「次の災害で命救うことがゴール」宮城で伝承について語り合うシンポ
地域や世代を超えた被災地の語り部が集まり、伝承について語り合う「全国被災地語り部シンポジウムin東北」が1~2日、宮城県南三陸町の南三陸ホテル観洋であった。300人超が参加。東日本大震災から15年の節目に、伝承のこれまでを振り返り、これからを考えた。
町地域観光復興協議会、阪神・淡路大震災で出現した野島断層を保存する北淡震災記念公園の語り部ボランティアなどの民間組織でつくる実行委員会が主催。企画の中心になっているのは、従業員や町民が被災地を案内する「語り部バス」を運行している南三陸ホテル観洋で、今回が11回目となる。
阪神・淡路大震災の先輩語り部から学び、各地で奮闘している語り部同士のつながりをつくろうと始まり、ホテルのほか、兵庫県淡路市、熊本市、神戸市などの被災地を会場として続けている。
メインディスカッションでは、岩手県陸前高田市の語り部「くぎこ屋」の釘子明代表、宮城県石巻市の震災遺構大川小学校で活動する「大川伝承の会」の佐藤敏郎共同代表、福島県の「富岡町3.11を語る会」の青木淑子代表が登壇した。
釘子さんは「震災10年の時がコロナ禍に重なり、その後2年は全く活動はないような状況」と振り返った。「どのような形で語り部を続ければ良いのか非常に悩んだ。(60代後半の)年齢を考えると、あと何年話せるかな」と不安も口にした。
佐藤さんは「この15年で大川小を震災遺構として残すことができたのが大きかった。どう生かすかが今後の課題」と話した。さらに、宮城県内の新任校長や新教員が大川小を防災研修で訪れるようになったことに触れ「本当に多くの人が向き合ってくれるようになった。ただ、次の世代やこれから被災地になりそうな所にどう伝えていけば良いのか。じっくりいきたいが、のんびりしているわけにもいかない」と話した。
青木さんは「原子力災害が加わり、複合災害になったのが福島の災害。まだ災害は終わっていない」と他県との違いを強調。建物は残っていても人が消え、コミュニティーが崩壊した状況を「分かりにくい災害」と表現した。「だからこそ語らなければ分からない。そんな中でも、語り部活動を自走させるためには、人を育てることが重要だ」と訴えた。
次世代の語り部活動に関わる若者が意見を交わすセッションもあった。偶然にも、5人のパネリスト全員が県外出身者で、被災地での震災体験がなかった。
東北大の学生で、留学生を対象にした伝承や大川小での学生語り部に取り組む若生みりあさんは大阪府出身。両親が仙台市出身だったことが縁で震災や復興に関心を抱き、今は学生ボランティア団体の代表を務める。「生まれ育った場所ではなく経験もしていないのに、私が引き継いで良いのかと葛藤がある」
これに対し、神戸大の学生で、地域活動に参加しながら阪神・淡路大震災の語り部に挑戦している野々内日向さんは「被災していない立場だからこそ、教科書でしか地震や津波を知らない人たちに近く、自分の感じたことや思ったことを通して伝えやすくなるのでは」と応じた。
語り部バスの活動を続ける辻元惇さんも埼玉県出身で、震災後のボランティアがきっかけでホテルの従業員となった。最初は若生さんと同じような葛藤があったが、今は無くなったという。「長い年月が経つにつれて経験者だけでは限界が来る。風化させないためには経験していない人間もしっかり語り継ぐことが大切」と話した。
最後はそれぞれが何を紡ぎたいか宣言した。辻元さんは「(これからの若者が)スタートラインに立つ伝承のきっかけを紡ぎたい」と意気込んだ。野々内さんは「語り継ぐことがゴールではなく、次の災害で命を救うことが語り部のゴール」と力を込めた。