書評:堀隆博『遊離する地平へ』──溶解する座標と熱力学的ポエジー
グレーと白のシンプルなカバー。だが、その表面は月面のような、無数のクレーター上の凹凸で覆われている。堀隆博の第一歌集『遊離する地平へ』を手に取ると、まずその不思議な手触りに引き込まれる。四十年に及ぶ作歌歴を持つという作者が、満を持して世に送り出したこの一冊は、ずしりと重く、どこまでも深い。
二〇二四年、角川書店より刊行された堀隆博の第一歌集『遊離する地平へ』は、四十年にわたる作歌歴の沈黙を破る一冊だ。そして、メタバースやAI、VRゴーグル、テロップの字の残像といった、いま目の前にある手元の画面や都市の呼吸に触れてしまう問いを孕んだ問題作でもある。著者は原子力工学や化学工学を修めた技術者であり、その理知的な視線は、抒情の回路を「科学」というフィルタに通すことで特異な光沢を帯びている。
本書が提示するのは、物理的な身体が仮想空間(メタバース)へと拡張・拡散していく過程のドキュメントであり、また、避けがたいエントロピーの増大(死・崩壊)に対する静謐な抵抗の記録である。惑星の名を冠した章立てが示唆するように、太陽(生の中心)から遠く離れた冥王星(永遠・虚無)へと向かうその軌道は、渋谷の「壊れた息」や「想定内」のコロナ罹患日、空爆のテロップとビアの泡が同じ画面に重なる感覚として、私たちが抱える「リアリティ」の薄さを照らしている。
科学用語による「個」の再定義
本歌集を特徴づけるのは、頻出する科学・工学用語である。「ニュートロン」、「フラクタル」、「不確定性原理」、「エントロピー(暗示的に)」、…こうした語彙は、単なるペダントリー(衒学)として置かれているのではない。曖昧模糊とした感情や実存を、物理法則というフレームへ寄せて捉えるためのアンカーとして機能しているのだ。
堀の描く世界では、魂や自我といった概念さえもが物質的な現象、あるいはデータの集積として扱われるように見える。
脳だけになったあなたにまず声を戻されたしと神に書状を p.11
生命の起源はひとつの詩のよどみ枯渇に感を追記した日の p.12
一首目、「脳だけになったあなた」という極限的な身体の欠損状況は、SF的な設定であると同時に、介護や延命治療の現場に触れる「人間とは何か」という問いとして読める。神への書状という祈りの形式を取りながら、その内実は唯物論的ですらある。
二首目では、生命現象そのものを「詩のよどみ」から生じたものと定義する。そして、その「詩のよどみ」とは、「枯渇」という一つの現象を指す言葉に「感」が追記され、「枯渇感」という認識が生じたことだというのである。世界を情報(コード)とそのバグ(よどみ)として認識する視線があるとすれば、ここにあるのは冷めた把握というより、冷めた把握の手触りを残したロマンティックさなのかもしれない。
また、彼の科学的視線は、都市生活における孤独や疎外感を描く際にも発揮されるように思える。
奪われて枯れてゆく胸悪魔とは存在ではなく現象なれば p.18
我の死を確かめた時我はない「で?」早く死ぬのか遅く死ぬのか p.18
一首目。死にまつわる問いを投げかけつつも、悪魔(ネガティブな力)を「存在」ではなく「現象」として捉えるところに、作者のリアリズムがあるように思う。現象であるとすれば観測が可能であり、解析が可能である。そんな理系の精神的支柱が、絶望的な状況における唯一の救いとして機能しているように思える。二首目。前の歌とは逆に、自らの死の瞬間の観測不可能性に思いを馳せる作中主体像をまず見せておきながら、唐突な「で?」で、そんなことよりも自分の死がいつ来るのかの方が肝心なのだと自身の思考をひっくり返す。そんなやけっぱちのような状況でも、科学的思考が奇妙に律義に彼には添っているのだ。
都市の身体性とアバターの浮遊感
作者の文体は、硬質な漢語とカタカナ語(科学・IT用語)を多用しながらも、定型のリズムを堅守することで独特の緊張感を生み出しているように思われる。特筆すべきは、物理的な身体の「重み・痛み」と、仮想空間におけるアバターの「軽さ・無痛」の対比ではないだろうか。
前半の章(水星〜火星)では、生身の肉体が感じる都市の閉塞感が、コンクリートや金属の冷たさとともに描かれる。
夜渋谷アーキテクチャーの誤りを耳元で聞く壊れた息だ p.28
密室の防護壁の中消えたのは一口大の怒りであった p.30
「アーキテクチャーの誤り」という把握は、都市そのものを巨大な設計図あるいは回路として捉える視点から生まれるのだろう。その回路の中で、個人の呼吸は「壊れた息」となり、怒りは「一口大」に圧縮されて消失する。ここには、渋谷の夜に立つ身体が、システムに過剰適応しようとして摩耗していく肖像があるように思われる。
一方で、後半(天王星〜冥王星)に進むにつれ、主体はVRゴーグルを装着し、物理法則から解放された仮想空間へと「遊離」していくかのように見えてくる。
アバターでキスをするとき緋牡丹を長押しせよと誰かが言った p.156
暗闇で目が欲しければ壁を這う発光ムカデにトリガーを引け p.156
ここでは、キスという肉体的な行為が「長押し」という操作(オペレーション)に置換されると読める。エロスはインターフェースに媒介され、感覚はコマンド入力の結果として出力されるように見える。この変容を、著者は批判するでも礼賛するでもなく、淡々と記述するように思える。その淡々とした筆致こそが、現実と仮想の境界が溶解しつつある「今」の空気を切り取っていると言えるのではないか。
太陽系を遠ざかるエントロピーの旅
『遊離する地平へ』というタイトルと、水星から冥王星へと続く章立ては、明確な意図に基づいた構成である。水星は「陽が近すぎる 熱い」と副題にあるように、生々しい現実、肉体、情熱、あるいは焦燥の象徴として置かれていると見ても良いだろう。そこから金星、月、火星と進むにつれて、視点は地球(日常)を離れ、より冷たく、より観念的な領域へと移動していくように思える。
水分子つかず離れず落ちゆくを透明傘を回しつつ見る p.25
かけっこで一等とったと言ったけどパパの心はお仕事中かな p.61
初期の章では、雨(水分子)や家族といった、触れうる現実が描かれる。しかし、この歌集は徐々に「喪失」のトーンを強めていく。「土星」や「天王星」の章に至ると、記憶は遠くなり、存在の輪郭は希薄になるように見える。章扉に「遠く小さな記憶」(天王星)、「深く深く水圧に耐え」(海王星)という副題が掲げられている通り、主体は時間的・空間的な深度へと沈潜していくかのようだ。
百年後やはりそこには君がいる駅改札で少しうつむき p.114
GODZILLA憎悪と訳す深き海粉砕の後孵化がふたたび p.137
そして終章「冥王星」において、主体はついに物理的な制約を完全に脱ぎ捨て、デジタルの海、すなわち「永遠」へと至ると読める。
生命のはじまりは常に有機物と誰が言ったか冥王星よ p.148
この構成は、一人の人間が老いとともに死(冥界)へと近づくプロセスであると同時に、人類全体が肉体という「有機物」の檻から抜け出し、情報の海へと移行していく進化(あるいは退化)の寓話としても読める。各章の冒頭に置かれた短いフレーズも、この宇宙的漂泊の深度を示す深度計(ゲージ)として機能しているように思える。
パンデミックと戦争の影
本書の制作期間である二〇一三年から二〇二四年は、世界がパンデミックと戦争によって大きく揺らいだ時期と重なる。著者はこの激動を、感情的な嘆きとしてではなく、システムのエラーやウイルスの侵食として捉えているように見える。
崩れゆく橋を踏みつつただ走る彼岸へ向かう首を追いつつ p.15
ヴァイラスは満月の影地に黒く現世の負荷を映すがごとく p.122
「ヴァイラス(Virus)」という表記にこだわりが感じられる。これは生物学的なウイルスであると同時に、コンピュータウイルスのような、見えない侵入者、コードを書き換える悪意ある存在としてのニュアンスを含んでいるだろう。パンデミックによって人々が物理的接触を禁じられ、オンライン(仮想空間)へと退避せざるを得なかった状況は、著者の志向する「遊離」を加速させる装置として機能したと言えるのではないだろうか。
あまりにも想定内の事実ゆえアイスを食べたコロナ罹患日 p.124
「想定内」という言葉には、リスク管理を生業とする技術者としての諦念と自負が入り混じるように思える。世界がバグを起こし、日常が崩壊していくとすれば、アイスを食べるという些細な肉体的快楽だけが、「生」の手触りを残すとして捉えることもできる。
また、ウクライナやガザを想起させる戦争のイメージも、遠隔操作されるドローンやモニター越しの破壊として描かれることが多いように見える。
空爆のテロップの字の残像に重なるビアの泡の画像は p.84
情報のレイヤーとして等価に並べられる「空爆」と「ビール」。この並列化は、現代の情報環境における倫理的麻痺を映し出していると読める。
10首選
四次元を時間というならその軸を遡ってみよ桑実胚まで p.12
時間は不可逆な物理量だが、意識の中では可逆である。「四次元」という軸を定義し直し、「桑実胚」という生物発生の初期段階まで作中主体は何者かに遡行を命じる。桑実胚は細胞分化が未確定な、可能性の塊である。現在の個としての確定性を拒絶し、何者でもなかった原初の球体へと回帰しようとする退行願望が、理知的な命令形で提示されているように思える。
最終の兵器の頰にキスをする地の消去まで二秒の間がある p.16
「最終兵器」を擬人化し、それにキスをするという背徳的で美しい破滅の光景。核兵器あるいはそれに類するシステムのエラーだろうか。着弾までの「二秒」は、物理的な時間であると同時に、引き伸ばされた詩的な瞬間でもあるように見える。エロス(キス)とタナトス(地の消去)が極限状態で接触し、文明の終わりの一瞬に静寂をもたらしている。
蜘蛛の巣の網目がひとつふたつ切れ「弧」の中の「孤」に一日こもりぬ p.26
蜘蛛の巣の幾何学的な構造美と、その崩壊。網目の「弧(arc)」の中に、孤独の「孤」を見出す視覚的な言葉遊びが、閉塞した個室での一日を象徴すると読める。Web(蜘蛛の巣=インターネット)の切断と見れば、デジタルデトックスの歌のようにも読めるし、社会的なネットワークからの脱落とも読める。切れた網目を修復することなく、その不完全な円環の中にうずくまる主体の静かな諦念が感じられる。
吸血鬼だったのだろう血を吸えぬオフィスにありて落ち窪む目は p.55
現代のオフィスワーカーを、生命力を吸い取られる被害者としてではなく、吸うべき血(生気・やりがい)を失って飢える吸血鬼として描く逆転の発想。蛍光灯の下で「落ち窪む目」は、労働による疲弊だけでなく、本能を剥奪された怪物としての悲哀を湛えているように見える。資本主義というシステムの中で、捕食者としての牙をも抜かれた存在の虚無を感じる歌。
アンドロイドにあなたの声を使いたい少し低くて媚薬・的・ゆえ p.62
愛する対象の声をサンプリングし、人造物に移植しようとする欲望。「媚薬・的・ゆえ」という細かく切り刻まれた結句のリズムは、ためらいと陶酔を表現しているように思える。声という身体的特徴をデータとして剥離し、永続するハードウェアに保存したいという願いには、失われゆく「あなた」への執着がテクノロジーの形を借りて表出しているのではないだろうか。
人生の減価償却はいつ終えるメフィストに問う自問した後 p.95
「減価償却」という会計用語を人生に適用する残酷さ。価値がゼロになる時点(耐用年数の終了)を死と定義するとすれば、老いとは資産価値の減少プロセスとして捉えることもできよう。魂の契約さえも経済合理性の枠組みで思考してしまう悲劇的な知性の歌。
艶めけるアンドロイドの白き肌鉛白である触れるを禁ず p.112
「鉛白」はかつて化粧品に使われたが、毒性を持つ白色顔料である。アンドロイドの肌の美しさを、毒性を孕んだ人工の白として捉えているように見える。「触れるを禁ず」という禁止命令は、美術館の展示物のような距離感を示すとともに、仮想と現実の決して交わらない断絶を意味するようにも思える。視覚的には魅惑的だが、接触すれば死(毒)をもたらすかもしれない冷たい美が印象的な一首。
拡散を推すのは夜の嗜癖ネットワークにヴァイラスは憑き p.146
情報の拡散(RT、シェア)とウイルスの感染拡大とを重ね合わせている。「夜の嗜癖」という表現が、SNSに没頭する人々の依存性をあぶり出すように見える。ネットワークに「憑く」という霊的な動詞の選択は、デジタル空間を百鬼夜行図のように見せているのだろうか。見えない何かが増殖していく不気味さが、無機質な通信網のイメージに有機的な恐怖を与えている。
Virtualが Potentialへと沈みゆく開ける扉を失いながら p.153
Virtual(仮想)の語源には「実質上の」という意味が含まれるが、ここではPotential(潜在性)へと沈殿していく。これは要約である。現実になり得たかもしれない可能性が、実現することなくデータの澱として溜まっていくイメージとして読める。「開ける扉を失いながら」は、ログアウト不可能な閉鎖性か、あるいは現実世界への帰還不能点を超えたことを示唆しているように思える。
コライダの言葉の浮遊摩擦なく刀が胴を突き抜けるとき p.155
コライダ(Collider)は衝突判定を行うプログラム上の処理領域。仮想空間では、刀が胴を突き抜けても「摩擦」も「痛み」もない。ただ、データ上の判定(衝突)があるだけ。この「摩擦のなさ」は、メタバースにおけるコミュニケーションの本質として捉えることもできる。言葉もまた、抵抗なくすり抜けていく。死の痛覚さえもが脱色された世界における、透明な殺意の風景の歌。
「無」を指す羅針盤
『遊離する地平へ』は、短歌という古い器に、メタバースやAIといった最新のモチーフを注ぎ込むことで、現代の「リアリティ」がいかに脆く、流動的なものであるかを示した作品と読める。著者の視線は、冥王星の彼方、すなわち絶対零度の虚無を見つめているように見えるが、その眼差しは冷酷ではない。むしろ、変わりゆく世界において「人間」の定義を守ろうとする、逆説的なヒューマニズムが息づいている。
本書は、技術と文学の交差点に立つ歌人たち、あるいはデジタル化の波に洗われながら自己の輪郭を見失いかけている現代人にとって、一つの羅針盤となるだろう。ただし、その針が指すのは北ではない。駅改札で少しうつむく「君」や、アイスを食べた罹患日や、テロップの字の残像の先にある、私たちがいつか還るべき「無」の方角である。


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