ファム・ファタールには程遠い(槍弓)
カルデア時空、槍→(←)弓(女体化)話。突発系の後天性女体化です。
書き手の性癖上、女体萌えと言うよりは、TS萌えに重点が置かれています。更に、書き手の女装(?)萌え性癖のため、にょた弓にドレスを着せたりします。重ねて言いますが、書き手の性癖オンリーです。何でも許せる人向けです。
すれ違い両片想い槍弓は最高ですね!
概念礼装『マグダラの聖骸布』について、礼装の効果や由来について好き勝手に解釈しておりますが、あくまで作劇上の解釈であり、由来となる伝承や人物を冒涜する意図はありません。
同じく、童話『人魚姫』についても好き勝手に解釈しておりますが(以下同文)。
どうぞご了承ください。
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ガシャン、と何かが割れる音に視線を上げれば、カウンター席のランサーと目が合った。瞳を驚愕の色に染めた彼の足元には、粉々になったグラスがひとつ。
だがランサーはグラスが割れたことなど気づいてもいないように立ち上がると、表情を引き締めてずかずかとこちらへ歩いて来る。
「おい、驚くのも無理はないが、先にグラスを」
片付けないか、と言いかけた声は続かなかった。
アーチャーの目の前までやって来たランサーが、突然床に膝をついたからだ。
片膝を立て跪く姿勢で、ランサーは恭しくアーチャーの手を取り、告げた。
「オレの炉端に来てくれ」
ファム・ファタールには程遠い
Ⅰ.
「おそらく、礼装の誤認識だと思うんだ」
カルデアのメディカルルーム。霊基データが表示されているモニターから顔を上げ、レオナルド・ダ・ヴィンチが述べる。
「君の礼装も、元は聖人の聖骸布なんだろう? その上に同じく『聖骸布』を重ねたものだから、システムが君の礼装と概念礼装を混同し、レイシフトから帰還する際の霊子再構築で、君の霊基に組み込んでしまった。その《マグダラの聖骸布》をね」
「ふむ……、理屈は分かった」
カルデアのシステムは、機械的、電子的なものの他に、魔術的な機構が多分に組み込まれている。英霊を霊基データとして記録し、“概念”で作られた礼装などという代物を扱えるのはそのためだ。しかし、科学と魔術の両方を用いた技術は、当然ながら複雑で繊細なものであり、時に予想外のバグが発生することもある。
一年と少しの間、カルデアで過ごして来たアーチャーも、そうした事情は充分に理解していた。
「――が」
アーチャーの瞳に悲壮なものが浮かぶ。
「どうして礼装の不具合で私の性別が変わるんだ!」
だんっ、と床を踏み鳴らしたと同時、眼前のダ・ヴィンチにも負けず劣らずの巨乳が、たゆん、と揺れた。
そう、今アーチャーの胸にあるのは、鍛えられた胸筋ではなく豊満な乳房なのだった。
アーチャーも一人の男として女性の胸は決して嫌いではないが、自分の胸がそうなるという事態は欠片も求めていないし、なったところで喜べない。
頭を抱えるアーチャーに対し、ダ・ヴィンチはあくまで落ち着いた声音で答える。
「どうして、と言われてもねえ。こんなバグは初めてのことだから、ちゃんと解析してみないことには何とも。と言うか、この短時間で原因が礼装にあると推察した天才を、まず褒めて欲しいな」
レイシフトから戻って、まだ三十分足らず。簡単なスキャンだけでアーチャーの霊基に起こったことを見抜いたのだから、確かに万能の天才は伊達ではないのだろう。
「メディカルチェックで異常は出てないし、むしろ霊基パラメータは礼装の分、向上している。礼装の効果も失われず、常時発動中。となれば、おそらく現界や活動に支障はないから安心したまえ」
「こんななりになっているのに、何を安心しろと……」
「おや? 美女になるのは不満かい?」
にまり、と笑みさえ浮かべて尋ねてくる。彼女の笑みはつまり、全世界的に有名な“モナリザの微笑”だ。遅ればせながらアーチャーは思い出す。このレオナルド・ダ・ヴィンチという人が、美を追究した挙げ句に性別の垣根を越えてしまった人物だと。
「あいにくと私は君ほど柔軟な思考はしていないのでね。美女になりたいなどと思ったことはない」
「ええー、ほんとにござるかぁ?」
食い下がられ、無意識の底に、ちくりと刺さるものを感じた。まさか、彼女は何か勘づいているのだろうか。
浮かんだ後ろめたさを、アーチャーは気づかぬふりで押し隠した。
「君は私が望んでこうなったと? 女になったのは、私の願望が原因だと考えているのか?」
表情を険しくしたアーチャーにも、ダ・ヴィンチは美の象徴たる笑みで答える。
「可能性の話だよ。気を悪くしないでくれ。聖杯しかり、人の願望で起動する呪具は多いからね。君の霊基と結合したことで、礼装がそんな風に変異することもあるかと思っただけさ。さて、その線がないとすると後は、礼装の由来や効果に引きずられた、くらいが妥当かな?」
少し真面目な顔になり、ダ・ヴィンチが新たな可能性を提示する。
「由来、と言うと『マグダラのマリア』か?」
「お、知ってたね、感心感心。マグダラのマリアは、主の復活に立ち会ったと言われる女性だ。聖人認定もされていて、特定の女性たちの守護聖人でもある。伝承上は様々な側面を持つ女性だけど、この礼装においては“女性を守る”存在と定義されてるんじゃないかな」
コツコツと指先が叩くモニターには、《マグダラの聖骸布》についての様々なデータが表示されている。
《マグダラの聖骸布》は、平たく言えば対男性に特化した礼装だ。
概念礼装としての効果は、男性から受ける攻撃の威力を減じるというものだし、概念化される前のオリジナルの礼装は、男性を拒絶するだけでなく拘束する効果をも持っている。
以前にそれを聞いたマスターが「痴漢対策に良さそう」とコメントしたのも、頷けるというものだ。
「女の敵は男、なんてのは野暮で乱暴な話だと思うけど……、この礼装の使用者として想定されてるのは、やっぱり女性だと思うんだよね。で、その性質が強く出た結果が今の君の状態、と」
「つまり、礼装の方で使用者を女性に限定した上、強制的に性別を変更する作用が働いているということか?」
何とか納得出来るように言葉を探せば、仮説だけどね、と肩をすくめられた。厄介な礼装もあったものだと頭痛を覚えたが、アーチャーは気を取り直して問いを口にする。最も気にしなくてはいけないのは、こうなった原因ではなく――
「それで……、これは元に戻るのかね?」
恐る恐る尋ねたアーチャーに、
「戻るよ」
拍子抜けするほどあっさりと、ダ・ヴィンチは答えた。
「戻る!? 本当か!?」
「ふふん、天才を舐めてもらっちゃ困るな。霊基に組み込まれた礼装が原因だと言うなら、取り出せばいいだけのことだよ。ただし……」
言葉を切って、何かを数えるように指を折る。
「うーん、早くて一週間ってところかな」
「一週間?」
「礼装は君の霊基にくっついているというより、混ざり込んでしまっているような状態だ。その状態から礼装だけを取り出そうとすれば、厳密なデータの選別が必要になる」
例えるなら、浜辺の砂に混ざった砂鉄を選り分けるような作業であるらしい。取り出すことは可能だが、どうしても時間がかかってしまう。
「データ選別のプログラムは二十四時間走らせっぱなしにするけど、カルデアの現状、あまり多くのリソースは割けない。完了までは、早めに見積もって一週間。悪いが、それが限界だ」
「いや、戻れる手段があるならそれでいい」
もし戻れないとなれば、一度座に還ることも考えていた。女になったから、という間抜けな理由でマスターに再召喚を頼むのも心苦しいが、かと言って女の姿でこの先ずっと過ごすことを思うと、精神に多大なダメージを負う気がする。主にアイデンティティーの崩壊という方向で。
一週間程度で戻るというなら、幸いと言うべきだろう。
「手間をかけて済まないな」
「お安いご用さ。君にもしものことがあったら、マスターはもちろん、スタッフ全員の士気に関わるからね。君の料理のファンは多いんだ」
ウインクと共に明るく言ってくるダ・ヴィンチに、彼女なりの気遣いを感じ、アーチャーも笑みを返した。
最後に、いくつかの注意事項をダ・ヴィンチから聞いて、アーチャーはメディカルルームの外へ出る。
そこへ。
「エミヤ!」
心配を顔中に浮かべた少女――カルデアのマスターが駆け寄って来た。検査が終わるまで誰も立ち入るな、というダ・ヴィンチの言いつけを守って、今まで待っていたのだろう。
「大丈夫だった!? 悪質な呪いとか祟りとかじゃない!?」
「落ち着いてくれ、マスター。何ともない……とは言えないが、少なくとも命に関わるようなことではないよ。心配には及ばない」
肩を叩いて微笑めば、マスターの体から力が抜けるのが分かった。
「……よかったー。あ、いや、異変は異変なんだから、良くはないんだけど。ええと、結局何がどうなってそうなったの?」
「ああ、歩きながら話そう」
アーチャーはダ・ヴィンチからの説明を掻い摘まんでマスターに伝えた。女になった原因が礼装にあること。元に戻るまでに、一週間ほど時間がかかること。
「それに、レイシフトは元に戻るまで禁止だそうだ。取り込んだ礼装にどんな影響が出るか予測不可能らしくてな。他の礼装を装備することも、やめておいた方がいいと」
「分かった。レイシフトの予定は組み直すね。ごめんね、わたしが《マグダラの聖骸布》を装備させたから……」
「いや、こんな結果は誰も予想出来なかった。君が気に病むことじゃない。事故のようなものだからな」
口にしたのは慰めと言うわけでもなく、本心だった。起こってしまったことを、今更誰かのせいにしても仕方がない。
「後は礼装の効果の話だが……、どうかしたかね?」
じっ、とこちらを見上げてくる視線に気づき、尋ねる。
「あ、ううん。エミヤが思ったより落ち込んでなくてホッとしたって言うか……。レイシフトから戻って来た直後は、固まったままダ・ヴィンチちゃんに引っ張って行かれてたから、ショックだったんだろうなって思って。それも心配してた」
ショックだと言うなら、相当の衝撃ではあったのだが。
「元より、この身はサーヴァント。冷静になってみれば、性別が変わって困ること、というのもそれほどなくてな」
肉体の生理現象はそもそも問題にならない。霊基のパラメータが変わっていないなら、性別が変わったところで不利になる場面もないだろう。幸いにも自分の礼装は性別を選ばないデザインであるし、露出も低めであるから、再臨段階を変えたせいで不慮の事故が起こるようなこともない。
「少々、周りから奇異の目で見られることはあるかもしれないが、ここには性別不明の英霊も少なくない。そう言った意味で、あまり心配もしていないよ」
やせ我慢も大いに混じっていたが、そう伝えれば、マスターはようやく本当に安心したようだった。
「確かに、デオンさんとかアストルフォちゃんとか、みんなもう性別を問題にしないもんね。最初は驚くかもしれないけど、きっとすぐに慣れるよ」
慣れるのもどうだろう、とやや複雑な気持ちになっているうちに、二人は食堂の前へと辿り着いていた。ここに足を向けたのは、そろそろ夕食準備の時間であると共に、人の集まる場所だからでもある。何か事件が起きた時は、混乱を避けるために極力周知しましょう、というのがカルデアでの不文律だ。
マスターが振り向いて問う。
「みんなへの説明は、わたしがした方がいいよね?」
「ああ、頼む」
「任せて」
頷いて歩いて行くマスターに、アーチャーも続く。扉をくぐる瞬間は、やはり緊張した。
二人が食堂に足を踏み入れた時点で、幾人かは異変に気づいたらしい。『えっ!?』と小さな動揺の声が、其処此処で聞こえた。
「お知らせしたいことがありまーす! みんな注目ー!」
食堂の真ん中で立ち止まり、マスターが両手を挙げた。
皆のぎょっとした表情と共に、どよめきがさざ波のように広がる。刺さる視線に居たたまれなくなって、アーチャーは顔を伏せた。
静粛に、と騒ぐ生徒を前にした教師のように、マスターが周囲をたしなめる。
その時。
ガシャン、と何かが割れる音が響いた。
皆の注意が音の方に向かい、場がしんと静まる。
アーチャーも顔を上げ、音のした方を見ていた。カウンターのランサーと、壊れたグラスと。
そうしてランサーは、アーチャーの前まで歩いてくると、跪いて言ったのだ。
オレの炉端に来てくれ、と。
一瞬の後、食堂がやんやの歓声と野次に包まれたのは言うまでも無い。アーチャーはその喧噪を、どこか遠くに聞きながら。
少しだけ、許されたような気になった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「やー、すごかったよね。クー・フーリンのプロポーズ」
食後のお茶を片手に、そんなことを言い出したのはマスターだ。
夕食の混雑も収まり、厨房が後片付けの空気になる頃。厨房担当の女性陣の間には、お喋りの花が咲き始める。最近のマスターの食後の楽しみは、そのお喋りに参加することらしい。
「ろばたに来てくれ、だっけ? 言葉の意味は分からなかったけど、雰囲気でプロポーズだって分かったもん。格好良かったー、映画みたいだった!」
アーチャーを心配していた昼間の態度はどこへやら。マスターは、アーチャーが今最も触れて欲しくない話題を、声を弾ませて語る。
彼女に悪気はないのだろう。年頃の少女らしく、ロマンチックなシチュエーションへの憧れを口にしているだけなのだ。
そう思っても、周りの女性陣からチラチラと視線を送られるのは、なかなか耐え難いものがあった。ブーディカとパールヴァティーは遠慮がちながらも興味津々に。玉藻の前に至っては、話題が出た瞬間からあからさまにこちらの横顔に視線を注いでいる。
正直、無言で逃げ出したかったが、明日の朝食の下拵えを放り出すわけにもいかない。アーチャーは観念してまな板から顔を上げる。
「……私から言うことは何も無いぞ」
「あら、それって随分とドライな言い草じゃありません?」
待ち構えていたとばかりに声を上げたのは玉藻だ。
「昼間は面白がった周りの方々、主にスカサハさんやフェルグスさんにクー・フーリンさんが連れて行かれて有耶無耶になりましたけど、……本当のところ、あなた方ってどうなんです?」
玉藻はすっと目を細めてアーチャーを見つめる。何かを見透かそうとするような眼差しに居心地の悪さを感じたが、彼女のスキルに読心はなかったはずだと自分に言い聞かせる。
「本当のところも何も、見た通りだと思うが」
「ほらまた、そんな風に濁して逃げるんですから。ねえ、ご主人様? ご主人様も気になりますよねぇ?」
「取り合うことはないからな、マスター」
この上、マスターからの援護射撃など食らっては堪ったものではない。話の矛先を逸らそうと、アーチャーは玉藻へ牽制を投げる。
「そもそも私と奴の関係など、君がそれほど興味を持つことかね?」
「だって!」
ガンッ、と玉藻が調理台を叩く。
「プロポーズですよ!? プ・ロ・ポ・ォ・ズ!」
「あ、ああ……?」
「女になった途端に女の幸せ掴むとか、何それ超羨ま――じゃなく、急展開にも程がありません!? このサーヴァント界随一の良妻であるわたくしを差し置いて、無銘さんが先にゴールインなんて! 幸せ四畳半なんてっ……! そんな大番狂わせあっていいんですかいいやよくねえ! それでも幸せな花嫁になると言うならば、わたくしを倒してからにしてくださいまし!」
突きつけられる人差し指と、高らかに告げられる宣戦布告。
「いったい何と戦っているんだ、君は……」
どこからツッコミを入れればいいのか分からない長口上へ、辛うじてそれだけ呟く。
アーチャーだけでなく、マスターを含めた周りもぽかんとしているのを見て、自分があられもない本音をだだ漏らしたことに気づいたのだろう。玉藻はコホン、と小さく咳払いしてから、改めてアーチャーに指を突きつけた。
「えー、ですから、洗い浚い吐きやがれ、と申してるんです」
「だから言うことはないと……」
「あの……、エミヤ。クー・フーリンのことをエミヤがどう思ってるかは、私も聞きたいなー?」
おずおずと手を上げたのは、最悪なことにマスターだ。ブーディカとパールヴァティーまで、うんうん、と同意を示してきた。こういう時、女性が無駄に団結力を発揮するのは何故なのか。
「……仕方ない。これ以上、余計な誤解を招かないために言っておくが……、今の私と奴は“険悪な関係の仲間”だ。それ以上でも以下でも無い」
憂鬱さに溜め息を吐きつつ、翻ることの無い事実を告げる。女性陣はあからさまにがっかりした顔をした。他にどんな答えを期待していたというのか。
自分と彼の間に浮いた話など、――あるはずがないのに。
「君たちも昼間の騒ぎを見ていたなら知っているだろう? 最初、奴は私を私と気づいていなかった。気づいた瞬間、奴は何と悲鳴を上げた?」
裏付けを提示するつもりで、一同を見渡して問いを投げる。答えて来たのは玉藻だった。
「“げぇっ! 弓兵!”でしたか?」
「その通り。我々の関係を端的に表す、素晴らしいリアクションだったとも」
本心がそのまま表れた台詞も、嫌そうに引き攣った表情も、非の打ち所がなかった。直前に湧いた妙な期待を、粉々に打ち壊すには充分なほど。
「いいかね? そもそも私だと気づいていなかったのだから、奴のプロポーズの対象は私ではないんだ。奴にしてみれば、見慣れない女がいたから新入りかと勘違いして勢いで声をかけた、程度のことだろう。女性への手の早さは、伝承のお墨付きだからな」
だから自分とランサーの関係を詮索するのはお門違いだ、と。きっぱり告げれば、ようやく彼女たちも納得したようだった。
女性陣が、今度は『憧れのプロポーズの台詞』という話題で盛り上がり始めたのを背中で聞きながら、アーチャーは胸をなで下ろす。勘の鋭い玉藻も、問いを投げたマスターも、自分が答えの論点をずらしたことに気づかなかったようだ。
クー・フーリンのことをエミヤはどう思っているのか。マスターの問いに、アーチャーが返した答えは“客観的に見た二人の関係”であり、“アーチャーがどう思っているか”ではない。
たとえマスター相手でも、その問いにそのまま答えるのは憚られるというものだ。冷静でいられる自信が無い。
マスターも困るだろう。『私は彼を愛しているが、彼は私を嫌っているし、私もそれでいいと思っている』などと打ち明けられては。
いっそ『私も彼を嫌っている』と言えば。
関係を疑われることさえ心外だという態度を取れば、簡単な話なのかもしれない。
しかし――自分でも笑ってしまうが――もう冗談ですら、彼を嫌いだと言えなくなっている。言いたくないと、思っている。
それは、自分に嘘を吐きたくないと言うような、高尚な理由からではない。彼を嫌いだと言った自分の言葉が、どこからか彼の耳に入った時。まあそうだろう、と頷く彼を見るのが怖いだけだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あー、ひでぇ目に遭った……」
盛大に溜め息を吐きながら、ランサーはよろよろと廊下を歩く。
スカサハやフェルグスたちと酒を飲むのはいつものことだが、自分の色恋を肴にくだを巻かれるのは正直御免蒙りたい。昼間の弓兵とのことだけでなく、若気の至りの青い恋まで遡ってからかわれるのだから、生前からの付き合いというのも善し悪しだ。
昼の件については、クラス違いの自分や若い自分からも揶揄される始末で、結局昼過ぎから夜も更けた今まで、面白おかしくいじり倒されていた。これならスカサハの耐久百本組み手の方がまだマシだ。
気分は疲れ果てていたが、そのまま眠る気にもならない。憂さ晴らしに飲み直そうと、ランサーは食堂へ向かった。
適当に酒とつまみを調達して、すぐ部屋に戻るつもりだったが、食堂にはまだ明かりがついていた。正確には、奥の厨房とカウンター周りだけが明るい。
半ば予想していた通り、厨房にいるのはアーチャーだった。その姿を見て、一瞬、立ち入るのを躊躇する。
以前に一度、今と同じシチュエーションで顔を合わせ小言を食らってから、自然とアーチャーが一人の時を避けるようになっていた。今日は特に昼間のこともある。どんな嫌味と嘲笑をぶつけられるか分かったものではない。
しばし葛藤した結果――飲まずに寝られるかという意地が勝った。
ランサーがカウンターに近づくと、アーチャーはすぐに気づいて調理台から顔を上げる。こちらを認めた瞬間に浮かべた表情は戸惑いか。口を開くまでに、少しの間があった。
「君がこの時間に来るとは珍しいな」
「……お前こそ、こんな時間まで何やってんだよ。明日の仕込みか?」
ランサーの答えが遅れたのは、アーチャーの声のせいだ。普段の硬いテノールではなく、柔らかなアルト。
「そんなところだ。ナーサリーたちから、明日のお茶会用に菓子を頼まれていてね。昼間は色々と手一杯だったから、不覚にも今まで忘れていた」
スカした口調はそのままに、けれど耳を打つのは女の声だった。声だけではない。張り出した胸と腰、細い手足に肩幅。昼間に見た通り、今の弓兵は紛れもなく女の姿をしている。
未だ信じられない気持ちで、まじまじとアーチャーを見つめていると。
「で、君は何の用だ? 夕方見かけなかったが、食事かね?」
「へ? ああ、いや、メシより酒だ」
ここへ来た目的を思い出し、ランサーはアーチャーから慌てて視線を引き剥がした。
「師匠に絡まれながらじゃ、飲んだ気しなくてよぉ」
言いながら厨房へと入り、壁際に積んである食料コンテナからウイスキーを一本失敬する。ここに置いてある食料は、必要なら自由に持って行っていいことになっている。ただしコンテナの管理自体は厨房担当の管轄なので――
「リストにちゃんと名前を書いておけ」
「わあってるって」
『何をどれだけ持って行ったか』を、名前と共に側のリストに書かなくてはいけない。厨房担当はリストを見て必要そうな物を補充し、誰かの独り占めが過ぎれば厳重注意もするらしい。
酒が見つかれば次はつまみだ。適当なスナックでもないかと、コンテナをしばらくごそごそやってみるが、残念ながら見つかったのはゼリービーンズとエネルギーバーとラベルも何も無い正体不明の缶詰だけだった。タイミングが悪い。
コンテナに無いものが欲しい時は厨房担当に要相談、がルールである。ランサーは小言を覚悟しながら、アーチャーを振り向いた。
「なあ、アーチャー、何かつまみになるもんないか?」
「つまみ?」
「お、そのアーモンドでいいわ」
まさに手頃なものをアーチャーの手元に見つけ指させば、「これはクッキー用だ、たわけ!」と即、叱責が飛んだ。
「まったく……、座って少し待っていろ」
溜め息ひとつの後、アーチャーは棚や冷蔵庫から食材を取り出し始める。意外にも何か作ってくれる気らしい。
カウンターへ移動したランサーは、大人しく着席する。待ち時間の手持ち無沙汰に、視線は自然と調理中のアーチャーへ向かった。
女にすれば大柄な方だろうが、男であった時に比べれば背も低くなって、ランサーの目には随分華奢に映った。とは言え、胸のボリュームは参りましたと諸手を挙げたくなるほどであるし、後ろ姿に見る尻から太ももにかけての肉づきには、賞賛を贈る他ない。普段厨房に立つ時と同じように、第二礼装の上にエプロンという格好のため、剥き出しの肩や二の腕が実に眩しかった。
顔立ちは大きく変わっていないはずだが、いつもは気難しさを感じさせる横顔も、憂いと緊張を含んだ美貌に見えてくるから不思議だ。
こちらの背を思わず正させるような、張り詰めた雰囲気をぶつけてくる女は良い。跪きたくなるし、跪かせたくなる。今のアーチャーには、まさにその魅力があった。
昼間、一目見た時の衝撃を思い出す。後頭部を鈍器で殴られたような、心臓に掌打を食らったような、背骨まで響くインパクト。
“この女だ”と思い、思った次の瞬間には手を取って愛を乞うていた。
その後、正体に気づいて二度衝撃を受けるわけだが、正体を知った上でこうして眺めても、魅力的だという印象は変わらないばかりか――
――見れば見るほどいい女なんだよなあ。
包丁を扱う手つきも流れるようで美しい。どうやら野菜のピクルスを刻んで、マヨネーズで和えるようだ。いくつか調味料を加えた後、味見だろう、軽く一匙を掬って口に運ぶ。うん、と頷いて唇の端を指で拭う仕草が、ひどく艶っぽく見えた。
肉体が女になったからといって、仕草が女性的になるわけでもないだろう。ならば所作の美しさは元々のものか。
「ほら、ランサー」
呼びかけと共に小鉢を差し出され、ランサーはハッとして受け取る。ついアーチャーに見とれてぼんやりしていた。
掌に収まる程の小鉢には、アーチャーが作っていたピクルスのマヨネーズ和えが入っている。続いて差し出されたのはクラッカーが一パック。二十枚入りプレーン。
小鉢とクラッカーを見比べ、盛大に疑問符を浮かべていると、アーチャーが小鉢を指して、ディップにしろ、と言い添えた。
「あ! 付けて食うのか!」
合点がいって、ランサーはいそいそとクラッカーの封を開ける。四角いクラッカーの上に、ディップを一匙。齧り付いた。
「ん、美味え!」
見た目はタルタルソースに近いが、野菜が大きめの分、歯触りが良く、クラッカーのサクサクとした食感に負けていない。粒マスタードが利いていて、味のアクセントになっていた。
「部屋に戻る前に食べきるなよ。もう一品もすぐに出来る」
二枚目のクラッカーを手にしたランサーに釘を刺すと、アーチャーは電子レンジのアラームに呼ばれるように、厨房の奥へと戻っていく。
ランサーとしてはクラッカーだけでも充分なつまみなのだが、もう一品追加してくれるというなら断る理由もない。忠告通り、クラッカーを摘まむ手を止め、アーチャーの調理を見守った。
程なくランサーの前に供されたのは、アーチャー曰く、“ジャーマンポテトのコンビーフ版”だった。レンジで火を通したジャガイモと薄切りのタマネギを炒め、更にほぐしたコンビーフを投入すれば出来上がり、らしい。
「これもめちゃくちゃ美味えし……、お前、酒のあても作れんのな。腹に溜まるもん一辺倒かと思ってたぜ」
純粋に感心していると、アーチャーは腰に手を当て、ふん、と胸を張った。
「こと料理において私に死角などない。酒の肴などよく作る方だぞ。厨房に居残っていると、肴をよこせと酒瓶片手に言ってくる者は多いからな」
「マジか! 早く言えよそういうことは。オレだって食いてえ」
口を尖らせたランサーに、呆れたのだろうか、アーチャーは苦笑を浮かべた。
「君は、私が一人で厨房にいると避けるだろう」
肩をすくめて言ってくる。気づいていたらしい。
「そりゃなー、お前の小言聞きながら酒飲んでもなあ」
ややバツの悪い気分になりながらも、思っていたことをそのまま口にする。小言と嫌味を覚悟しての言葉だったが、アーチャーは意外にもくすりと笑った。
「昼間に妙なことを口走っていたからどうなるかと思ったが……、その調子なら心配なさそうだ」
「心配?」
「姿が女になったことで、変に態度を変えられてもやりにくいという意味だ」
正面から、ひたと視線を合わされる。
「今まで通りで頼む」
声は真摯にランサーの耳を打った。
ああ、綺麗だ、と。
おそらくは今最も考えてはいけない感想が、胸に浮かんだ。
“今まで通り”の自分ならば、どう感じていたのか。今のようには絶対に思わなかっただろう、ということ以外は考えても分からなかった。
「今までオレ、お前とどんな風だったっけ?」
「何だと?」
声に剣呑な音を含ませ、顔をしかめる。
「そんな記憶すら無いとは、狗とは名ばかりで鳥頭だったか」
「相変わらずキツいな、テメエ。いや、頭では分かってんだよ、お前はお前だって。今の皮肉だって聞き慣れたもんだ。だが、気持ちの方がついて行かねえ」
何かと反りが合わず、飛んでくる皮肉に顔を合わせれば苛立って。そんな繰り返しが常だった。
しかし、今は不思議だ。自分はいったい、弓兵の何がそんなに気にくわなかったのか。
記憶にある姿と重ね合わせるように、今度は自分から視線を合わせ、アーチャーを真正面から見つめる。
「オレにも分からねえんだ。見飽きた顔だし、見たい顔でもなかったはずなんだが……、今は、いつまで見てても見飽きねえなって思うんだよ」
ひゅ、とアーチャーが小さく息を呑んだのが分かった。苦々しげに唇を噛んで、視線を逸らす。
「……馬鹿なことを言うな」
吐き捨てる響きで告げられた言葉は、僅かに掠れていた。その反応は確かに“今まで通り”であったろう。
違うのは、それ以上の罵声が続かなかったことだ。
「酒の肴はもう充分だろう。さっさと部屋に戻れ」
ランサーへ有無を言わせずトレイを渡し、厨房奥の調理台へと戻っていく。呼びかけても、アーチャーが再びこちらを向くことはなかった。
仕方なく、渡されたトレイに酒と料理を並べ、食堂を後にする。結局アーチャーに臍を曲げられ、退散する羽目になってしまった。
だが、とランサーは思う。
最初に考えていたほどは、小言も嫌味もなかった。特に昼間の件については、アーチャーは一言もランサーを嘲らなかった。貴様の目は節穴かだの、狗のくせに鼻が利かないだのと罵られることも覚悟していたのだが。
「つまみも作ってくれたしな」
ピクルスのディップをクラッカーで掬い、口に放り込む。
「……うん、やっぱ美味えわ」
うんうん、と頷きながら、夜の廊下を辿るランサーの足取りは、少し浮かれたテンポだった。