世界が混沌(こんとん)としていた1930年代以降、大国が台頭する欧州でとりわけ重視されたのが、インテリジェンス(情報収集・分析)活動だ。激しい情報戦の中、「諜報の神様」と呼ばれた日本陸軍の駐在武官、小野寺信(まこと)(1897~1987年)は、大国に蹂躙(じゅうりん)された国々から得た一級の情報を本国にもたらしたが、日本は生かしきれず、やがて敗戦への道を進むことになる。
小野寺は、1936(昭和11)年1月~38年春、エストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれる欧州北東部のラトビアに駐在した。
バルト三国は、ロシア革命翌年の18年に独立。ラトビア、エストニアは世界初の社会主義国となったソ連に隣接する上、歴史的経緯からドイツ語とロシア語が通じることもあり、各国の対ソ諜報の拠点となった。日本にとっても満州と国境を接するソ連は脅威であり、小野寺はラトビアやエストニアの軍部と親交を深め、情報を得ていく。
《ドイツの英国への上陸作戦はない対ソ開戦近し》。41年1月、小野寺は中立国・スウェーデン公使館付武官としてストックホルムに赴任。その後、日本への電報でこう何度も告げていた。
39年、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次大戦が勃発。進撃を続けたドイツはフランスを占領した。大本営は、ドイツ駐在武官からの情報を重視し、次は英国に上陸すると想定した。このため小野寺の情報は顧みられなかったが、ドイツは41年6月22日、ソ連に侵攻することになる。
小野寺に情報をもたらしたのは、ラトビア駐在時代に築いた人脈だった。