賢いつもりで振る舞っているけれど、どうみたってアホな人、いるじゃないですか。
客観的にいえばそりゃ見てられないですけれど、実は自分も他人からそう見られていたらと考えるとなかなかゾッとしませんか?
人間それなりに年齢や経験を積むと、主観的に「これは若干筋の悪い主張だよなぁ」ということすらも、周りが気を遣ったりヨイショしてくれたりして、とりあえず受け入れてもらえることも増えてくると思うんです。
若手や成長途中という段階であれば、周囲からわりと忌憚なく批判されて、路線を修正したりすることもできるんですが、歳をとるとそうもいかない。間違いは自分で自覚して自分で修正しなければならない。
いや、親密な人と腹わって話せやという指摘もあるでしょうが、親密であればそれはそれでここは指摘しても変わらないだろうな、といううっすらとした遠慮ももっているもんじゃないですか?
なんでも本音でぶつかっていこうや、みたいなのにも年齢的上限はあると思うんですよね。利益なくしてぶつかったってしょうがないでしょう。
比較的まともな大人であればあるほど、そういう線引きってしっかりしていると思うんです。だからこそメタ認知の手段として用いることにも限界が生まれる。
そんなわけで結局はメタ認知能力が試されるわけです。メタ認知能力は鍛えられる、でも万能ではないし、限界もある。そこに犬が潜んでいると私は思うのです。
犬とは何か。
犬、かわいいですよね。他の動物と比べてとってもお利口さん。賢さを褒めたら愛嬌を振りまきながら喜んでもくれる。
でも、私たち人間は犬を心底賢いとは思っているわけではないじゃないですか。だって、計算ができたり文章がかけるわけでもないですし。どう考えても総合的な能力値は人間に勝つとはいえない。
だから、実際のところは「(犬にしては)賢くてすごい」ということで褒めるわけです。前段は実際いわないにしても。
これを受け取った犬はどう感じるか。たぶん、当然に、喜んでいる。なんかプラスの感情を向けられているのはわかるし、おやつとかをもらえたらなおさらでしょう。
犬は自分の言動を肯定されて、自分が賢いと思う。周囲は限定的な賢さを肯定しているにすぎないのに。このギャップ、犬対人ならまだしも、人対人でも起きていたらめっちゃ怖くないですか?
というか、たぶん実際起きている。
たとえ私が賢いと称賛されても、私以上に賢い人がいることくらい私も認識している。そのような人と比べたら私は当然に劣る。
これは限定的な称賛なのだ。改善すべきことは私にも必ずあって、これをつきとめてより良くしなければならない。さもなくば生き残れぬ。
だが、どうやって?
メタ認知能力にも限界はある。ただし、これでよいと自己満足した瞬間から犬がはじまる。
あぁ、こいつは犬かもしれんなぁという人を見ると、同時に実は自分も犬かもしれんなと思って陰鬱な気持ちになる。
ん〜嫌ですなぁ。犬みたいにはしゃいで一生が終わったらいいのに。ワンワン。
😡
我々犬から見るとバカと天才は紙一重だワン コイツは犬未満だワンね…そう思った時点で我々の仲間入りですワン 色々と調べたうえでそう思ったなら、むしろソイツは犬未満かもしれま...
IQテストと学力と仕事の成績でわかるだろ