【プロ野球】宮城大弥は幼少期、ツギハギのユニフォームや穴が空いたスパイクでプレー 父が明かす壮絶な極貧生活
【温厚だった少年時代の宮城が激怒した日】 しかし生活は困窮しており、電気や水道、ガスが止まることもあり、役場の職員が自宅を訪れ、子供を施設に預けるかどうか問われたこともあるという。そんな日々のなかで、野球道具をそろえるのに苦労した。 ユニフォームは、破れやすいヒザの部分だけでなく、至るところがツギハギだらけ。グローブも革ではなく、700円で販売されていたビニール製のグローブだった。享氏が「ビニールの硬いグローブが、少しでも柔らかくなれば......」という思いで電子レンジで温めてしまい、グローブを溶かしてしまったことも。 またある時は、使い古して穴の空いたスパイクを審判に注意され、ガムテープでぐるぐる巻きにして試合に出たこともあった。宮城が小学3年時には、チームが優勝を勝ちとったものの、金銭的な事情から祝勝会への参加が叶わなかった。自身の貯金を切り崩してもチームメイトと勝利を分かち合えない状況に、宮城は涙を流したという。 「それでもめげることなく、まるで貧しさを忘れようとするかのように、野球に取り組んでいましたね。小さい頃から穏やかな性格で、家庭が置かれた状況に不満を述べたり、感情的になることはほとんどありませんでした」 宮城は「決してあきらめない気持ち」で成長していった。中学からは硬式の「宜野湾ポニーズ」に加わり、中学2年で投手に転向。カーブやスライダーなど変化球を巧みに操るピッチングで強豪を退けた。 その頃、見たことがないほど激昂した表情で宮城が帰宅し、両親が驚愕したことがあるという。享氏が理由を問うと、「いつかプロ野球選手になって活躍したい」と夢を語る宮城に対し、中学校のある先生が「目の前にある現実を見なさい」と、貧困を理由に目標が叶わないと言われたから、ということだった。 さらに、数々の賞を獲得する宮城に嫉妬したチームメイトに靴を取られ、トイレの便器に投げ込まれたことも。享氏は「野球はひとりではできない」と宮城の怒りをなだめ、子供たちや監督と話し合うなど解決に奔走した。 そんなトラブルもありながら、2015年には「全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップ」に出場。宮城はそこでの活躍が認められ、翌年にはU-15日本代表にも初選出された。沖縄県出身の選手として史上初の快挙だった。 (後編:宮城大弥が父と叶えた恩返し「夢をあきらめざるを得ない子どもたちを少しでも減らせたら」>>) 【取材協力】 風来坊株式会社 鰐川せりな 秋山高志
白鳥純一●取材・文text by Junichi Shiratori