でも買ってこよう。リクエストはあるかね?」
「あー、何があるか分からねぇしな……お前に任せるわ」
「了解した。少し休んでいてくれ」
ベンチに荷物を預け彼に番を任せる。普段ならこんな食材が痛んでしまいそうな寄り道決してしなかったが、この世界は私の箱庭に近い。
何だって投影で作れるし、壊れること痛むこともないのだろう。一瞬の空しさを振り払うように備え付けの大きな時計に目をやれば、既にお昼を過ぎ麗らかな午後へと突入していた。
公園には寄り添う恋人たち、眩い表情で駆け回る子供たち、ランニングに勤しむ青年、穏やかに談笑する老夫婦、どこに目を向けてもそこに硝煙の香りはない。
守るべき日常で謳歌すべき未来だ。この光景を今日も必死に駆け抜けるマスターの元へ返してやらなければと、夢の中でも手にした決意は変わらないことに安堵する。
そんな穏やかな景色を眺めていたらふと道の先に外売りをしているカラフルなワゴンを見つけた。本当、便利な夢だ。私が望めばここでは何でも手に入るのだろう。
だがそれでも手に入らない心はある。ワゴンはアイスクリームを販売しているようで、この麗らかな午後にぴったりだと思った。彼の分と、ついでに自分の分も注文し彼の元へ戻る。きっと彼の分だけ買っていった所で、自分一人で食べるのは居心地が悪いと受け取ってくれないだろうから。
本来ならマスターや他の英霊たちに向けられる兄貴分としての気さくさが今は自分にも降りかかる。それだけでどうしたってこんなにも胸は弾んでしまうのだ。
「待たせたな。ちょうどいい物が売っていた」
「おー……っておい、これ絶対に色で選んで買ってきやがったな?」
「ははっ、違いない。でも君に相応しい色だろう? 空のように眩く爽やかな涼しさだ」
「てめぇ……それ分かってて言ってんのか?」
「ん? 何がだ? あぁ、別に侮辱するような意図はなかったんだが」
「無意識かよ……天然タラシは怖ぇなオイ……」
何味にしようか、何なら彼は気に入ってくれるのだろうか、選択肢はあってないようなものだった。目を奪われたのは鮮やかなブルー、爽やかな炭酸弾けるソーダ味。
まさに彼にぴったりとしか思えなかったのだ。もっとも炭酸の弾ける泡程度じゃ彼の内包する苛烈さは表現出来ないだろうが。それでも真夏の青空のような眩さを彼は背負っているから。
その意図を正しく見抜かれて思わず笑ってしまう。蒼と朱、まるで正反対の色。手の届かない青空こそ彼に相応しい。私が手渡したそれを苦笑しながらも口にしてくれる。彼の好みなど分からなかったが、嫌いな味ではありませんようにと願うばかりだ。
「で? そっちは何味なんだ?」
「私のはミックスベリーだな。期間限定品だというのでね、食べたい味もなかったし自然とこれを選んでいた。こういう時ふと人種が出るものだな」
「あー、確かに日本のやつらは期間限定っつう言葉
に弱いとマスターも言っていた気がするな……」
「ふ、彼女も日本人だからな。確かに共感してもらえるもので……ん?」
「そういうその赤はてめぇみたいな色だな。少し濃い赤色だ」
「あ、あぁ、そうだろうか。特に意識はしていなかったのだが」
「それも美味そうだな。一口くれや」
「え――」
彼が真昼の空ならば、きっと私は日の沈む夕焼けなのだろう。それを彷彿とさせる色だったが味は悪くない。甘酸っぱいベリーの味わいが喉を潤す。
だからふと彼の口から出たマスターという単語に違和感を覚えながらも、それを追及する間もなく腕を引かれてしまう。まったく、食い意地を張っているのはどこでも変わらないんだな。
なんて軽口を交わせないまま硬直してしまったのは、がぶり目の前で私のアイスが齧られたからだ。尖った牙で噛まれたアイスが青く染まった舌の上でどろり溶けていく。
いつものように躾のなっていない駄犬そのものかと罵倒を向けるべきであったのに。あまりに倒錯的な景色にくらり眩暈を感じながら、じわじわ顔に熱が昇っていくのを実感する。
彼がそんな私の顔色を目を見開いて凝視していた。自分でもあまりにみっともない顔色だと自覚していたからふいっと思わず逸らし、空いた片手で顔を覆う。
理性が追い付くはずもない。彼がアイスごと私の手を掴んでいることにすら気に留められず、甘く胸焼けのしそうな現状に羞恥心による震えが止まらない。
「え、なんだその可愛い顔。おい背けんなこっち向け、もっと見せろ」
「かっ、勘弁してくれ……というより人が食べた物を勝手に取るな、自分の分があるだろう……子供でもあるまいし……」
「そっちのアイスも美味そうだったんだから仕方ねぇだろ。生憎欲しいものは強奪すべきって教訓で育ってきたんだね」
「恐るべきケルト塾生……こんな甘いサービス求めたつもりはないぞ……あまりに過剰摂取が過ぎるだろう……」
「あ? サービスって何だよ……ふーん? なんなら手でも繋いで帰るか?」
「無理だ、確実に座に帰るからやめてくれ」
驚いた彼の一瞬の隙を突いて掴まれた腕を戻す。熱の籠った全身の温度を下げるようにばくばくとアイスを口にした。もっと味わって食べたかったのに、今はこの場から一刻も早く立ち去りたくて仕方ない。
これも私が望んだ状況だというのなら何て甘い、甘過ぎる。少女漫画もびっくりな展開決して願ったつもりはないのに、自分にでも気付いていない願望が眠っているとでもいうのか?
そんな私を楽しむかのようにこちらの顔を覗き込んでくるのだから勘弁してほしいと思う。最初は素っ気なかったはずなのに確実に関係性が変化している。だから望むとするならばこの時間の流れなのだ。
少しずつ心を分け合い仲良くなれたなら、なんて子供もびっくりの願いを夢見ていたんだろう。なんて居た堪れない、バリバリ行儀悪さも気にせずコーンに齧り付く。
そんな私の反応を楽しむように彼もアイスを食べ終え、何なら本当に手でも繋いでしまいそうなくらいの距離感で二人帰り道を歩いた。何だったか、あれだ、レンタル彼氏なんて職業があったか。彼ならさぞかし稼げるだろうし本気になってしまう女性も多いだろうな……自分もその内の一人になってしまいそうな自覚を持ちながら。
これは夢、夢であって現実ではない。目覚めた時冷静で居られなくなるのだけは本当に困るから。ニタニタ人を小馬鹿にしたような悪い笑みにいつも以上に切れ味のない皮肉で返しながら、逃げ帰るように部屋へと脚を進めた。
***
さて、何を作ろうか。なんて悩んでいる暇はなく、何でもいいと言われた時点でメニューなど決まっているようなものだ。部屋に戻り身支度を整える。
必要な材料を取り出し、慣れた手付きでエプロンを身に着け調理道具を手にする。そしてふと、あまりに殺風景な自分の部屋を見渡してしまうのだ。
これは暇潰しには苦労するに違いない。私とて寝るための部屋でしかなかった。けれど客人を退屈させてしまうなら縛ることは許されない。
「少し時間が掛かるかもしれない。こんな部屋じゃ暇も潰せないだろう。どこかへ出かけても構わない。まぁ、出来上がる頃には帰ってきてくれると有り難いが」
「いんや、ここで待たせてもらう。暇潰しってんならてめぇを見ているだけで大分退屈凌ぎになると思うぜ?」
「私を? ……あぁ、調理をということか? 君の視線を感じながら、というのは中々難しそうだな……」
「てめぇが料理している所なんざ、じっくり見る機会もそうそうないからな。これを逃したら二度とはなさそうだ」
「いやそんなことは……、まぁ、それはそうかもしれない。普段の君ならきっと、調理中の私になど目も向けないだろう」
狭いキッチンに二人、並んで会話しているというだけでも奇妙な状況だというのに。何故か彼はこんな退屈でしかない場所から抜け出してはくれない。
私が彼にもっと傍に居てほしいと願ってしまったのだろうか。あぁでも、それはきっとあながち間違いではない。例え多くの世界線で彼に出会うこと自体は多くとも、敵対することがほとんどで。
カルデアや月の聖杯戦争内で僅か同じ主を仰ぎ見たとして、そこには他の仲間も居る。なら自然気の合う英霊たちと共に居るのが自然なのだ。
こんな風に穏やかに敵意を向けることなく他愛ない話を交わしたことはあったのだろうか。全ての思い出が刻まれないのは少しだけもどかしい。この身に刻まれるのはきっと殺戮に関することばかりなのだ。
だからこそこんなにも長くカルデアという場所に於いて、彼の後ろ姿を見続けてしまったから。自分には不相応だと分かりながらあり得ないこんな夢を見てしまえたんだろう。
「相変わらず見事な太刀捌きだな~何作ってんだ?」
「まぁ、今となっては武器と同じくらい握っている物ではあるからな。内容は完成してからのお楽しみだ。答えを教えてしまっては驚かせることが出来なくなるだろう?」
「――ほう? てめぇ、この俺を驚かせようとしてんのか。面白ぇ」
「そんな大層なものではないがね。たまにはいいだろう、どうせ一度きりの余興に過ぎないのだから」
限られた時間と材料で、一体どれほどの物が作れるかは分からないが。せめて私が出来る精一杯でもてなしたいと思う。例え一夜限りの夢の中だとしても。
だからこそ失敗はしたくないし、出来るなら彼の鼻を明かしたい。カルデアの食堂ではどうだっただろう、目を輝かせて食事している様子は見られたが。
彼のメニューが私の作った物とは限らない。キッチンを預かる英霊は私だけではないのだし、彼がわざわざ私の手作りを選ぶとも思えなかったから。
こんな機会もう二度とこない、だというのにこんなにも胸が弾んでしまう。彼に料理を食べてもらえるただそれだけで、こんなにも心は満たされてしまうのだ。
「……本当に楽しそうに作りやがるのな、てめぇは」
「まぁな。君に食べてもらえるんだ。腕の奮い甲斐があるというものだろう」
きっとその感情が顔に出ていた。らしくなく緩んだ甘い表情が。でも今ばかりはそれを恥じなくてもいいし、隠そうと無駄な足掻きをしなくてもいい。
どうせ目が覚めたら消える夢なんだ。私の醜い妄想の中だけの産物。だからきっと何をしても許されてしまうし、何を選んだ所で現実に影響はない。
でも臆病者な私は例え夢の中であろうと彼に告白することだけは出来ない、それ所かこうしてただ隣に並び会話するだけで満足してしまうような、ちっぽけな愚者であるのだから。
「――……ッ、」
「味見だ、塩加減はどうだ?」
「ん、っと……あぁ、文句の付けどころがねぇよ」
「そうか、それは何より。さて……トレース、オン」
「おわっ? っと、おぉ、本当に便利だな。てめぇのその能力は」
「ただ器用貧乏なだけだよ。すまないがここから先は集中したくてね。君と話しているとどうにも気が散ってしまう。それで大人しく暇潰しを」
「俺に見られてると集中出来なくて、会話してると気がそぞろになるのか。調理中だというのに、あの弓兵が」
「ッ、そう、だな。情けない話ではあるが……だからそれでも見て待っていてくれないか? 使い方は分かるだろう」
「……そうかよ、ならここは大人しく引き下がってやる。それにこれは確かに、暇潰しにゃ飽きない箱だからな。こんな小さな箱に娯楽を詰め込んじまうんだから、現代人の探求心には恐れ入ったよ。まったくな」
「た、確かにテレビは文明の利器と言えたが……、……ふ、それを設置しそうして寝転がって見る君は、休日の父親像にしか見えないな……」
材料を切り、炒め、煮込み、味付けをする。あのカルデアで恐ろしいくらい身に着いてしまった習慣だ。きっと双剣を握ったのと同じくらい、いやそれ以上の頻度かもしれない。
人手が足りていない時は調理もレイシフトもどちらも任される自転車操業だった。けれど今はこうして戦闘に特化したサーヴァントも多く味方になってくれたから。
自然な手付きで小皿を渡せば、何故か絶句していた彼がそれを手に取り味見してくれる。良かった、彼好みかは知らないがどうやら失敗はしていないらしい。
だがこれ以上は駄目だ、私自身が日常に戻れなくなる。そう判断し一旦調理器具を置いて、いつものように呪文を紡げばそこには四角いテレビが現れた。
最新機種ではないけれど、きっとこれで充分だろう。少しだけ不満そうに愚痴る姿が子供のように見えてくすり笑えば、それを気取ったのか。彼がまるで拗ねるように舌打ちをし、言われた通り従順に居間へと戻ってくれた。
確かに子供を見守る目線になってしまったかもしれない。そう願ったのは私かもしれないが、こんな私に構ってほしそうに足元を纏わり付く子犬に見えてしまったのだから。
さてそんな彼の機嫌を直すためにも、舌を唸らせ満足してもらうためにも精一杯励むことにしよう。それが叶わぬ限り、この夢が覚めてしまうことはないのだから。
***
「すまない、待たせたな。つい張り切り過ぎて、あぁ、もう夕暮れか」
「おう、待ちくたびれて腹がすっかり鳴り響いてやがる。期待に唸ってるが平気か?」
「問題ない、と自信を持って言えたら良かったのだがね。まぁ出来ることはやりきったよ」
「そうか、そいつは楽しみだ。どれを運べばいい? 手伝うぜ」
「手際がいいな……さては君、居酒屋でバイトをしたことがあるな?」
「んで分かんだよ、相変わらずの観察眼だなオイ」
時間の流れが正しいのか分からない世界ではあるが、午前中を買い物に費やし、お昼を公園で過ごし、午後は調理に熱中して、気が付いたら夕暮れになっていた。
サーヴァントであるから一日三食なんて決まった時間に腹が空くわけではない。それでもこんな時間まで付き合わせてしまったんだ、それに謝罪を向ければ。
慣れた手付きでひょいひょいと皿を手から肘に並べて乗せるものだから、その器用さがどうにも喧騒で賑わう居酒屋で働く彼を彷彿とさせてしまった。
返答は大正解だったようで、苦虫を噛み潰したような表情に思わず吹き出してしまう。本当、彼ほど現世に染まった英霊を私は知らない。
「ていうかこれ……あー、こりゃまたよく知ってたな……この国からしたらマイナーでしかねぇだろ、こんなもの……」
「そうだな、それは事実だ。私も以前ならここまで極められなかっただろうが、幸運なことにカルデアには多くの英霊が集うからな」
「あ? そりゃどういう、」
「何、簡単なことだよ。君の同郷出身の英霊も多く召喚されていただろう? 彼らに色々教わり、試行を重ねて、」
「――あ?」
「っ、な、何に怒って……、あぁ、いやそれもそうか。すまない、私のような者が料理のためとはいえ、君の同郷の者と交遊を重ねるなど不躾であ」
「違ぇ、なんでこれが知りたかったんなら俺に聞かねぇんだよ」
「――私が、これを、君に……?」
居間には小さなテーブルしかなかったが、私の分はなく彼の分だけだからみっちり隙間を埋めてしまっても構わないだろう。そう次々並べていくとその彩に彼も気が付いたようだ。
並ぶ料理は全てが彼の出身、アイルランドの料理であった。もちろん現代に近い料理ばかりだが、それだけではないのを目聡く勘付かれる。
今までの私ならばここまで極められなかっただろう。だが幸運なことにカルデアには多くケルト出身の英霊が召喚され、交流を深めることが出来たから。
彼らは酒宴が大好物。そこに並ぶ酒やつまみを用意すれば、私のような者すら温かく迎え入れ、私の質問に朗らかに答えてくれたのだ。だからこそ私の作るアイルランド料理には磨きがかかったのだが。
それを白状した途端強いくらいの力で腕を掴まれた。今の会話のどこに殺意を向ける要素があったのか、だがその疑問はすぐに解消される。
確かによく思わない相手が同郷の仲間に近付いたら警戒して当然だろうに。そんなつもりはこれっぽっちもなかったのだが、それを彼がどう思うかはまた別の問題だ。
そして確信する。この彼はカルデアに喚ばれた彼の記憶から作り出されているのだな。ここが冬木であるからあの時の彼かと思ったのだが、どうやら違うらしい。
私が今の彼に料理を食べてもらいたいと願ったからなのだろうか。だがどうやら聞くに、彼の怒りはまた別の所にあるようで、わけも分からず首を傾げるばかり。
「……私が君に、ケルトの伝統的な料理を教えてくれと尋ねたら、君は素直にそれに応じてくれたと?」
「当たり前だろ、んな別に秘術を教えろってんじゃねぇんだしよ。それとも俺はそんなことすら教えねぇケチ野郎にでも見えんのか?」
「……いや、普通に無理だろう。君が私にそんな素直に応じるとは思わんよ。君のことだ、どうせ私に何か裏があると疑って火を灯し、いつものように小競り合いになるのがオチだ」
「ッ、それは、まぁ、否定出来ねぇけどよ……だからって他のヤツらに聞くのは違ぇだろ……だってこいつは、俺に食わせるために作ったもんなんだろ?」
「それは、まぁ、その通りだが……?」
「ならこれは俺好みの味じゃなく、他のヤツら好みの味なんじゃねぇかよ……腹が立つ、イラつく。これを俺より先に食べたヤツがいるなんて……」
「……君は、時折酷く真っ直ぐに物事を考えるのだな……なるほど、その者を思って作るのなら、他の誰かの意見を取り入れるべきではないと?」
「そうだ、俺のための料理だってンなら、俺だけを考え思い構成されるべきだ。俺は何か間違ったことを言っているか?」
「いや、確かにそうかもしれないが、私一人ではここまでの物は出来そうになくてだな……」
「いいんだよ、別に料理の種類に拘らなくても。俺だけを思い手向けられた物があるんなら、俺はそれを跳ね除ける真似しねぇんだからよ」
「……そうか、それは気が利かずすまなかった。次は失敗しないよう心掛けよう。もっとも、次なんて機会二度とは訪れないだろうがな」
彼の主張は恐ろしく真っ直ぐすぎるものだった。あまりに直情的に私の瞳を射貫くから、それを受け止め切れない後ろめたさに負けて思わず視線を逸らしてしまう。
君に直接食べてもらう機会などないと思っていた。それでも君のことが知りたくて、それでケルトの偉人たちに教えを請い忠実に過去の記憶へ近付けたに過ぎないのに。
せっかくチャンスを得たにも関わらずこれだ。やはりどうにも上手くいかないな。ここまでのリアリティを私は求めたというのか? いいや、きっと根底は違うのだろう。
私はこの叶わぬ恋をどうにか断ち切りたかった。思えるだけで満足で、彼とどうにかなろうなんて空想すら出来ない臆病者であるけれど。夢の中ですら一線は越えられるものではなかったらしい。
一生懸命彼のためを思い作った物を鮮やかに拒絶されたのなら、それはきっと失恋に等しいものなんじゃないだろうか。そう薄暗い本心が現れたからこそのこの状況なのかもしれない。
「ふむ、お気に召さなかったようだな。やはりらしくないことはすべきではない、か。すまない、今片付け、っ?」
「何も食べないとは言ってねぇだろうが」
「は、ぁ? 意味が分からんぞ貴様……気に食わないんじゃなかったのか?」
「あいつらが先に食ったってのは気に食わねぇ。でも確かに、今ここにある物は全部俺だけのモンだ。それに免じて矛先は仕舞ってやる」
「はぁ……まぁ、食べてもらえるのなら、私とて食材を無駄にしないで済むから助かるが……」
ふんっ、と偉そうに胡坐をかく姿は一体何様なんだと言わざるを得ないが。まぁ大英雄様だものな、とこちらも皮肉を収めておく。こんな場所でまで喧嘩をしたいわけじゃない。
それでも並ぶ様々な彩り溢れる料理を前にして、ゆるり彼の視線が緩んだ。美味しそうなご馳走を前に涎を堪える番犬のよう。だからきっと、それだけで本当に私は満足してしまえたから。
「――いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
この国に倣うように彼は両手を合わせる。そんな文化一体誰に教わったのだろう。冬木に居た頃だろうか、それともカルデアのマスターにだろうか。
慣れ親しんだ習慣でもないだろうに。だがそういうふと見せる彼の場に染まる柔軟さを確かに好んでいた。融通の利かない頭でっかちではないのだ。
マスターを守りながら持久戦に挑む姿も、全力を出していいという命に本当に楽しそうに答える姿も、気さくに朗らかな表情で眩い太陽のように笑う姿も。
あぁ、その全てを覚えていられたらいいのに。手の届かないそれを心のアルバムに大切に収めながら、一口また一口と咥内に運ばれる様子を固唾を飲んで見守る。
「……どう、だろうか、」
「――美味ぇ、美味いんだが、なんつうか、これは……」
「うん? あぁ、やはり何か可笑しかったか……?」
「いや、可笑しいっつうか、なんつーか……あまりに俺好みの味にすぎねぇか?」
口に含んで硬直。それでも吐き出されることはなくゆっくり咀嚼される。どこか呆然とした面持ちで、それが時折カルデアの食堂で見たどんな表情とも違っていて。
緊張が不安に変化する。やはり模したものは駄目だったか、結局は偽物、代替品には代えられない。私の手で本物を作り出すことは敵わないと諦めかけたその瞬間。
彼がどこか恍惚とそう呟くのを聞いた。どうしてそんなことにまで気付いてしまうのだろう。ただ美味しいと味わってくれたならそれだけで嬉しかったのに。
じっと見つめられては適当な言い訳すら思い浮かびそうになく、素直に白状するしかないのだろう。夢の中でどうしてこんな羞恥心に襲われなければならないのか。
「……、……私が、強請ったわけではなく、自ら聞いたわけでもないのだが、その……彼らに、変な気を回されてしまって、」
「彼ら?」
「その、君の同郷の英霊たちだ。私は確かに、ケルトの郷土料理が知りたいとそう聞いたはずが、知りたいのは君の趣向なんだろう? と、そんな気遣いを……」
「――俺の、趣向?」
「っ、そうだ。私は君の、好きな味を知りたくて……別に深い意味はない。それを利用して何かしたとか、そんな下心は本当になくてだな……あぁ、それでも、勝手に知ってしまったのは、君に失礼だった、」
「じゃあこいつは――俺のための料理で、俺の好きな味付けをしたと?」
「うぐっ、そう言葉にされると気色悪いな……あぁ、そうだ。最初からそう言っているだろうが……たわけ、」
彼らの機嫌を損ねぬよう、礼と称して出来うる限りの料理と酒でもてなした。この料理は一体どんな風に工夫すれば彼らの居た時代に近付けるのかと。
だがそこに森の賢者殿が居たのが運の尽き。彼は半身である癖に何の躊躇いもなく『知りたいのは槍の俺の趣向だろ?』と宣ってしまったのだ。
そこからはもう酷い宴だった、思い出したくもない。フェルグス殿の剛腕が肩に回されたら逃げられるはずもなく、ディルムッドやフィンだけでなくあのスカサハ殿ですら私を囲んでしまったのだ。あぁ、確かに英霊同士の恋模様などいい酒の摘まみでしかないだろうが。
何故そんな真似をしたんだキャスター! いくら別クラスとはいえ自分のことだぞ気色悪いとは思わないのか!? いやもうなんつうか見ててじれったい、はよくっつけや。
そんな眩い笑みと共にもみくちゃにされた私は、酒に溺れながらも何とか彼の、ランサーの趣向を得ることに成功したのだ。もっともそれを本人に味わってもらう機会が来るとは思ってもみなかったのだが。
彼のことを知れたのならそれで満足だった。それが例えこんな歪な形だったとしても、味わってもらうことが出来たのだ。それに美味しいと言ってもらえた、なら本当にこれ以上なんてないというのに。
どうして気付いてしまうのだろう。歯痒い気持ちで顔を片手で覆う。多分昼間にアイスを奪われた時と同じような表情を晒しているに違いないのだから。
「……ッ、ハー……何、あいつらに俺の好みを聞いてたってのかよ、てめぇは」
「ぐぅっ、違う、最初からそんなつもりはなく、結果的にそうなってしまっただけで……と、何故まだ食べている」
「あ? いや普通に食べるだろ、食事を止める理由がどこにあるってんだ」
「いやっ、こんなことを聞かされて普通吐き出すだろう!? 気色悪いだとか、気持ち悪いだとか、そういう……」
「はぁ? あー、まぁ確かに俺より先にあいつらと仲良く宴を開いたその一点に関しちゃ苛立ってるがな。それが俺の趣向を知るためで、かつそれをこうして俺だけが独占する機会を得た。苛立ちが消えるどころか嬉しさで上回っちまうのも無理はないだろう?」
「? ……分からない、何故君が今そんなにも上機嫌で居てくれるのか、本当に理解に苦しむが……まぁ、夢の中だものな。きっとそんな心変わりもあるのだろう」
「あぁそうだよ、これはてめぇの夢の中だ。なら片意地張らずもっと分かりやすく素直になりやがれ」
「それは性分的に無理な話だ。だいたいこんな所で素直になられても君だって困るだろう? ランサー」
「そうだな、確かに困る。夢の中だってのに思わず手が出ちまうだろうよ」
「ほれ見たまえ。私とてそんな流血沙汰な夢勘弁願いたいものだね。そんなのは現実だけで充分だ」
「意味が違ぇってんだよ、意味が」
苦々しい顔を向けたと思ったら、途端機嫌を直しばくばくと遠慮なく料理を口にしている。その変化がどうにも理解出来なかったが、まぁ夢の中だし深く考えても意味はないのだろう。
彼は私の希望通り動いているに過ぎない。何はともあれ料理を食べてもらうという当初の希望は達成出来た。だがまだ残っている物があったなと席を外し先程購入しておいたそれを持ち出す。
普通こんな街の一端で売られている品物ではないのだが、これは恐らく私の部屋にある物がそのままここに移ったに過ぎない。キャスターの彼から貰ったとっておきの酒が。
「危うく忘れる所だった。食事には酒が付き物だろう?」
「おっ、いいねぇ……って、」
「私は飲んだことはないのだが、君の国では有名な物なのだろう? 蜂蜜で作られた酒とはまた風流なものだな」
「……キャスターの俺だろ、それ」
「えっ、まぁその通りだが、よく分かったな。まぁ同一人物ではあるから趣向は似る、というか同じだったりするのか?」
「くそっ、あいつ謀りやがって……戻ったら一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まねぇ……!」
「え、なんでさ……あぁ、もしかして何か曰く付きか? なら止めておくか」
「いいや飲む。この際だけじめを付けるためにも飲んでやる。だからお前も飲め、それが条件だ」
「条件、って、そこまでして飲まなくてもいいのではないか?」
「いいから飲め。一杯でいいから。じゃねぇとここを今すぐハニームーンにしてみせるぞ。俺は構わねぇが?」
「ハニームーン? 意味が分からない……あぁ、蜜月の起源だったか、確か。ふっ、私たち二人には程遠い現象だろうに、それは」
「というか酒だけじゃなくて料理も食え。さっきから俺が楽しそうに食ってる姿ばっか楽しみやがってよ……てめぇが作ったもんならちゃんと一緒に味わえ」
「どういう理屈だそれは……まぁ、不躾に眺めて悪かった。確かに食の共をするのも務めではあるか」
蜂蜜酒は飲んだことはなかったが、これを機に味わうのもいいのかもしれない。彼が誘ってくれなければ味わう機会などなかっただろうから。
この味と共に夢を思い出すのだろう。アルコールに酩酊するのと同じ感覚。溺れてしまうようなそれがいっそのこと恐ろしいとすら思うのに、夢であるからとそう思うと止めることが出来そうにない。
二つ分のグラスを用意して、彼がそれを向けるから合わせるようにおずおずとグラスを重ねた。カチンと小気味いい音がして彼はぐいっとそれを仰ぐ。
いい飲みっぷりだ、私には真似出来ない。酒に強くないことを自覚していたから舐めるように飲み、酔ってしまわぬよう料理を口にする。精の付くような少し濃い目の味付け、これが彼好みの味。それをこうして共に食卓を囲みながら舌鼓を打てるなど、それこそまるで夢のよう。
(いや、正しく夢であるのだ。あぁ、本当に……まるで奇跡みたいだ。ふとあの頃を思い出してしまうな……)
まだ戦力が伴っていなかったカルデア発足初期の頃、充分なクラスも揃っておらず召喚された全ての霊基で挑むしか道のなかったレイシフト。
寝静まるマスターと盾の少女を見守るように、火の番をしながら野営をしていた。ただぼうっと何を考えるでもなく意識だけを尖らせていたら、交代前に彼が向かいに座ったのだっけ。
珍しいこともあるものだと煌々と燃える火を眺めていたら、彼女らを起こさぬようぽつぽつと槍兵が話し始めた。内容は覚えていないが、きっと他愛ないことだったように思う。
声を荒げることはなく私も素直にそれに応じて、時折皮肉を返しながらも決して雰囲気は悪くなかった。夜が明けるまでその対話は続き、野営の度に二人で何でもない話を続けて。
今ではもう遠い昔の話。クラスごとの英霊は十分に揃い、彼と共に戦場に立つことも多くはなくなった。だから私の願いはきっとそこに起因するものなのだ。
あの時をもう一度――あの何でもない他愛ない見張りの番が、私にとっては唯一得難き彼との日常であったから。形は違えどきっとそれを夢みたからこその今ではあるんだろう。場所も服装も状況も何もかも異なってはいたけれど、それでもカルデア基地に於いてこんな風に二人きりで対話することは出来なかったから。
「……つーか、本当にこれで良かったのかよ」
「うん? 何がだ?」
「今日一日、ただ買い物して寄り道して飯食っただけじゃねぇかよ。せっかくの冬木なんだ。嬢ちゃん達に会ったりしなくて良かったのか?」
「……あぁ、なるほど。舞台が冬木であるのはきっとまた別の問題だろうが、そうだな。会いたくないわけではないのだが、これでいいんだ」
「いや何がいいんだよ」
「限られた時間なんだ。勿体ないと、そう思ってしまうのも無理はないだろう?」
「あ? どういう意味だよ」
「時間が限られているというのなら、私は……それこそ一分でも一秒でも長く、君とこうして過ごしたかった。この夢は、そのための舞台装置に過ぎないのだから」
「――……は、」
確かに彼にとってのここは冬木そのものの街並みで、ならあの日々のようにと過ごす私を夢想してしまうのも無理はない。だが冬木は私にとってもう過ぎ去った日々なのだ。
ここがカルデアではなく冬木で服装がいつもの霊衣でなく私服なのも、これが現実だと誤認しないため。遠のいた過去で絶対にもう手が届かないのだと認識するための舞台なのだから。
もしここが今のカルデアそのものであったのなら、私はこれを引き摺り目を覚ましてからも同じように接してしまうかもしれない。そうして彼の嫌悪感を露わにした顔を見て、冷や水を浴びせられたような気持ちに陥るのだ。
夢は夢のまま綺麗に輝いていてほしい。届かない星として瞬いているからこそ、それを見上げて穏やかな心持ちでいられるのだ。私にとっての一等星、いつかこの夢が覚めるまで流星になることなくそこで輝いていてくれ。
願えばきっとあの頃のように、金星の女神ではない冬木でのマスターもその連れ達も、瞬く間に姿を現しただろう。出会えなくなった人達ともう一度日常を、というのならなんて夢に願うに相応しい。
けれど違う、違うのだ。叶わぬ夢を抱いていいのなら、それならたった一日でいい。彼と、あの光の御子殿とこうして――あの野営のような、何でもない日々を過ごしてみたかった。
もちろん双剣と槍とを携えて向かい合うのも悪くはないけれど。それはまだ可能性がある。戦士としてではなく友として、甘い恋人関係なんて贅沢は言わないから。
気兼ねない友人のように皮肉も煽りも喧嘩腰もないままに、彼と向かい合ってみたかったと言ったら。きっと現実の彼のように今そうして呆れた表情を向けられてしまうんだろうな。
「――ふざけんなよ……こんな、こんななんでもない、微温湯みてぇな日常が……てめぇにとっては手の届かない、現実じゃあ絶対に叶えられない……夢でしか見られない願いだというのか、」
「……あぁ、そうだ。君の言う通り、例えお飯事みたいな微温湯でしかなかったとしても……それでも、叶わぬ私の夢だったんだ……すまない、いくら夢の中の君とはいえ、私のような相手とこんな真似をさせて、本当にすまなかった」
「ッ、んなの、てめぇが望めばいくらだって……! チッ、あぁそうだった。てめぇは自分で手を伸ばせるような性分じゃなかったな。分かってたつもりだったのに、くそっ」
「……ふ、あぁいや、すまない。君を決して笑ったのではなく、そういう敵視した表情こそが、私自身に向けられる現実であったと、そう思い返しただけなんだ。おかげでようやく、覚めない夢から目を覚ませそうだ」
確かに彼の言う通りだ。向けられた言葉を甘じて受け止め自嘲を零す。確かに彼にとってこんな時間は微温湯でしかなく堪能するに値しない空間なんだろう。
まさか夢の中の本人に否定されてしまうなんてな。でもその通りだ、私自身分かっていながら目を背けていたことを、彼だからこそこうして指摘してくれるんだろう。
もしかしたら例え夢の中だったとしても、彼という人格に意志はあるのかもしれない。胸倉を掴む手からは渾身の怒りが伝わってくる。だから本当に申し訳ないことをしたなという罪悪感だけが込み上げた。
でもそれもこれでおしまい。おかげでようやく未練なく目を覚ますことが出来そうだ。だってほら、ここは私のための舞台。演者と脚本家が満足したのなら、幕は下りるべきなのだから。
「あ? んだこれ、」
「私が満足したということだろう。所詮は夢だ。目を覚ませば全てが消える」
「ふざけんなッ! 話はまだ終わっちゃいねぇだろ!? あぁ、ちくしょうっ! なんだって俺はらしくなく弱腰になっていやがったんだ、今までッ」
「……っ、ランサー?」
「ッ、あぁ、そうだ。てめぇは他のどの槍兵をもそう呼ばない。他を全て真名で呼び、俺だけをそうクラス名で呼ぶ」
「いや、そんなの今更、だろう……それに君だって、私の真名を、呼んだりはしない、だろう……?」
「当然だろ。そこに特別さを見出していたんだからな。てめぇも同じじゃねぇのか?」
「それ、は……いや、ちょっと待て、さっきから何の話を、というより、ち、近い、」
私の充足感に呼応するように世界が溶けて消えていく。手から零れ落ちる砂上の城と同じ。舞台が消えて登場人物が去り全てが夢幻と等しく何も残ることはない。
だがそれでいいのだ。この胸に残った灯火だけは消えることはない。私はこの夢を更なる糧に、また日々を懸命に戦い抜けていけるだろう。
だというのに何故か彼の怒りが鎮火されてはくれない。あろうことか胸倉を掴まれたことによって近付いた距離が遠のいてしまうことはなく。
すり、と鼻先が触れ合う。漏れる互いの吐息が肌に触れ合って、真っ直ぐ射貫く紅玉から目を逸らせない。まるで食べられてしまいそうなその距離感にまた更に顔に熱は籠り、鼓動は馬鹿みたいに音の在処を速めていく。
噛み付かれてしまうのではないか、いいや違うきっと頭突きをされるのだ、こんなふざけたことに付き合いやがってと。それならば甘んじて受け止めようと覚悟を決めるのに、どれだけ待ってもその衝撃は訪れることはなく。ただ彼の甘い吐息と鼻先からの温もりが、じんわりと私の肌を焼いてしまうばかり。
「悪いが俺は、こんな脈ありな展開を見せつけられて身を引く程、愚かでも落ちぶれてもいないんでね。そりゃてめぇの情けない弱腰っぷりには鞭を打ってやりてぇくらいだが、」
「らん、ランサー、君は先程から、一体何を、」
「良い夢をありがとよ、アーチャー。おかげで目を覚ませそうだ。あぁいや、こんな場面で言うと皮肉にもならねぇな、こりゃ。踏ん切りが付いたし決心も揺らがない。だから――覚悟しておけ、弓兵」
「なに、ッ!? 痛っ、」
「ココは戻ってからだ。その心を俺が占めているというのなら、てめぇが何と言おうが攫いに行く。その時にどう返事するかそれだけ考えておいてくれや。いいか、首洗って待ってろ」
まるで戦闘中にしか見ることのない視線だ。煌々と燃えて煌めくようにギラ付き獲物が手に落ちるのを待つどころか、奪い攫いに行く狩人。
そんな尊いものが私なんかに目を向けるはずはないというのに。魔眼のような怪しい煌めきに魅入られて硬直して動けない。きっと心臓ですらその鼓動を止めている。
あぁでも、ならこれで二度目ということになるな。生前物理的にその鼓動を止められて、今は精神的にその鼓動を射抜かれている。皮肉だな、それをまるで誰かは運命と名付けるのだろうか。
理解が及ばぬまま急所を晒せば、彼はそれを狙い定めたかのように胸倉を引き、あろうことか私の首筋にその牙を立てがぶりと噛み付いた。
夢だというのに嗅覚や味覚ばかりではなく痛覚までも存在しているだなんて。本当、天才技術士の腕は大したものだよ。そんな馬鹿みたいな他所事に思考を委ねながら。
彼の朱槍のような瞳だけがいつまでも熱を帯びたまま焼き付いている。言葉を返す猶予はないまま彼の身体が透き通り消えていく。私自身も同様に浮遊感に身を委ね意識を溶かし出す。
首筋を抑えれば彼の激情がいつまでもそこにあるような気がして、瞳を閉じ口元を緩めた。それもまた私の願望だというのなら、その消えてしまう所有印すら愛しく思えてしまうのだから――
***
「――……、……ん、」
ふわり、意識が浮上する。何度も何度も瞬きを繰り返し、見上げた先が見慣れた天井であることをようやく理解する。人工的な眩さに目を細め思わず顔を両腕で覆った。
見慣れた景色、居慣れた自室、肌触りの良い空間、能力を底上げされ何より魔力の満ちた霊基。あぁ、紛れもないカルデアに召喚され人類最後のマスターに信頼を預けられた最優の私だ。
そこに誇りこそあれ、奢りは決して存在していない。だからここでは素直に息を吐ける。どれだけ現実味に帯びた夢だったとしても、あの場は過ぎ去った冬木でしかなかった。
ここがカルデアである限り私はあの夢を引き摺ることはないのだろう。苦笑を零しながら一日を始めるために立ち上がる。まずはいつものように食堂へ急ぎ朝食の準備をしなければ。それが何より私自身が選んだ道だから。
(さて、今日の朝食のメニューは何にするか……他に誰が来ているかによるが、和食だと更に夢を引き摺らずに済むのだがな……)
そういう事を考えるから幸運Eが作動するのだと思い知っていたはずなのに。決して遅くはない時間に起きた私を出迎えたのは、より早起きをしていた雀の女将だった。
あぁ、彼女に和食で敵うはずがない。ここは大人しく身を引いて今日の私は洋食メニューを任されようか。以前は食堂を担当出来る英霊の数も少なくメニューなど選択肢もなかったのだが。
次第に人材と素材が安定してきた頃に、今日を生き抜く権限を持つマスターが声を上げたのだ。自分自身も食事を楽しみたいし、他の英霊たちにも楽しんでほしいと。
そうして朝昼晩にそれぞれABCのメニューが選べるよう調整されたのだ。和食のAセット、洋食のBセット、そしてシェフの気まぐれCセット。各々担当が決まっているわけではなく、その日替わりというランダムな楽しみもある。
私の今日の担当は洋食のBセットか、さて何を作ろうか。そういつものように自然にエプロンを身に着け、食堂の扉をくぐったその時だった。
「チュチュン! エミヤ、おはようなのでち。誰よりも早起きで偉いのでち。あちきの門下生たちにも見習ってほしいものでちね」
「おはよう、紅女将。誰より早起きな君の方が褒められたものだろうに。まぁ、君の門下生たちについては言葉を噤もう。どこで誰が聞き耳を立てているか分からないからね」
「ふふっ、あちきの前で地獄耳は許せまちぇんね。エミヤは今日は何を作るおつもりでちか?」
「うん? そうだな、君に和食で対抗する気はないから、それこそ一般的な洋食セットを」
「ちょっと待つのだチーフ~~~! 今日の洋食セットはキャットが華麗に頂いたーーー! ワンワンワン!」
「うぐっ、きょ、今日も元気だな、タマモキャット……分かった分かった、やる気に満ちた君に譲るから、頼む背中から降りてくれ早朝からそのテンションはさすがにキツい……」
「何度見てもこっちの玉藻は元気いっぱいでちねぇ。いや野性味溢れているといいまちゅか。でも料理の腕前だけは見事でち。これが現世のギャップというもの、あちきも学びまちた」
「れ、冷静に眺めないでくれ女将……ほら、ほらキャット、新鮮なにんじんをやるから少しテンションを抑えて……」
「さすがなのだチーーーフ! うむっ、うむ、うむ、美味い、チーフのにんじんは本当に特別だワン!」
「ただのにんじんだ、私が栽培したわけでもないのだが……」
「チーフが差し出してくれるニンジンはいつも一番新鮮で美味いのだワン~」
「ふふっ、食材選びから料理は始まるでちゅから、さすがエミヤと言わざるを得ないのでち」
そうして賑やかな朝を迎えている内に他の食堂スタッフが姿を現す。最初にキッチンに姿を現した3人がそれぞれのセットメニューを考える。
後から来た者たちはそのセットを補佐する役回りに収まるというわけだ。誰が決めたルールというわけでもないのだが自然とそうなっていった形に近い。
後から来たブーディカがキャットを抑えるように優秀な補佐へ周り、同じ日本出身の頼光が紅閻魔の元で修行に励んでいる。
女将は彩に満ちた焼き魚定食を、キャットは朝から元気が出るようにとオムライスセットを、さて私は何を作ろうか。補佐には付き合いの長いマルタが収まってくれている。だから悩ましいのはそのメニューただ一つ。
(シェフの気まぐれセット、か……和食でも洋食でもないもの、となると中華か? いや朝から麻婆豆腐は重い……召喚に失敗したマスターのトラウマを思い起こしてしまう可能性もあるからな……インド、カレーもどちらかというと昼か夜だろうし……あぁ、やめろやめろ! 夢の中のメニューを思い出させようとしないでくれ!)
「どうしたの? エミヤ。メニューが思い付かない? 私が変わろうか?」
「……いいや、任された以上責務を放り投げるのは性に合わない。そう、だな……簡易的なものにしてしまえば分かるまい。パンをお願い出来るか? マルタ。私はシチューとポテトサラダ、それに何かデザートでも付けようかと思う」
「オッケ~! 任せといて、ちょっとあっちでタラスクと一緒にパン生地捏ねてくるから!」
「あぁ、うん、あまりタラスクを苛めないでやってくれ……あとでタラスクにも何か差し入れを作ってやるか……」
和食ならきっと無心でおにぎりを握れたし、洋食なら何も考えずパンを焼き上げた。けれど気まぐれメニュー、何を選んでもいいと言われたら。
どうしたって夢の内容が過ぎってしまうに違いないのだ。彼に与えたのはパンと呼ばれるような代物ではなく、もっと簡易的な小麦を焼いたもので。
アイリッシュシチューと呼ばれるような白くはないスープだったけど、今まさしく私はそれをなぞるようにシチューのようなスープを作ろうとしている。
駄目だ、シチューにしてはいけない。せめてクラムチャウダーで誤魔化そう。じゃがいもを作ったサラダも朝食に相応しい何の特別さもないただの付け合わせなのだから。
そうしていくつもの美味しそうな香りがキッチンへ満ち、それが食堂へと流れていく。その香りに誘われるように目を覚ました英霊たちが集い、メニューの出来上がりを今か今かと待ち望みその列を作っている。
(――そうだ、これこそが私の望んだ日常だ……さて、忙しくなる。今日はレイシフトの予定は入っていただろうか。今ばかりは無心に他所事を考えることなく働いていたいものだな)
英霊が増える度に作る量も増えていく。だが食材に困ることはなく、レイシフトに出かけた英霊たちが様々な物資を収集しここへ届けてくれるのだから。
有り難くそれを受け取り糧へと変えていこう。サーヴァントにとって食事は決して必要不可欠ではない。けれどカルデアに於いては半受肉にも近い状態で、電力のみで補う魔力を更に補てん出来る仕組みになっているから。必ず不要というわけでもないのだ。
作り手としても悪くはない現場ではあると思う。だからいつものように配膳を繰り返していく内に、目の前に彼が颯爽と現れていることに気が付かなかった。
「――……、……珍しいな、君が私の列に並ぶなんて」
「あ? たまたまだよ、たまたま……朝からオムライスはちと重い」
「君の胃に重さなど感じる繊細さがあるのかね?」
「るせー! そういうてめぇこそ滅多にやらねぇだろ、シェフの気まぐれメニューだとぉ?」
「ぐぅ、言うな。キャットに根負けしたが故の役割だ。文句があるならキャットに戦いを挑め。きっと君に見合った楽しい勝負が待ち構えているぞ」
「やめろオイ呼ぶな呼ぶな! あーあー分かった分かった、いいから早くてめぇのメニューを食わせやがれ」
「……本当にどうした? 何か悪いものでも拾い食いしたのかね? なら栄養満点の女将の御膳の方が、」
「今日は和食でも洋食でもねぇ気分なんだよ! てめぇの、料理を、寄越せ」
「……、……いや、なら私のメニューもそもそも洋食染みた物でしかないのだが……文句は受け付けんからな」
一瞬呼吸を失うもすぐに意識を戻せたのは、彼がカルデアでしか見られない霊基だったからだ。いつもの艶やかな蒼は変わらないが、その姿は絶対に冬木の街並みに重なるものではない。
それにしても珍しいものだ。彼が朝からこんなにも軽口を向けてくるのは、まぁないわけでもないが頻繁というわけでもない。特に後ろに列が控えているのだから尚更だ。
わけも分からず混乱するが、とにかく私とて彼との空気を早く終わりにしてほしい。急ぎ料理を配膳していけばと彼の顔が見る見る内に歪んでいく。
「……これは?」
「クラムチャウダーだ」
「……こっちは?」
「マルタがタラスクで、いや、タラスクと共に焼き上げたパンだ」
「……こいつは?」
「何の変哲もないポテトサラダだが」
「……こっちのは?」
「ヨーグルトだ。そこにソースを用意したから好きなのをかけ」
「ケルト料理は?」
「はぁ?」
一つまた一つとトレーに乗せる度にその名称を確認させられ、意味の分からないままそれに答えてやる。見れば分かるメニューしかないと思うのだが。
彼の趣向全てを把握しているとは言えないが、何か嫌いな物でもあっただろうか? それならば今からでもメニューを変えること遅くはないというのに。
そういうわけではないと訴えかけるような台詞に今度こそ心よりの疑問符が湧き出た。私にそんな物強請る方が間違っている。出身者でもないしその方面に明るい英霊でもない。インドの英霊と姿見で言われたことはあるが、ケルトの英霊と言われたことは一度もない。
「……顔を洗ってきたらどうだ? ランサー。私の得意料理は和食で、そもそもケルト料理のレシピなど持ち得てはいないぞ」
「いやいやここは普通ケルト料理が出てくる場面じゃねぇの!? そこでこう核心をよぉ」
「すまないランサー。寝惚け眼の貴様に付き合う余裕は多忙な朝食を預かる私にはない。料理を受け取ったなら大人しくそこを立ち去れ」
「あっ!? おい待て、話はまだ終わっちゃいな」
「後が控えていると言っただろう。もうしまいだ。早く食わねば料理が冷めるぞ」
配膳が終わったのならその次と言わんばかりにしっしっと手で追い払う。それこそ残飯を求める駄犬を追い払うかのように。とにかく朝の調理場は戦場に等しいのだ。
まだまだ列は伸びている。この鍋はすぐに尽きてしまうだろうからそろそろ次の鍋の様子を目にしたいし、冷蔵庫に控えておいたポテトサラダを掻き混ぜておきたい。
だから彼にだけ構っていられる余裕は本当に微塵もなかった。私は彼のためだけに存在することを許された関係性などではなく、今はただ調理場を預かる責任重大な立場だ。その立場を捨てられるような性分でもないし、彼と特別懇意な立ち位置ではない。
一体今のは何だったのか。そんなに故郷の料理が食べたかったというのなら、昼か夜に誰かに頼んでみようか。私の作る郷土料理など彼が喜んで口にするはずもないのだから。
どうしていきなりそんなことを口にしたのか深く考えもしないまま、多忙な朝食の波に溺れていった。それを深く考えていたならあんな状態に陥ることもなかっただろうに。
***
すっかり遅くなってしまったと朝食の準備から片付け、昼食の仕込みまで終えてから訪れても言い訳の余地すらないだろうが。
本当は朝一にここを訪れるべきであったのだ。彼女は報告を待っているだろうし、薄れていく記憶を繋ぎ止めておく技術は私には持ち得ない。
それよりまずは彼女に感謝を述べたいと思う。快く請け負った依頼ではなかったが、結果的にとても良い夢が見られたのだから。内容だけは何があっても告げられそうにはなかったけど。
「すまない、遅くなったダヴィンチちゃん」
「ふふっ、そんな急がずとも私は逃げないよ。朝食の準備お疲れ様。きっとそのまま癖で片付けや次の仕込みにと精を出していたんだろう?」
「うっ、見抜かれている……まぁ、私の行動推移など分かりやすいものか」
「それは否定しない。君はいつだって働き者だからね~」
「働き者かは分からんが、暇を持て余せない貧乏性なだけだよ。働いている方がこの身には合っている」
「そんな真面目な君が一体どんな夢を見たのか、心底気になるんだけど?」
「まぁ、有体な感想を言わせてもらうとだな……とてもいい夢見だったよ。溺れるような無様な真似はしないがね。得難い物を見られた気はする」
勧められるまま技術顧問の部屋の空いた席へ腰を掛ける。まるで患者になったかのような面持ちだ。ここは医務室ではないが、私は被験者に違いないのだから。
そこまで長話になるとは思わないが念のため紅茶を用意してきて正解だったようだ。淹れ立てのそれにほっと顔を和ませる彼女を見て確信する。
話を聞きレポートを取る気満々でこちらを見つめられては期待に応えずにはいられない。穏やかな笑みで感謝を述べれば、彼女も安堵するように微笑んで。
「それでそれで? 一体どんな具合だったんだい?」
「ふむ、まずは酷く現実的というか、シミュレーターに似たレベルの再現度ではあったよ。臭いも香りも温度も、あとは味もか……とにかく夢とは思えないほどのリアルさだった。私の記憶の底から再現したのだろうが」
「ふふふ、そうだろう、そうだろう? 私の発明はやっぱり今回も大成功だったというわけだ! それで? 夢の内容を聞くのは野暮ってものかな?」
「あぁ、さすがは天才ダヴィンチちゃんだ。だがもちろん夢の内容は秘密だ、そこはプライバシーを優先させてくれ」
「ふふっ、それはそうだね。まぁ私はエミヤがどんなムフフな夢を見ていてもちっとも可笑しいとは思わないけどねぇ?」
「勘弁してくれ、私を何だと思ってるんだ君は……あぁ、けれど一つだけ」
「うん? なんだい? 不満? それとも改善点?」
「あれは――あまりにも現実的過ぎた。それこそ夢とは思えないくらいにな。中毒性なんてものじゃない。選んだ人間によってはそれこそ目を覚ますことが苦痛となるだろう。だからあれは例え慰めの物だったとしても、世に出すべきではないと私は思うよ。いくら心の強い人間が居たとして、結局は現実に引き戻される苦痛からは逃れられないのだから」
冬木市の街並み、流れていく風、温かな空気、麗らかな日差し。この身に浴びた全てが本物だった。私の記憶の無意識から再現したとは思えぬくらい、それこそシミュレーターよりも近いかもしれない。
夢だと指摘されなければそれこそ現実と信じてしまいそうな程の箱庭。いくら大英雄とはいえ未練のない者などいないだろうし、現実を生きる者ならそれこそ会えなくなってしまった人へ伸ばしたい手があるだろう。
理性を以って立ち向かえる者ばかりとは限らない。溺れてしまう程の夢見心地。例えそれが善意の慰めとして開発した物であっても、夢と知りながら届かぬ者へ手を伸ばすことは、想像以上の深い傷を更に背負ってしまう可能性だってある。
そう助言を呈して空になった小瓶をそこに置いた。ここには多様な魔術師が居る。この空き瓶の残骸を利用して一体どんな不可思議特異点が発生してしまうか分からないのだから。
随分カルデアのトンチキ特異点にも慣れてしまったものだと、そう苦笑して元の持ち主へ戻す。彼女本人に手渡せば悪いようにはならないと信じたいから。
「……はは、全てお見通し、か……そうだね、軽い気持ちで作ったわけではなかったんだが……うん、確かに良き結果だけに転ぶとは限らない。そう考えると危ない物を作ってしまったことになるか……私は君に、余計な真似をしてしまったかな……?」
「いや、被験者に選んでくれたことには素直に礼を述べたい。夢自体は本当に幸福なものに満ち溢れていたから」
「……そうか、それなら良かった……少しは君の気分転換になったかい?」
「あぁ、そうだな……ん? これはその、マスターを思っての実験ではなく……?」
「カルデア発足からずっと働き詰めの君に、何かしてあげられることはないかな? と真剣に悩むマスターちゃんの悩みを解消してあげたかった、というのが本筋かな」
「はっ……、あぁ、なるほど。余計な気を遣わせてしまったのは私の方、というわけか」
「君は何もいらないと絶対に言うだろう? でもね、彼女はそれ以上に敏感だから。君のその上手な隠し事の裏側に、何か思い悩んでいることがあるんじゃないかと勘付いていたようだから」
「……、そうか、見抜かれてしまっていたのか……さすがマスターだな、それにダヴィンチちゃんも。ありがとう、私は大丈夫だから」
夢の中でならどんなことを願ってもいいし、叶えてしまっても迷惑をかけないし文句も言われない。だからその薬は今を必死に生き抜くマスターのために作られたのだと勘違いしていた。
もちろん使用者に相応しいのは事実だっただろうが、本来の目的は私だったなんて。上手く隠し通せているつもりでいて、結局は私の拙い恋心が零れてしまっていたんだろう。
私は自身の抱いたこの恋をどうにかするつもりはない。カルデアでただ一時だけでも、なんて無駄な望みに賭ける博打精神を持ち得てはいないのだ。
だってこの幸運の低さだぞ? どう祈った所でこの願いは叶わない。だから夢の中だけでもあの光景が目に出来て本当に幸せだった。後ろめたさなくそれを彼女に伝えていたその時だ。
「――邪魔するぜ、ダヴィンチちゃん」
会話の途中で扉が開き、聞き慣れてしまった声音に体は硬直して動けなくなる。背後から近付いてくる足音に心拍数は異常な数値を叩き出すけれど。
彼に背を向けていたのだけが幸運だった。隠し切れなかった動揺を目の前の技術顧問だけは目撃してしまったかもしれないが、それを茶化すような真似だけはないと信じたい。
何せよ私の用件は済んだ。彼がここに用があるのなら入れ違いに立ち去るのが自然だろう。そう思い彼と目を合わせぬよう踵を返すもその視線の強さには敵わない。
「こんな所に居やがったのか、弓兵。どおりで姿を見かけなかったはずだぜ」
「君が彼女に用件とはこれまた珍しいな、槍兵。私の用は済んだから邪魔にならないよう立ち去ることとしよう」
「おい待てや、俺はてめぇにも用が」
「生憎私は君などに用はないし、これでも君以上に多忙な身なんだ」
「ハッ、引く手数多自慢ってかぁ? てめぇで勝手に忙しくしてる癖によ」
「否定はしまい、どこかの誰かさんのように暇を持て余すことに慣れている身ではなくてね」
射貫くような強い瞳が一瞬夢の去り際のものに似ていたけれど、そこに確かな敵意があることに安堵すらしてしまう。大丈夫、今彼女に伝えた通り本当にもう大丈夫なんだ。
こんなにも自然に皮肉を零せている。普段通りの私達だ、誰も違和感すら感じることはないのだろう。これでいい、このままでいい。冷戦状態に陥るくらいならこの距離感が好ましいくらいだから。
だから腕を掴まれたくらいじゃもう動揺しない。だというのに彼はその手を離さないまま、私の反応を確認するかのようにそれを私の用件の隣に置いた。
「は――」
「これ、返すぜ。まぁ悪くない経験だったわ」
「そうか、それは何よりだよ。いい夢は見られたかい?」
「どうだろうなぁ……でもま、分かったことがある」
「おや、それは何かな」
「俺は叶えるなら――やっぱ現実でってのが性に合ってるわ。夢の中じゃどうしたって手を伸ばして掴んでやることすら出来やしねぇ」
「――ッ!」
ことり、置かれたのは私が返却したのとまったく同じ小瓶でしかなかった。びくり思わず肩を跳ねさせ目を見開く。どうして彼がそんな物を持っているというのか。
だってそうだ、彼はそんなものくだらないと一蹴するような性格で、夢の中でまで叶えたい願いなど持つような男ではない。
だからその発言は至極当然の物でしかなかった。私が届かない星に手を伸ばし安堵して息を付く横で、颯爽とその伸ばした手で簡単に星を掴んでしまうんだ。
届かぬ夢を抱くこと自体はきっと誰にもあって、例え身近な相手だろうとその願いを嘲笑する権利は持ち合わせていない。夢は等しく尊くあるべきで。
だが彼は見る前に己の力で掴み取ってしまう。だからそれが出来ない自分を、まるで惨めだと嘲笑われているような酷く情けない気持ちに勝手に陥ってしまって。
夢の中でそんな彼と過ごしていたことすら責められているようだ。被害妄想も甚だしく彼の発言こそが真理だというのに。気が付けば掴まれた手を思いっきり跳ね除けてその場を逃げるように後にしていた。
***
「おいコラ待ちやがれアーチャー! んでそんな逃げやがんだ!?」
「人聞きの悪いことを言うなランサー! 私は穀潰しの君と違って忙しいとさっきも言っただろうが! 聞こえていなかったのかその耳は飾りかね!?」
「あーあーよくもまぁそうスラスラと嫌味が出てくるもんだなてめぇはよー!? 皮肉と嫌味の生き字引かぁ!?」
「生き字引などという言葉よく知っていたな! さては貴様キャスターの自身から賢さを伝授してもらったか!?」
「俺の目の前で別側面の俺の話をしてんじゃねーよ! 俺の話をしろ俺の話を!」
「どんな屁理屈だたわけ! 君に構うくらいなら私はカルデア中の大掃除をするぞ! もちろん君の部屋もなぁ!」
「俺の部屋はやめろなんか母親にされるみてぇで居た堪れないわ!」
「だから何故君がそんな状況を知っている!? 現代に被れすぎじゃないのかね!?」
ドタバタドタとカルデアを駆け回っての追いかけっこ。周りの者はいつものことかと気にも留めず、あろうことか応援されたり声援を送られる始末。
可笑しい、どうして、何故こんな状況になっている。速足で聞かぬふり、でも本来の諦めの悪さが影響してかしつこく追い回す脚は踵を返してくれそうにない。
こんな所で戦闘続行を駆使するな、そもそもこちらは戦闘自体を避けようと足掻いているのに。俊敏さで敵うはずはない、だが今ばかりはどうにか見逃してほしい。
いくらこうしていつも通りを演じられているとはいえ心は硝子なのだ。まだもう少しだけあの冬木に浸っていても許されると信じたい。もちろん与えられた仕事は完璧にこなしてみせるから。
だが彼に言葉を投げ付けられると癖でつい煽り返してしまうのだ。無視してしまうのが一番だというのにそれが出来ない。終わることのない追いかけっこは突然の乱入者によってようやく休戦を告げる。
「あ、エミヤー! ってあれ、槍ニキも居る。もしかして私お邪魔だった?」
「そんなことはない! 断じて! こんな駄犬に構っている時間など一秒たりとて私には存在していない! それで、用件は何だろうか?」
「てっめ……! 調子に乗ってふざけたこと言いやがって……!」
「あはは、相変わらず仲良しだね。これこれ、見て見て~! 見つけた時一番にエミヤに見せなきゃって思ったんだ~!」
「やめてくれ仲良しなんて絶対にあり得ない勘違いをするのは」
このカルデアに於いてマスターの存在以上に優先すべきことなどないだろう。それを彼も分かっているからか、マスターの前で私を連行するような真似はしない。
大人しく待てをしている忠犬のようで少しばかり好ましいが、ただそれだけだ。このまま彼女がレイシフトにでも連れて行ってくれたならここから逃げる一番の言い訳になるというのに。
そんな幸運は私の値では作用しない。せいぜいが一瞬こうしてタイムを得られるくらいだろう。だから彼女が満面の笑みでそれを向けてくれた時、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
「これは……一体どこでこれを?」
「ふふーん、さっき新宿特異点で素材集めしてきたんだけどさ、その時にまだ稼働してるコンビニがあってね? そこから貰ってきちゃった」
「盗んできた、の間違いではないのかね? まぁ使える物は貰ってくるに越したことはないが」
「あはは、エミヤオルタと同じこと言ってる!」
「あいつと言ってきたのか? なら安心だろうが……所でこれ、賞味期限などは」
「それもちゃんとエミヤオルタが解析してくれたから何の問題もなし! ふふっ、マスターも悪属性になったものだなって褒められちゃった~」
「褒められているのか? それは」
「エミヤオルタなりの冗談でしょ? ちゃんと分かってるから安心して!」
まずその白いビニール袋からして馴染みがあったのだ。夢の中の私はエコバッグを用いていたけれど、スーパーなどではこちらが用いられていることも多い。
なるほど、コンビニの類であったのなら相応しい代物だ。あの新宿に間違いなく一番慣れているのは黒い私だろうから、レイシフトにミスはなかったと判断する。
あれも一応は近代の英霊であるからこの代物を解析するのも容易かっただろうな。袋の中には色とりどり様々な安いアイスが並んでいる。
「だがこれを何故私に?」
「ほら、エミヤって日本の近代の英霊なんでしょう? 特に馴染みが深いかなーってさ。あれ、嬉しくなかった?」
「英霊とはまた違うのだが、そうだな。私にも馴染み深い物ではある。ありがとう、マスター。溶ける前に冷凍庫へ、いや……イリヤスフィールやその友人たち、式とアサシンのエミヤにも渡してくれ。あとは、」
「エミヤオルタには一番最初に渡したよ! パピコを選んでたから、そのままオルタニキの部屋に行ったんじゃないかな~」
「ふ、なるほど。仲睦まじくて良い限りだ」
1つ100円前後の安くてお手軽なアイスたちだ。雑多に頂いてきたのか味も種類も多種多様。懐かしさを覚えるそれに思わず口元が緩んでしまう。
ここには不可思議な形で現代に生きる疑似サーヴァント達も多くいるから、その者たちにはきっと嬉しい物として目に映ることだろう。
黒い私は味覚があまり機能していないが、それでもあの狂王へと土産に貰ったのか。王に苦言を呈されぬようわざわざ2つセットのそれを選んで。
私達と違い実に仲の良いことだ。羨むつもりも妬むつもりもない。違う形の歪な私といえ、穏やかに在れるのならそれがいいと心から思う。自分がそうはなれそうにないから、尚のこと祈ってしまうのかもしれない。
「ふふっ、そうだね。後で皆にも渡しておくけど、まずはエミヤから! 何にする~? 色々貰ってきたけど、あっ、ピノとかどう? 運が良ければ星形が出るかもよ?」
「止めてくれマスター、私の幸運値の話を持ち出すのは」
「えー? 分からないじゃん。あっ、せっかくなら槍ニキもどう? えーっと、何味がいいかな~」
「ふむ、それなら選択肢は一つだろう。このガリガリ君しかあるまい」
「あははっ、それもそうだね!」
「あ? んでそれ決定なんだよ」
「色といい味といい君に相応しいまさにぴったりの――」
「――へぇ? ソーダ味か、なるほどなぁ?」
外套の色ではなく肌の色で選んだのは、黒い私がそうしたからだろうか。そんな彼女の選択を微笑ましく思い、つい懐かしさに身を委ねてしまった。
故郷の物を持ち出されてしまったのもあるかもしれないが、不意に郷愁が心を包んだ。まるでそれがつい先程まで見ていた夢の延長線上に感じられてしまったから。
偶然見つけてしまったそれを手にしてあどけなく微笑む。あぁ、違う、何を勘違いしているんだ私は。彼とは友人でも何でもなく、ここは決して夢の続きではないというのに。
彼はあの夢の彼ではない。重ねること自体失礼だろうに、彼に似合う空色のアイスを差し出してしまったことが過ち。その一瞬の動揺をしなやかな肉食獣が見逃すはずがない。
「あっ、」
「悪ぃ、マスター。それ冷やしておいてくれや。後でこいつと食べっからよ」
「はぁっ!? なんで私が貴様とッ」
「分かった、名前書いておくね。えーっと?」
「ちょっとこいつ借りるわ。暫くレイシフトの予定はないだろ? 調理場のヤツらには後で上手く言っておいてくれ、詫びに獲物仕留めて差し入れてあっからよ」
「待て待て貴様何勝手に私の予定を」
「うーん、それは別に構わないんだけど。喧嘩じゃない? エミヤ虐めたら私許さないけど」
「あー、それはない、断じて喧嘩じゃねぇ。ま、一世一代の大勝負ではあるかな」
「うわ、槍ニキ本気の目だ! 分かったよ、絶対にエミヤ泣かせちゃ駄目だからね? ごゆっくり~エミヤも逃げちゃ駄目だからね~」
「な、な、な、なんでさーっ!?」
手にしたアイスをぽいっと袋に戻され、空いた手がそのまま彼に繋がれる。ぎょっと目を見開くも油断していた私が悪い。筋力で彼に抵抗出来るわけもなく。
ぐいぐい引っ張られるまま彼に連行されていく。情けなくマスターに助けを求める間もなく、逃げ道はないとその背が放つ覇気が伝えてくるから。
何が彼の琴線に触れてしまったのか分からないまま、掴まれた腕が熱いくらいに痛い。何故私は彼の獲物になってしまったのだろう。そんなこと望む真似すらおこがましいというのに。
マスターは何故か声援を向けながら手を振って見送ってしまうし、どうしてこんな形で幸運の低さを発揮してしまうのか。泣きたくなる気持ちでただ虚しく彼に引き摺られていった。
***
「おいっ、止まれ、ちょっと、」
「……」
「ランサー! どこへ、行くんだ、待て、待ちたまえッ」
強い力で握りしめられては逃げることすら出来ず、速足で彼の後を着いていくだけ。無理やりに投影でもして戦闘に持ち込むことは出来ただろうが。
どうにもそんな空気ではなかったから。背中から発せられる拒絶にも似た緊張感は、ぴりぴりと私の肌を焼きまるで存在自体を無視されているような錯覚に陥る。
好かれたいとは思わない、せめて嫌われていなければ、ただそれだけで。そう諦めた心がしくしくと沈んでいく。それすら叶わないのが私らしかったが。
連れて来られたのは彼に宛がわれた私室だった。私がそこに入ることなど一度もないと思い込んでいたのに。相変わらず無言の彼はそのまま扉を開ける。
「ん、ここなら逃げられねぇだろ」
「わ、私は別に逃げるつもりなど、」
「逃げてただろうが……俺から逃げんな、頼むから」
「っ、わか、分かった! 逃げないから、ちょっと退け、なんなんだこの距離感は、近過ぎるっ」
「てめぇは口が回るからな。だから顔に聞くことにした。こっちは嘘吐けねぇだろ」
「はぁ? い、意味が分から、ぅ」
「いいから俺を見てろ。んで俺の質問に答えやがれ」
部屋に連れられた途端、壁にその身を押し付けられ彼の両腕によって作られた檻の中へ閉じ込められる。何て拷問だ、そして反則が過ぎる、なんなんだこの距離感は。
今時壁ドンなど流行にすらならないだろうに。だが真っ直ぐ鋭利な視線が私を縫い付けていては、悔し気に顏を顰めることしか出来そうにないのだ。
あぁ、貴様に懸想を抱いている私にとってなんておあつらえ向きな檻だろうよ。これほど強固な監獄もあるまい。どんな強力な手枷よりも手強い拘束なのだから。
顔に熱が籠ってしまわぬよう、みっともない表情になってしまわぬよう、奥歯をぎゅっと噛み締め拳を握る。これが拷問なら一刻も早く終わってほしいと願うばかり。
「質問……? 一体何の、」
「てめぇはここで会ってからも、態度が一貫して変わらなかった。だから俺はあの日のまま、別に変化なんざねぇんだろうともどかしい気持ちで居たんだが、」
「……? 何のことだ。私の態度に、何か過ちがあったとでも……?」
「いいや、違ぇ。俺が知らなかっただけ、いや見て見ぬふりをしてたんだ。皮肉と煽りの卑怯者ってな」
「っ、いや、その通りだろう……それに変化など、」
「あぁ、それも違っちゃいねぇ。だがてめぇにも素の顔があった。当たり前だったのにな……あの時、冬木の時だって、そうやっててめぇはその他大勢の面倒を見てやがった」
「は、ぁ? いや、私とて常に戦士というわけでは……あぁ、腑抜けるな、とかそういう説教じみた話か?」
「違う違う。俺はそれが――他のヤツらに向けられるのが気に食わなかったんだよ、ずっとずっとな。だがそんな自分のみっともなさを棚上げして、てめぇのその囲いン中に入れねぇ苛立ちをちょっかい出すことで発散してきた。ハッ、今時ガキだってんな真似しねぇだろ」
「何、何を言って……ッ、すまない、本当に君の言っている意味が、分かりそうにない、のだが……?」
首裏に回された指がさりさりと項をなぞる。急所を抑えられている恐怖心よりも先に、得も知れぬ悪寒がぞぞぞと走る。ちり、と首筋が時折妙に痛み熱を覚えるのは何故なのか。
あぁ、確かに彼と向かい合う時は平穏な日常より、英霊として刃を交わすことの方が多かった。当たり前だ、だって私達は懇意な友人というわけでも気の合う仲間というわけでもない。
ただ偶然、同じ主の元に呼ばれてしまっただけなのだ。私はそれで充分過ぎる幸運だったというのに、彼はそれ自体が既に不運でしかなかったという話なんだろうか。
戦士として相対してきた相手の腑抜けた顔を見たくはなかったという話か? それは無理な話だ。だって私はマスターの生活を補うために働く自分を良しとした。今更それを変えられないし、そもそもマスターが許すはずがない。
だからそんな私が嫌だというのなら、目も合わせず姿も見せず、こんな風に話しかけられなければいいだけだろうに。どうして彼はそんな悔やむような苦々しい表情を向けているのだろうか。見たことのない表情にどうにも胸が締め付けられてしまう。
「てめぇの中に、俺の居場所はねぇんだなって。そう思ったら居ても立ってもいられなくなってよ。でもどう行動すべきなのか、情けねぇことにずっと躊躇ってた。顔を合わせればどうしたっててめぇとは諍いに繋がっちまうからな。まぁそれはそれで楽しかったんだけどよ」
「居、場所……いや、そんなもの、作った所で、君の迷惑になる、だけで、」
「俺の中にはてめぇが居座ってるくせに? それはちっとばかし不公平だ。まぁそんなこんなで燻ってる内に、またてめぇが雑務を頼まれようとしてる現場を偶然目撃しちまった」
「雑務……?」
「あぁ、さっきの、ダヴィンチちゃんの薬だよ――夢の中で夢が叶えられる薬。なんとも便利な話だよなぁ?」
「ッ! それ、それに一体、君がどう関係をして、」
なんだか物凄いことを言われているような気もするがこんな状況で頭が回るはずもない。先程からずっと自分の心臓が煩くて仕方ないし冷や汗が止まる様子もなくて。
直感が早く逃げろと警鐘を鳴らすのに、貫く視線が魔眼のように感じられて身動きが取れない。しかも何かを確認するかのように首筋をさりさりと指先でなぞられている。
いつもは紅い槍を握っている指先が私に触れているなど、あり得ていいことじゃない。せめて少し距離を保ってくれないか、君が話す度に漏れる吐息で焼かれてしまいそうなんだ。
守護者として腑抜けただけではなく、夢を見ることすら許されないと一蹴されたなら。あぁ、確かにその通りだと自嘲を持って返せるのに。
「俺はな、アーチャー。ダヴィンチちゃんからてめぇがあの薬を貰ったって聞いてよ、てめぇにも叶えたい夢があんのかって。無性に気になって堪らなくなっちまった。それを俺が、なんて自惚れた真似は出来ねぇだろうが。それでもてめぇがどんな夢を抱くのか、気になって仕方なかった」
「きっ、気にしなくて結構だ。なんだ、私には夢を抱く権利すら、ない、とでも……?」
「いいや? そう思い込んでんのはてめぇ自身だろ。てめぇの抱く夢が一体どんな類の物なのか、知りたい、見てみたいって純粋に思っちまったんだよなぁ……そこから何か、とっかかりになりゃ、なんて殊勝なことを考えていたんだぜ? 本当に素直によ」
「と、とっかかり……? 何の……あぁ、私に喧嘩を売るための、か……?」
「ふはっ! どんな自虐っぷりだよ、違ぇ違ぇ。お前がどんな夢を見るのか、俺はそれを見てみたいって願ったんだよ。何の裏もなくな」
「……私の夢など、君にとっては酷く退屈で、何も特別なものでは、」
「それでもいい。どんな夢だって良かったんだ。てめぇの誰も知らない内側を知れるならな、アーチャー。だから俺は、そうあの薬に願ったんだよ」
首を抑える手は絶対に逃がさないという強い意志を感じて、殺気すら読み取れてしまうくらいなのに。何故かなぞる指先は恐ろしいほどに優しかった。
彼が私に優しく触れるなどあり得ないというのに。肩を組むような同志でも、拳を合わせるような仲間でも、ましてや指先を重ねるような恋人でもない。
だからその全てが錯覚だ。未だあの夢を引き摺って重ねているというのなら、なんて愚かな。だってそうでもないと現状に説明が付きそうにない。
まるで愛しいものを見つめる眼差し、甘く囁く声音。それらが意味する事実を認めたくないし知りたくはない。何度も何度も彼が指先でなぞる先に、どんな傷痕が残されていたかなんて。
理解したくなかった、気付きたくなかった。もしかしてと暴いてしまった真実にひゅっと呼吸を止めれば、彼はどこか罰の悪そうな優しい笑みを浮かべて。その表情が嘘ではないのだと決定付けてしまったから。
「――まさか、ランサー、君は、あの……」
「なぁ、アーチャー。あれはてめぇにとって、一体どんな意味を持つ夢だったんだ……?」
あの夢の中に現れた彼が私の想像以上に現実味を帯びて存在していたのは、私が描いた浅ましい幻想などではなく――紛れもない本物の彼自身だったとしたら……?
「――……、…………」
「なぁ、あれが本当に? てめぇの願った夢だったってのか? アーチャー」
「……ッ、」
「あんな、なんでもねぇ、それこそ今からだって叶えられそうな? 目の前に転がっていそうな、何でもない俺との日常を。ただ一度きり、叶わぬ奇跡に願ったっていうのか……なぁ、何とか言ってくれよ、アーチャー。でねぇと俺はこのまま――てめぇに手を出しちまいそうになるが?」
「うっ!」
首筋をなぞる手が離れて頬に触れる。でもそこに先程までの熱はなく、急速に冷えて凍り付く私の青褪めた顔があるだけだ。だってそうだろう。
あれが夢だからとそう信じて向けた彼への情欲を、本人が受け止めていたと知った時、一体どんな顔を向けるのが正解なんだ? しかもその当の本人に。
拘束の解かれた今ならきっと逃げ出せただろう。でもそんな考えが及ばないほどに動揺していた。頭が真っ白になって絶句し硬直して回復出来そうにない。
片手で顔を覆い俯いて、自分は何てことをしてしまったんだろうと呻くばかり。後悔してもしきれない。彼が手を出したくなるのも当然だ。そのまま頬を殴られようものなら私は防ぐことなく彼の怒りを受け止めてみせただろう。
「――っ、すま、なか、った……本当、何でもない、んだ……出来れば、忘れてもらえない、だろうか……」
「いやあんなん無理だろ普通に」
「ッ、頼む。私が、私が愚かだった……もう二度と、あんなくだらない夢は見ないと、誓うから、」
「誓ってほしいわけでも、謝罪してほしいわけでもねぇんだよなぁ……最初に言ったろ? ただ質問に答えてほしいだけだって……なぁ、本当に? あれが俺の見せた幻覚なんかじゃなくて、本当にてめぇの願った夢だって言うのか? アーチャー」
「それ、は……、……あぁ、そうだ。あれが私の……叶わぬと信じて、夢の中だけでいいからと、願った夢なんだ……」
今更どう言い訳しても通用するはずがない。彼はあの場で確かに、私の愚かな幻想の一部始終を身を以って味わってしまったのだ。覗き見るなんて生易しい行為ではない。当事者として浴びせられたのだ、その屈辱は一体どれほどのものだっただろう。
終わった、一生秘めるべき情をこんな惨めな形で明るみにされた。その後の展開なんてあまりに分かりやすい。嫌悪され疎まれて距離を取られ、もう二度と顔すら合わせられないのだろう。
多くを望んだつもりはなかった。ただ同じ陣営に存在して、出来れば肩を並べて戦って、時折その姿を視界の端にでも映せたなら。それだけで本当に良かったのに。
いくら夢の中とはいえ彼の尊厳を穢してしまった。それこそが私の罰。もうこれ以上曝け出す罪などないと訴えるのに、存外優しい腕が私の顔を覆う手を外してしまうから。
なんでそんなにも手付きが優しいんだ、おかげで抵抗出来なくなってしまう。なんてくだらない責任転嫁をしつつ、今きっととてつもなくみっともない顔をしているんだろうな。そう見上げた先にまさか己以上に顏を赤くした彼が居ただなんて、どうして想像出来ただろう。
「え――」
「あー、あー……本当に? んな俺にとって都合のいいことが、あっていいのかよ……あーっ、クソ!」
「……な、なぜ、君が、そんな顔、を」
「みっともねぇ、ったらありゃしねぇのな……いやこんな顔にもなっちまうだろ……なぁ、アーチャー、俺は自惚れてもいいんだよな?」
「な、何を、というより、な、何して、はなっ」
「離さねぇ。てめぇが嫌がらねぇってんなら、この手は離せねぇんだよ……なぁ、本当に? 俺の独りよがりじゃねぇんだな?」
「だ、から何の、ッ、ち、近い! さっきより近くなっているじゃないか、このっ」
「ははっ! そんな弱っちぃ抵抗じゃ相手を煽るだけだぜ? 近くもなるだろ、てめぇ全然嫌がってねぇし。本当に嫌なら振り払ってみろや」
「うっ、ぐ……! ほ、本当に、君は何をしたいんだ……っ痛!?」
真っ赤に染まり熱の籠った顔がどんどん近付いてくる。なんでこんな、それも当然だ、物理的な距離が近付いているのだ。いつの間にか彼の両腕は私の腰辺りに回され、あろうことかぎゅっと抱き寄せられている。
何故、どうして、いきなりこんな、何があった!? 脳内は酷いパニック状態。だが触れた箇所からじわり熱が移ったかのように私の顔も茹ってしまう。
吐息ばかりではなく互いの鼓動すら伝わってしまいそうだ。馬鹿みたいに顏も身体も熱くて、心臓は壊れてしまったかのように煩い。
けれどきっと彼も同じ状況だったんだろう。隙だらけの私をその捕食者が見逃すはずもなく、がぶりとまた首筋に噛み付かれた。あぁ、そこにあった噛み跡は、夢の中と寸分変わらぬ意味合いだっただろう。
「運命だなんだと馬鹿みたいに茶化しちゃいたが、もう馬鹿には出来ねぇなぁ……なぁ、アーチャー。ここまでお膳立てしてやったんだ、もういいだろ」
「な、なにが、だ、」
「俺はもう自惚れることにする、もう臆病風に吹かれて二の足を踏んだりはしねぇ。だからてめぇもさっさとその心を俺に明け渡しやがれ」
「だ、だから、何――」
「俺は――お前が好きだ、エミヤ。らしくなく臆病になって、てめぇの笑顔が向けられる他に嫉妬して、ガキみてぇに気を引くための喧嘩しか吹っ掛けられなくて、決定打を与える行動が出来なくなっちまうくらいには」
「――……、……は、」
「そんで、お前も俺と同じ気持ちだと俺は確信するぜ。なんたって夢の中でまで会いたいを体現されちまったんだからなぁ?」
「――な、」
「っ、ぷはっ! んだその顔……あー、すげぇ美味そう、堪らねぇな……そういう顔をこれからももっと俺だけに見せてくれや」
「なななななっ、は、はぁっ!?」
運命ならばいいと、確かにそう願ったのは私の方であったはずなのに。まさかその相手までもが同じことを願っていたと、どうしてそんな都合のいい夢を見ることが出来ただろうか。
今まで見たことのない表情がまさか愛しい者へ向けるものだなんて、決して知るはずのない特別だったのに。贈られた言葉の意味を理解する時間は永遠のように感じられた。
信じられない、信じられるはずがない。私の想いはただみっともなく惨めで愚かな不相応な夢として、破られるばかりだったというのに。
だから私は混乱に染まった頭を精一杯回して、震えるその手をそっと伸ばした。そうして思いっきり、自分の頬を全力で引っ叩く。
「はぁっ!? おいてめぇ何して……!」
「――夢だ、これは夢……そうか、まだ薬が効いているな? ははは、そうでなければこの状況に説明が付かない……えぇい、さっさと目覚めろ私! こんな自分に都合の良いどころか絶対にあり得てはならない幻覚を抱くな!」
「馬鹿止めろって! ちゃんと痛覚あるだろ? 夢じゃねぇし、つーか逃げようとしたって無駄だし、薬の副作用だなんて言い訳は通用しねぇ」
「退路を全て塞ぐのやめてくれないかっ!?」
「だってよぉ、あーんな愛しそうな者を見つめる眼差しで? 一緒に過ごしたじゃねぇか。俺と二人っきり、何に邪魔されるでもなくただ俺をもてなし施しやがって……それがてめぇの何よりの答えなんじゃねぇか」
「あああ改めて夢の内容を突き付けるのもやめてくれないかっ!? 言っておくが心は硝子だぞ! もういっぱいいっぱいで粉々のぐちゃぐちゃだ! えぇいっ、私は戻る! そしてダヴィンチちゃんに記憶を抹消する薬でも作ってもらって」
「おいふざけんな! んな真似しても俺の決意が変わるわけはねぇからな? 言っておくが一度決めたら俺はかーなりしぶといぜ? 嫌でもそれはてめぇ自身が思い知ってるはずだと思うが?」
「ぐっ! う、うっ、うぅ~~~! な、何故っ、どうして、こんな夢以上の展開に陥ってしまっているんだ、意味が分からない……」
「ははっ、まぁちっとくらいは猶予くれてやるよ。だが逃がすつもりだけはねぇから覚悟しろ。てめぇが惚れた男はそういう男だって、分かってて惚れたんだろ? アーチャー」
何かが吹っ切れてしまったとでもいうのだろうか。彼はそう満面の笑みで笑う。あの決して私にだけは向けられることのないと思い込んでいた眩い笑みが、今私にだけ注がれている。
もうそれだけでいっぱいいっぱい。完敗だ、最初から完全敗北を認めていたも同然だったけれど。絶賛混乱中、退路は全て塞がれどうしていいのか分からないまま。
持久戦を覚悟する私と何としてでも短期決戦へ持ち込ませる気満々な彼が、ただそこに居るばかりなのだ。あぁ、そんなの、私が彼に敵う所など何一つないと分かっていたというのに。
きっと私が彼に両手を上げ降参を訴える日もそう遠くはないのだろう。自分の千里眼にも似た目の良さが嫌になる。そんな未来決して見通したくはなかった。
馬鹿な夢を抱くものではないなと今更ながら遅過ぎる教訓を胸に刻むしかない。あぁ、本当、全く退屈しない日々だよ。夢の中で手を伸ばした叶わぬ日常に指先が届いてしまうのも、そう遅くはない明日なんだろうな。