【槍弓】青に染まる心臓 上
◆槍弓には殺し合いの延長線上でセックスしてほしいという願望。
◆近いうちに続きを書きたいという気持ちがあります。そちらはR18予定。
◆素材をお借りしました。ありがとうございます。
《小説表紙》Canvas disquiet | ベルコさま[pixiv] illust/55988254
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「気は済んだか、弓兵。」
音がしそうなほど苛烈な色を宿した目で、声で問いかけられて、アーチャーはらしくもなく黙り込む。普段はからからと無駄によく回る口も、こんな時には何の役にもたちはしない。へし折られそうなほどに力を入れて掴まれたままの腕が、単語一つ吐き出せない喉の代わりにギチギチと悲鳴を上げている。
どうしようもない、としか言いようがなかった。今この場にマスターはおらず、自力でカルデアに戻ろうにもそのための手段が用意されていない。契約こそ切れてはいないものの、マスターとの繋がりは常より薄れ、流れ来る魔力はあまりにも少ない。
おまけにこの怪我である。
今、アーチャーの心臓付近には大きな風穴があいている。突き刺さっているのは呪いの朱槍だ。なんとか少しばかり心臓からは逸れているとはいえ、今すぐにでも埋めなければ危険なほどの重症。まともな人間ならば当然とっくに死んでいる――が、幸か不幸かこの身はサーヴァント。すぐに死ぬことは無い。
「……テメエの負けだ。いい加減諦めろ。」
普段の彼らしくない、淡々とした通告に怯んでしまったのがいけなかった。
押し倒された勢いで息を詰まらせた弓兵の両手が、容赦なくひとからげにされて樹の幹に押しあてられる。落ちてきた噛みつくような接吻に微かな息さえ奪い取られた。
※ ※ ※
感覚にして数時間ほど前のこと。
はああ、とマスターが大仰な溜息を吐き出した。大袈裟なその仕草が本気も本気であることは当事者以外の全員が認めるところだったが、残念なことに当事者二名はマスターからも相手からも視線を逸らすばかり。辺りには気まずい空気が漂っている。
「あなたたちがあんまり相性よくないの分かってたし、油断してた私も悪かったとは思ってるけどさ……さすがに本気で喧嘩始めるとか、ないでしょ。」
「私も同感です。その……さすがにこれは。」
マシュの言葉に、青の槍兵はむっと唇を尖らせ、赤の弓兵はさらに視線を明後日の方向へと向ける。互いに無言だが表情は雄弁に相手の非をなじっている。
マスターの右手からは令呪が消えている。三画あったものが、一画へ。このうちの一つは先のレイシフト時に戦闘の際に消費したものだが、残りはと言えば。
「……まさか私も、サーヴァント同士の喧嘩を止めるのに令呪を使うことになるとは思ってなかったよ……。」
それもカルデアで。アハハ、という乾いた笑い声は虚しく室内に響いた。
「いやあ……一体何したらこんだけ壊せるんすかね? やっぱ宝具でも持ち出したんですかい? ……エッ、マジで。」
野次馬の一人、ロビン・フッドの言葉に槍兵と弓兵がそれぞれうっと息を詰まらせたので、事の次第はそれで知れた。心底あきれ果てた表情でロビンが遠い目をする。轟音につられて集まってきた他の野次馬も、おおむね同じような反応だ。
彼らの目の前には、ほんの少し前までは間違いなくまっさら綺麗な訓練場――さて今はどうかと言えば、崩落した天井の一部と大穴の空いた床。壁には複雑怪奇かつ歪なひび割れが走って今にも崩れ落ちそうになっている。勿論はなから訓練場として設計された部屋だけに設計強度は折り紙付きの場所だ。それが無残にも破壊され尽くしている。原因を作ったのはマスターの前で互いにそっぽを向いているサーヴァント二名。槍兵クー・フーリンと、弓兵エミヤであった。
「これ直すのにどんだけかかるかなあ……いや、そもそも直せるのかな……だいたいこれ、設計したのって所長のお父様でしょたぶん? そんな贅沢出来るお金、ここにあるの? あー、それ以前にこの外側ってもう誰も残ってないんだから、職人さん呼べないよねえ……ってことは私たちが直すの? これ? まさか? ふ、ふふっ……。」
マスターの引きつった声に返答できる者はこの場に居ない。普段は即座にフォローに回るマシュでさえオロオロとしている。おおらか過ぎると言っていいマスターがここまで怒気をあらわにすること自体が珍しいことなのだ。
「……。」
「……。」
目の前の男二人も、ようやく事のまずさを直視しようかと、ちらと背後に視線をくれる。
が、彼らがそれぞれに相応の罪悪感を認識するよりもマスターの堪忍袋の緒が切れる方が早かった。カッ、と白い手の甲が光を帯び、魔力の束が渦を巻く。最速の英霊の一人に名を連ねるランサーが一歩後ずさったが、言葉に変わりさえしていないマスターの命令がその足を縫い止める。
強烈な魔力が決壊した。容赦なく、絶対的な、抗いがたい力が放たれて――残されていた令呪の一画が炎の色を残して消え去る。
「お、お嬢、待て。落ち着け――!」
ロビンの焦った声。集まっていたサーヴァントらもそれぞれに彼女を止めようとするが、ヒトの思考は光の速さに勝る。静止の声も、腕も間に合わない。少女の怒りを正しく拾ったか、魔力がごうごうと渦を巻いた。
――カルデアにおけるマスターは、多少の適性を持っていたごくごく一般的なひよっこ魔術師の一人でしかないが、彼女一人をマスターとして運用するために、背後には自家発電による豊富な電力とテクノロジーのバックアップが存在する。怒りに我を忘れたマスターの命令に応え、外付けの魔術回路というべきカルデアの動力炉はフル回転。
その矛先は目の前のサーヴァント二騎。唖然と目と口を開いたままの二人に、力を持った言葉が容赦なく襲い掛かった。
「令呪を以って命じます! 二人とも! 心から反省するまで戻らないでよろしい!」
そしてその結果は。
「あの嬢ちゃんをあそこまで怒らせたってのはヤバかったな……。」
げんなりした様子でランサーがこぼす。その点にはまったく同意ではあるものの、怒り未だに冷めやらぬアーチャーは沈黙したまま空を見上げた。
どこかの森だろうか。周囲は薄暗く、むせ返りそうなほどの緑の匂いに包まれている。二人はぬかるんだ地面に尻もちをつく間抜けな恰好で、見知らぬ土地に放置されていた。投げ落とされた、というべきかもしれない。
本来カルデアのレイシフトルームからしか特異点には飛べないはずだが、あの場にはレイシフト、そして英霊召喚の際の基盤として機能しているマシュの盾もあった。令呪を消費した上、怒りに我を忘れて暴走一歩手前の魔力を放ったマスターとなんらかの化学変化のようなものを起こしてしまったと考えれば辻褄は合う。
しかし幸運Eが二人そろうとこうまでひどい目に遭うのか、とアーチャーは遠い目になった。
これまでカルデアにおいて、アーチャーとランサーは互いにほとんど顔を合わせずに生活していた。それぞれがマスターに、「アイツとは一緒にしないでくれ」と申告していたことが大きい。大人数のサーヴァントを抱えたマスターは、完璧にとは言わぬまでもそれぞれのサーヴァントの事情に応じ、可能な限り希望を叶えようとしてくれていた。
だから今日、ばったり出くわした訓練場で本気の殺し合いをするまで、二人きりで会話をしなければならない状況に陥ったことは一度もなかった。完全に売り言葉に買い言葉だったような覚えはあるが、内容は本当にどうでもいいことだったのだろう。現にきっかけをはっきりと思い出すことさえできないのだから。
だが存外、本気でやり合うのに夢中になりすぎ――気がつけば部屋は崩壊、マスターは怒り心頭で仁王立ちという状況に陥ってしまったというわけだ。
(それにしてもここは……?)
カルデアにおいては新参者のアーチャーにとって、初めて見る景色だ。
これまでにもマスターは様々な特異点を巡っていると聞くから、そのうちのどこかなのだろうとは思う。だが場所にはとんと見当がつかない。
現代から遠く離れた時代なのだろうということだけは確かだ。身に馴染まぬ精霊の気配と、野性的といっていいほどの力強い大地の匂いが辺りに充満している。
見覚えのない景色からなんとか情報を拾おうと辺りを見回すアーチャーの隣で、あー、とランサーも天を見上げた。
「まいったな……ケルトに近い辺りだってのは分かるんだが。」
それなりに古参のこの男に分からないのならば、アーチャーがいくら記憶をひっくり返したとて、ここがどこなのか分かるはずもない。
早々と場所の特定を諦めてアーチャーは立ち上がった。どろりと下穿きまで濡れた感触が気持ち悪い。やむなく一度霊体化して、再度身体を構成し直す。ふと、パスの繋がり方に違和感を抱いたものの、今は状況確認が先だと頭を振った。
「おい、」
咎めるような声が聞こえたが知ったことか。未だ座り込んだままのランサーの隣をすり抜けて、アーチャーは一つの木を前に立ち止まる。立派な木だ。樹齢百年はかたい。どっしりと空に向かって伸びる幹の先は大樹にふさわしい枝ぶりだ。みっしりと茂る葉によって空は遮られ、その先はうかがえない。
地面を蹴り、枝の一つに手を伸ばす。サーヴァントの脚力によって数メートル上の枝に難なく飛び乗り、アーチャーはひたすら上を目指した。立派な枝だ。それなりの体格のアーチャーが飛び乗ってもびくともしない。
外套が枝に引っかかりそうになり、慌てて片手にまとめて掴む。もう一方の手で先の枝を掴み、蹴り上げと腕の力で天辺を目指した。
侵入者の挙動でバサバサと葉が擦れて音を立てた。合間に響く鳥の鳴き声。そして羽音。
「ああ、済まない。驚かせるつもりは――、っ、」
もうすぐだ。葉の隙間から空の灰色が零れる。
――灰色?
僅かな疑問が走った瞬間、ドオン、と大地さえ震える轟音が落ちた。
ドッ、と吹き付ける生ぬるい風、あっという間に空が泣きだす。丁度のタイミングというべきか間が悪いと言うべきか、葉の狭間からようやく空を振り仰いだアーチャーの無防備な顔面に、すべては弾丸のように降り注いだ。
「っ、」
滝のような大雨だ。慌てて顔を引っ込めて木を滑り降りる。
ドサッとらしくもなく音を立てて着地する頃には、先ほど綺麗にしたばかりの外套が搾り取れそうなほどぐっしょりと濡れそぼってしまっていた。たった一瞬でこれだ。ぼたぼたと足元が濡れて、大地に新たなぬかるみを作る。葉を茂らせた木々の狭間に雨粒は殆ど落ちてこないから、これはすべてアーチャーが被ってしまった分である。
「……だぁから止めてやったのに。」
「……。」
眉間に皺をよせ不服を現したアーチャーに、ランサーはげんなりと息を吐く。望んで得たものではないが、この弓兵と己の縁がやたらに強いことに自覚はある。だから彼の表情の些細な変化から感情を読み取るのもそう難しいことではない。明らかに不機嫌そのもの、そこに拗ねが混じっていると見た。
先のやり合いにしてもそうだが、アーチャーの面倒なところは一見すると落ち着いているようで、その実変なところが子供っぽいというところだ。ある限界点を超えると容易に感情をむき出しにし始める。その根底にあるのは負けず嫌いな性質と、真面目を通り越した頑固さだ。いずれも個別に見れば悪いものではないはずだが、合わさってしまえばこれほど面倒なものもない。
たかが人の身でありながら英霊に至った男。ありえない奇跡を身一つで引き起こしたこの男の面倒さを、ランサーはよくよく理解しているつもりだ。
過去聖杯戦争で何度も顔を合わせた相手だが、その事実を知ったうえで相対する機会というのは実のところ珍しい。聖杯戦争における相手の情報は、聖杯の機能によって厳重に隠される。生前に縁を持つなどという偶然が無い限り、マスターにしてもサーヴァントにしても、敵の情報に自力でたどり着く以外に相手を知ることはできないのだ。
だが今回の、全人類の未来対その未来を脅かす存在という過去に例のない規模の戦争に際し、サーヴァントは全員、聖杯を経由せずに召喚されている。聖杯の機能を果たしているのは人工的につくられた英霊召喚システム・フェイトだ。結果、ランサーは過去数え切れないほど見えた相手のことをきちんと知ったうえで、カルデアに召喚されたというわけだ。そしてそれはアーチャーも同じく。
なんにしてもアーチャーが飛びぬけて面倒な性質の男であることは疑いようがない。今こうしてある程度大人の仮面を被っていてくれるうちに、この状況をなんとかしなければ。……となれば、ここはまあ、こちらが折れてやるべきだろう。あっさりと割り切って立ち上がる。
「言ったろ。たぶんケルトの辺りに近いって。精霊が騒ぐせいかねえ、天気がコロッコロよく変わる土地なんだよ。」
「……聞いていない。」
子供の言い訳そのものの発言に、つい要らぬ切り返しが口をつく。
「人の話を聞かなかったのはテメエの方だろうが。たかが雨に濡れたくらいで、そう拗ねることねえだろ。」
「拗ねてなどいな――!」
ドドオン、とまた轟音。眦を吊り上げたアーチャーの発言は容赦なくかき消された。
雨に包まれた森の中、じっと睨みあったまま時間が過ぎていく。一瞬散りかけた火花は溶けるように消えて、互いに虚しく目を逸らした。
「馬鹿らし。こうしてても仕方ねえ。戻る方法考えようぜ。」
「同感だ。」
そうと決まれば話は早い。二人は慎重に辺りを探った。
分かったのは、この場所がケルト――アーチャーの現代知識に照らし合わせるならばグレートブリテン島付近のどこかの島の一つであるらしいこと。最後の決め手はランサーの動物的カンだが、アーチャーとしては信じていいだろうと思っている。
何しろ英霊は呼び出された場所による補正を受ける。クー・フーリンの名は彼が生きたとされる時代から先、アイルランドにおける原初の英雄の一人として、土地や人にあまねく記憶されている。彼自身がその補正を感じ取っているのだとしたら、疑う余地はあるまい。
正確な時代はやはり、分からない。幸か不幸かここは無人島だ。人の生活レベルや生活用品の内容でアタリを付けようと思っていたアーチャーはあからさまに落胆した。が、お互いの感覚とランサーに与えられた知名度補正のことを考えれば、ランサーが生きた時代よりは新しく、アーチャーが生きた時代よりは古いということになるだろう。間には二千年近い歳月が横たわってしまっているので、時代を絞りこめたとは到底言えないが。
「これでは結局、何も分からないのと同じではないか……。」
「いや、あながちそうとも言えないんじゃね? これでだいたい読めたぞ。」
「は?」
「話にしか聞いたことがねえんだけどよ、マスターが飛んだ時代のひとつに、ちょうど条件に当てはまりそうな場所があるんだよ。オレはその頃まだカルデアに召喚されてなかったから実際来るのは初めてなんだが。……キャスターの奴が、な。」
アーチャーの脳裏に一つの影が浮かび上がった。
ランサーとして招かれたクー・フーリンよりも先に、カルデアに呼ばれたクー・フーリンがいる。それが、キャスターのクー・フーリンだ。
ランサー同様、同一の英霊より分かたれた分霊、呪いの朱槍の代わりにイチイの杖を携えたドルイド。クー・フーリンの名を持つキャスターは、カルデアのマスターがグランドオーダーの遂行者となった経緯を直接知るサーヴァント三騎のうちの一だ。ちなみに残りの者はと言えば、カルデアでドクター・ロマニとともにシステムを引き受けているレオナルド・ダ・ヴィンチと、陰に日向にマスターを支え、マスターに支えられているデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトの二騎である。
炎に包まれた冬木市でマスターとの縁を得、消滅の後にカルデアに招かれたクー・フーリンは、グランドオーダーの始点からすべての特異点を巡っていることになる。
そのうちの一つが第二特異点。クー・フーリンが死亡してからそれほど経たぬ一世紀のヨーロッパ。生前の逸話が多く残るこの場所に、キャスターは何度か足を運んでいたという。
「成程、キャスターがこの時代、場所に縁を作っていたから、貴様ごとこの場所に飛ばされた……ということか?」
「イチイチ引っかかる言い方するんじゃねえよ、厭味ったらしいな。この際、かえってこの場所でよかったと思うべきだと思うぜ? 一度この場所に嬢ちゃんらが来てるってことは、召喚サークルが残ってるはずだしよ。」
彼の言葉が正論だと分かるだけに、アーチャーはそれ以上反論もできず黙り込むしかない。
「しかしな……そううまくいくもんかね……。」
「…………やめろ。貴様が言うとシャレにならない。」
互いに幸運値の低さには自覚がある。おまけにサーヴァントだけでのレイシフトに例がないわけではないが、マスターから放逐される形で強制的にレイシフトさせられたという話はこれまで一度も耳にしたことがない。今回のことは完全にイレギュラーの事故のようなものだ。どう考えても面倒事の気配しかない。
(あまり期待をせずにおこう……。)
口には出さずそう決めて、アーチャーは足元に視線を落とす。――そうだ。どうしようもなければいっそ消えてしまえばいいのだから。濡れそぼったままの概念礼装の真下には水たまりが出来上がっていた。
結論から言うと、二人は無事に召喚サークルのありかを確認することはできた。だが残念ながら残されていたそれは、こちらからの働きかけにまったく応答しなかった。
「あーくそ! よく考えてみりゃ、軟弱男との通信ができねえ時点でまともに起動してるわけなかったわ!」
「やはりか……。」
眉間に深い皺を寄せて考え込むアーチャーを見て、ランサーが疑問符を浮かべる。アーチャーは地面に残された陣の名残の上を指で辿り、ため息をついた。
「見ろ。召喚サークルそのものは特に破損もなく、今も生きている。」
アーチャーの浅黒い肌に、青白い魔力の光が映る。だがそれ以上反応はしない。
「マスターの命令が私たちの零基に何らかの影響を及ぼしたのだろう。この召喚サークルは、我々を認識していない。」
「ま、マジか……。」
「つまりこちらから働きかけても、カルデアに戻ることは叶わん。通信機能も使えないようだ。あちら側からの働きかけが有効なのかどうかは知らないが、少なくとも現時点で我々にできることは無い、ということだ。」
淡々と吐き出される言葉に絶望の色を見たか、ランサーが頭を抱える。そうしたいのはアーチャーとて同じだ。だがもう起きてしまったことは仕方がない。
「……いっそオレと貴様とで本気でやり合うか?」
「あァ?」
テメエこんな時に何言ってんだ、という様子で赤い目を瞠ったランサーに、アーチャーは半ば本気で言い放った。
「此度の現界は常の聖杯戦争とはルールが異なるようだ。一度マスターと縁を結べば、このオレが消えてもいずれ次の分霊が招かれることもあるだろう。現時点でカルデアの戦力もそれなりに揃っているから、ここで霊基に異常をきたしたサーヴァントが二騎ばかり消えたところで問題もあるまい。だったら――、」
「テメエの提案、オレとしては是非にも受けたい気分ではあるんだがな。テメエのヤケだけでんなことしてみろ――確実に嬢ちゃん泣くぞ。」
アーチャーが押し黙る。
髪を掻きつつしゃがみこんで、ランサーも足元の召喚サークルに視線をやった。もしも自分がキャスターであれば、この術式を起動させるなんらかの手段を使えたかもしれない。だが現界の段階でルーンを封印しているこの身では無理だ。
「オレだってそうしたいのはやまやまだがよ。最終手段はもうちょい先まで取っておくべきなんじゃねえの。だいたいあの嬢ちゃんなら、今頃やらかしたことに気がついてこっちを探そうとしてるかもって気ィするしな。」
「……。」
沈黙は肯定だ。
一体どのような育ち方をしたものか、あのマスターは魔術師のくせに一般人とほとんど変わりのない思考回路をしている。グランドオーダーの名のもと、一時的に力を貸しているだけのサーヴァントがそれでも彼女をマスターとして扱っているのは、単に彼女が仮のマスターとしての権限を持っているからではない。彼女のあの心根に感じるものがあるからだ。
そしてその点において、ランサーもアーチャーも気持ちは変わらない。案の定ランサーの隣で、アーチャーが頭を抱えた。
「どうだ? ギリギリまではサバイバルで耐えるってのは。それでどうにもならないんだったら、さっきの提案を受けてやってもいい。だがそれは今じゃない。あの命令がマスターの本心からのものだってんならともかく、明らかに売り言葉に買い言葉のレベルだしな。」
「……クソ。」
ちら、と鋼の視線が持ち上がり、ランサーの視線にぶつかる。
……取り乱したことが恥ずかしいのか、はたまた仇敵に言い負かされたのが悔しいのか、あるいはそのどちらもなのか。うんうん唸った末に心を決めたか、こくりと小さく頷いたのを確認し、ランサーは天を仰ぐ。
様々な世界線で命の奪い合いを演じ、さらには底抜けのお人よしとでもいうべきマスターの怒りを買ったばかりの二人の間に、一時の休戦協定が結ばれた瞬間だった。
そこまでは良かった。
だがこの時点で想定していなかった異常がもう一つ明らかになった段階で、アーチャーが取り乱した。それはもうみっともなく。
サーヴァントの命綱とでもいうべき、マスターとの接続が薄れていることに、後になってようやく気がついたのだ。
冷静に考えれば本来使えてしかるべき召喚サークルに弾かれてしまう時点で気が付けたはずだった。アーチャーもランサーもカルデアに属するサーヴァントではなく、異物として認識されているということに。
お互いに少々冷静さを欠いていたということなのだろう。
現在、カルデア、マスターとの縁は限りなく細くなっている。マスターからのパスは限りなくゼロに近い状態にまで絞られており、生きてこの場所から戻ろうと思えば他の手段で魔力を補うよりないわけだ。
カルデアにいる間は霊体化せず生活できるだけの魔力が与えられているが、戦闘時とは異なり、必要最小限の供給しか行われていない。マスター一人に対し、召喚されたサーヴァントが多すぎるが故の措置だ。アーチャークラス、ランサークラスともに戦闘続行スキルを持っているが、とはいえそれも無限には続かない。
荒天に包まれたままの森は、ところどころ葉の隙間から雨漏りをするようになってきていた。魔力の不足は体温の低下を招きつつある。
薄暗い森の中にアーチャーの悲鳴が響いた。
「もう死んだほうがマシだ!」
ああこいつ限界超えるとこうなるのか、てえかオレらもう死んでるし……と呆れ果てながらも、そこには頷けないランサーである。
マスターの命令には可能な限り従うが、あれが彼女の本心であるとは到底思えない。冷静になった後、それこそ彼女が死にそうなほど後悔するであろうことは目に見えており、その時に自分達二人が消えてしまっていたらそれこそ彼女はどう思うか。考えるまでもない。
褥以外で理由もなく女を泣かせるなどというのは、いっぱしの男がやることではない。マスターに従うサーヴァントとしてもそんなのは三流以下だと思うからこそ、ランサーはいかに生き恥を晒すようなことになろうとも自ら死を選ぶことはしないのだ。
「テメエがどう思うかは勝手だがな、オレはマスターを落胆させるような真似はしたくねえ。」
「そのマスターから我々は三下り半を突きつけられたんだぞ!」
「三下り半て……。」
大げさすぎる。だが弓兵の方は半ば本気でそう思っているようだった。
「そうだ……だいたい貴様が訳の分からん理由で宝具なんぞ持ち出すからこんなことになったのだったな……。」
「あぁ? ふざけんなよ、テメエが先に固有結界なんぞ出しやがったんじゃねえか! あのまま呑まれてたらこっちが死んでたわ!」
「カルデアで消える? 結構なことじゃないか。直後であればマスターの令呪で引き戻してもらえたろうに。マスターは優しいからな、貴様のような言葉の通じぬ狗相手でも変わらずそのようにしただろうよ。」
「貴様…………。」
マズイ、と冷静な頭の片隅が警鐘を鳴らす。この挑発に乗せられてはならない。
アーチャーの思考回路にはおおむね予想がつく。彼の衝動の起点はランサーへの怒りではなく、自己嫌悪だ。だがそれを素直に表すことはこの男の矜持に反するのだろう。だからランサーをダシにしているだけのこと。もしもここで先ほどの死合いを再現した結果ランサーを斃したとしても、今度は更なる自己嫌悪の海に落ちていくだけに決まっている。
分かっているから、狗と呼ばれたことに、らしくもなく奥歯を噛んで耐える――そこに、アーチャーの声が被さった。
「貴様の願いは知っているぞ。心躍るような死合いだけを望んで現界しているとな。」
顔を持たぬ正義の代行者、そのうちの一人として人類から選ばれた男。それがこの弓兵の元となる英霊エミヤだ。摩耗が進み、記録の殆どを取りこぼしていると標榜するこの男の中にも、確かに自分の存在が残されているのか。はっきりとそのことを口にされたことがない――それどころかここまでまともにコミュニケーション一つ取ったことがないのだから当然だが、そのことになぜか胸がざわついた。理由も分からないままに。
「オレを止めたければ貴様が止めればいい。」
挑発の言葉に右手が疼いた。脳裏で獣が囁く。いつもは飼い慣らしているはずの内なる衝動が。
「挑発の代償は高いぞ、弓兵。」
「殺せるものなら殺してみせろ。槍兵。」
ニイ、とランサーは口の端を持ち上げた。その言葉の代償は高いぞと。
――思い通りに殺してやるものかよ。言葉にはせず心に決める。この男の希望を叶えてやる必要がどこにあるというのか。此度の現界において命を預けた相手は、あのマスターなのだ。それに……。
物思いは高揚の前に散る。ランサーは仮初の理由を口にした。
「嬢ちゃんを泣かせるくらいなら、お望み通りテメエをどうにかしてやらぁ。」
轟音を立てて木の一本が倒れた。地響きとともに枝の端々から鳥がけたたましい悲鳴を上げて飛び立つ。
人の目では決して追いきれない音速の戦いだ。時折中空に火花が散り、鍔ぜりあうようにして対峙する二人の姿をあらわにする。未だに泣き止まぬ空からは雨が落ちて、二人の装束を濡らした。
空が、割れる。轟音。稲光が二人の姿を映し出す。
「は――ッ!」
アーチャーの手から閃光が放たれる。壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。投影した剣を矢に変えて放つ物理攻撃。本気でヤケになっているのか、すさまじい量の剣が一気にはなたれ、辺り一面を吹き飛ばしていく。どれだけ効率のいい攻撃なのか。仕組みを詳しく知らないランサーには分からないが、湯水のように湧き出す剣に終わりは見えない。
合間をすり抜け近づいて、ランサーの槍が奔る。放たれる赤い光はしかしアーチャーの双剣に阻まれ弾かれた。
互いに一歩も譲らぬ攻防が続く。ぶんと振り抜かれた剣に頬を切り裂かれ、怒り任せに放った蹴りでランサーは相手の腹を抉る。ぐう、と唸るような声をあげてアーチャーが宙を飛び、辛うじて体制を立て直して木々の枝の上に着地した。ランサーの槍がその足元を狙って飛ぶ。
「ぐ!」
落下点を読まれていたのだと気がついても遅い。アーチャーの右足の腱を朱槍がかすめて、ぱっと血が飛び散った。無傷の左足だけで飛びのいて、森の奥へと足を向ける。痛みは意識から追い出せばなんとでもできる。だが動きが阻害されるのは否めない。
「ざまあねえ! 知名度補正の件、失念していやがったな!」
答えることはせず、アーチャーはただぐっと唇を噛む。ぶつりと肌がちぎれて血の味が広がった。――全体に一ランクは底上げされているだろうか。ランサーの槍の切れが、カルデアで見ていたものとは段違いだった。
(これが正規の英霊というものか……!)
人の想いや願い、信仰が形作るもの。まさしくクー・フーリンは現代に至るまでそのようにして語り継がれてきた存在だ。そのことを、身をもって知る。生前、彼の槍に殺されたことをアーチャーは忘れていない。あの時、絶対の強者だった男に少しでも追いついたと思っていた自分を恥じた。
「クソ……!」
足止めにもならぬと分かっていて、貯蔵した剣を弓矢に変えて打ち続ける。矢避けの加護の忌々しいこと。時折出自に呪いを帯びた剣が足止め程度の役には立つが、ほとんどの矢はランサーに当たることなく地面に虚しく風穴を穿っていく。辺りに人がいないと分かっているからこその暴挙だが、激しい戦闘行為のせいで森のあちこちから煙が上がり始めている。――雷雨のおかげで火が広がることだけはなさそうだが。
それでも手は緩めない。少しずつ距離を稼ぐ。
味方であればこれほど心強い相手もいないのだろうが、敵となった場合高い壁となって立ちふさがる。クー・フーリンとの力の差をまざまざと感じつつも、まさか参ったなどと言ってやるつもりはない。そんなことを口にするくらいならば。
(いっそここで消えてしまえ――。)
何も今になって突然捨て鉢になったつもりはない。
マスターを嫌ったことも。……だがいつだってあの場所に居ることが苦痛だった。あんな風に暖かな場所に居ていいはずがないことくらい、自分が一番分かっている。マスターの世話を焼きたくなってしまうのはただの感傷。本当に一番助けたかった人を、アーチャーはいつも切り捨ててきた。生前も、死後も、ひとしく。
この身は英霊とは異なる出自を持つ。たかが人間がありえない経緯で英霊崩れとして世界の端に名を連ねただけだ。本質的には英霊とはまったく異なるシステムの中で運用されている、人類存続のための防衛機構のようなものである。
アーチャーが使役されるのは人が滅びゆくその現場だ。人を滅ぼそうとする人を屠るための純粋な力として招かれ、目的を果たせば消される。そこに己の意志は無い。いつの間にか呼びつけられ、消され、記録だけは本体に蓄積され。それを見せ続けられて摩耗した結果が今の己だ。
そんな自分が、まるで英霊のようにサーヴァントとして招かれるだなんて、悪夢でしかない。生前に聖杯戦争に縁を持つが故の奇跡だ。それが心底疎ましい。
アーチャーとて、壊れているとは言っても元は人間だ。何も感じないわけではない。暖かな場所に居て、暖かな想いをしていれば、嫌でも己の心の変化に気が付いてしまう――守護者に、心など必要ないのに。
そんなものを持ってしまったら。
足を止めて振り返る。ぬかるみに膝をついて、向かってくる男を睨み付けた。これ以上剣を投擲したところでランサーの足を止めることなどできない。
「I am the bone of my sword――」
流れ出る呪文。目測で言えばぎりぎり詠唱が間に合うかどうかというレベルの距離だ。ここに己は命運をかける。
「――ッ、」
ランサーの息遣いが聞こえた気がした。ああ、見誤ったと気がついてももう遅い。視界の向こう、森の暗がりでも明らかなほど、赤い瞳が爛と燃えた。しなやかな腕が宙を泳いで、なめらかな動作で手にした朱槍を投擲する。――ああ、そうか。もともとゲイ・ボルグは投擲武器であったか。そんなことさえ忘れているとは――。
一瞬の間があった。どっ、と熱がアーチャーの概念武装を、肌を貫き、その下の骨を砕き、血管を食い破る。穿つ熱の発生源は、ランサーが放った呪いの朱槍だ。
スローモーションの世界。詠唱の途中で立ち上がりかけていたアーチャーは、槍が突き刺さった勢いのまま、弾かれるようにして背後の木の根元に転がった。
受け身すら取れない。かふ、と喉が音を立て、口からは逆流した血が吐き出された。ねっとりと熱い体液に比して、全身から血液と魔力が奪われ、体温が下がっていく。
息苦しい。肺を片方やられた――。
こめかみが、首が、心臓が、煩いくらいに脈動している。痺れは全身に行きわたり、過ぎる痛みで頭の中が真っ白になりかける。
そこで気がついた。震える手で左の胸に触れる。突き刺さった朱槍は、心臓の真上ではなくその横を貫いていた。ゲイ・ボルグの特性をアーチャーは知っている。真名を解放された状態であれば、アーチャーの心臓が砕けているはず。
「な――、」
なぜ、という一言が言葉にならない。
薄れかけた意識を繋ぎ、視線を持ち上げる。冷えた手指に、ぬかるんだ地面の感触はいっそ暖かかった。そこに血が流れ落ちていく。力を振り絞って手を握れば、拳の中に閉じ込められた血混じりの泥が音を立てた。
いつの間にか目の前でしゃがみこんでいるランサーの青い髪が眩しくて目を細める。赤い目がアーチャーの視線を縫い止めた。
「気は済んだか、弓兵。」
伸ばされた手で朱槍に触れていた左腕を軋むほど握られる。零せぬ悲鳴の代わりに腕がミシミシと音を立てた。
「……テメエの負けだ。いい加減諦めろ。」
吐息も、正気も、あっという間に奪われた。
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- ツキ影June 16, 2017