グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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>> 月を追う者(2)

 

 ネルスキュラは本来、湿地帯や洞窟などに住処を構えるモンスターらしい。捕食対象であるゲリョスと同じ生息域であるのは、理に適っていると言えるだろう。

 こういった森の中に縄張りを構えるのは珍しいことだ。ただ、この地も連立する巨大樹の枝葉が上空を覆い尽くしてしまっていて、昼でありながら辺りは薄暗い。そういう意味では、居着きやすかったのかもしれない。

 

 いや、そういった生態的な理由もあるのかもしれないが、狩人として戦っていて、直感的に分かることがある。

 ここほど、ネルスキュラが自らの本領を発揮できる場所もなかなかない、ということに。

 

「ちっ、また逃げやがった……!」

 

 剣に着いた緑色の血糊を振り払いながら、ヒオンが悪態をつく。彼の見上げる先には、攻撃が届かない高所の枝に掴まるネルスキュラの姿があった。

 大きさの割には、枝がしならない。ひょっとするとイャンクックよりも身軽なのかもしれない。

 

 恐れていた通り、エルタたちはかのモンスターに翻弄されていた。二人とも近距離武器を担いでいるため、高所に逃げられると打つ手が途端に少なくなってしまう。

 護衛任務で使っていたボウガンを持ってくればよかったか、と一瞬後悔がよぎったが、初心者の域を出ない腕では牽制が精いっぱいだろう。むしろ、照準を合わせようとしている隙を突かれ、危険な目に遭いかねない。

 

 かの大蜘蛛は、少しでも自らの不利を悟ると糸を張ったり木に登ったりして自らを高所に逃がし、機を窺ってまた襲い掛かる。

 身軽とは言っても、人より遥かに重いことは確かだ。それが頭上から落ちてくるというだけでも大変な恐怖がある。

 

 胴の大部分を占める尻尾から、人の身程の白い球が放たれた。

 粘着弾だ。浴びてしまうと、まるで深い沼に全身が嵌ったかのような拘束を強いられる。そうやって身動きがしにくい状態にしてから飛び掛かる算段なのだろう。

 エルタたちを的確に狙ってくるそれを、ヒオンと共に避ける。速度はないため回避はそう難しくないが、問題はそのあとだ。粘着弾は地面に残留する。それを踏んでしまったら最後、その場に縫い留められる羽目になる。

 

 ばちゃばちゃと地面に撒かれる粘着弾によって、エルタとヒオンの行動範囲が徐々に狭まっていく。

 ただ、それは相手も同じだ。いかにモンスターとは言えど、無尽蔵に粘着物を生成できるわけではない。痺れを切らして地上に降りたてば、不利ながらも同じ土俵に立てる。

 

 再び地上に立ったネルスキュラは、四本の脚を不規則に上げ下げした。何を考えているのかが読めない。ただ、外敵の排除に執心しているらしいことは分かる。

 ヒオンが剣を握ったまま駆けていく。ネルスキュラは発達した爪でヒオンを捕らえようとし、彼はそれにもう片方の手に装着した盾を掲げて受け止めることで応えた。

 

 がき、と硬質なものがぶつかり合う音が響き、両者は拮抗した。

 いや、それは見た目の上での話だ。所詮、盾を持つのは人の腕に過ぎない。モンスターの膂力をもってすれば、簡単に押し込める。

 しかし、そうなる前にヒオンは迎撃の方法を変えた。

 

 両足で踏ん張りながら、その盾にもう片方の剣を差し込み、鍵を差し込むようなひねりを加える。そして、強引に盾を回し込み、両手で剣を引き抜いた。

 ヒオンの頭上で盾を押し込んでいたネルスキュラからすれば、ヒオンが盾を捨てて鍔迫り合いから抜け出したかのように感じただろう。実際、それはその通りだ。

 ただ、その盾は捨てられたのではない。ただ、その在り方が変わったのだ。

 

 斧変形。剣は柄へ、盾は斧へ。ヒオンの持つ近衛隊正式盾斧は両刃の斧に姿を変えた。

 ネルスキュラの懐に潜り込み、上体を思いきり反らしたヒオンは、全力でその斧を振り回しにかかる。

 

「だぁぁっ!」

 

 斧に引っかかっていた前肢の爪を強引に引き剥がし、反動をそのままネルスキュラの前脚にぶつける。それはまるで、大木に斧を打ち付ける木こりの動きを大袈裟にしたかのようだ。

 さらに、剣から斧に伝えられ、衝撃波のように伝播する榴弾ビンが斧の一撃に拍車をかける。みしり、という確かな手応えが音となって伝わった。

 

 これには流石のネルスキュラも応えたようだ。金属が軋むような鳴き声と共に、数歩よろめく。

 さらに、エルタが追撃を仕掛けた。ヒオンが狙った方とは反対側の脚を、斧で打ち叩く。

 そう簡単には刃は通さない。しかし、それでいい。斬撃に特化して一撃は軽くなる剣モードよりも、振りの重さに特化した斧モードの方がこの場合は適している。

 ネルスキュラの甲殻はかなり堅牢だ。しかし、種としての構造上、その脚は細く仕上がっている。あれらを一本でもへし折ってしまえば、機動力は大きく低下するだろう。

 

 ネルスキュラもまた、本能的にそれを理解しているようだ。ばねのように全身を撓め、大きく跳び退いてエルタたちと距離を取った。

 

「ヒオン、大丈夫か」

「へへっ。あいつが下がる前に、剣で脚の付け根を突き刺してやったぜ。かなり効いたはずだ」

 

 やや粗い息を吐きながらも、ヒオンは不敵に笑っていた。いつの間にか斧だったものは剣と盾に戻っている。

 その雪兎のような防具の見た目から来る印象とは異なり、かなり活発に動くようだ。いや、跳ね回る兎を想像すれば、あながち意外でもないか。

 

「逃げ回られたら厄介だしな……追撃、いけそうか?」

「分かった」

 

 狩猟中は呑気に話もできない。二人の会話に割って入るようにして飛来した粘着弾が、次の行動への合図となった。

 ネルスキュラは樹上に逃げず、地上で待ち構えている。エルタたちは木の根や茂みを飛び越えたり掻い潜ったりしながら、別々の方向から接近を試みた。

 

 その辺の木々には、細かな糸が張られている。保存庫の食糧が喰われて、吊り下げられていた糸が舞い落ちてこうなったのだろう。

 移動しているとこれが纏わりついてきて鬱陶しい。やはりここは、このネルスキュラの城なのだ。一時撤退を繰り返しても、遠くに逃げようとする気配がないのはそのためなのだろう。

 

 人の都合で容赦なく狩らせてもらう。しかし、それは相手にも言えること。ここに縄張りを構えてから幾人もの人を屠ったのだろうし、それらしき遺体が吊り下げられているのも双眼鏡で見た。

 まして、ここはあちらの本拠地だ。狩られる側にいるのはむしろ、エルタたちの方だった。

 

「うあっ!?」

 

 僅かにエルタの耳に届いた、くぐもったヒオンの呻き声。咄嗟に反応したエルタよりも、ネルスキュラの動きの方が早かった。

 音もなく、かつてなく俊敏に動く。蜘蛛の巣に引っかかった昆虫を捕らえる蜘蛛の動きだ。せわしない脚さばきは、見ていてぞっとするものがある。

 

 ヒオンは、窪地と木々との間に幾重にも張られた網に捕らえられていた。ネルスキュラに近づくために倒木を越えたところで、気付かずに引っかかってしまったのだろう。

 ヒオンが囚われているそれは、普段見る蜘蛛の巣のような形状には見えない。どちらかと言えば、ただの足場のようなもの。

 

 ただ、ネルスキュラにとって、自らの張った網から伝わる振動は、あるいは視覚よりも優位かつ的確だ。まさに獲物を捕らえる動きだった。

 捕獲を目的とした糸ではない。粘着性は低く、全身から飛び込んでしまったヒオンも既に抜け出そうとしている。しかし、あと少しというところで間に合わない。

 

 ネルスキュラは生物学的には鋏角種に分類される。

 ぱっと見では口先にあるくらいの目立たない部位が、その由来になっているのは何故か。

 

 ヒオンの目の前に辿り着いたネルスキュラの鋏角が、めきりと伸びた。

 

 それは人の身長を優に超える。ネルスキュラの最大の武器だ。これを以て、ゲリョスやケチャワチャといった大型モンスターを仕留める、まさにネルスキュラの象徴だった。

 ヒオンの表情が再び強張った。咄嗟に自由に動く右手でポーチを弄って閃光玉を取り出したが、ネルスキュラが鋏角を挟み込む方が速い────! 

 

 ばちん! という、鋭く生々しい音が響いた。それと同時に、森の中が閃光に包まれる。

 ネルスキュラにも閃光玉は有効らしい。追撃を仕掛けようとしていたようだが、たたらを踏んで後退る。

 不幸中の幸いか。しかし、ヒオンもまた無事では済まなかったようだった。

 

「づっ、ぁ……! ……っ……っ!!」

 

 首だ。首筋から顎にかけて切り裂かれている。ウルクススの毛皮でも流石に防ぎきることはできなかったか。

 ただ、その様子がおかしい。喉まで裂かれたかと危惧したが、そこまでではなく骨が露出する程度だ。その程度であれば、狩人にとっては日常茶飯事の範疇に入る。

 

 ヒオンの痛がり方は尋常ではなかった。

 大粒の涙を零し、自らの首を絞めつける勢いで傷口に手を押さえている。声は出せても、言葉を口にすることができなさそうな様子だった。

 まるで、経験したこともない痛みに襲われているかのような────。

 

「激痛毒か!」

「ぇる……あい、つの……どく…………ふつ……じゃ、なぃ…………っ!」

 

 息も絶え絶えになりながら、涙声でヒオンは訴えかける。

 ネルスキュラの毒は、その食性に依存する。ゲリョスを捕食せずに、イーオスやアルセルタスを喰らってきたこの蜘蛛は、その毒をより凶悪に変質させたのだ。

 

「解毒薬はある程度有効なはずだ。下がって様子を見てくれ」

「ごめ、ん…………そう、させ……もらぅ……っ!」

 

 激痛に顔を歪めながらも、なんとか立ち上がったヒオンは木々の陰にふらふらと走っていった。

 この蜘蛛が相手では、隠れても視覚以外で容易に感知されるかもしれない。ただ気休めにはなるだろう。エルタが近づけさせなければいい話だ。

 閃光玉によって錯乱状態に陥っていたらしいネルスキュラが、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。ヒオンの咄嗟の判断を内心で労いつつ、かの蜘蛛の注意を引くためにエルタは一人で走り出した。

 

 

 

 ヒオンが戦線に復帰したのは、それから十分ほどが過ぎた頃だった。

 見れば、包帯越しからでも分かる。首筋から顎にかけての傷跡周辺がどす黒く変色していた。思わず大丈夫かと尋ねたが、ヒオンは気丈に振る舞っていた。

 実際、まだかなり痛いのだろう。涙の跡も隠しはしていなかった。しかし、本人が大丈夫と言うのだ。よほど調子を悪くしていない限り、止める理由はない。

 

 それからさらに数時間が経ち、狩りはひとつの区切りを迎えつつあった。

 

 四本あったネルスキュラの脚は、そのうちの一本が砕かれて使いものにならなくなっていた。ヒオンが斧で打ち叩いた方の脚だ。

 しかし、エルタたちの予想に反して、ネルスキュラはバランスこそ悪くしたものの、三本足でも縦横無尽に森の中を跳び回る。

 

 ただ、ダメージは確実に蓄積されている。

 エルタたちを地上に置き去りにして、高所に吊り下げた保存食を食べようとしていたところを、ヒオンがブーメランを使って落下させた。あれが大きかった。

 強い張力のかかった糸は、すこし傷つくだけで一気に千切れてしまう。まるで曲芸のようだが、偶然ではなく、静止した的ならばよほど遠くにない限り数回で当てられるらしい。エルタは素直に称賛を送った。

 

 ネルスキュラも命の危険を感じてか、攻撃が苛烈になっていた。ヒオンもエルタも、爪で裂かれたり脚の下敷きになってりして、小さくない怪我を負っている。

 特に、あの鋏角による攻撃は凄まじい。エルタも太腿にあれを受けたが、少し裂かれただけで筆舌に尽くしがたい痛みが全身を駆け抜けた。傷口は赤黒く腫れあがり、しばらく走ることすらできなかった。

 絶対にあれをまともにくらってはいけない。胴体などをざっくりと裂かれたなら最後、ショックで気絶してしまいかねない。

 

 そして、今もまた。

 高いところの枝に糸を伸ばし、それに尻尾でぶら下がって振り子のように空中を揺れ動いたネルスキュラが、エルタを抱きしめるように脚を開いて飛び掛かった。

 回避が間に合わない。舌打ちと共に激突され、羽交い絞めにされて空中に連れ去られる。

 

「ごっは……」

 

 リオレウスに鷲掴みにされて空に連れ去られたときもこのような感覚なのだろうか、と場違いなことを考えた。

 大型モンスターの突進をまともに受けたのにも等しい衝撃で、胃の中のものがぶちまけられる。しかし、気絶していないだけで次第点だ。

 ぎちぎちぎち、と大蜘蛛の口が開く。鋏角を伸ばすまでもない。強烈な上下動で捉えた生物の平衡感覚を狂わせ、その間に目と鼻の先にある肉体に噛みついて直接毒を打ち込めば、それで終わりだ。

 

 なんとか抜け出そうとするが、長い爪はエルタの胴を鬱血させるほどに強く掴んで離さない。手に持つ武器も力強くは振るえず、有効打にはならなさそうだ。ならば、どうするか。

 あのときのヒオンのように、手だけなら動く。

 ポーチから拳大の物体を取り出して、今まさにエルタの脊髄に喰らいつこうとしていたその口の中に腕ごとそれを突っ込んだ。生暖かい感触。咥内でそれを握り潰す。

 

 紫煙がネルスキュラの咥内から溢れ出た。恐らく初めて味わう感触だろう。苦悶の鳴き声を上げ、大蜘蛛は無茶苦茶に手足を動かす。

 毒煙玉。旅の途中、ブナハブラやカンタロスといった巨大昆虫の群れに襲われたとき用の道具だ。同系統種というわけではないだろうが、効果はあったらしい。

 

 空中で身を投げ出されたエルタは、受け身を取る間もなく地面に激突した。

 こほっと血の混じった咳を吐き、息が詰まる。肋骨が折れたのか、強い胸の鈍痛に襲われる。しかし、それで済んだだけで儲けものだ。

 

「エルタ! 大丈夫か!?」

「ああ……毒は、受けていない」

「よかった……毒煙玉だろあれ。考えたな」

 

 エルタの元へすぐに駆け付けて、庇うように武器を構えたヒオンに感謝しながら、エルタはその場で回復薬を呷る。

 蜂蜜を添加した高級品だ。魔法のように傷が塞がるわけではないが、体力の消耗は大きく抑えられる。ただ、それも残り数は少なくなりつつあった。

 ネルスキュラは毒煙玉をようやく吐き出し、相当に不快だったのか地上に降り立って口をもごもごとさせている。エルタは何度か咳き込みながらも、ヒオンに話しかけた。

 

「ヒオン。決着をつけたい」

「うん。ただ、決め手に欠けるな。すばしっこくて斧がまともに当てられないんだ」

「あの尻尾が厄介だ。僕がこれからあれを潰しにかかる。その隙を突いてくれればいい」

「……つまり囮になるってことだよな。オレに任せていいのか?」

「ああ、ヒオンになら任せられる」

 

 エルタのその言葉を聞いて、ヒオンは狩場の中にいながら口元が緩むのを抑えられなかった。対してエルタの顔は真剣そのものだ。

 本当は、口を開くだけでも顎から下に激痛が走る。それでも、言葉を交わしてよかった。この短い間にそれだけの信頼を預けてくれるなら、それに応えたい。

 

「よし。じゃあ任せるぞ。死ぬなよな……!」

「了解した」

 

 ヒオンはエルタにそう言い残して駆けて行った。武器を研ぎ、榴弾ビンのエネルギーを充填し、攻勢に出るための準備を整えるのだろう。

 その手間の多さがチャージアックスの欠点とも言えるのだが、それらを経てからの斧の斬撃の威力の高さは、ここに至るまでに証明されている。

 

 今度はネルスキュラが立て直す方が早い。そして、捕食者は弱っている方を集中的に狙うのが定石だ。何を考えているのか分からないネルスキュラにもそれは当てはまる。

 ヒオンを無視し、素早くエルタの元へ詰め寄ってくる大蜘蛛に対し、浅い息を整えながらエルタは正面から向き合った。

 狩人としては、力と機動力で大きく勝るモンスターの正面に馬鹿正直に立つなど愚策もいいところだ。ただ、囮とはそういうもの。ヒオンもまた、エルタを信頼してくれている。

 

 これまでの狩りにおいて、最も警戒すべきは鋏角であることは間違いない。しかし、最も厄介なものは何かと言えば、それは尻尾から吐き出される糸だ。

 かの蜘蛛の圧倒的な機動力は、あの糸によって成し遂げられている部分が大きい。逆に考えれば、あの糸を射出する器官さえ傷つけてしまえば、その動きを大きく制限することができる。

 

 その狙いを実現するには、以前のヒオンのように懐深くまで潜り込む必要がある。その上で、高い威力の定点攻撃を叩き込まなければならない。

 ヒオンの斧では脚が邪魔になるだろう。剣による斬撃では役不足は否めない。エルタの斧も、同じような問題を抱えている。

 

 それが叶うのは、剣モードのスラッシュアックスによる属性開放突きのみだ。

 

 

 

 一分とかからず、エルタは再びネルスキュラに羽交い絞めにされていた。

 それもそのはず、エルタは剣状態のままで立ち回っていた。斧と剣では重心の位置と持ち方が大きく異なり、剣モードでは振りは速いが機動力がかなり犠牲になってしまう。

 もともと、剣モード主体で立ち回ることがあまり想定されていない。そんな状態で戦っていれば、まともに動けないほど弱っているとみなされて、ネルスキュラに執拗に狙われるのも頷ける。

 

 粘着弾を浴びせかけられて、避け切れずに身動きが取りづらくなったところを、がしりと捕らえられた。あまりにも容易かったその拘束劇に、大蜘蛛は歓声のような音を発する。

 鋏角が伸びてくるものとエルタは思ったが、それはしないようだった。あのときに毒煙玉を食わされたことが歯止めになっているのか。代わりに、エルタの狙っていた尻尾が大きく振り上げられる。

 

 まさか。エルタは半身を捻ったが、それを避け切ることはできなかった。

 

 どっ、と。エルタの肩に、ネルスキュラの尻尾から生えた棘が突き刺さった。

 

「あ……がっ……」

 

 防具と自らの皮膚を、易々と貫いて。

 何かが、体内に流し込まれている。

 

 これもまた、言葉にできないおぞましい感覚だ。ヒオンが狩りの前に語っていた。恐らく、即効性の昏倒毒。長く打ち込まれ続けるのはまずい。死が、近づいてくる。

 ただこれは、またとない。エルタの待っていた機会そのもの。

 

 前肢の爪で捕まえられていた武器から手を放し、一旦腕の自由を取り戻す。

 そして、武器を投げ捨てられるより前に持ち手を変えて掴み、別角度から抜き取って、尻尾に向けて切先を思いきり振り下ろす────! 

 

 ソルブレイカーの牙は、弾かれることなく尻尾の内部に突き刺さった。

 異物の感触に気付いたのか、奇声を上げてネルスキュラが尻尾を引き抜く。肩の傷口からは、明らかに異質な色をしたネルスキュラの体液が流れ出していた。

 

 今度はそう簡単に武器を手放すものか。エルタはスラッシュアックスのビン充填部の引き金を弾く。途端に、ソルブレイカーの刀身を赤黒い液体が伝った。

 滅龍ビン。ソルブレイカーが剣モードになった際に使用される、龍殺しの実を原料とするビンだ。その龍属性は液体のように発現し、モンスターの傷口へと毒液のように沁み込んでいく。

 

 ネルスキュラ相手ではほとんど効果を発揮しないかもしれないが、ないよりはましなはずだ。そのまま、属性開放突きへと移行する。

 大蜘蛛はエルタとその剣が尻尾から離れないことに気付き、地団太を踏んでその場で暴れ回ろうとした。

 

「させ、るかよっ!!」

 

 ネルスキュラが身体を撓ませて飛び上がる直前、そのさらに頭上から、斧を掲げたヒオンが降ってきた。エルタが囮になっている間に、木の窪みや若木を巧みに使って高所へと登っていたのだ。

 自らの落下衝撃すら味方につけて叩きつけられるその一撃の名は、高出力属性開放斬り。

 まだ無事だった方の前脚にぶち当たったそれは、強固な甲殻を完全に砕ききった。ネルスキュラの上半身が、がくりと地面にめり込む。

 

「──っ、エルタ!」

 

 大剣の溜め斬りをも凌駕するその一撃の代償は大きい。反動に痺れる腕を庇いつつも、ヒオンはエルタの名を呼ぶ。

 構うな。追撃のために備えろと言いたかったエルタだが、それを口にすることはできなかった。

 

 視界が霞む。今にも意識が途切れそうだ。

 日々の間に自然と訪れるあの微睡みとは比べ物にならない。そんなに生易しいものではない。

 底のない暗闇の中に落ちていくかのような。意識が融かされて、そのまま鼓動すら止めてしまうのではないかと感じられる程に深い誘い。エルタは膝を地面に付きかけていた。

 

 しかし、それでも、目の前の剣は今まさに光を発しているのだ。血よりも黒く、それでいて鮮やかな龍属性の光を。

 

 砕け。その武器の名を冠するように。

 手を放しては武器の方が抜けてしまう。それだけはだめだ。掴み続けなければ。

 

 掴んで、離さないように、しなければ────。

 

「おまえ、すごいな。エルタ。どうしてオレとおなじハンターランク帯にこんなのがいるんだよ」

 

 もうまともな握力もなく、ただ柄に縋りついているのと変わりなかったエルタの手を、白いグローブの別の手が握り締めた。

 その手もまだ震えているが、二人の力でやっと、暴れ回る剣の振動が抑えられる。

 数秒後、ソルブレイカーの属性開放突きが臨界に達した。限界まで流し込まれた龍属性の液体が爆発にも似た現象を起こし、その剣は二人の手元から引き剥がされる。

 

 このままでは死ぬと悟ったのだろう。砕かれた前脚を何とか持ち上げて体勢を立て直したネルスキュラは、ひとまず高所に避難するために糸を吐こうとする。

 しかし、その尻尾からはぼたぼたと体液が漏れ出るだけだった。その先端は、属性開放突きによって大部分が吹き飛ばされていた。

 

「あとは任せろ。きっちり終わらせるさ」

 

 体液と自らの血によって緑と赤混じりとなったウルク装備を身に纏ったヒオンは、そう呟きながらチャージアックスを構える。

 エルタは既に、目を閉じて地面に倒れ、静かな呼吸を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 がたがた、と、木箱が揺れるような音がする。

 薄く目を開くと、そこは木の床の上だった。竜車の中か。

 

 眠っていたようだ。座り込み、軽く頭を振る。酷く身体が重い。身を起こすのも一苦労だ。

 肩から響いた鈍痛で、エルタは自らが負った怪我を思い出す。ふらつきながらも荷車のほろから顔を出すと、屋根付き荷台の上に座るウルク装備の少年の姿が見えた。

 こちらからの視線に気づくと、ぱっと顔を輝かせ、御者に一声かけるとエルタの元へやってくる。

 

「やっと目を覚ましたな。すこし心配したぞ!」

「すまない。あれからどれくらいが経った?」

「丸二日くらいかな。見ての通り、キャラバンは無事正規ルートを進めてるぜ」

 

 見渡せば、そこは巨大樹の森の中だった。ネルスキュラはあの後、ヒオンの手によって倒されたのだろう。

 縄張りの主を倒せば、普段なら数日は安全が確保される。しかし、稀に縄張りをもとから狙っていたモンスターが乱入してくることがあるため、護衛は怠れないのだ。

 エルタによって空いた穴は、もう一つのキャラバンの護衛が引き続いて守っている。彼らにとっても、エルタたちの狩猟は渡りに船だった。

 

「あのあとギルドのアイルーが様子を見に来たから話したけど、一回バルバレの方でハンターが出て、失敗してたらしい。まあ、あんだけ好きに動き回られたら無理もないよな」

「ああ、強かった」

「なんにせよ、ちゃんと起きてよかった! まだ具合悪そうだし、もう少し休んでおけよ。おまえに打ち込まれた毒の量、えぐかったんだからな」

 

 ヒオンに見透かされてしまった。正直、まだ意識がはっきりとしていないのが現状だった。

 狩場からキャラバンまでエルタを運んだのも彼なのだろう。礼を言うと、別にいいさと笑って返される。また今度話そうということで、ヒオンは持ち場へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 木々が疎らになり、赤土の山々が見えるようになれば、バルバレはもう間近だった。

 関所で手続きを済ませたキャラバンの人々は、ほっと一息つく。二週間に渡る旅路もようやく終わりだ。モンスターの脅威がないと言えば嘘となるが、人々の街には安心感がある。

 旅の無事を称え合い、護衛のハンターには正規の報酬が支払われる。ヒオンとエルタはキャラバンの面々との別れの挨拶もそこそこに、バルバレの入り口に降り立っていた。

 

「ここがバルバレか。噂されるだけはあるな!」

「都市か何かと勘違いしそうになるが……これも、地図に載らない街なのか」

「そうっぽいよ。どの建物にも車輪がついてるように見える。あと人が多い! ここなら、夢を叶えることができそうだ……!」

 

 人々の喧騒。立ち並ぶ店ごとに香りが変わる。

 穀物の匂い、香辛料の匂い、金物の匂い、本の匂い、毛皮の匂い……実に様々だ。景色の向こうには巨大な角を掲げた大きな建物も見える。ギルドの施設だろうか。

 ヒオンはこのような雰囲気の街を求めていたらしく、胸の高鳴りを抑えることができないようだった。

 

「……つかないことを聞くが、ヒオンは何を目的にこの街を訪れたんだ?」

「あれっ、言ってなかったけ。そういや、ネルスキュラの件でうやむやになってたかな」

 

 ヒオンは頬をかいた。その顔には未だに包帯が張られているが、後遺症や傷跡が残ることもないらしい。時間をかけて応急処置を取ったことが功を奏したのだろう。

 

「ちょっと気恥しいけどな……オレは、古龍を狩猟したいんだ。その実績がほしい。そのためには、ここで活動するのが一番手っ取り早いと思ったんだよ」

 

 古龍。ヒオンは確かにそう言っていた。

 エルタが驚いた表情をしていることに気付いたのだろう。ヒオンは首を傾げる。

 

「どうした?」

「いや……僕も、同じなんだ。ある古龍を探している」

 

 そのために、この街を訪れたのだと。

 ハンターになる理由は人それぞれだが、専らは富と名声、生活のためだ。特定のモンスターや古龍といった存在を追い求めて旅をする人はそう多くない。

 似た目的で行動する者と出会うのは、二人ともこれが初めてだった。

 

「そうだったのか! なるほど、エルタの強さに納得がいったよ。オレもがんばらないといけないな」

「僕は詳しい事情を話すことはできないが……、ヒオンはなぜ古龍を?」

「ん? んんー、そうだな。おまえになら話してもいいかな」

 

 ヒオンは少し悩む素振りを見せたが、やがてくすりと微笑んだ。

 自分たちの会話を聞いている者がいないか、少し辺りを見渡してから、含みを持って告げる。

 

「オレはな────新大陸古龍調査団に入りたいんだ」

 

 その名前は、ハンターになってまだ数年のエルタも聞き覚えがあるほどに有名なものだった。

 

 新大陸古龍調査団。この現大陸でたびたび甚大な被害を引き起こす『古龍渡り』と呼ばれる現象の調査を行うべく、人類未踏の大陸へ赴く組織だ。

 どれだけの人員が、何年おきで派遣されているのかまではエルタは知らない。しかし、少なくとも幻の大陸とされていた新大陸は存在し、今も調査が続けられていることは噂話で聞いていた。

 

「今までは学者とか、技術者とかばっかりの派遣だったけど、これからはハンターも募集していくって話を聞いたんだ。それなら、オレにだって希望はある」

「それで、古龍なんだな」

「ああ。古龍の狩猟経験なんて、ハンターの中でもほんの一握りだってことは分かってる。でも、だからこそ憧れちゃってさ。それでここまで来たんだ」

 

 遠くの空を見ながら、そう語る。

 その表情は、まだ霞んで見えない道程に怖気づきかけつつも、それを歩んでいこうとする野心を宿していた。

 

 それに対して、自分はどうだろうか。今、どんな表情をしているのだろう。

 エルタは新大陸古龍調査団に入りたいわけではない。しかし、目的とするものは同じだ。それなのに、その熱量には────大きな隔たりを感じてしまう。

 

 初めて、エルタが自身の目標とするものについて振り返ろうしたそのとき、ヒオンの声がそれを遮った。

 

「なあ、エルタ。もしおまえがよかったらさ、この後もオレとパーティを組まないか?」

「……僕と?」

「ああ。ここからはソロで活動するか適当にパーティを募ろうかと思ってたんだけど……この機会、逃したくない」

 

 ペアの誘い、差し伸ばされた手。

 エルタは、それを咄嗟に取ることはできなかった。

 

「いいのか。僕で」

「もちろん。オレこそ、おまえの足を引っ張らないようにがんばらないといけない立場だ。……さあ、どうする?」

 

 エルタより少しだけ小さな背。厚い毛皮に装飾が編み込まれた防具。一匹の兎の瞳が、エルタを真っすぐに捉えていた。

 

 エルタもまた、ここからはソロで活動していく予定だった。ヒオンとはここで別れることになるだろうと思っていた。

 ここでヒオンの手を取らなければ、その予想通りに事は進むだろう。ヒオンがそれを引きずるような性格でないことも、これまでの数日間で分かっている。

 ヒオンは、手を指し伸ばしたまま待っている。

 

 自らの根底にある願いを思い出した。

 その歩みは、人が挑んでいいものかどうかすら分からない。破滅が待ち受ける可能性もある。むしろ、その可能性の方がずっと高い。

 そんな道筋を、誰かと共に歩むようなことがあっていいのだろうか。巻き込むような選択は取るべきではないのでは。

 

 しかし。ヒオンの語る夢ならば────。

 

「…………」

 

 エルタはこわごわと、その手を、取った。

 

「……! へへっ……ありがとな! これからよろしく頼むぜ、エルタ!」

「ああ……よろしく頼む」

 

 嬉しそうにはにかむヒオンに、ぎこちない笑顔でも応じることができたら良いのだが。

 相変わらず固い表情のエルタは、それでも。しっかりと手を握り返すヒオンの気持ちに、少しだけ共感を感じて。そんな自分に驚いていた。

 






毎回、話の密度が高めになってしまっていて申し訳ないです。
読むのに負担をかけてしまい心苦しいのですが、どうぞ今後ともよろしくお願いします。
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