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365日、タートルネック【オメガバース・現パロ】/Novel by ダッシュ

365日、タートルネック【オメガバース・現パロ】

10,192 character(s)20 mins

大学生のアーチャーは、春夏秋冬いつでも野暮ったいタートルネックを着ている。その下に、Ωである彼の大事な秘密が隠されていることを知る者はいないーー。

現パロかつオメガバースな槍弓。槍は弓の先輩にして押しかけ同居人設定です。
Ωやαの生態について、独自設定をいくつか含みます。

診断メーカーで出た「オメガバースでほのぼの」に挑戦した結果、スケベはなんとか回避できたものの「ほのぼの、とは……?」な仕上がりになりました。
いつもの私の大好きなパターンです

読みたいと言ってくださったフォロワーさんにこっそり献上します

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今日は黒、明日はグレー。カーキ、チャコール、エトセトラ。
アーチャーの私服は、いつだってトップスがタートルネックだ。ショッピングモールで必ず見かける店の定番商品。それも、ありきたりな無彩色ばかり。数だけはやたらと揃えているから、今まで着替えに困ったことはない。
真夏の青空の下でも、ノースリーブのハイネック。その徹底ぶりを笑われるのも、すっかりある種の風物詩となった。
365日、いつでも、どこでも。
アーチャーは、絶対に首を露わにしない。
丈夫さだけが取り柄の綿布の下には、ひとつ秘密を隠している。

ーー血で染め抜いたようにはっきりと弧を描く、うなじの噛み跡。

アーチャーは、「番」持ちのΩだ。

* * *

大学からも最寄駅からも歩いて5分ほど。そんな古いけど便利な学生アパートに住みはじめて、もう3年になる。Ωの一人暮らしになるので両親に相当反対されたのだって、今ではただの昔話になった。

(それでも、毎日のメールは欠かすことができないが)

夕方もしくは夜。学校から帰ったあとに一報いれるのを、引っ越し初日から義務づけられている。
これをうっかり忘れたものなら、翌朝には「心配したよ」と玄関の前に立たれかねないのだ。
ちなみに、心配性なのは養母よりも養父の方である。未だになんの仕事をしているのかちっとも教えてくれないが、かの人はやたらと無茶な行動と無理を通すことがうまい。

(何を訊いても、最後は笑ってはぐらかされるからな……魔法使いだからね、なんてふざけた理由で納得するもんか!)

一応普段は夫婦揃っておっとりのんびりしている養い親に向けて、アーチャーは今日もメッセージを打つ。
ーーまぁ、正直面倒くさい、こともある。けれども、アーチャー自身が彼らに心配をかけたくないのだ。α同士の夫婦と恵まれた立場ながら、災害孤児のΩという厄介な代物を拾ってくれた。そして、ここまで慈しみ育ててくれている。死んでもきっと頭の上がらない、大好きな恩人達だ。

「……ん? 珍しいな」

いつもは既読がつくだけなのに、今日は返信がある。案の定、養父からだ。

『今日もお疲れ様。最近は少し帰宅が遅いようだね』

そんな少しドキリとする言葉から始まり、「一人暮らしは順調か」なんて、いつものやりとりがチラホラ。やがて、彼らしく簡潔に週末の予定を尋ねられた。

『たまにはこちらに帰っておいで。みんな君に会うのを、いつだって楽しみにしている』

アーチャーは、壁のカレンダーを確認した。
一人暮らしにあたりバイトを禁じられたアーチャーであるから、本来なら何もない。
確かに、カレンダーの該当欄は真っ白だった。代わりに、その翌週末には青いマーカーでバツ印が二つ書きつけられている。

「……どうしたものか」

アーチャーは、しばらくスマホとカレンダーを交互に見やった。1回、2回、3回ーー結局、もう一度カレンダーを見直して、養父には「その次の週なら帰れるよ」と返す。

『わかった。来週だね。そちらを出るときに連絡してくれ。駅までイリヤと迎えにいくよ』

相変わらず簡素な、けれどもどこか有無を言わさぬ強さの言葉で、メッセージの応答は終わる。

「……来週末は、何が何でも帰らねばな」

特にこの週末への追及がなかったことに、アーチャーはホッとした。それと同時に、うなじがチリチリときまり悪く疼く。

「また、言えなかった」

ポツリとこぼした声は、アーチャーの罪悪感だった。
ーー大切な家族に、いくつか秘密を持っている。
学外ではないけれど、研究室の資料整理バイトを請われて始めてしまったこと。
三食きちんと食べることも約束していたのに、レポート提出前はつい夕食を抜きがちになること。
クリスマスに養母と妹からプレゼントしてもらったセーターには、未だ袖を通せず。365日、いつでもどこでも安物のタートルネックを着ている。
その下には、既にαの噛み跡があって。
そしてーー。

「アーチャー、帰ってたのか!」

ガチャリと、粗雑にドアが開く。
現れたのは、美しい筋肉に覆われた上半身を惜しげもなく晒す1人の青年。

「ちょうど風呂空いたから、お前も入ってこいよ。今日は、朝まで呑める日だろ?」
「待てっ! 貴様はいつもいつも……髪は洗面所で乾かしてこい!」

水飛沫を撒き散らしながらガシガシと乱暴に髪をふくその男を、アーチャーは慣れた調子で叱りつける。

(あぁ、本当にこんなこと切嗣達には言えやしない!)

「一人暮らし」していられたのは、結局一昨年の秋までで。
今は、目が覚めるように美しいこのαと寝起きを共にしている。


* * *


ランサーは、立場上は研究室での先輩にあたる。アイルランド出身、来日4年目の院生だ。
夏空のような青の髪に、ガーネットの瞳。その鮮やかな色彩に負けない白皙の美貌。見てくれからして典型的なαの青年は、学部どころか学内屈指の有名人である。
そんな彼が、どうしてよりによってΩのアーチャーの家に転がり込んできたのか。
合鍵を渡した(分捕られた?)経緯は正直記憶が曖昧だ。けれども、最初に目をつけられたきっかけはよく覚えていた。

(ようは、餌付けだったんだよなぁ……)

教授に大量の資料翻訳を任され、2人して研究室に缶詰になっていたある昼下がり。購買に行くタイミングを逃してしまった腹ペコ先輩のために、アーチャーは手製の弁当を分けてやってしまったのだ。

「なんだこれ、めちゃくちゃ美味いな!」

目を輝かせて、あっという間に与えられた分を平らげたランサー。その後ものすごい勢いで弁当の作り手がアーチャー自身であることを聞き出しすと、更には毎日自分の分も作ってきてもらう約束を取り付けたのである。ちなみに、一食につき500円。思えば、これがアーチャー初めてのバイトだった。
それから「弁当もいいが、出来たても食いたい」と休日押しかけられるようになって。研究室でのバイトが重なった時には、毎度夕食を強請られる。
アーチャーも料理好きとしてランサーの食いっぷりは嬉しかったものだから、断れるはずもない。そして、一度彼を部屋に上げればあとはなし崩しだった。
夕飯のはずが、酒盛りになり。終電を逃すどころかお互いに寝落ちて、一泊。一度泊まってしまえば、遠慮というものがお互いになくなった。とどめを強いてあげるとしたら、三度目の朝に無駄に張り切ったフレンチトーストを出してしまったことだろうか。
今では、ランサーがこの部屋にいない日を数える方が早い。カレンダーに青いバツ印のついた日がそうだ。バイトの都合上、この時ばかりはランサーは本来の自宅に帰るのである。
あとは、月に一度。アーチャーのヒート中もランサーはこの部屋に入れない。
ありがたいことに、ランサーはその辺りの気づかいがきちんとできるαだった。

(そうでなければ、誰がαなどに近づくものか)

アーチャーはヒートが比較的軽い分、性にも淡白な性格だった。必要に応じて抑制剤を飲めば、βとなんら遜色なく暮らせる。
実際、アーチャーをβだと思っている人の方が圧倒的に多い。もっとも、これはアーチャーの外見のせいでもある。我ながら、とてもΩには見えないほど筋骨たくましいので。(なんせ、アーチャーはランサーよりも背が高い)
アーチャーの本来の性を知っているのは、学校など公的な機関をのぞいては、家族そしてランサーを含む極々近しい間柄だけだ。
そのランサーにも、本当は告げるつもりはなかった。ただ、何度も泊まっていくようになってからは流石に黙っていられなかったのだーー過ちが決して起こらぬように、と。

(番なんて、一生持つ気はなかったんだ)

そのために、用意周到に生きてきた。
そんなアーチャーの人生がままならなくなったのは、去年の春の宵。
ランサーと夜通し吞み明かすのが、すっかり当たり前になっていた頃だった。

* * *

「おっし、呑むぞ! カンパーイ!」

ランサーの音頭に合わせて、カチリと2つのグラスが鳴る。
翌日にお互い何も予定の入ってない夜は、こうして夜通し吞み明かすのだ。ランサーがこの家に居つくきっかけにもなった習慣である。
食事の前に風呂に入ってしまうのは、いつ酔いつぶれてもかまわないようにするための、経験に基づく知恵だった。
普段は呑まないアーチャーも、この時ばかりはあれにこれだと手を出していく。
今夜のツマミは、マグロの竜田揚げにアボカドのサラダ。どれも、アーチャーの手作りである。足りなくなれば、冷蔵庫に棒棒鶏やらナスの揚げ浸しやらが用意してあった。ランサーは、食事中にアーチャーが席を立つのを好まない。

「相変わらず、うめぇなぁ」

ランサーは満面の笑みを浮かべながら、竜田揚げを頬張ってはすかさずビールをグビッと飲んで……と忙しない。
対するアーチャーは、ちびりちびりと日本酒を舐めながら、アボカドのサラダを口にする。正直、ランサーほど酒に強くはないのだ。
ーーそれなのに、一度。ランサーのペースにつられて呑みすぎて大失敗したことがある。
もう二度とあの失態をおかさぬよう。小さめのグラスにゆっくりとしたペースは、もう1つのアーチャーの知恵だった。

「そうだ。俺、来週末バイトなしになった」

ランサーがそう切り出したのは、アーチャーが冷蔵庫から棒棒鶏を取ってきた時だった。
ようは、予定変更。来週末も泊まりにくるという合図である。
いつもなら「わかった」と二つ返事のアーチャーだが、今回ばかりは了承できなかった。

「悪いが、来週末は無理だ。私にも予定がある」
「え? お前先週は何もないって……あ、まさか」

酔いでご機嫌だったランサーの顔が、不意に曇る。

「ヒートの時期、ズレたか?」

いかんせん生理現象であるので、いかに投薬でコントロールしていても狂う時はある。予定外のヒートは重くなることが多く、ランサーはそれを気にかけてくれたのだろう。それに、αの彼にとっても予期せぬヒートは厄介者だ。

「あ、いや。そうじゃない。実家に帰ることになって」

けれども、ランサーの心配は杞憂だった。アーチャーは、慌てて首を横に振る。

「しばらく顔を見せてなかったからな」
「そういうことなら、よかった。俺も、予定通り向こうにいるわ」

一応「泊まりにきている」という面目を保つため、アーチャーがいない時にはランサーは部屋に上がれないことになっている。
もっとも、アーチャーにとってはただのケジメ以上の意味を持つ約束だった。
自分の目の届かない時に、ランサーにこの部屋にいて欲しくない。
すでにΩと明かした身で何を今更と思うがーーランサーに対しても、アーチャーは秘密を一つ抱えているので。

(……どこでボロが出るか、わからんからな)

罪悪感でチリリと痛む首筋を努めて無視して、アーチャーはちびりとウィスキーを舐める。
そんなアーチャーの様子を気にもせず、ランサーは「実は、この間のバイトでさ」と話しはじめた。

「同僚が、急なヒートになっちまってなぁ」
「え、それ君も大丈夫だったのか!?」
「俺は、その時別の教室にいたからなんとか。ただ、生徒の中にαがいて当てられてたもんだから……ソイツを取り押さえるのには駆り出されたけど」

ランサーのバイト先は、小さな語学学校である。留学当初から勤めていて、院生となりあまりシフトが入れられなくなっても籍を置いていた。
その数少ないシフトの日にΩのヒートに巻き込まれるとは、運が悪いーーヒート時のΩのフェロモンは、見境なく周囲のαの性衝動を誘発するのだ。

「災難だったな……みんな」
「あの子も、きちんと薬飲んでコントロールしてたんだけどな。寝不足や疲労で、調子が狂ったらしい」

悲しいことに、Ωにはよくある話だった。体調不良でヒートを暴発させ、それまでの信頼が塵芥のように吹き飛ぶ。

「次からΩを雇う時は、番待ちにかぎるってさ」
「……賢明な判断だろう」

こういうことも、さして珍しくはない。
なんせ、番を持てばΩのフェロモンは相手のαにしか効かなくなる。月一度のヒートは無くならなくても、不特定多数を巻き込むことはない。
Ωがよい就職先を見つけるならまずは番を見つけろ、と言われるくらいなのだ。

「お前は、番作らねぇの?」

だから、こうやってよくランサーに尋ねられるのもそこまで不思議ではない。
けれども、アーチャーは根気よく同じ答えを返すのだ。

「生涯、番を持つ気はないんだよ。ランサー」

ーーうなじの噛み跡が、また疼く。
アーチャーの心の内を知るはずもないランサーは、やはり何度も繰り返したように渋い顔になった。

「お前が相手を慎重に選んでるっていうなら、賛成するが……」
「やめてくれ。そもそも、私が誰かを選べるような立場でもなし」
「アーチャー」
「無理に番うくらいなら、自力で生きることに努める方が性に合ってるのさ。私は」
「……俺は、お前が望むのなら」
「ランサー。この話を続けるのなら、デザートのサヴァランは無しだ」

なんてことない体で、話をぶった切る。
ランサーがアーチャーの言葉を受けて、「それだけは勘弁してくれ!」と戯けた調子で叫んでくれた。アーチャーはため息ひとつだけで、全て水に流す。
そこに、先ほどまでの重苦しい雰囲気はなにもない。
これも、二人の間ではいつものことである。

(……いい加減、諦めてくれないものか)

こちらの事情を深追いしてこないのが、唯一の救いだがーー諦めるどころか、ランサーからこの手の話題を振られることが多くなった気がする。さらには、そこへ空恐ろしい提案まで加わるようになった。

ーーアーチャーが望むのなら、いつだって俺は。

今日も口にされかけた言葉が、アーチャーの脳裏に蘇る。

(今更、君と番えるわけないだろう)

次のつまみを取りに行くと言って逃げ込んだキッチン。冷蔵庫を開けることなくもたれかかって、アーチャーはまたため息を吐き出す。

「いっそのこと、もう番ってしまったと白状したら、おさまってくれるだろうか」

首の噛み跡は、ランサーにも見せたことはない。
あの夜から、彼の前でもこのタートルネックを脱いだことはない。
だから、ランサーは知らないーーアーチャーが、すでに番を得ているなんて。
これが、アーチャーがランサーに抱えている秘密だった。

(いや、本当はもう一つ)

もう一つもっと大事なことを、アーチャーは隠している。

アーチャーのうなじをあの夜牙で穿ったのは、他でもないランサーなのだ。

* * *

あの日の飲み会は、大量の翻訳業務をやり遂げた打ち上げも兼ねていた。
二人とも疲れ果てていたくせに、妙に高いテンションで缶も瓶も開けまくったのだ。アルコールはあっという間に呑みほされ、気分は天井知らずにハイになる。
酔ったことに気がつけないほど、二人して酒にやられていた。
火照った身体を冷やしたくて、先に服を脱ぎ捨てたのはアーチャーだ。それを指差して笑ったランサーが、俺も俺もと言って上半身を露わにする。
辛うじて二人ともズボンに手をかけなかったのは、あの時はまだ友人だったことの証だろう。
ーーそれからの記憶は、本当におぼろげだ。奇妙な楽しさの中に人肌を恋しく思う寂しさがあって、どちらからともなく抱きついた。ランサーがやたらと首筋に鼻先を擦りつけるのがくすぐったくて、ケラケラ笑っていたのは覚えている。
キスはした、ような気がする。舌まで入れたかどうかは、思い出したくもない。

そして、次の朝起きたらーー首の後ろが熱かった。

恐る恐る触れる。指先が、何か細かな凹みを感じ取る。

(まさか)

グースカと寝こけているランサーを決して起こさぬように、アーチャーはスマホを手にとって洗面所に駆け込んだ。
何度も何度も失敗して、やっときちんと目当ての場所が写った一枚を撮る。

「うそ、だろ……」

そこには、赤く血の滲んだ噛み跡がくっきりと残されていた。
犬歯の跡が深いのは、まさしく「番うために」αが牙を伸ばして噛みついた何よりの証拠である。
相手は、ランサーしか考えられなかった。

「なんでさ……なんで、こんなことに……」

全身から力が抜けて、アーチャーはその場に崩れおちる。
ーー番なんて、生涯作らないと決めていた。
ましてや、これ以上大切な人を自分なんぞのよすがにするなど。決してしてはならないと固く誓っていた。
そのはずなのに。
アーチャーのうなじを噛んでしまったのは、故郷から離れて初めて心を許せた人だった。

「……い、いや。まだだ。まだ、間に合う」

ランサーは、まだまだ起きてくる気配を見せない。
アーチャーは、極力静かにクローゼットを開けた。手に取ったのは、着古したタートルネック。季節遅れは否めないが、今の時期なら風邪を引きかけたとでも言い訳すれば何とか押し通せるだろう。
髪が乱れるのも気にせずに、頭からそれを被る。

(あとは、賭けだ)

昨夜のことを、アーチャーはほとんど覚えていない。噛まれた瞬間なんて、なおさらだった。
恐らく、この分ではランサーもきっとーー。

「……っぁあ、頭痛えぇえ……」
「……ようやくお目覚めか。ランサー。とっとと顔でも洗ってきたまえ」
「あー、流石に呑みすぎた……っと、あ、あれ? 何で俺上脱いでるんだ?」
「酒の上での失態を、今更思い出したいかね?」
「え、いや、その」
「……私の起き抜けの格好でも伝えてやろうか」
「い、いいっ。よ、宵越しの記憶はもたねぇほうがいいって言うしな!」
「たわけ。それを言うなら、宵越しの金だ」
「あーっ、もう! どうでもいい! 互いのケツが無事ならそれで十分!」

アーチャーは、こうして賭けに勝った。
ランサーは、やはり酒に溺れてからのことを何一つ覚えていなかったのだ。
もちろん、アーチャーと番ってしまったことも。

そして、この朝以来ーーアーチャーは秘密を覆い隠してくれるタートルネックを脱げなくなった。
恐らくは、ランサーと別れるその日まで。

* * *

「戻ったぞー」

ランサーのやけに陽気な声で、アーチャーは我にかえった。
時刻は既に深夜をまわっているが、飲み会は終わらない。アーチャーが作った料理はすっかり平らげてしまったが、「まだまだ足りん」とランサーが近くのコンビニへ買い出しに行ってしまってたのだ。

「この間ネットで見つけたツマミがあったから、一揃え買ってきた!」

食卓の上にバサッと広げられた袋の数々を、アーチャーは適当に取りまとめる。そのうちいくつか気になったものの口を開けていると、ランサーが空いたスペースに酒の缶をすかさず並べた。

「またそんなに買ってきて! もう飲めないぞ、俺は」
「んな情けないこと言うなよ、アーチャー。明日は寝坊し放題なんだから、まだまだいけるだろ」
「全く……二日酔いになったら、君に責任持って世話してもらうからな」

アーチャーは、比較的度数の低そうなチューハイに手を伸ばす。

「……ん?」

その時、ふと甘い香りが鼻先を掠めた。

「アーチャー?」
「あれ、何か甘い、りんごみたいな……」

言いかけて、アーチャーは口を噤んだ。その香りが、ランサーから漂っていることに気づいたからだ。

「君、ツマミ以外に甘いものまで買い足しただろう」
「うおっ、目ざといな! いいだろ、サヴァランにアイスとかのっけるの最高なんだから!」
「見かけによらず、甘党だよなぁ……」

うまいこと誤魔化せたようで、アーチャーはそっと胸をなでおろす。

(うっかりボロを出すところだった)

αのフェロモンは無臭であるが、例外として番ったΩには甘く香る。故に、アーチャーがランサーの体臭を嗅ぎとっていることもまた隠さねばならなかった。

(久しぶりに嗅いだから、すっかり忘れていた)

ヒートによって所構わず発散されてしまうΩのフェロモンとは違い、αのそれは滅多に表に出てこない。ただ、何かで気分が高揚すると少し箍が外れるようだった。きっと、今日はそれだけランサーも楽しく酔っている、と言うことなのだろう。

(……しかし、本当にいい匂いだな)

ランサーの話に適当に相槌を打ちながら缶を煽るも、アーチャーの鼻先はすっかり別のものにご執心だ。
ランサーのフェロモンは、先ほどアーチャーが言いかけたようにリンゴの香りに似ている。
太陽をたくさん浴びて真っ赤に熟れた、蜜をたくさん蓄えた果実の甘くて少し青臭さも残した匂いだ。

「ん、どうした? アーチャー」
「……そろそろ、本当に酔いが回ってきたようだ……」

いつのまにか、思考がトロトロと溶けはじめていた。辛うじて酒をこぼさず飲んでいるものの、味なんてよくわからなくなっている。

「……ぅう、う」
「アーチャー。寝落ちるなら、こっちこい。しばらくなら枕になってやるから」
「らんさぁ」

引き寄せられるままに、アーチャーはランサーへともたれかかった。
ちょうど肩に頭が乗っかって、あのリンゴの匂いが一層強く香る。

「らんさぁ」

思わず彼の首筋に鼻先を擦りつければ、頭上からケタケタ笑う声が降ってきた。

「くすぐってぇよ、アーチャー!」
「我慢しろ、らんさぁ。だって、君の匂いがこんなにも」

ーー気持ちがいいんだから。

* * *

「……懐いた猫みたいだよなぁ」

ぐりぐりと肩に顔を埋めるアーチャーを好きに遊ばせながら、ランサーはウィスキーのロックをぐびりと煽った。

「普段もこれだけ可愛げがあるなら、言うことなしなんだが」

本当に猫にやるように耳元をくすぐってやれば、いつもは眉間にシワばかり寄せている顔がへにゃりと緩む。
鋼の瞳は、すっかり蕩けて。この様子では、もうまともにものを考えることもできなくなっているに違いない。
そう、ランサーが仕向けた。

「頭は悪かねぇはずなんだがなぁ……どうして『番ってない』なんてたわけた嘘が通じると思ってんだか」

「番たるαのフェロモンに酔った」アーチャーの額に、ランサーはいつものように唇を落とす。
すっかりαに従順になった頑固なΩは、うっとりとした面持ちでランサーからのキスを享受している。
ーー確かに、ランサーはアーチャーを噛んだ瞬間を覚えていない。
思うに、あれは互いに軽いラット/ヒート状態に陥っていたのだろう。あと少しでも酔いが酷ければ、きっとあの夜にもう一線も超えていたはずだ。
本能に流されたといえば、それまで。もっとも、ランサーは微塵も後悔していない。

「遅かれ早かれ、お前さんを捕まえる気でいたからなぁ」

紆余曲折を経てすっかりランサーのお気に入りとなった生意気な後輩は、Ωとして生きるには随分難儀な性格と矜持の持ち主だった。
せっかくの才能と根性を、このまま潰すのは我慢ならず。せめて己の庇護下に置けないかとあれこれ考えていた矢先の事故を、ランサーはいっそ奇跡だと謳いたい。

「アーチャー」

ランサーはその番に、甘ったるい声音と香りで呼びかけた。
Ωとは違い、完全に意思のコントロール下に置かれたαのフェロモン。いつでもどこでもランサーの思うがままに、捉えた番の理性を蕩かせて愛でられることに従順な生き物へと変える。
逆にいえば、このランサーの呼びかけにアーチャーが抗えなかった時点で、全ては明らかになっていたのだ。

「そら、もっとキスしてやろうな」
「あうっ、ん、うむぅっ」

唇を啄ばみ、舌を吸いあげてやる。そのたびにきゃらきゃらと笑うアーチャーは、正気に戻れば何も覚えていないだろう。
αに捕まったΩは、憐れにもこちらの思うがままだ。

「らんさぁ……っ、あ、あぅ、あ」
「だぁめだ、アーチャー。キスより先は、お前さんが素直にならんとな」

ランサーのフェロモンに酔いすぎて軽いヒートを起こしはじめたのか、アーチャーが強請るように下肢を番に擦りつけはじめる、
むわりと蜂蜜酒のような匂いがランサーを誘うも、これを意地ではねのけた。

「らんさぁ、らんさぁっ、なんでさ……っ!」
「……っ、ダメだ。ダメ、ダメ! 本当のことを言えんやつに褒美はやれねぇんだよ。アーチャー」

素面では決して見れないアーチャーの甘える姿は非常に蠱惑的でも、ランサーだって譲れない。

「俺は、結構怒ってるんだからな!」

アーチャーの意思を尊重したいというよりは、本音は圧倒的にこちらである。どうみてもランサーのことが好きなくせして、余計な気を回して全てをなかったことにしようとするこの男に、少しでもお灸を据えてやりたい。

「テメェからそのタートルネック脱ぎ捨てるまで、お預け!」

どうせ、アーチャーは既にランサーのものなのだ。
この頑固者がうなじを晒すようになるまで、まだまだランサーは待つつもりである。


Comments

  • わんわんお
    December 31, 2023
  • May 14, 2022
  • くらはの
    March 2, 2022
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