歌集評:卒業『世界絶縁体』——画面越しのノイズと、祈りのようなブランド名
午前三時、部屋に浮かぶのはスマホのブルーライトだけ。指先でスワイプすれば、他人の煌びやかな夕食と、三日前から止まったLINEが交互に流れていく。ふと開いたAmazonの履歴には、無機質な「灰皿」「剃刀」の文字。 画面をスクロールしていると、ときどき不思議な感覚に襲われる。薄い液晶の膜の向こう側へ世界が押しやられて、かつては確かに感じられた痛みや孤独さえも、いつのまにかデジタルの記号として処理されていく——あの感覚だ。
卒業という歌人の第一歌集『世界絶縁体』(黒水舎、2025)は、そんな「つながりすぎた」時代に差し出された三十一音の詩の束である。読み終えて思ったのは、この歌集が描いているのは「世界とつながれない孤独」ではない、ということだった。むしろ逆だ。世界のほうから過剰に接続され続けることで、自分を「絶縁体」として守らざるを得なくなった人間の記録。過剰な電流に焼かれないための絶縁であり、同時に、すでに焼かれてしまった皮膚の記録でもある。
消費される「被害」と、記号化する身体
この歌集の中で、身体はどこか生身の感覚を失っている。液晶画面やクリニックといったシステムを通さないと、自分の輪郭すら確かめられない。
アイドルと水着が光る液晶に傷跡があつてそれが増えてく p.14
携帯電話の液晶画面に入ったひび割れ。それを著者は敢えて「傷跡」と呼び、自らの傷に重ねている。日々少しずつ増えていくそのひび割れは、水着姿のアイドルの映像を切り裂いている。「液晶画面」という一枚の板の上で、「傷跡」と「アイドル」を同時に見つめる生活。苦痛そのものが、消費社会の回路のなかで"見られるもの"に変質していく。そのことを、著者はただ静かに受け止めている。
将来の夢は被害者できるだけかはいさうな被害者になりたい p.9
ドキッとする。けれど、この一首には現代の空気感が無邪気なふりで提示されている。「かわいそう」であることが承認を得るための資源になり、痛みそのものよりも「痛々しい存在として見てもらえること」が優先されてしまう。そのねじれを、この歌は正確に掴んでいる。
切花を花瓶に挿してせんそうにつながつてるらしぼくのぺにすも p.68
日常のふとした瞬間に、自分の身体が遠くの戦争と無縁ではないことに気づく。著者が「絶縁体」を名乗るのは、社会から逃げたいからではないだろう。社会の圧力(電圧)が強すぎて、生身のままでは焼き切れてしまう。その危険を、本能的に察知しているのだ。
ブランド名という、現代の「お守り」
強すぎる世界の圧から身を守るために、著者は歌の中にブランド名を配置する。単なるおしゃれではない。焼けつく皮膚を守るための、小さな絶縁材のように響く。
光景のひかりの部分に連れてくよ ぼろぼろのジェラピケのままのきみを p.46
「ジェラピケ(ジェラート ピケ)」はふわふわとした可愛いルームウェアの象徴だが、ここではそれが「ぼろぼろ」であることにリアリティがある。この歌集全体を通して、ブランドや商品名が、ある種の「救い(聖性)」の代わりのように扱われているのが目を引く。救済なんてないと知りながら、それでもお馴染みのロゴに手を伸ばしてしまう。その反復の中に、現代における祈りのようなものが滲んでいる。
文体のねじれと時間のバグ——旧仮名・スラング・誤変換
本作の文体で特に目を引くのは、「歴史的仮名遣い(旧仮名)」と「現代のネットスラング」の奇妙な同居だ。
ぼくのしがわからないならしね メイド服にケチャップのしみがいつぱい p.39
の続編の続編をやけに丁寧にユポ紙に書きなぐる 東京、ラグい p.104
メンクリは比較的学校ぽさがあるよね don't u θink? i 罠 b wiθ u p.50
伝統を感じさせる旧仮名の文脈に、「しね」「ラグい」「i 罠 b wiθ u」といった刹那的な言葉が放り込まれている。正直、最初は現代短歌にありがちなファッション的折衷スタイル——「病み」を演出するための類型的な手つきに見えた。しかし、読み進めるうちに印象が変わる。この不協和音は、単なるスタイル(装飾)に留まっていない。
将来の夢は被害者できるだけかはいさうな被害者になりたい p.9
実景… や、実刑…… 裸眼にて低解像度のせかい ÅぢSaゐ p.17
「将来の夢は」の歌は、「かはいさう」という旧仮名表記の檻の中に「被害者」という現代的な自意識を閉じ込めている。「ÅヂSaゐ」は、バグのようなこの表記を用いることで、言葉が意味を結ぶ手前で崩壊するさまを見せつけてくる。 ここにあるのは懐古趣味ではない。旧仮名という「過去の遺物」と、ネットスラングという「現在のゴミ」を無理やり接続することで、「正しい時間の流れが存在しない(未来がない)」という閉塞感を、文体のレベルで再現しようとしている。そう読むと、類型的に見えかねない「希死念慮」の反復さえも、個人の感情の発露というよりは、システムのエラーログが延々と吐き出されているような、不気味なリアリティを帯びてくるのだ。
轟音による遮断と、定型への回帰
「遮断」の意識は、音の扱いにも表れている。
世界くづるるやうな雷鳴聴きゐつつマイブラの音量をあげてゆく p.71
マイブラ(My Bloody Valentine)は、美しいメロディを轟音のギターノイズで包み込むシューゲイザーの代名詞だ。世界が崩れるような雷鳴を、さらに大きな「音の壁」で遮断する。音楽さえも外界を拒むための「絶縁体」として機能させている一首。
歌集の構成もおもしろい。中盤の「Reverb」という章では、俳句の一連が突如混入したり、言葉が散文のように崩れたりしていくのだが、続く「リバーブ」という連作で、ふたたび短歌の定型(57577)に戻っていく。ノイズの海をくぐり抜けたあと、言葉が定型に収まるとき、そこには「言えないことが増えていく」という、奇妙に透き通った諦めのようなものが漂っている。
10首選——痛みの所有権を求めて
うるせーーー)せかいのはなしはもうやめてエゾユキウサギをだきにいかうよ p.3
巻頭歌。「うるせーーー」という叫びを「)」で閉じる表記が、自分の内面の声を遮断しているようにも見える。著者が多用する「バグったようなひらがな表記」は、正常に機能しない世界に適応するための一種の擬態(ミミクリ)だろう。大きな社会の話よりも、小さくて柔らかい命(エゾユキウサギ)のところへ逃げたい。その切実さが胸を打つ。
おたがひの無数の秘密がばれるほど死ぬほど画質のわるいjpg. p.9
情報が増えて秘密が明るみに出るほど、かえって思い出の解像度は「画質のわるいjpg」のように劣化していく。デジタル世代ならではの感覚で、人間関係の脆さを捉えた秀歌だと思う。
確率は天文学に喩されつつ三点リーダーまみれのLINE p.13
「天文学」という壮大な言葉と、スマホ画面の「…(三点リーダー)」という沈黙。この対比が鮮やかだ。言いたいことを飲み込むための記号が、画面を埋め尽くしている。
このなかでセックスのこどもぢやないひとだけがわたしを殴つてください p.19
「罪のない者だけが石を投げよ」を連想させる。私たちはみな性愛の結果として生まれている以上、誰も殴る資格を持たない。自分を罰してほしいけれど、誰にも罰せられたくない——そのアンビバレンスが渦巻いている。
ぼくのしがわからないならしね メイド服にケチャップのしみがいつぱい p.39
「し」は詩であり、死でもある。幼く乱暴な拒絶の言葉と、メイド服についたケチャップ(血痕のパロディのような)。承認欲求と殺意の境界があやふやになっていく。
Amazonで灰皿と剃刀を買ひぬ こはれるくらゐの詠嘆のために p.140
破滅的な行為のための道具さえ、Amazonでポチれてしまう。深い嘆きでさえ商品棚から選べるこの世界で、その手軽さがかえって、心のやり場のなさを浮き彫りにしている。
鉄釘に引掛けてできた傷口がNIKEのシュッてマークに似てる p.120
自分の体の傷さえ、見慣れたロゴマークに見えてしまう。「シュッてマーク」という拙い言い方が、痛みを記号としてしか認識できなくなっている怖さを際立たせている。
あぢさゐはくづれつつ咲く ミスiDぽさがきみをきみたらしめてゐる p.51
崩れかけの紫陽花と、ミスiD(ある種の「病み」も個性とするオーディション)的な君。「〜ぽさ」というラベルがないと自分を保てない——現代のアイデンティティの不安が滲む。
BIJOUX 過度な性的な医療器具に欠落しつづけてる論理感 p.124
宝石(BIJOUX)という見出しに対して、描かれるのは医療器具と性の入り混じったイメージ。本来の用途からズレていくグロテスクな転換の中にしか、生の輝きを見出せない閉塞感がある。
灰色のエンジェル・ハイロゥ 山手線は夜明けのゲロを乗せつつまはる p.136
山手線を天使の輪(エンジェル・ハイロゥ)に見立てる視点が強烈だ。ただしそれは灰色で、汚物を乗せて回り続ける。都市というシステムに対する、壮大な絶望と愛着が入り混じった視線。
おわりに
『世界絶縁体』は、AmazonやNIKE、ネットスラングといった「世界そのもの」を素材にして、なんとか世界と「絶縁」しようと試みた記録だ。世界の素材で世界から身を守ろうとする——矛盾している。でも、その矛盾の中で言葉がショートし、火花を散らす一瞬にこそ、この歌集の「詩」はある。
ヒビの入ったスマホの光を浴びながら、Amazonの配送状況と、アイドルの剥き出しの肢体と、己の孤独感とを同じ画面で眺めている私たちにとって、この歌集は「現代の痛みの説明書」として、深く刺さる一冊だと思う。


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