すとらいぷ・らぶ
数日前、私の住むアパートの近くで大きな事故があった。
ニュースによれば、その時現場にいただろう人物の中で一人だけ生死不明の男がいるらしい。遺体が見つからないということはその事故における唯一人の生き残りの可能性もある筈だが、行方が一向に知れないという。生きているのか死んでいるのか。証言者も無く事故当時の正確な状況が判明しないまま、警察は行方不明の男性を探し続けている。私のアパートにも聞き込みに来た。だが私に答えられる事は少ない。警察も私の事情に納得して去って行った。何か困った事があれば連絡をと言ってくれたが、私はこのアパートから殆ど出ない。何もしなければ困った事も起こらない。
筈だった。
警察には何も話さなかったが、何も感じていない訳ではなかった。
あの事故の日。現場の騒ぎはこの部屋まで届いていたので、何事かあったのだなと私もその時に察していた。それから僅かな時間の後だ。その“気配”がこの部屋の中に現れたのは。その気配だけの“何者か”は、現れた時から何も言わずじっと動かず、畳の敷かれた部屋の隅から私を見ている。気配だけと言っても、その何者かが目に見えない存在という訳ではないだろう。見えないのは私の方だ。私の目が、何も映さないのだ。
生後暫くは私も多くの人と変わらない目を持っていた。私の変わったところと言えば、日本人らしくない日に焼けたような肌と白い髪、灰色の瞳だ。それ以外は本当に平凡な、何の取り柄も無い普通の子供。変化が訪れたのは小学校の高学年になった頃。世を知らぬ私には正に天変地異。間も無くこの目が役目を放棄すると言う。私自身には何の落ち度も無く、突然の、世界が一変するそれはもはや大災害である。この時の私がまず恐れたのは、“出来損ない”となることで自分は愛する養父から捨てられるのでは、という事だった。
私の怯えを、間も無く訪れる暗闇の世界に対するものと取ったのだろう。優しい養父、私の憧れの切嗣は私の目を正面から見て微笑んだ。
『士郎。僕が君の目になるよ。綺麗な景色も面白い動物も、僕が君の心に届ける。君が見る筈だった光景は、僕がずっと傍にいて話して聞かせてあげるよ』
その笑顔を、私は生涯忘れない。この目が何も見えなくなっても、ずっと。
こうして、やがて訪れる暗闇の世界は、私に一生の家族を約束してくれた。
世界は切嗣が教えてくれる。世の中で何が起こって、それの何が問題で、正解は何なのか。私の正義は切嗣だから、私は見えなくても大丈夫。全ての視界を放棄して、切嗣のくれる正義を信じよう。切嗣の正義が私の正義だ。切嗣が手を引いてくれるから、真っ暗闇でも歩き続けられる。
そう思っていたのに、私の伸ばす手は空を切る。
切嗣の葬儀の一切は藤村の爺さんが取り仕切ってくれた。藤ねえはあちこち駆け回りながらも私を気に掛け、明るく話をしたり、弔問に訪れる顔ぶれを説明したり、只黙って傍にいたりしてくれた。
この頃にはとっくに視力を失い、転びにくい歩き方は覚えても切嗣がいなければ外に出ない私になっていた。だというのに、この時も私は先の生活に対する不安は感じていなかった。そんな事はどうでも良かったのだ。
一番辛かったのは、切嗣の死に顔を見られないことだった。
あらゆる意味で、私の世界は真っ暗になった。
暗闇に生きる私は、視力以外の精一杯で情報を得る。見える人間には思いもよらないだろう事が情報になる。
徐に和室から台所へ歩いてみる。
(あ……棚の前の床、少し温かい)
板張りの奇妙な温もりを、足の指が踏んだ。
(ここにいたのか)
自分が突然来たので、慌てて退いたのだろう。だが体だけ動いても、見えない痕跡は残っている。
あの事故以来、私の部屋に居座る気配。警察が聞き込みに来た時は、押入れの戸が開く音がした。幸い、警察は玄関より中へは入らなかった。警察が帰ると、押入れは再び開いた。隠れるということは、私以外の人からはちゃんと見えるのだろう。幽霊とかではないようだ。
メディアでは事故と説明しているが、その実警察は何者かが作為的に人々の命を奪ったのだと考えているらしい。下手人不明の事件の重要参考人として警察が行方を追う男は、身元は特定され、事故以来自宅には帰っていないと調べがついている。名前はクー・フーリン。綺麗な青い髪の男……と聞いても私には見えないのだが。
(“気配”の人は、私の目が見えない事を利用して、この部屋に居続けている。部屋に誰かがいることに、私が気付いていないと思っている)
気付いている事に気付かれたら、どうなるのだろう。警察が追うのは、複数の人の命を奪った殺人犯だ。
強張りそうな顔を必死で平静に保つ。この瞬間も、“気配”の人は部屋のどこかから私の様子を見ているかもしれないのだ。悟られてはいけない。バレていると、バレてはいけない。
苦しい。恐ろしい。本当は二人いる、孤立無援の部屋から逃げ出したい。それでも切嗣を失った今、自分には外を歩く勇気など無い。一人を装う二人暮しを、いつまで無事に過ごせるのか。この先は私の視界と同じ。真っ暗闇で何も見えない。
キャプションとはパロを置く場所! そうですね?
乙一さんの『暗いところで待ち合わせ』パロの冒頭でした。カズエは藤ねえですね。藤ねえを泣かせておいてエミヤシロウが引きこもっていられる筈は無い。外に出ろ!ファイトだ! 外に出るのも怖いのですが、他人に迷惑を掛ける不安が外に出たいという欲求を遥かに上回ってしまうんですね。人に迷惑を掛けるくらいなら閉じ籠って何も望まず、死んだように生きていくことを選ぶアーチャーです。でも藤ねえはそんなふうに生きて欲しいんじゃないんだよ。
この二人の初会話は、一緒に夕飯を食べた時でしょうね。シロウお手製のシチューを食べて兄貴が思わず「うめえ!」とか言っちゃって、しまった声出しちまった!と焦ったところへ、シロウは平然と「それは良かった」なんて言って嬉しそうに笑い、兄貴は胃袋とハートを同時に掴まれる、と。二人分の夕食を用意して、向かいの席に座ってくれるのを黙ってじっと待つシーン大好きです。座ってくれるかな、食べてくれないかな……駄目かな……(ショボーン)、と不安にそわそわしながら耳を澄ませて待つアーチャー可愛すぎます。ほどこす側なのに子犬なの?
普通の槍弓ですと人目のある所での接触はアーチャーが嫌がりそうなのですが、このパロだとアーチャーのパーソナルスペースがぐっと縮まりますね。外出中はずっとランサーの腕に掴まってるアーチャー、実に子犬ですね! 人目はすごく気にするのに、『安心感』を強く求める気持ちがそうさせるのです。反面、自分の服装等には無頓着なので、切嗣の形見の時代遅れなコートとか着ちゃう。兄貴に服を選んでもらおうぜ。鏡を見ないアーチャーは表情が素直に出るので、「似合ってる」とか「俺好み」とか兄貴に言われたら嬉しそうに笑ってくれることでしょう。
このキャプションを読むことで、投稿作を読むのにどう影響してくるかというと……欠片も影響無いでしょうね!
まだ書けるようなので投稿作の説明。現パロです。会社勤めする槍と店を経営する弓。スーツ着た槍が見たくて書きました。以上です。スーツ萌え。
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~とある会社員の証言~
『ランサーさんっていつもキマってますよね。服がなんか、流行とかじゃないんすけど、めっちゃセンス良いし、採寸っつーんすか? 体に完璧にピッタリ合ってると、服ってあそこまで見栄えが違うんだな、っていうか。いや、あの人のスタイルがすげえ良いのもあるんでしょうけど、こう、ランサーさんの為の服! って感じがいつもするんすよ。オーダーメイドなのかな。元からイケメンなのに更に格好良くってスゲエ。社内の女の子からの人気独り占めで……総務に気になる子いる俺としてはもうちょっと抑え目にして欲しいくらいだったり……。でも誰にも興味無さそうなんすよね、ランサーさん。ウチの会社、結構カワイイ子多いのに。恋人がいるとかって話は聞いたコトないんだけどなー』
以前は定時など気にしていなかった。仕事は面白いし、遅くなったらなったで誰か誘って飲みに行くだけだ。一人酒も良い。自分は酒量が多いので、時間はむしろ遅めの方が少ない酒で済む。
だが最近は、定時を多少意識するようになった。毎日である必要は無いが、夕方と呼べるうちに仕事に片が付いたらさっさと退社する。オフィスの仲間と喋ったり、他部署に顔を出したりもあまりしない。顔なら充分社内で知ってもらった、というのも理由だが、家路を急ぐのはまた別の理由から。
(おっし。今日は間に合うな)
腕時計と壁時計とPCの時計。癖で3つともを確認し、帰り支度を始める。
「ランサーさん、上がりっすかー?」
「おう」
後輩から声を掛けられる。企画書に梃子摺っているらしいが、助けてやるほどのものではないだろう。小さな企画でも間に合ううちは丁寧に悩むのがこの後輩の長所だ。色々なものから人の気持ちをよく汲み取ろうとする。時に短所でもあるが。
鞄の手を掴んだところで、今度は女子社員に声を掛けられた。
「あ、あのっ。今から何人かで飲みに行くんですけど、ランサーさんも、良かったら……」
少し緊張しているらしい。普段はハキハキと喋る子なのだが、語尾が消えかけている。
「あー、悪いな。今日はちょっとやめとくわ。また誘ってくれ」
冷たくならないように笑顔を見せつつ、片手を拝むように立てる。『ゴメン』と『また誘って』だ。
「あ、はい……じゃあ、また……」
一応微笑んでくれた女の子に「またなー」と手を振ってオフィスを出る。後ろからその女子と後輩の会話が聞こえてきた。
「ふう。ランサーさん、最近飲みに誘ってくれないなあ」
「だから自分から行ったんすか。頑張りましたね」
「振られちゃったけどねー。残念。アタシはいいんだけど、別の子がちょっと、ね」
「あー……」
悪いなと思う。今でも必ず断る訳ではないが、メンバーに『そういう子』が含まれていそうな場合は避け気味になった。以前はそうして接してこられても可愛いなと思う程度で気にならなかったのだが、近頃は自分に好意を抱いてくれている相手と話していると、別の奴に会いたくなってしまうのだ。そんなのは相手の女の子に悪いし、何より自分が辛抱堪らなくなって困る。想われる事に応えるよりも、その惹かれる気持ちに共感してしまって。
擦れ違う社員と笑顔で挨拶を交わしながら退出し、電車に揺られる。正確には家路ではなく、自宅の最寄り駅の一駅前で降りた。住宅街と繁華街の中間辺りに、自分が足繁く通う店はある。
店構えを見る度に案外少女趣味なのだろうかと首を傾げてしまう、レンガ調の壁に瀟洒な窓。シックな赤いオーニングに、品良く植えられた花々。黒板に書かれた料金案内もよく見ないうちは、カフェかレストランだと思っていた。
営業時間内に来られた事に安堵しながらドアを開けばカランとベルが鳴る。外観に合わせた店内のインテリアは、シックに纏めつつ明るさも保っていて実に洗練されている。
「君か。ちょっと待て」
すぐに奥から顔を出したのは、色黒の肌に白い髪、鍛えられた長身をどことなく上品なシャツとスラックスに包んだ男だ。彼はランサーを認めるとまた奥に引っ込んだ。作業中だったのだろう。こんなふうに他の客よりラフな対応や敬語を外した会話をしてもらうまでに、自分は随分ここに通った。
「待たせたな。今日は何だ?」
「ちょっと涼しくなってきたからな。フランネルのスーツとか、着てみようと思うんだけど」
「ほう?」
この店の主、アーチャーの目がキラリと光った。
「君がかね」
「……なんだよ」
ごくりと喉を鳴らして尋ねれば、アーチャーは白々しくのたまった。
「何と言おうか、君の様な、あー、若々しい男性は、シャープで軽やかなイメージを求めると思っていたというか、君自身今までそういった傾向のスーツ選びをしていたから意外というか。溌剌とした男性はフランネルを野暮だとか歳相応でないとか、垢抜けていないものだと捉えていることが多いとか」
アーチャーはひょいと肩を竦めて続けた。
「まあつまり、君の様に軽薄な男が着たがるとは思っていなかった」
「結局軽薄って言ってんじゃねーか!」
濁すならやりきれよ! 散々言葉を選んでおいて、最後に落としやがった。
「いや失敬」
クックッと笑う様子を見るに、絶対わざとだ。
だがアーチャーの言った事は図星だった。自分の好みはスマートにビシッとキメたスタイルだったし、背広に柔らかいイメージが出るなんてオッサンくせえと思っていた。なのにこんな事を言い出したのは、この店に通ううちに好みが少し変わってきたのと、そういう注文をすればアーチャーが喜ぶんじゃないかと考えたから。らしくない事を言った居心地の悪さに内心呻いていると、アーチャーは生地見本を取り出しながら小さく微笑んだ。
「まあ実際、君は誠実な男だろうさ」
「……っ」
でも軽薄ってのも本心なんだろ、と憎まれ口を叩きそうになるのを抑える。誠実と評してくれたのも本心なんだろうと分かるから、つい嬉しくて、茶化したくなくて。
「こんなところか。ほら」
小さく切られた生地の束がカウンターに置かれる。他の客には丸い天板に三つ足のアンティークテーブルを勧めるアーチャーだが、いつの頃からかカウンター前の背の高いスツールがランサーの定位置になった。
客が生地見本を見る間にアーチャーは紅茶を淹れる。オーダースーツを作るこのテーラーが実はどこより美味い紅茶の飲める店だと知るのはここに来た事がある者だけだ。何を言っているのかと思われるだろうが、事実なのだからしょうがない。
きっちりとオールバックに撫で付けた髪と畏まった服。紅茶を手慣れた様子で淹れる彼はまるでどこかの屋敷の執事だ。休日も前髪は上げているが、仕事中の様に撫で付けず適当に立てている。なんて事を自分が知っているのは、以前スーツに合う靴を探すから付き合ってくれと頼み込んで休日の彼を引っ張り出したから。渋々付いてきたアーチャーだったが、いざ自分が作ったスーツに似合う物を選び始めるととても楽しそうにしていたので、ランサーとしては笑顔が沢山見られてなかなかの収穫になった。しかしあくまで買い物に付き添っただけと思っているアーチャーに、こちらのアピールは伝わっていない。肌触りの良いサンプル生地を玩びながら、ランサーはこっそり溜息を吐いた。
アーチャーがランサーの前に音を立てずティーカップを置く。他の客に応対する時はジレも身に着けているので更に執事感が増すが、今はランサーだけなので作業中のままの格好だ。そしてやはり砕けた態度で、カウンターに半身で腕捲りした肘を着いた。
「色は決まっているのか? 君はブルーやグレーを好むようだが、秋冬物を意識するならいつもと違う色にしてみるかね?」
「今まで季節ものは着たことねえから、まずは無難な色にしようかとも思ってんだけど……」
「茶系やベージュは好きじゃないか。グレーもスタンダードだと思うが?」
「うーん……」
ちょっと好みが変わったと言っても、ふわりとした生地にはやはりもっさり感を受けてしまい悩む。ふむと思案したアーチャーは、別の生地見本を取り出した。
「少し値が上がるが、こっちのストライプはどうだ? 無地とは値段に差があるものしか用意してなくてすまないのだが」
柄は他にもあるがシャープな印象になるのはこの辺だろう、とアーチャーが見せる生地のうちの一枚に目を引かれた。
「お、これ」
指差したのはチョコレートブラウンに糸の様に細いベージュストライプの生地。
アーチャーが意外そうな顔をする。
「こういうのも好きなのか?」
「嫌いじゃねえな」
そうか……、と呟いてその生地をじっと見詰めたアーチャーは、やがて一つ頷いた。
「君はネイビー辺りを選ぶと思っていたが、うむ、とても似合うと思う。正直、君がこういうタイプのものを着たらどんな感じになるか、前から興味があった」
それは俺の事を考えてたってことか。違うのか。
ふふ、と楽しげに笑うアーチャーの言葉に葛藤する。そんなこちらの想いには気付かず、アーチャーはスーツの全体像を思い描いているらしい。
「色の組み合わせが難しくなるな……君は頭が寒々しいから」
「禿げてるみたいに言うな」
くすくすと笑うアーチャーは不意に手を伸ばし、ランサーの後ろ髪を一筋掬って愛おしげに目を細め。
「綺麗だ……」
などと、コイツはまた。こういう時はすかさず反撃するのが自分の性分である。撫で付けてあった白い髪に指を差し込み、くしゃりとゆるく掴むように乱してやった。もう閉店時間だし、別にいいだろ。
「お前の髪だって綺麗だ」
「な……」
心底驚いているようだ。今しがた自分も同じ事をしたくせに。呆気にとられたアーチャーは、そのまま機能停止した。
カウンターを挟んで男二人が互いの髪に触れたまま沈黙。俺の髪の色よりこの状況の方がよほど寒々しい。これが既に恋人同士だったのなら、如何様にも攻めてやるのだが。
(道のりは長いな……)
心中で思いっ切り、これでもかと溜息を吐いてから、手を離した。
「で、裏地の色とかどんなんが良いんだ?」
「……あ、ああ」
数度瞬いたアーチャーは何とか正気に戻り、艶のある生地をいくつか出した。
「一応君の希望を聞くが」
「茶色とか着たことねえし、よく分からん。値段は聞かねえから好きに選んでくれよ」
「初めて作るフランネルで金を掛けてしまっていいのかね?」
「お前に作ってもらうんだから間違いねーだろ」
自分には冒険的な色だがアーチャーなら上手いこと仕立ててくれるだろう。しかしこんなふうに褒めるのは、嘘は吐いていないが計算でもある。振り向いて欲しいから何かにつけて褒める。自分は結構計算ずくで動く方なのだ。反してアーチャーは無自覚に揺さぶってくるから、期待のしどころが本当に掴めない。
褒められたアーチャーは少し照れたようで、ほんのりと頬を染め、
「私の腕がどうというより、君が着るから何でも良く見えてしまうんだろうがな」
などと言ってくれやがる。これだから無自覚は性質が悪いというのだ。頬の赤みと合わさって、攻撃力は抜群である。
「何か要望はあるか? 完全にお任せでいいのだろうか」
作ったことのないタイプだし、俺の好みならアーチャーが熟知している。最初の一着としてイレギュラー過ぎず、アーチャーが俺に合うと思うものを作ってもらえたらそれが一番だ。
「ああ、任せる。お前の好みでいっちょ作ってくれや」
「では……任された。本気で作らせてもらおう」
重々しく請け負われる。慣れないタイプの一着目ということで、責任を感じているようだ。
「では採寸させてくれ。型紙に修正が無いか確かめたい」
最初に作って以来していなかった採寸を再びやるとは、本当に本気らしい。アーチャーは店の表の札を『close』に返し、メジャーを手にした。俺はジャケットを脱いで立つ。
腕や肩に触れていくアーチャーが、ほう……と溜め息を吐いた。
「相変わらずモデル顔負けのスタイルの良さだな」
「どーも」
何でも無さげに返事するも、内心は悲喜交々だ。元から体型には自信があったが、この店に来るようになってからは気にして維持するようになった。
アーチャーの店では通常何種類もある型紙から体型にあったものを選んでスーツを作るのだが、稀にアーチャーが型紙を作ることもある。ランサーはその稀な例だった。鍛えられた体は形が複雑になる。加えて生来の手足の長さが、既存の型紙では対応しきれなかったのだ。グレーディングまでしたのだからここでスーツ作る! とそんなこじつけた理由で常連になり、もう何着もスーツを仕立ててもらった。だからこの店には番号ではなく『ランサー』という型紙がある。
至近距離でランサーの体に触れるアーチャーにちょっと居た堪れなくなり、適当に話題を振った。
「この店の見た目ってお前の好みなの?」
「ん? いや。私より知り合いの女性の趣味だ。彼女がああしろこうしろと言うのに従っていたらこうなった。私も嫌いではないがね」
「へー……」
アーチャーが唯唯諾諾と意見を受け入れるほど親密な女性。どんな女だ。俺よりアーチャーと親しいのか。親しいんだろうな。
少し焦る。自分が振り回されているのは別に構わないが、自分にチラとも振り向いてもらえないうちに別の誰かがアーチャーを連れて行ってしまわないか、いつも心配なのだ。この不安さえ無ければ、いくらでも時間を掛けるし振り回されてやるのだが。
アーチャーの店に来るようになって、生活行動も変化した。時々シャツに自分でアイロンを掛けるようになったのだ。最初の一回は気紛れを起こしただけだったのだが、やってみると服のパーツが目に付いて、なるほどこんな形の部品で出来ているのかと気付いた。その後アーチャーの店で、パーツのサンプルを眺めるアーチャーに「これ肩の後ろんトコ?」と聞いてみると、目を丸くしたアーチャーがふわっと笑い「よく分かったな」と言って―――それに味を占めたのだ。全く同じ事が起こるとは思わないが、何かしら知識や気付いた事があれば、アーチャーとちょっとした会話が出来るかもしれない。それもアーチャーが嬉しがるような。
(俺ってケナゲー)
遠い目になった。いかん、しっかりしろ俺。
「一月以上掛かると思う。出来あがったら連絡するが、途中にも相談の電話をするかもしれない」
「いいぜ。呼んでくれれば店に来るし、時々顔見せる」
「そうか」
アーチャーは一人で店を営んでいるので、分担作業は出来ない。他の客の注文も負いながら手縫い中心でその製作期間なのだから作業は速い方だろう。しかもアーチャーは縫製に使う機械の整備まで自分でやるらしい。どういうスペックなんだコイツ。
「それで?」
「ん?」
店の片付けを始めたアーチャーがこちらに振り返る。
「夕飯は食べて行くのか?」
「おう!」
ここまで親密な関係を築けた自分はかなりよくやった、と思う。比較対象が無いので確かとは言えないが。着実に距離を縮めている筈だ。今日はオーダーをしたので、また暫くここに通う理由が出来た。その達成感と、アーチャーに自分のスーツを作ってもらう楽しみ、そしてこれからありつける美味い夕食に期待して心を躍らせた。
試着室から出た俺に目を向けたアーチャーは、じっくりと全身を眺める。俺がアーチャーにスーツを作ってもらい、それを最初に着た時にいつもする行動だ。この先もいつも通り。自分の仕事の出来栄えに、アーチャーの頬が緩んでいく。そして仕立てたスーツを着た俺に、いやスーツに、アーチャーは満足気に頷く。
「完璧だ」
スーツがだろ。
「惚れ惚れするな」
じゃあ俺にも惚れてくれ。
「道行く人が振り向くレベルじゃないか?」
他人じゃなくて、俺はお前に振り向いて欲しいよ。
「……ランサー?」
「っ、ワりぃ」
さっきから一言も返事をしていなかった。
「……何か気に入らないか?」
アーチャーが不安な顔で見上げてくる。
「いや、そんな事ねえ。すげえ良いよ。ありがとな」
しっかり笑い掛ければ、アーチャーも安心したようだった。
「そうか。良かった。今回は特別力が入ったから」
その力の入りようは、スーツを一目見れば分かる。
注文から一月で、アーチャーからスーツが仕上がったと連絡が入った。思ったより早い。無理はしていないかと心配になったが、アーチャーは「君が気にするような事は何も無い」と首を振った。そんなアーチャーの力作を、俺は身に着けた状態で鏡越しに見る。
俺の好みの中の、アーチャーによって変化した部分に引っ掛かったブラウンの生地。ダブル6つボタン。肩は幅にキッチリ合わせ、二の腕も脚もストレートラインで揃えている。蓋無し胸ポケットのへりには光沢のあるダークチェリーのパイピング。下襟の角はやや上向きに。ウエストは絞られ、チェンジポケットは存在感を弱めている。クラシカルでありながら、モダンに完成されたバランス。中に着ているのもアーチャーに作ってもらったシャツで、やや襟先の長い薄い胡桃色の無地。アーチャーはピンカラーでも合うと思うと言ったが、そんなシャツは持っていない。マイターカラーなら何枚か持っているが。……作りたいのだろうか。アーチャーが何か作りたがっているのを察して作っていいぞと許可を出すと、非常に分かりやすくパアッと喜んだ顔を見せる。それが可愛くてハマっていたのだが、最近はちょっと困った顔をするようになった。遠慮ならしなくていいのに。
裏地には胸ポケットの装飾と同じキュプラ。内ポケットのへりにはまた別の布が使われている。相当気合の入った出来だ。
鏡の前に立つランサーを見ながら、アーチャーはネクタイを選んでいる。店で作ってはいないが、既製品を仕入れて販売しており、アーチャーのセレクトで種類は豊富だ。
アーチャーが首に当ててくるネクタイは、ワインレッドか、紫に近い茶色。成程。今まではスーツがブルー系でなかった時はシャツかネクタイのどちらかに青系を入れていたのだが、今回は完全に青を外していくらしい。
「赤いタイも無くは無いのだが、今回はいっそ思い切りシックに調えた方が君の顔と釣り合うと思ってね」
「お前がそう言うならそうなんだろうが、俺をこんなにエレガントにしちまいやがって、着て行くところがねえよ」
苦笑すれば、そうか? とアーチャーは首を傾げた。
「君ほどの男前なら、どこで何を着ても誰も文句は言うまいよ」
ああ、この俺大好きッ子め。嬉しいんだが、その『対モデル愛』をちょっとでいいから恋愛方面に変換してくれ。
ビジネス的な雰囲気は辛うじて残っているというレベルのコレを、一体いつ使おうか。いっそデートとしてアーチャーと出掛けられたら、なんてまだ口に出せない願望を胸に封じる。
持ち腐れにはしたくないから何か着る機会があればいいな、という願いは案外早く叶えられた。
ざわめくホテルのホールに集う、ファッション業界の担い手達。ランサーの会社も参加する新規プロジェクトの交流会だ。アパレル関係が何社も来ているので、女性率が高い。ランサー達の会社では担当は置かず営業部全体の企画という形にしており、代表は部長ということになる。その部長に「お前、集まる女性陣が喜ぶような感じで来い!」とか言われて面倒がりつつも『じゃあアーチャーが作ってくれたスーツ着れるな』と口実が出来た事にしめたと思ってしまった。そして当日会場に入ってみれば案の定、視線の寄せ方は主役並み。テーブルに突っ立っていてもみんな挨拶に来てくれて、楽な事この上ない。こんなにメシが食える立食パーティーは初めてだ。ウチの営業部は全員俺に、いやアーチャーに感謝しろ。
「やー、すごいっすねー。ランサーさん効果様様っす。俺一日で配った名刺の枚数、更新しましたよ」
感心した口調で言うのは隣に立つ後輩だ。軽くなった名刺入れに感動している。
「先ずは取り合えず自分を見てもらうってことの重要さが改めて感じられました。俺もスーツとか拘ってみようかなぁ。いつも格好良いっすけど、それ着てるランサーさんなら誰でも落とせそうですよね」
「あー、そーだなー」
投げやりに返事をする。みんなどこかしらに挨拶しなければと思っているから、目に付いただけという理由でも最初は充分。接触さえできれば関係を築く自信はある。だが自分のトークとこのスーツの効果を差し引いても、ランサー自身に興味深々な相手は多かった。
俺って結構イケメンなんだぞ、とアーチャーに主張してやりたいが、アイツはそれを承知の上で、俺に着せるスーツに夢中なのだ。
「アイツがこれ着てる俺に惚れてくれたらいいのになあ」
思わず出た独り言は後輩にバッチリ聞かれたが、『俺に』を強調して言った意味は流石に解らなかったようだ。ランサーさん本命いるんすか! 誰! どんな人! とやかましい。どんな人って、俺よりスーツが好きな奴だよ。
「あーあ。むなしい。俺帰るわ。後お前に任せたから。よろしく」
「ぅえっ!? ちょ、待って下さいよ!」
俺、担当じゃないし。営業総出だし。慌てふためく後輩を残し、会場を後にする。アーチャー、お前の言った通り、擦れ違う人が俺に振り返るぜ。その中にお前はいないけど。
外に出ると雨が降っていた。空から真っ直ぐ地上を目指す雨粒ですら、途中でぶつかり合って互いを弾いたり交わったりしているのに、自分の気持ちはいつになったらこの平行線を抜け出せるのだろう。俺達の距離ってどのくらいだ? そんな事を聞けば、きっとアーチャーは首を傾げて愛用のメジャーを取り出すだろう。テーラーと客という距離のまま、異なる想いは平行線。
店の作業場でメーカーの生地カタログを見ながらアーチャーは溜息を吐いた。最近、気が付くとランサーに似合うスーツを考えている。スーツやシャツに留まらず、ジレやコート、果てはハットや手袋までどんなものが似合うか考え始めてしまい、自分は一体どこへ行こうとしているのか。
だが、一部の隙も無くスーツを着こなしたランサーを想像すると……。
(かっこいい……)
思わずうっとりしてしまうのだ。考えるだけでちょっと頬が熱くなる。誰かが傍にいる時は絶対に出来ない。
一番最近作ったブラウンのスーツにジレも作りたいのだが、駄目だろうか。近頃は自分がウズウズするとランサーが気付いてくれ……気付いてしまう。すると「作りたいのか? 別にいいぜ」と許してくれてしまうのだ。ランサーはそんな時も絶対に客としての注文にするので、自分が作りたくて作ったもので金を取ってしまって居た堪れない。
自重しなければと気を付けているのに、今回は自分のやりたかった事をあれこれやってしまった。普段使いのスーツを求めるランサーに合わせて何着か作ってきたが、彼ほど顔もスタイルも良く歳の割に風格まである男はそういないので、もっと重厚感のあるスーツも似合うだろうと前々から思っていたのだ。結果は予想以上。もうそのままマネキンにしてずっと眺めていたいくらいだった。しかし。
(人形になってしまったらランサーじゃない。ランサーは、動いて、喋って、笑って……)
快活な笑顔。仕事の事を考える時の真剣な顔。チャラけているようで一本筋の通ったところ。ふと見せる優しいところ。
外見も良いし、スーツが似合うのもとても素敵なのだが、彼は、彼という人物は、中身が何より素晴らしいのだ。スーツ作りにばかり情熱を掛け、それ以外には淡泊と言われる自分が惹かれてやまない。ただの客にこっそり惹かれるだけなら問題無いのだが、彼はとても親しげに、友人として接してくる。もっと近くにという自分の欲が邪魔をして、線引きもまともに出来ない。
アーチャーを知る人間から見れば驚異的なレベルで自分はランサーに打解けている。他の客との線引きならかなり明確だ。凛の父親で常連の遠坂時臣氏などが相手でも、仕事中は客として接する。凛にだけは多少態度を和らげるが、店内にいる間に店仕舞いを始めるなんてしたことはない。
ランサーはあのスーツを着てどこかへ行っただろうか。あのランサーに他の人はきっと目を奪われるだろう。それが誇らしく、少し悔しい。見せびらかして自慢したい気持ちと、一人占めしたい気持ち。ただの仕立屋が独占欲など抱くべきではないが、ランサーが身に着けるものを決め、作り、それを着た最初の姿だけは。
(私のランサー)
そんなふうに思うのを、心の中でだけは許してもらおう。誰にも言えない、自分だけの秘密。この言葉を思い浮かべるだけで、胸の内が熱くなる。
作業台に出しっぱなしのランサーの型紙をするりと撫でた。次はいつ来るだろうか。注文が無くても店に来てくれるのは嬉しいが、これは一旦仕舞おうか。ランサーをコーディネートしたいが為にタイピンや帽子の販売にまで手を出したら、凛に怒られるだろうか。今でさえ手一杯なのにと。
だけど自分は見繕うだけなのだ。装ったランサーが外で輝く姿は見られない。自分は送り出すだけ。彼との関係はこの店の中でだけ。
(会いたいよ、ランサー)
早く来て。そんな気持ちはけして彼とは交わらない。触れあうことなく、どこまでも真っ直ぐ伸びて途切れない。
~再・とある会社員の証言~
『こないだ聞いたんですよ、いつもスーツかっけえっすね、って。そしたらやっぱオーダーメイドらしくて。モテる人は金の使い方も違うんだろなー。あ、で、俺それ聞いた時思ったんです。ランサーさんのスーツ作ってる人って女の人かもって。でもって、ランサーさんに惚れてんのかもって。だっていくらプロでそれが仕事でも、それだけじゃあんなに完璧なの作れないですよ。ランサーさんが着るのに一番相応しいのはコレ! って自信を持って作ってる感じ、スーツに出てます。あとすげえ愛に溢れてますよね。俺、今までにもランサーさん見てそう思った事あったんですけど、オーダーメイドで、ランサーさんが着るって分かって誰かが作ってるんだって知ったら、あのスーツ全部に尚更気持ちが籠ってるように見えてきましたね。罪作りだよなあ、ランサーさん。そうやって気持ち込めて作ってもらったスーツで、あちこちの女の人落としてるんですから。仕立屋さんにまで恋されてるランサーさんの本命って、どこのどんな人なんだろうなー。知りたくありませんか?』
読むたびに、すきだな〜と思います。言葉選びも、テンポも、気持ち良くて最高で、酔ってしまいそうです。