【槍弓】こちらクー・フーリン特別対策本部
恋は盲目、世は情け。
片恋をこじらせたゆえに様子のおかしい弓兵と巻き込まれ振り回されるドルイドと終始蚊帳の外な攻略(?)対象の槍兵の話
カルデア時空(1.5部前ぐらい)のシリアス(?)ギャグ(?)っぽい何か
紛うことなき槍弓ですがキャスターが出張ります。キャスからの矢印はありません
タイトルで察してほしいのですが頭からっぽにして読んでください
弓がだいぶかなりぶっ飛んでますがご愛嬌ということで…すみません!!
いろいろご注意ください!!
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夜の帳が下りたカルデアに、一つの足音が響く。
人間もサーヴァントも、よいこはすでに眠りについている時間、無機質な白が続く廊下に他の人影はない。電力の節約のため、灯りも空調も最低限に絞った空間はさめざめとしていて、赤い外套を纏った男――アーチャー・エミヤは僅かに歩を早めた。
この状況が他の者に見つかってはまずい。
重々しい足を静かに運びながら、エミヤは手にした盆を隠すように廊下の奥の奥、カルデアで最も古参の男の部屋を目指した。
「入るぞ、キャスター」
潜めた声で一言告げると、待ってましたとばかりにパシュンと自動扉が開く。招かれるがままに中へ入り、後ろでドアのロックがかかったのを確認すると、奥で作業していたらしい部屋の主に向き直った。
「おう、来たか」
青く涼し気な美貌が振り返る。ドルイドの様相を呈するキャスターのクー・フーリンは、手元にあった怪しげな書物や多種多様の薬草を机の上に放ると、部屋の隅にある二人掛けのカウンターテーブルを指差した。盆をそこに置け、ということだろう。
クー・フーリンに限らず、キャスタークラスのサーヴァントの部屋はそれぞれ工房とできるよう広めの作りになっていて、当人以外は容易に足を踏み込めない。キャスターの部屋も例に漏れず、古びた本やよくわからない植物、ルーン石やら調剤道具やらでがちゃがちゃと散らかっていた。ただ一つ、ついさっき示されたテーブルだけはやけに片付いていて、頻繁に使われているであろうことが察せられる。主に酒を飲む時用として。
「酒と、いくつかつまみを作ってきた。足りるかね?」
「うお、すげぇ」
テーブルに備え付けられた丸椅子に腰掛けながら問えば、キャスターは十分だと何度も頷いた。乾杯も待てずに甘辛く煮詰めたうずらの卵を一つ口に放り込むと、「うまい」と微笑む。行儀の悪さを窘めつつ、カルデアキッチン秘蔵の酒――エミヤがチーフ権限で拝借してきたものである――の封を開けると、ガラス製の猪口にとぷとぷと注ぐ。芳醇な香りに鼻をくすぐられながら、澄み切った液体の満ちた杯を手に、二人は各々宴の開始を謳った。
「乾杯」
喉ごしのすっきりとした辛めの日本酒。先日レイシフトで新宿へ赴いたときに手に入れたものである。
「うっ……めぇ。いい酒だ」
「うむ、そうだな。肴にも合いそうだ」
広くもないテーブルにエミヤ特製のつまみを数種類並べ、酒と一緒につつきながらぽつぽつと他愛もない会話をする。他のクー・フーリンと比べて落ち着いた雰囲気の彼は、話していて心乱れることもなく居心地がよかった。気を張る必要もない。けれど、ただ静かに酒を飲む、それは今夜の目的ではない。
「――で? 話って何だよ」
キャスターが口火を切る。すでに三杯目となった酒で舌を湿らせていくのを眺めながら、エミヤは息を一つ飲み込んだ。
実はこの穏やかな二人飲みが催されたのは、今日の昼間、キャスターが遅い朝食をとりに食堂に現れた際にエミヤが声をかけたからであった。「話があるのだが、今夜部屋に行ってもいいだろうか」と、言葉だけなら何事かと深刻に受け止めかねないその誘いに、酒と好みのつまみを用意するからという申し出で彼を頷かせたのは作戦のひとつだったりする。
「ああ、実は――」
エミヤは、す、と目の前の男を見据えた。
目の前で柔らかな灯りを反射するルビーの瞳が、ゆったりと瞬く。
「――今日からここを、『クー・フーリン[ランサー]特別対策本部』としたい」
そしてその瞳孔がきゅるりと丸くなり、形良い輪郭を杖として支えていた手のひらがずるっと滑って。
「……は?」
心底意味がわからないという声が、やたらと間抜けに響いた。
こほん、と咳払いを一つ。酒で喉を潤しながらエミヤは大真面目に話を切り出した。
「というわけでよろしく頼む、キャスター。早速だがまず作戦会議といこう」
「は? ……ハァ?! ちょ、待て待て待て! 何するつもりだ」
キャスターが身を乗り出した拍子に、ガタン! とテーブルが揺れる。数滴飛び散った日本酒を、もったいないと投影した布巾で拭き取りつつ、どうしたキャスター、と首を傾げる。
「……? だから、『クー・フーリン[ランサー]特別対策本部』だ」
「何だそれ!?」
「ランサーのクー・フーリンをきっぱりすっぱり諦めるための対策を立てる本部だ。シンプルでわかりやすかろう。……悪いがあまり時間がない、早急に遂行したい」
キャスターが猪口を手にしたままびしりと固まる。この常に悠々と、掴めぬ水流のように佇む男があからさまに思考停止している様は初めて見た。
とはいえさっさと話を進めてしまいたくて、エミヤは猪口をテーブルの端へと追いやる。先程告げたように時間はないのだ。いつまでも惚けているわけにもいかない。
「キャスター、それで」
「ちょっと待て!」
ようやく気を取り直したドルイドが手のひらでエミヤを制する。おうおう、全然わかりやすかねーよ。説明もなくスタートラインから突っ走る弓兵を留めるのも男の仕事だと言わんばかりの態度。
「何だ」
「……諦める、と言ったな。誰が」
「私が」
「誰を」
「ランサーを」
しん、と一瞬の沈黙。
「…………断わ」
「断るとは言わせん。もう君はそれらに手をつけただろう?」
それ、と指差されたのはもちろん、エミヤ特製おつまみと秘蔵の日本酒のことだ。そのほとんどに手をつけ、気に入ったであろう鯵のなめろうに至ってはすでに皿を綺麗に空にしているのは、他ならぬキャスターである。
しかし対価を対価と称さずに、後出しで要求するその狡さに男は頭を抱えたようだった。
「あー……食った、し、飲んだけどよ」
「少し手伝って欲しいだけだ。君にしか頼めない。どうしても無理だというなら……そうだな、今後一切晩酌への奉仕は遠慮させていただこうか」
「ぐ」
ケルト勢ということもあり、キャスターも酒をよく好む。何も用事が無ければ一日と日を空けることなく嗜むらしく、それはそれは頻繁に厨房に酒とつまみをたかりに来る。その彼に、酒と肴を工面してやったのも一度や二度ではなく。奉仕としての供給を絶たれるのは向こうとしても痛かろう。
「……脅しかよ」
「さてね。君も多少は知的なら、私が目的のためには手段も厭わない者であることくらい知っているだろう?」
「多少は余計だっつの! ……あー、くそ、わかったよ……話ぐらいは聞いてやるわ」
んで? 何だその突拍子もねー「本部」とやらは。
対価というなら遠慮なくと開き直ったのか皿と杯を次々に空けていくキャスターに頷いて、エミヤはほっと息をついた。
どうやら話は成立しそうである。強引に進めようとしたものの、目的を達成するための協力者は彼しかいないと思っていたので、断られたらどうしようかと危惧していたが。ひとまずよくわかっていないであろうこのドルイドに、導きをもたらしてやろうと口を開く。
「ありがとうキャスター。実は……」
話は長くなるが、と前置きをして。
◇
事は、エミヤがかのクー・フーリンに懸想したのに端を発する。
生前の因縁、死後の邂逅。幾度も重なり連綿と繋がっていく縁を、いつしか恋慕として受け止め育ててしまったのがすべての間違いの始まりだと、当事者である弓兵は苦々しく語った。
あの神が創りたもうた造形と鮮やかな色彩、戦いの最中にあっての豪胆さと強靭な肢体。誇り高く一本筋の通った気質でありながら、さっぱりとした気安い性格は好ましく、焦がれて惹かれてやまないのだと。
「お、おう……そりゃすげえな」
この男は目の前にいるのも「同一人物」だとわかって思いの丈を吐露しているのだろうか。キャスターは少しばかりいたたまれない気持ちに襲われる。
「それでだ。こと最近ではそれらの異常が顕著になってきていてな。実に恥ずかしいことこの上ないが、「これ」のせいで日常生活に支障を来すようになった」
「ほ~例えば?」
「四六時中ランサーのことばかり考えている。目も耳も頭も奴のことを追いかけて止まる兆しがない。心臓はうるさいし顔はまともに見れん。ふとしたときにこの浅ましい感情を叫びだしたくなったりもする」
「あ~~~わかったわかったわかった」
懇々と語り出した口が本格的にアクセルを踏む前に、伸びた手のひらによってそれは押しとどめられた。皆まで言わずとも、と片手で頭を抱えるキャスターは、あーだのうーだの、やたらと面倒くさそうに呻いている。
しかしそれでは話が進まない。
「そこでキャスター、君の出番だ」
「お~っと話が飛んだな??」
「何とかこの異常事態を収めたくてな、考えたんだが」
「聞いてねぇなコレ」
エミヤは意を決したように、しかし何ともなさげにじっとキャスターを見据えた。
同じ顔、同じ声。けれどまったく違う。クラスのみに左右されないその思いは、ずっと己の中に実感としてあった。
「……情けないものだ。己を律し、感情に折り合いをつけ、割り切るなり忘れるなりすればいいものを、どうしても消しきれずにいる」
荒れ狂う海のような想いなどサーヴァントの身には不要だ。しかしもう己だけではどうしようもないところまで来てしまっている。こんなことで迷惑をかけ、自分だけでどうにかしようといつまでも足掻くよりは、他の手を借りて早急に解決した方が懸命だと判断した。だから。
「――ランサーに振られたい。木っ端微塵に、完膚なきまでに」
「あ?」
「だから、自白剤のようなものを作ってほしい」
「は?!?!」
キャスターの持っていた箸がべきりと嫌な音を立てる。弓兵の突飛な頼みに耳を疑ったのか、彼の眉間には深い皺が刻まれた。槍のクー・フーリンに振られたいという目的と自白剤が欲しいという手段が噛み合っていない。そう顔に書いてある。
「よく意味がわからねぇんだが」
話が長引くことを見越して、冷めても美味しいつまみにしていてよかった。この男を納得させなければ目的が達せないことはエミヤにもよくわかっている。
「ランサーはこちらのことを疎ましく、忌避しているだろう。その本意を浴びたい」
ならばそんなものを使わなくとも。そう問われる前に言葉を重ねる。
「何度か試した。売り言葉に買い言葉というやつで、奴に憎いと、消えろと言わせようとしたが、上手くいかなかった」
「だから薬使って言わせたほうが早いって?」
「そうだ」
「そう上手くいくかねぇ」
一転して、キャスターは呆れたようにがりがりと頭を掻いた。明後日の方に目を向けながら、思案するように。蒼い絹糸が踊る。
「それでも出来ることはやりたい」
「諦めるっつう、後ろ向きの方にか」
「後ろ向きではない」
これが上手くいって、ランサーを恋しく愛しく思う重苦しい痛みが無くなれば、己はやっとここに召喚された使命を全うできる。人理の修復は達成されたとはいえまたいつ特異点や脅威となる敵が現れるかもわからないのだ。邪魔なものは要らず、要らないものは切り捨てたい。
ふと、口元に笑みが浮かぶ。
「私は諦めたいんだ、キャスター」
その声はいやに悲痛に響いた。普段の気障でスカしたような物言いは形を潜めて、恋に浮かれ逆上せる顔などまったくなく。
それだけではっきりと、柄にもなくこの弓兵が参っているのだとキャスターにはわかった。
深いため息を吐き出し、頬杖をついたドルイドが口を開く。
「そうかよ。だが直接言やぁよかったんじゃねぇのか? 好きだから振ってくれ、ってな」
それを飲んでくれるほど、槍のアイツは殊勝でもへたれでもないはずだが。その言葉を飲みこみ、すうと目を細めるキャスターにエミヤは気づかない。
「私は私の邪な感情でランサーを不快にさせたくはない。まあ、今でもすでに疎まれてはいるだろうが……とにかく直接伝えてしまえば本末転倒だというわけだよ」
腐ったように呟きながら、ぐいと日本酒を呷る。ほんのりと赤く染まった頬に照れの色はなく、ただひたすらに持て余した恋慕の煩わしさに煮えていた。
「お前の言葉を借りんなら、その薬とやらでお前のその感情消したほうが早くね?」
そのあまりの表情に、向こうもいつもより余計に口が回ったらしい。すかさず「それは」と答えを返してやる。
「すでに試したさ。ダ・ヴィンチ女史に頼みこんでそれらしい薬を作ってもらって服用したが……失敗に終わってね。詳しくは省くが、消すどころか霊基に影響が出てしまって。どうも、彼女もその手のものには明るくなかったらしい」
「ほぉ、そりゃ手の早いこって」
「ステータス異常のせいでじきにマスターに見つかってな。諸事情は私の矜恃に誓って口は割らなかったが、……泣かれてしまって。令呪を行使された」
「あーあ……」
キャスターは干した杯を見つめて首を振った。もう二度と感情を無くしたり身体を壊したり、エミヤの尊厳を貶めることはしないで、と懇願されたのを思い出す。あの少女に悲愴な顔をさせるのは、もちろん己の本意ではない。
「私自身が無理なら、相手をどうにかするしかなかろう。一時はこれ以上ない援軍を得たと思ったがもうダ・ヴィンチちゃんには頼れまい。となれば、「クー・フーリン」に精通した魔術師はと考えた時に君しか思いつかなかった」
「オレには迷惑かけていいと思ってるわけね……」
そりゃどーも、と苦笑したままキャスターは後ろ髪を掻く。
「まさか。まあ、そのための賄賂だが……お気に召さなかったかね?」
それなりに腕によりをかけた、自慢の品々を指さして目を眇れば、「へーへー、めちゃくちゃ美味いですよ」とドルイドは口を尖らせつつ首肯した。
「ふむ、そうだな。これらの対価はひとまず来週の夕飯メニュー決定権ということでどうだろう。君の好きなものを作ろう、ちょうど献立もこれからつくるところだったから。もちろん他に何か報酬として出来ることがあれば言ってくれ」
「あ~~マジか。んじゃ、前食った肉がゴロゴロ入ったコロッケ…と、だし巻き卵」
「そんなものでいいのか? 承った」
エミヤはにこりと人好きする笑みを浮かべて、さらに酒と料理を勧める。するとキャスターが参ったとでも言うように、両手を挙げてひらひらと揺らめかせ、わかった、と呟いた。
「あーはいはい、わかったよ」
「本当か」
「応よ、テメェの必死な面に免じて、な。自白剤程度なら明日には出来んだろ。賄賂持って取りに来いや。対価もひとまずそれでいい」
キャスターから渋々ながらも了承をもらった途端、胸のつかえがひとつ、消え去るのがわかった。これで協力者が一人。あとは実行あるのみ。
「――ありがとう、キャスター」
心のうちで拳を握りしめながら、エミヤはようやく目元を緩めたのだった。
このときドルイドの胸中では、まあ一回ぐらい付き合ってやるかね、面白そうだし、ぐらいの感覚しかなかった。ほんの気まぐれで、同情に近い施し。幸いキャスターの労力は大したものではなく、その対価にうまい飯とうまい酒が好きなだけとくれば、それこそオイシイ話だったのだが。
このたった一度の譲歩と優しさが今後の彼の命運(?)を左右するとは、キャスター自身、思いもしなかったのである。
◇
「即効性だが、効いてる時間は短いと思え。つーわけで飲ますんなら目の前でだ。こいつで一回分だから無駄なく使えよ」
翌日、約束通り賄賂の品々を持参したエミヤに、キャスターは小瓶を手渡した。コルクの栓の下では青みがかったとろみのある液体が揺れていて、見ようによってはかき氷の蜜のようだ。しかしその正体は――と、望んだ薬を目の前に、エミヤは唾をごくりと嚥下する。
「わかった、ありがとう。試してみる」
「なー、マジでやんの? オレは得しかねぇからいいけどよ」
「やるさもちろん」
「あっそ」
頬杖をついたままアイリッシュシチューをつついていたキャスターは、こちらを胡乱な瞳で見つめた。ため息混じりに口角を上げて、
「ま、そいつはもうお前さんのもんだ。好きにしな」
というので、エミヤも負けじと「好きにするさ」と唇を歪める。せっかく手に入れたものをみすみす手放すつもりなど毛頭ない。その様子を眺めたキャスターもそれきり何も言わず、いつもより豪華な晩酌にこれ幸いとありつくのだった。
いかにも怪しげな小瓶を手にさらに翌日の昼、エミヤは厨房でひと皿のカレーと睨み合っていた。
規定のランチタイムを過ぎても数人分の食事が用意されているのは、これから帰ってくるレイシフト組がいるからである。マスター、マシュ、それから数騎のサーヴァント。ランサーのクー・フーリンは今日そこに名を連ねていて、皆で帰還したあと、食堂で遅い昼食をとる予定だった。その食事に、キャスターから賜った薬を入れてやろうという魂胆なわけだ。
随分青いが混ぜればどうにかなる。味はわからないが、味見をするわけにも行かない。誤ってこちらが余計な感情を吐露してしまえば地獄だからだ。ランサーにはさらに仕切り直しのスキルがあるので、異変を感じ取られるとまずい。あくまで自然に、何事もない普段の昼食を繕わねばならなかった。
「さて……」
カレーを二人前、小鍋に取り分けて温める。本日のレイシフトメンバーの中で一番よく食べるのがランサーであるため、皿を取り違えることもなかろう。ためらわず小瓶の中身をすべて振りかければ、どこか胸がすく思いがした。
(――これで、これで)
あとはカレーを食べきった男に、ひとつ尋ねるだけだ。
――私のことが憎かろう、と。
「ただいま~! エミヤ、今日のごはん何?」
「お疲れ様、マスター。マシュも。今日はポークカレーにしてみた。サラダとデザートにプリンがあるから持っていくといい」
「カレーですか……! とってもいい匂いがします、先輩!」
先頭に並んだマスターから順番に、一人分の食事を乗せたトレイを渡していく。湯気を立てるそれらを喜ばしげに受け取る姿に目を細めていれば、左半身をじりっと痺れが襲った。これは奴の視線だと、すぐにわかる。
「……」
殿をゆっくりと歩いてきた男は、髪を短くした第二再臨の装いでじっと眼力を利かせていた。食事の催促かと、慌てる内心を抑えて特製カレーライス(自白剤入り)を差し出すと、奴の目が手元を覗く。ランサーが首を傾げた。
「……何か多くねえ?」
「そう、だったかね」
邪なことをしている後ろめたさから、無意識に米の量を増やしていたのかもしれない。だがそう言い訳も出来ないのが何とももどかしく。
「まぁいいけどよ」
深く突っ込まれないままトレイを受け取ってもらえたことにほっと安堵の息を吐いた。第一段階クリア、次は食べ終えて皿を返却してきたランサーに嫌味ったらしく話しかけるだけ。――と思ったら、男はエミヤの目の前、つまりはカウンター席に腰掛けて食事を始めてしまった。
「……なっ……?」
「? んだよ」
別にどこで食おうがオレの勝手だろ。そう言われてしまえばその通りで、エミヤは二の句を告げずに背中に冷や汗をかいた。想定外だ、だって今まで、私が配膳当番のときはカウンター席など近寄りもしなかっただろう、なぜ今――いや待て、これは逆にチャンスかもしれない、目の前で食べる=キャスターの言う条件に合致するということだ、よそで薬の効果を発揮されるくらいならいっそここで――頭の中でぐるぐると押し問答が続く。とどのつまりエミヤは、超がつくほど混乱していたのだ。言うつもりのなかった台詞がぽろりと口からこぼれる。
「ど、どうだね味は」
「あ? あー……うん、うめぇよ」
う、うまい!?!? 思わず目を剥いてしまう。今までクー・フーリンが、ランサーが、己の作る料理を褒めたことがあったろうか。いやない、あったかもしれないがこの現界でこちらが覚えている限りでは、ない。ならば己の盛った薬の他におかしな作用が働いているに違いないとエミヤは考える。今日はランサーの機嫌が史上最強にいいとか、レイシフト先でにこやかになる呪いを食らったとか。何かそういう、薬の作用を無効化するだけでなく逆の効果を生み出すような。
「……でも何か変な味もすんな。どうしたこれ」
「そうか。味見はできなかったからな、すまない」
「は?」
ぐるぐると混沌を極めた頭は、なぜかそこで、するりと真相を薄情してしまった。異変を勘づかれるどころではない。ハッと口を塞いでもすでに遅し、むしろ仕草のせいで何か隠していますと訴えているようなもの。しかも奴の皿は、八割方カラである。
「おい、どういう意味だ」
――急に凄むのはやめてほしい。答えるまで逃がさないと言わんばかりの気迫を一身に浴びて、エミヤはやむを得ず口を開いた。
「ちょっとした薬を」
「薬?! 何の」
「答える筋合いは」
「あるだろ、得体の知れないもん飲ませといて」
――おっしゃる通り。エミヤは彼からすっと目を逸らした。かくなる上は、その中身をお伝えする他ない。どうせここでバレなくてももうすでに憎まれているのだから、自白させようと怒らせようと、一も百も変わらない。
「……素直になる、お薬だ」
「素直ぉぉ??」
「とある筋から手に入れてね」
にっこりとわざとらしく笑みを貼り付けて教えてやる。そうすれば、ランサーは何のつもりだ貴様と、その流麗な目尻を釣り上げて激怒し、消えろこのクソ野郎と罵倒するはず。それを望み、覚悟をして奥歯を噛み締めた。というのに。
「――はー……よくわからんが。オレを素直にさせてどうするつもりだよ」
予想に反して、青い槍兵は小さく息をつき、呆れたように笑ったのだ。
「――ッ!?」
何だ、何だその顔。何だその仕方ねぇなあ子猫ちゃん、とでも言いたげな顔は! 想定外、予想外だ、ああいや待て、あの薬は即効性とのことだからそろそろ効いてくるはずだ。ここで効果的な一言をぶつければあるいは、レイシフト先で受けた珍妙な呪い(※決めつけ)から目が覚めるかもしれない!
「なぁに百面相してんだよ」
はっと気づくと、目の前で白い手のひらが踊っていた。
「で? オレから何を聞きてぇって?」
「え? あっ、君、貴様は、私が憎いだろう?」
「何だそりゃ」
「はあっ? ……っ、視界に入るのも、気配すらおぞましい薄汚い守護者風情を、殺したいほど憎い上いつでも座に還してやると、そう思っているのだろうと」
ランサーがエミヤへの殺意を押し込めるのは、その朱槍を抑えて手を出さないのは、同じマスターの手前、いざという時のためにも令呪を喰らいたくないとか主への忠誠とかそういうものであろう、と。そう言い募りかけたエミヤの言葉尻を、奴が奪う。
「意味が分からねえな。つーか、よくもまあそこまで口が回るな、お前」
次は声まで出して笑う男。意味が分からないのはこちらである。薬を盛られたと知っても仕切り直しを行使する素振りもなく、よりによってエミヤという英霊に対しやたらと笑顔を大盤振る舞いするなぞ、誰が信じられるだろう。訝しげに眉を寄せ、いつの間にか空になった皿越しにランサーを覗き込めば、この世の財を尽くしても賄えないほどの顔面宝具が目前に突きつけられる。顔がいい。
「薬、効いてないのか……?」
脳裏を「つまみごっそさん」とニヤけるキャスターがピースして横切っていく。彼に限って、まさか。しかし当のランサーは己が望んだ状態ではなく、気味が悪いほどにご機嫌だ。相手を誰かと間違っているような、酩酊しているようにさえ見えた。キャスターの手違いか、ランサーの対魔力か、はたまた別の呪いかは不明だがとにかくこれだけはわかる。
「おい、アー……」
「失敗だ」
「はあ?」
「――ああランサー。皿は返却棚へ。私はこれで失礼する」
エプロンを外し、厨房用の礼装からいつもの赤い武装に切り替えてエミヤは足早に食堂を去った。後ろで何か叫ぶ声が聞こえたような気もするが、少しも頭に響かずに無機質な廊下を駆ける。茫然と霞ががった頭の他に、なぜかどくどくと鼓動がうるさかった。
「ああもう!」
これは一言物申さねば。そして。
「作戦練り直しだ――!」
◇
「クレームだ、クー・フーリン」
場所は再び、キャスター・クー・フーリンの工房へと移る。
「っくりしたぁ……何だよ藪から棒に」
半ば強引に押し開けたドアは衝撃にびりびりと揺れ、ぐわんぐわんとひどい音を立てていた。キャスターといえば、手持ち無沙汰に一服していたのか部屋中薄白い煙が蔓延していて、顔を顰めつつ換気扇のスイッチを押す。
「だからクレームだ」
「あ?」
先程の出来事を反芻しながら、エミヤは憎々しげに息をついた。君にいただいた自白剤とやらは。
「まったく効かなかった」
「は? そんなはず……」
「というわけで次を作ってくれ」
「結構図々しいねお前」
特大のため息をつきながら、いいから座れよ、と丸椅子をすすめられ渋々と腰掛ける。何があったかを聞かれて、食堂での一部始終と策略の頓挫を伝えると、キャスターは呆けたように固まった。続けて心底嫌そうに顔を歪めて、おいおい、と盛大なため息をつく。あんまりな態度にむっと口を引き結んで抗議すると、奴は再び煙草を咥えて空中にルーンを描いた。
「笑ってもらえたんならいいんじゃね」
淡い青と炎の赤が光り、細く煙が立ち上る。投げやりな言葉に呆れが滲んでいたせいで、エミヤの中には反抗心が芽生え。
「ふん、何がいいと言うんだ」
苛立ちとともに低い声が地を這った。
「そりゃあお前、槍持ちのオレが、お前に好意的? っつー……」
「そういうのは解釈違いです」
「め、面倒くせぇ~~……」
一体どこが面倒なのかは皆目検討つかない。エミヤは鼻を鳴らし、椅子にふんぞり返って顎を浮かせた。そういう詮無い話に興味はないのだ、とにかく今は次の作戦である。時に余裕はない。新しい特異点ないしはカルデアへの脅威がいつ現れるか分からないのだから。うつつを抜かす暇も、たたらを踏む隙間もない。
「自白剤とやらの効果はなかった。となれば」
「……となればぁ?」
「次を作ってくれ、クー・フーリン」
「やっぱ図々しいな」
ともあれ今日の夕飯メニューはキャスターリクエストの鮭のホイル焼きと豚汁だ。対価を得たなら仕事はしてもらわねばと、キャスターの言葉は無視をして、エミヤは「よろしく頼む」と大きく頷いたのだった。
次なる策はこうだ。
「私自身は変えられない、奴から期待するのも難しい。まあ何とも強靭な精神だと感服せざるを得んが……ならば、思わず罵倒を口にし態度を曲げ槍を出さずにいられない状態を作ればいい」
「はあ」
「つまり「感情増幅剤」みたいなやつだ」
「みたいなやつ」
「概念礼装でいう、愛の霊薬の逆バージョンとでも言おうか、私をさらに憎くて殺したくてたまらない逆魅了状態を作る」
「……うーん?」
「わかってくれたか?それが出来れば、私はランサーから望む言葉を引き出せよう。そして無事この煩わしい恋慕も消える」
納得したわけじゃねーんだが。という言葉をキャスターはかろうじて飲み込んだ。この弓兵はたまに恐ろしく斜めの方向に振り切れて帰って来ないことがあって、そういう時には何を言っても無駄だと聡い男は知っている。戦闘時にマスターやマシュに対して視野を広く持てと檄を飛ばしているのは本当に視力だけの話だったのかよと、今更嘆くのも馬鹿らしい。
「そーかよ。で、一度ならず二度までもオレの手を借りるっつーんなら、それなりの報酬があんだろうな?」
「む。ここはクー・フーリン特別対策本部だと言ったろう。もちろん君もその一員だというのに、報酬の話ばかりとは、まったく」
「えっ一員!? ちょっと待って!? いつから!?」
「まあ、そう言うだろうと思って、こちらです」
エミヤは厨房の秘密の戸棚に隠してあったとっておきを懐から取り出した。ライトを浴びて鈍く輝く琥珀色の瓶を煌びやかに掲げると、キャスターの顔が一変し。
「あっ、あーッ!? そりゃ幻のスコッチ・ウイスキー……!!」
「そうだ、君が飲みたがっていたと聞いてね」
「ストレートで頼む」
「よかろう。では等価交換だ」
その芳醇な香りのウイスキーに合うつまみを作ってこよう、待っていたまえ、と微笑めば、楽しげに手を振ってくる男の身の変わりよう。想い人の槍兵とは多少違えど、やはりクー・フーリンは時折可愛らしいと笑いを含みながら、エミヤは彼の工房兼自室を後にした。抗えないほど惹かれているのはもちろん――あの青天のような男だけだったが。
今度こそ上手くいく。期待に胸を高鳴らせ、赤い外套を翻して歩む弓兵の背中を、見つめる者は誰もいない。
◇
数日後、素材集めのために特異点Fへ行くとマスターから聞いたとき、エミヤは間髪入れずに同行を名乗り出ていた。レイシフトメンバーの中に、ランサーの名があったからだった。午前中いっぱい時間をかけるなら弁当を作ろうと微笑んだのは、無理をいった言い訳か、はたまた歓喜か。管制室でこちらを認めた青い男は、端正な顔を僅かに歪めただけで何も言うことはなかった。主の手前、ぐちぐちと文句を垂れるのは憚られたのだろうと思う。
都合よくレイシフトに紛れこみ、マスター、マシュと共に燃ゆる街並みに降り立つ。黒く落ちた帳を炎の色が覆い、そこここで煤と灰の臭いが立ち込める中、瓦礫の奥から現れるスケルトン達を斬って凪いで屠った。エネミーの難易度は低いといっていい。だからこそサーヴァントは三騎のみ、省エネ陣形にて素材を狩っているのだが、今日ばかりはそれが格好の機会に思われた。
(薬を弁当に、そして奴に飲ませる)
此度キャスターから得た薬は無味無臭の透明な液体で、ほぼ水に近い。休憩と称して手製の弁当を分けあう際に、サンドイッチと共に渡すコンソメスープに素早く混ぜれば、あっという間にそれはランサーの体内に取り込まれた。奴が己の作った弁当を口にしてくれるか定かではなかったが、いらぬ心配に終わって小躍りも辞さない気分だ。残る懸念といえば、もう一つ。あれこれと策を巡らせながらエミヤは小さく唸った。
(あとは誘われてくれるか、だ)
しかし心配をよそに、エミヤが投影した弁当の包みを魔力に還して立ち上がった途端、ランサーが凄絶なる眼光でこちらを睨みつけてきた。今だと叫ぶ予感に、背骨が痺れ始める。
「マスター、少し辺りを見回ってくる。何かあれば呼んでくれ」
不思議そうに頷いた少女に背を向け、その場を離れる最後、その一瞬だけランサーに視線をやった。挑発、嘲り、嫌味。作り上げたあらゆる負の感情を瞳に込めて。
エミヤはマスターたちのいる場所から離れた森を断罪の地に選んだ。憎悪や殺意を増幅させた槍兵が如何なる行動に出ようとも、ここなら多少は飲み込める。当然森も大地も只ではすまないだろうが、元より闇に呑まれた廃墟の地、咎める者は誰もいない。
「――……」
木々が燃え盛り、地割れたそこで足を止めると、程なくして背後で土埃が荒れる気配がした。口端がニィと上がる。
「さて、よく来たな」
笑えるくらい簡単に、万事が上手くいっている。エミヤは込み上げる嗤笑を押し留め、左脚を軸に奴を振り返った。
明けぬ夜を背に、ランサーが眦を吊り上げている。険の宿った、精悍で美しい容貌は怒りに染まり、穿かんばかりにエミヤを凝視していた。これは上手くいくかもしれない。内心でほくそ笑めば、それが面に出ていたのか、奴が低く吼えるように言った。
「何のつもりだテメェ」
「見てわからないか?」
馴染みの夫婦剣を投影して目を眇める。身の内を巡る魔力が沸き立つように波打つ。
――死合い。それはランサーが一等好むものである。ただし己が認めた強者と、死力を奮って戦う場合に限るそれを、今からやろうと誘うのだ。相手に相応しいとは思わない、だが負ける気もない。エミヤを疎み毛嫌いするランサーにとってはこの場が好機であろうことは、こちらにだってわかっている。
「槍を構えろランサー」
加えてあの薬だ。男の刃が鈍ることはなかろうと、昏い期待が跳ね回る。
「負け犬の遠吠えなら聞いてやる」
ランサーの血の色をした瞳が炎より紅く滾った。思いつく限りの嫌味と侮辱を舌に乗せて、獣が暴れるのを待つ。やっと、ようやく。高揚が強すぎて、乾いた喉から低い笑い声が零れた。己がおかしくなったのかとさえ思う。はやく、はやく。貴様の中のありったけの憎悪をくれ。そして身の程を知らぬ恋心とやらを荼毘に付す。
「よく言った」
途端、辺りの空気が沸騰する。否、ランサーの発する凄まじい殺気が刃となってエミヤを刺し穿つ。ごうごうと激しい音を立てて崩れ落ちる森、マグマと化した土、熱風が頬を撫で髪が焦げ色を纏った。閃光が走る。
「死合いだ、弓兵」
そこから先は一瞬であった。
「え? 何で?」
エミヤは瓦礫の山にもたれておもちゃ屋のテディベアよろしく座りこんでいた。呆けた一人言は炎の轟音に掻き消えて、己の頭蓋すら通り抜けていく。回らない頭で先程起こったことを断片的に思い出せば、かえって脳みそが煮えたようだった。
――「楽しかったぜ」
――「やっぱテメェとやんのは悪くねえ」
――「しっかし、もうちっと普通に誘えよな」
――「あー、マスターが呼んでら。先行ってっからお前も早く来い」
え? 何で?――エミヤは何度も自問した。しかし答えは返ってこず、変わりに脳裏でギラギラの目を細めて高らかに笑うランサーと、「上手くやれや」と手を振ったキャスターが代わる代わる繰り返し再生された。
刃を合わせた瞬間、激しく火花が迸る。雷鳴のような剣戟が続くうち、このまま男の槍で己の恋慕ごと滅してしまえばいいと思った。しかし求めた言葉はついぞランサーから出ることはなく、散々斬り合った結果がこれだから気も遠くなる。時間にして数分程度とはいえ、一体何だったんだと、睫毛を瞬かせるのも仕方ないというもの。まさか腹ごなしに一戦、などと可愛らしい動機ではあるまい。ことエミヤ相手では、そんなお遊びにランサーが付き合うはずがないのだから。薬が効かなかったのかもしれない。やり方を間違ったのかもしれない。己が選んだ方法だとしてもさすがに堪える。
「また」
エミヤは投げ出した手足をぎゅうと身に引き寄せた。街を覆う熾火のにおい。煙が目に滲みる。
「また失敗した」
無駄に消費しただけの魔力が空気に溶けていく。マスターと繋がったパスから、帰還の旨を告げられてエミヤはよたよたと立ち上がった。
――ああもう、やり直しだ!
その日、カルデアキッチンでの赤い弓兵はどこか精彩に欠け、周囲から無言の心配を浴びたという。
「え? 何で?」
キャスターは熱燗を注いだ陶器製の猪口をぴきりと握り割った。
「そうだろう。まったくなぜ、悪感情を抱く所が「楽しかったぜ」になるのか」
「そっっこじゃねーよ! マジでお前目的のためなら手段選ばねえやつだなオイ」
レイシフト先で薬飲ませて喧嘩吹っかけて、あいつの槍で要らぬ感情ごと己を抹消しようとするなんざ、考えなしにも程があらぁ、と浅葱色の男はため息をついた。今まで言わねえでやったが、渡した薬の使い方に口出しするつもりもねえが、変な方向に振り切れすぎだと喚くキャスターに、「さあな」と肩をすくめる。性根は冷酷で無慈悲なクー・フーリンとはいえ、導きの立場にいることもあり、やはり面倒見のいい男だと思う。
「忠告ありがとう、キャスター。さすがクー・フーリン特別対策本部のアドバイザーというところだ」
「アドバイザーって何??」
「ところで、またダメだったわけだが」
エミヤは言葉を切って重い息を吐いた。
これまでの二回を見る限り、ランサーに薬が効いているようには見えない。もちろん多少なりとも魔術を編んだ代物であったから、奴の対魔力の前には効果をもたらさなかったのかもしれないが。己の動機が不純なこともあり、思考がどん詰まりへと突っ走る。思いたくはないが、と躊躇いがちに口を開き、
「……まさか手を抜いているのか? キャスター」
と尋ねれば、こめかみにうっすらと青筋を立てた目の前の男が心外だとばかりに凄む。
「ンなわけねぇだろ。オレは嘘は言わんし約束も違えん。キャスタークラスの意地だってあるわ」
「……それはそうか。疑ってすまなかった」
「おぉ、わかりゃいいわ。でもよ」
「というわけで次だ」
「めげないねお前」
それはそれはマイナスの方向に。キャスターががくりと頭を垂れる。その青頭を眺めつつ、エミヤは顎に手をやり思案した。失敗は失敗だ、やり直しは出来ないが、そこから学ぶこともあろう。やたらと前向きに後ろ向きなのは凝り性で頑固な気質に由来するようで、だからこそまた、ここキャスターの元へと舞い戻ったのだ。しかしながら状況は芳しくなく、次なる策はと考えながらぐうと唸る。
「しかしこれ以上どうしたら」
「直接行けよ面倒くせえから」
割れた猪口をルーンで修復し、普段の数倍のペースで熱燗を呷る男は、もういいだろまだるっこしいわ、とぶうぶう文句を垂れた。こちらが持参した酒と肴をたらふく飲み食いしているくせに、ひどい態度である。
「そうは行かん。この腐った感情は墓場まで持っていくと決めている」
「えっ待ってオレ墓場なの?」
「何の肥やしにもならんドブの泥に近いものを、ランサーにぶつけるわけにもいかないだろう」
「えっドブさらいの手伝いさせられてんのオレ??」
煮詰まったエミヤは、キャスターの手にあるのと揃いの猪口を手繰り寄せ、徳利から注いだ酒を一気に飲み干した。やけ酒もいいところだと独りごち、ついでにつまみも放り込む。茄子の煮浸し。
「美味いなこれ。さすが私」
「ランサー相手でもそんくらい図々しく行けっての、ったく」
口と脳髄へ酒精が染み渡る。それと同時に夜もまた深く更けていった。
◇
静まり返った無機質な回廊で、空気を抉るような気配に押し留められる。毎夜一人でこなしている厨房の片付け作業を終えたその時だった。
食堂の入口近く、その主が誰かなどすぐにわかる。幾らでも失くせるくせ、存在感を露わにしているのは敢えてであろう。エミヤは薄氷を踏む思いでゆっくりと息を詰めた。
「テメェ、キャスターのオレと随分親密なようだな」
夜陰にこだまする声は低く、決して喜ばしいそれではない。返す言葉の選択を間違わぬよう、努めて冷静に聞き返す。
「何のことだ」
「しらばっくれんじゃねえ」
あまりにも音がないせいで、奴、ランサーが歯軋りするのがここまで聞こえてくる。何が気に食わないのか知らないが、憎まれるなら本望。たとえ相手が想い人でもエミヤに退く理由はなく、常そうであるように口端を歪ませれば、辺りが瞬く間に凍りついた。
「――はて、私がキャスタークラスのクー・フーリンと、共に生活する者の一人として当然に交流したとして、何か問題が?」
エミヤはさらに言う。
「それとも私と彼が何か特別な理由で仲睦まじいとの邪推かね?それこそ君に何の関係がある、わざわざその仔細を知りたいのなら何とも奇特な男だ」
対峙するランサーの瞳は底知れぬ怒りに燃えていた。鋭い紅がぎらつく。背骨に氷の杭を打たれた気分に酔っていれば奴が「気に食わねぇ」と牙を剥いて、ハッと乾いた嘲りが口をついた。
「例えクラス違いだろうと我が身は可愛いと? それは見上げた自己愛だな。生憎、キャスターは慈悲深く聡明らしい、私のような守護者風情にも有り難い情けをくださる」
ランサーが苛立たしげに舌を打つ。やはり己と座を同じくする英霊がいけ好かない相手とつるんでいるのは嫌うらしい。切れ端でもキャスターとの仲の良さを強調すれば殺気が散る。だしにするのは忍びないが、何も使わず目的が達成されるなら御の字なのだ。もう幾らかでも奴の憤怒を煽れれば、もう。
「男の嫉妬は醜いぞ」
そう嗤ったのはわざとだった。誰も本当にランサーが嫉心に喘ぐなどと思っているわけがない。彼は気高く剛健な、勇壮たる戦士である。これで奴の図星の一つも突けたなら、己は大笑いしていただろう。
ランサーは何も言わず、ただエミヤを睨めつけるだけだった。首筋に刃の切っ先を当てられているような感覚だけがぎりぎりと神経を研ぎ澄ます。しばらく沈黙が満ちれば、こちらが再び口を開く前に男が短い距離を素早く縮めた。美しく厳しい顔が眼前に迫る。
「気障りな野郎め。その物言い、虫酸が走る」
吐き捨てるように唸り、ランサーは忽ち青の残像となって消え去った。
エミヤは人知れず安堵の息をつく。
「……」
好かれていないことに何の感慨も浮かばない。ただ鬱陶しく七面倒臭いだけ。ランサーがではなく、儘ならない己自身がだ。
気障り、虫酸。これほど望む言葉を得ていながら、未だ奴に目を耳を頭を奪われたままなのだから勘違いも甚だしい。あれだけキャスターに諦められると豪語しておきながらあと一歩のところで引き退がれないでいるのは、まだどこかで、奴から向けられる好意を期待し望みを抱いているからだろうか。ならば。
「――そうだ」
エミヤはぽんと手のひらを打った。これ以上ない名案を閃いたのである。
自室へ向かおうとしていた体をくるりと翻し、エミヤは小さく笑った。足取り軽く、向かう目的地はたった一つだ。
「つまり逆転の発想だよ、クー・フーリン」
「……今度は何だよ」
キャスターの自室兼工房に押しかけるのはこれで何度目か。ここはいつ来ても薬草と煙草の匂いに満ちていた。椅子に腰掛け怪訝そうに眉をひそめる部屋の主に仰々しく歩み寄り、彼を見下ろすと、くいと口角を上げて謳うように語る。
「君はイソップ寓話を知っているかね? 北風と太陽、押して駄目なら引いてみろというやつだ。ランサーに自白させようとしたり無理やり思い通りにしようとするから上手くいかないのだ」
「何か違う気もするがね」
「というわけでキャスター。惚れ薬的なやつをくれ」
「うーんやっぱ意味わかんねぇ!」
キャスターは大袈裟に両腕を広げて仰け反った。エミヤは仁王立ちで腕を組み、ふふんと鼻を鳴らしながら「解説すると」と前置きする。
「つまりランサーを私に惚れさせて私の醜い利己心を満たす。奴には悪いが、仮初の茶番劇を演出してもらい歪な恋心を満足させ見事昇華させるわけだ。その後我に返ったランサーが姑息な手を用いた私をさらに嫌悪、奴の罵倒怒号その他色々を身に受けて無事撃沈と」
分不相応な恋慕の心を消し去り、かつ徹底的に疎まれることの出来る画期的な提案だ。まさに一石二鳥! どうだキャスター? と、エミヤは諸々の発言とは裏腹に柔らかく相好を崩した。
「ついさっき思い立った所で賄賂を用意出来なかったのは申し訳ないが――まあ、報酬は後払いということで手を打ってほしい」
「いや、あのよ……その前に何でそう突拍子ねぇ案がポンポン出てくんだよ?」
「お願いできるだろうか」
「ねぇオレのお話聞いて~?」
キャスターが喉元を晒して呻くのに合わせて、エミヤもかぶりを振る。食堂の前、暗がりの中で相対した男の顔。どんな表情であろうが、彼の輝きは曇ることを知らず。
「ああやはり、あんな至近距離で奴を見つめては駄目だな……、残像が消えてくれない」
「まさかランサーの野郎のことか? おっまえな……マジでベタ惚れじゃねぇか」
「今更か? 勿論だとも。言っただろう、だからこそ諦めたいんだ」
掃除屋ごときが神々しい光の御子を想うこと自体烏滸がましいと思わないか――そう言わんばかりの眼差しを、キャスターは無視出来なかった。このふざけた(当人は本気も本気だが)特別対策本部とやらの創設当初に見せた、ほんの少しの情けがまた顔を覗かせる。テコでも考えを変えるつもりのなさそうな弓兵。やけに頑なに、己の目的のため後ろ向きに策を練り続ける男が憐れにも健気にも見えてしまって、キャスターはさらに低く呻いた。
「キャスター」
「……あー……」
「私に出来ることなら何でも手を尽くそう。君の労力の対価として」
「何でも、とか軽々しく言うんじゃねえよ」
何かが彼の機嫌を損ねたのか、つまらなさげな声が返ってくると、エミヤは小さく嘆息する。
「そうは言うが、私はあまり多くを持たないからな」
「そういうことじゃねーっての」
キャスターは後ろ頭をがりがりと忙しく掻いた。その癖は別クラスの彼と同じで、よくよく見慣れている。だが同一人物でも己の気が惹かれて止まないのはランサーのクー・フーリンであるということを改めて実感して、エミヤは苦く笑った。随分と焼きが回ったものだと憂えつつキャスターの答えを待っていると、いつの間にか胡乱げな視線を向けられていたらしい。
「報酬は決まったか?何か思いついたのなら――」
「違ぇよ。……アー、わーったよ、わぁった! 惚れ薬的な奴な! 数日待っとれ」
「本当か!」
「一度いいと言った約束は違えねえよ。その代わりしばらくオレの晩酌の面倒見ろよ」
「お安い御用だ。暴飲が過ぎるのはいただけないが、酒も肴も極上の物を用意しよう」
気障ったらしく、しかしにこやかに頷けば、情け深いドルイド殿はやれやれと肩をすくめた。新しい煙草を咥えかけた口で、「意味あんのかわかんねえけどな」と嘯く。
「どういう意味だ? 君がアル中だという話か?」
「誰がアル中だコラ!!」
◇
先日食堂前の廊下で睨まれて以降、ランサーとは接触を避けていた節がある。わざわざそうせずとも、向こうからこちらに寄ってくることはないので距離を置くなど赤子の手をひねるように容易い。どうせ最後に一発、どでかい爆弾を仕込むのだからせめてそれまでは彼の気分を害さないでやりたいと思ったのもある。
それ故に、一週間ほどの後、小鉢に入ったおかずを目の前に差し出されたランサーは、唖然と目を見開いてから眉根を寄せたのだった。
「これも食べろ。片付かなくてね」
これからレイシフトに出る槍兵の腹ごしらえの卓を狙い、精のつくものがいいと朝から豚の生姜焼きをかっ食らっている所に半ば無理やり小鉢を添える。中身は芋を粗めに潰したポテトサラダで、塩胡椒の効いたベーコンと自家製マヨネーズであえる際にキャスター印の惚れ薬(今回は粉末だ)を混ぜ込んであった。
「……どういう風の吹き回しだよ」
「少しレシピを変えてみた。何、毒味といえば理解しやすいかね?」
「……」
嫌味な物言いにランサーが反応することはない。数秒押し黙ったかと思えば、オレだけか、と呟いた。意味が分からず、首を傾げる。
「オレだけか? その毒味ってやつは」
奴にだけ出したポテトサラダかといえば、確かに。
「まあ、そうなるか。味の保証のないものをおいそれと出す訳にもいかない」
何せ、味見は出来ないのだ。こちらはすでに惚れきってしまっているので食べてもどうもないはずだが、万が一逆にランサーへの恋慕をさらに深めてしまえば本末転倒。頼まれても避けたい状況である。
召し上がれ、と一言付け加えてエミヤは腕を組んだ。前々回の前科もあり怪しまれるかと思ったが、ランサーは無言で皿を引き寄せ躊躇いなく口へと運ぶ。瞬く間に惚れ薬入りのポテトサラダは彼の胃袋に消えていき、ランサーの挙動と数口で空になった小鉢に胸を高鳴らせると、我慢出来ずに問いかけた。
「ど、どうだ」
「ん? うめぇけど」
「そうではなく! あの、私を見て何か思わないか」
はあ? と低い声で訝しんでくる男は、いつもと変わりないように見えた。キャスターの言を思い出せば、まどろっこしいからまた即効性にした、と語っていたと記憶しているが。
「いつもと変わんねぇよ」
「む……何も……何もか?」
「おう」
もしやまだ効いていないのだろうか。服用して初めて目にした相手を好きになるというのが惚れ薬の類のセオリーであるから、エミヤはランサーから容易に離れられない。かと言って繋ぐ話題などもなく、わずかに生じた焦りがエミヤの胸を内側から叩く。どうか薬が効きはじめるまでここにいる理由が要ると、思わず口が空回った。
「おい、アーチャ……」
「キっ、キャスターの君が先日、ポテトサラダが食べたいと喚いていてな。まったく仕方のない奴だ、アテとあれば何でも口にしたがる。酒に合うよう濃いめの味付けにアレンジしたが君の口にも合ったようでよか」
ガダン! 突然鋭い打擲音がした。ランサーが食堂のテーブルを割らんばかりに殴りつけたそれが、つらつらと紡がれていたエミヤの言葉を遮る。
「ッ――」
「興味ねえ。勝手にやれや」
地を這う冷えた声。ランサーは一顧だにせず乱暴に立ち上がりトレイを掴んで去って行ってしまう。しんと静まった食堂から男の姿が消えた途端、辺りはにわかに騒然となって、伺うような遠巻きの視線が身に突き刺さった。
何が起きたか、しばらく理解出来なかった。
――また言葉を間違ったか? エミヤは呆然と唇を噛み締める。
「……失敗だ」
キャスターの尽力も虚しく、作戦は無に帰した。何一つ成功しないまま、三度もだ。さぁ次はどうやって――などというおめでたい思考を巡らす余裕などない。忙しい朝の厨房に踵を返しながら小さく呟いた苦渋の声は誰にも聞こえることはなかった。
ランサーはマスターたちと予定通りレイシフトに出かけたらしい。恐らく夜まで帰って来ないだろうが、今はその方が随分と気楽に思えた。厨房を片付けたあとすぐ昼食の下拵えに取り掛かり、合間に細々と用事をこなしていればあっという間に昼になった。作業に没頭出来るのはいい、余計なことを考えずに済むからだ。何にせよキャスターには今回の首尾を報告せねばならないので、あとで部屋へ行こうと彼用に昼食を別に取り分ける。すぐに始まったランチタイムの繁忙に力をふるい、いつも通りのカルデアキッチンチーフを装いながらエミヤは顔に薄ら寒い微笑みを貼り付けた。
「よう、遅かったな。失敗したか?」
「な、何……で」
さあ何と言われるか――せめてもの礼に、キャスターの好きなおかずを取り揃えようと覚悟して扉を叩いたというのに、部屋の主は何もかもを把握したような顔でこちらを手招きする。何故と問いかける前に、あの食堂での騒動を見られていたのだと思い至り奥歯を噛むと、微妙に困惑した表情でキャスターがひらひらと手を振った。
「あー、お前の顔見りゃわかる。つーか、オレは意味あるかわからんと言っただろうが」
「……どういうことだ」
ランサーにいわく付きの「惚れ薬」が効いていたとは思えない。前もってわかっていたならもっとやり方があっただろう――苦々しくそう言えば、男は呆れの多分に含まれたため息をついて「人の話聞かなかったのはどっちだよ」と片目を閉じた。
「効かなかった原因がわかるというのか? それとも他に名案があるとでも」
「まあ何つーか、オレが言うことでもねぇっつーか」
「なッ、そうならばそうと言ってくれなければ、君を協力者に選んだ意味がないだろう! 君が「クー・フーリン」だから、私はッ」
確かにやり方は正攻法ではなかったろう。だが生半可な動機で、キャスターを巻き込んでまで行動に及んだわけではない。己の滑稽さを笑われていたのかと悲愴に顔を歪めたエミヤは、たかだか身分不相応の恋だけで男へ協力を仰いだことを悔いた。ああ、惨めだと笑うがいいさ。何と短絡的で非効率かと後ろ指をさすなら好きにしろ。
クラスは違えど、クー・フーリンはやはりクー・フーリンかと歯ぎしりすれば、男は「違ぇって」とため息をつく。
「何が違うというのだ。貴様に頼った私が馬鹿だった」
「だから違うっつの。オレが力を貸すまでもねぇってこった。お前は知らんだろうが――」
だがそこで、仕方ないという素振りで話を続けようとしたキャスターと、彼に対峙したエミヤの背後で突如壁が吹き飛んだ。
「――ッ!」
「な、ッ……!?」
爆音と衝撃が容赦なく身体を打つ。ドアロックなど意味を成さずに、そこにあったはずの扉は見る影なく内壁を抉って粉塵と化している。宝具まがいの何かを打ち付けたような惨状に言葉を失って視線を強ばらせると、砂埃の向こうで青い姿がゆらりと揺れた。
「何をコソコソやってやがる」
よく聞き慣れた声色が無慈悲に響く。正体が誰かなど考えてもわかるくせ、理解が追いつかずに思考が止まった。なぜ奴が、ランサーが、ここにいる。レイシフトではなかったのか、部屋を破壊してまで激怒する理由は何だ。走馬灯のごとく疑問が沸いては飲み込み、狼狽して一歩後ずさると背後から同じ声が能天気に言った。
「おー、やぁっと来たか。そろそろ止めろよコイツ」
しっかしやりすぎだ、と後頭部の髪を掻くキャスターの、その態度に驚愕する。勢いよく振り返り、荒らげる声が悲痛に掠れた。
「?! 裏切ったのかキャスター?!」
「裏切ったも何も、槍のオレに内密に、なんていう約束はしてねーぜ」
「ぐ……っ確かに、そうだが!」
キャスターがランサーに告げ口する必要など本来は無いに等しい。積極的に縁を切ろうとするエミヤの行いは、クー・フーリンたちのメリットにはなってもデメリットになるはずがないからだ。キャスターのクー・フーリンだって、もう関わり合いになりたくないならそう言って突っぱねれば、自室が半壊になることも美しい蒼髪が埃にまみれることもなかった。ドルイドの彼の同情と優しさに甘えたのはエミヤ自身であったが、それでも。
「おい、離れろ槍無し」
「へーへー、るっせぇな、余裕ねえ男は嫌われんぞ。レイシフトはどうした?」
「死ぬ気で終わらせたわクソッタレ」
「ハッ、おーコワ」
降りかかる塵を払いながら、キャスターが立ち尽くすエミヤの背中を強く押しやる。遠ざけるような仕草に瞠目したままよろめくと、続いて槍兵が目の前まで迫り、語気を強めた。
「弓兵。テメェの魂胆は何だ」
「――ッ」
剣呑な光を宿す双眸。まるで睨まれた蛙のようだった。返答に窮してかろうじて口から出たのは「貴様には関係ない」という火に油を注ぐ一言で、ランサーをさらに焚き付けてしまう。
「関係ねえだと?」
あからさまに激昂した男がエミヤの胸倉を掴む。
「……そうだ。わざわざ厄介事に首を突っ込んでくるなど、余程血の気が余っているらしいな」
負けじと睨み返して口元に嘲笑を浮かべるのは、最早染み付いた習性に近い。一触即発の空気に皮膚が痺れて戦慄いた。
「アーチャー」
その一方で、次にエミヤを呼んだのはキャスターだった。助け舟かと振り向き目で縋ると、彼はちょうど立ち上がる所で、床の瓦礫を足で避けながらこちらに近づいてくる。
「コソコソ薬なんぞに頼らずとも、直接ぶつかって振ってもらえよ」
「ッ!……」
図星を突かれて俯いた。確かにその通りだった。回りくどく煩わしい方法しか取れないなら、その上何度も失敗するなら、最初から心臓を穿たれる覚悟で捨て破れば良かったのだ。――こんなもの。
「ああ、そうだなキャスター――君にも随分迷惑をかけた」
「一つ貸しだ。高ぇぜ、弓兵」
相対する二人の横を、キャスターは優雅な足取りですり抜けていく。心の内で、さながら華麗なアシストを決めたキッカーのような彼への感謝を並べ立てると自然と腹は決まった。首を締め上げる腕が緩んだのを見計らって、先程から蚊帳の外なランサーに向き合う。ぎらぎらと燃える紅い瞳を見据え、さあいざ――という所で、エミヤはひとまずすぐそこにいる浅葱色のフードをむんずと掴み上げた。
「だが待てキャスター!」
「ッてぇ!?」
つまりは空気を読んで壊れかけの工房を出て行こうとしたキャスターを、力強く引き止めたのである。
「ンだよ!? せっかく二人っきりにしてやろうっつーこのオレの粋な計らいを!!」
「君はこの後私を慰める係だ。立ち会ってくれ」
「はぁ~ッ!? 迷惑かけたって思うんなら自重しろよな!!」
「そんなこと言ったって仕方ないだろう。私にも事情というものがあって」
「何でオレがワガママ言ってるみたいな空気なんだよ!」
青い槍兵の脇で離せ嫌だの攻防が繰り広げられるさなか、左肩に衝撃が走った。ずどん、という音共に身体が大きく仰け反り、舌を噛む。それはキャスターも同じだったようで、右肩を押さえながらギッと目線をランサーに振り向けた。が、文句を言う前に口を噤み、両手を掲げて遠い目をする。エミヤの左肩の仇はそれはもう、激怒されていたので。
「いいから話進めろ」
「あ、う、そうだな」
誰がこの状況を愛の告白の場面だと思うだろう。括ったはずの腹がほろほろと零れていく気がして、息を飲むたびやたらと緊張してくる。けれど今更やっぱナシは無し、何よりランサーがそれを許してくれそうになく、無言の圧力に耐えかねてエミヤはついに己の懸想を吐露した。
「……ランサー。私は、君が好きだ。信じられなくとも、その、仲間としてではなく恋慕の対象として……恥ずかしい限りだが」
目を逸らす。キャスターの姿はいつの間にか消えていた。薄情な男め。ああ違う、そうではなく。今ランサーに対峙する意味を、己の目的を見失ってはならない。
「だが君にとっては迷惑かつ侮辱的な話だろう。わかっている。しかし私も何もなしに君を諦めるのは難しい……未熟だとは思うが……だから、ここで私を振ってくれ。完膚なきまでに、木っ端微塵に、跡形もなくなるまで」
「あ? 嫌だけど」
「そう、嫌だと――エッ?」
「お前を振る? ありえねえわ」
エミヤはびしりと硬直した。いつもの冷静沈着な態度はなりを潜め、どこか幼子のように瞳を揺らす。向けられた言葉の意味がよく理解できない。
「え……え? な、何故……」
「何故? んなもんお前に惚れてるからに決まってんだろうが。誰が野放しにすっかよ」
スン、とあらゆる感情が抜け落ちる。今度こそ思考が凍りついて声なく唇を震わせると、ランサーが居心地悪そうに目を細めた。
「おい、アーチャー」
「そ――そんな、見え透いた嘘を」
「あぁ? テッメ、この後に及んで何言ってやがる。嘘なんざつく意味がねえだろ」
逃げを打つ身体はランサーに引き留められ、掴まれた腕がみしりと鳴った。進むも退くもできずにうろうろと視線を彷徨わせれば、視界の端に見慣れたフードが映る。光明が差した。
――まだいた! キャスターのクー・フーリンは部屋の隅で黙々と部屋の復元作業に没頭していたようだった。これ幸いとエミヤはぐるりと首を捻り、土埃の似合う男に裏返った声を上げる。
「キャキャキャキャスター!!」
紅い眼が胡乱げに顔を上げた。何だよ、と項垂れたその指先では絶えずルーンが光っている。
「どういうことだっ、さっきの惚れ薬が今頃効いてきたようだぞ?!」
「いや、ちげーだろ」
「だ、だってそうでもないと」
「つーかこっちばっか向くな空気読め。そいつの怒髪天が見えねえのか」
「えっ」
次の瞬間、頭ごと振り向かされる。目の前にランサーの顔が突きつけられ。
「テメェ、オレの胸懐を疑うか」
あーあ、ほれ見たことか。背後で響く呆れ声を遠くに聞きながらエミヤはその殺気まがいの威圧に面食らった。
「当然、だろう! 絵空事も大概にッ」
「ならばとくと思い知れ」
一気にランサーとの距離がゼロになる。代わりに唇へ不釣り合いなほど柔らかい感触が触れて、熱い皮膚がくっついた途端に深く合わさった。
「んっ……? んー!?」
薄く開いたあわいを舌でなぞられ、肉厚の濡れたものが口内をくまなく舐めしゃぶる。これが惚れ薬の味か、と現実逃避に意識が飛ぶと、消え失せるはずの邪な感情がまた息を吹き返した。場違いな程の歓喜、恍惚。それらへの恐怖がエミヤを揺らがせて、男の肢体を力の限り突き飛ばす。
「何をする……! 嫌がらせにしては悪趣味だ! いつからそこまで落ちぶれた、クランの猛犬がッ!」
「口づけ一つで生娘みたく暴れるたぁ余程惚れたと見える。お前の気がオレにあってオレがお前を好いているなら何の問題もねえだろ」
「何もよくない! 君のような大英雄が薄汚い掃除屋に入れ込むなど有り得てたまるか!」
「有り得てんだよいいからさっさと腹くくれ! 槍無しにくれてやる気は一切ねえんだからこっち来い!」
「断る!」
矢継ぎ早の応酬の一方で、掴まれた右手首はぎりぎりと鋭い痛みを訴えてくる。折る気なら、肉ごとちぎる気なら好きにしろ、だがこればかりは譲れないと己の繰り返した失敗を思い返してはきつく眦を裂いた。
ランサーが眉を上げて問う。
「何故拒む? お前オレに惚れてんじゃねえのか」
「それはそうだが……! 私は君と結ばれ仲睦まじくなるために告白したのではない! この醜悪な感情を打ち捨て使命を全うする――私が欲しいのは罰だ、断罪だ、君に死ぬほど嫌われたいんだ! なあキャスター!?」
部屋の奥から「頼むから巻き込むのヤメテ」とうんざりと響く声は、ろくに伝わりやしない。話にキャスターが混じるのが気に食わないのか、男はますます肩をいからせてエミヤに詰め寄った。
「意味がわからねえ! 何なんだテメェは、人に怪しい薬飲ませたり珍しく手合わせに誘ったかと思えば尽く避けやがる! 挙句の果てに惚れ薬だあ? これで嫌われたいなんぞ、目的と手段が滅茶苦茶だろうが!」
「私は手段を選ばん人間でな」
「そういうこと聞いてんじゃねえ! ドヤ顔すんな! 御託はいいからとっととオレのものになりやがれ!」
トドメの台詞を聞いた途端、エミヤは二の句を告げなくなった。と同時に、再び煩わしい恋とやらが喚き出してエミヤを動けなくさせる。心臓が不自然に脈打つ。頬がやけに熱かった。
「ンな顔すんなら観念しやがれ。何が嫌われたいだ、捨てるくらいならオレに寄越せ!」
「……ふん、捨てる何とかあれば拾う犬ありというところか。綺麗な顔して物好きめ、拾い食いはいい事がないぞ」
「貶してんのか褒めてんのか心配してくれてんのかはっきりしろ、スケコマシが! アーもう埒明かねー……」
鈍い声を上げてランサーは天を仰いだ。エミヤの頑なな態度に骨が折れたのか、怒りはどこへやら、槍兵の語気はだんだんと恨めしげに変わっていく。
「面倒くせえなあ、もう!」
「っ、そうだろう。だから早く振れとさっきから」
「だっから嫌だっつの!」
砂煙にまみれ、数メートルの距離でじりじりと睨み合っていれば、この場にいるもう一人が気だるげにドアの破片をこちらへ投げて寄越した。
「痴話喧嘩ならヨソでやれ。邪魔だジャマ」
「ああ?」
またもランサーに険が滲む。苛立ちの矛先がエミヤのみならずキャスターにまで向いても、悠々たる男は「ここオレの部屋な」と嘯くばかりで相手もしていないようだった。
「つーかコソコソコソコソキャスターの野郎と密会しやがって。作戦か? オレを煽る意図なら大成功だわこの野郎」
「何の話かわからんが、彼は我がクー・フーリン特別対策本部の大切なアドバイザーだ」
「その設定まだ生きてんのかよ……」
「クー・フーリン……特別……本部? は?」
エミヤの口ぶりとキャスターの弱々しい突っ込みにランサーは余計謎を深めたらしく、これでもかと眉間に皺を寄せる。
「……本気で解せねえ。お前ら何がしてえんだよ」
それを聞いたエミヤは誇らしげに口角を上げ、斜に構えた様子で拒絶を連ねた。
「はて、君に我が本部の仔細を教える謂れはないと思うがね。取るに足らない詮無き事だよ。それとも何か、私のような凡人にも情けをかけてくれるとでも?先程からの嘘くさい睦事に輪をかけてそれはそれは有難いことだ。だが残念ながらお呼びでない、だ。そも、私は君への慕情を断ち切る意図でもって事を成しているのだから君らにとっても利点しかなかろう。わかったらそのつまらぬ言葉遊びをやめたまえ」
「おいっ、アーチャー、ばか、煽りすぎだっ!」
「というわけで当然秘密を明かすはずもなく、君の口車にも乗るわけがないのだ、ケルトの犬――え?」
「アーチャー」
ずん、と空気が重たく垂れた。ランサーの声が地を這い、足元からエミヤをそこに押し留める。
――エッ? 予想外に彼からにこやかな微笑みを向けられて、底知れぬ戦慄に喉がからからに乾いていく。ランサーが怖いくらい友好的に、エミヤの肩を抱く。
「――よぉくわかった。あんなもんじゃ足りねえってわけだな? 悪かったな、やり方が手温くてよ。いいぜ、覚悟しろ弓兵」
「え? あ? え?」
「四度目はねえぞ♡」
あーあ、ご愁傷さん。己の傍らを通りすぎる蒼い風が何かを告げたのを、エミヤは冷や汗にまみれたまま聞いていた。
その後、ランサーの毅然とした問い詰めにより、エミヤは己の恥辱なる作戦を白状せざるを得なくなり。彼に三種の薬を飲ませた懺悔と目的、その結果とやらを懇々と吐き出した。初めはそうかそうかとにこやかに聞いていた男が、次第に感情をなくし肩を掴む力ばかりが強くなっていくのが恐ろしい。助けも救いもありはしない。今度こそ捕まる前にとっとと逃げ仰せたキャスターに、心の中で深爪が癖になる呪いをかける。せいぜい床に落ちた小銭を拾うのに苦労するがいい!
「その謎な行動力とぶっ飛んだやり方はどっからくんだよテメェはよ!!」
「クー・フーリン[ランサー]特別対策本部だ」
「んなもん解散だ解散!! 今すぐ!!!」
夕飯時のカルデアに、ランサーの悲愴な叫びが響く。ひと通り暴露したのち、問答は済んだ、さて今日は夕飯当番だったと何事もなく出ていこうとしたエミヤの身体はランサーの手によって見事拉致された。彼の部屋に連れ込まれ、強く抱き締められ。洗いたてのシーツと硬めの寝台の上で一晩中、滔々と愛を囁かれた挙句、弓兵はとうとう、「糖分過多だ!」と音を上げたという。
しかして、彼らがそういう関係として甘く熱く整ったかどうかは、もちろん神のみぞ知る何とやら。
◇
――クー・フーリン特別対策本部。
採算と手間を度外視し、欺瞞と少しの同情にあふれたこの小さなコミュニティは、ただ一人、クー・フーリン[ランサー]の「言いたいことやりたいことがあんなら直接来い」という至極真っ当な鶴の一声により閉幕と相成った。
その主な被害者であるキャスターのクー・フーリンは後にこう語る。
「嫉妬とおせっかいは焼いてナンボ」「しかし余計なモンまで燃えたわ」「オレの部屋どうなったと思う?全部自腹で修繕だとよ、可哀想だと思わねえ?」
さもありなん。彼と彼らの幸運を祈る。