エミヤ教授は恋をする
『エミヤ教授は推理するの』続編です。
本作はシリーズの2作目にあたります
頒布のみで公開していましたがWEB公開いたしました。
楽しんでいただけますと幸いです
- 252
- 254
- 5,509
1
『それでは次のニュースです』
午前9時55分。
洋風の小洒落た店内に、歯切れよいニュースキャスターの声が響いた。店の雰囲気を壊さぬ程度に設けられた薄型のテレビは、音の聴こえるギリギリまでボリュームが絞られている。
『現在無敗勝ち越しの横綱カエサルさんと、元祖女王様系人気アイドルのクレオパトラさんが、昨日入籍したことを発表しました…』
「昨日から、この話ばっかりだよな」
暖房の効いた店内。量販店の安いセーターを着たランサーは、薄いハムサンドを頬張りながら、目の前に座るしかめっ面の男に声を掛けた。
「ニュース番組が芸能時事ネタに着目するのは世間が平和な証拠だろう、現に君はこうして、溜まった休暇を消化することができている」
こちらを見ることもせず、カタカタとラップトップのキーボードを打ち付ける男の名前は、エミヤ・S・アーチャー。新都大学の物理学部で教授を務める鉱物学の専門家だ。ついでに言えば、かなりの刀剣マニアでもある。冬木署の刑事であるランサーとは、半年ほど前、ある事件をきっかけに知り合ったが、どうゆうわけか、今では時々この『アーネンエルベ』で向かい合ってお茶をする程度の仲になっている。
「力士とアイドルってのがまた凄い取り合わせだよな。お互いの何が良かったのか想像つかねえんだけど」
「人の好みはそれぞれだろう。他人が口を出すべき事ではない、私としては……」
エミヤはようやく顔を上げてランサーと目を合わせたが、この男にしては珍しく、続く言葉を濁している。首にまとわりつくカーキ色のタートルネックを鬱陶しそうに指で引き伸ばした男は、咳払いで発言を誤魔化せるとでも思っているのだろうか。
「言えよ。気になるだろ」
「私としては、折角の休日の朝に、野暮ったい男の目の前で珈琲を飲んでいる君の思考回路の方が理解できないのだがね」
「……ここのハムサンド、美味いよな」
問い詰められ、憮然と言い放ったエミヤに応えることはせず、ランサーは喫茶店の、決して食べ応えがあるとは言い難い薄ペラなハムサンドに噛り付いた。珈琲に合うようにと作られたのだろうそれを店の思惑通り黒い液体で飲み下す。
「ところで、夜は空いてるか」
ランサーは、エミヤの疑問に対する答えはぼかしたまま話題を変えた。
「私が夜に予定を入れるタイプの人種ではない事など君は知っているだろう」
むしろ、夜の予定は刑事であるランサーの方が不明確だ。そう指摘する相手に、いちいち一言多いんだよと愚痴をこぼし、ランサーはハムサンドの最後のひとつを手に取った。
「メシ食いに行こうぜ、快気祝い、まだだろ」
「本気だったのか」
驚いた、とエミヤの片眉が上がる。
あれは夏の暑い日だった。刑事であるランサーが追っていた、とある事件。目の前の男は犯人の手によって瀕死の重傷を負った。その時、一命を取り留めた男と約束したのだ。退院したら飯を食いに行こう、と。
ランサーはどんな些細な事であれ、人との約束を反故にするようなことはしない。それは己の信条に反することだ。さあ何が食いたいんだと、相手の返事など聞かず強引に話を進める。が、しかし、突然ズボンのポケットから、ありふれた着信音が鳴り響いた。
「どうやら、夜の予定はキャンセルだな、刑事殿」
画面に表示された名前を見て、眉間に皺を寄せたランサーに、男は皮肉に口を歪めた。
うるせえよ、と悪態を吐くと、まじめな顔を取り繕って受話ボタンをタップする。スピーカーの向こうから、聞きなれた上司の声が、すかさず要件を告げてきた。
『ランサー、火災現場で死体が出た。すまないが署に来てくれ』
「了解」
短く答えて通話を切ると、手にしたままのハムサンドを一口に頬張り、残ったコーヒーで流し込んだ。
椅子に掛けていたダウンジャケットを手に、エミヤを見る。既にこちらに興味はないのか、カタカタとラップトップのキーボードを叩いている。
その様子に軽く舌打ちをして、じゃあなと声を掛け、会計を済ませた。カランコロンとベルの付いた扉を押すと、尖った冷気が頬を叩く。首元まで着込んだジャケットに、亀のように顔を埋めた。冷たい向かい風を受けながら、暖かな店内をガラス越しに振り返ると目が合った。『またな』と動く唇に、手を挙げて背を向ける。
折角の休日の朝に、野暮ったい男の目の前で珈琲を飲む理由なんて分からない。分からないものには、答えようがなかった。
冬木市の西側に位置する深山町には、古くからの家が建ち並ぶ。武家屋敷から古い洋館まで。国籍不明の町並みは、かつてこの地の貿易が盛んであったことの証か。そんな深山町の住民に親しまれる商店街、マウント深山。活気あるその場所から数百メートル程先にある、築数十年かというアパートの一角が今回の現場だった。
パトカーで急行したランサーは、後輩であり相棒でもあるバゼットに目配せをし、二人同時に車から降りた。
車外に出た途端、身体の芯が冷えて身震いする。
「相変わらず、お前の服は堅いねえ」
「貴方の服はまるで大学生のようですよ、ランサー」
いつものかっちりしたスーツの上にトレンチコートを羽織ったバゼットが「大学に忍び込んで誰かさんの講義でも受けるつもりですか?」などと、揶揄いの視線を向けてくるものだから、ランサーは、それ以上返す言葉も無く口を噤んだ。
駐車場所から数メートル歩いて、現場の前に辿り着く。消火活動の煽りを受け、各階が水浸しになった古びたアパートは、これを期に建て替えでもするんだろうか。鉄骨造りのため中途半端に焼け残った建物は、これでは保険は全額もらえそうもなく、いっそ木造であれば良かっただろうにと、不謹慎にも家主の心境を想像する。
「よお、ご苦労さん」
「お疲れ様です」
ランサーは、警備をする係官に声を掛け手帳を見せると、区画を遮るために張られた黄色いテープを潜った。焼け残っている鉄製の階段は、今にも抜けてしまいそうでヒヤヒヤする。現場は二階の角部屋だ。扉の無くなった入り口を潜る。
「ようやく来ましたね。お疲れさまです、ランサーさん、バゼットさん」
現場に入るなり、部屋の中心で鑑識に指示を出していた男が振り向きざま声を上げた。
「なんだ、今日は小太郎か」
「はい、ディルムッド巡査部長は別件の調査に。それに、火災現場ですので僕が担当を」
相手の顔を見て、何時もの美丈夫ではないことに、ランサーは、珍しいなと声を上げた。返事をした男も、決して見目が悪いわけではない。むしろ平均よりも整っているのだろうが、比べる相手が悪すぎた。
風魔小太郎巡査部長は、ランサーの同僚であり部下でもある。警察官になる前は消防隊員だった経歴があり、かつ情報収集のエキスパートだ。ランサー達と同じ冬木署捜査一課所属の私服警官ではあるが、その特殊な技能から、こうして鑑識課と共に現場の調査をすることがあるのだ。童顔で10代のように若く見えるが、実際の年齢はランサーより上だというのだから、東洋の血は怖ろしい。
「お疲れさまです、風間先輩」
バゼットが一歩進み出て敬礼するのを横目に、ランサーは薄いゴム製の手袋をはめながら、煤けた部屋の中を見渡した。
床は一面水浸し。ぼろいアパートにそぐわず、焼ける前の部屋は片付いていたのだろう。1DKの部屋は広く感じられた。部屋の隅にあるベッドと思しき大きめの台の上には、灰色のビニルシートが掛けられている。
「状況は」
背中越しに小太郎の説明を聞きながら、現場の中を見て回る。
「死亡したのはこの部屋の借り主。間木麻理さん18歳です。死因は火災による一酸化炭素中毒でしょう。就寝中の火事に気が付かなかったようで、寝台の上で死亡しているのを駆けつけた消防隊員が発見しました。火元は寝台付近から。枕元にアロマキャンドルが数点置いてありましたので、落下もしくは、寝具に引火したのが原因ではないかと」
18歳で一人暮らしとは、大学生だろうか。アロマキャンドルでの火事というのは死亡事故までいかなくとも、ぼや騒ぎは多いのだ。リラックス効果を期待して、そのまま昇天だなんて皮肉にも程がある。小太郎の話しを聞いたランサーは、そこでふと気になって振り返った。
「事件性がないなら、消防の管轄じゃないのか?」
刑事の役目は殺人事件の犯人を捕まえる事だ。単なる事故死では出る幕はない。
「それが、亡くなった女性は、マギ☆マリという売り出し中のアイドルだったそうなのですが、噂によると、ここ最近熱烈なファンからストーカー被害にあっていたとの事で」
「暴走したファンによる犯行の可能性がある、という事ですね」
バゼットが鷹揚に頷いて、寝台の上で膨らんだビニールシートに手を掛けた。
「不法侵入の上に放火か、それが真実ならアイドルってのも命がけだな」
剥ぎ取られるビニールシートを眺め、ランサーは下腹部に力を込める。見慣れているとはいえ、成人すらしていない子供の死体を見るのにはそこそこに覚悟がいる。出来ればこんなものを見慣れずにすめば良いのだが。
「可哀想に」
バゼットが呟いて、胸の前で十字を切った。
寝台の上に転がる黒こげの遺体は、寝相そのままの姿勢で手足を丸めて横たわっている。熱による筋肉の収縮で身体がファイティングポーズを取るというのは有名な話しだ。一回り小さくなった身体は損傷が激しい。かろうじて歳若い少女だと分かる程度のそれは、歯形を照合するまでは断定出来ないが、体格から見ても本人である可能性が高い。
火災現場というのは厄介だ。証拠も何もかも燃えてしまっているのだから。床に広がる焼け跡の波紋を見る。寝台付近の床が一番損傷が激しいあたり、小太郎の言う通り火元はここで間違いないだろう。寝台横に据え置かれたチェストの上には、原型を留めないカラフルなロウソクの残骸が混ざり合って散らばっており、床のゴミ箱だったろう融けたプラスチックの上には、引火を助長したらしい燃えカスが積もっていた。
「ここで見てても埒があかねえな。そもそも事件性があるのかどうかの断定が必要だ」
「鑑識からの連絡を待つしかありませんね」
ランサーの言葉に頷いた小太郎は、胸元から手帳を取り出すと、サラサラとメモを書き、ちぎり取ったそれを手渡してきた。
「僕は周辺の聞き込みをしますので、お二人は関係者から事情を聞いてみてはどうでしょう」
受け取ったメモに書かれていたのは、死亡した女性の所属する、事務所の連絡先だという。情報収集のエキスパートは伊達ではない。
ランサーはバゼットと連れ立って、現場を後にする。パトカーに戻ると、携帯電話からメモに書かれた番号に連絡を取った。
『はい、こちらアイドル事務所 フラワー・キャスターです』
「突然に申し訳ない。冬木署のランサーというものですが、本日そちらのアイドル、マギ☆マリさんが亡くなられた件はご存知でしょうか」
途端にザワつく回線の向こう側。
それは、非常に複雑な人間関係が織り成す事件の幕開けだった。
2
「未だに実感が湧かないよ。まさか、マリが……」
午後1時20分。
招き入れられたアイドル事務所【フラワー・キャスター】の来客室で、マーリンと名乗った男は頭を抱えて項垂れた。自身がアイドルだと言っても差し障りの無い華やかな容姿の男は、事務所の社長にしてマギ☆マリのプロデューサーだったという。
「心中お察しします」
向かい側のソファに通され、ランサーの隣に座るバゼットが神妙な面持ちで頷いた。
「彼女は、うちの事務所の期待の星だったんだ。ネット上で人気も急上昇して、これからって時だったのに」
「亡くなられた経緯は先ほど話した通りですが、事故ではなく事件であった場合も考慮して捜査しています」
ランサーの言葉に、マーリンは力ない声で「ありがとう」と頭を下げた。事故として片付けられた死に、遺族や関係者が意義を唱えるのはよくある事だ。警察に事件として捜査をしてもらえるのだというそれだけの事でも、残された者の慰めにはなる。
「不躾ですみませんが、捜査にご協力下さい。マギ☆マリさんが、交友関係で恨みを買う様な事はありましたか?」
「こんな商売だから、無いとは言い切れないね。感情的なファンも中にはいるだろうし」
「ストーカー被害にあっていたと聞きましたが、警察への届け出は?」
事前に聞いていた情報から探りを入れてみると、マーリンは、ああ、まあと言葉を濁す。
「後を付けられていると本人は言っていたよ。見られていると。精神的にも参っていたみたいで、不安で眠れないとブログに書いていたから、ファンなら皆その事を知っているだろうね」
なるほど、とランサーは頷いた。本人の証言以外にストーカーの証拠はなかったというわけだ。確証のないものに警察は対応出来ない。だから届け出もしなかったと、そう言う事なのだろう。そうなると、今回の捜査の根幹である”事件性”も無くなってしまう。今回はただの事故かもしれないと、バゼットに目配せをする。
しかし、ランサーはこの騒動に違和感を感じていた。このまま帰ってしまっても良いのだろうかと。そう、ある男の言葉を借りるとすれば”曖昧な自信”というやつだ。
「他のアイドル達との仲はどうですか」
ランサーの視線に頷いたバゼットが、切り出した言葉に、マーリンは分かりやすく顔を顰めた。
「うちのアイドル達を疑っているのかい?」
「あくまでも確認です」
バセットは"悪い警官"らしく、高圧的な態度で顎をそらす。
「気の強い子だったから喧嘩もあったよ。けど、根はしっかりしたいい子だった。殺される程の事があったとは思えない」
語気を強めた口調は男の怒りを表しているのだろうか。それとも。
(触れられたくない事でもあるのかねえ)
胸中を人好きのする笑みで隠して、ランサーは向かい合う二人の仲を取り持つように間に入った。
「気に障ったのならすみません。しかし捜査の一環です。この事務所で働いている他の方達の話しが聞きたいんですが、ご協力願えませんかね」
“良い警官”の役割を担ったランサーが低姿勢で問いかければ、たとえ隠し事があったとしても断り辛いだろう。捜査を嫌がれば怪しまれると、相手だって分かっている筈なのだから。
「わかった。今はレッスンを終えて控え室にいるからね、案内しよう」
応えるマーリンの表情の硬さには、果たしてどんな意味があるのだろうか。
「はあい、お客さん? 私の新しい豚になりに来たのかしら?」
案内された控え室のドアを開けた瞬間、視界に飛び込んできた色彩に仰け反った。
ショッキングピンクを全身に纏い、かぶり物だろうか、頭にドラゴンの様な角を装着した少女が、苛烈なセリフとともにランサーを下方から覗き込んできたのだ。しかし刑事の習性か、驚きながらも、ランサーは素早く部屋の中の様子を確認した。手前にいるピンクの少女の他に、奥のソファーにも歳若い女が二人いる。計三人。全員が独特な服装をしているところを見ると、この事務所のアイドル達だろう。
ランサーは警察手帳を取り出すと、目の前の少女と、奥でソファに腰掛けている二人に見えるように突きつける。
「嬢ちゃんたちの同僚、マギ☆マリが亡くなった件で調査させてもらってる。冬木署捜査一課のランサーと、こっちはバゼット巡査だ」
ランサーの紹介に、バゼットは手帳を提示し、どうもと軽く頭を下げた。
「うっそ、マリってば死んじゃったの? いつ、どこで、どうやって? この手帳はなに? 真ん中に付いてる飾りは貴方の趣味?」
ピンク色の少女はランサーの手帳を四方八方覗き込み、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。まさか警察手帳を知らないとは驚きだ。職業柄、変人には慣れていたつもりだったが、流石にこれはたじろいでしまう。
「エリちゃん落ち着きい、この人たち警察官らしいで。あんまり変な事言うたら逮捕されてしまうよ」
奥のソファに座っていたうちの一人が声を上げる。”エリちゃん”という名前らしいピンクの少女とは違い、落ち着いた雰囲気がある。実際歳も上なのだろう。此方も頭に角の様なモノをつけ、殆ど裸に近い状態だ。甚兵衛のような羽織を着た姿は、どうやら鬼を模しているらしい。
「マリが死んでしまったというのは本当ですの? 信じられませんわ」
三人の中で一番まともな言葉と共に、ソファに座っていたもう一人が立ち上がった。長く伸ばした髪を流し、ホットパンツにエキゾチックな装飾を散りばめた姿には見覚えがある。
「ランサー、彼女は」
「ああ、同じ事務所だったんだな」
バゼットも気が付いたのか、耳打ちされた小声に頷いた。目の前の少女は昨今ニュースを賑わせている、横綱と結婚したとかいう例のアイドルだ。
名前は確かクレオパトラと言ったか。
「悪いが捜査に協力してもらいたい。それぞれ、自分の名前と、被害者との関係を教えて欲しい」
出来れば具体的に、と付け足すと、三人は、誰が最初かと、各々顔を見合わせた。
「ほな刑事はん、まずはうちから」
最初に口を開いたのは鬼の女だった。
「うちは”酒呑”いいますねん。マリちゃんとは同じ事務所の同僚やったけど、気い強い子やったからなあ、うちはあんまり好かんかったから関わらんようにしとったんよ」
柔和な京都弁で艶やかに笑う姿は、人間を惑わす鬼そのもの。ランサーは、アイドルという存在にさほど興味も無く知識も疎いが、酒呑と名乗る彼女はきっと人気があるのだろうと、その事だけは理解出来た。
「妾も、それほど仲が良かったわけではありませんが、しかしマリは根はしっかり者でしたので、取り立てて嫌う要素などありませんでした」
そう発言したあと、付け足すように自分の名を名乗ったのはクレオパトラだ。三人のなかで一番良識のありそうな彼女には好感が持てた。
「私はガッツリ友達だったわよ」
そして一番の問題児。
「私はエリザベート・バートリー。今をトキメクアイドルの星。世界中の豚共のご主人様にしてこの世界の女王。気軽にエリちゃんて呼んでちょうだい! そしてこれはブレイブ・エリちゃん人形よ!押すと音が鳴るの」
何の脈絡も無く眼前に突き出された人形の腹にエリザベートの指が食い込む。『バートリーブレ〜イブ』と人形の腹から電子音声が響いた。
「この間、マリと喧嘩しちゃったから、この人形をお詫びにプレゼントしたの。市販で売ってるやつじゃなくて、あの子の為の特注品よ。受け取ってくれたから、仲直り出来たんだと思うけど、まだちゃんと返事聞けてなかったのよね、それなのに死んじゃうなんてすっごく心残りだわ」
はしゃいでいたかと思えば、落ち込んだ声。ずいぶんと喜怒哀楽が激しいようだ。突然の人形がそこへ繋がるのか、と怒濤の展開に思考の整理が追い付かず、ランサーはボリボリと後頭部を掻いて、あー、と間延びした声を上げた。
「……喧嘩の原因はなんだったんだ」
ようやく思いついたのが、この質問だ。
「ちょっとした意見の食い違いよ。でもそんなことしょっちゅうあったわ。マリはいつも社長のいいなりだったから、そう言うところで意見が合わないことがよくあったの」
社長の言いなり。マーリンと名のった男の胡散臭い笑顔を思い出す。なるほど、自分のプロデュースしたアイドルを操り人形にしそうなタイプだ。
「あの社長もとんでもない狸やさかい、腹に一物も二物も抱えとるんえ、刑事はん。うちらに聞くより、あの社長を問いつめはった方が、ずっと面白い事がきけるんとちゃう?」
酒呑はもう話しに興味は無いとでも言うように、卓上にあった煎餅を音を立てて食べ始めた。バリバリと、醤油の香りが漂ってくる。
「およしなさい貴方達、波風をたてて何になるというのですか」
唯一まともなクレオパトラが二人を諌める発言をするが、どちらも聞く耳は持っていなさそうだ。
女子が三人寄ればかしましいことこの上ない。ランサー達が口を挟む余裕などなく、三人はアレやこれやと事件とは関係のなさそうな話しに移行する。これ以上の収穫は望めないと判断したランサーは、もし何かあれば、連絡をしてくれと言い残し、バゼットと共にアイドル事務所を立ち去った。
「……どう思う?」
パトカーへと戻り、バゼットが助手席のドアを閉めたところで、ランサーは問いかけた。
「同僚の死を悲しんでいるようには見えませんでしたね」
シートベルトを装着するバゼットの顔は、心底呆れたというように冷めた目をしていた。同じ女の目線から見て、先ほどの彼女達のやり取りに、ランサーと違った印象を受けているのかもしれない。
「同僚と言ってもライバルだからな」
芸能界というところは、表面上は華やかに見えても、水面下は殺伐としている。よく聞く話しだが目の当たりにするとつくづくに肝が冷えた。
それと同時に、やはり今回の火災がただの事故ではないのだという確信が強まっていく。何かが引っかかるのだ。その引っかかりの正体はまだ分からないが、大事なものを見落としている様な、そんな感覚が拭えずに不快感が募る。
ランサーは思考を振り切るように首を振ると、エンジンをかけ、アクセルを踏む。パトカーはゆっくりと署に向かって走り出した。
3
警察署という場所は、平常時は比較的穏やかだ。未解決の事件を再検討したり、事務処理を行なったりしているが、お役所仕事と同様に定時退社が基本である。けれど、一度事件が起これば、そこは戦場だ。家に帰る暇など無い。殺人事件は短期決戦。調査、調査、また調査。
今回の火災については、まだ殺人事件と断定されたわけではなく、捜査本部も置かれていないはずだが、署へと帰ってきたランサーとバゼットを迎えたのは、張り詰めた空気だった。
「おい、どうしたんだよ」
午後3時15分。
ランサーが、事務所の中心に集まる同僚たちの背に声をかけると、直属の上司であり、部長のジークフリートが、緊張した面持ちで振り返った。
「二人とも、帰ってきて早々にすまないが、これを」
半歩身を引いた上司が退けた隙間から、囲まれた卓上を覗き込む。なんの変哲も無いダンボールの箱がある。
「差出人の名前が無いな」
箱の側面に貼りつけられた伝票を確認する。宛名はこの場所、冬木署捜査一課になっているが、差出人の欄は空白だった。怪しいことこの上ない。箱を封していたのだろうガムテープには、既に切り込みが入れられて、開封されている。
「金属探知機の反応がありましたが、爆弾の類ではなかったようなので、お二人が帰って来る前に開封したんです」
ランサーの隣でそう告げたのは小太郎だ。
中身を見るようにと促す視線を受け、取り出した手袋を嵌めたランサーは、ダンボールの蓋をゆっくりと開いた。
「これは…」
中にあった一枚の紙を手に取る。
『彼の者は地獄の業火で裁かれる』
このご時世、筆で書かれたのだろう。達筆な文字が、白い紙にデカデカとある。
「脅迫状……でしょうか」
「みたいだな」
バゼットの言葉に頷いて、言葉の意味を反芻する。彼の者とは誰か。地獄の業火で裁かれるとはどういうことか。ヒントを求めて箱の中を再度覗く。不思議な模様をした布の塊が箱の中を占拠していた。慎重に取り出し、持ち上げたそれはズッシリと重い。
「タオル……の様ですが、変わった模様ですね」
「なんだっけか、これ。ペイズリー?」
模様について言及するバゼットに、ランサーも記憶の引き出しを漁って首をかしげる。
「メダリオン柄ですよ」
ペルシャ絨毯によく使われる柄です、と答えたのは小太郎だ。さすが、情報のスペシャリストは知識量も半端ではない。
「何か包まれている様だが、中には何が?」
水を差してすまないと、いつもの口癖を言う上司に頷いて、焦げ目のついたタオルを捲った。
包まれていたのは小振りな斧。金属探知機に反応したのはこれだろう。幅の広い刃先を見ると、ねとっとした赤い何かで汚れた痕がある。
「写真を撮って鑑識に回そう。小太郎、すまないがディルムッドを呼んできてくれ。この文章は脅迫状とみて間違いない。内容の解明と対象者の特定が必要だ」
ジークフリートの指示の元、各自動き出す。
「地獄の業火というのはやはり……」
達筆な文字で書かれた脅迫状を睨みつけて、眉間に皺を寄せるバゼットに頷いた。
「例の火災が起きた直後にこの脅迫文だ」
今回のアイドルが死亡した件と、決して無関係ではないだろう。ランサーとバゼットは、視線を合わせ部長の号令を待つ。
「確かに、あまりにもタイミングが良すぎるな。これより、今回の火災を放火とみなし、改めて事件として対処する。ランサー、バゼットは本件の調査に当たれ」
「了解」
「分かりました」
姿勢を正し敬礼をする。
ランサーは、血濡れた斧を携帯のカメラで数枚撮影すると、バゼットに「行くぞ」と声を掛け、足早に事務所を出た。
「待ってください、ランサー何処へ?」
「先ずは、この"斧"が何なのかを調べる」
ランサーの返答に行き先を悟ったバゼットが、ああ、なるほど、と呆れた様に溜息を吐いた。
新都大学は、冬木市の中心部にある大きな大学だ。近隣の中でも比較的偏差値は高く、文理共に幅広い学部を有している。その大学の奥まったところにある学者棟に、男の研究室はあった。
「これは別段、私に聞く必要は無いのではないか?」
ランサーから手渡された携帯の画面に映る写真を見て、エミヤは右手の人差し指で皺の寄った眉間を摘んだ。
「そうですよ、言ってやって下さい教授。ランサー、貴方のコレは私の目から見ても公私混同です」
研究室の入り口で仁王立ちし、肩を怒らせたバゼットが非難の声を上げる。
「あのなあ、 おまえ、オレのことなんだと思ってるんだよ」
どうにもこの新米の相棒は、ランサーとエミヤのことを変に勘ぐっているらしい。ランサーは、いいから座れと、研究室の柔らかなソファに座るようバゼットを手招きした。
「コイツの顔なんて週に一回見りゃ充分だっつーの」
「週に一回も見てるんですか?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
自分の発言がさらなる誤解を生んだらしいことに、ランサーは肩を落とす。
「この大学はうちの管轄だろ。そろそろ司法解剖の結果が出てるだろうから、ついでにここに来たってだけだ」
ランサーの言葉に、バゼットは目を見開いた。どうやら指摘したことをすっかり忘れていたようだ。まだまだ教育が必要かと、呆れた溜息を吐いたランサーは、再度、バゼットをソファに座るよう手招きした。
「痴話喧嘩は終わったかね?」
バゼットが腰を下ろすのを確認してから、エミヤが溜息と共に投げ掛けた。
「何だよ、ヤキモチか?」
「ああ、そうだな。嫉妬してしまうから、そういう遣り取りは私の居ないところでしてくれたまえ」
ランサーの軽口に対するエミヤの切り返しは素っ気ない。つれない態度に、ランサーの口がへの字に曲がった。
「それで、本題に戻るが……」
エミヤは、ランサーから受け取った携帯の大きな画面を人差し指でトントンと叩く。
「おう、そう、その斧。写真で悪いが、何か特別ないわくがあったり、不自然な点があったりはしねえかと思ってな」
「斧か……ふむ、これ自体はホームセンターで購入出来る一般的な物だが……正確に言えば、これは鉞だな」
「マサカリ?」
聞き覚えがある様な無い様な単語をただ復唱し首を傾げるランサーに、エミヤは、持っていた携帯を「返すぞ」と言って机の上に置いた。
「君たち二人にはあまり馴染みのない名前かもな。斧というのは総称で、この様に刃渡りの広いものを特に鉞というのだ。この国の昔話で金太郎という物語があるが、その主人公が鉞を担いでいるというのが、この刃物に関しての一番有名な話しだろう」
「昔話の主人公の武器か……」
それが何かヒントになるのだろうか。どんな話しなのかと問う二人にエミヤはまるで大学で授業をするかのように語って聞かせる。
曰くそれは、大昔に居たとされる偉人の幼少時代の伝記。雷神の子供だという幼子、金太郎は山奥で熊に勝つ程の怪力であったが、後に大成し、仕えた主のもと鬼退治に向かい、仲間とともに見事に鬼を討つのだという。
「実際の昔話では、熊と和解し、立派な武士となるところで終わるのだがね。この金太郎が大人になった後の名を坂田金時という」
雷神、熊、鬼。それらしいキーワードが伺えるが、どうにもピンと来ない。ランサーがふと横を振り返ると、バゼットが難しい顔で考え込んでいる。
「どうした」
「いえ、坂田金時……どこかで聞いた名前のような……」
「お前もどっかでこの昔話を聞いたって事じゃないのか?」
尋ねるランサーに、しかしバゼットの顔は浮かない。
「気になるなら署に帰ってから小太郎に相談してみようぜ」
「そうですね」
情報のエキスパートであれば、何か知っているだろう。
「そろそろ講義の時間だ。大した協力が出来なくて申し訳ないのだがね」
「おう、悪かったな教授。協力感謝する」
腕時計を確認したエミヤの声に、ランサーは卓上の携帯を回収し、礼を述べて立ち上がる。そろそろ検死の報告を聞きに行っても良い時間だろう。その前に、ランサーは去り際に一つと人差し指を立てた。
「このマサカリ、買うとしたらどこで手に入る?」
「それはごく一般的な型だ。インターネットでも購入出来るだろうし、この近辺であるなら、隣町の駅前にあるホームセンターか、ヴェルデにあるDIY専門店で販売している。値段は定価で千六百円だ」
流石はマニア。相変わらずの知識量に舌を巻く。こういった事を覚えているから、署で調べるよりもこの男に聞く方が早いのだ。
4
「やあ、ランサーにバゼット……来てくれたのか……」
新都大学構内にある医学部。大学に勤める法医学者であるロマニ・アーキマン、通称Dr.ロマンは、いつものへらへらした顔がどこへいったのか、この世の終わりを迎えた様な声で、呻くように二人を迎えた。
真っ白に燃え尽きたボクサーよろしくパイプ椅子に座ったまま俯く姿に、薄暗い霊安室のような部屋がより一層暗く感じられる。
「どうしたドクター、元気ねえな」
職種が職種のため元気いっぱいに作業というわけにはいかないだろうが、ロマンは、割り切って仕事にあたる男のはずだ。
遺体を置く寝台の頭上に焚かれた線香が、部屋に充満する悲壮感に拍車を掛けていた。
「マギ☆マリは……僕の心の支えだったんだ。ブログを見ていただけだったけれど、いつか彼女をこの目で見ることが出来ればと、そう望んでいたんだ」
それが、こんな形で果たされるとは。
独白のような呟き。
どうやら彼は、死んでしまったアイドル、マギ☆マリのファンだったらしい。
ロマンは椅子から立ち上がると、ランサーの眼前に立ち、その肩を両手で掴んだ。
「彼女の死の結末が何であれ、僕は真実が知りたい。僕以外のファンだってきっとそうだ。協力できることならなんだってするさ。ランサー警部補、お願いだ。どうか僕たちに真実を見せてくれ、彼女の身に何があったのか」
そうでなければやりきれないと、俯く男の肩を掴み返したランサーは、力を込め過ぎて震えているその手をそっと解いてやった。顔を上げたロマンの目を真っすぐに見つめ返す。事件にしろ事故にしろ、人が一人死んだのだ。ランサーだってうやむやのままにしたくはない。
「ああ、ドクター、約束するぜ。あんたの為だけじゃねえ、オレ自身のためにそうする」
ランサーの返事にロマンはくしゃりと顔を歪め、ありがとうと頭を下げた。そして直に、いつものへらりとした表情で顔をあげると、さて、と殊更大きな声で気合いを入れる。
「ごめんよ、私情を挟んでしまうとは、プロ失格だね。それじゃあ検死の報告をしよう」
あからさまな空元気でも、ランサーもバゼットも何も言わない。二人は表情を引き締めて、ロマンの報告に耳を傾けた。寝台に置かれた遺体の、ビニール製のカバーを剥ぎ取ったロマンは、手をぐっと握りしめると、焼けこげた遺体の口元を指差した。
「まずは身元から、歯科医からの歯形情報と照合して、遺体は間木麻理さん本人で間違いないだろう。念のため、体内のDNAを採取して鑑識に送っている。死因は現場の巡査部長からの報告通り、火災による一酸化炭素中毒死。外傷はなく、眠ったままの状態で死亡している」
僕からは以上だ。いつもより少ない検死の報告の締めくくりに、ロマンは言った。
情報の少なさは、つまりは事件性は殆どないという証拠だ。
「火事が起きてるのに眠ったままだったのは何故なのでしょう」
バゼットが疑問を口にした。確かに、その点は不自然だとランサーも考えていた。
「彼女はブログでストーカー被害を訴えていた。不眠になっているという書き込みもあったよ」
「自分で睡眠薬を服用していた可能性があるってことか」
火災が起きても目覚めないほど強力な睡眠薬ならば、医者の処方箋があるだろう。事務所に問い合わせて、被害者の通っていた病院を確認する必要がある。そして、当初から話題に上がっているストーカーの存在。
「彼女がどれくらいの期間、ストーカー被害にあっていたのか知っていますか?」
「半年ほど前からだったと思うよ、四六時中見られているような気がすると。最初は気のせいかもと言っていたんだけど、期間が長くなるにつれ不安が増しているような様子だった」
アイドル事務所でのプロデューサーから聞いた話しと合致する。見られていると本人が言っていただけで、実害が無かったから届け出はしなかったという話しだった。
「ストーカー……やはり暴走したファンの仕業でしょうか」
バゼットの発言が、一番可能性が高いだろう。しかし、ストーカー行為と今回の火災が必ずしも繋がっているとは言えないが。
「……実は、ファンの間で怪しいと噂になっている人物が居る」
「それは、ストーカーの犯人としてって意味でか?」
迷いながらも、情報を口にしたロマンに、ランサーが即座食いつく。
「凄く有名な、アイドルの追っかけをしているブログがあるんだ。信じられないくらい行動範囲が広くて、めぼしいアイドルを片っ端から追いかけてブログにレポートを上げているんだけど、なんというか、詳細すぎるんだ」
「つまり、アイドル達の私生活に踏み込んでいるってことか?」
ランサーの問いに、ロマンは無言で頷いた。
「面と向かってではないけどね。偶然を装ったように、たまたま同じ店に入っただとか。そんな書き方をしているけど、回数が多過ぎる。どう考えても異常なんだ」
そのブログの管理人は、アイドルに対してストーカー行為を行っている可能性があるという事か。当然、マギ☆マリに関する記事も有るのだろう。
「ドクター、そのブログのタイトルを教えてくれ。
懐から紙とペンを取り出し構えるランサーに、ロマンがは頷き記憶を辿る。
「ああ、たしか……『黒髭船長、アイドル大航海日誌』だよ」
午後6時32分。
二人が新都大学から署に戻る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。冬は時間が過ぎるのが早い。働き詰めで疲れた身体と、空いた腹具合を思って、ランサーは寒さにぶるりと身を震わせた。
「お帰りなさい、ランサーさんにバゼットさん」
新都大学から帰って来た二人を迎えたのは、鑑識からのレポートを片手にした小太郎だった。
「出火の原因が分かりました」
帰ってくるなり早速の報告だ。出火の原因が分かれば、今回の件が事故なのか事件なのかもはっきりするだろう。
「出火元は部屋にあったゴミ箱。焼け跡から消石灰が検出されました。出火の原因は乾燥剤の発熱による物です」
「乾燥剤?」
火元とは思えない単語に首を傾げる。
「ノリや煎餅などに同封されている石灰乾燥剤のことですよ、ご存知ありませんか?」
「乾燥剤は知ってるけど、何でソレが出火の原因なんだ」
質問に、小太郎はやれやれと肩を竦める。その姿は何処ぞの大学教授を彷彿とさせ、ランサーは眉を顰めた。
「乾燥剤として使用されている生石灰は、水と反応することで数百度の熱を発します。その際付近に燃えやすい物があれば、出火の原因となる事もあるんです。といっても、分量の調節が難しいですから、あらゆる偶然が重ならない限り中々起きないことなのですけどね。封の開いた乾燥剤を生ゴミや紙ゴミ、化粧薬品のしみ込んだコットン等と一緒に捨ててしまった。という事が考えられます」
「それじゃあ、不注意による事故死ってことになるじゃねえか」
「しかし、例の脅迫状もありますから」
一概には何とも、と応える小太郎に、ランサーは先ほど大学に向かった用件を思い出し、振り返ってバゼットの顔を見た。
例の脅迫状と共に同封されていたマサカリ、のことだ。
「小太郎、お前さ、坂田金時って名前に心当たりないか? 昔話の主人公以外で」
バゼットは、その名に聞き覚えがあると気にしていた。情報通の小太郎であれば何か知っているかもしれない。
せめてヒントでもと思っていたランサーに対し、小太郎は信じられないとでもいった表情で二人の顔を交互に見た。普段は前髪に隠れてよく見えない目をコレでもかと見開いている。
「まさか、お二人とも知らないのですか?」
刑事のくせに碌にニュースも観てないなんてと、余計な一言のおまけ付きだ。
「うるせえな、知ってるならさっさと教えろ」
小太郎は自分のデスクに戻ると、パソコンの検索サイトにキーワードを打ち込み、こっちへ来いと手招きをした。素直にソレに従って、パソコンの画面を覗き込む。
画面の中には、金髪の髪を後ろに撫で付け、サングラスを掛けた男の写真がずらりと並んでいる。
「坂田金時、通称、ゴールデン坂田は、ロードレースの選手です。あらゆる大会を総なめし、その走りは正にゴールデンの名に相応しい華麗さ。ちなみに僕の高校の先輩でもあり、憧れの人でした! 僕は本当は白バイ隊員になりたかった、でも僕にはバイクに乗る才能がなかったのです。ああ、もし僕がもっと上手にバイクの運転が出来たなら……」
「そ、そうか、わかった」
関係のない身の上話までし始めた小太郎を宥めるランサーの後ろで、バゼットがああ、と納得したように大きな声を上げた。
「思い出しました! 確かその人、怪我でロードレースを引退して、今後はタレントとして活動するのだとか……」
タレント。
漠然とした職種ではあるが、芸能人であるという点では、死亡したマギ☆マリと共通点が無いわけではない。
一度、事務所と連絡をとって話しを聞いてみても良いだろう。
「なるほどな、なあ小太郎、高校の先輩だって言うなら、本人と連絡はとれるか?」
「残念ながらご本人とは……しかし、事務所の連絡先は知っています」
素早い行動で、デスクの受話器を手に取った小太郎は番号を押した。どうやら件の芸能事務所の番号を記憶しているらしい。
電話でやり取りをする小太郎を待つ間、ランサーはネットの検索欄に、先ほどDr.ロマンから聞いたブログの名前を打ち込んでみた。
黒髭船長、アイドル大航海日誌。ふざけたブログタイトルだ。
検索に掛けると、一番上位に目的のブログが引っかかったようだ。同名のタイトルをクリックする。
「アポが取れました。明日の朝10時に相手方の事務所で話しを聞いてくれるそうです……て、なんですかこれは?」
通話を終えた小太郎が、様変わりした画面の表示を見て声を上げる。
一見、ごく一般的なアイドルブログと言った雰囲気だ。ごちゃごちゃとしたレイアウトにアイドルの写真が所狭しと並んでおり、ど真ん中には、アイドルを追いかける日々を綴った日記が、ほぼ毎日更新されている。
「もしかしたら事件と関係があるかもしれない。このサイトにマギ☆マリに関する記事がないか確認、ついでにブログの管理人の素性もしらべてくれないか」
「分かりました」
頷く小太郎を観て、さて、とランサーは時計を見る。定時はとっくに過ぎている。
明日の10時なら今日はもう出来る事はなさそうだ。未だ事件か事故かの判断もつかない現状では、動きようも無い。ランサーは小太郎とバゼットにも声を掛け、今日は早々に帰る事にした。
5
署から出たランサーはフードの付いたダウンジャケットの中で、寒さに身を震わせた。雪でも降りそうな気温だ。
ポケットに入れていた手を引きだして、腕時計を確認する。
午後7時18分。
慌ただしい一日ではあったが、思ったよりも早い退勤だ。新都にあるランサーの家は、歩いて帰れる距離だが少し遠い。この寒さの中歩くのは出来れば遠慮したいと考え、節約や健康の文字を踏み倒してバス停に向かった。
道すがら、そういえば今日は休暇を取っていたのだったと、今朝の出来事を思い出す。せっかく温かな室内で珈琲を飲んでいたのに。バターの効いたハムサンドの味を思い出すと、ぐうと腹の虫が鳴った。
ランサーはズボンのポケットにねじ込んだ携帯を取り出すと、番号を検索してコールする。
『なにかね?』
「飲みにいこうぜ」
数コールで出た愛想の欠片も無い声に、開口一番、目的を告げた。
『なんだ、もう事件を解決したのか』
「いや、これ以上の進展は望めそうにないんでな。今日は店じまいだ」
事件かどうかも怪しくなっている現状だ。これ以上無駄に気を揉んだ所で意味はないのだから、オンオフをしっかりと切り替えるべきだろう。ランサーの返答に、ふむと、あまり乗り気ではなさそうな返答と沈黙。
『悪いが、既に夕飯の準備を終えてしまった』
返ってきた言葉に、がっくりと肩が落ちた。
つまり飲みにはいけないという事か。そうなれば、今日の夕飯をどうするかと考える。一人で飲みに出かけるのも億劫だから、コンビニかスーパーで総菜でも買おうかと思案する。
『……来るかね?』
気落ちした声で、分かったと応え通話を終えようとするランサーをエミヤの声が止めた。
あまりにも予想外で「へ?」と気の抜けた音が口から零れ出てしまった。
『なんでもない、忘れてくれ』
「いや、待て、行く、行くって!」
何故エミヤがそんな気になったのかは分からないが、このタイミングを逃せば、この男と向かい合って夕飯を取る事など二度とないのではという気がする。なんというか、刑事の勘だ。
しかし、先ほど夕飯の準備を終えたと言っていた事を考えると、突然押し掛けてしまっても良いのだろうか。途中で何か買って行くべきかと問いかける。
『別に、作り置きになる予定のものが、君の腹に納まるだけだ』
電話越しなのに、皮肉に口端を吊上げているのが分かるような笑い声が聞こえた。君はそんな事を気にしなくていいと、遠回しに言っているのだろうに、いちいち言い方が癪に触る。
『部屋の場所は分かるか?』
それは、以前、アーネンエルベで会った時に教えてもらった。聞きたい事があれば来いと言われていたのだ。例の事件を終えてしばらくしてからの事で、あの時はまだ夏だった。あれから事件が起こる度にエミヤの研究室を訪れはしたが、結局自宅へは一度も行っていない。ランサーは記憶にある場所と部屋の番号を口にする。
「蝉菜マンションの306号室」
『結構、料理が冷める。急いで来たまえ』
冬木市新都玄木坂四番地、冬木市の中でも比較的新しい建物が多く、特にこの周辺は高級住宅街と呼べる場所だ。
流石は大学で教授をしているだけはある。ドンと構えた高級マンションの自動ドアを潜り、エレベーターで辿り着いた三階の角。
招き入れられた先の部屋は、一人暮らしだというのに3LDKと部屋数が多い。一つは寝室だろうが、他二つは何に使っているのか。エミヤの事だ、きっと一つは研究用の物置にして、もう一つは、例の法律ギリギリの趣味部屋にでもしているのだろう。
ついつい仕事の癖で部屋の間取りを把握してしまい、今はプライベートだと、思考を振り切る。
招き入れられたリビングには、柔らかそうな二人掛けのソファーが背の低いテーブルを挟んで向かい合わせに並んでおり、そこから見やすい位置に大きな画面のテレビが鎮座している。
男の研究室と同様に、棚の隅々まで整えられた部屋には塵一つなさそうだ。
再度テーブルに視線をやると、温め直したのか、見目も美味そうな和食が湯気を立てて並べられている。
「お前さん、本当に多趣味だな」
「料理も合金の生成とさしたる違いは無い。必要な材料を集め、必要な分量を決められた方法で調合するだけだ。まあ、合金と違い、食べる人間の好みによって評価が変わるというのが、コレの面白いところかもしれないな」
話す言葉に情緒は無いが、用意された食事は店で出されたもののように整っている。
自炊なんて肉を焼くぐらいの事しかしないランサーの普段の食事は、インスタントかパンか、スーパーの総菜だ。こんな本格的な和食なんていつぶりだろうと、買ってきたビールの缶を手に嬉々として席に着いた。
そぼろあんの掛かったカブが口の中でホロリと蕩ける。油の乗った寒ブリは焼き加減も塩加減も丁度良い。ひじきの煮物なんて自分で買って食べた事など一度も無かったが、少し濃い味付けに作られたそれは、驚く程酒が進んだ。ビールが無ければ白飯をかき込んでいたかもしれない。ランサーが来ると言ってから付け足されたのだろう、冷や奴に細かく刻んだキムチとごま油が乗せられた酒のあて。ごまの香りが食欲を更に刺激する。定番の出汁巻卵、豚の角煮、薬味の効いたなめろう、キュウリとキャベツの浅漬け。
どれもコレもあまりに美味くて、一度食べたら病み付きになりそうだ。これっきりで終わるにはあまりにも惜しい。
これは胃袋を掴まれたなと自覚しながら、一口食べる度に美味い美味いと騒ぐランサーに、満更でもなさそうなエミヤの顔を見る。
先ほどから黙ったままのエミヤは、茶碗に盛られた白飯をゆっくりと咀嚼している。
弾まない会話に、コレでは一緒に食事をする意味がないではないかと、ランサーは空になったビールの缶を机の端に追いやり、新しい缶のプルタブを開け、エミヤの眼前で振ってみせた。
「なあ、飲まねえのか」
「強くないのでね、思考が鈍るのは好きではない」
差し出した缶を手で押し返される。
「君はどうして、そうも私と飲む事に拘るのだ」
箸を置いて、身を正したエミヤが聞いてきた。
「約束したからだろ?」
「私自身がいいと言っているのだから、無理に果たす必要もないだろう」
「寂しい事言うなよ、一緒に事件を解決した仲じゃねえか」
共に捜査をしたのは半年前のあの時だけだが、それ以降も、何度もエミヤの助言には助けられている。冬木署の、特にランサーの検挙率も、ここ最近は格段に上がっている。
「君にはバゼット巡査という相棒がいるだろう」
「お、焼きもちか?」
「何故そうなる」
ランサーは、ビール缶の中をグイッと飲み干し机の端に並べると、立ち上がり、目頭を抑え呻くエミヤの隣に座り直した。
何なのだと、俯いた顔から向けられた視線が突き刺さる。
「確かに相棒が誰かと聞かれたら、オレはアイツの名前を言うだろうさ」
いつも隣にいる新米の相棒を思い出す。若く、賢く快活で、優秀な警官だ。おまけに美人で胸もデカい。日頃の会話の掛け合いも気楽だし、ランサーにとって相性の良い最高の相棒と言えるだろう。
「でもな、アーチャー。ソレとコレとは別だ」
隣に座る、しかめっ面な男の胸を人差し指で小突いた。
「確かにおまえは、気障で皮肉屋でムカつく野郎で、オレとは正反対の性格で、はっきり言ってソリがあわねえ」
「酔っているのか、言っている事が無茶苦茶だぞ」
水を差すエミヤの抗議の声に、うるせーな、真剣な話しなんだから聞けと、ランサーは言葉を続ける。
「ただ、おまえって物知りだしよ、頭がいいだろ。事件解決の役にも立つ」
私的な事を置いても、一人の警官として関わるに十分値する相手なのだ。知識を持つ専門家として、ランサーはエミヤを認めていたし、尊敬もしている。そして何より、
「楽しいんだよ。週に一回くらい、そのムカつく顔を拝んでやっても良いと思うくらいにはな」
「ランサー……私は……」
恥ずかしい事を言っている自覚はあった。照れくささに頬を紅潮させるランサーに、エミヤは、はくはくと口を開閉させ何かを言いかける。けれど、その言葉は突如鳴ったインターホンの音に遮られた。
「失礼、荷物だ」
エミヤは立ち上がって、玄関へ向かう。宅配業者らしき男との話し声。短いやり取りを終えて、小さな小箱を手に持って戻った相手をじっと見つめる。
「一昨日に注文していたものでね」
待ち望んでいた研究資材だとご機嫌な様子の男は、寝室と思しき部屋へ消えると、直にリビングへと戻ってきた。
「なあ、さっき何言いかけたんだよ」
「さっき? 何だったかな、忘れたよ」
元いた場所に腰を落ち着けたのを見計らって詰め寄ったが、素知らぬ顔ではぐらかされる。
「そんな事よりビールを寄越せ。君と会話していると、物事を深く考えるのが馬鹿らしくなってきた」
誤摩化そうとしているのがあからさまではあったが、問いつめた所で、男は決して口を割らないだろう。
「お、いいね。やっとだな」
ならば、折角飲む気になった相手を逃す筈も無く、ランサーはエミヤにビールの缶を握らせると、自分の持っていた缶を乾杯と言って打ち合わせた。
「…………て、一缶で潰れるのかよ」
どれだけ酒に弱いのだ。
ランサーは、赤ら顔でソファーにダウンしたエミヤを覗き込む。コレだけ弱いのなら、外に飲みに行くのを渋っていたのも納得だ。エミヤの黒ぶち眼鏡が、寝返りで潰されてしまわないよう取り上げて、片付けの放置されたテーブルの上に置いた。
すやすやと寝息を立てる顔はあどけなく、ランサーより六つも年上だとは到底思えない。
時計を見る。丁度日付が変わった所だ。
眠る家主を放置するわけにもいかないし、今から自宅に帰るのも面倒だ。幸いにもこの家のソファは柔らかく、部屋の中も暖かい。ここで一泊させてもらうかと、ランサーは、大きなクッションを枕代わりに、反対側のソファーへと身体を横たえた。
隣から聞こえる規則正しい呼吸音とアルコールによる酩酊感。横たえた身体が徐々に重たくなっていく。夢の世界に帆を進めながら、ランサーは一日の出来事を思い返した。思えば今日だけで、男とは三度も顔を合わせている。
「なあアーチャー、オレってさ、自分で思ってるよりも、おまえの事気に入ってるのかも知れねえな」
眠る相手に問いかけて目を閉じる。
確固たる証拠があるのでは、さすがにそれぐらいは、認めざるを得ないだろう。
6
翌日、午前7時。
ランサーは大口を開けて、焼き立てのクリームパンに齧りついた。
刑事の朝は早い。他の部署がどうかは知らないが、冬木署刑事部捜査一課の刑事は、皆、定刻の一時間前には出勤をしている。ランサーの日課は、通勤路にある行き付けのパン屋で朝食を買い、それを事務所で食べる事だ。
「またクリームパンですか」
バゼットが、ため息まじりにランサーのデスクに珈琲のマグを置いた。礼を言って一口飲むと、甘みの広がった口がリセットされ、次の一口がまた新鮮に感じられる。
至福だ。
「オレはな、一途なんだよ」
「パンの話ですよね?」
何が言いたい。
バゼットの含みをもたせた言葉に、返事の代わりに眼光を飛ばした。しかし、バゼットの嫌味も、このひと時の前では些細な事。広い心で受け止めて、バターの香りをもう一口。
「ところでランサー、昨日の夜は何処に?」
渋い顔をするバゼットに、質問の意図が分からず首を傾げる。
「自宅に帰っていないでしょう。服が昨日と同じです」
バレたかと唇に付いたカスタードクリームを舐めとった。
あの後、エミヤの家で目覚めるとお互いに出勤時間が迫っており。何故起こさなかったのだとかなんとか小言をくらいながら、慌ただしくシャワーを浴びた。その後、洗濯は出来ないがと手渡されたのは、アイロンをかけられ皺一つなくなった自分の服。
「丁寧なアイロン掛けなので、どんな女性なのかと」
「いや、昨日は教授のとこに……」
「アイロンを掛けてもらったのですか? あの教授に?」
私が思っている以上に進展していたんですね、などと、更にバゼットの誤解を招く事態になってしまい頭を抱えたくなる。
「いや、お前なあ」
『それでは次のニュースです』
抗議の言葉を事務所内に設置されたテレビに遮られ、ランサーはぶつけどころの無くなった憤りを持て余して、画面を睨みつけた。
どうやら何かの会見をしているようだ。長机に座った人物をリポーターやカメラマンが取り囲んでいる。
「彼女は……」
呟いたバゼットに頷く。どうやら会見を開いているのはクレオパトラのようだ。
『確かに、同じ事務所の仲間がこんな事になってしまった後ですので、自粛すべきかもと思いました。けれど、この件は妾だけの問題ではありません。カエサル様や、ご協力頂いた全ての方々のご迷惑となりますので、披露宴は予定通り明日行う予定です』
「折角の祝い事にケチがついてしまいましたね」
「災難だな」
同じ事務所のマギ☆マリの死によって、不謹慎だと騒がれる事を危惧しての会見だろう。彼女の立場を考えると、放火の犯人である可能性は低い。今日事情を聞きに行く予定の相手と彼女とに接点が無ければの話だが。ランサーは残ったパンを口の中に押し込むとパソコンの画面と向かい合う。
昨日の報告書を仕上げたら、例の金太郎の事務所に聞き込みだ。
「何かの間違いではないでしょうか。金時は、誰かから恨まれるような子ではありません」
ランサーとバゼットが、約束通り10時に訪れたのはタレント事務所である『雷光プロダクション』。代表だと名乗る源頼光は黒髪ロングの和風美人だった。案内された事務所には、署のパソコンで小太郎に見せてもらった画像の人物、坂田金時も控えている。
「現に脅迫状が届いていますので、本人に非がなくとも逆恨みというケースもあります。何か心当たりは」
「そんな、こんなにいい子が誰かから恨まれるなど、そんな事があって良い筈がありません、その荷物を送った人が犯人なのでしょう?」
よよよと、泣き出す頼光に、その場にいる全員が慌てふためく。
「大将、そりゃいくら何でも言い過ぎってもんだ」
こんな事で泣くんじゃねえよと、隣にいる金時がなんとか涙する彼女をなだめ、なあ刑事さんと、ランサーとバゼットに向き直った。
「ところで、その脅迫状ってやつが、オレ宛っていう根拠はなんなんだい?」
金時の言葉に頷いたバゼットが、胸元から数枚の写真を取り出した。
「脅迫状と共に同封されていたものです。専門家に聞いたところ、この斧のようなものはマサカリであると」
説明を受けた金時は、流石に自身の名にまつわる話は知っているのか、なるほどと納得の表情を見せた。
「オレ自信、道理に合わねえ事をした覚えはねえけどよ、怪我で引退するまでは、ガンガンレース攻めさせてもらってたわけだ。同じ土俵に立つ奴らを疑うなんてゴールデンじゃねえ事はしたくないが、全く恨みを買ってねえと言い切れるほど、日和見主義でもねえからよ」
「貴方がレースに勝つ事で、不利益を被った人の可能性が高いと?」
「オレにはそれくらいしか思いつかねえよ」
確かに、少々厳つい見た目ではあるが、スポーツマンらしい正々堂々とした風な男が、人から恨みを買う行いをするようには見えない。だとすれば、事務所の方に問題があるとも考えられる。ランサーは、目尻に涙を浮かべる頼光に目を向けた。
「貴方はどうですか?」
「確かに……鉞が金時を連想させることは否定はしませんが……ああ、逆恨みと言えばもしかしたら」
言葉を区切った頼光の瞳が、暗い色を湛えた。ゾッとするような冷たい色に、背筋が凍る。
「以前から、金時の周りをちょろちょろと纏わり付く羽虫がいるもので」
相手にされない腹いせにこのような事をと、明らかな侮蔑の言葉。
「羽虫……」
「それってたぶん、うちの事やろうな」
あまりの言い様に、バゼットが思わず単語を復唱する。その言葉に、背後から答えが返って来たので、ランサーは慌てて後ろを振り向いた。
事務所の入り口のドアを半開きにして廊下に立つのは、フラワーキャスターに所属するアイドル、酒呑だった。
何故こんなところにいるのだろう。疑問を抱く二人を無視して、酒呑はズカズカと事務所を横切ると、真っ直ぐに金時の元へと向かった。
「おはよ、小僧。煎餅たべるか?」
自身もパリパリと煎餅を齧りながら、金時の顔の前で袋を振る。金時は、渋い顔で袋を押しのけ、「今日は何しに来たんだよ」と大人しく袋を引き下げた酒呑に問いかけた。
「一昨日のデートは失敗やったさかい、誘いに来たんよ」
「でっ、デートって……オレは別に」
まさかのスキャンダルにランサーとバゼットは言葉を失う。よもや二人がこの様な関係だったとは。頼光の様子を伺うと、絶対零度の無表情。人を殺せそうなほど鋭い目で酒呑を見つめている。
「また勝手に入ってきたのですね。出てお行きなさい汚らわしい」
金時の腕に絡まり身を寄せた酒呑が、凍てついた視線に、おーこわ、と馬鹿にしたように笑う。
「刑事さん達も気をつけはったほうがよろしいで。この社長さんはこう見えて恐ろしい人やさかい。人を焼き殺すぐらい平気でしはるんとちゃう?」
「あらあら、まあまあ、羽虫風情が何を言うやら。即刻立ち去らねば、私も黙ってはいられませんよ」
火花を散らす女二人に、事情聴取どころではなくなってきた。
「頼むぜ二人とも、ちったあ仲良くしてくれねえかな……刑事さんたち、すまねえ」
間に挟まれた金時が、二人をなだめつつ、頭を下げた。収拾のつかなくなったこの場で新たな情報も得られまいと、ランサーとバゼットは、金時にくれぐれも気をつけてと言葉をかけ、雷光プロダクションの事務所を後にした。
「なあ、どう思う」
車に乗り込んだランサーは、バゼットに問いかける。
「確信ではありませんが、無関係ではない気がします」
「オレもだ」
気になるのは、酒呑の言っていた“一昨日のデート”。火災が起きる前日に二人は会っていた事になる。只の偶然か、それとも。
どちらにしろ証拠が無ければ立件は出来ないかと、ランサーは、冷えた車内で白い息を吐き出して、エンジンのキーを回した。
7
「ランサー、バゼット、すまない。少し良いだろうか」
午後2時45分。
タレント事務所への聞き込みを終え、報告書を作成していた二人に部長のジークフリートが声を掛けた。手招きをする部長に従い、デスクに近寄ると、パソコンの画面を見ろと指示され覗き込む。
「これは」
「先程更新されたネットニュースだ」
新着ニュースと書かれた文字の下に表示された写真。写っているのは、午前中に会って話をした坂田金時、それに、顔こそモザイクで隠されているがランサーとバゼットの二人だった。
事務所に招かれ、事情聴取の前に警察手帳を提示した姿が、窓の外から撮影されている。
「張り込みされていたんですか」
「記事の内容を見るとそうらしいな」
バゼットの言葉にジークフリートが頷く。
ランサーは記事の内容に目を通した。見出しの文字を読む。『元バイクレーサー坂田金時に脅迫状』と書かれている。内容が正確だ。
「何故脅迫状の事を知っているんでしょう」
「内部からのリークがあったんだ」
一体誰がと質問を立て続けるバゼットに、ランサーは簡単な事だと画面を睨みつけたまま答えた。
「手引きしたのは雷光プロダクションの社長さんだろうな」
坂田金時は、ライダーを引退してタレントとして売り出し中だと聞いた。ならば今回の件は世間の注目を集めるきっかけとして打って付けだったろう。芸能界ではこういう事がよくある。金で雇ったマスコミに、ワザと自分のスキャンダルをスクープさせるのだ。
ランサーは、してやられたと奥歯を噛み締める。
「とにかく、情報の流出には細心の注意を払ってくれ」
警察は暇じゃない。利用されるのはごめんだと、部長の言葉にランサーとバゼットは強く頷いた。
「お疲れさまです先輩」
「よお、ディル」
自分のデスクへと戻ってきたランサーに、バインダーを手にしたディルムッドが入り口付近で手を振っていた。相変わらず、頭から爪先まで、鑑識官にしておくには勿体ないほどの美貌だ。
「どうした?」
「斧に付着した赤い物体について、解析が終わりましたので報告です」
ディルムッドは、バインダーに挟まれた報告書をペラリとめくって読み上げた。
「油分、ベヘン酸、安息香酸ナトリウム、エチルヘキサン酸、ジブチルヒドロキシトルエンその他顔料、香料、酸化防止剤。何だと思います?」
「へべ……なんだって?」
初めて聞く固有名詞の羅列に脳の処理が追いつかない。
「正解は口紅です」
もはやクイズとして成立すらしていなかった連想ゲームの答えに、ランサーは「分かるかよ」と悪態を吐いた。
「コンビニで売っている有名なメーカーのものですね。ここから差出人を特定するのは難しいでしょう」
「口紅か……」
血液では無かったのなら、何か意図があるのだろうか。ディルムッドに礼を言い、デスクに戻ると、受け取ったバインダーを確認して考える。ランサーが見たところで、ただ、鉞に口紅が付いていたという事実以外、何も見えては来ない。
こんな時、エミヤであれば何か気がつくのだろうか。
素人に頼りきりというのが刑事として情けない話だが、ランサーにとっては自身のプライドよりも、事件を解決することの方が大切だ。あの男は今は大学で講義中だろうか。時計を確認しながら携帯電話を手にして、アドレス帳を開いた。その時だ。
「ランサーさん、例のブログの管理人を特定しました。現在、重要参考人として署へ同行してもらっています」
突然現れた小太郎の報告に、取り出した携帯電話をポケットに戻す。
「もう見つかったのか、早いな」
「この程度は、造作もありません」
ところで、と小太郎は手にした資料をランサーに渡した。
「報告書を見ていただければ分かると思いますが、ブログの管理人、もしかすれば犯人か、事件に深く関わっている可能性も」
資料を読んだランサーは、なるほどと頷いた。
ランサーが取調室に入ると、目に飛び込んだのは、一言で言うなら海賊だ。蓄えたあごひげを紐で結び、ジャラジャラとした装飾のズボン、上半身裸に髑髏と毛皮付きのロングコートを羽織った男は、机の上に脚を乗せ、居丈高に座っていた。
「あんたが、そのなんだ、黒髭ブログ……の管理人か?」
ランサーが尋ねると、男は徐に立ち上がり、バン、と机に手をついて早口に捲し立てた。
「おおーと、そこは正確に覚えていただきたいですなぁ『黒髭船長、アイドル大航海日誌』ですぞ。そう、ネットの大海原を股にかける大海賊、黒髭ことエドワード・ティーチとは拙者の事。覚えておきやがれ小僧!」
独特な喋り方をする男だ。
どうしてマニアと言うのはどいつもこいつも早口に捲し立てるのかと、今は大学で講義中だろう教授の姿を思い出す。
脱線した思考をいけないと振り切り、ランサーは黒髭と名乗る男に向き直った。出会い頭に威嚇されてしまった訳だが、容疑者に舐められる訳にはいかない。警官を小僧呼ばわりした黒髭を赤い眼で鋭く睨みつけた。
「今のは暴言か?」
「あ、いえ、えーと、ちょぉーとテンション上がっちゃいましてぇ、デュフフ。拙者流ジョークって言いますかぁ、やだなー」
案外と物分かりのいい男だ。黒髭は表情を軟化させ、両手の人差し指を突き合わせながらモゴモゴと言い訳をし始めた。ランサーは黒髭に座るよう指示をして、自身もパイプ椅子に腰を落とす。
「単刀直入に聞くが、マギ☆マリのことは知っているな」
「当然ですとも! いやあ、拙者も応援していたアイドルが死んでしまうなんてとっても悲しいですぞ。昨日は泣きながらブログを更新していたでおじゃる」
「一昨日の夜は何処で何を?」
「お? お? もしかして拙者疑われてる? これ以上無い程に容疑者扱いされているでありますな? 一昨日の夜は家でライブ映像の鑑賞会をしていたでおじゃるよ」
「それを証明出来るものは?」
「家でブログの更新をしておりましたからなあ、記事と一緒にあげた写真がその証拠になりますなあ」
なるほどと資料をめくる。事件の当夜、黒髭がブログにあげた写真は、ブルーレイディスクを机の上に並べた部屋の写真だったようだ。
「ちなみに、うちの優秀な捜査官がブログ更新時の位置情報を辿った結果、マギ☆マリが火災に見舞われた当夜、あんたはその周辺にいた事になっているらしいんだが、それについて何か言う事はあるか?」
「ななな、位置情報っ? いや、えーと、そのなんて言いますか……えーとですね」
写真は事前に撮影しておいたものを使用したのだろう。事件当夜のアリバイを作ろうとしていたのが明らかだ。怪しすぎる。
「聞く所によると、あんたは相当ギリギリなラインでアイドルを追っかけていたらしいな。近づき過ぎてアイドルに暴言を吐かれ、カッとなったって筋書きはどうだ」
「馬鹿野郎、アイドルに罵られるなんてそんなもんご褒美じゃねえか! いやえーと、コレには事情がありましてですね」
ご褒美発言は置いておこう。強いて言うなら黒髭には放火する動機はなさそうだと言う事か。
この期に及んでまだモゴモゴと言い訳をする黒髭だが、先程からの会話で口は軽そうだと感じた。少しキツ目に揺さぶってみるかと、ランサーは安物の机から身を乗り出して、黒髭に顔を近づけ、至近距離で睨みつける。
「隠し事をするなら、この取調室から留置所に移動する事になるけど良いか?」
「ぬはあ、それは困る! 拙者来月にはコミケに参加する予定なんですぞ! 塀の中にいたんじゃお宝の山を拝めなくなるじゃねえか」
あからさまに動揺する黒髭に、ならば洗いざらい吐けと追い討ちをかけた。
「いや、えっと、その、守秘義務っていうか〜」
「よし、逮捕だ」
「フラワーキャスターの社長に雇われてマギ☆マリのあとをつけてまちたー!!」
黒髭が叫んだ真実は、余りにも意外なものだった。
フラワーキャスターの社長、確かマーリンと言ったか。なぜ彼が、自分の事務所のアイドルのあとを人を雇ってつけさせたのだろう。
「つまり、火災が起きた当夜、あんたはマギ☆マリの家の前にいたわけだ。なにか怪しいものを目撃したりはしなかったか?」
「あのう、えーとですね……」
「コミケ、行きたいんだよな?」
ランサーの言葉に黒髭は分かりやすくビクつく。
「あ、あの、女の子が」
「女の子?」
「暗くて顔はよく見えなかったでおじゃるが、マギ☆マリと親しそうに話していたから友達なのかな〜と。その時、なにか手渡していたようには見えましたぞ」
8
この事件は酷く複雑で難解だとランサーは思った。一見バラバラの事柄が実は一本の線で繋がっているような、そう思わせる何かがあると。
「僕はプロデューサーとして、自分の担当するアイドルを管理していただけだ。それがいけない事かな」
事務所の柔らかなソファに座り、フラワーキャスターの社長、マーリンは、全く悪びれる事なくそう言った。
「まったく、フリーの探偵なんて雇うんじゃなかったな。こんなに口が軽いなんて」
悪びれるどころか、この言い様だ。
「マギ☆マリが睡眠障害に陥っていたのを知っていたんだろう、それなのに、ストーカー行為を続けさせたのか?」
「本人の勘違いだって前に言っただろう。ただ身辺を調査してもらっていただけだ。断じてストーカーじゃない」
黒髭はマギ☆マリに危害を加えてはいない。ゴミを漁ったわけでもない、無言電話を掛けたわけでも、差し出し人不明の手紙を出したりもしていない。おおよそストーカーと言われる迷惑好意をおこなったかと言えば、応えは否だ。
けれど、彼女がもし睡眠薬を飲んでいなければ、自宅で起きた火災に気が付き、逃げる事が出来たかも知れないのだ。
「あなたは……自分の所為で彼女が死んだとは思わないのですか!」
バゼットが拳を振るわせてマーリンに詰め寄った。けれど、マーリンの表情はぴくりとも動かない。
「それは責任のすり替えだよ刑事さん。火事が起きたのは僕の所為じゃ無い。第一、僕がマリを殺して何の得になる。これから売り出すって時に死なれて、こっちだって大損害だ」
勝手にストーカーに怯え、通院し、睡眠薬を飲んだのはマギ☆マリ自身だと、肩を竦めるマーリンの言い様に、バゼットが拳をさらに堅く握りしめたのを見て、ランサーは咄嗟に彼女の腕を掴んだ。振り向いたバゼットが避難の目を向けてくるが、無言で首を振ってそれを諌める。
「確かにあんたの言う通りだな、捜査にご協力感謝するよ、社長さん」
吐き捨てるようにそう言ったが、きっとこの男の心には一ミリも響かないのだろう。
渋るバゼットの背を引き寄せて、ランサーはアイドル事務所を後にする。外に出ると日が落ちてすっかり暗くなっていた。パトカーに乗り込んでバゼットがシートベルトを閉めるのを横目で確認する。
エンジンのキーを回そうとしたが、ランサーはこれ以上は耐えきれなかった。力任せにハンドルを殴りつけると、大きなクラクションの音が鳴る。
「ちくしょう、胸くそわりい」
歯を食い縛って呻くランサーの隣で、バゼットも唇を噛み締めていた。
悪意で人は殺せる。
けれど、ただの悪意を法で裁く事は出来ないのだ。
午後7時25分。
署を出たランサーは、携帯電話を取り出すと、すっかり馴染みになった番号に電話を掛けた。
『なんだね』
「なあ、飯食わして」
無愛想な声に、用件を述べる。
電話の向こうで呆れたような溜め息が聞こえた。
『食に困る程切り詰める必要があるなら、生活費を見直したまえ』
的外れな忠告に、そうじゃねえよとツッコミを入れる。
「ちょっと、相談したい事があるんだ。あと、おまえの飯もう一回食いたい」
昨日の今日で図々しいかもと思うが、エミヤの手料理は、正直この近辺にあるどの店よりも美味かった。
ランサーの言葉にエミヤは無言で何かを考えているようだ。いや、案外と、照れているのかも知れない。暫く無言でいた彼は、再度大げさに溜め息を吐くと『今日はパスタだ』と献立を述べた。来ても良いという事だろう。
『その代わり、用が済んだらきちんと自宅に帰りたまえよ』
しっかりと釘を刺される。
「ああ、三日間も同じ服着ていたら、バゼットに何言われるか分からねえしな……」
乾いた笑いを乗せて、ランサーはもちろんだと頷いた。
「うまい!」
タマネギとアンチョビのパスタに舌鼓を打つ。
みじん切りにされ煮込まれたタマネギはキャラメルのように照り、下味のブイヨンが甘みを程よく引き立てている。それだけではぼやけてしまう薄味のソースだが上に盛られたアンチョビの塩気がアクセントになっている。細かい事は置いておいて、とにかく美味い。前菜にと出されたカプレーゼも美味かった。
和食も良かったがイタリアンも悪くないと、ランサーは昨日の焼き直しのように、美味い美味いと繰り返した。
「それで、何か聞きたい事があったのではないかね?」
エミヤは、空になったランサーのグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
食事に夢中で忘れる所だった。それもコレも、食事が美味過ぎるのが悪い。ランサーは口の中のものを飲み込んで、名残惜しげにフォークを置いた。
黒髭から得た情報が真実ならば、火災が起きた当夜、マギ☆マリは友人と思しき人物から何かを受け取っていたようだ。それが原因で火災が起きたという事が考えられる。
「なあ、例えばなんだが、時限式に火災を発生させる装置というのにはどんなものがある」
「話しの焦点が散漫だな。そんなものは作ろうと思えばいくらでもあるだろう。事件の話しなのであれば、君の知る限りの情報を教えてくれたまえ」
情報の漏洩に気を配れと部長に釘を刺されたばかりだが、エミヤがうっかり口を滑らす事などないだろう。
もうすっかり、自分はこの男を信じきっているらしい。その事実にランサーは苦笑して再びフォークを手に取ると、食事を再会しながら、昨日からの調査で知り得た情報を順を追ってエミヤに話した。長い話しだ。すっかり食事を終えて、ランサーの話しを聞き終えたエミヤは「ふむ、そうだな……例えば……」と立ち上がると、リビングに据え付けられた棚から何かを手に取って、ランサーに渡した。
「なんだよこれ」
「見ての通り、猫さんのぬいぐるみだ。押すと音が鳴る」
「猫さん……」
意外すぎる発言に思わず復唱したが、当人は気が付いていないらしい。不思議そうに首を傾げている。
手渡された猫のぬいぐるみを見る。なぜエミヤがこんなものを持っているのかは分からないが、ビーズクッションの様な手触りはとても心地がいい。何処を押せば良いのだろう。試しに腹の辺りを親指で 押してみたが、エミヤが言うように音は鳴らなかった。
「おい、鳴らねえぞ」
壊れているのだろうか。傍らに立つエミヤを見上げる。
「ランサー、君は今、何故そのぬいぐるみを押したのかね」
「いや、だってよ。音が鳴るって言ったじゃねえか」
「鳴ると言っただけで、鳴らせとは言っていない」
理不尽だ。音が鳴ると言って渡されたのだから、普通は試しに押してみたくなるものだろう。
文句を言いかけたところで、ランサーは気が付く。
ああ、そうか。そういうことか。
唐突に腑に落ちて、頭を掻きむしった。
エミヤはランサーの隣に腰を落とすと、大学の講義をするように、指先で中空に文字を描く仕草をした。
「例えば、人形の中に袋から取り出した乾燥剤と、量を調整した水風船、燃えやすいものを詰め込んでおく。人形の腹を押す事で、水風船に針が刺さるようにしておけば、水に濡れた乾燥剤は化学反応を起こし約200度まで温度を上昇させ、易燃性の素材に着火。出来上がった火種が人形を燃やし尽くして別のものに引火すれば……」
火災現場の出来上がりだ。
「そうか、気が強くて、しっかりものだ」
ずっと引っかかっていた。しっかり者の少女が、破けた乾燥剤と一緒に化粧品や生ゴミを捨てたりするだろうか。うっかりで火災を起こしたりするだろうかと。
エリザベートとマギ☆マリは、火災の直前まで喧嘩をしていたと言っていた。そんな相手から、仲直りにと人形を手渡され、室内で試しに押してみると音は鳴らない。気の強いマギ☆マリは、不良品で揶揄われたと腹を立て人形をゴミ箱に捨てる。そして睡眠薬を飲んで就寝した。これで話しの筋は通る。
となると、犯人はエリザベートと言う事になるが、しかし、彼女には、坂田金時を狙う動機がない。脅迫状と火災とは別件だと考えるべきだろうか。それとも、脅迫状が示す標的は坂田金時では無いのかも知れない。ランサーは昼間、鑑識課のディルムッドが寄越した情報を思い出した。
「なあアーチャー、おまえ分かるか? 油とべ……なんとか酸と、えーと香料とか塗料とか防腐剤だったかな? が原料の赤いもの」
「大して覚えてもいないのに問いかけるのは、止めてもらえないか」
ディルムッドのように、クイズ形式にしてみたかったのだが、残念なことに原材料が詳細に思い出せなかった。
「……おそらくだが、口紅だろう。それがなんだね」
しかし、ランサーのうろ覚えの質問からエミヤは正解を導きだす。この男は本当に何でも知ってるのだなと、関心を通り越して気持ち悪ささえ感じられた。
「いや、こないだ見せた鉞に付着してた赤いものの正体だよ。なんだっけかメダリオン柄だとかいうタオルに巻かれて署に届いた……」
「待ちたまえ、君は今なんと言った」
エミヤの指摘に「へ?」と間抜けな声をもらす。脅迫状のことは一度話した筈だが、忘れたのだろうか。
「いや、だから鉞に……」
「違う、タオルに巻かれていただと!?」
唐突に声を荒げたエミヤが、ランサーの胸ぐらを掴んできたので、思わず両手を上げて降伏する。
「何か問題が?」
「大ありだ馬鹿者」
何故腹を立てているのか見当もつかないランサーの様子が、更に怒りを煽っているようだ。エミヤはランサーの胸ぐらを掴んだまま一息に捲し立てる。
「君はどうしてそう中途半端に情報を寄越してくるのだ。全く、愚かにも程がある。人に協力を仰ぐのであれば、全て開示するのが筋だと前にも言った筈だが? 君の知り得る情報が本当にそれで全てなのなら、例の脅迫状が指し示す標的は坂田金時氏ではない。いいか、昨日話した坂田金時という昔話の人物にはモデルがいる。名前を下毛野金時といい、学問と雷の神、菅原道真に仕えたとされる人物だ。当時は神聖な行事とされていた相撲の大会だが、それを成す力士を各地からスカウトする仕事をいていた、と記録にある。鉞に付着した口紅が、標的は女性である、という事を意味しているのだとすれば、ここ最近で、力士を”スカウト”して話題になった女性がいただろう」
「クレオパトラ……」
早口なエミヤの解説をなんとか聞き取ったランサーは、思い当たる人物の名を呟いた。
どうやらそれは正解だったらしい。よろしい、と怒りの納まったエミヤが胸ぐらを解放してくれたので、ランサーはようやくまともに呼吸をする事が出来た。
怒りを納めたエミヤは、落ち着いた面持ちで推理を続ける。
「面白いことに、彼女の名前と同じ歴史上の人物には、貢ぎ物の絨毯にくるまって、王の寝室に忍び込んだという逸話がある」
鉞を包んでいたタオルはペルシャ絨毯によく使う柄だと小太郎は言っていた。本物の絨毯では箱に入らないから、タオルで代用したのだろう。
エリザベートの標的は、クレオパトラだった。だとしたら、同じ事務所だ。何かしらの軋轢から命を狙う動機があってもおかしくはない。
「ニュースで見たが、彼女は明日、結婚の披露宴をおこなう予定ではなかったかね」
エミヤの指摘に頷く。同じ事務所であれば、エリザベートも披露宴に呼ばれているだろう。もしかすれば、その場で例の人形を渡すかも知れない。ランサーは机の上のグラスを手にすると、中の水を一息に飲み干した。
「悪い、署に戻るわ」
ダウンジャケットを羽織り、身支度を整える。
明日の披露宴までに、体制を整えなければいけないと、駆け足で玄関へ向かう。
ドアノブに手を掛けた所で、大事な事を思い出し、見送りにきたエミヤに振り返った。
「メシ、すげえ美味かった。御馳走さん」
「うちは食堂ではないのだがね」
感謝の気持ちに対する返事は皮肉。
じゃあなと声をかけ部屋から出たランサーの背に、態とらしい咳払いの音が聞こえた。
9
翌日の披露宴会場は、報道陣や相撲の関係者で溢れていた。報道陣はともかく、相撲の関係者を急に呼び出すなど不可能だろうから、何ヶ月も前から話はできていたのだろう。結婚の報道は三日前だったと言うのに。業界の口の硬さに関心していると、「貴方も見習った方がいいですよ」とバゼットから野次が飛んだ。まったく、誰のおかげで捜査が進展したと思っているのだ。
「いたぞ、エリザベートだ」
ランサーの号令にバゼットも表情を引き締めた。ショッキングピンクのド派手な衣装で歩く少女は、後ろ手に自らを模した人形を抱えている。
報道陣がいる中で逮捕劇をするのは避けたい。
スーツを身に纏ったランサーとバゼットは、機嫌よく歩みを進めるエリザベートの後をつけた。どうやら彼女は、クレオパトラの控え室に向かっているらしい。人形を渡すつもりなのだ。
「まて、警察だ」
控え室のドアをノックしようと手を掲げたエリザベートに制止の声を上げる。
「え? なに、なんなの?」
驚きに固まるエリザベートからバゼットが人形を取り上げた。人形の背中にあるくジッパーを開けて中を覗く。
「ちょっと返しなさいよ!」
「ランサー、ありました」
バゼットに掴みかかろうとするエリザベートを押し止めるランサーの背に、バゼットが報告する。
人形の中には、エミヤが言っていたものと違いない仕掛けが詰め込まれていた。
「だから知らないって言ってるでしょー!!」
もうなんなのよおと、ドラゴン娘は半泣きで叫んだ。
「友達におめでとうのメッセージを送る事の何処が犯罪なのよ!」
マジックミラーの向こうで取調べを受けるエリザベートの様子を伺う。彼女は容疑を否認し続けている。
「ランサー、彼女は本当に犯人なのでしょうか」
ランサーの隣で、バゼットが疑問を口にした。
「あの複雑な仕掛けや脅迫状を本当に彼女が?」
だって、彼女、警察手帳すら知らなかったんですよと、要するに馬鹿と言いたいのだろう。バゼットの言葉は露骨にエリザベートを侮辱しているが、真実でもある。警察手帳も知らない無知な少女が、果たして、あのような仕掛けを作れるのだろうか。
それはランサーも腑に落ちないところではあった。
「そもそも、何故脅迫状で標的を教える様な真似をしたのでしょう」
そんな事をすれば、自らの犯行の邪魔にしかならない。警察に対して挑戦したい愉快犯でなければ、そんな事をする必要は無い筈だ。だとすれば、脅迫状を出した人物の目的は、犯人の妨害。
その考えに行き着いて、ランサーは一つの可能性に気が付いた。もしそうだとしたら、この事件はあまりにも残酷だ。
「なあ、バゼット。署に届いた荷物には宅配の伝票が貼ってあったよな」
「ええ、差出人の名前はありませんでしたが」
「宅配の荷物ってのはよ、速達で送っても丸一日はかかるだろ普通」
ランサーの言葉にバゼットも息を飲む。
時間が合わないのだ。マギ☆マリが死ぬより先に、荷物はもう出荷されていたはずで、もし、脅迫状の送り主が犯人を知っていて、犯行の妨害を目的としていたならば……マギ☆マリの死は計画に無かった犯行ということになる。
「バゼット、いくぞ」
ランサーは取調べをしていた小太郎に、エリザベートを釈放するよう指示を出すと、ダウンジャケットを掴み事務所を飛び出した。
「ランサー、待って下さい!」
行くって何処にですか?
追いかけてくるバゼットに振り向かぬまま応える。
「脅迫状の差出人の所だ」
「さて、何のことか分かりませんね」
黒髪を流した和風美人は、頬に手を当て首を傾げた。優美な仕草も、目の前の麗人が、身のうちに鬼を飼っていると知った今では、恐ろしさしか感じない。
「あんたとの会話を思い出したんだけどな、脅迫状の話しをしたとき、こう言っただろ。『その荷物を送った人が犯人なのでしょう?』ってな」
ランサーの言葉に、頼光の顔から笑みが消えた。
「あの時はまだ、脅迫状の話ししかしていなかったのに、あんたはどうして署に届いたのが荷物だと知っていたんだろうな」
畳み掛けるランサーに、頼光は目を閉じて、ふー、と長い息を吐き出した。
「確かに、あの荷物を送ったのは私です。認めましょう」
観念し、白状する女は、けれど優美な仕草でまたもや首を傾げた。
「けれど、それが何の咎になるのでしょう?」
むしろ、犯行を止める為に警察に協力したのだと頼光は言う。
「匿名にしたのは何故だ」
「犯人に逆恨みでもされたらと思うと恐ろしくって」
「脅迫状が坂田金時を狙っているように捜査を攪乱した」
「何をおっしゃるのです、私はきちんと、狙われているのがあのお嬢さんだと分かるようにしていたではありませんか。あの暗号を金時のことと勘違いしたのは貴方達の無知故、違いますか?」
ああ、そうだ。その通りだ。
頼光の言うことは正しい。
悔しいが、上手く利用されたのだ。彼女の行動の裏に、自身の目的のための作為があったとしても、それを証明する証拠など何処にもない。
「犯人は誰なのです」
歯噛みするランサーの後ろからバゼットが問いかける。ここまでくれば、もう誰が犯人かは分かっている。事件の関係者で、頼光が心底嫌い、妨害してやろうとする相手など一人しか思い浮かばない。
「酒呑だな?」
ランサーの答えに、頼光は笑みを絶やさぬまま、ええと頷いた。
「どうして彼女の犯行に気が付いた」
「人を雇って動向を探っておりました」
当然でしょう。微笑む頼光の唇は弧を描いているが、目は冷たいままだ。
「大事な金時の周りを飛び回る羽虫を四六時中監視しておいて何が悪いというのです」
タレントの身の回りを管理するのが勤めなのだと、やるべき事を成しただけだと彼女は言う。マーリンと同じだ。酷く歪で、狂っていると思うのに、彼らを罰する事は出来ない。
頼光の証言から確証を得た警察は、直ぐさま酒呑を拘留した。酒呑は逃げなかった。素直に指示に従い、署への動向に了承した。
「人形の中の仕掛けから、あんたの指紋が検出された」
取調室の机の上に資料を投げ置いたランサーは、パイプ椅子を引いて酒呑の向かいに腰を落とした。
「そやね、バレてしもたらしゃーないわ」
机に頬杖を突いた酒呑は、動じた様子も無く悪戯がバレた子供のようにニンマリと笑う。
「何故こんな事をした」
「別に、ちょっと脅かしたろう思っただけや」
あんな、刑事はん。酒呑は秘め事を話すように、ランサーに顔を寄せる。
「知ってはる? マスコミって汚いねんで、うちが金まで払ってスクープ取らしたるって言うたのに、もっと金になりそうなニュースが有ったらそっちに飛びついてしまうねん」
「“一昨日のデート”の事を言ってるのか」
酒呑が金時と話していた、一昨日のデート。失敗したという意味が、あの時はまだ分からなかったが、そう言う事かと納得する。
自らスキャンダルを起こそうとしたのだろう。けれど上手くはいかなかった。
「そや、小僧のこと揶揄ってやろう思ってたのに、あのつまらんエジプト蛇女が、結婚会見なんて開いたりするから台無しになってしもた」
完全な逆恨みだ。
考え方が普通じゃない。めちゃくちゃ過ぎて、会話をしているだけで気分が悪かった。
「エリちゃんがあの蛇女にわけ分からん人形渡そうとしてたんは知っとったし、材料も簡単に手に入るしでちょっと驚かしたろうって思たんよ」
「その結果マギ☆マリは死んだ。悪戯のつもりが殺人罪だ」
「いややわあ、刑事はん。うちに何の罪があるん?」
コロコロと、笑う酒呑には罪の意識など欠片も無い。同僚が死んだのに。間接的とはいえ、同僚を殺したのにだ。
「うちがしたのは単なる悪戯、そもそも人形をマリに渡したのはうちやない」
もし死んだのがクレオパトラであったなら、明確な殺意と、目的故に彼女は罪に問われただろう。いや、話しを聞く限り酒呑に殺意はない。ぼや騒ぎを起こして脅かそうとしただけだ。彼女は、エリザベートがクレオパトラとマギ☆マリ、それぞれに人形を用意していた事など知らなかった。マギ☆マリの人形に細工をしたのは誤りで、それをエリザベートがあの夜に届けたのも偶然。そしてマギ☆マリが人形をゴミ箱に捨てたのも、睡眠薬を飲んで眠り逃げ後れたのも、全て偶然起こってしまった事。
偶然が重なって起こってしまった不幸な事故。
「な、刑事はん、うちの罪ってなあに? 教えて」
鬼は笑った。
10
よろめく足取りを強引に進める。
夜気が頬を切る様な感覚も、火照った頭には優しいくらいだった。
目的の場所に向かって突き進み、一棟のマンションの自動ドアをくぐる。フロアの奥にあるエレベーターのボタンに体当たりすると、ポンと軽い音を立ててドアが開いた。転がるように乗り込んで、3のボタンを押す。手が当たって4、5とランプが点灯した。
電子音とともに浮遊感がランサーの身体を襲う。酩酊した身体には少しキツい。開いたドアから転がり出て、真っすぐ伸びる廊下を再び千鳥足で進んだ。
「さんまるろく…」
部屋の番号を繰り返し呟いて確認し、目的のドアの呼び鈴を押す。返事は無い。ドアにもたれ掛かろうとして頭をぶつけた。身を起こすのも億劫で、そのまま再度呼び鈴を押す。
「おい、アーチャーいるだろ、開けろよ!」
声を上げてドアを叩くと、部屋の中でドタドタと足音が聞こえた。
ガチャンという解錠の音に半歩下がると同時、勢い良くドアが開く。
「なんなのだね、君は。こんな時間に、迷惑を考えないか」
エミヤは就寝前だったのだろう。いつものシャツとスラックス姿ではなく、Tシャツにカーディガンを羽織り、下履きはゆとりのあるジャージだった。
「よお、アーチャー」
ランサーの明らかに酩酊した様子に顔をしかめつつも、早く中に入れと肩を貸してくれた。冷たいようで、案外と世話焼きな男だ。リビングに連れられごろりとソファーの上に転がされる。ふわふわと身体が浮いたような心地になっているのは、酔いが回っている所為か、それともソファーの柔らかさ故か。
飲め、とテーブルの上に水の入ったグラスが置かれたが、手を出す気にはならなかった。
「何かあったのか?」
「まあな、事件が無事解決したんで、パーっとお祝いを」
気遣う声に、クツクツと笑う。
ランサーが心から喜んでいない事など、天才でなくとも分かるだろう。
誰も彼もが腹に一物抱えていて、あの手この手で裁くことのできない悪事に手を染める。人間関係の闇の深さなど知っていたはずなのに、それでもこうも目の当たりにして、心底打ちのめされている自分がいる。
結局のところ、今回の事件は単なる事故死だ。大勢の身勝手な振る舞いが一人の少女を殺したのに、誰一人裁かれる事は無く、罪の意識すらない。
己の力ではどうする事も出来ない事実が、ただ虚しい。ランサーは信じたいのだ。人はそこまで悪ではないのだと。自分の護るべき市民は善人だと思いたかった。いったい事の顛末をDr.ロマンになんと説明すればいいのか。
「なあ、アーチャー、この世から嘘や悪意が無くなれば、警察なんて必要ねえのにな」
ランサーが刑事になったのは、悪事を働く者に相応の報いを受けさせたいからだ。こんな結末では何にもならない。
一連の会話で何かを察したらしいエミヤは、ソファーの空いた隙間に腰を落とし、ゆっくりとした動作で、床に落ちていた藍色の長髪を掬い上げた。ランサーの腹部にエミヤの腰が触れて、外気で冷えていた身体に人肌がじんわりと広がる。
「キミは真っすぐな正直者だ。知り合って半年だがそれくらいの事は私にも分かる」
褐色の手が、赤子をあやすように優しく肩を撫でる。
「だがな、ランサー。大抵の人は秘密を持っているし、保身の為に嘘も吐く。傷つくことが恐ろしいのだ。何も悪意があるばかりじゃない」
諭すような口調と穏やかな手の動きに、泣きそうになって頬の内側を噛んだ。
「人が秘密を明かす時が有るとすれば、隠す事が出来なくなった時か、隠している方が辛いと感じた時だ」
「おまえにも秘密があるのか、アーチャー」
ランサーの問いかけに、エミヤはもちろんだと頷いた。
「なんかそれって…ずりぃ」
ただの酔っぱらいの我が儘だ。けれど、そう感じたのだから仕方ない。
ランサーは今まで、エミヤに何もかも正直に話してきたつもりだ。それこそ守秘義務と言われていることも全て。それは、この男を信用していたからに他ならない。けれどエミヤは違うのだ。信用されていないのだと、悲しみが津波となって胸中に押し寄せた。
「ずりぃよ、アーチャー」
ランサーはズルリと鼻をすすって、もう一度繰り返した。
「そうだな」
エミヤは目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出すと、ランサーの肩から手を離し、ソファーを降りて床に座った。
「だから君に、私の秘密を話そう」
横たわったままのランサーと視線の高さが合うように、少し前のめりになって見つめてくる。その瞳は真剣だった。
「ランサー、私はゲイだ」
はっ、とランサーは息を吸い込んだ。
「酔った頭では理解が難しいか?」
エミヤの問いに思わず頷く。突然の事過ぎて言葉の意味が分からなかった。
「私の恋愛対象は異性ではなく同性だと、そう言ったのだ。ランサー。いや、もっと分かりやすく言おう。私は”君のような男性”が”性欲込み”で好きなのだ」
ランサーはゴクリと喉を鳴らしたが、アルコールで乾いた口の中に唾液はなかった。
「なんで……急に」
声が掠れている。情けないぐらい動揺していた。
「隠している方が辛いと、そう思ったからだ」
エミヤはそう言って微笑んだが、けれど、細められた目の奥の瞳が、悲しそうに揺れていた。
「君は私と話しをするのが楽しいと言ってくれたな、ランサー。私も、君と話しをするのは楽しい。だが、君と私の感情にはズレがある。どうしたって修正のできないズレだ」
ランサーは今までの人生で、女性としか付き合った事は無いし、男に対して恋慕を抱いた覚えも無い。つまり、ランサーは異性愛者だ。エミヤが同性を愛するのだというなら、確かに、その感覚の違いはどうしたって埋めようのない溝となる。
「ランサー、私は、どうやら君に恋をしているらしい」
感情の機微には疎い自分でもそれくらいは分かると、エミヤは皮肉に口端を吊上げた。
ドクドクと血の巡る音が耳に響く。どうしてこんなにも息が苦しいのだろう。迷子になった様な不安感から、ランサーは咄嗟に、エミヤのカーディガンの裾を掴んだ。
「オレはどうすればいい……」
「さあ、君の気持ちなど、私には分からんよ」
「あんたにも、わかんねえことってあるんだな」
何でも知っていると思っていたのだと言うランサーに、エミヤは分からない事だらけだと肩を竦めた。
「人の心というのは、どんな化学式よりも難解だ」
人の気持ちも、時には自分の気持ちでさえ理解出来ずに戸惑う。想い通りにいかない感情を持て余して、怒り、涙し、時には笑う。
ああそうか。
ランサーは目を閉じた。
人は、道理にそぐわないと分かっていながらも、感情には逆らえないのだ。
「さあ、少し休んで、酔いが醒めたら帰るんだな。また同じ服を着て職場に行けば、バゼット巡査に小言を言われるぞ」
そしてもう此処には来ない方が良い。言って立ち上がるエミヤの腕をランサーは慌てて掴んで引き止めた。
「は? いや、何でだよ!」
「何でって、君は話しを聞いていなかったのか?」
ランサーの言葉にエミヤは目を見開いたが、男の言いたい事など何一つ理解出来なかった。
「いや、聞いてたっつーの。お前はゲイで、そんでオレの事が好きなんだろ?」
それがどうしたと息巻くランサーにエミヤも声を荒げる。
「ああそうだ、だから一緒にいない方が良いと言っている! こんな簡単な判断も出来ない程酔っているのか、それとも頭が悪かったのかね?」
「うるせえ、酔いなんてお前のびっくりな告白の所為でとっくに醒めたわ! オレはお前と一緒にいてえって前から言ってんだろうが!」
それがどうして二度と来るな、なんて話しになるんだと、お互い額がつきそうな距離で言い争う。
「わかんねえ事があったら教えてもらいてえし、飯だってまた食いたい。それに、お前のムカツク顔を週に一回か、それ以上は見ねえと落ち着かねえんだよ!」
「なら君は私を抱けるのか!」
悲痛な叫びに、ランサーの手から力が抜けた。エミヤはランサーの身体を両腕で押しやると、掴まれて皺の寄ったカーディガンを整える。
「無理だろう。分かっているさ。だから一緒にいない方が良いのだ」
何もかも諦めた様な言い方に、腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
「抱ければいいのか?」
常より低いランサーの声に、エミヤが眉を顰めた。
「ランサー、なにを……」
男の静止を無視し、腕を掴むとソファの上に引き倒した。腹の上に馬乗りになって、抵抗する腕を力づくで押さえつける。
「馬鹿なことはやめろ!」
「うるせえ! 黙れよ、オレはな!!」
完全に頭に血が上っていた。行き場の無い熱が身体中を暴れ回る所為で、耳鳴りまでしてくる始末だ。
「オレは……」
言いかけて、けれども言葉が浮かばず口を噤む。違う、こんな事がしたいんじゃないと、手を離して額を抑えた。
「ランサー」
名を呼ばれ、褐色の指先が頬をなぞる。親指で目尻を拭われると、濡れた感触がした。
「なあ、教えてくれよ。おまえと一緒にいるにはどうすればいい」
顔を傾けて、温かな掌に頬をすり寄せた。
「恋人になれって言うなら、なったっていい。それしか方法が無いならそうする」
ランサーには己の感情の行き場が分からなかった。何故こんなにも苦しいのか、悲しいのか。
エミヤを異性と同じように見れるかと聞かれれば分からない。たぶん無理だろう。それでも、話しがしたいと思うのだ。珈琲を飲みながらくだらない事も、大事な事も言い合って。ムカツク皮肉に文句を言って、でもたまに見せる笑顔に笑みを返す。
ただそれだけのことが、かちりとハマったピースの様に、自然に思えてならないのだ。そこに有るのが当たり前になってしまった存在を今更失うのが身を切られるより辛かった。
「まいったな、私も大人気無かったが、今の君はまるで子供だ」
言葉とは裏腹に、エミヤの表情は穏やかだった。
「おまえより、6つも年下なんだぜオレは」
違いない。クスクスと、二人の笑い声が重なった。
ランサーが、はっ、と息を吐き出すと、部屋の中に沈黙が落ちる。細められた目蓋の隙間から見える鋼色の瞳が濡れているように見えて、なんとなく手を伸ばして目尻に触れた。
「なあ……キスしてみてもいいか」
「なに?」
唐突に思い浮かんだ問いかけに、微笑んでいたエミヤの表情が固まる。
「キスしてみたら、おまえの事どう思ってるか……馬鹿なオレにも分かるかも知れないだろ」
相手の了承を得る前に顔を近づける。了承の言葉は無かったが、否定の言葉もまた無かった。だからきっと良いのだろうと、ゆっくりとエミヤの唇に自分の唇を重ねてみた。冬場だ。乾燥した唇が触れ合うと、ひび割れた皮が引っかかる。ランサーは顔を傾けて、僅かに開かれた唇の隙間から舌を差し込んだ。馬乗りのまま上体を傾けたランサーの腹筋の下で、触れ合ったエミヤの身がピクリと跳ね上がる。
キスという行為に嫌悪感は無かった。あるとも思っていなかったが。
舌を伸ばして歯列を辿り、舌先で上顎に触れると、漏れた相手の低い呻きがランサーの口端を掠めた。溢れた唾液を嚥下して、舌を絡める。自分のモノより少し肉厚なそれは生暖かい。ランサーの吐息はきっと酒臭いだろう。エミヤは酒に弱かったから酔ってしまうかもしれないと、そんなくだらない事が気になった。
酸素が足りず、息継ぎの為に身を放す。エミヤの下唇が、どちらのモノか分からぬ唾液で濡れていた。
「それで……なにか分かったのかね?」
問いかける男の息は荒い。
そういえば、そんな理由で始めたことだったかと思い出す。痺れた脳には何も浮かばず、思考のキャンバスは白いままだ。
「いいや、分かんねえ」
ランサーは首を振る。濡れた男の下唇を親指で拭うと、再度上体を傾けた。
「分かんねえから、もう一回……」
好きにしたまえ、投げやりな声でエミヤが言う。擦れた声をもう少し聞いてみたいと思う。けれど、それよりも今は、口を塞ぐ事を優先した。
結局何度かキスを繰り返したが、ランサーは何も答えを得られなかった。
ただ頭がぼんやりとして、いい加減に帰れと家主に追い出され、熱に浮かされたようにふらふらと自宅に帰ったのは空が白んだ頃だった。
11
「ランサー、バゼット。柳洞寺付近の山中で遺体が発見された。すまないが現場へ向かってくれ」
上司の言葉に二人の刑事は席を立った。
例のアイドル焼死事件から2週間が経過したが、日々は変わる事なく続いて行く。落ち込んだって事件は起こるし、ひとりでに解決はしてくれない。
ランサーは食べ損ねたパンの袋に別れを告げて、バゼットと共にパトカーに乗り込んだ。
柳洞寺とは、冬木市深山町にある円蔵山、その中腹に門を構える寺院のことである。
山門へ向かう長い階段の左右は木々が生い茂り、現場となる山中では、既に鑑識課の面々が来て、あらかたの調査を終えていた。
「よお、ディルムッド、現場の状況は?」
「おはようございます、お二人とも」
輝く貌の巡査部長は、小さなメモを片手に艶やかに微笑む。
「被害者は男性、年齢は30代から40代。現在身元を調査中。身長は170㎝前後、背後から刃物の様なもので背中を一突きされ死亡しています。死因は脊椎損傷によるショック死でしょう」
「刃物の様なってことは、凶器は見つかって無いんだな」
「いえ、それが……」
言いよどむディルムッドに首を傾げたランサーだが、とにかく遺体を見て欲しいと言われて従った。
「たしかに……」
「刃物のようなものだな」
相棒と並んで、被害者に突き刺さった凶器に首を傾げる。尖った刃が幾つも付いた金属の輪っか。その刃の一つが、被害者の背中に突き刺さっていた。
「教授に会いに行く口実が出来ましたね、先輩」
揶揄いの言葉に顔を上げると、意味有りげに微笑む絶世の美男子。
まさかディルムッドにまでそのような事を言われるとは思わず、ランサーは口を開けたまま絶句した。
「コレは圏だな。道教の戦神、哪吒太子が所持していたとされる武器だ。本来は投擲する鈍器として使用するものだが、刺さったのは偶然か、それとも使用者が使い方を理解していなかったかのどちらかだろう」
訪れたエミヤの研究室で、淀みなく披露される知識をメモにとる。
「市場では売っていない。博物館の盗品か、自分で作ったか。使い方を知らないなら盗品だろうな」
「なるほど、協力ありがとよ、教授」
礼の言葉に「光栄だよ」と皮肉を込めて返すエミヤの態度は、まるであの夜の事など無かったかのようにいつも通りだ。それが少し気に食わない。身勝手な感情だというのは理解している。これが彼の優しさだとも。答えは出さぬまま、けれど交流は続けたいという、ランサーの我が儘に付き合い譲歩してくれているのだ。
とにかく今は仕事に戻らなければと、バゼットと連れ立って部屋を出ようとした二人に「待ちたまえ」と声がかかる。
「その……なんだ。昨日教授会で偶然にもロマニ・アーキマン医師と話しをしてね。聞く所に寄ると、件のアイドル事務所は、売り出したアイドルの度重なるスキャンダルで実質の倒産になったらしい」
曰く、エリザベートバートリーは事務所を独立し、自己プロデュースで地下アイドルになったとか、クレオパトラはアイドルをやめ主婦業に専念するだとか、雷光プロの宣伝も空しく、坂田金時はタレントにはならず、バイクで世界に旅立っただとか、あの事件以降人気が低迷した酒呑は姿を消し行方がしれないとか。
アイドルに興味なんてないだろうエミヤが、何故こんな話しをロマンから聞いたのか。きっと隣にいるバゼットだって気が付いているだろう。
「”剣を取る者は剣で滅ぶ”という言葉もあるが、これで君達の溜飲も少しは下がったのではないかね」
折り曲げた人差し指を口元にあてたエミヤは、態とらしく咳払いをしたあと、そう締めくくった。
ああ、今直ぐこの男にハグをして、赤らんだ頬にキスをしてやりたいと、ランサーがその衝動を抑えられたのは、横に相棒がいたからだ。勤務中でなければ、きっとそうしていた。
「ありがとよ、アーチャー」
礼の言葉が、自然と口をついて出る。「かまわないさ」と、今度の返事に皮肉は含まれてはいなかった。
ランサーの心の変化に、このお人好しの男は気が付いているだろうか。
気付いてくれれば良いと思う。
気が付いていないなら、次に会った時にでも、言葉にして伝えてやろう。
此処に来る前より少しばかり幸福な気持ちで、ランサーとバゼットは研究室を後にする。
ガラスが液体か固体か。そんな問答をしたのはいつだったか。
あれは確か、男に協力を仰いだ最初の事件だった。ギルガメッシュという男に会い、ホテルを出た後、エミヤはランサーにどちらだと思うか聞いてきたのだ。
あの質問に、己はなんと答えたのだったか。
「ガラスはガラスだ」
「何がです?」
署へと戻る車内。振り返った相棒に何でも無いと手を振った。
そうだ、ガラスが液体であろうと、固体であろうとガラスの本質は変わらないのだと、そう話しをしたのだった。そしてランサーの答えに頷いたエミヤは、けれど世の中には”どちらかに当て嵌めたがる者がいる”と、そう言ったのだ。
その言葉がガラスのことだけでなく、もっと深い部分を指していると、その時もランサーは感じていたが、今なら分かる。エミヤが当て嵌められてきた枠はきっと”性別”というものだったのだ。
思えば、ヒントは至る所にあった。
エミヤはランサーに好意を伝えるとき、言葉を選んでいるようだった。「好き」とは言わず「好ましい」と言った。喫茶店で話しをした時は、女子大生には興味が無いと言っていた。初めてエミヤの家で食事をした時も。ランサーに何かを言いかけて止めた。
男の中で、一体何度葛藤があったのだろう。
ランサーは、エミヤの様子に無自覚ながらも気が付いていた。これでも優秀な刑事なのだから、気が付かない筈がないのだ。気が付いていたのに知らぬ振りを決め込んでいたのは、きっと怖かったからだろう。
エミヤはランサーを真っすぐな正直者だと言ってくれたが、ランサーだって他の者達と変わらない。今までの人生で自分が持っていた考えを覆す感情に、怯え秘匿し、はぐらかした。
「なあ、オレってそんなに、教授の事が好きなように見えるのか?」
「今更ですね、ランサー」
ハンドルを切りながら零した問いかけに、助手席のバゼットは即座に頷いた。
あまりの早さに苦笑する。
「そうか……そうだよなあ」
零した溜め息が白いのは、車内の気温が低いからか、それとも吐息が熱いからか。
良い大人が情けないと、ランサーは再度白い息を吐いた。
EPILOGE
非番の朝。午前9時
ランサーは新都の繁華街を早足で突っ切る。
ガサガサと手の中で音を立てる袋は未だ暖かい。吹き荒ぶ風に晒されて、袋の中の熱が冷めてしまわないように胸に抱えた。
駅前の喧騒とは少し離れた街角の喫茶店。からんと鳴るベルの下をくぐり抜け、暖房の効いた店内に入ると店員がランサーの顔を見るなり訳知り顔で頷いた。もうすっかりこの店の常連だ。窓際の席に目当ての人物を見つけ、勝手知ったると目の前に座った。
「やあ、君か」
男はラップトップに顔を向けたまま、視線だけでランサーの姿を確認すると、再び画面に視線を戻す。ランサーは、つれない態度にむっと口を曲げ、懐に抱えていた袋をわざと大きな音を立てて男の目の前に置いた。なんだ、と顔を上げた男に、中を見るよう促す。
袋の中身はパンだ。それも、ランサー行きつけの店のクリームパン。それ以外にも気に入りのものをいくつか買った。どうしてそうしたのかと聞かれれば、エミヤが喜ぶ贈り物が思いつかなかったのと、自分の好物を知って欲しいと思ったから。
エミヤが袋の中をのぞくと、ふわりとバターの香りが漂う。甘い香りを胸一杯に吸い込んだ男は、ほうと息を吐いて表情を和らげた。
「ああ、いつもの君の香りだな」
パンの香りではなく、ランサーの香りだと。
穏やかなエミヤの表情に、心臓がドクドクと騒ぎだす。腹の奥が妙に熱い。
「なあ、あのさ……っ」
用意していた言葉のはずが、照れのあまりつかえてしまった。ランサーはそんな自分に舌打ちをして、大きく深呼吸をする。
「今から帰って、ソレ、一緒に食わねえか」
エミヤの家でも良いし、ランサーの家でも良い。その提案にエミヤはパチパチと瞬きを繰り返した後、呆れたと首を振った。
「以前も言ったが、君はこんな野暮ったい男と食事をして何が楽しいというのかね」
前に同じ質問をされたとき、ランサーは答えなかった。
分からないからとはぐらかした。けれど、今なら答えられる。
「男も女も関係ねえよ。オレはアーチャー、お前と飯が食いたい」
真っすぐに目を見つめれば、揺れる瞳は分かりやすいぐらい動揺している。
ガラスがガラスであるように、男だろうと女だろうと、”アーチャー”の本質は変わらない。ランサーだって何も変わらない。
ガラスが窓やグラスへと形を変えるように、ただ、二人の形が少しばかり変わるだけ。これからランサーが何を言おうとも、二人の本質は変わらないのだ。
「なあ、帰ったら、お前に言いたい事があるんだ」
「そ、そうか」
賢い男は、ランサーの考えなどお見通しだろう、咳払いでは誤摩化しきれない照れを持て余して、パンの袋を掻き抱いている。
その姿が可愛いだなんて思えてしまって、もう気付かない振りは出来そうも無い。
いい加減認めよう。
本心を言うならば、友人だとか、恋人だとか、この男との関係を陳腐な言葉で表したくはないと、そう思ってはいたのだが。
エミヤはランサーに恋をしていると言った。
ならばランサーは、いや、ランサーも。
エミヤ教授に恋をしている。
エミヤ教授は恋をする 終
Comments
- May 3, 2022