がらんどうの心(槍弓)
もう何回された鉄板ネタかは知りませんが、書きたいので書きます、書きました。
いわゆる花吐き病ネタです。苦手な方はご注意ください。ハッピーエンドなのでご安心を。
だがしかし、いつも書きたいネタはだらだら長文になってしまう癖があり…無駄に長いですごめんなさい。以下蛇足。
この後、エミヤオルタさんが感染して。ものすっごい普通のテンションで報告されたエミヤさんは。
「おい、伝染したんだが…?」
「は!?っ、おいランサー!」
「あぁ、任せな!!」
「???いや、あれは一体何を任され」
「いいか腐った私!今から来る人物にただ一言、『SUKIDA』と言えば治る!分かったな!?」
「…、………いや、意味が分からないが、完治したアンタが言うんだから、間違いではない、のか…?」
「オイなんだ、なんで俺は呼ばれ」
「狂王!さっすが腐った私に呼ばれたと知ると迅速にも程があるな!?」
「ッ、おい、こいつなんで花吐いて、」
「――オイ、」
「なに、」
「すきだ」
「――…、……………………………………………………………………………………………おれ、も、だが、」
「はい両想いー!はい完治ー!!」
「おいお前自分の時より大分雑過ぎねぇか!?」
「こいつだって私なんだから、好きになる相手など君以外に誰がいると!?」
「いや俺だな、うん。早く完治させるのに越したことはねぇもんな、うん」
「…、…一体何だったんだ…?今のが解呪の呪文で合ってはいるのだろうが…そしておい、何故アンタは無言で抱き着いている」
「(感極まって無言)」
と呆気なく終わってしまったので残念ながら狂王黒弓編は書けませんでした!!!
12月03日付の女子に人気ランキング85位入りありがとうございます!!
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見てみぬふりをしていたのに、まるで現実を突きつけられているようだった――(逃げられない、私のこの運命は最早呪いに等しいのだから)
何てことのない日々、新たな特異点が見つかるまでの小休止。麗らかな日常、閉鎖された平和。無にも等しい隔絶された外のことを、今だけは考えないで。
そう、何事も突然訪れる物だ。不穏な空気も、突発的な襲撃も。いつもはカルデア全部を巻き込むそれが、今回はただ一人の世界を壊すに至っただけ。
「こんにちは、エミヤおじさま。今日のおやつはなぁに?」
「ご機嫌よう、ナーサリー。今日はバニヤンのリクエストを受け付けた。蜂蜜たっぷりのパンケーキだ」
「まぁ、まぁまぁまぁ!それは素敵だわ!なら、これを使って頂戴!ぜひぜひ、おじさまの手腕で物語をもっともっと彩ってね」
「うん?あぁ、なるほど。了解した。もうじき出来るから、連れを呼んでくるといい」
あとはじっくり弱火で、蓋をされたフライパンの中でゆっくりじんわり。ふっくら膨らんだパンケーキはただひたすら、その時をじっと待っている。
レイシフト先で思いっきり開拓魂を見せつけたあの少女が、その時ふと見つけたハチの巣が此度の収穫品。自然と、その使い道も決まるというものだ。
甘く優しい香りに誘われたのは、少女の形をしたとある物語の一頁。彼女はいつも通り、お裾分けとばかりに色とりどりの野花たちを掲げてくる。
その鏤められた小さな原石を前に、自然と笑みが零れる。手渡されたそれを、一輪とて無駄には出来ない。ざっと水で洗い、いくつかを活け、いくつかを拝借。
(さて、そろそろ焼き上がっただろうか)
火を消し、蓋を開ける。ふんわり甘く香る湯気は、それだけで時を告げてくれる。頃合いだ。崩さぬようそっと皿の上に移し、フライパンには再び生地を流す。
何度も、何度も。同じことの繰り返し。おやつはきっと、たくさん焼いても足りないだろう。それほどこのカルデアには、食を楽しむ者達が増えた証拠。
それが良い事なのか悪い事なのか、一介の守護者には到底決められないことだ。だが、求められている役職があることには、素直に喜ばしいことと思うから。
(せっかくの好意だ。無駄にはできない。では――頂くとしようか)
黄金色の焼き上がった生地の上、たっぷりの生クリームを絞り、蜂蜜をかけ。そうして先ほど頂戴した、花びらを数枚飾り付ける。何度も、試行錯誤しながら。
きゃらきゃらと、瞬く少女たちの笑顔を崩さぬために。その尊い心を、せめてここでだけでも守り抜けるように。とある養父が、いつしかそう願ったように。
バニヤンと、ナーサリーと、ジャルタリリィと、ジャックと、アビゲイルと。一番乗りは誰だろうか。とりあえず真っ先に、その少女たちの分を確保して。
あぁ、忘れてはならない。我が誇りのマスターの分も。そうしたら、そうしたら。いつしか彼も、この香りに誘われて。顔を出してくれたりするだろうか、などと。
はらり、
「――ん?」
舞うように、ひとひら。そこには不釣り合いの大きさと色の花びらが一枚。ぽとりと落ちた。はて、どんな奇跡か、どんな魔術か。ただ茫然と、それを見つめ。
そこには花の魔術師も、薔薇の皇帝もいない。もちろん、自分にはそのような魔術など使用できない。ただこの手は、剣を鍛えるそれだけに特化している。
ならば一体誰が、と思う間にひらり。また一枚、花びらが落ちた。今度はパンケーキを汚すことはなく、掌へ吸い込まれるように。ぽとりと落ちる。
それはまるで、雨のような、涙のような。そのように考えてしまったのは、色が連想させたからだろうか。駆け寄る足音が聞こえ、急ぎそれをポケットに仕舞う。
「わぁ、いい匂い…!!」
「――さぁ、席に着くといい。行儀の悪い子の分はないぞ」
「まぁ、おじさまったら。私達の中に、そんなマナー違反がいると思って?」
にこり、笑みを浮かべる。冷や汗を隠すように、寒気を気にしないように。5人分のパンケーキを配膳し終え、個人の好み別に飲み物も提供し。
未だ焼き終えていない生地の事など、考えもできなかった。だが、ここを自然に乗り越えるにはあまりに無理がありすぎる。ぐるぐると思考回路は試行錯誤。
エプロンを外し、ラフな第二再臨から、最終再臨へ。まるで戦へ挑むかのように。だが、布生地の一番多い、これが最善の策だった。
「お、いい匂いがすると思いきや。今日のおやつ番はエミヤだったのか、い?」
「――すまない、ブーディカ。後を頼めるだろうか?好きにしてくれて構わない。取り急ぎ、どうしてもここを離れなければいけない急用が出来てな」
「それは構わないけど、どうしたんだい?」
「いや何、マスターの身に何かが起こっただとか、そういう事じゃない。ちょっとダヴィンチ女史に呼ばれていたのを、今しがた思い出しただけだ」
そしてそこへ、誘われたのは頼れるキッチン仲間。ほっと息を吐いたのも束の間、急激な眩暈に襲われ。これはいけないとばかりに奥歯を噛みしめる。
至って普通を取り繕い、鋼の精神で耐え抜く。ここで不調を見せてはいけない。原因すら分かっていないというのに。いつも通り、穏やかな笑みを向け。
彼女にならばここを任せられる。そうして口から出た出任せは。我ながらその場を切り抜けるに相応しい最善の選択肢だっただろう。
あの不可思議天才発明家にならば、と道を譲られる。言い訳に使用してしまったことについては、後程謝罪の意味も込めて紅茶を送るとしよう。
(何より、今は――)
一刻も早く、その場を立ち退きたかった。いや、その場ではない。誰にも見られない場所に行きたかった。それも、誰かに見られることなく、だ。
駆け足になどなれない、異変を悟られるわけにはいかない。颯爽と素早い足取りで、誰かに声をかけられぬよう。その場所へ自然と急ぐ。
喉に感じる違和感を必死に押し留め、人がいないのを確認して、少しばかり咳込む。そうして現れたそれを、苦虫を噛み潰したように握りしめ。
彼女の元へ急ぐ。どうかそこに、誰もいませんようにと。ただそればかりを祈り続け――掌の中にある、蒼い花びらをただただ強く握りしめていた。
「“嘔吐中枢花被性疾患”だね」
「――それは、」
「通称、花吐き病だ。遙か太古の昔から流行と潜伏を繰り返してきた病、だが…まさかサーヴァントも疾患するとはね。ほとんど、呪いに近いのだろうさ」
「呪い…」
駆け込んだ工房のその先に、ここの主がいた。他に先客が誰もいなかったのが救いだろう。台所に現れた彼女といい、今日はどうやら運がいいらしい。
それでもその呪いを告げられ、自分の幸運値が最低値だったのを思い出す。症状を伝え、提出した花びら。それは丁寧に指先で触れぬよう保管される。
「それは一体、どのような?」
「何、その名の通りさ。ただひたすら、花を吐く。それだけで死にはしないが、嘔吐を繰り返すんだ。普通なら体力も消耗するし、最悪窒息死するだろう」
「…眠っている時になど吐いたら、確かに窒息の危険性はあるな。感染経路は」
「どこで患ってきたかは知らないし、サーヴァントが疾患した例は聞いたことがないが、対魔力が低い者はもしかするかもしれないね。花びらを触らせないよう」
なるほど、と頷く。キャスターのクラスである彼女ならば、私とは比べ物にならない対魔力を兼ね備えているだろう。だがそれでも、万が一の可能性がある。
だからこそ、その花びらを素手で触れることはせず、瓶の中に密封する。美しい花びらにしか見えずとも、それは確実な呪い。何より、この身から零れたもの。
ならば誰にも触れさせるべきではないのだ、理解する。どこで感染したかは分からないが、この身が第一号というのなら。防ぐしかないのだ。
「全く、治療法より先に感染経路とは…相変わらずだねぇ、エミヤ」
「当然だろう、マスターの身に何かあってからでは遅い。というより、解呪方法が分かっている呪いなのか?」
「まぁ、ね…でも、君には難しいのかもしれない」
私はこのカルデアでも最古参に入る部類で、それこそ未熟なマスターの共をしてここまで来た。同時にそれは、目の前の彼女との長い付き合いも指す。
だからこそ彼女は、私の性格を知っていてそのような言葉を吐いたのだろう。私には難しい、とは一体どういう意味なのかを問う前に。
「この花吐き病はね、片思いを拗らせると疾患する。そして――両想いにならなければ、治ることはない」
「――なるほど、それは治るまい。不治の病、というわけか…いいや、まさしく呪いというわけだ」
全てを、把握し理解した。なんて無様な疾患理由、なんて無理難題な完治方法。思わず笑みが零れた。諦観したような、嘲笑うような、なんともいえない。
心の病とは、よく言ったもので。呪いだ、この心臓を穿つに相応しい。一番初めに吐いた花びらが、蒼い薔薇だったのも。きっとその棘を意味していた。
「助かったよ、ダヴィンチちゃん。おかげで私が何を為すべきか、これからどう歩むべきかを理解した」
「…早まるなよ、エミヤ。君はこのカルデアで必要とされているサーヴァントだ。その身に受けた聖杯の数こそ、彼女の信頼の証だということを忘れるな」
「…忠告、感謝する。何、私もそう簡単にやられるタマではないさ。然るべき対処をするまでだ――迷惑を、かけるわけにはいかないからな」
決して短くはない時間を、この工房の主と過ごした。だからこそ、全て見透かしているのかもしれない。私の想い人を、私の考えを、私の今後の行動を。
そうして全てを把握して尚、心を委ねてくれている。黙って、口を閉ざしてくれている。その信頼を裏切ってしまうことだけが、心を少しばかり痛ませた。
これからしなければいけないこと、心がけなくてはいけないこと、耐えなければいけないこと。徒然と考え、かの工房を後にする。思考回路は満員御礼だ。
思えば始まりもそうだった。おやつを作っている時間、彼が来ればいいのになどと他愛ない願望を思い描いた。それが全ての始まり。そこから花が芽吹いた。
ならば必要以上に、彼のことを想ってはいけない。その瞬間、確実に花を零すだろう。今までは、偶然のきっかけでもいい。彼を一目できればと思っていた。
今後は正反対を努めなければ。必要以上の接触を避けよう。マスターには上手に言い訳し、彼と同じ編成に決してならないようにしてもらわなければ。
(こちらは大丈夫だろう。彼も顔を合わせれば、買い言葉に売り言葉となるのだ。ならば顔を合わせなければどうということもあるまい。あとは――)
まるで事務処理、理性的に、冷静に。それが恋の後処理などとは誰も思うまい。それほどに冷め切ってしまった心、醒め切ってしまった夢。
元より、どうにかなるつもりはなく。どうにかするつもりもなく。だからこれは、いい機会なのだろう。もうやめてしまえ、と呪いから持ちかけられた最期。
(――あぁ、でも、本当は、)
本当は、ほんとうは。もう少しだけ、あと少しだけ。ここに居たかったと、白状してもいいだろうか。だってここは、何より――硝子の心を、砕く必要がなかった。
人を殺さなくてよかった、人を泣かせなくてよかった。守護者、としてあるべき道を、相応しき場所を。あの未熟なマスターは提供し続けてくれていた。
拠り所だった。過酷な戦いも、些細な日常も。摩耗する必要もなく、擦り減らす精神も不要。それに何より、あの運命がいた。赤い呪いの、茨の棘槍。
歩みを止め、考えを止め。己の心臓をなぞる。全ての始まり、穿たれた名も無き心臓。何気なく外を眺めて、いっそ自分も埋もれたらなどと考えれば。
「――おいッ」
「――っ!?」
油断しきっていた。少しくらい、現実逃避をしてもいいじゃないか。だがいけなかった。せめてそれは、誰にも見られない自室でするべきだったのだ。
心臓をなぞる腕を、熱い手に掴まれる。驚き目を見張ったのは、それが彼だったからだ。何故か怒っているような表情で、彼は、ランサーは。私を睨む。
息を飲む音すら、許さないその視線。あぁ、たった今、もう出会いたくないと思っていた矢先に。これが己の幸運値のなせる業かと。普段通りを装って。
「…なんだね、何か君の気に障るようなことでもしたか?私は」
「てめぇ…今何考えていやがった」
「…、…何故、それをいちいちわざわざ君に言わなければならない?その必要も理由も見当たらない、失礼する」
「あ、オイ!!」
掴まれた腕を跳ね除ける。心底嫌な表情で。彼の思う私なら、そうしただろうという言葉で。拒絶を、拒否を。関わるな、と視線と態度で目一杯示す。
外套を翻し、背で拒絶すれば。彼はそれ以上追ってはこなかった。本当に用件などなかったのだろう。ただ気に食わない奴が目の前にいてしまったから。
喧嘩を売ってしまっただけ。いつもの日常だ。だがもう、私には非日常になってしまった。早く、早くと駆ける心を抑えきれない。駆け足で自室へ急ぐ。
誰もいないそこへ、ドアが閉まった瞬間にずるずると腰を落とす。案の定、咳込んでは吐き気。噎せ返るような甘い香りに包まれ、涙すら出てこない。
「げほっ、ぐ、う、ぇっ…、……は、はは、ははは…ほんと、どうしようも、ない、な……わたしは…」
ぽろぽろと、涙のように花を零しながら。嘲笑いしかできなかった。扉に背を預け、呼吸を整える。たったあの程度の接触でこれとは、先が思いやられる。
掴まれた腕が、まだ熱い。まるで彼の熱が伝染したかのよう。その腕で顔を覆い、掴まれた箇所に唇を寄せて。たったそれだけで、さよならの儀式は完了だ。
まず始めにすべきは、どう繕っても不調を隠しきれない事への言い訳を考えることだった。吐き気を催した後は、どうにもならないことは初日で経験済。
誰かのせいにするのは非常に心苦しかったが、どうにも考えきれないので。工房の主の実験に付き合った結果、霊基が少し揺らいでいる、ということにした。
体調不良などではない、と我が主にも説明しておく。心優しい彼女だから、心配を迷惑をかけてしまうだろう。そうならないように、最大限努めるべきで。
「え?そ、それ、大丈夫なの?エミヤ」
「何、心配いらないさ。まぁ、少しばかりいつも通りとはいかないのでね。すまないが少しの間、編成から抜けさせてもらえるだろうか」
「それは大丈夫だけど…無理しないでね?ダヴィンチちゃんにはきつーく言っておくから!」
「あぁ、それは止めておいてくれ。実験に付き合うと言ったのは私だし、副作用が出るとの説明も受けている。被験者としての責任は理解しているさ」
天才技師は何一つ悪くないのだから、責めるのは止めてほしい。迷惑をかけているのはこちらなのだ。強く引き下がれば、マスターはしぶしぶ頷いてくれた。
同等の理由を、調理組にも話す。当番を空けるようなことはしたくないのだが、もしもの時は抜けざるを得なくなると。皆は納得し、快く頷いてくれた。
「エミヤは働きすぎだからね!たまの休日と思ってゆっくりすればいいんじゃない?」
「調理組もメンバーがかなり増えましたし、今まで披露しなかっただけで本当は調理上手、というサーヴァントをこの際スカウトしてみては?」
「お、いいねぇ!メニューの可能性も増えるし!というわけでこっちは全然気にしなくていいからね?あ、だからといって顔を出すなとも言ってないからさ!」
共に戦う時間よりも、調理してきた時間の方が長いかもしれない。クラス上や相性上仕方がないのだが、それでも彼女たちはまさしく戦友に相応しかった。
本来ならば、聖杯戦争において刃を向けることの可能性が高いサーヴァントなどという性質のくせに。今は誰もが、同じ敵に刃を向け肩を並べられる。
その奇跡に、心からの感謝を。そうしてこのような言い訳に使ってしまった彼女へ、一体どのようにして謝罪し尽くせばいいのか分からなかったけれど。
「何、天才への非難など慣れっこだからねぇ!君が気に病む必要など微塵もない。いつも助けられているし、いつも美味しい芸術を頂いているしねぇ」
「…、…それでも、感謝し尽くせないのだ。何か、私に出来ることがあったら、何でも言ってくれたまえ」
「…ならば、後悔のないように、とだけ言っておこうか。エミヤ、全てを最初から諦めきってしまうのだけは、君の欠点だと思うよ」
全てを見透かした柔らかな笑み。私の想いも考えも、この天才にはお見通しなのだろう。そうして分かっていながら、口を噤んでくれている。
感謝しかない。頭を下げ、笑みを向ける。それでも、考えは変わらない。どうすることもできないし、どうにかするつもりもなく。ただその時を緩やかに待つだけ。
人ではないから、病というよりは呪いに近いのだろう。呪いに侵された末路など、消え去る他にない。緩やかに死に向かうことが確定されてしまった未来。
花を吐きながら消えていくなど、これが女性サーヴァントなら姿になっただろうに。などと馬鹿らしいことを考えながら、段階は次へと進んでいった。
戦闘に参加することはほとんどなく、だが調理番だけはしっかりこなした。少しずつ、この呪いと共存していった。彼のことを、考えなければいいだけのこと。
日中は簡単だった。調理番をする時間はなんて穏やかで。料理のことだけを考えていたからだろう。それに何より、彼の日程を知っていたからだ。
準備だけをし、配膳を他のサーヴァントにお願いすることで。朝食や昼食を取る彼との接触を避けられる。接触さえしなければ、花を吐く頻度は多くなかった。
全く姿を現さないのも心配させてしまうだろうから、その存在を露わにした。自ら会話することはなくとも、そこに居ればそれだけで自然と日常に溶け込めた。
「あら、ご機嫌よう、エミヤ。何をしているの?」
「ご機嫌よう、マリー。何、いつもより纏まった時間が取れたからね。この機会にと、今までのレシピを纏めたりしているのだよ」
武装を解いて、エプロンもかけず、集中力を高めようと眼鏡をかけて。食事処にいながら、らしくない私の姿に声をかけてきたのは麗らかな王女様だった。
彼女は私と同期といっても差し支えないだろう。このカルデアがまだ、第一特異点を修復していない時期からここに召喚されたサーヴァントだ。
だから自然、私とも付き合いが長い。身分は違えど、心許せる人物の一人だ。同じ女性として、崩れ落ちそうになるマスターの心を癒す姿を何度も見ている。
身分上、知らないこともたくさんあっただろう。ここは確かに、興味溢れる物でたくさんだ。そういえば見せたことはなかったか、とレシピノートを手渡す。
「まぁ、まぁまぁまぁ!これはエミヤの魔法のレシピ本なのね…!写真も付いていて、凄いわ…見ているだけで、味が想像できそう」
「ふ、そう言ってもらえると書き留めた甲斐があったというものだ。現代料理に精通しているサーヴァントなどそういるものでもないからね」
「ふふっ、皆エミヤに教えを請いに来るのね?愛情の込められた一冊だわ…私この、端っこの落書きのような殴り書きも好きよ」
「それは…、…ふ、まいったな。それこそ殴り書きだというのに。そんな所に目をつけるとは、君も意地が悪い」
悪戯心の内緒話。ここではかなりのサーヴァントが召喚されていて。その多さに戸惑うことも、心細くなることだってあるだろう。自分がここで、何をなせるか。
だからこそ、同時期に召喚されたサーヴァント達は、自然絆が深まっていく。戸惑いも無知も共有でき、同じシミュレーションに配置されたり戦闘に出されたり。
私と彼女も、クラスや属性が違えど。戦場を共にした仲だ。こんな風に軽口だって交わせてしまうのだ。彼女が何より、心穏やかだからかもしれないが。
「“ロビンが一瞬苦い顔をした。どうやら酸味が苦手らしい”“エリザベートがよくリクエストする。好物だろうか”…皆をよく見ている貴方らしい落書きだわ」
「何、調理と配膳を終えてしまえば、調理番など暇を持て余すばかりでね。そんな時は食べている者達をつい観察してしまうのだ。内緒にしておいてくれよ?」
「もちろんだわ!私内緒話は得意よ?でも、やっぱり一番書いてあるのはマスターのことなのね」
美しい指が、優しく文字をなぞる。それだけでその殴り書きにすら、まるで意味が生まれてしまうかのよう。それほど、彼女の手は慈しみに溢れていた。
全てのメニューに、マスターの名があるのは。彼女が最初、あまり食事をしてくれなかったせいもある。だから少し、神経質になっているのかもしれない。
皆が頑張っているのに自分一人食事などしていられない、と頑なマスターのために。マリーと共に職員達に食事を強要した日々も今となっては懐かしく。
彼女もきっと、それを思い出しているのだろう。そうしてパラパラと、ページを捲っては。人の名前を読む。レシピよりもそれが彼女のお気に召したらしい。
「ふふっ、この調子なら、個人個人のノートも出来上がってしまいそうね?食事の好き嫌いは全て、エミヤに把握されていそうだわ」
「なるほど、目聡いな――ある、といったら君はどうする?」
「まぁ、まぁまぁまぁ!…でも、それはエミヤの努力の結晶、貴方だけの秘密のノートだわ。私が見てはいけないわね。なんだか、ずるをしているようだもの」
「ある意味、個人情報ではあるからな。別に見せても害はないと思うが、君がそう言うのなら内緒にしておこう。勿論、君以外にもだ」
まぁ、と彼女は朗らかに笑った。それが何とも、彼女らしかった。きっとそのノートは、私の努力の結晶だとでも思っているのだろう。
だからこそ、覗き見は出来ないと。別段重要な何かがあるわけでもなく、本当に個人の好き嫌いや趣向などを纏めだだけのものではあるのだが。
彼女がこちらのレシピノートで満足するというのなら、そちらは秘蔵にしておこう。勿論、彼女に見せられないのなら、他の誰に見せられないも同等だ。
「というより、私としたことが失態だったな。寛いでいくのなら、紅茶の一つでも淹れるべきだった。何がいい?」
「あら、嬉しいわ。ありがとう。なら、今日は」
「――っと、ここにいやがったか。おいマリー、マスターが呼んでいたぜ」
「――ッ、」
穏やかに会話しすぎてすっかり忘れていた。何たる失態。挽回すべく席を立ち、紅茶を淹れようと準備をすれば。今最も、聞きたくなかった声を耳にする。
胸元が、ざわついた気がした。これはまずい、と胸倉を強く掴む。席を立っていて助かった。顔を見せてしまえばきっと、あの王女は誤魔化せない。
「ごめんなさいね、エミヤ。せっかくのお誘いを」
「…いいや、マスターがお呼びとあらば仕方あるまい。お茶会は、またの機会にだな。その時はスコーンも用意しておこう」
「あらあら、ふふっ、それは楽しみね。ぜひお願いしたいわ。ねぇ、クー・フーリンさん。良かったら、私の代わりに紅茶を飲んでいってくださいね」
「あ?いや俺は――」
ヴィヴ・ラ・フランスと軽やかに優雅に彼女は去って行った。煌びやかで麗らかな、彼女の名残は甘い甘い花の香がした。今では慣れてしまったその香り。
それで憩いは仕舞いだ。手を振る彼女に手を振り返して、視界に彼を収めてしまわないよう片づけを。この紅茶セットは、今回ばかりは使われない。
「…だとよ。俺が頂いてもいいのかね?その紅茶」
「何、淹れる前だったからね。頂くも何も、差し出せる物は何もない。残念だったな」
「あ?んだそりゃ…っと、何お前、眼鏡かけてんのか」
「っ、いや、書類を纏めていたのでね。それだけだ」
なるべく視線を合わせないように、散らばったノートを閉じる。投影した眼鏡を消して、服装もいつもの再臨状態へ戻す。赤い外套が、瞬時に閃いて。
だからそれで終わりだ。もうここにはいられない。声を聞くだけで、存在を感じるだけで。咲きそうになる花を抑えるのに精一杯。ボロを出さない自信がない。
至って自然な動作で片付ける。本当は言葉すら交わしたくなかったのだけれど、無視するわけにもいかないだろうと。そうして油断は命取りとなる。
「おい待てよ。何もんな逃げるようにしなくたっていいじゃねぇかよ。服装まで戻して」
「――…、………」
「ノートとやらはいいのか?ならいつもの服装に戻ったことだし、ちっとシミュレーションにでも付きあ」
「――すまない、それは出来ない。腕を、離してくれないか」
ばちり、一瞬の不意を突かれ腕を掴まれ。振り向いたその先に射貫く真紅の瞳。おおよそ現代の人間ではありえない、魔的なその色。
ぎらぎらと、まるで獣のように獲物を見定めて。捕え時を待ち構えている。既に囚われていて、現に捕われている。足掻いても足掻けず。虜となるだけ。
「あ?えっ…んだよ、どうした」
「…マスターから、聞いていない、のかね…?」
「あー、なんか、ダヴィンチちゃんの薬がどうのこうの、言ってたっけか?まだ治ってねぇのかよ」
「ッ、君と違って、対魔力が、低い、のでね。すまない、他を当たってくれ」
震えそうになる声音を、奥歯を噛みしめることで耐える。握りしめた拳からは、もしかしたら爪が食い込んで血が出てしまっていたかもしれない。
だが今はそんなことどうでもいい。限界だった。呆気に取られた彼が、思わず手を離す。それを好機とばかりに逃げ出した。本当は、そんなことしたくなかった。
言葉を交わせるだけで、軽い口論をしながら戦闘に付き合うだけで。それだけで以前の自分は、とても満たされていたはずだ。それなのに今は、正反対。
胸を満たすのは、喉元いっぱいの花びらだけ。噎せ返る香りが溢れてしまわないように。自室へ飛び込んで、ベッドへと雪崩込む。瞬間、溢れる花びら。
「げほげほっ、ごほっ、う、かはっ、はっ、うぇっ」
嘔吐物が綺麗な事だけが、救いだったかもしれない。これが血だったりしたら、見るに堪えない絵面になっていただろう。最も、今もそれに違いないが。
花が、溢れる。香りで、噎せ返る。その繰り返しだ。治る見込みも、治まる気配もない。これとずっと付き合っていかなければならないのだ。なんて、呪い。
息苦しさに、眩暈がする。過呼吸気味な体は、酸素を取り込もうと必死で。ふと、視界が滲む。零れ落ちたのは、涙だった。なんと情けない。
(我ながら、本当、厄介な病に、陥ったものだ――)
恋に効く薬はない、とはよく言ったもので。まさしくその通りだった。いっそこの恋を終えてしまえれば、と何度も思った。だが、どうしたって止められなかった。
己の心すらままならない。でも元来、恋は落ちる物だと聞く。落ちて、落ちて。その先に一体何がある?愚かな私はそのままきっと、灰にでもなるのだろう。
花を吐き切って、乱れた息が収まって。それでも、立ち上がる気になれなかった。まずはその花を、処理しなければならないのに。気怠い体が億劫で。
(――今は、何も……)
瞳を閉じて、息を潜める。この施設が防音壁で助かった。咳込む声に誰かがつられないとも限らない。むしろこのまま、消え去っても誰にも気づかれないよう。
それはまだ少しだけ、先だと分かっていたけれど。今は何もかもに蓋をして、視界に帳を降ろす。無駄に魔力を消費している。少しでも消耗を抑えなければ。
まだまだ、しなければいけないことは山盛りだ。自分がいつ消えても、大丈夫なように。だからそのための休息を、少しだけ。微睡むようにそのまま眠った。
泥のように眠り、それでも倦怠感は抜けなかった。腫れぼったい瞳を擦りながら、ゆっくり身を起こす。噎せ返るような香りに、再び眩暈がしそうだった。
眠ったからといって、瞬時に何かが変わるわけではない。改善されるはずもなければ、回復する見込みもなく。だからこれを、通常の状態と割り切るしかない。
気怠い身を起こし、身に降り注いだ花びらを振り払う。そうして慣れた手付きで、ゴミ袋の中に花びらを棄てていく。一枚も、取り零しがないように。
(こんな時、私に炎の魔術が使えたら…、…いや、いやいや、考えるな考えるな。また花を増やすだけだろう、それは)
一瞬で灰にしてしまえるような、むしろ灰さえ残さないような、それ。炎の魔術、と考え真っ先に思い浮かぶのがそれなのだから、本当どうしようもない。
掃除に没頭し、頭を冷やす。もう慣れてしまったが、身に纏う甘い香りを消すために。後でシャワーも浴びなければならないだろう。
(…、…もう、こんな時間か)
気が付けば時計は、夜を指していた。夕飯は当番ではなかったから良かったものの、随分眠ってしまっていたようだ。それでも回復はしないのだけれど。
魔法は扱えなくとも、魔術を行使することはできる。貯蔵の魔力は心元なかったが、それでも処分するにはその方法が最も効率的だったろう。
工房の主に貰った布の上に、花びらを敷き詰めて。軽い呪文を一節。手にはライター。なんて魔術とは程遠い代物。でも燃やすにはそれで充分だった。
敷き詰められた花びらが燃え落ちるのを見届け、灰を袋に詰める。これならば処理物として妥当だろう。そうしてもう一つ、仕事が残っている。
(これも、書き留めなければな…)
先ほど零した花びら。綺麗な数枚を残し、透明な袋に入れる。これについても記載しておかなければならない。何事も、記録が大切だ。
工房の主からも勧められたことだった。他に感染者がいないとも限らないし、今後出てくるかもしれない。症状についての記載はあっても困らないだろう。
ノートはもう既に、3割程を埋めていた。これが多いのか少ないのかは分からないが、これから先も増えることは確かだろう。憂鬱な思いが支配する。
どのような時に、花を吐いたか。その時の症状は、魔力は。療養日記に近かった。そうして図鑑と睨めっこ。目当ての頁を見つけて、自嘲する。
「アネモネ…花言葉は、“はかない恋”、“恋の苦しみ”か…なるほど、言い得て妙だ」
大の男が、花言葉図鑑と睨みあい。手持ちの花びらの意味を調べるなど。気色悪いにも程がある。これもある意味、この呪いの代償だっただろうか。
赤い花びらを手に、これはきっと彼の瞳を見てしまったからこの色なのだろうと。自嘲しながら花言葉について記載する。まるで乙女の恋日記。
そんな可憐な物ではなかったけれど。本当はこの図鑑だって、持ち帰る気はなかった。けれど書庫で作業しようとしたら、先客がいたから。
ある意味、恋について語るには。幼い顏の毒舌作家殿の方がお似合いかもしれなかったが。追求されても回避できそうになく、諦めここにいる。
(それにしても…どうにもこうにも、片思い、失恋系の花言葉ばかりで…我が事ながら、呆れるしかないな…)
呆れ、諦め。当然だ。この恋に未来などなく、また甘酸っぱさもない。呪いに相応しく、ただひたすらに辛く苦しく惨めなだけ。突きつけられているかのよう。
見返すと落ち込むことなので、前の頁を見る気になどなれないが。これが遺書変わりとは、全く笑えなかった。この手記は、我が荒野に保管されるだろうか。
武器ではないから到底無理だろう。だがそれでも、これを誰かの目に触れさせたくはなかった。レシピノートはマリーに預けられたら、と思い描いたけれど。
この遺書だけは、荒野に置き去りにしたい。消え去った後で、もしまた縁があって。違う私がここに召喚された時、もう二度とこんな辛い目に合わないようにと。
そうして少しずつ、色んな物が零れ落ちていった。花びらと共に、何かが抜け落ちていくようだった。それは心か、魔力か、生気か、記憶か。
何かは分からない、もしかしたら全部かもしれない。人でなくてよかったと思う。体重が変わったり、顔が痩せこけたりすることがないからだ。
外見上は、何の問題も見えなかった。だからこそ、ずっと騙し通せた。自分自信でさえも、騙せたならよかったのだけど。零れ落ちる花びらが全てを物語る。
だけどそれだけが、唯一許してくれないのだ。平然を装っても、日常を演じても。獣の勘か、迷惑この上ないけれども。喜ぶ自分だけを、殺してしまいたい。
「――おい、弓兵」
「――なんだね、槍兵」
人気の無い廊下で呼び止められる。誰もいなくてよかったと言うべきか、逆に誰かいる場所ならば逃げ道があっただろうと悔やむべきか。
視線を合わせずとも、空気が逃走を許してはいなかった。硝子の心は、些細なことで傷付き粉々に砕け散る。その破片が花弁となってしまわないよう。
「てめぇ、戦闘にも出ないで何やってやがんだ」
「適材適所、というものがある。戦闘以外にも、職はあるだろう。それともなんだ、戦闘をサボって遊んでいるとでも?この私が?」
「あぁ、そうだ。てめぇがだ、アーチャー」
適当に会話を切り上げようにも、こうも喧嘩越しにこられては言い訳も通用しないだろう。最も、舌戦は苦痛だったが。あまり、多く会話できない身なのだ。
これが片思いをしている相手との会話だとは、誰もが露にも思わないだろう。それだけが救いだった。勿論、彼に見抜かれることもないはずで。
「…、…あぁ、そうかね。言い切るからには、証拠でもあるんだろうな?私は調理番もしているし、昨日とて書庫の整理もしている。遊ぶ暇などない」
「証拠ならある。俺を誤魔化せると思うなよ?てめぇ、最近ずっと――匂うんだよ」
「匂う…?…意味が分からん。何をイライラしているのかは知らないが、喧嘩相手なら他を当たってくれ。すまないが、私はこれでも多忙の身で」
彼のいない時間に調理番を終え、借りた本を取り換えるために書庫に寄り。誰もいないのをいいことについでに整理もしてみたり。
考えることのないよう、思い出さないよう。没頭するための何かを探し回っては、働いているつもりだ。サボっているつもりはないのだけれど。
戦闘に出ないのは事実であったし、時折ふらっと姿を消すのくらい許してほしいとは思う。もうどうせ、長くはないのだし。期限が迫っていることなど、把握済。
「匂うんだよ、甘い匂いがな――花みたいに、甘く噎せ返る香りだ」
だからこそ、その言葉に反応できなかった。反論できなかったと言うべきかもしれない。だってそうだろう?呪い自体を、責められている気しかしないのだ。
「――そうか、それはすまなかったな。君の気に入らない匂いを近付けないよう、最大限努力させてもらうとしようか」
「待て、逃げるな。最近いつもそれだ。てめぇが俺なんぞに簡単に謝罪しやがって。会話を終わらせて逃げてぇってのが見え見えなんだよ」
「…、…そんなつもりは毛頭ないのだがね。そうだとして、君に何の不利益がある?」
「利益とか不利益とか、そういう話してんじゃねぇだろ、今は。煙に巻こうとするんじゃねぇ。その香りはなんだと聞いてんだよ。言い訳もなしで、認めるのか?」
どうやら選択肢を間違えたようだった。確かに私は、彼との口論を終わらせるために。何度も謝罪を繰り返してきた。勿論、口先だけのそれだったが。
もしくは心の奥底の想いが、彼への懸想を悔やむ気持ちで溢れていたからかもしれない。このような思いを抱いてしまって申し訳ない、という気持ち。
常にあるそれが、不意に口から溢れても仕方がなかった。だがそんなことに彼が気付くとは思ってもみなかったのだ。私が会話を終わらせたがっていること。
そしてこの香り。いつだって花を零した後は、懇切丁寧に水浴びをしてきた。香りを消し去ってきたはずなのに、どうしてこうも全て台無しにしてしまうのか。
「香りというが、一体私からどんな香りがしているというのだね?君は。そしてそれが、どう君を苛立たせているのか説明してくれないか」
「チッ、相変わらずまどろっこしい言い方しやがって。香水みてぇな甘い匂いがプンプンしやがんだよ。てめぇがまさか、そこまで女ったらしだったとはな」
「――は、」
その嗅覚の鋭さには恐れ入ったが、その見当違いな返答には絶句せざるを得なかった。花の香りを身に纏ってしまっていることは否定のしようがない。
だが彼は、それを香水の香りと勘違いし。更には私が、どこかの女性と仲睦まじく遊んでいると。そう勘違いしたというのか。頭の中が、真っ白になる。
「まさかこのカルデアで遊んでるわけじゃねぇよなァ?最近姿を見ねぇと思ったらあれか、どこぞにレイシフトして女に現抜かしてやがったってことかよ」
「――…、………」
「てめぇの甘い香りがそれが原因、…?おい、どうし」
「…っ、く、は、はは、はははっ、う、げほっ、ごほ、ごほ」
これほど真摯な失恋はあっただろうか。いや、そもそも敗れる恋ですらない。闘いにすらなっていない。私は自ら、その戦場から逃げ出したに違いない。
なんて見当違いな追求。これほどまでに、相手に自分への心が欠片もないと。思い知らされる出来事があっただろうか。鋭利にぐさりと、心臓へ突き刺さる。
私が女性と遊んで?戦闘をサボっていると?そう思われるような性格で?それに至極当然の怒りを浮かべて?一体どれだけ、私を笑わせればいいのだろう。
予想外の追求に、自然嘲笑は零れ。巻き込まれるように咳込み、花を生む。腹を抱えるふりをして、その花を手の中に必死に納め。そうして握り潰す。
「お、おい、大丈夫かよ」
「っ、は…君が笑わせた、んだろう?全く…久々にこんなに笑ったぞ。生憎と、君の想像するようなゴシップはまるでないんだ。期待に応えられずすまないね」
「ッ!!ならその匂いは何だって、おいまた逃げ」
「ごほっ、げほ、ぅ」
そのままひらひらと、開いた手を振って。もう限界だとばかりにその場を後にしようとする。だがそう何度も逃がしてくれる優しい彼ではなかった。
腕を掴まれ、その熱さに再び噎せ返り。熱が、じんわり浸透する。あまりの熱量に、息苦しくて涙さえ浮かべてしまう。あぁ、どうしてこうも苦しいのか。
咽込み、足元をふらつかせる私に、只事じゃないと悟ったのか。心配そうに覗き込む彼から身を隠すように。赤い外套で口元を覆い隠す。
「おい、お前、どこか悪」
「…ッ、だから、事情は伝えただろう…まだ、霊基が、安定していない、んだ…だから、遊びに行ける身でも、ない。納得してくれた、か?」
「――あの日から、一体何日経過したと思っていやがる。てめぇ一体、今どうなってんだよ」
「何、時間がかかることは、了承済だし、大したことでは、ない。すまないが、そういうわけなんで、ね。休ませてもらってもいい、だろうか」
弱っている姿など、見せたくはなかった。だがここまで追い詰められては、隠しようがない。暴かれてしまう。外套の裏に溢れる、彼への恋慕の花弁も。
それだけは何としても死守しなければと。咳込む姿を隠すように、外套を手繰り寄せ。頼むからどうか、後生だ。この想いまで、暴かないでくれ。
きっと真っ青な顔色をしているだろう。だがそれで、只事ではないのだと察してほしい。そうしてどうか、見逃してほしい。墓場までこの心を持っていくから。
「…っ、なら、手を貸すことは可能か」
「っ、いいや、不可能だ。君の手を、借りるくらい、なら…舌を噛む、だろうさ」
「てっめ…!ホント減らず口だな!?」
優しい君は、それでも手を出さずにはいられないのだろう。有り難い優しさだが、それはあまりにも残酷すぎる。今の私には身に余る毒でしかない。
舌を噛んで消えられたら、どれだけよかったか。煩わせたくないのだ。こんな私のことなどで、彼の心を乱したくなどない。彼の心は戦場にあればいい。
それでもその場を去らない彼に、さてどうしたものかと。眩暈と吐き気を堪えながら回らない頭を回せば。救世主とばかりに現れたその姿に、安堵の息を吐く。
「おる、た、」
「――ん?…、…なんだ、腐っていないオレか。どうした、そんな無様な醜態を晒して。アンタらしくないじゃないか」
「っ、弁解の、予知もない…すまない、私を、部屋へ運んで、くれない、か、ぐっ」
「――オレが?アンタを?」
通りかかった救世主は、オルタの自分だった。今の私とは正反対に、今日は調子がいいのか。減らず口も何のその。真逆の黒い外套を翻している。
そうして立ち竦み、私の発言の意図と、目の前に立ちはだかる彼とを相互に見据えて。何も言わず、私を抱き上げてくれた。まさかの、横抱きという状態で。
呆気に取られるのは、私も彼も同じだった。自分で頼んでおきながら、まさか聞き届けてくれるとは思ってもみなかったからだ。目を丸くし、花が止まる。
「なんだ、姫抱きが不満か?これでも配慮してやったつもりなんだが?」
「――いや、不満はない。恩に着る」
「着せられても困るんだがな…というわけで連れていくぞ、ご指名なんでね。何か物言いがあるなら一応聞くが?」
「――いや、指名されたんなら、ちゃんと全うしろよ。それだけだ」
意図が分からずとも、私が何か外套に隠していることに気付いたのだろう。それを零さないために、自然とその抱き方になっただけだ。ならば文句はない。
標的であった私が土俵から降りれば、もう用はないのだろう。彼はそれでもどこか不機嫌そうに、黒い私に後を託しその場を後にした。
黒い私はそのまま無言で私を運ぶ。私も特に言葉はなかった。最も、そんな気力さえ残っていなかったという方が正しかったが。
部屋の前に連れてこられ、身をベッドに落とされる。案外優しかったのだけが意外だった。正直、投げ捨てられるとばかり思っていたのだけれど。
「…ん…ここ、は…私の部屋では、ない、な…?」
「オレの部屋だ。こっちの方が近かったのでね。アンタの部屋に辿り着く前に誰かに会っては、言い訳が面倒そうだったからな」
「そう、か…悪い、な…げほっ、ごほごほっ、う、ぐっ」
その気遣いにはただただ感謝しかない。そうしてたがが外れたかのごとく、花を撒き散らす。聞き苦しい嗚咽と共に、幾重にも花びらは重なり埋もれていく。
発作が収まるまで、花を吐き切ってしまうまで。黒い私はただずっと、そこに立ち私を見下ろしていた。嘲るかと思いきや、かけられた声音は存外優しい。
「何か、必要な物はあるか」
「ッ、水、を」
「水だな」
私の部屋も、あまり賑やかとはいえないが。ここはまるで、さっきまで使われていなかったかのように殺風景だった。必要最低限の物すらないかもしれない。
簡易的な冷蔵庫からペットボトルの水を出しては放り投げられる。僅かに残った気力でそれを受け取り、処方されていた薬を余すことなく飲み干す。
もう何度、限度を超えて飲み干したか覚えていない。サーヴァントの身であるとはいえ、過剰摂取はよくないのだと。目の前の事例で分かってはいたけれど。
「はぁっ、は、っ、う、ぁ………すまな、い、面倒をかけた、な」
「全くだ。まぁ、何度かオレも同じ目に合わせているようだからな。報酬は不要にしておいてやろう」
「ふ、は、減らず口、を…」
少しだけ、気が楽になった。張り詰めていた糸が、僅かに緩んだ感覚。そうだ、この己に対してだけは。何を繕う必要も隠す必要もないのだ。
無意味だろう、そんなことは。ベッドに寝転がり、魔力の消耗を抑える。ふと、ベッドが軋んだ感覚。視線を寄せれば、腰かけた彼が。花びらを見つめていた。
「触れて、くれるな。感染するかも、しれないぞ」
「…早く言え。もう遅い、ほら」
「全く…お前なら大丈夫かもしれないが、万が一ということもあるだろうに。危機感がなさすぎる、ぞ」
「ハッ、こんな状態にまでなっておきながら。貴様にだけは言われたくないぞ、その台詞は」
尤もな正論にぐうの音もでない。彼の指先には、黄色い花びらがつままれていた。花とはおおよそ無縁だったのだろう。まじまじと、珍しそうに観察して。
対魔力が低い者は感染する可能性がある、と聞いていた。だが彼の方が防御値は上であったし、何よりそのような感情があるかも不明だった。
だから大人しく好きにさせる。最も、何か出来るほどの体力も残っていなかったのだが。ただぼーっと、彼の指先で踊る花びらを見つめて。
「あぁ、それは、チューリップか…見慣れた形ではないから、知らない花かと思った。花言葉は、何だったかな」
「…、…なんだ、いつも吐く花が違うのか?それはまた難儀な呪いだな」
「そう、難儀なんだ。解呪方法も到底無理な代物でな」
「なんだそれは。なら足手纏いになる前に座に還るしかないじゃないか」
はっきりと答えを言ってくれるものだ。理解し把握しているからこそ、そうだなと返事した。その返答が気に入らなかったのか、気に食わなかったのか。
はたまた私がそう感じてしまっただけなのか。彼は無言で花を掬い上げ、私の顔の上に落とす。噎せ返るような香りの猛攻に、為す術なく咳込む。
「なんっ、げほっ、ごほっ」
「――いや、オレにも分からん。オレは行くぞ。適当に片づけておけよ」
「分かって、いる。少し部屋を、借りるぞ」
本当に自分でも自分の行動が理解出来ていないようだった。なら私になど分かるはずもなく。みっともない私を嘲っているだけかもしれないが。
それでも、彼がいなくなって。一人になり、花を片づける気力もないまま。ずっと最期の事を考えていた。綺麗な終わりなど、理想論でしかないとしても。
(せめて舞台を、整えなければならないな――)
役者が劇を終えるのなら、舞台の上で。カーテンコールも拍手喝采もいらない。自分は主役ではなく脇役だ。ならば花々しく散ってしまうのが手っ取り早い。
レシピノートにもう書き込むことはない。個別ノートも、もういいだろう。様々な雑務を纏めたノートすら書き終えた。もう遺書は出揃っただろう。
万が一、奇跡が起こって。もう一度ここに、この私ではない私が呼ばれた時。上手に引き継げるように。療養日記に忠告も書き終えた。
ならば後は、本当にいっそのこと。花々しく散ってしまうだけだ。あぁ、本当に花に埋もれてしまうのかもしれないなと。愚かにもそんなことを考えた。
「――あっ、エミヤ!」
駆け寄る音に振り向けば、眩い笑みを向けた彼女がそこにいた。ただ呼び止められるというそれだけに、こんなにも名残惜しく感じるのは何故なのか。
以前は無理をして作り笑みばかり浮かべていたなぁ、とまるで随分前のように感じられる。干渉に浸る余韻などない。用件があるから呼び止められたのだ。
「どうした?私に何か用かな?」
「うん!体調はもう大丈夫?良かったらリハビリがてら、マリーのレイシフトに付き合わない?デミヤも一緒に来てくれるっていうしさ」
「…、…それは構わないが、あいつが行くと言ったのか?彼女のレイシフトに?」
突然零れたその名前に、違和感しか感じられなかった。だってそうだろう。彼女の言うレイシフトとは、戦闘とは無縁の物でしかないのだ。
物資調達だったり、ピクニックのような物だったり。何も用がなくとも、マスターを気遣って連れ出すことだってある。気分転換と銘打って。
だからそんな平和で穏やかな物に、彼が付き従う理由が全く以って不明だった。何を考えているというのか、真意が計り知れず。
「うん?なんでも、エミヤがレイシフトする時には自分も編成に入れろっていうからさ。あれでも心配してるんじゃない?」
「…、あいつが、私を…?マスター、断言しよう。それだけは絶対に、あり得ない」
「あはは、素直じゃないなぁ、二人共。まぁとにかくそういう事だからさ、準備が出来たらお願いね」
笑顔で手を振られ、同行者を募っているのか。彼女はそのまま駆けていった。唖然と、それを見送るしかない。心配?誰が、誰を?それだけは、あり得ない。
あり得ないからこそ、道筋が簡単に見えてしまう。だからその答えに、ふと笑みを零した。いつだってこの身に引導を渡すのは、自分自身であるらしい。
ここが潮時か、と。何も思い残しがないよう、全ての私物を整理して。準備を整えて。もうほとんど魔力のない空っぽの身で、遙か彼方に飛んだ。
「で?今日のご予定は?王妃様」
「今日はね、バニヤンとアビーが花冠の作り方を教えて欲しいって言うの。ジャックやナーサリーにお返ししてあげたいからって」
「…、…ふむ、なるほど。花冠、ね。だからこその、この花畑というわけか」
穏やかな気候、柔らかな風、辺り一面の花畑。麗らかであるべき光景は、女性たちに彩りを与える美しき背景となっていた。だから、問題があるのはこちら。
あまり、今は花を見たくなかった。あの、噎せ返る香りや、喉元を通り過ぎる息苦しさ。倦怠感と、徒労感。そういったものしか、感じられなかった。
「それに、エミヤ。なんだか最近、元気がないように見えたから。気のせいだったら、悪いのだけれど」
「…うん?私は特には…もう大分、霊基も安定してきたしな。それほど、心配をかけてしまっただろうか」
「いいえ、私が勝手に思っているだけだからいいの。いっぱい、気分転換していってちょうだいね。外の景色は、それだけで人を潤してくれるわ」
「そうだな…それに何より、君の笑っている顔が見られたんだ。それに越したことはないだろう」
まぁ、お上手ね、と彼女が笑う。浮いた台詞に聞こえたかもしれないが、紛れもない本心だった。だって、これ以上ない見送りの笑顔だろう。
意図しない形だったとしても、最後に私を送るサーヴァントが彼女で良かったと思うのだ。その後のことも任せられる、と途端現実に引き戻される。
冷めた視線を気取られたのか、不意に腕を引かれる。もちろん、もう一人の私にだ。視線を合わせる。それだけで全てが理解できてしまった。
「おいマスター、オレは腑抜けたこいつを鍛え直してくるぞ。少し離れても平気か?」
「えっ、あぁ、うん、大丈夫だよ。ここはほとんどエネミーが近寄らないし。もし何かあったら呼ぶから。あんまりエミヤのこと苛めないでね?デミヤ」
「…、いや、その言い方には大変な語弊があると思うが…、…じゃあ、な。マスター」
「?うん、帰る時間になったらちゃんと戻ってきてね」
何でもない挨拶、それが永遠の離別とは知らずに。いいや、知られなくていい。これは私の、ちっぽけな弱さでしかない。所詮この身はサーヴァント。
未練も悔恨もない、使い捨ての消耗品だ。だから役に立てないというのならば、そのまま廃棄が相応しいのだ。治る見込みのない呪いを抱えて。
いっそのこと、誇らしい想いであれば良かったと思う。だがこの想いは、何一つ誇れない。こんな守護者が、あの光の御子などをと思わずにはいられない。
ぽろぽろと、涙のように口から花びらが零れ落ちた。まるで童話の道標のようだと笑えば。先を歩く黒い私が振り返り、そうしてようやく立ち止まる。
「何か、言い残すことは?」
「…いいや、何もない。全て清算してきた。もう、思い残すことは、何も」
花畑から酷く離れた森の中。誰もいない、二人きり。向けられたのは、二丁拳銃の内のひとつ。銃口が真っすぐに、心臓を指し示す。
本当はこの心臓は、もう既に始まりから彼の物で。望んだ最後は、再びそこを紅い棘槍で貫かれる事だったのだけれど。過ぎたる願いだということだろう。
いつかのどこかの私が、己の双剣にそこを突き刺されたように。今度は違う私自身が、揺らぐことなく真摯に銃口を向ける。その歪な運命を。
「自分自身に後を託すのは懲りてるんだがな…それにお前はきっと、覚えてはいないだろう」
「あぁ、だからこそ調度いいだろう?すぐに忘れる」
「そうだな、忘れ去ってくれた方がいい――本当に、決められるんだな?その銃は。致命傷では駄目だ、確実に霊核を破壊しろ」
「何、ありったけの魔力を回してやるさ。それこそ、オレが数日使い物にならないくらいの。それくらいしなければ、貴様を仕留められないだろう」
銃口をこれでもかと、心臓に押し付ける。そうして聞きなれた呪文を、それでも別の呪文を。まさか自分の呪文をこうして聞くことになるとは思いもせず。
なるほど、と納得する。彼の宝具ならば、内側から見事私の霊核を破壊してくれることだろう。だからそれに合わせて、自分も呪文を唱える。
投影魔術、開始。手にはかの魔女の、歪な短剣。全ての理を破棄するこの刃ならば、自分とマスターとの契約も鋭利に断ち切ってくれるだろう。
そうして全てを終えようとしたその瞬間――私は彼の銃を掴み、彼は私の短剣を握りしめていた。そうして瞬時に、主の元へと駆けつける。
「「マスター!!」」
「エミヤ!デミヤ!ごめんっ、油断してた!!」
「戦況は!?敵は――あれだな」
「なるほど、数が多い。それにこちらは、足手纏いばかりだ」
正直すぎる彼の発言に睨みで釘を刺し。真実ではある。ここには戦闘訓練のためでも素材狩りに来たわけでもない。武装しているサーヴァントは我々だけ。
マリーは最終再臨ではあるが、戦闘向きではない。何より初期レベルに近いバニヤンとアビーが共に居ては戦いづらくあるだろう。
目の前の状況は切迫していた。巨大なスプリガンの群れ。動きは遅いが、臨戦態勢であることは確かで。すぐにでも戦闘となるだろう。
「マリー、君には負荷をかける。マスターと二人を頼めるか」
「エミヤ!?」
「――えぇ、分かったわ。何がなんでも、守り抜いてみせるわ。二人共、無理をしては駄目よ。貴方たちには、帰る場所も待ってる人もいるんだから」
「ハッ、お優しい王妃様なことだ。無駄口を叩く暇があるなら、さっさと離脱しろ。仕留め切れるか分からん」
柔らかな彼女の言葉を、互いに背中で受け取る。知られていないはずなのに、この胸に咲く花を見抜かれてしまっているような気さえした。
それほど彼女は気高く、凛々しく、聡い。歴戦を共にした。だからこそ任せられる。マスターと遠く離れようとも、お互いクラススキルで何とでもなろう。
マスターさえ無事ならそれで、そうして彼女たちも共にあればいい。私達は互いに元を正せば戦闘兵器でしかないのだから。この役割が真っ当なのだ。
例え互いに外見を繕って、中身が酷いぼろぼろの有様だったとしても。それでも戦う事しかできない。ならば二人で駆け抜けるしかないのだ。最後まで。
「私の宝具で出来うる限り一掃しよう。それまでの時間稼ぎと撃ち損じの処理を頼めるか?」
「いいだろう。だが宝具を打てるほどの魔力が残っていたのか?」
「一度くらいならばなんとなるだろう。それにあの程度の敵、今までの強敵に比べれば優位なのは数ぐらいだろう」
比べ物にならないほどの巨体。神話の名残か、再現か。おおよそ我々が生きた時代では目にすることのなかった神秘。だがそれでも、この刃が届くなら。
彼が遠くから援護射撃を行う。こちらは双剣を用いて足止め。重点的に脚を狙う。それ以上進むことの出来ないように。振り降ろされる斧を一重にかわして。
霊基が軋んでいくのが分かる。だがそれでも、呪いに倒れていくよりはマシだった。己一人ならば散ってしまえた。でも彼を巻き込むわけにはいかない。
そうだ、彼には戻ってほしい。自分とは違い、自分よりも壊れてしまってはいたけれど。元が同じならばきっと、あの場で感じる物も同じだと思うから。
「ぐっ!!」
「オルタ!!」
数の猛攻に攻められ、重い一撃をかわしても。それでも何度も追撃されればかわしきれなくなる。俊敏さで少し遅れる彼が狙われた。
飛ばされるその身を受け止めながら、双剣を消し弓を番える。指先の感覚が麻痺していたけれど、当てるだけなら造作もない。追尾するは緋の猟犬。
爆散するそれに数体がぐらつき。このチャンスを逃せば次はないだろうと。少し離れた場所に着地しては彼を降ろす。手当てをしている余裕はない。
「すまない、決めさせてもらおうか――詠唱時間の確保を頼む」
「任された。全力で仕留めろよ」
酸欠のように空っぽの身で、それでも生命力を魔力に変えるくらいは出来ただろう。長い長い詠唱を、それでも懇切丁寧に落とし込めていく。
何度も銃声が聞こえる。大地が揺れ巨体が近付いてくる気配も。だが間に合わない道理はない。無限の剣製はここに幕を閉じるのだ。この身と共に。
無数の奇跡が降り注ぐ。誰かの剣が、無銘の私によって幻想となり振り落とされる。その神秘は紛い物であっても、その奇跡自体は本物だ。
硝煙が上がり、それで終わりかと思えば。振りかぶる空気の切り裂く音。咄嗟に彼を突き飛ばした。それが最後に出来た悪足掻きだったから。
「ごふっ…」
「貴様…!チィ…!!」
軋む霊核すらもう存在していなかった。狙いは素晴らしい、称賛に値しよう。大きな剣が体を貫いて。そのまま空へ持ち上げられる。為す術もないままで。
だから、それで最後。動けない身で、それでもにやりと笑った。これぐらい乗り越えられなくてどうする。音もなく忍び寄る死は、私に対してではない。
注意が私に逸れたのだから、彼が自由に動き回れるのは道理。巨体に飛び乗り、その頭へ。そうして銃口は脳へと向けられ、無限の刃が内側から咲く。
最後の一体だったのだろう、存外しぶとい敵が居たものだ。巨体が消失した瞬間、身を貫く剣も消え去り。為す術なく地上へ落下するのを受け止められる。
「…墜落は、免れた、か」
「普通はここで、何故オレを庇うような真似をした?と聞くのが正解なのだろうな」
「は、私ならば、分かっていた、だろうに。今この場で、足手纏いは、貴様では、なく、私だ、からな」
ごぼりと、鉄を吐き出す。この身は鋼で出来ているのだから当然かもしれなかったが、一瞬剣を吐いたかと思った。幻覚でしかなかったが。
悪に堕ちた自分に看取られるなどとは、死んでも御免だったが。もう私は動けそうになかったし、彼もそこから動く気配はなかった。末路を見届けたいのか。
悪趣味な事だ、と思いながら。意識が霞んでいく。いつもは逆の立場だった。彼の霊基の方が軋んでいたはずなのに。今はこちらが、足手纏い。
「マスターに聖杯を捧げられておきながらこの末路とは…本当、使えない道具だな、オレは」
「あぁ、そうだ、なぁ…、…すまない、あの魔女の、短剣を、投影できる、か…?このままでは、ただ、カルデアに戻るだけ、だろう」
「生憎、こちらもすっからかんだ。不始末に自分で蹴りをつけられないとはな。我ながらなんて、愚かなのだろう」
この召喚では、例え霊基を消失するような敗北に合っても。そのままカルデアに戻されるだけだ。だからそれでは何の意味もない。助かりたいわけじゃない。
消えてしまいたいのだ。何事もなかったかのように。最大のチャンスだと思ったのに。生かしきれないのは幸運値の低さのなせる業か。
どうしてこうも、上手くいかないのだろう。こんな負傷した形で戻っても、呆れられるだけだろうに。あぁ、嫌だ。失望されたくない、落胆されたくない。
マスターにかける心配より何より、あの青を思い出してしまった。だからこそ静かに、血は花びらに変わって。赤は青へ塗り潰された。蒼い薔薇が咲いていく。
「…、…なんだ、花葬か?そんな大層な死じゃないだろう、我々は」
「ははっ、確か、に…花を、手向けてもらえるよう、な…英霊じゃない、のに、なぁ…あぁ、だからこそ、自分で撒いて、いるのか…?」
「…、………治らないのか、それは」
「あぁ、みっともなくて、すまない、不治の病なんだ、これは」
はらはら、はらり。蒼い薔薇に埋もれていく。花言葉は、「夢かなう」「不可能」「奇跡」「神の祝福」。全てが彼へと直結してしまう音色に笑うしかなかった。
彼と出会えた事自体が奇跡で、彼の存在は神の祝福で、彼と共に居れた事で夢が叶って、そうしてこの想いが成就することは不可能なのだ。
報われない思いを抱いて、馬鹿だなぁと思う。もう苦しみすら感じられなかった。ただ溶けていくように、光の粒子になって。あぁ、このままどこへ行くのか。
同情も憐れみもない彼の視線だけが心地よかった。まるで断罪されているみたいで。あぁ、戻されてしまう。このまま座へ、還ってしまえれば良かったのに。
視界は微睡む。ぼんやりと、うっすらと、漂うようなふわふわとした浮遊感。このような感覚は一度も味わったことがなかったから。ただ茫然と漂っていた。
仕事を終え、消滅し、気が付いたら一面の荒野。それこそが本来の在り方だった。だがここは、まるで海の中。そう、まるで、と考えて思考を止める。
電子の海が思い浮かべられたけど、それは今の私ではない。私は名を棄てた英雄ではなく、名を刻まれてしまった掃除屋に過ぎないのだから。
海のようで、海ではない。ごぼり、息を吐けば泡ではなく。花びらが舞った。どうやら消滅してもこの呪いとは縁が切れないらしい、と自嘲し覚醒する。
(ここは一体、どこなのだろうな…)
一面の剣の丘でも、風吹きすさぶ荒野でも、見慣れてしまったマイルームでもない。どこへ落ちていくのか分からない。どこへ行けばいいのかも分からない。
還るべきは、どこなのか。荒野か、それとも。僅かな希望に、手を伸ばせば。そこに触れたのは忌々しい花びらで、触れる度に思考が弾けるような気がした。
――それこそが運命で、それこそが幸福で、だからこそ生きていけると思った。この死んだ身で、停止した身でも、それでも
(――…、………あぁ、)
触れれば溢れるのは、間違いない想いだった。その花びら一枚一枚に、想いが込められている。この空っぽの身には、到底余るような恐るべきそれが。
ぱちり、ぱちり。シャボン玉が弾け飛ぶようにして、想いが溢れる。まるで他人事のようにそれを見つめた。ここには秘匿すべき相手も誰もいないのだから。
――私の、全ての始まり。あの瞬間を覚えている。まだ、この手があまりに無力だった頃。何も出来ず、ただただこの身を真っすぐ貫いた、赤い茨棘の槍。
鮮やかで、一瞬だった。なんて鋭利に、この槍は命を止めるのだろうと。比喩でも何でもないのだけれど。無力な己を何の躊躇いもなく殺したのだ。
そのまま死んでいればいっそのこと良かったのでは、と今になって思うけれど。生き残ってしまった、こんな所まで来てしまった。でも、だからこそ出会えた。
再び、あの因縁の校舎で。今度は、対等の存在として。それが嬉しかった。何も望みなどなくなってしまった身に、ただ一筋の光が見えた気がした。
(まぁ、光の御子だったしな)
まるで他所事、他人事。走馬燈のように流れる己の感情を、冷めた目でしか見つめられない。だってそうだろう、こんなの。恥ずかしいに決まっている。
自分は可憐な乙女ではないのだ。こんな、まるで恋をしていますと現実を突きつけてくれなくても分かっているし、理解もしている。あぁ、それでも止まらない。
――好かれずとも良かった。敵同士ではあったし、こちらは正規の英霊ではない。ただ一度、本気を出してぶつかり合えればそれだけで報われた。
かつて殺された英雄に、対等でなくとも今は刃を合わせるに相応しい力を得た。それだけ実感できれば、真っすぐ睨み合うことができたなら、それだけで。
幸福だった、満たされた。しかし何の因果か、この心臓に死を受けた影響か。何度も、何度も。場所を変え時代を変え時空を越え、巡り合った。
敵同士ではなく、お互い日常を謳歌した日もあった。同じ陣営に属し、お互いに指示を飛ばしたこともあった。かくも不思議な縁が、結ばれたような気がした。
(そうだな…こんなに何度も、形を変え出会えるとは思ってもみなかった)
――無数の殺戮に狩り出され、大切な記憶が摩耗していく中、それでも。彼に出会えれば全てを思い出した。彼との記録、彼への感情、彼という英雄のこと。
この身は既に、答えを得た。この願いは間違ってなどいなかったと。だからこれからも頑張っていける。背を押して貰えた。例えどんな地獄に落とされようとも。
何度地獄に落とされたか分からない。擦り切れるような記録の中で、それでもその記憶だけは輝いていた。眩く、陽のように、空のように。瞬いていた。
荒野に一人戻ろうとも、その本がいつでも近くにあった。空のように蒼い本。頁を捲る度に、ただの記録であろうとも。その情景が一瞬にして思い出される。
(いつの間にか…そう、いつの間にか、だ。彼の姿を、探してしまうようになった)
――彼は正規の英霊で、こちらはただの掃除屋で。呼ばれるべき戦場に違いがあること理解していた。それでも、あの姿に安堵する自分がいたのだ。
もし何か間違えても、あの英霊ならば躊躇いなくこの身を殺してくれるだろう。そんな、迷惑でしかない安心感を。気付かれていないとは思うけれど。
いつの間に、そう、切欠がいつだったかは覚えていない。もしかしたら一目惚れだったのかもしれないし、徐々に惹かれていったのかもしれないけれど。
それでも不意に、あぁ私は、彼が好きだったんだなと気が付いたのだ。すとんと、ぴったり嵌るようにその言葉は胸に落ちて。気が付いたら恋になっていた。
(気が付いたら、恋になっていた。傍迷惑でしかない、恋を、していた。でも、それで良かったのだ。だって、報われたいとは思わなかった)
――彼から何かを、受け取るつもりは毛頭なかった。こちらから何かをするつもりも、全くなかった。ただありのまま、そこに居てくれさえすれば良かった。
この希望溢れる場所で、たくさんのサーヴァントが集う場所で。ただそれでも、真名でなく、お互いクラス名を。言える仲であれば、それだけで幸福だ。
ある時は共に戦い、シミュレーションに引きずり出され不毛な戦いをし、素材狩りに出かけ、同じ食を囲み、不可思議な時空で役割を与えられ。
喧嘩をし、肩を並べ、笑い、怒り、悔やみ、まるで――まるで、仲間の、ように。そんな時間を過ごせたのだ。もう充分じゃないかと、そう思うのだ。
(だからこそ、この末路なのかもしれないが…それにしたって、私にしては恵まれすぎている。こんな…お伽噺のような、末路、など)
いつの間にか花びらは、全身から零れだしていた。いや、表現が違う。つま先から徐々に、花びらとなって散っているのだ。光の粒子でも、砂粒でもなく。
紅い紅い薔薇が、噎せ返るような香りと共に舞っていく。この身に余りに溢れた幸福だった。だからもう、いい加減本来の用途へ戻れという警告なのだろう。
掃除屋は、掃除屋へ。自ら塵芥を増やしてどうする。ならばそのまま、いっそ花になって散ってしまえと。それが世界の総意というのなら従おう。
ざぁっと風が吹いて、花びらがどこかに舞っていく。待っているのは消滅一択。だからこそ、と手を伸ばす。その指先から既に、花びらになってしまっていた。
(どうか、どうか――私がいなくなった後も、あの場所が続いていきますように)
ただそれだけを、希う、恋願う。あの場所だけは、ただ唯一、私が望んだユメを描けた場所だったから。長くて短いような時を様々な想いで過ごした。
未熟なマスターを支えられたこと、食堂のキッチンリーダーになったこと、様々な世界を飛んだこと、そうして…最後の瞬間を、見届けたこと。
世界が続いていきますように。あの少女達の努力と後悔が、無駄になりませんようにと。そればかりを祈り、そうして最後に、自分の願いを思い出すのだ。
あぁ、出来うるならば、もう一度。あの笑顔に会いたかった。最近は怒らせてばかりだったから。でも理解している。私の願いは、どうせ叶わない。
「――好きだったよ、ランサー」
思えば初めて、言葉にした。告げるつもりは毛頭なかったし、言うつもりもなかった。だけど最後の瞬間にならと、ふと、言葉にしてみた。
それはなんて、甘やかな秘め事。気恥ずかしさと共に、幸福に満たされた。彼に恋をしたこと、それだけは、過ちではないと思いたかったから。
恋い焦がれるのは仕方ない事、それほどの光だったから。あぁ、悔しいなぁ、でも幸せだった。そうくしゃり笑って、意識を手放し花と散った。
――荒野にて、一人。剣の丘にて、次の指令を待つ間。ふと手元にある蒼い本に手を伸ばせば、あぁ、なんて眩く輝かしい愛しい日々の記録よ。
その記録さえあれば、きっと、この生も。そこまで悪くなかったのでは、と思えてしまうのだから末恐ろしい。また会いたいなぁ、とくすんだ空に祈るのだ。
人工的な光の眩さに目を細めた。ぱちぱち、ぱちりと瞬きを繰り返し。居慣れた空気感に、そこがカルデアなのだと知る。医務室の空気だろうか。
自分も度々お世話になっている場所だ。いつだってここの住人達には無茶をし過ぎだと叱られた物だ。最も、最近ではそれも少なくなっていたが。
単純に純粋に、戦力が増えたからだろうな、などとくだらない事を思った。結局消えることは叶わず、ここへ戻ってきてしまったかと落胆して。
不治の呪いを抱えながらの現界など、使えない以外の何物でもないのに。と溜息を吐けば、その息が和らいでいることに気が付く。あんなに無茶をしたのに。
(………あ……これは…ルーン、か…?)
視線を下に下げれば、胸元の辺りに浮かんでいる魔術の文様が見えた。そこが一番損傷が激しかったのだろう。傷も痛みも全てが緩和されていた。
誰かルーンを使用する回復系サーヴァントが居ただろうか、と考えた瞬間思考が止まる。どうして今までその存在に気が付かなかったというのだろうか。
私の右手を握りながら、そこに額を押し付けている蒼い物体。まさか、そんな、それは、と思考回路がぐるぐる回り。そうして激しい嘔吐感に襲われて。
「…ッ!!う、ぐっ、げ、げほっ、うえっ…!!」
「…、…っ!?おいアーチャー!?アーチャっ、」
「ッ!!さわ、る、な、ぐ、ぐぅ、ぅえっ」
かけられていたシーツを瞬時に被り、姿を消す。せめてもの抵抗だ。あぁ、こんな弱った姿など見せたくなかったから、潔く消えてしまいたかったのに。
なんと残酷な呪いだろう。解けないのならばせめて、消えさせてほしいだけだというのに。芳醇な香りに包まれて、口元が花びらで埋まっていく。
このまま窒息死してしまえたら、どんなに良かっただろうかと。そんな愚かな事を考えていたら、騒ぎを聞きつけてか駆け寄ってくる足音たち。
「エミヤ!!」
「まったく…貴方も厄介な呪いを受けたものね」
「これを飲むんだ、飲めるかい?」
現れたのはキャスターとダヴィンチ女史だった。その顔触れに少し安堵する。彼女たちならば、決して口を割ることはないだろうから。
医療組ではなく、魔術組なのは。これが病や怪我の類ではなく、呪いだからだろう。それこそ幸いだ。もしも鋼鉄の天使などに来られていたと思うと。
益々座に還りたくなる。彼女の治療は度を超えている。私を治すためならばと、私の心を暴いてしまうかもしれない。それが何より怖かった。
コルキスの魔女である彼女と、天才発明家による彼。その両方の治療を受け、何とか動機を落ち着かせる。滲んだ視界で思うのは、何よりもこの処理。
「――ランサー、」
「っ、なんだ」
「これを、燃やして、くれ。早急に、今、すぐ」
「――…、……っ、分かった」
色々聞きたい事も、知りたい事もあるだろう。だがその全てを飲み込んで、彼は私の嘆願を聞き届けてくれた。それが何より有り難かった。
消してしまわなければならない、こんな未練は。それが彼自身によるならば、なんと尊い事だろう。燃え盛る炎を、ただ静かに見つめる。焦がれる瞳で。
あの冬木の私のように、燃えてしまえれば、と。愚かな考えに笑みを零しながら。そうして客人に対応しよう。何よりもいつもの、何気ない状態で。
「ッ、エミヤ、エミヤ…!!」
「まったく…君はいつになっても変わらないな。マスターなんだから、そういちいちサーヴァントの負傷に狼狽してどうする?」
「っ、は、はは…あはは、うん、そうだね…エミヤだぁ…いつもの、エミヤだ…」
泣きそうな顔で笑うものだから、こっちも困ったように笑うしかなかった。本当は魔力が空っぽで、今すぐにでも倒れてしまいそうだったけれど。
それを気付かれるわけにはいかないのだ。感覚のない指先で、シーツを握る。いつか別れの日が来るとしれも、それが今ではないのなら濁った空気は不要。
穏やかに、和やかに。ただの日常であるべきだろう。不要な心配を抱かせないように。至っていつも通りを装って。喉元の花びらは見ないふり。
「全く…無茶しすぎだよ…もう戻って来てくれないかと思ったよ」
「…、…召喚当初はだいたいこんな感じだっただろう?いつもギリギリの戦いで、それでもいつだって君の傍に戻ってきたじゃないか」
「うん、うん、そうだったね…ごめん、エミヤ。しちゃいけないのに、油断しちゃってた。これからは気をつけるから」
「いや、君だけのせいじゃない。我々とて油断してしまっていた。謝罪すべきは我々だ。だからそう、あまり落ち込まないでくれ」
暫く過酷な戦いから遠のいてしまっていたから、忘れていただけだ。本来の状況に戻れば、マスターはいつだって果敢な態度で未来を掴むだろう。
罪悪感を抱かせないように慰め、彼の存在を意識から遠ざける。そうして彼女は、安心して戻っていく。調理場の者たちに、私の安否を伝えるからと。
あぁ、そういえばそちらにも迷惑をかけてしまっていたなぁと。霞む意識でぼんやり手を振りマスターを見送ったその瞬間、力尽きるように蹲る。
「アーチャー!」
「ちょっと静かになさい、ランサー。彼がなぜ耐えたのか分からない貴方じゃないでしょう」
「…相当進行しているようだね、エミヤ?もしかすると君は、座に還ろうとしたんじゃないのかい…?」
「…ははっ、お見通しか…」
思わず声を上げる彼をキャスターが制してくれる。有り難い気遣いだ。騒ぎを聞きつけていつマスターが戻ってきてしまうか、気が知れないのだ。
霞む視界になんとか耐え、身を起こす。立ち上がることは出来ずとも、起き上がることは出来るだろう。もうこれ以上ないほどの無様を見せつけてしまったが。
「な、に………?」
「…すまないな、ランサー。ひた隠しにしてはきたんだが、私は不治の病、はサーヴァントには似つかわしくないか…解呪出来ない呪いにかかっている」
「のろい、だと…?誰にだ!?」
「感染病のような物でな。本当に病に近いんだ。誰が悪いわけではない。感染の心配はないからそこは安心してくれ」
もう隠しきることは出来ないだろうと、観念して真実を零す。自分で言葉にしながら、いかに馬鹿げた呪いかと嘲笑う。でもこれこそが、罰だとも理解する。
不治の病、枯れることのない花。日常を、平穏を。守護者でしかない自分が、望んでしまったその瞬間。きっとアラヤが現実を突きつけてくれた。
ならばいっそ、このような無様な姿を見せることなく、風のように一瞬で消え去ってしまえればいいものを。なんて、そんな事を考えることすら傲慢か。
「感染、とか、俺は今てめぇの心配を…!!」
「だから、その心配が無用だと言っている。こちらは“武器”だ、生憎英霊ではない。いいか、消耗品なんだ。刃が折れたのなら、捨てるしかない」
「――エミヤ、挑発するような言葉は止した方がいい。火に油を注いでどうする。彼を怒らせたいのかい…?」
「――…、…いいや、面倒ごとに首を突っ込んで欲しくないだけだ。これは私自身の問題だ。その私が直せないと言っているんだ」
射貫くような強い視線に、思わず目を背ける。また咽込むような香りがしてきた。甘すぎてくらくらする。どんな時だって、この口は皮肉しか話せない。
彼女に間に入ってもらわなければ、きっと胸倉を掴まれ殊更花びらを零していただろう。ある意味寿命を縮めるには最適解だったかもしれないが。
呪いに詳しい魔女も、科学に詳しい天才も、この内を明かすことだけはしてくれなかった。口を噤んでくれた。この心だけは、自分で決めてよいのだと。
ここは優しさに包まれている。未練などあるはずがないのだ。等しくその身に罰を受けよう。この恋をどうか、浅ましく惨めでくだらないと一蹴してくれないか。
「――…、………俺は、俺は…諦めるなんて許さねぇぞ。最後の最後まで、足掻いて生きろ、アーチャー」
「――死人に、残酷なことだな、ランサー。悪いがその言葉に報いることはできない」
一体どんな表情で、どんな目の色で、そんな言葉を吐いているというのか。決して振り向くことはしなかった。これ以上、苦痛の花吐きは嫌だったからだ。
なんて、残酷なことを言うのだろうか。どうかどうか、この恋心を笑っておくれ。粉々に打ち砕いて。そうすればきっと、柔らかに消えることが出来ただろうに。
――そうやってずっと、馬鹿みたいな祭に得意げになって。柔らかな保護者のように満ち足りて。大胆不敵に撃ち抜いて。ずっとずっと笑ってりゃいい。
そんなことを、ふと考えたのはいつからだったか。それこそ遠い遠い昔からのような気がした。こんなに長く、共に現界していることこそが奇跡だっただろう。
あいつは俺よりも先に召喚に応じていて。この施設では少しだけ古参で。そんなに大差はないけれど。もっときっと長くずっと、あの嬢ちゃんを支えてきた。
最初は戦力も足りておらず、どのレイシフトにも相性関係なく同行して。特異点を修復し、お祭り騒ぎみたいな特異点を解決し、拠点を充実させていき。
色んな表情を自然に見ることとなった。敵対していた頃の表情だけでなく。調理場での母のような、イベント事の子供のような。そんな、一人の人間の顔を。
(だから今更、どうこうなる気もなかった。ただそこで、当たり前のように存在して。そうして笑ってりゃいいのに。そう、ずっとずっと思ってきた)
そう、ずっとだ。だからこの感情に、名を付けるのが遅れた。腐れ縁のように、宿敵のように、色んな場所へ、様々な場面で一緒に肩を並べてきたのに。
それが当たり前になって、自然になって。不変の日常になって、慈しむべき日々となった。永遠とは思わないが、少なくとも終わりはまだ先だと思っていた。
終わる時はきっと呆気ない。けれど互いに手を振って、じゃあまたと自然に別れるのだ。今になれば、そう思う。だからこんな終わりを決して望んじゃいない。
勝手に諦めて、終わった気になって。あぁでも、傍観していたこっちも悪いのだ。終わる寸前に惜しくなって手を伸ばすなんざ、どうあっても遅すぎたのに。
「――情報開示を求めたい」
「――回答請求ではないんだね?ならばその誠実さに報いて応じようか」
この技術顧問は、答えを知っているのだろう。だがそれを教える気はなく、またこちらも請う気はない。それは倫理違反だ。こちらの信条にも反する。
ならばどうか、調べることくらいは許してほしい。それを知ってどうするのかと聞かれても、こちらとて納得いくまで戦うしかない。戦士でしかないのだ。
諦めたアイツの分まで、どうにかできるはずだと足掻いてみたい。必ず、あいつはサンプルを残しておくと思ったのだ。次の、犠牲者のためにも。
託したのだろう、もしも解析されるならばと。それも決して自分のためではないのだから、奥歯を噛みしめる。そうして手に入れたいくつかの小瓶を手に、次へ。
「――教えて欲しいことがあるんだが」
「――なぁに?クーのおじさま…私たち物語はね、ハッピーエンドをいつだって求めているの。それに応えて、くれる?」
いつもあいつへ花を捧げている彼女たちへ、教えを請う。確か花には、花言葉があったはずだ。込められた思いが、この無数の花びらにあるというのなら。
無数の花に埋もれた物語の少女へ、麗しき白百合を背負った騎士へ、色とりどりの花びらが似合う美しき王女へ。周りに何してるんだと馬鹿にされてもいい。
少しでも情報が、ヒントが欲しくて。相手を知ったからって、どうにか出来るわけでもないが。彼が身を挺して隠すその人物が、一体誰なのか知りたくて。
「蒼い薔薇はね、“不可能”という花言葉だったの。だって蒼い薔薇は、物語にしか存在しなかったから」
「でもね、無数の年月を経てついに咲くことが出来たのよ。だから新たに“夢かなう”“奇跡”なんて言葉が追加されたの。ふふっ、素敵よね」
「他にも“一目惚れ”、“永遠”なんていうのもあるね。何にせよ、本来の花言葉から正反対の言葉になった。素敵で前向きな言葉にね」
彼が一番最初に零した花びらは、それこそ存在しない伽藍洞の花びらだった。不可能の象徴、古代には決して咲くことのなかった奇跡の新種であるらしい。
その言葉が“不可能”だというのだから、どれだけ後ろ向きなんだと呆れ果てる。だがそれも一瞬。多種多様なその言葉を知り、考えを改める。
彼は一体、どんな意味に心重ねたのか。“一目惚れ”か“奇跡”か。“永遠”は望まないだろう。けれどその出会いはきっと、奇跡に近かったに違いない。
相手は今を生きる人ではなく、英霊なんじゃないだろうか。そう勝手に思い込んで。そうして色とりどりの小瓶を、まるで宝物のように手渡して。
「アネモネ…花言葉は、“はかない恋”、“恋の苦しみ”よ。ちょっと、もの悲しくなってしまうわね。とても綺麗な花なのに」
「チューリップ、は…ん、黄色、なのか…ならば“実らぬ恋”、“正直”だ。陽気で無邪気な花なのに、正直なのに実らない…こちらも哀しいね」
いくつも、いくつも。ことりと小瓶を並べて。あぁ、これが他愛ない日常の1シーンだったなら。どれほど救われただろう。そうとしか思えない甘やかさなのだ。
花は色とりどり、瓶の中で永遠に枯れることはない。だがその言葉に、生を感じられない。どれもこれもが、もの悲しく後ろ向きな意味を持つ物ばかりで。
だからやるせなくて、奥歯をギリと噛みしめるのだ。あの弓兵に、そんな思いを抱かせる人物を。あぁ、今なら刺し穿てる気すらしてしまうのに。
「これは…ひまわりかしら?夏の花の代表花ね!ひまわりはね、太陽に向かって咲くの。だから“太陽の花”って呼ばれているわ」
「太陽に憧れているみたいだから、“憧れ”なんて花言葉もあるわね…あとは“あなただけを見つめる”とか?プロポーズみたいで素敵よね」
「他には“あなたを幸福にする”とか、“あなたは素晴らしい”とかかな…大輪の見た目に相応しい、眩い花言葉ばかりだね」
他の花よりは、この花が一番眩さに溢れているような気がした。他に見せた花びらは、皆悲観的で後ろ向きな言葉で溢れていたくせに。
太陽を司るというこの花は、それこそ陽のような大輪の花を咲かせるという。太陽にちなんだ英霊は少なくない。それこそ、女性だって男性だってだ。
だから、情報に溢れすぎていて分からない。結局は袋小路。無数の選択肢では駄目なのだ。正解を突きつけなければ、きっとあの鋼は折れたりしない。
「――…、………ひまわり…あれ、俺なんか、この花、貰った事があるような気がするんだが…?」
「あ!忘れちゃったの?クーのおじさまったら、薄情者だわ!私たちがエミヤのおじさまに聞いて、それで贈ったのよ?」
「――待て待て、そこでなんで、あいつの名前が出てくる」
「え?だって、向日葵をあげようとしたらね?『今日は夏至だから、それは光の御子にこそ相応しいだろう』って」
図鑑を広げられて、花びらだけでは分からなかった全体像を見せつけられ。そう遠くない記憶、その花を見かけた気がした。このカルデアでだ。
花になど興味がなかったから、すっかり忘れていたけれど。それはまるで冷や水を浴びせられたような感覚。腕に確かに、この花を束で抱いた。
「あぁ、なるほど。それは貴方が、“光の御子”であるからだろうな…まぁ、古代の英霊にしてみれば、そんな日は定められていないのかもしれないが」
「ふふ、エミヤらしいわ。きっと彼は、太陽神の息子である貴方の誕生日を。夏至にこそ相応しいと思ったのかもしれないわ、だから」
「そう、だからよ!だから太陽の花である、ひまわりを贈ったのに!忘れちゃうなんて悲しいわ、酷いわ…贈り物を贈ったレディに失礼よ」
「――、……っ、…あぁ、あぁ、そうだ、な…俺はなんて、馬鹿な奴、なんだろうな…」
向日葵、太陽に向かって咲く花。それは太陽神の息子である、自分にこそ相応しいと。そう、彼が零したというのか。それが例え、戯言だったとしても、だ。
確かにあの時彼は、俺を認識して花を零した。単に発作の瞬間に立ち会っただけだと思っていたが。その引き金が、俺自身にあるのだとしたら…?
蒼い薔薇の意味する物は、言葉ではなく。その色にこそあるのだとしたら?赤い外套とは正反対の、青い礼装に身を纏う。ただそれだけの、色を指したとして。
「あーーーー……………」
「え、えっ?お、おじさま、どうしちゃったの…?そ、そんなに強く責めちゃったかしら、私ったら」
「いや、あー、その、なんだ…今更、自覚したっつうか、いや、決まった、わけ、じゃねぇ、けど、も???」
「あら、あらあらあら…?顔が真っ赤よ?これは………ロマンスの予感、なのかしら!?」
消えてほしくなどなくて、全てを諦めてほしくはなくて。でもどうしてそんなに必死になったのか、自分でも分からないくらいに腹が立ったのか。
なぁ、自惚れてもいいだろうか。たった今、自分の想いを自覚したような愚か者だけれど。それでも失いたくないと思う心は、ずっとここにあったのだ。
だから教えてやらなければならない。後ろ向きな言葉ばかり、花に託したお前へ。この感情は、そんな後ろめたいものではないのだと。教えてやりたい。
今にも走り出しそうな心を必死に抑えて。あぁ、でも、既に気持ちは彼へ駆けている。ならばその、埋もれてしまいそうな死に体を、攫いにいくしかないだろう。
「ロマンス?あー、ロマンス、になんのかねぇ…?そんな生温いモンじゃねぇと思うけどな、この熱情は」
「おや、ここでは君の時代の嫁取りは通用しないよ?今にも奪い強奪し、攫ってしまおうか、なんて表情をしているけど」
「あら、あらあら駄目よそんなのは…!お姫様を幸せにできない王子様に、ハッピーエンドを任せるわけにはいかないわ!」
「あぁ、そいつはごもっともだ。なら、教えてくれ。プロポーズに相応しい花は、一体どんな花なのかをよ」
認めてしまえば、しっくりと。なんてストンと簡単に、心に沁みていくのか。感情に名前が付けられただけで、こうも腑に落ちるとは。名前とはなんて大切な。
位置づけするに相応しく、落とし込むにちょうどいい。この感情は、その感情は。全てその一言で片付けられる。だがまだ、名を付けられ生まれたばかり。
ずっとずっと、この胸にあったもの。いつからかは分からない、けれどずっとずっとここに存在していたもの。それがようやく、ここにきて形を経た。
ならばそれを、知ってほしい。もし間違いだったとしても、勘違いじゃないと伝えたい。だっていつからかずっと、この目はあの赤ばかりを追っていた――
自覚してしまえば、全ての自分の行動にも感情にも納得がいった。今まではただもやもやと、そのイラつきの正体が分からず八つ当たりばかりだった。
切欠はあの日、心臓を抑え窓の外を見ていた彼が。消えてしまいそうに見えた日から。自分から離れ距離を取るように、避けるようになったその日から。
自分のいない所でそんな顔をして、消えそうになるなと詰め寄りたかった。どうして自分から身を離すのかと追及してやりたかった。
甘い香りばかりさせて、自分を放ってどうして誰かと遊ぶのかと駄々を捏ねたかった。弱る自身を隠し続けて、どうして自分には知らせてくれなかったのかと。
(そう、叱りつけてやりたかった…あぁ、いつだって力になってやったのに。ただの、仲間としてでも、さ…今はもう、それじゃあ満足出来ねぇんだけどさ)
彼の行動が全て、もしもそうだったならと期待せずにはいられないのだ。彼ならばきっとそうするだろうと、短くない付き合いで分かってしまっていたから。
もしも彼が、誰かに恋をして。それが呪いとなってしまったのならば。必ずきっと、距離を取るだろう。悪化させないために、迷惑をかけないために。
思えば誰より彼は、自分と離れたがった。他にそんな者はいなかった。期待が確信へ変わっていく。愚かな願望だと言えばそうかもしれないが。
だからこそ、だからこそ行くのだ。既に消えかかっている彼へ、答え合わせをしに。例えそれが間違っていたとしても、ならば上書きをすればいいだけのこと。
(もし、もしもだ、答えが間違っていたとして、あぁ、ならば惚れさせればいい。彼の思い人以上の存在になってやろう。救う以外の選択肢なんてねぇんだから)
こちとら後ろ向きになどなってやらない。もしも、例えばだ。あの聖剣使いだとか、以前の主に似た女神だとか、家庭的な面影を持つ女神だとか。
そういう、あの日々の続きの奴らに心を傾けていたとしても。ならばそこからが、勝負というものだろう。諦めるなどということは絶対にしてやらない。
誰の物にもなっていないというのなら、大人しく俺の物になっていればいい。そうしてその硝子の心を打ち明けて、後生大事に守ってなんかやらないから。
ただ、それでも、傍にいよう。この運命が終わるまで、ずっと。今までだってそうだっただろう。覚悟は出来ている。その運命ごと、背負う覚悟がだ。
(その心が俺の物であって欲しい――あぁ、だって、違う奴の物だと知ったら、それでも、やっぱり、ちっとは…悲しいじゃねぇか)
「――………」
「――…、…」
皆が寝静まった静かな廊下、一際大きな窓辺の淵に。腰を掛けた弓兵は、ただ茫然と月夜を眺めていた。真っ暗闇ではない、月が昇れば陽が沈む空を。
そうだ、この世界は救われた。人理焼却は防がれた。今はその安定を揺らがす、不可思議な特異点を攻略中。あぁ、だとしても。あの絶望とは程遠い。
彼女の最期の慟哭は、あの魔術王が持っていったから。これ以上泣くことはないように、と。その身を守ることが、まだまだ続いていくとそう思っていたのに。
「――隣、いいか」
「――駄目だと跳ね除けても、聞く耳持たんのだろう…?ならば好きにするといい」
穏やかな時間だった。さっきまで自分が、死にかけていたとは思えないくらい。それ程、あの手の届かない月が綺麗で。空気が静かで、嫋やかだったから。
死期を悟り、袋小路だからかもしれない。もう、足掻くことをしなくていい。諦めていい、頑張らなくていい。あぁ、それは酷く楽で。けれど、もう少しだけ。
もう少しだけ足掻いてみたかった、といえば。目の前のこの槍兵は笑うだろうか、怒るだろうか。そんな詮無き事を考えて、手元のマグカップを口に運ぶ。
「何、飲んでんだ?」
「ホットココアだ。飲むか、ね…、…あぁ、いや、止めておいた方が良さそうだな」
「あ?んでだ、よ…っ」
あまりに、あまりに穏やかな最後すぎて。もしやこれは夢ではないだろうな?と疑ってしまう。今際の夢を見ているのか、それとも白昼夢の類か。
距離を取る以前のような軽口を、叩こうとして失敗する。はらり、咽込むことすらなく。花びらは水面に落ちる。はらり、はらはら。蒼い、見慣れた花弁。
「このままでは、ココアが埋もれてしまいそうだな…すまない、みっともない所を見せている自覚はあるんだが」
「…苦しく、ねぇのか?なら、いい。てめぇが楽になんなら、全部零しちまえよ」
「…、…さすが、光の御子殿はこのような掃除屋にも寛大と見える」
「いや、別に寛大とかそーいうんじゃ…」
はらはら、はらり。窓は開いていないから、風で吹き飛ぶようなことはなかった。自分たち以外人気がないから、暫くこのまま放置しておいても構わないだろう。
支給された痛み止めが効いているのか、どれだけ口元から花びらが零れ落ちようと。苦しくはなかった。麻酔のような感覚。痛覚が機能していないのだ。
誰か人の気配がしたのならば、彼に燃やしてもらえればいいだろう。そうだ、この花びらは。彼に燃やしてもらえるのだ。それはなんて、幸福だろう。
自分もそうなれたらいいのに、と愚かな事を考えた。だから弓兵は気付かない。そんな穏やかな弓兵の姿に、一瞬槍兵が見惚れていたことを。
「あー…馬鹿だな、俺は…そうだよな、それがどんなに綺麗だったとしても、てめぇを苦しませる元凶だもんな…きっと見るのだって、嫌に決まってるよな…」
「うん?一体何の話だ…?」
「いや、な…色々聞いたし、色々悩んだんだけどよ…やっぱりこれが、シンプルでいいかと思って、よ」
「なに、…、…これ、は……薔薇、か…?」
まるで彼らしくない態度だった。言葉を濁すような、そわそわと落ち着かない態度で。どんなことにもはっきりきっぱり、分かりやすい槍兵であるはずなのに。
そうして手渡されたのは、一輪の赤い薔薇だった。あまりの展開に、全く意味が分からない。魔力に明るくない自分にも分かる。これは本当に、ただの花だ。
魔術的な物でもなく、科学的な物でもない。だから、理解不能。だけれどそれは、自分が零した物ではないから。不思議と嫌悪感だけは抱かなかった。
「それを、てめぇに贈りたい、アーチャー」
「はぁ…?…、………いや、あのな、ランサー、君は知らないかもしれないが、この花は見舞い向きじゃないぞ…?」
「………は?」
「手向けの花だとしても相応しくないな…私の国だと菊が一般的かもしれないが、ここで入手しやすいのは白百合かもしれない。デオンに頼めばすぐにでも、」
彼が自分に花を贈る理由とは、はてなんだろう?真剣に考え込み、そうして導き出された答えがそれだった。彼なりの見送りなのかもしれないと。
その赤い薔薇は、彼の使う槍そのものに見えて。あぁ、なんて美しいのだろうと。だからこそ、自分には似つかわしくないとも思うのだ。この茨は。
だからそう、軽口で喜びを濁せば。なんて末恐ろしく、それでいて美しい瞳で言葉を遮られた。あぁ、彼は今も、馬鹿みたいに私の未来を信じているというの。
「――冗談でも、手向けだなんて言うな。そんなもの、てめぇに贈ってやる気はねぇ。俺がてめぇを見送るその時は、茨の棘をくれてやる」
「――それはそれは、ある意味最も光栄な最期だとも思うがね」
「っ、て、違ぇ…今日ばかりは、喧嘩しに来たわけじゃねぇんだよ」
射貫く視線を、打ち殺す殺気を。向けられてもこんなに穏やかにいられたのは、きっと。もう自分が既に死人だったから。心はこんなにも凪いでいる。
あぁ、ならば、今すぐにだってこの心臓を刺し穿って欲しかった。戦いの最中ではないから、与えられない事を分かっていて。駄々を捏ねる子供のよう。
そうして与えられた茨は、なんて柔らかな一輪。強く握れば倒れてしまいそうなそれを、彼はそっと私の手ごと両手で包んだ。その熱さに驚く。
夜はこんなにも冷え切っているのに、その掌はなんて熱い。だから、悪寒がする。この直感は外れない。青ざめて、冷や汗。一体これは、何の意味がある。
「最近、勤勉だったんだろ?ならこの花の意味が、分かるはずだ。分からねぇとは言わせねぇぞ」
「――………なに、を、」
「赤い、薔薇だ。たった一輪でも、その意味は伝わるはずだ。あぁ、本当は、999本用意したかったんだがな。さすがに邪魔になるからやめたわ」
視界を埋め尽くす赤は、薔薇の色かそれとも。その魔眼に似た視線か。くらり、眩暈がした。心臓がばくばくと、無い酸素を体中に巡らせようとする。
薔薇、それも赤。そんなものが指し示す物など、そんなの――告白、でしかないのだ。分かっている、分かっていたからこそ。その答えから目を背けたかった。
「――…、………」
「言っておくが、冗談でも嘘でも勘違いでもねぇからな。いくらてめぇでも、この俺の心を過ちだと弾劾するのだけは許さねぇ」
「ッ、呆気なく、逃げ道を塞いでくれるな…冗談でも嘘でも勘違いでもないなら、一体何だというんだ…?」
「んなの、ただの真実で事実だろうが。認めろよアーチャー。そして認識しろ。てめぇが一体、誰に心を向けられ、てめぇが誰に心を向けていたのかを、だ」
その言葉に、あぁ本当に彼は。私の心を知らないのだな、と再認識する。もしや、と冷や汗が溢れたのは。この心の内が、既に暴かれてしまっているのでは。
そうしてその思いを知ってしまった彼が、私を延命させるために。その余地のために、仕方なく、私の想いを遂げさせるような一芝居を打ったのでは、と。
最低で最悪なことを考えてしまっていることは理解している。だが、それ以外の理由が見当たらなかったのだ。彼が私に、告白する理由など、そんなもの。
そんなものは、どこの時空でだって存在するはずがない。してはいけないのだ。だからこそ、この身はひそり。消えなければいけなかったというのに。
「…君の心が誰を想っていようと、そして、私の心が誰を想っていようと、だ。ランサー、今の私は欠陥品に過ぎない。存在する理由が見当たらない」
「あぁ、分かってたさ。信じてもらえねぇだろうことも、そんなくだらねぇ返答がされるだろうことも、だ。だから、治せって言ってんだろうが」
「いやだから、治す方法がないんだと言っている、だ、ろ…」
「本当に、か…?アーチャー、嘘も誤魔化しもなしだ。俺は、自惚れることにするぞ。この花びらが、誰を指しているのかを、だ」
驚きで花びらが止まるとは思ってもみなかった。だがその残骸は消えてはくれない。彼はその青い花びらを、優しく拾い集める。まるで星屑みたいに。
あぁ、綺麗だな、と。何故だか不意に、そう思って。みっともなく、泣きたくなったのだ。そんな花を拾う彼は、馬鹿みたいで、あぁでも、美しくて。
もっと、もっと、と。一瞬愚かな幻想を抱いた。その手に触れてもらえるのならば、なんて幸福だろうと。そうして再び涙雨する、青い青い奇跡の薔薇が。
「…、…ほらな、アーチャー。てめぇの苗床は、シンプルで素直だ」
「ち、が…これは、バグ、だ。欠陥、だ。私は硝子の心、だから、そんな苗床が、咲かせる花、など、そんなもの、こんなものッ…」
「…なぁ、アーチャー。俺はな、決めている事があんだよ。お互いに、ここを去る時はよ。最後の勝負を、してからだってな。最高に胸の躍る戦いをさ」
「ッ、それ、は…そう、だな。私も望む、所だよ。所、だった、よ。だがな、すまない。もう、全力を出せ、ないから…応えられ、ないっ」
しゃくりあげるように、花びらを無残に溢れさせる。まるで泣いているようだった。伽藍の瞳に雨は溢れなかったけれど。蒼い花びらだけが、零れ落ちる。
その彼の言葉だけで、報われた気がしたのだ。その最期を夢想して、なんて幸福なことだろうと。一瞬夢を見てしまったのだ。勝っても、負けても。
お互いがお互いだけを見つめて手を振れるというのなら、あぁ、それは。私だけの、私だけの幸福な末路だ。これ以上ない、夢幻だっただろう。
「いいや、その言葉だけで十分だ――ここに誓いを立てる。“ここを去る時は、我が槍か其方の剣が、どちらかの時を止めるその時である”」
「――…、………ゲッ、シュ………何て、誓いを立てているんだ、ランサー…」
「誓いを、ここに。あぁ、だから、もうこれでお前は死ねなくなった、そうだろう…?だっててめぇが、俺の誓いを破れるはずがねぇんだから」
この英霊は、なんて愚かで馬鹿なんだろうか。そんなものに制約をかけて、一体どういうつもりなんだろうか。そうしてどうにも、自惚れている。
彼がどうして、私の心を知ったのか知れないが。誰かが漏らしたとは考えにくい。だからこそ、本当に馬鹿だと思うのだ。
その想いは本当なのか、私を生かすために演じているのではないのか。あぁでも、ならそんな制約は不要で、不利益で。ぐるぐる思考が纏まらない。
なんて英霊に惚れてしまったのだろうと、後悔してももう遅い。だって、心は止められない。精神を鋼に変えたとしても、この不変の想いは枯れてくれない。
「なぁ、アーチャー。ほら、」
「――…、……」
道を、示される。臆病で卑怯な私に、優しい提示を。しかし退路も逃げ道もなく、逃避は許されない。そういう優しさだ。既に周りは茨の棘だらけなのだろう。
す、と手を差し出される。手を伸ばされる、だがその手は掴まない。待っているのだ、こちらが手を伸ばすのを。その手を掴んで、望めと訴えている。
「この心臓が、俺の物だろう――アーチャー」
「――あぁ、そうだ。最初から、君の物だ。認めよう、そうして、白状しよう。ランサー…私は、君が好きなんだ」
差し出された指先が、心臓をこつりと穿つ。そうして心理を、穿つのだ。あぁ、そうだ。そういえば、そうだった。そんな原初的なことを、何故忘れていたんだろう。
この心臓は既に、最初からずっと。彼の物だったのだ。ならば明け渡すしかない。鼓動を止めるまで、歯車が停止するまで、動き続けている限り。彼の、物だ。
「――あぁ、やっと白状しやがったな。安心した。俺も、俺もだ、アーチャー…俺も、お前が好きなんだ」
手が触れる、瞬間強く掴まれて。なんて幸せそうに、微笑むんだ。向けられたことのない笑みに動揺して。一瞬、鼓動が止まった気がした。
その瞬間、本当に呼吸が消え去って。気が付けば、白百合が一輪。ぽとり、膝元に落とされた。だから、それこそが何よりの証拠。
呪いは、消え去った。骸になるはずだった未来と、共に。消えゆく運命に、手向け花を贈ろうか。なんて、そんな殊勝な事を考えていたのも一瞬で。
「――綺麗、だな…これで最後か?」
「あぁ、それが正真正銘、最後の花だろう。もう全部咲き切ったからな、吐き出す物は何もない」
「花が咲き終わったんなら、種子が残るだろう。そしてこれから芽吹いていくんだろうさ」
「…、…花の話、だろうな…?いや、それが自分のことだと認めたくない私がいるのは事実なんだ、が…?おい、ランサー?」
咲き乱れる花の群れは、もうこれでおしまい。あぁ、胸に痞えがないだけで、どうしてこんなに空気が美味しく感じられるのか。澄み切った夜空の空気だ。
花が咲き切ってしまったのなら、後は醜い枯れ花が残るのみ。かと思えば、そんな返答をされ。むず痒さに皮肉を零す。強ち間違いではないのだろう。
これから心に咲く花は、きっと栄養過多で枯れることはないのだろう。幸福という水を与えられ続けて、きっと溺れてしまいそうになる予感に少し怯えて。
そうしてその証、白百合を手にしようとして。ひょいっと取り上げられる。物珍しいのだろうが、居た堪れないので返してほしい。だがまるでその気がなく。
「あ?これ、俺のだろう?大事に保管しとくわ」
「は?馬鹿なことを言うな。私が吐いたのだから私のだろう。後でダヴィンチちゃんに…、…いや、それも、どうなのか…居た堪れないな」
「いや、報告はしてこいよ?心配と迷惑かけたんだろうし。だがこの花は渡さん、俺のだ」
「報告は勿論するが、ならばこそその花が必要だろうが。最重要なサンプルだろうし、っておい、こらランサー、」
呪いは解呪され、病は完治した。それは喜ばしいことなのだろうが、どうにもそれを報告するとなると。それはこの心の成就を意味する。
なんて居た堪れない、恥ずかしい、もどかしい。だがあれだけの心配と迷惑をかけたのだ。彼の言う通り、ごもっとも。報告は義務であり必然だろう。
なればこそ証拠に、その白百合を携えなければならない。だというのに、一向に彼が返してくれない。それどころか、返す気が見当たらない。
「てめぇだって俺がやった薔薇、保管する気だろう?ならお互いさまだろうが」
「ぐ、ぅ…それはそれとしても、だ。君の生花は綺麗だろうが、それは私の内から生じたのだぞ?醜いだろうが」
「お前の思いが醜いわけがあるか。素直な心の結晶だろうが。言っておくがな、てめぇの吐いた花、全部掻っ攫うからな」
「なんっっっでさ!?!?!?えぇい、たわけ!いいから返せ!!!」
手を伸ばした途端、手を引っ込められ。握り潰してしまいそうで怖くなり、赤い薔薇を窓際にそっと置く。そうして今度こそ本気の鬼ごっこだ。
お互い一歩も譲る気はない。ならばもういっそ、破壊してしまおうかと。剣を握ったのがいけなかった。当たり前のように槍で応戦され。
あぁ、まさかこれが、花を賭けての私闘だとは誰も思いもしないだろう。そうして馬鹿みたいに打ち合えば、当然人が集まるのも自然のことで。
その後こっ酷く叱られるのは、また当然の結末だったのだが。今だけはお互いただ無我夢中に、お互いの心を武器に乗せて。打ち合いながら笑っていよう。
非常感人的一篇作品🥺🌹