Forget-me-not
ランサーがカルデアあるあるで軽い記憶喪失になってエミヤの事だけ忘れてしまい、その後エミヤが自己完結で色々悶々とした結果ランサーから距離を取ろうとして槍弓がすったもんだする話です。直接ではありませんが、狂王黒弓を臭わせる描写があります。
※FGOカルデア時空、人理修復前のどこかの時点の話。
※真名バレ含みます。
※霊基やサーヴァントの記憶に関して自己解釈・捏造があります。
※マスターは男性、名前は藤丸立香です。
8月インテの無配でした。初めて書いた槍弓なので、無配とはいえ本の形になって嬉しかったです。受け取って下さった方々本当にありがとうございました!
色々おかしい所や不安定なところが多々あるかと思いますが、細かいところには目を瞑ってお読み頂けたら幸いです。
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「やっぱ医務室行った方がいいよ、ランサー」
「大丈夫だって、心配性だなマスターは」
「だってさぁ……」
ふと耳に入ってきた名前に、キッチンで一心不乱に夕食の仕込みをしていたアーチャー・エミヤは顔を上げた。
ドヤドヤと会話しながら食堂に入ってきた団体は、このカルデア唯一のマスター、藤丸立香を中心とした本日の周回帰りのメンバーだ。
耳に入った「ランサー」とはクラス名だが、このカルデアでマスターがそう呼ぶのは「ランサークラスのクー・フーリン」の事に限る。
同じクラスが大人数いるこのカルデアで、本来ならばサーヴァントをクラス名では呼ばないのが常だ。
けれどマシュ・キリエライトを例外として、最初に召喚に応じたサーヴァントがキャスタークラスのクー・フーリンだった事、そして立て続けにランサークラスのクー・フーリン、プロトタイプのクーフーリンが召喚された事、その他諸々の理由によって、マスターが彼らを真名でなくクラス名で区別して呼ぶ事は自然な成り行きで、やがてそれは定着してしまったのだった。
ちなみに大分遅れて召喚されたクー・フーリン・オルタの呼び名は「オルタ」である。
そして今、食堂にマスターと共に入ってきたメンバーも、そのクー・フーリンという名前を同一にする、ランサー、キャスター、オルタという顔ぶれだ。編成としては一見偏っているようだが、マスター……藤丸立香という名のまだ年若い少年は、初期から自分を導き、共に戦ってきたクー・フーリン達を度々「アニキ」と呼んで信頼しているし、精神的なサポートも兼ねて彼らが常に周回メンバーに組まれている事は、他のサーヴァントも承知の上だった。
これがセイバークラス相手の戦闘だった場合、エミヤもそのメンバーに入る事になる。
本日は留守番&キッチンの住人であったエミヤは食堂の壁時計をチラリと見やる。周回が終わるのは、いつもならもう少し遅い時間の筈だった。けれど交代や疲労や怪我人が出た場合は、途中で切り上げ食堂で休憩を取る事もある。――どうやら今回は、その怪我人がランサーらしい。
珍しいな、と思いながら、人数分の紅茶と菓子を用意する。
ランサーを囲むようにして座る彼らをチラと伺うが、一つに束ねた青い髪に乱れはなく、青一色の戦闘服に覆われた体躯にも目立った外傷はない。会話を聞くに、キャスタークラスのエネミーから何らかの状態異常の攻撃を受けたらしい。けれど目立った異常が現れていないため、マスターが医務室に行かなくていいのか、と確認しているらしかった。
生来、野生的でやたらと医療行為を嫌う彼の事だ。マスターとキャスターに囲まれて苦笑してヒラヒラと手を振っているが、明らかに医務室に行く事自体を嫌がっていた。
紅茶とケーキを乗せた大きな盆を両手に持ち、その会話の中心に近づきながら、エミヤの眉根に皺が寄る。
「マスター、お疲れ」
「エミヤ、そっちこそお疲れ様……あ、やった!シフォンケーキだ!美味しそう!」
「こちらの器に生クリームとオレンジのジャムが入っているから好きなだけ取ると良い。周回帰りなら早めの夕飯を取らせてやりたいところだが、仕込みがまだでね。少し重めのおやつになるが」
「あ、うん今日は少し早めに切り上げちゃって」
「聞いていたさ。どうせランサーの注意不足だろう。丁度良い、ついでに医務室でその緩い頭の具合でも見てもらったらどうかね」
後半はランサーを見下ろしながらの言葉だった。言葉と同様、揶揄うような皮肉気な目線と表情で。
マスターが心配するのだから、駄々を捏ねずに医務室に行くぐらいしろ、という忠告を兼ねてのつもりだ。
あああ……と早速生クリームをせっせとシフォンケーキの横に盛りながら、立香は緩くため息を吐く。
エミヤの皮肉、その売り言葉に速攻でランサーの買い言葉が打ち返され、それが物理の応酬になるのがカルデア日常茶飯事風物詩だ。だから今日もまた頭上で喧嘩が始まるのかぁ、と身構えて。
――が。
聴こえてきたのは、ぎゃんぎゃんと噛みつくようないつもの怒鳴り声ではなく。
「馴れ馴れしい。見慣れぬ奴だが、なんだ、貴様は」
ひどく硬い、氷のように冷えた声音だった。
「は……?」
エミヤは思わず、絶句して向けられた赤い瞳を見つめ返す。ピジョンブラッドの色彩。いつも、激情や熱を込めて輝くそれは相変わらず美しかったが、今はひどく無機質な宝石のようだった。
その瞳を向けられ、反応を返せないエミヤの真下で、「ゔぇっ!?」と素っ頓狂な声を出して立香が硬直している。テーブルを挟んだ向かい側では、キャスターが「マジかよお前」とでも言いそうなドン引きした顔でランサーを見ながら身体ごと仰け反っていた。その横で石の塊でも噛んだような渋面で、オルタが頬杖をついたまま目線だけを上げている。
ランサーはそれに気づかず、ガタンと椅子を倒して立ち上がった。
「初対面の癖にいきなりの侮辱とは、無礼にも程がある。見たところ丸腰のようだが、勿論それ相応の覚悟はあるのだろうな」
手には瞬時に顕現した赤い槍。それを威嚇も込めて振りかぶろうとした時。
キィン!と空気を震わせて赤い閃光がランサーの視界を走って覆う。
「だっからオレ医務室に行こうって言ったじゃん、もぉぉーー!!」
エミヤのシフォンケーキ食べ終わってから気付きたかったなぁ!
そう悲痛な声で絶叫し、涙目で赤く光る手の甲の令呪を掲げたマスターによって、食堂でのその騒ぎは強制的に仲裁されたのだった。
* * *
このカルデアという一風変わった陣営に召喚されて以来、珍しい色の髪や瞳を目にするのには慣れている。
けれどそいつの色、その無彩色に、その時ランサーは目を奪われた。
乳白色の髪。薄い墨を刷いたような、鈍色の瞳。褐色の肌。
決して目を引く強い色ではなかった。むしろ纏った赤い外套の方が派手だ。なのに、印象的なのはその地味な筈の灰色の目。いつのまにかマスターに近寄り、魔法のようにケーキやら紅茶を並べ始めたそのアンバランスな色彩の男を見ながら、見 知らぬ顔だな、と思う。
こんな奴、ここにいたか?新入りにしては、やたらとマスターと親し気だが。そう記憶を手繰るランサーの視界で、一見、無機質で無感情に見えるその硬質な瞳がマスターに微笑みかけて、そうすると柔らかく、あたたかい色なのだと知る……いや。
知っていた、気がした。
(?)
会った事のない奴の筈だ。
そう思って見ていたら、目が合った。
途端。
皮肉気にその瞳を細めて、そいつが言う。
「丁度良い、ついでに医務室でその緩い頭の具合でも見てもらったらどうかね」
自分に向けて言われたのだと瞬時に理解し、怒りが込み上げる。
初対面の奴からの無礼に対する怒りか。それとも。
うつくしいと思ったそのあたたかな色が、自分に向けられたその時だけは冷えていた、その事にか。
その時はわからなかった。ただ、頭に血が上って。
「馴れ馴れしい。見慣れぬ奴だが、なんだ、貴様は」
そう返して。
そいつが、目を見開く。
驚いたようだった。それから、まぁるく開かれた瞳が、まるで磨かれた鏡に瑕が入ったように――そう。傷ついたように、一瞬光って。
俺が傷つけたのだ、と。
そう思った瞬間。
ざっと、血の気が引くような心地がした。
(なんだ?)
自分の感覚に違和感を覚えて眉を顰めるが、思い当る理由がない。
だから、きっとそれは怒りなのだと思っていた。
その時は。
* * *
「結論から言うと、霊基に筋状の傷が入っているね」
何度か霊基のスキャンを行った医務室スタッフから渡された結果を見ながらダ・ヴィンチはこともなげにそう言い放った。
「そ、それは……大ごとなのでは」
ごくり、と唾を飲み込みながら立香は恐る恐るお伺いする。
霊基に傷。致命傷を受けた時に聞く言葉のように思える。
その不安を受けて、ダ・ヴィンチは安心させるように微笑させると、片手に持ったペンをふりふりと否定するように横に振った。
「傷といっても、霊基の核には全く触れない程の浅く、細いものさ。外見や、戦闘能力に影響はない。ただ、その筋の中が欠けて、空になってる。何が欠けてしまったのかというと、すなわちそれが記憶だよ」
「記憶?」
「うん。いくつか質問をしたけど、彼、今回の限界以外の召喚の記憶を失ってるんだよね」
「え?」
「彼は、ここ以外でも何度か別の聖杯戦争で召喚されているだろう?通常サーヴァントは別の召喚での記憶は持たなかったり朧気である事が多いけど、彼は割としっかり別の召喚時の記憶を保持していた筈だ。それが無いんだよね。今回の現界に関しては、呼ばれてからの記憶はきっちりあるんだけど、今回の召喚に至るまでの道筋というか……今回以前の召喚に関してが、ね」
『召喚された事がある』という認識はあるし、それらの聖杯戦争の結果や経過も、『記録が残っている』と認識してはいる。けれど細かい経過や人間関係、『記憶』としての部分がない。つまり中身がない。
「だから筋状の空洞だと言うのさ、私は」
「そんな……」
だから、何度か……いや何度も、同時に召喚された筈のエミヤを覚えていなかった訳だ。
あんなに、自分でも「運命」とすら口にした程に、因縁のある間柄なのに。それを自覚している筈だったのに。
「でもホラ、今回の現界には影響が無い訳。だから能力値にも影響がないし、それにホントに浅い傷だから、明日か明後日か……まぁ一日そこらで治りそうだね。だから本人もじゃあいいやって帰っちゃった訳だよ」
珍しい症状だからもうちょっと実験……もとい診察に付き合って欲しかったなぁ、とどこかのマッドサイエンティストのような事を言いながら、ダ・ヴィンチは椅子に座ったままくるりと回る。
その前で、立香はすん、とどこか沈痛な表情で頷いた。
「うん、わかった。……エミヤに伝えておくね」
「エミヤくんに?――ああ、食堂でひと悶着あったんだって?」
「うん……」
「それで、なんでキミがそんなに落ち込んでるのさ?あの二人が揉め事起こすなんて今更、日常茶飯事だろ」
「ううん……そういう、いつもの喧嘩なら良いんだけどさ、いや良くはないけど。今回のはそうじゃないないから……」
「ああ、なるほどね」
もはや日常茶飯事になった彼らの喧嘩という名のコミュニケーションを思い起こしながら、ダ・ヴィンチは頷いた。
「しかし君が傷つく事ではないだろう?」
「うん、だからだよ。俺の事じゃないから」
どうにもならないっていうか。
落とされた台詞に、ダ・ヴィンチは目を伏せて苦笑した。
それは、一理ある。
そして繊細で優しい彼らしい、とも思った。
ダ・ヴィンチの元から戻るその足で立香がキッチンに赴くと、赤い弓兵は夕飯直前の準備に追われているようで、くるくると忙しそうに動き回っている。その表情はいつも通りの眉根に皺を刻んだ仏頂面だったが、寄って来る立香に気付くと、途端にふ、と目元を和らげた。それがこちらを気遣ってのものだと知っていたから、そういうところなんだよな……と思いつつ、 立香は彼に聞いたまま、ランサーの状態を伝える。
赤い弓兵、今はキッチンの英霊の反応は、「そうか」とあっさり頷いただけだった。予想通りだな、と立香は思う。
「あれの戦闘能力に支障が無いのなら良かったさ。カルデアにとっては貴重な戦力だ。私にまでわざわざ伝えに来てくれて、気遣いいたみいる、マスター」
「ううん。……あのさ、エミヤ」
「うん?」
「一日か二日で治るらしいから、ランサーが戻ったらまた喧嘩しなよ」
「ふ、いつも喧嘩するなと言っているのは君だぞ」
「そうだけどさ……喧嘩じゃないでしょ、今回のは」
ダ・ヴィンチに言った事と同じ事を言う。
けれど同じような納得は返ってこなかった。
かわりに、どうしてそんな事を?と不思議そうな顔をされる。エプロン姿で髪を下ろし、首を傾げる彼はそうしているといつものイメージよりもずいぶんと幼く、あどけなく見えた。どこかこちらが不安になるくらいに。
「喧嘩はしないさ、もう」
「……」
その言い方や、何かふっきれたような――諦めたような、邪気のない笑顔。
(ああー……これは)
エミヤが自分で納得したなら、こちらが何か言うべき事はない。
けれど、それが本当に「自分だけで納得した」ような、完結した笑顔だったから。
(これは拗れる気がするな……)
立香は遠い目をした。
こういう時の、自分の勘は妙によく当たるのだ。
別に嬉しくはない。
* * *
翌朝、エミヤが部屋から出ると、廊下にトゲトゲした黒くてデカい塊……もとい、クー・フーリン・オルタがいた。
「ん?おはよう?」
「……」
反射で挨拶をしてから首を傾げるエミヤに、狂王、と呼ばれる彼はそう呼ばれるに相応しい威圧感たっぷりの視線をくれると、のそりと近寄って来る。
鋭い眼差しに見下ろされながら、なんだろう、とエミヤは斜めにした首の角度を更に深くした。彼の部屋はもっと遠くだし、彼が日頃気にかけている、もう一人のエミヤ……いきなり記憶を飛ばして迷子になる、エミヤオルタの部屋へは道が違う。
それとも。
「……もしかして、君が道に迷ったのだろうか」
「いや、違ぇ」
「うぉ」
低い声と乱雑な仕草で顎を掴まれ、思わず声を上げて仰け反る。初対面であったなら、食われるか殺されるかを想定して臨戦態勢に入っていたところだ。
が、今は、それが彼にとってのただのコミュニケーションであると知っている。
仕草や思考が本能的で獣に近い彼は、接触や距離感もどこか獣のような、直接的なものだ。クー・フーリン達の中でも、心を許した者に対するパーソナルスペースがやたら近いのも、実は彼だった。
「……フン、いつも通りだなてめぇは」
「は?」
他のクー・フーリン達と比べるとエミヤの方が若干頭身が高くほぼ同じ筈の目線は、彼の場合は随分と上で、結構なプレッシャーを注がれる。
何かしただろうか?と昨日の言動を振り返ったが、昨日食堂で会った時も、例のランサー記憶喪失の騒ぎで会話もしていなかった筈だ。
ぐるぐる考えていると、その頭にぽん、と手を置かれた。
「は???ちょ、オルタ……」
黒に覆われた大きな手でぐりぐりと白髪を撫で回され、撫で上げた髪が落ちる。
「???」
「……どうせあいつはすぐに思い出すぞ」
「え?……あ」
されるがままに頭ごと髪を掻き回され、若干頭のふらつきを覚えながら、もしかして、とエミヤは瞬いた。
「記憶を失うのは、別に槍の俺のせいではないがな。……お前は慣れてないだろう」
忘れられる事に。
そう囁くように言われて、じっとオルタを見上げる。
「……君」
慣れてない、自分のために。
慰めを与えに来てくれたのだろうか。
慣れている彼が。だから、と、わざわざ?
「……ふ、いや、ありがとう」
その心遣いに眉尻を下げて、エミヤは眦を和らげた。
「君は気にしているのだろうか。黒い私に忘れられて、その」
「誤解するな、それは俺の特権だ、アレを気にはかけても、そこを気になどしていない」
フン、とそっぽをむいた彼に、思わず苦笑する。
「……時々、君のその複雑さはどこから来たのかと思うな」
その見た目からは、誰に対しても、何を対象にしても凶暴で大雑把でいそうでいながら、実のところで懐に入れたものに対しては驚くほど繊細で寛容だ。つまり優しいのだろう。
抱き寄せられるようにして近い距離で、エミヤはふふ、と吐息に混じらせて笑った。頭に置かれた手の平をやわらかく掴めば、ひやりとその手が冷たい。
「君、体温が低いな。もしかして腹が減っているんじゃないか?」
何か作ろうか。
そう、言いかけて。
「オイ、何してやがる」
低い声で横槍を入れられた。
声だけでなく、背後から物騒な殺気。
距離が距離なら、横槍がそのまま物理の意味になっていただろうと確信するような。
振り返らなくても分かったが、ゆっくりと体の向きを変える。
予想通り、剣呑な表情でこちらを睨むランサーと、その後ろをバタバタと走って来る立香がいた。
「ちょっとランサー、いきなりスピード出さないでよ……あ、エミヤおはよう……ってオルタ!こんなとこいたの、探したよ!」
ああ、確か、とエミヤは今日のマスターの予定を振り返る。朝一番に、クー・フーリン達との戦闘訓練だった筈だ。
おそらく、集合場所に見当たらないオルタを迎えにきたのだろう。
寄り道をさせて悪かったな、とチラリと狂王に視線をやってから、立香に向けて声をかける。
「ああ、おはようマスター。――なに、たまたま彼に会ったので、夕飯のリクエストを聞いていてね」
「えっオルタにだけずるい!オレにも聞いてよ!」
「では、訓練が終わったらご褒美に明日のリクエストを聞くとするかね」
「やった!考えとくね」
エミヤははしゃぐマスターにふっと笑うと、不自然にならない程度の伏し目で視線を流し、ランサーに一瞥をくれる。決して目が合わないように。
「オルタを引き留めて悪かった。では、失礼する」
咎めようのない礼儀正しさで一礼をし、そうして相手の反応を待たずにその場を去った。
* * *
「……」
ランサーはイライラしていた。
あの赤い弓兵だ。弓兵なのだとは後から聞いた。全然そうは見えない。キッチンの英霊とかバトラーとかの方がしっくりする。
聞けば、こちらが忘れているだけで、その事をマスターや槍なしの自分が驚くくらいには旧知の仲だというではないか。
頻繁に喧嘩もしていたらしく、過去には殺し合う関係でもあったらしい。その話だけ聞けば、決して仲が良い訳ではないと思えるが、けれどそれだけではない、と、自分とあの弓兵を語る人間の目は言っていて。
その曖昧なところを、どこか納得する自分もいた。
それなのに。
なのに、相手は、あの男は、そんな事は知らないとばかりに、ランサーが彼を忘れた事を気にもしていないようで。
今だって、オルタの自分と何やら親し気に近距離で話していた。髪を下ろして笑う姿は昨日見たときよりも幼くて、その力の抜けた笑顔に一瞬戸惑う。
思わず声をかけていたが、声をかけなければ、奴はこちらを振り返ることすらしなかっただろう。
気付いても、マスターには気の抜けた顔で挨拶をしておいて、こちらには畏まった顔で。
綺麗な仕草で、他人行儀に会釈なんぞをして。
ただそれだけで、去って行った。
まるで、あちらこそが自分を忘れたように。
凪いだ灰色の瞳は決して傷つかない、鍛えられた剣のようで、こちらと目を合わせなかった。
――あの時、あんな瞳をしたくせに。
「いいの?」
「っ……」
下から声をかけられて、ランサーはハッと思考を戻す。赤い背中を目で追ってしまっていた事に気付き、慌てて声をかけてきた己のマスターへと視線をやった。
「あ?何がだよ……って、なんだそのツラ。マスター、俺を責めるつもりか」
「ううん、まさか」
どこか憂うような表情で、彼は青い瞳をじっとランサーに向ける。
「だって、多分後で自分を責めるのはランサー自身だと思うから」
オレのすることじゃないよ。
そう、どこか預言者のようなことを言って、目を細めた。
(――あれ、こいつ)
どこかで、似た奴を知ってる、と、思う。
黒い髪。
見透かすような、青い瞳。
凛として冴えた、透明な視線。
同じ目を知っている気がした。
全く同じ色ではない。けれどよく似た……強い意志の宿る、真っ直ぐな瞳。
混じりけのない黒い髪の……女?
けれど思い出せない。おそらく、欠けている記憶とやらのせいだろう。
「……チッ」
舌打ちして、もやもやとしたものを振り払うように、ぶんぶん軽く頭を振る。
青い髪の軌跡が、忘れさせないとでも言うかのように、視界の端で鋭く光を弾いた。
後で自分を責めるだって?
何のことだ。
* * *
「――っあーーークッソ!」
ガン、と殴られたような衝撃で目が覚めて、ランサーは叫びながら体を起こした。
「……これの事かよ……」
夜中、それはいきなりだった。
欠けた記憶とやらが、一気に戻って来た。
聞いていた話では一日かそこら。時期も合うし予想もしていたし、別に外傷も痛みもなかったが、戻って来た情報量としては霊基に衝撃を受ける程で、それで内側からたたき起こされたらしい。
「っくそ」
呻いて額を押さえる。
壁に頭を打ち付けたい気分だったが、生憎と打ち付けられる位置に壁がなかった。なのでもう一度同じ台詞で毒づいて、強打を免れた頭を抱えて蹲る。
「あー……」
失敗した、と思った
吐き気すらする。
思い出した。そして覚えている。
なんだ、貴様、と誰何した己の声。
その声に、驚いて見開かれた鈍色の瞳。
そして、諦めたような笑顔。
去っていく背中。
ひらりと、視界を消えた赤い外套。
失敗した。もう一度そう思う。
なぜだか、そう思った。
* * *
……距離を取られている。
ギリ、とランサーは罪の無いフォークの先を噛んだ。
尖った犬歯に鉄が当たり、不快な音がする。
不覚にも軽い霊基異常でプチ記憶喪失を患い、その後記憶が戻ってから一週間ほど経つ。
あの夜、結局も一睡もしないまま朝を迎え、記憶が戻ったと報告すると、己のマスターは顔を輝かせて喜んだ。騒がせて悪かったな、と謝るランサーに、立香はぱたぱたと手を振っただけだ。
「オレは別に支障なかったし。それよりエミヤにちゃんと言っとくんだよ」
「あー、そだな」
そんな会話の後で、ランサーは重い足取りで朝から食堂で動き回る弓兵の元へと赴いた。
記憶が戻った事を伝えれば、きっと厭味の一つや二つ、小言の三つや四つも返って来るのだろうと思いながら。
まぁ今回は完全に自分の失態だし、そのせいでエミヤに吐いた言葉に関しては気まずい思いもしている。だから今回ばかりは反論も無しに、大人しく聞いてやるつもりで。
けれど、記憶が戻った事を伝えれば、キッチン越しに彼は「そうか、それは良かった」と鷹揚に頷いただけだった。
厭味の一つもその口からは出てこず、なんだ、拍子抜けするな、と若干もやもやする気持ちを持て余しながら、ランサーはその時踵を返したのだ。
けれど。
それきり、エミヤとの会話がない。どころか、目も合わない。
……で、一週間。
舌打ちをしたくなる。
あんなにあっさりした反応を返しておいて、実は結構怒っているんじゃないか。いや、忘れられて怒るような奴でもないのは知っている。
(じゃぁなんなんだよ、ったく)
最初の2,3日、会話が無かったのは、ランサーがなんとなく後ろめたくて切っ掛けもなかったため、こちらから話しかけていなかったからだ。けれど、その数日が過ぎて気付いた。
こちらから話しかけていないという、ただそれだけで、会話が無い。目が合わない。
今までなら、こちらから話し掛けなくても、厭味や、ちょっとした世間話のような話があちらから投げられていた。
戦闘で傷を作っていたらチクリとした厭味と共に傷の具合を確認されたし、食堂で肉ばかり選んでいたら野菜を勝手に足されたし、逆に取る量が少なければ皮肉に仄めかして調子が悪いのかと心配される。
今のように、食事をしながらテーブルに肘をついてフォークを噛む、などという行儀の悪い行為を見咎められたら、小言が雨のように降ってきた筈だ。
いかに、あちらがランサーを細かく見ていたのか、そして気にかけていたのかがわかる。棘のある言葉の応酬や物理的な喧嘩ばかりだったけれど、それで奴なりに、自分から距離を近くしていたのだ。
その全てが、この数日ゆるやかに失われていた。
今も、エプロン姿の彼はいつも通り忙しそうにしていて。誰かに話し掛け、細かく気を使い、世話を焼いて。
ランサー以外の人間に笑いかけている。
以前は、その対象に必ずランサーが入っていたのに、むしろ、ランサーに対するその比重が重かった気がするのに。
気のせいや自惚れではなく……いや、もしくは、自惚れていたのかもしれない。
あいつの懐に一番近いのは自分だと。
――わざと、そうしていた自覚はあるが。
それでも、苛々する。
ぎり、とそろそろ折れるのではないかという執拗さでフォークを噛んでいたら、カタ、と隣の椅子が引かれる音と、誰かが座る気配。横目で見れば、マスターだ。
苛々しているランサーの視線の方向を正しく見て取ったようだった。イタダキマスと、聞き慣れた挨拶で丁寧に両手を合わせてから、彼は箸を片手に目線だけでランサーをちらりと見上げた。
「まだ仲直りしてないの?」
深刻に心配する訳でもなく、かといって揶揄うでもない、どこか呆れた色を乗せた軽い調子のその問いに、ランサーは肩をすくめてみせる。
「いや、仲直りってか……あいつが怒ってるだけだろ」
「エミヤは怒ってなんかないでしょ。……あ、だからか」
兄貴がイライラしてるのは。
「……」
痛い所を突かれて、ランサーは不機嫌に犬歯を剥いて威嚇する。
「見透かしたような事言いやがる」
いや、実際、見透かしてるのだが。
唸るような低い声に、立香は怯む様子も見せずに笑った。
「だってランサーが言ったんだよ、馴れ馴れしい、なんだ貴様はって」
「は?」
何のことだ、と問いかけて、それが記憶を失っていた時の、エミヤに向けた己の台詞だと気づく。
それを復唱されて、ランサーは目を瞬かせた。
「記憶が無かったんだから、しょうがないけどさ。知ってる人に、知らないって言われたら、言われた方はそりゃショックじゃん。しかもエミヤだよ。その後どういう思考回路になるか想像するだけで恐ろしくない?エミヤだよ?」
「……おい」
エミヤがエミヤである事を二度も言われて、この少年があの赤い弓兵をどう捉えているのかが知れる。
しかもそれはおそらく正しいので、違うとは言えずにランサーは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「ランサーのせいじゃないのは誰だってわかるよ。でも、それを撤回も謝罪もせずに、どうしてエミヤの方がそこに入った傷を修復してくれると思うの」
「そりゃ……」
ランサーは珍しく口ごもった。
傷、という言葉に、思い当る事があったからだ。
あの時、鏡のような瞳に、浮かべたあの色。
気にするような奴じゃない。
怒るような奴じゃない。
けれど。
そういえば、その言葉に対する謝罪や撤回は、言っていなかった。
奴が鏡のような瞳に浮かべた色。
――それが傷だと言うのなら。
湖に青いインクを溶かしたような透明度の高い瞳で、少年がランサーを見上げた。
「逆に言えば、エミヤが傷ついたのはそれが貴方から出た言葉だったからだよ」
「っ……」
見透かす目の蒼。
年若く丸みの残る頬を、強く縁取る黒の髪。
ふわりと蘇る記憶に、ランサーは思わず仰け反った。
どこかの街の、どこかの戦場で。奴と同じく鮮烈な赤を纏った、あのマスターの少女。
そうだ、記憶から欠けていてさえ、あの少女の、あの強い意志が宿る瞳は鮮烈だった。
碧玉のようにも見えて、けれど夜、あの目はみどりよりも、夜に輝く一等星のように、強く真っ青に煌めいて見えるのだ。
このマスターのように。
「……お前、やっぱ俺の知ってる女に似てる」
「へぇ、どんな人」
「悪魔みてぇな黒髪の魔女」
興味深げにこちらを見上げて来る彼へ、投げ槍にそう言い捨てる。わざと悪く聞こえるような言い方だったが、立香は少し目を丸くした後、怒る様子なく、それどころか少し嬉し気だ。
なんだ?とその反応に首を傾げると、彼は「だって」とにんまりと笑ってみせた。
その青い瞳を煌めかせて。
「それって褒め言葉でしょ」
それもとびきりの。
「……」
まったくもってその通りだったので、ランサーは苦笑して肩を竦める事しかできなかった。
しみじみ思うが、本当に自分には珍しく、今回の召喚ではマスター運が良いらしい。
* * *
標的の男は、予想通りキッチンにいた。
誰もが寝静まった夜更けに、せっせと明日の朝の仕込みをしている。おそらく日課なのだろう。
赤い礼装は今は解いていて、腕が露出した黒のインナーだ。そうしてラフな格好で髪を下ろしていると、若く、というより幼く見える。その姿で夜にひとり、背筋を伸ばして黙々と、明日の誰かのためにと尽くす姿は、なんだか無垢で、ひどく居た堪れないような気がした。
心を締め付けるその感情を振り払って、ランサーは薄暗い食堂の真ん中を歩きながら短く声を響かせる。
「よぉ、アーチャー」
「……何だ、君か。キッチンに何か用だろうか」
気配で気付いていたのだろう。エミヤは特に驚く様子も見せず、チラリとこちらに視線をくれたきり、手元の野菜を高速で切り刻んでいる。手を止める気は絶対にないという意思表示だろうか。
「いや、あのさ」
がしがしと頭の後ろをかきながら、カウンターのスツールを引いて軽く腰かけると、調理場越しの弓兵へ乗り出すように、その正面へと肘をついた。
「この間記憶を失っていたときに、俺がお前に言った事を撤回してなかっただろう。だから」
バツの悪そうに、珍しく口ごもりながら言うランサーに、エミヤは顔を伏せたまま、一瞬驚いたように少しだけ目をまるくした。けれどそれも本当に一瞬で、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ると、皮肉気に唇の端を上げる。
「何を。別に君が気にするようなことではないだろう。それくらい知っている」
ふ、とわざとらしく苦笑する顔は、やはりどこか硬い。
気に入らないな、と思う。
「ふぅん。でも、お前はそれを真に受けたし、今もそうなんだろう」
「……そんなことは」
「ある」
強い調子で断言して切れば、エミヤはそこで初めて顔を上げた。ランサーをどこか呆れたように見て、不思議そうに首を傾げる。
「君、何をそんなにイラついているんだ」
「苛ついている?……いや、そうだな。正直言うと、割と焦ってる」
「君が?なぜ」
「お前が逃げるからだよ」
「は?」
指さされて、不審げな顔でエミヤが眉根を寄せた。さすがに調理の手も止まる。それを良い事に、ランサーは獲物を逃すまいと、睨むように視線を定めて、ゆっくりと告げた。
「なぁ。お前のことを傷つけて悪かった」
「傷ついてなどいない」
「……そう言うと思った」
あんな顔しておいて。そう呟くと、エミヤが益々渋面になる。
「あんな顔?あいにく、変な顔は元からだ」
「へえ、素なのかよ、あの可愛いのが?」
「は?」
もう一度、先程と同じ疑問符を口から吐いてエミヤが固まった。しかしどうせ頭の中では、高速でロクでもないことを考えているのだろう。ここできちんと言っておかないと、このまま変な距離を取られ、下手したらそのまま逃げられる気がする。――いや、確信がある。
(こっちはやっと自覚したっていうのによ)
まったく、とランサーは深く溜息を吐く。
この期に及んで、この男は気付いてないのだろうか。
ランサーに知らぬ顔をされて、あんな。
傷ついた、切なげな顔をしておいて。
「エミヤが傷ついたのはそれが貴方から出た言葉だったからでしょう」、そう言ったマスターの言葉。
それを思い返せば、けれど自省の念と共にこみ上げてくるのは薄暗い歓喜と興奮なのだから自分も性質が悪い。
「いつもなら、ちょっとおかしくなった俺の言葉なんざ、真に受けるようなお前でもあるまいに」
苦笑を混じらせて言えば、エミヤの眉間にむ、と深く皺が寄る。
「君はおかしくなってなどいないさ。考えてみれば当たり前の事だっただけだ」
「あ?」
「この度の召喚は少し特殊だろう。召喚されて顔を突き合わせる英雄達、皆が同じ陣営で……一緒に世界を救うなんてな。はは、私も少し浮かれていたのかもしれない」
「……つまり?」
「なに、君の言う通りだなと思ってな。私の態度は君にはさぞ馴れ馴れしかっただろう」
「……は?」
ケルトの大英雄様相手に。
段々と剣呑になるランサーの声に、エミヤはそう言ってハン、と皮肉気に笑ってみせる。
けれどまな板の上に置かれた包丁を硬く握る手には筋が浮いていて、彼の態度が虚勢であることを知らせた。その虚勢を、彼は諦め悪く張り続ける。
「友人でもないのにな」
「……まぁ、友人ではねぇな」
ランサーの相槌に、エミヤの眉間に寄る皺が、更に深くなった。
「……そうだろう」
瞳の陰りが暗く、濃くなっていることに、自分では気づいていないのだろう。そんな彼を、ランサーは座る位置からじっと見上げて付け加えた。
「そんなお綺麗な一言で済まされたくはないわな」
「……うん?」
聞き返すエミヤに、ランサーは面白くなさげに頬杖をついた。エミヤの言葉を頭の中で反芻する。
言ってる事はおおむね気に入らないが、つまり要約すると。
「つまり、お前はビビってるってわけだ」
わざと挑発するような言い方をした。
「……」
一瞬、むっとした顔をして、けれどエミヤは反論しない。
そうだ。
彼は怯えていると、そう告白したのだ。
記憶を失ったランサーからの、他人行儀な言葉で、初めて気づいた。思い出した。
誰だお前は、そう問われる、そんな関係になる事。
その可能性も十分にあったこと。これからも有り得ること。
それなのに、そんな事を忘れる程には、当たり前のようにこの状況を関係を享受していたこと。
そして、そんな甘えていた自分に気づいて。
恥ずかしくなった――と。
そう言っているのだ。
本当に、素直じゃないし、感情も複雑なくせに。
(根本的に根が真っ直ぐなんだよなぁ)
だから、わざと罠のようなことを言ってみる。
「それとも、忘れられても構いはしないと思う程には、俺に露程の興味もなくなったか」
「違う!」
案の定、エミヤは反射のように強い調子で即座に否定した。
その返答にランサーがにんまりと赤い目を細めたので、ハッとして悔し気な表情になるがもう遅い。
何度かその薄い唇を開いて、閉じて。それから、彼はほろ苦く溜息を吐く。
「そんな事ではないんだ。ただ」
そして薄墨色の瞳を伏せて、唸るような声で呟くように言った。
「ただ、オレは……」
ほんとうにちいさな声で、聞き慣れぬ一人称で。
「近い距離を当たり前だと誤解して、君に、ただの無礼な知らない男として見られるのは、もう嫌だ」
その静かな告白に。
ランサーは一瞬、青い髪の毛先が逆立つような感覚を覚えた。
目の前の相手から零れ出る本音、その弱気に。めったに見せない彼の怯えに。
たまらなく興奮する。
上擦りそうになる声を抑え、低く告げた。
「言っておくが誤解じゃねぇぞ」
「え……?」
「近い距離も俺の馴れ馴れしい態度も誤解じゃねえ。気のせいじゃない。お前に距離を取られるまで無自覚だったが、けれど意識的にやってたってのも確かにあった」
ここには英霊がごまんといる。
エミヤが憧れてやまない存在が。
一方で、そのエミヤは自分は決してそんな輝かしい者ではないと、そこから遠く、まがい物として在る身だと、己をそう思い込んでいる。
けれど、彼はまったくの無自覚だが、そんな彼を、自分を軽く扱い、他人を大事にし、いつも誰かのためにと心を砕き、時に口うるさく世話を焼き、誰にでも優しいこの男を、慕う者は多い。これからだって増えるだろう。そのうち本気出すような馬鹿が出てこないとも限らない。その予備軍ならそこら中にいる。
だから、牽制の意味のあったのだろう。
並みいる英雄達相手に、無意識に、けれどわざと。「俺はこいつの特別だ」と、自然に示すように。
これは俺のものだ、と。
ランサーはそういう態度をとっていた。
そこまでしておきながら、己はあっさりとエミヤを忘れるような事態に陥ったのだ。
それは反省している。
「俺はな。……俺は、もしもお前が逆の立場で、俺の事だけ忘れなぞしたらそれはもう暴れまわるくらいには激怒すると思う」
「は?いや迷惑な。第一あのパターンは誰のせいとかいうものでも……」
「それでもだ」
それが別に、誰もせいでもなくても。
一度座に還って、という状況ならまだしも、「ここ」で、忘れられるなんて、冗談じゃない。
「そしてお前にだって、本当は俺がお前を忘れたら怒って欲しかった、と、思ってる」
「?なぜ」
まぁるく開かれた瞳。
本当に分かってないんだな、と思う。
白い髪、灰色の瞳。
無彩色の男。
確かに、はた目には色のない武骨な男だ。
それなのに、実際に剣を交わし、つがえた矢を射られ、槍を突き立て、そこで溢れるのは鮮やかで強烈な赤、そして極彩色の複雑な感情。――いや、そのビビットな感情を、実際覚えるのはこちらだけで。
自分はその無彩色に似合うようにと、つまらないようなツラをしておいて、ただこちらの感情を鮮やかに映し出す。
その瞳に、鏡のように。
今だって、こっちの想いを知りもせず、ただ映し出しておいて、自分は困ったような、きょとんとした顔をしている。
――そう、結局、いつだって、振り回されてるのはこちらなのだ。
こっちは一世一代の――いやもう死んでいるのだが。一世どころではない、何巡目かの死後を生きて、初めて自覚して、手を伸ばそうとしているのに。
そうだ。めったにない奇跡なのだ。敵としてではなく、手を伸ばしたら触れる距離にこいつがいる。
(一方的なのは気にくわん。だが)
気にくわないというだけで、驕り、その奇跡に甘んじているだけでは、英雄の名折れだ。
いつだって、欲しいものは自ら赴いて手に入れてきた。己はそういう男の筈だった。
「俺はあの言葉を、自分の意思によるものでなくても後悔しているし、むざむざそんな言葉を吐く状況に陥った事を反省してる。それはもう、苦い思いをしている」
なぁ、アーチャー。
馴染みの呼び方を口に乗せ、夜に添うよう低く囁いて、ランサーはぐいと身を乗り出した。
視界を覆って青と赤い視線を至近距離に寄せられ、エミヤが逆に仰け反る。
「その事を水に流せとは言わないが、どうかこの悔いと反省を、償いとしてはもらえないか」
お前に他人のような顔をされるのは、俺にとっては忘れられるほどに辛い。
そう、静かに告げれば。
エミヤは仰け反った姿勢のまま、その見事な体躯をがっちりと固まらせたまま、動かなくなった。
生焼けのゲテモノ肉を飲み込んだような顔で。
その珍妙な表情に、ランサーの口がへの字に曲がる。
「なんだよ」
「……君、自分の顔と声が良い自覚があるのか」
「あぁ?」
思わず、腹から唸るような凶暴な声が出た。こっちが珍しく、真面目に本気に言っているのになんだ、その感想は。
が。
困ったように眉尻を下げて、エミヤが言う事にランサーの身体から一気に力が抜ける。
「その顔と声でそういうことを言うと、まるで口説いてるみたいだぞ」
「……お前な」
くどいてんだよ、と怒鳴りそうになるのを堪え、ランサーは額を押さえた。
自分こそ、何を言ってるのか分かってんのか。
この顔面が好ましく思われていると、そこは自惚れて良いと思っていた。こいつの態度のそこかしこで見て取れる事実だからだ。
――しかし、声とは。初耳だ。
(ふぅん?そうか、声ねぇ)
なるほど、とランサーは目を細めて頷く。
ならば、それを利用しない手はない。
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、カウンターに膝を乗り上げてついて、そのまま一気に飛び越える。
エミヤの元へと。
「あっ!こら貴様!食事を提供する場に土足で乗るとは……っ」
怒鳴りかけたキッチンの主の腰を素早く捕らえると、ぐっと顔を近づけた。効果は覿面で、エミヤは「うぐぅうあ」と妙な唸り声を漏らして顔を背けようとする。それを許さず顎を掴むと、そのまま覆い被さるように密着し、うっそりと笑って耳元に囁いた。
「口説いてんだよ、お前の好きなこの顔と声を武器に」
「はああああ?何を言ってるんだ」
いきなりの接触と密着にダラダラと汗を流しながら、気でも狂ったのかと言いたげなエミヤに、さくりと答えを返す。
「何って。お前に惚れてると言っている」
「……は?」
ぽかん、と開いた口がちいさくて可愛い。そう思ってしまうから多分末期だ。
幾度目かの、末期だ。
けれど渾身のランサーの告白に、エミヤは怪訝そうに少しばかり考える素振りをして、すぐに不可解だと言わんばかりの表情で聞き返してきた。
「うん?いや、すまないが分からない。何かの暗喩だろうか」
「比喩表現じゃねえええよ!これ以上無い程の直接表現だろうが!なんなんだお前は」
ランサーはエミヤの腰を捉えたまま、がくりと項垂れる。
なんだか悲しくなってきてしまった。
こっちは運命だと思ってるのに。――いや、それも本人相手には言っていなかったのだが。
当たり前に、近くにいるものだと思っていたから。自分たちが、この場限りの儚い存在だという事を忘れて。
だから、このままでは駄目なのだ。
近くに来たなら、そのまま逃さず捕らえておかねばならなかった。
だって、いくら近くにいても、一緒にいても、自分から手を伸ばしてくる男ではないのだ。自分から欲する事を、己に許すような奴ではなかった。知っていた。
だから。
「いいわ、もう。何度でも言ってやる」
何度も、心臓を串刺しにするように。言葉や態度で貫いて。
この手で、この運命を捕まえる。
(……だって、こいつは)
アーチャー・エミヤという男は、いつだって、誰だって許してきた。分け隔てなく、何をされても、自分を犠牲にしても。 自分の事は、過去の己を殺してしまおうとするほど許せないくせに。
自分以外の全てを許して受け入れないと、自分が生きることを許してもらえないと思い込んでる、そんな厄介な性質。
ならいいだろ。
そうランサーは思うのだ。
(いらないなら、俺が、もらい受けたって、いいだろ)
「なあ、許せよ」
「な、ななななに」
獲物を狙う赤い瞳を触れる程に近づけられて、エミヤはあわわとこれ以上反りようがないような体勢で仰け反った。それを逃がさず支えながら、ランサーは構わず続ける。
「お前を忘れた俺の事を。――それから、俺がお前を想う事を」
許せよ。
そう耳元に吹き込めば、そこが限界だったらしい。
ふっ……とエミヤの瞳の墨色が薄く、いきなりぼんやりと遠のいた。
「……オイ、何考えてる」
放っておいたら詠唱でもして固有結界にでも逃げ込まれそうな気配だ。それを察知してランサーは目つきを鋭くする。
虚ろな眼差しで、エミヤはふぅと溜息を吐いて目を閉じた。完全に何かを諦めた表情で。
「どうやったらこの夢から醒めるのか考えてる。どうも深く眠り過ぎたらしい」
「阿呆。サーヴァントは夢をみない。知ってるだろうが」
「じゃあ何なんだ。こんな都合の良い夢……」
「お前その頭の固さなんとかならねぇのか―――いや待て」
都合の良い、夢?
「……っ!」
思考能力を手放した相手の言葉を繰り返せば、エミヤはハッと目を見開いて、がばりと口元を押さえた。
しかし一度漏れた言葉は戻らない。
黙って見詰める目の前で、ウィスキー色の肌がみるみる真っ赤に染まっていく。
ランサーは犬歯を剥き出しにしてにんまりと笑った。
「はぁーん、なるほどな」
「いや待て、今のは……!」
何やら言い訳をし始める男を見ながら、ランサーは思った。
これはもう、自室に持ち帰って、夢でない事じっくりを教えてやった方が良いんじゃないだろうか。
(うん、それがいい。そうしよう)
そして思い付いたら即実行が、ケルトの男の嗜みだ。
喚く弓兵をひょいと担ぐと、青い髪を翻し、彼はそうして夜の食堂を去って行った。
まだまだ、夜は長い。
肩で喚いて暴れる頑固で複雑で可愛い男に、一晩かけて言わせたい台詞があった。
それを自分への戒めと誓いにするために。
Forget me not――私を忘れないで。
END