グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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>>>>>> 月を追う者(6)

 

 霊獣について、ひとつ、ほぼ確実に言えることがある。

 霊獣自身にこちらの武器による攻撃は有効だ。なぜなら、こちらの攻撃を避け、あるいは身を守るから。

 

 そういった対処をするということが、その攻撃を脅威として認めているということの証左になる。まともに効きもしないことが分かっているのであれば、そもそもこちらのことなど気にも留めないだろう。

 実際に、堅牢な甲殻を持つ鎧竜や重甲虫といったモンスターは、初めのうちは自らの守りが雑で、追い払うことを意識している節がある。

 対して、霊獣からはそういう雰囲気は感じられない。初めから自らの守りを固めることに余念がない。

 

 そういう意味では、ある意味古龍らしからぬ存在と言えるのかもしれない。逆に言えば、古龍もまた生き物であるということか。

 しかし違う。論点はそこではなく、霊獣キリンは間違いなく古龍だと断言できる。その理由は、一時も尽きることなく呈され続けていた。

 

「来るぞエルタ……避けろ!」

 

 ヒオンの警告と共に、エルタの方へと身を翻し前足を振り上げた霊獣キリン。その角がこれまでよりも遥かに太く長く伸ばされているのを見て、エルタは舌打ちしながら大地を蹴った。

 その直後、霊獣がその頭部を勢いよく振り下ろす。瞬間、その角に込められていた冷気──角を巨大化させていた氷が解き放たれる。

 

 どんっ、という大砲のような音が響き、先ほどまでエルタがいた空間が氷の結晶によって埋め尽くされた。

 さらにもう一撃。ぎりぎりの回避になる。酷使されて震える足を叱咤し飛び退けば、その足のつま先から鋭い痛みが伝わった。見れば、防具の足先が氷に包まれている。急いでつま先を地面に叩き、泥を落とすように氷を払った。

 

 角に押し固めた冷気を直線状に叩き付ける攻撃。ブレスとは異なり、押し寄せる波のような印象を与える。しかし、それが遠くまで届くのには瞬きほどの時間も要さない。

 直線状にあった小川の水が針状の氷の山へと姿を変える。さらにその先にある滝の、崖から流れ落ちる水の一部までもが瞬間的に凍り付き、美しい氷像を形作った。

 

「それ飛び越えといてくれ! それまではオレが受け持つ……!」

「了解した!」

 

 エルタから霊獣を挟んで向かいにいるヒオンからその言葉を聞き、エルタはポーチから栄養剤を取り出して飲もうとした。

 しかし、その指を思うように動かせない。取り零して地面に落ちた栄養剤を土ごと手掴みし飲み干す。手の感覚を確かめ、手のひらを開いたり閉じたりした後にソルブレイカーの柄を握りなおす。

 

 手がかじかんでいる。グローブ越しの手の皮は血の気を失って真っ白か、あるいは凍傷で真っ赤になっているだろう。

 凍土でもないこんな場所で、だ。極度に気温が低下しているわけでもない。寒く、霧が出ていることは確かだが、激しく動いて身体が火照っている今では涼しいとすら感じられるほど。

 その深刻な手足の状態は、全てが純粋にこの霊獣の攻撃によるものだ。

 

 霊獣キリンの生み出す氷についても、相対しているうちに分かってきたことがあった。

 ひとつ。創り出された氷柱は、その場に与えられた冷気によって維持されているということ。

 

 基本的に氷柱は空洞だ。重ねてその結晶を構成する氷はとても薄い。放っておけば勝手に砕け散るのはこのためだ。

 翻せば、氷柱が砕けるまではその形を維持できるだけの冷気がまだそこに在るということになる。

 つまり、氷柱の傍に近づいてはいけない。体当たりで崩そうとするなどもってのほかだ。瞬く間に体温を奪い取られ、低体温症に近しい大きな消耗を強いられる羽目になる。

 口で言うのは簡単だが、実践は難しい。霊獣の攻撃への対処に手一杯になっていたら、いつの間にかすぐ背後に氷柱が出現していたことなど、ざらにある。実際、エルタは何度かそれに手足を踏み入れてしまったが故にこうなった。

 

 ひとつ。恐らくかの古龍が創り出す冷気に際限はない。

 簡潔だが、これが何より恐ろしく、そしてかの霊獣を古龍たらしめている要因だ。

 

 かの空の王者リオレウスですら、そう何発もブレスを連発することはできない。あれは中身を伴わない吐息なので効率は良いが、それでも確実に体内で減り行くものがある。

 対して、かの霊獣はどうか。もう大型の竜相手でも数体程度は倒してしまえるだけの氷を放ったはずだ。その代償として消耗を強いられている様子はないか。

 

 ない。一切ない。かつても今も、きっとこれからも。

 その冷気を行使し続けるのだろう。まるで息をするように、自らの身長や重量を超えた量の氷を生み出し続けるのだろう。冷たく静かな霧を引き連れて歩むのだろう。

 この世界に生きる者たちは皆すべて縛られているはずの理が一つ、解かれているのだ。思い知らされる。これが古龍かと。

 

 しかし、ただただ圧倒されてばかりではいけない。エルタたちは、これを狩ると公言してきたのだ。

 驚くべきことに、雷を司るとされる幻獣キリンはバルバレでの狩猟報告がある。古龍は狩猟可能なのだと、ハンターの歴史が証明している。

 

 バルバレの伝統武器である操虫棍の使い手であれば、この氷も難なく突破できるのかもしれない。

 そんなことを考えながら立ち塞がっていた氷の針山を越えたとき、同方向にヒオンが吹き飛ばされてきた。

 

「づっ、あ……! くそっ」

 

 この様子だと、またあの健脚で蹴り飛ばされたか。何とか受け身は取れたようだが、痛みを堪えているような顔をしている。先ほどろっ骨が折れたかもしれないと言っていた。それが効いてきているのかもしれない。

 容赦なく霊獣が突進してくるが、その相手はエルタが受け持った。ヒオンに比べて、エルタの方がまだいくらか余裕はある。

 

「助かる……!」

「アレまでの、距離はッ」

「もうちょっと、あと五十歩くらいのところだ! それまで堪えられるか!?」

「やってみせる……!」

 

 荒い息を吐きながら、ヒオンはエルタの問いに答える。

 先ほどのように氷の波濤に行き先を阻まれないように気を付けながら、霊獣の猛攻を掻い潜る。角、脚、氷、冷気。

 その蹄で蹴られ、角が掠めればそこから氷が生えてくる。何気なく漂う冷気や地面から生えた氷柱に武器が触れれば変形機構に支障が生じる。

 

 そう。武器の潤滑油を凍らせてくるのだ。この古龍は。変形武器にとってこれは致命的と言っていい。実際、ヒオンのソルブレイカーは内蔵された滅龍ビンがほとんど封じられてしまっている。

 氷結袋持ちのモンスターのブレスを受けたときなども起こりうるので特異というわけではないが、未知の樹海でそれが起こりうるとは流石に予想できなかった。

 

 それでも、泣き言は言っていられない。エルタたちは攻め込まなければならなかった。自らの身を守り、さらに目的を達するために。

 氷の鎧は全身を覆えない。あくまで、無防備な背中周辺のみ。何十回かの試行でそれも分かっている。狙うは頭部、腹。それに脚部だ。

 剣は封じられているが、斧の特性である破壊力のある斬撃の通りは悪くない。浅くても傷つけられるというのは、まったく血が流れないことより遥かに意味がある。

 

 とにかく攻める。攻撃のためにこの古龍に力を振るわせてはいけない。相手が攻撃に集中すれば、生き物としてのスペック的に圧倒されることは分かり切っている。

 防御、あるいは迎撃のために力を行使する状況を可能な限り増やしていくことが、こちらにとっての防御手段になりうる。

 

 かつてないきつさだ。想定よりもずっと早く強走薬を服用して疲労をごまかしているエルタだが、それでも酸欠になりかけるほどに体が酷使されている。

 しかも、二人は今、霊獣をある場所へと誘導しようとしている。そのことも頭に入れなくてはならない。

 古龍は総じて知能が高い。これ見よがしに待ち伏せをすれば警戒されることは目に見えている。故に、果敢に攻め続けて、その実ほとんどが決死の防御に等しいものであっても、そのように見せかけて、霊獣を騙し通す。

 

 それでいい。その方が性に合っている。そのための数年間の訓練だ。

 肩で息をして、顎から泥や血、汗を滴らせながら前を向く。小川の中を何度も転がされ、地面に叩きつけられ、氷が頬を切って汗が染みるのも厭わずに立ち上げるエルタは、既に全身を泥まみれにしていた。

 

 無論、それはヒオンも同じだ。ヒオンが攻撃を挿し込み、ときには霊獣の相手を受け持つことでようやく戦いの体を為せている。

 ここにきて身体能力がエルタより劣っていることが響き始めているが、ウルク装備は氷や冷気に対し高い耐性を持ち、武器も纏わりつく氷を強引に剥がせる炎斧で霊獣と噛み合いがいい。それらの恩恵を受け、ヒオンもエルタに追随している。

 そもそもヒオンは狩りの算段や突破口を見出す役。それを兼任しながら古龍を相手できていることが凄まじいのだ。

 

 せめて彼の戦術の駒としての役割を果たせ。その知識で困難な狩りからエルタを生還させてきた技量を信じろ。

 霊獣の懐に潜り込み、逆手に持った斧でその顎を思い切りかち上げた。その表皮から血が滲む。眼光の殺意が増す。

 氷を纏って伸びた角が振り回される。後退ってそれを避ければ、霊獣が一歩前へと進む。それを何十回と繰り返す。繰り返してみせるのだ。

 

「────辿り着いたぞ! そこで引き留める!」

 

 いよいよ視界も霞んでこようかという頃に、ヒオンが大声でそう言った。

 僅かな隙の合間に周囲を見れば、いつの間にか小川から離れ、森の木々がすぐそこまで迫っていた。

 致命傷を負わないままにここまで誘導できた。それは喜ぶべきことだが、ここに霊獣を引き留めなくてはならないという。

 拘束用バリスタなどという対龍兵器がこの森にあるわけもなく、竜相手に使う罠などこの古龍相手に一秒だって時間を稼げないだろうことは明らかだ。

 

 少しの間でいい。動けないほどの物理的なダメージを。

 そのためには、ヒオンの盾斧がどうしても必要になってくる。エルタのソルブレイカーではそこまでの有効打を打てない。

 

「斧を脚に当てろ、ヒオン!」

「やっぱそうなるよな……!」

 

 霊獣の意思に従って次々と地面を貫いてくる氷の針山を掻い潜りながら、エルタは唐突に音爆弾を持ちだしてその信管を抜く。

 直後、甲高い音が森中へ響き渡った。霊獣が驚くように足を止める。これまで刃ばかり使ってきた生き物が突然こんな音を立てれば流石に訝しむだろう。

 一度きりしか使えないはったりだが、二人が同時に懐に潜り込む隙を作れれば対価として十分すぎる。エルタの斧がその前脚を叩き、霊獣の腹下を潜り抜けるようにして、ヒオンが腹に斬撃を入れた。

 

 霊獣が嘶く。全身から怒気という名の冷気を生み出し、その角を巨大化させる。

 背後にあるものにその氷を当ててはいけない。エルタは咄嗟に霊獣の脇へ逸れ、攻撃方向を誘導した。

 放たれるは凍てつく一刀。あるいは砲弾。その直線上にあった大木がその枝の先まで一瞬にして凍り付き、霜づいた葉を降らせながら倒れていく。

 

 まだ角に冷気は残っている。必殺の二撃目が来る。

 大きく上体を逸らし一撃目を回避したであろうハンターの行方を目で追った霊獣は、その足元から迫る刃を見た。

 冷気に触れて切れ味が鈍っていることに構うことなく、いや、むしろそれを活かすかのように全力で叩き付けられたソルブレイカーの斧が、霊獣の顔を僅かに逸らした。

 結果、その一撃はあらぬ方向へと飛んでいき、自身の攻撃によって斬撃の威力を上乗せしてしまった霊獣は軽く頭を振る。

 

 その隙を見逃すものか。

 

「せぇっ!!」

 

 これまでの斬撃とガードの衝撃力を振動に転換して。

 遠心力を最大限に活かした炎の斧による横殴りが、霊獣の後ろ足の関節部を強かに捉えた。

 入った。今度は氷の鎧で防がれていない。

 

「エルタ離れろッ!」

 

 ヒオンに言われるまでもなく、エルタは次に取るべき行動をこなしていた。よろめく霊獣を押しのけて、ヒオンの元へ。

 ヒオンが取り出したのは、竹筒に包んだ固形火薬だ。攻撃の反動で痺れる腕を何とか動かし、炎斧ハルバリオンにそれを擦過して着火。霊獣を飛び越すように放り投げる。

 ヒオンの投擲の腕はかつてのネルスキュラ戦で証明された。例え腕の感覚がなかろうと、細心の注意を払って放たれたその竹筒は、森の茂みへと吸い込まれていく────。

 

 一秒後。特大の炎と共に、轟音がその森を震撼させた。

 周囲一帯が煙に包まれる。火薬に特有の匂いと木々の破片が当たりに撒き散らされる。

 

 ヒオンが竹筒を放り投げた先には、二人が運んできた荷車が置かれていた。中に入っていたのは支給用の大樽爆弾だ。

 その数は四つ。ギルドが一個人のハンターに許す破壊行為の許容量としても、人力で運べる量としても最大数だった。

 わざわざ崖の上まで持ってくる必要はないからと、下の方に置いていたのが功を奏した。危険を冒してでも利用する価値が十分にある代物だ。

 

 人が生身でその爆発を受ければ、即死も十分にあり得る。鳥竜の長くらいであればこれだけで仕留めきれるかもしれない。それだけの威力がある。

 煙が晴れていく。ヒオンたちは緊張を高めた。その跳躍力で飛び越えられたり、氷で壁を作られていたりなどしたら作戦は水の泡となるが、果たして。

 

 かくして、その煙の中から、その身を投げ出した状態から何とか起き上がろうとする霊獣の姿が見えた。

 直撃だ。効いている。この古龍には火力が有効なのは分かった。しかし、爆心地から木々も地面の土すら抉り取られて吹き飛んだ中で、五体満足で生きていることも凄まじい。

 

 エルタが疾駆する。情けなど狩りには不要だ。弱っているならその瞬間を叩く。

 その眼を狙う。ヒオンと同様に遠心力を乗せて叩き付けられたソルブレイカーの斧に霊獣は反応できず、その顔から多量の血が噴き出した。

 ヒオンも追随しようとするが、まだ反動の感触が消えないのか、手に持った剣を取り零してしまう。もどかしそうに手を振った。

 

 ならば自分が追撃を入れようともうひと踏ん張りしようとしたところで、エルタは目の前に立つ霊獣の異常に気付いた。

 ぎしぎしぎしと、固形物が圧縮され、軋むような音が辺りに響く。これは氷の音か。

 同時に、霊獣の身体に触れていたソルブレイカーに夥しい量の霜が生え始め、反射的に斧を引いて半歩後ろに下がる。

 

「これは……!」

 

 瞬く間に周囲の景色が白に包まれていく。これは、()()()()()()()()()()

 その場から離脱しようとしたヒオンは後方を振り返り、直後にまた身を翻して、駆けてきたエルタの腕を引いてその前に出る。これまでにない焦りの表情を浮かべながら。

 

「ヒオ────」

「伏せろ!! 逃げられ」

 

 ぴし、と。空気の最後の悲鳴はあっけなく。

 

 エルタの前に出て盾を構えたヒオンの言葉は紡がれることなく。

 二人を中心とした周辺の大地は、ただ静かに。

 その空間だけがその他から切り取られて、凍土すらも生温い氷雪に塗り固められ、そこは命の鼓動すら聞こえてこない地であることを定められて。

 ただただ、静かに。

 

 音を無くし、色を無くし、熱を無くす。

 果てしなく冷たい世界が、そこに顕れていた。

 

 エルタは体勢を低くしようとしたまま動かず、ヒオンの口は言葉を紡ごうとした形のまま硬直している。

 霊獣もまた、ふらふらと脚がもつれて追撃ができるような状況ではなかった。大きなダメージを負った直後に放たれたそれは、霊獣の生存本能の表れでもあり、負担の上乗せとなっている。

 

 数十秒が経って、ヒオンの口からごぼっと多量の血が吐き出された。それだけでなく、穴という穴から血が流れ出す。頬を伝ったのは、血の涙だ。

 何もかもが白く染まったその地の中で、霜に浸されていくその赤は印象的に見える。

 

「は……は……。……なんだ、それ……反則、だろ…………体の、中も……凍らすのかよ……」

 

 汗や水気は当然のこと。鼓膜や目の粘液も例外なく。口を開けていたものは食道から肺、そして胃液に至るまで。

 全てが瞬時に凍結し、結晶化して表皮を突き破った。そこから血が溢れ出したのだ。

 

 後ろにいたエルタも似たような状況だった。盾などで防ぎようもない全方位攻撃だ。口元を押さえてもその隙間から血が地面に零れ落ちていく。頭が割れそうなほど痛い。まさか影響は脳にまで及んでいるのか。

 

「エル……タ……生きて、るか……? 動ける、か……?」

「あ、あ……」

「……よかった。ほんと、よかった。いま、あいつ……動けない……みたいだしさ。こっちも、動けるように……なんないと」

 

 酷い耳鳴りがする。視点が定まらない。目玉が溶け落ちそうだ。

 だが、そう。思考は死んでいない。今生きているということは、あの全凍結は一瞬のみで、今はその冷気が残留しているだけということ。それで今死んでいないなら、動けるはずだ。復帰できる。

 

 地面に触れていたほうの手を見ると、滲んではいるがそれも真っ赤に染まっていた。まさか、体内を流れる血液までも凍って皮膚を貫いたのか。

 ヒオンが笑う気持ちも理解できる。あまりにも理不尽な力だ。この未知の樹海が、あの一瞬だけは凍土をも凌駕する極寒の地と化していた。そんなおとぎ話のような現象がまかり通ってしまっている。

 

「そう……だな。まだ……狩りは、終わっていない」

 

 体を覆う氷の殻を破るように。

 凍傷で真っ赤になった全身を砕き割るようにして、全身全霊をかけて、体を数ミリ動かす。全身を針で刺されたかのような強烈な痛みをも動力として、僅かずつ、少しづつ身体の在り方を取り戻していく。

 

 何度でも言おう。これが、古龍だ。

 あの日に聞いたおとぎ話のことを思い出した。国一つを一夜にして氷漬けにしたという龍の話。

 恐らくそれは、霊獣のことだろう。意志を持ってその力を行使すれば、遥かな過去の国一つ、今で言うところの街ひとつ程度であれば氷漬けになっても何もおかしくはない。

 

 そして、霊獣についても認識を改める。

 冷気を操る古龍だと思っていた。いや、大方その認識は正しい。ただ、それは付随している力に過ぎず、恐らく本質は別のところにある。

 

 この古龍は、きっと。

『この世界で、最も冷たい空間を創り出せる』存在なのだろうと。

 

 手が動かせるようになった。ポーチを弄る。

 震える手で巾着袋を取り出した。中に入った丸薬を摘み取ることなどできない。地面に転がして氷ごと喰らう。

 秘薬。ただの延命処置とも称される、長い目で見る命を削って今の命を繋ぎとめるような丸薬だ。

 

 ヒオンは炎斧ハルバリオンを抜き取り、自らの顔に押し付けた。

 じゅっ、と音を立てて、湯気が登り立ち皮膚が融かされ焼かれていく。あまりにも強引なその解凍方法に、皮膚が耐えられるはずもない。それでもヒオンは、瞼すらその刀身に押し当て、その氷を引き剥がす。

 

「やっと口が、回るようになってきやがった……ごほっ……この剣を凍らせることは、できなかったみたいだな」

 

 あるいはそれは、空の王者の矜持か。加工屋の執念か。その雪兎の防具も冷気の侵食は防ぎきれなかったようだが、命までは凍らせなかった。それだけで称賛に値する。

 二人が白銀の世界から戻ってくるのを待っていたかのように、霊獣が嘶く。現実にはただ互いが戦意を取り戻すタイミングが一致しただけなのだろうが、どちらも極力早く復帰を志したはず。それが被るというのも粋なものだ。

 

「オレは、オレの目標のために、おまえを狩るぞ。死にかけるくらいは、礼儀で捧げてやるさ……!」

 

 凄絶な笑み。胸中に身勝手な狩りへの罪悪感があるのを否定せず、そのエゴを飲み干して笑う。それでも狩ると言い切ってみせる。

 エルタは黙って立ち上がった。ヒオンの後姿を見る。

 やはり、少女のよう。本人が言ったように、ぼろぼろの死にかけといった様子だ。

 

 けれど、その想いはどこまでも真っすぐで。

 視界が血で赤く染まっていても、エルタには眩しく映った。

 

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