エミヤ教授は除霊する
かなり前に書いていたシリーズの小話です。
ファイルを整理していた際に出てきたので勿体無い精神でアップしました。
いまだにシリーズを読んでくださる方もいらっしゃるので、楽しんでいただけると幸いです。
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8月2日、午前2時18分。
バゼット巡査は、冬木署にある資料室で、現在捜査している事件に係るだろう過去の書類を確認していた。
資料室の電気は薄暗く、吊り下げの電球がブラブラと揺れているのみである。
昼間であれば壁にある大きな窓から大量の太陽光が差し込んで、室内全体を明るく照らしているのだが、今は真夜中。
その上、オンボロのブラインドがキッチリと降ろされ、外からの光を遮っていた。
ここ最近ではLEDなんてものも普及しているというのに、蛍光灯ですらない電球一つ。
照明を付け替える予算もないのだろうかとため息をついて、30年前の殺人事件のファイルをペラペラとめくった。
草木も眠る丑三つ時。体の疲れを感じ、瞼を擦る。
整頓されていない部屋はかび臭く埃っぽい。
部屋の隅に設置された古びた手洗器の水栓から、ぽたりぽたりと滴が落ち、そのすぐ側には色の剥げた交通安全のパトロール人形が行き場をなくして放置されている。
部屋の暗さと相まって、なんとも不気味だった。
ああ、嫌だ嫌だ。そんな愚痴をこぼしながら、芽生えかけた恐怖心を振り払うかのように、ふぅ、と息を吐いてネクタイを緩めた。
その時だ。
閉め切られたブラインドの綻びから、パッ、と光が差し込んだ。
「え?」
驚きに思わず声をあげる。
小さな穴から漏れ出たその光線は、部屋の中を真っ直ぐと伸びて部屋の隅を照らしていた。
一体なんなのだ。突然の出来事にごくりと唾を飲む。
外で何があったのか。バゼットは、窓の外を見てみるかと立ち上がり――
「――――ひっ!」
息をのむ。
薄暗い部屋の中。
虚ろな目にニタリと笑みを浮かべた男が、頭蓋の半分が欠けた顔で、バゼットの目の前に浮かんでいたのだ。
⸻
「で、コイツのとんでもねえ悲鳴が聞こえたんで、あわてて資料室に駆け込んだんだけどな。男の幽霊なんてどこにもいなかったってわけだ」
「ランサー! とんでもない悲鳴なんて上げてません! ちょっと『ひっ』て言っただけです! 『ひっ!』って!!」
「うそつけ、『ぎゃあぁああ』だったろうが」
8月19日 午後2時30分。
新都大学、第13校舎6階。
ランサーは差し出されたアイスティーをグイッと飲み干し、目の前の男にそう語った。
「意外だな。バゼット巡査は幽霊が苦手なのか」
「に、苦手ではありません! 急だったのでちょっと驚いただけです!」
必死に弁明するバゼットに苦笑しながら頷く男は、エミヤ・S・アーチャー。
新都大学物理学部の教授であり、今ランサーたちがいる、この研究室の主でもある。
いつものごとく捜査のため大学に来ていたのだが、あまりの暑さにエミヤの「ここで休憩していくといい」という言葉の誘惑に勝てなかったのだ。
そうして休憩がてらに話していたのが、バゼットの体験した『心霊事件』というわけだ。
「きっと殉職した警官の霊ですよ」
「いやでも、うちの署で制服警官が殉職した話なんて聞いたことねえぞ」
バゼットの話によれば、頭や顔のあちこちが欠けて酷いありさまだったというのだ。
そんな死に方をしていれば、署内で語り継がれていてもおかしくない。
それにランサーの知る限り、あの資料室で幽霊が出るなどという噂も聞いたことがないのだ。
「ふむ、資料室に、顔の欠けた警官か」
二人の会話を聞いたエミヤは、口元を手で覆い考え込んでいる。
「どうした、アーチャー。何か思いついたことでもあるのか?」
「ああ、まあそうだな。私はその資料室の間取りを知らないが、もしかしてと思うことなら」
そう言って頷いた男は、バゼットに、にこりと微笑んで言う。
「ひとつ、除霊といこうじゃないか」
「除霊、ですか?」
きょとんとした顔で瞬きをするバゼットに男は問う。
「確認したいのだが、その資料室、手洗器の上に鏡はついているか?」
どうだっただろう。
ランサーは資料室の間取りをぼんやりと頭の中で思い浮かべる。
「ありました。手洗器の上に30センチくらいの」
なぜわかるのか。というバゼットの返答に、エミヤは「やはり」と深く頷いた。
「おそらくだがな」
そう言って、エミヤはすう、と一呼吸置いて、例の如く一気に捲し立てた。
「まず、バゼット巡査のいた部屋だが、灯りは豆電球のみの薄暗い資料室。時間は真夜中。30年も前の資料を探し出したのだから、古い書類を相当数ひっくり返していたのではないだろうか。ならば部屋の中は埃が充満していただろう。そこに小さな光線が差し込む。これはおそらく車のヘッドライトだ。その光線はそのまま隅に置かれたプラスチック製のパトロール人形に当たった。そして反射した光はすぐ側の手洗器の鏡に当たってさらに反射。するとどうなるか」
エミヤは説明しながら立ち上がり、室内に設置されたホワイトボードに、部屋の間取りと光線の軌跡を書き込んでいく。
鏡の位置から真っ直ぐ部屋の中心へ矢印を引いて、口端をニヤリと吊り上げた。
「反射した光は、埃の充満する空間に転写される。言うなればプロジェクターの原理だな。そして不思議なことに、部屋の真ん中、ちょうどバゼット巡査の目の前に、頭の欠けたパトロール人形の映像が映し出された、というわけだ」
「プロジェクター……」
エミヤの言葉をバゼットは呆然と反芻した。
「なかなか起こることではないだろうが、ヘッドライトの角度が偶然いい具合にピントを合わせてしまったのだな。顔がところどころ欠損していたのも、人形が褪せて反射しない部分があったからだろう」
「つまり幽霊は……」
「いない」
その返答を聞いたバゼットは、一拍おいたのち「はぁあああ」と大きなため息をついてがっくりとその場で項垂れた。
「どうせそんなこったろうと思ったよ」
ランサーは呆れながらも、良かったじゃねえか、と相棒の背を軽く叩いてやった。
「なんだか自分が恥ずかしいです」
「気にすることはないさ。君は驚いて少し冷静さを欠いていただけだ。誰にだって苦手なものはあるからな」
そう言ってフォローを入れる男の声は随分と優しい。
「そうそう、ほら、それ飲み終えたらまた捜査に戻るぞ」
「あ、そうですね。私としたことが」
ランサーは、バゼットが握りしめたままでいたアイスティーのグラスを指さした。
すっかり氷が溶けて、グラス全体が露に濡れている。彼女はそれをぐいっと一息に煽ると、
「お邪魔しました!」
と声を張り上げて立ち上がった。
「じゃあ、またなアーチャー」
「ああ、しっかり勤めに励んでくるといい」
短く挨拶を交わして部屋を出る。
「よし! 涼んだから元気が出てきましたね、ランサー!」
部屋を出たバゼットの顔は、まさしく憑き物が落ちたかのように晴々としていた。
⸻
同日、午後8時10分。
蝉菜マンションの306号室。
ランサーは閉店間際のスーパーで買った、6パックセットのビール片手に部屋のインターホンを鳴らす。
「思っていたより早かったな」
「おう、おかげさまでな」
部屋の主に招かれるまま入室すると、事前に連絡していたおかげだろう。
用意された夕飯の、出汁の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。匂いだけでもう美味そうだ。
空調の効いたリビングに入ると、勝手知ったるとばかりにソファに腰を落とす。
手土産のビールは引き取られて、冷蔵庫の冷えたビールが入れ替わりに差し出された。
プルタブを開けて一息に煽る。
「あ〜〜! うめえな!」
久しぶりの酒の味に胃袋が喜びの声を上げた。
そんなランサーの様子に、エミヤが喉の奥でくっくと笑う音が聞こえる。
「なあ、今日は助かったぜ、本当に」
「何がかね?」
「何って、あれだ。『除霊』だよ。バゼットの」
「ああ、あれか」
ここ最近のバゼットは、心霊事件以来ひどく資料室に近づくことを嫌がり、暗がりに怯える有様だった。
「ま、幽霊なんているわきゃないとは思ってるけどよ」
「いや、なんというか、すまない。あれは嘘だ」
「は?」
ランサーはビールの缶を握りしめたまま、気まずそうにそっぽを向くエミヤの顔を見上げた。
「嘘だって?」
「ああ、そうだ」
エミヤは軽く肩をすくめると、ランサーの隣に腰を落とす。
「プロジェクターの原理だと言ったが、そもそもレンズも無しに光が空間に投影されたりはしない。なぜなら光が収束されずに拡散してしまうからだ。それに、人形に当たった光がそのまま鏡に反射するというのも考えにくい。まあ、反射はしたとしても、せいぜい影がぼんやりと映る程度で、男の霊が浮かび上がるなんてことはまず起こらないだろう」
しれっと、なんてことのないように言う。
ランサーの手の中でアルミ缶がベコっと音を立てた。
「や、待て待て。ってことは、じゃあバゼットが見たのはなんだって言うんだ」
「さあ」
「さあってお前……」
「いいじゃないか。私は嘘を吐いたが、少なくとも彼女の恐怖は払拭された」
「まあ、お前がそれでいいならいいけどよ」
嘘などつけない男だと思っていた。特に、こういった“勉学”の分野では。
今まで知ることのなかった一面に、ランサーはまるで狐に摘まれた、いや、猫に引っ掻かれたような、そんな気持ちになった。
「けど意外だな。お前、幽霊とか信じないタイプだと思ってたよ」
「死んだ人間の魂が、と言われるとどうかと思うが。まあ、この世には科学や物理学で証明できない何かがあるとは思っているさ」
そういうものか。
ランサーは、学者なんてものはみんな神や仏を否定していると思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「たとえば、我々は三次元という次元に存在しているが、より低次元の存在、つまり一次元や二次元に干渉することができる。では、我々より高次元の存在がいるとすれば?」
「四次元、ってやつか?」
青い狸のキャラクターがランサーの頭の中で秘密道具を取り出している。けれどそんなのは夢物語だ。本当に存在するとは到底思えない。
「知覚できないからと言って存在を否定することはできない。見たことがない、ということは否定も肯定もできない、ということだ。こうして私たちが三次元に存在しているという事実がすでに四次元の存在を証明している、ということになるとは思わないか」
「いや、なんかちょっとよく分かんねえな」
ランサーの返答に、エミヤは苦笑してまた肩をすくめた。多分馬鹿にされたのだろう。それだけは分かる。
「まあいい。とにかく、三次元の私たちが漫画を描いて二次元の存在を自在に操るように、もしかすれば四次元、もしくはより高次元の存在が私たちを自由に操っているのかもしれない。幽霊や超能力なんてものは、その副産物のようなものではないか、という話だ」
本人は噛み砕いて言っているつもりだろうが、ランサーには小難しくて理解し難い話だった。
頭を捻って絞り出して、なんとか理解できたのはこうだ。
「つまり、オレが今こうして、お前と飯食って酒飲んでるのも、その神様みてえなやつに操られてるからって事か」
「そういうことになるな」
なんというか、それはちょっと、いや、かなり。
「気に入らねえな」
「気にいるとかいう問題ではないのだがね」
それでも気に食わん。と、ランサーは隣に座るエミヤにぐいっと詰め寄った。
「オレがお前といるのは、オレがお前といたいと思ってるからだ。そんな変なやつに操られてるからだなんて考え、ごめんだな」
「……いや、だからその考えが」
エミヤはランサーの言葉に何かを反論しかけたが、「いや」と首を振って、ランサーから逃げるように立ち上がった。
「まあ、あくまでも『もしかすれば』の話だ。ほら、せっかくの食事が冷めるぞ」
そう言って、背を向けて冷蔵庫から作り置きのつまみを探り始めた。
その背中から、わずかに耳が赤くなっているのがうかがえた。
もしもその高次元の存在様とやらがいるのなら、この胸に湧く形容し難い感情をどう表現するのか、ぜひとも教えてもらいたいもんだ。
そのことにスッと気分が良くなって、ランサーは手のひらで少し緩くなってしまったビールの残りを一息に飲んで、ベコッと手の中で缶を潰した。
その10秒後、ランサーの背後で棚の写真立てが突然ひとりでにパタンと倒れた。
飛び上がって驚くランサーに、エミヤは「今のはクーラーの風のせいだ」と可笑しそうに言うのだった。
エミヤ教授は除霊する 完