グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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>>> 原初の星、見通す海(3)

 

 

 瓦礫が散乱し、降り注いだ火山弾が黒い跡を残す大通り。

 建物が燃える音と火の粉が舞い散る中で、白いワンピースを着た少女がその道なき道を走っていた。

 

 この場では、彼女の姿はひどく不釣り合いに映る。しかし、その手の者が見ればそのワンピースが生半可な金属鎧よりも丈夫な素材で作られた防具であることに気付くだろう。

 そんな彼女の特製の白き防具は、いたるところに解れや破れがあり、煤や灰で汚れてしまっている。その跡が彼女の消耗を感じさせた。

 

 しかし、際立って特異に映るのは、その防具に染み込むようにして伝う赤色だった。今や、彼女の防具の背中部分の白色はすっかり失われていた。

 その赤色を刻々と生み出しているものが、彼女の背中に背負われていた。

 

「エル……しっかり!」

 

 余裕のない声で少女が声をかける。しかし、その背負われたものは返事を返さなかった。ただ彼女にその重みを預けている。

 もはやそれは、人のかたちをした何かと言っても差し支えないほどに酷い有様だった。

 焼き切れて、黒焦げになって、もはや何の素材で作られたものかすら判別できなくなったその防具。溶け落ちた皮がずるりと剥けて、そこから血に濡れた肉が見えた。

 しかし、それでもその者の身体から零れ落ちないものがあった。ふつうであれば真っ先になくなってしまってもおかしくないものが、未だ彼のすぐ傍にあった。

 

 その両手にしっかりと握られた、穿龍棍。

 凄まじい高熱によって、その柄と防具の金属部、手の皮膚の三つの異種が溶け合ってくっついている。

 それだけではない。かの手は穿龍棍を握り続けていた。気を失っていてもなお、その手の力だけは緩まっていなかった。

 

 そのあまりにも壮絶すぎる有様が目に映るたびに、少女はなぜか涙が溢れだしそうになった。ずっと泣くことなどなかった少女は、自分の感情に戸惑っていた。

 彼は、その武器だけは手放すまいと心に刻み続けたのだ。高熱によって自らの手が溶けだそうと、自身が死に瀕していようと、構うことなく。それを実践し続けた。

 そして、きっと今も戦っている。その執念が、彼の命を繋いでいる。

 

「しなせない、しなせないっ……!」

 

 少女──アストレアは、炎と瓦礫の道を懸命に走り続けた。

 背後からは咆哮と地震が鳴り響く。ソナタやガルム、その他の生き残ったハンターたちがエルタの後を継ぎ、かの龍と正面からの戦いを仕掛けている。

 アストレアもそれに加わりたかった。けれど、この背中の命を繋ぐこと。それが今は、彼女に課せられ、彼女自身も自覚している最大の役割だった。

 

 あの日、モガの村で交わした約束。

 彼が見ていてほしいと言っていた勇姿は、はっきりとこの目で見た。けれど、彼と交わした言葉が少なすぎることに、彼女は今になってようやく気付いていた。

 

 話したい。彼のことを知りたい。その想いを一心に抱く。故に、ソナタはアストレアに彼のことを託したのだから。

 

 

 

 

 

 急ごしらえのテントを張って作られたギルドの応急処置所には、逃げる途中で怪我を負った人々が寄り集まっていた。

 訪れる人々に対して、物資も人材も全く足りていない。しかし、火山弾の雨が落ち着いたことでようやく治療を行う場という体を成していた。

 

 相変わらずかの龍の咆哮は耳に届き、地を小刻みに、ときにぐらりと揺らす振動が人々の不安を駆り立てる。子供の鳴き声や怪我人の呻き声は止むことがなく、その場には負の感情が立ち込めていた。

 その場にまた、アストレアが垂れ幕を退けて駆け込んでくる。慌ただしく怪我人への処置を行っていたギルドの看護師は疲れを押し隠しながら顔を上げて、思わず息を飲んだ。

 次いで彼女の姿を目に収めた人々が、小さくないどよめきをあげた。

 

 アストレアの身に纏う白の防具は、半分以上が赤く染め上げられていた。そして、その背中には見たこともない程の酷い全身火傷を負ったハンターが背負われている。

 ギルドの医師の一人が慌てて少女に駆け寄る。むっとするほどの血の匂い。とうに命尽きていてもおかしくないような姿だったが、その首筋に手を当ててみれば、まだ脈は続いていた。驚くべきことに、浅い息もある。

 

「君! 人工呼吸容器にイキツギ藻粉末を二袋入れて持ってくるんだ! 恐らく秘薬か古の秘薬を服用し、生体機能の維持効果が現れている! それと生命の粉塵と栄養剤を!」

 

 医師は矢継ぎ早に周囲の看護師に向けて指示を出す。見れば十分に伝わる容体の深刻さが人々を動かし、やや隔離された場所に敷物も用意された。

 そこまでやって、彼はアストレアの肩に手を置いた。

 

「よく運んできてくれた。ここまで来て必要な処置を受ければ、彼は恐らく自力で持ちこたえられる。君は飲用の回復薬を持っているかね?」

 

 アストレアはこくりと頷いた。ハンターなら誰もが懐やポーチに入れているアイテムだ。彼女の頷きを見て、彼はできる限り落ち着いた声で言った。

 

「これからすぐに君の元へ人工呼吸容器と栄養剤が届けられる。まずは人工呼吸器の口を彼の口元に当てて、呼吸を落ちつかせる。そうしたら栄養剤と君の回復薬を2対1の割合で混ぜて彼に口移しで飲ませるんだ。慌てることはない。何回かに分けて、飲ませることを重視しなさい」

 

 肩で息をしつつも、アストレアはその指示を忘れないように憶え込んだ。

 さらに、包帯を巻くよりも彼の自然治癒力に任せて外傷用の回復薬を塗る方がよいこと、何かあったら迷わず人を呼ぶことなどを彼から教えてもらった。そうしているうちに、彼女の足元の地面は血の赤の斑ができあがっていた。

 

「本来は私たちが総出で対処する程の大怪我だ。だが、申し訳ない。今は我々も手が離せない。どこの誰とも分からないが、彼が命を繋げるように支えてやってくれ。────そして、ありがとう」

 

 彼は最後に感謝の言葉を告げた。

 

「これは私の勘だが、今、火山弾がほとんど降ってこないのは彼のおかげだろう? 彼のその手の武器と君の目がそれを物語っている。ギルドの医師として、彼を讃えさせてほしい。……ここがあるのは、彼のおかげだ」

 

 絶えず地のうなりが響く中で、かの医師の言葉はアストレア以外には届かず、周囲の人々からの称賛はない。

 しかし、医師の時間を割いたことへの批判もなかった。アストレアにとってはそれだけで十分だった。

 

 離れの敷物に彼の身体を下ろすと、改めてその火傷の酷さが伝わってきた。本当に、これでなぜ生きているのかが不思議なほどだ。けれど、彼は命を繋ぐことができているのだという。

 彼の口元の血を布で拭いて、人工呼吸容器を当てる。久しぶりに、片腕が義手であることをもどかしく感じた。この義手はあくまで狩りのためのもの。細かい作業はできない。彼を背負って運ぶのも相当に苦労した。

 

 それでもどうにか義手で人工呼吸容器を彼の口元に当てて、もう片方の腕で回復薬と栄養剤の瓶の栓を開け、医師に言われた通りの割合で口に含んだ。

 彼の口元を見る。もとは孤島の森で暮らし、長らく人の暮らしをしてこなかった彼女でも、異性との口づけが何を意味するかくらいは、モガの村で過ごした数年間で学んでいる。

 

 けれど、その意味に沿うならば。アストレアは何の戸惑いもなく、人工呼吸容器を頬で押しのけてその唇を重ねた。

 片手で首から上を持ち上げて、彼の舌が彼自身の喉を塞いでしまわないように自らの舌で抑える。そうして、彼の喉の動きを確かめて、彼女の口に含んでいたものが流し込まれるのを感じ取った。

 また、唐突に涙が零れそうになった。本当におかしい。ほっとしたのは事実だけど、なぜ、ここまで。

 自分の知らない感情に戸惑いながらも、アストレアは彼が目を覚ますことを願って、何度も何度も、口移しの栄養補給を行い続けた。

 

 

 

 

 

 遠くから、人と、地面と、狩場の騒めきがきこえる。

 エルタが薄く目を開いたとき、霞む視界に最初に映ったものは、白い肌で、白い衣服を着た少女の姿だった。

 

「……フラ、ヒヤの……女神、さま?」

 

 掠れた声でエルタは呟く。その声を聞いて、少女ははっと顔を上げた。

 

「エル!」

 

 思わずといった様子で少女の手が彼の肩に置かれる。鈍い思考の中で、エルタは畏れ多さを覚えた。なぜその存在が目の前にいるのか分からなくて、()()()()()()()()()()()()()()()

 エルタも彼女に手を伸ばそうとするもの、その手はなぜかほとんど持ち上げられなかった。まるで重い手枷を嵌められているかのようだ。

 

「女神、さま……僕は……」

「エル……?」

 

 彼の肩に手を置いた少女の声が訝しげなものへと変わる。醒めない夢にうなされているような気分で、エルタは喘いだ。

 

「僕は……まだ、あなたとの約束を……約束、を……?」

「エル、エル! わたしはアストレア。めがみじゃ、ない」

 

 何を伝えるべきか分からず、記憶も混濁して今の状況すら把握できていない。そんなエルタの肩を、アストレアは強めに揺さぶった。

 揺さぶられるだけで布や包帯がすれて激痛が走る。思わず呻いて、しかし、その痛みがむしろエルタの意識をはっきりとしたものへ変えてくれた。

 最初に思い出したのは、自分がかの煉黒龍と戦っていたということ、その過程で自らは負傷し、ここまで運ばれてきた。そう、自分は今まで気絶していたのだ。

 

「……っ、すまない……」

 

 小さく首を振って、エルタは顔をしかめて目を数度しばたかせた。

 彼女は自らの名を名乗った。アストレア。エルタと共にかの龍へと挑んだ一人だ。一見、彼女は大きな怪我をしていないように見える。その事実にエルタはほっとため息をついた。

 

「ここは……」

「きずのてあてをするばしょだ。いろんな人がきてる」

「気を失ってから、どれくらいが経ったか分かるか?」

「だいたい、お昼のはん分くらいだ」

 

 空を見上げて答えたアストレアに対して、エルタは再びほっとした。一日以上眠りこけていたわけではなかったらしい。

 耳をすませるまでもなく、今も地響きと咆哮のような音が聞こえてくる。かの龍は思ったよりもここの近くにいるようだ。

 

「今、誰が相手を……?」

「ソナタと、黒いよろいのひと。あと、生きのこったハンターたち。ソナタはつよい。だからきっと、だいじょうぶ」

「そうか……」

 

 ソナタとガルム、二人とも単身古龍撃退者だ。ハンターとしての総合的な実力はエルタよりも高い。

 彼らが前線に立っているのなら、確かにこの時間まであれ以上の進行を食い止めることだって不可能ではないだろう。

 

 アストレアが片手をそっと、横たわったエルタの手へとあてがう。

 エルタはその時になってようやく、自らの手と防具、そして手の皮がくっついていることに気付いた。そのせいで動かせなかったのだ。

 ジンオウガ亜種の素材で作られたその穿龍棍は、完全に破壊されていた。最後の龍気穿撃を放った時点で限界だったのだろう。杭は根元から折れて、棍は黒く炭化し、残った僅かな龍属性を散らしていた。

 

 それを少しでも労わろうという想いがアストレアの手つきからは感じられた。

 そこまでして戦い続けたエルタと、それを支えた獄狼竜を重ねて視ている。あるいは、もう見る影もないが、彼の命を守った防具のもととなった風牙竜の姿も重ねているのかもしれない。

 

「エルタ、ありがとう。みんながまだたたかいつづけていられるのも、ここにいる人たちが生きているのも、みんな、みんな、エルタのおかげ」

 

 エルタが全く意識していなかっただろう彼の功績を、アストレアはひとつひとつ語っていった。

 大灯台を倒されたあと、エルタが一人でかの龍を留めた一時間が、何にも代えがたい程に大切だったこと。その間、火山弾がエルタに集中していたことで生き延びた人々が大勢いること。

 その一時間の間に、船長やソナタが反撃の準備を整えることができたこと。

 

 そして何よりも、撃龍船の砲撃がかの龍の左翼を破壊し、さらにエルタが彼自身の武器だけで右翼の大動脈を断ち切ったことで、両翼の火口の活動が止まったこと。あの悪夢のような火の雨がほぼ降りやんだこと。

 

『人の身では黒龍には傷ひとつとして付けられない』というハンターたちの諦観を真っ向から砕いてみせたこと。

 人々がいまだに立ち上がっていられるのは、彼のおかげだということを。

 

「わたしも、たぶんあきらめてた。けど、エルタを見て、わたしもがんばろうっておもった。エルタに生きていてほしいっておもった」

 

 優しい言葉とは裏腹に、エルタの手に置かれたアストレアの手に力がこもる。それだけでエルタに激痛が走ることを分かっていながら、それを止められなかった。

 なぜなら────

 

「エルタ。エルタはもう十分にがんばった。それなのに。それなのに……」

 

 俯いた彼女の口元が歪む。溢れ出しそうな感情を押し殺しているかのようなその表情は、この一月でエルタが初めて目にするものだった。

 

「どうして、まだたたかおうとするの……?」

 

 エルタの手には力が込められていた。アストレアの手を押しのけてしまうのではないかというほどの強い力が。

 ここまで血を流して、息も浅いのに、どこからそんな力が湧いてくるのか。どうしてそこまでして戦おうとするのか、アストレアには分からなかった。

 

「エルにこれよりがんばるりゆうなんてない。ソナタやわたしのようにまもりたい人は近くにいないし、ただの、ギルドからよばれただけのハンターなのに、どうして」

 

 ソナタには戦う理由がある。ここで少しでもかの龍を消耗させなければ、モガの村にまで被害が及ぶかもしれない。自らの育て親の竜の遺骨が眠る、モガの森を守りたいアストレアも同じだ。

 ガルムとアストレアはほとんど言葉を交わしていなかったが、責任があるのだと彼は言っていた。指揮官の命を守ることができず、かの龍に一矢報いることもできないままにドンドルマへと帰還することはできないのだと。

 

 そういった戦う理由があるからこそ、今も尚、戦い続けることができる。実際、雇われで訪れたハンターの半数以上は街の人々の避難の護衛に回って前線に出ていない。そういう決まりがあるわけではないし、グラン・ミラオスの前では命があまりにも軽すぎる。

 命を賭す覚悟があっても、実力が伴わなければ一瞬で命を散らすだけの最前線。雇われのハンターでありながらたった一人で戦っていたエルタが、どれほど異常かは言うまでもない。

 そして、満身創痍となった今になっても、前線に戻ろうとする意志を持つ。本来は他のハンターに後を託して、ここにいる人々と一緒に担架で運ばれ避難するのが妥当なはず。少なくともソナタとアストレアはそのつもりだったのだ。

 

 ともすれば自らの命をここで使い果たさんとするほどの、その意志の源をアストレアは知りたかった。

 いや、それを知るまではエルタをここに留まらせようとまで思った。ここで聞いておかなければ、もう二度とそれを知る機会はないような、そんな気がした。

 

「…………」

 

 ぎゅっとエルタの手を握るアストレアの、その顔をエルタは見た。表情も、瞳も、どこまでも真剣だった。モンスターたちの世界で育った彼女の竜の眼光が、彼を真っすぐに捉えていた。

 ああ、これは────あの少女と間違えてしまうのも、仕方のなかったことなのかもしれない。

 少しだけ口角を上げたエルタにアストレアが怪訝な顔をする。それに構わず、エルタは穏やかに口を開いた。

 

 様々なものが焼ける匂いと、地響きに舞う埃と、遠くから聞こえる破滅的な音が同居する地獄のようなテントの片隅で。

 

「約束を……果たさないと、いけないんだ」

 

 炎に焼かれて掠れ切った声で、たった一人の少女に向けて、エルタは昔話を始めた。

 

 

 

 

 

 フラヒヤの女神たる女性と少年が別れた次の日。少年は、女神から最後に聞かされたおとぎ話についてずっと考え続けていた。

 

 遥かな過去に大地を創り、長い眠りについて、目覚めた先で人間と戦って負けて、再び海の底へと沈んだ龍のお話。

 不死の心臓を持ち、死ぬほどの怪我を負っても決して死なない。気が遠くなるような時間を経て、また戻ってくるのだと。

 

『このお話の『続き』はあなたたちが作るの。あなたではなくとも、きっとこの世界の誰かが。それを見るのを楽しみにしているわ』

 

 その話の最後の彼女の言葉を思い出す。大地創造のおとぎ話は今もなお続いていて、今に生きる人々も登場人物たり得るのだと彼女は言った。

 彼女は人智を超えた存在であるが故に、雲の上からその様子を眺める、なんてこともできてしまうのだろう。

 

 自分は、果たして女神がその話をするに足る人物だったのだろうか。少年にとっては十分に広かったが、彼女の話によれば本当に小さな村の住人に過ぎない自分が。

 不釣り合いだ、と思った。女神は人前に姿を現すことはない。その姿を見た人なんて村中聞き回ってもいるとは思えない。そんな有り得ないほどの幸運を受け取るには、あまりにも自分は不釣り合いに過ぎる。

 

 今は、まだ。

 

 自分が受け取ったもののあまりの大きさに、後になってから気付いて思い悩んでいた少年が、その思考に行き着くまでにそう時間はかからなかった。

 身の丈に見合わない。確かにその通りだ。女神から世界のおとぎ話を聞くなんて幸運を受け取ったのに、自分はあまりにも、こんなにも小さく、弱い。

 

 だから、きっとこの数日間は、これからの人生で受け取る幸運の前借りなのだ。

 これから自分は、この一生をかけて、受け取った幸運を少しでも返していかなければならないのだ。

 最後に聞いたおとぎ話の、登場人物になろう。女神へのお返しとしてはあまりにも小さいが、それしかない。

 

 約束だ。自分自身との、約束。

 

 少年は顔を上げた。彼の人生は、そこで決まった。

 

 ハンターになりたい、と突然言い始めた少年を村人たちは奇異の瞳で見つめた。

 この周辺は先代の開拓者たちが苦労して見出したモンスターの訪れにくい土地だ。ハンターとは縁が薄い。それなのにこの少年は突然どうしたというのか。

 ただ、村人たちには少年のその意志を咎める理由もなかった。落陽草採りの仕事は他の子どもに任せればいいし、育ち盛りの少年が一人減ればその分冬の食い扶持が増える。万が一少年がハンターとしてやっていけるような実力を持てば、仕送りも期待できる。

 結局、大それた無謀な夢だと馬鹿にする者はいたが、止める者はいなかった。少年はたまたまその村を立ち寄った商人と共にその村から旅立った。

 

 ハンターの訓練所がある村まで出向き、そこで一年間の指導を受けて晴れて駆け出しのハンターとなった彼は、世界各地を転々とし始めた。

 彼はハンターの自然との調和を重んじる姿勢に共感していた。しかし、彼はその上でより手早く、より攻撃的にモンスターを倒す手段を貧欲に求めた。

 

 ただただ、時間が足りなかった。彼の心の中には逸る気持ちが常に居座っていた。

 いつ、おとぎ話の続きが訪れるか分からない。十年後かもしれない。一年後かもしれない。もし一年後だったとしたら、間に合わない。早く強くならなければ、おとぎ話の舞台にすら立つことはできない。

 

 村を出て、世界の広さを知った。自分が目指しているものがどれだけ途方もないことであるかも、身の程知らずであることも思い知った。

 大型モンスターの中でも、古龍のクエストを受けることができるハンターは全体のほんの一握り。何人かでパーティを組んで長く続けていても、上位に上がることすら難しい。そして、多くの者がそれ以前に命を落とす。

 そんな現実を前に、不安になる暇も、自らを鼓舞する暇すらなかった。辿り着けなかったら自分がそこまでの存在だったという話。プレッシャーを置き去りにして、彼は狩りに埋没した。

 

 ドンドルマで龍を穿つ武器の噂を聞けば、加工屋に無理を言ってそれを製作してもらった。以降、それは彼が愛用する武器種となった。

 世界各地の情報が集う旅する市場の噂を聞けば、迷いなくそこを訪れた。そこで彼は初めて相棒と言えるハンターと出会い、同時に別れも経験した。

 女神の話したおとぎ話は、場所や時間がぼやかされていた。少年が彼女の話を商人などに話してしまう可能性を考えれば当たり前の話だ。故に彼は、各地の言い伝えを積極的に聞き回り、伝承を読み漁っていた。

 

 目立たないが強い。狩りと物語にしか興味を抱かない変人。周りの彼に対する評価はそんなところだった。彼が実績を上げていることに気付かない者も多かった。

 彼は自分自身を「おとぎ話の龍と戦える存在」に仕立て上げることができればそれでよかった。それ以外の何も必要とは思わなかった。

 

 ときおり彼は、自身のことを物のようだと思うことがあった。感情を持たず、ただモンスターを狩るという作業だけを続ける武器のような存在。それが自分だと。

 思い悩むことはなかった。むしろ上等だとさえ感じた。彼は自らに才能はないと思っていたが、人にとって大切な何かを削り取れる精神性は持ち合わせていた。ならば、そんなものは捧げきってしまえばいい。

 

 あのときに自分勝手に決めた約束を忘れていなければ、それで十分だ。

 朧げになり始めたあの記憶は、決して夢でも幻でもなかったのだと。他ならない自分に証明するために歩み続けた。

 

 牙獣を狩り、海竜を狩り、飛竜を狩り。

 故郷に戻ることもなく狩りに明け暮れて、戦闘技能だけを培い、バルバレで出会った相棒とも決別した。

 地上を駆けて、水中を泳いで、空中に舞って、その何れにも付いていけるように。

 その日々はもはや、狩りではなく戦いで。モンスターと『戦う』ことはハンターとして間違いであるということに気付いていながら、その葛藤を切り捨てて、削ぎ落して。大切な記憶だけを抱えて。

 

 戦って、戦って、戦い続けて────

 

 ────そして、青年となった彼はタンジアへと辿り着く。

 風牙竜の防具を身に纏い、背に担ぐは獄狼竜の穿龍棍。そのハンターランクは、古龍迎撃戦においてギルドから招集される目安となる、5。

 間に合ったのだ。村を出てからの十年間を、名前も知らないおとぎ話の存在に近づくためだけに費やして間に合わせた。

 

 あとは、自らの存在意義の全てを賭けて、おとぎ話の続きを担う演者となる。

 どのような展開になるかは全く分からない。成し遂げるべきものが何なのかすら、実は分からない。分かるはずもない。

 唯一分かっているのは、自分のことをたった一つだけ。

 

 かつての少年は。今の青年は。

 エルタという無名のハンターは。

 

 この戦いの先の生き方など(グラン・ミラオスと戦う)何も考えてはいなかった(そのためだけの武器だ)

 

 

 

 

 

「…………面白くもない話だったな。すまない」

 

 途中で何度も咳き込み、水を喉に流し込んでもらいながら、彼は最後まで話しきった。遥か古きおとぎ話と、その後の彼自身の人生を。

 戦いの音はだんだんと大きくなってきている。ここで応急処置を受けていた人々は火山弾が少ない今のうちにと避難していって、残る人はまばらになっていた。

 そんな中で、何を悠長に話していたのか。もっと短くまとめられただろうにと、横たわりながら自嘲的に笑った。

 

 そして、自らの腕に落ちる、水滴に気付く。

 ぽた、ぽたと滴るそれは、海水ではないようで、彼は視線を上げて、話を聞いてくれていた少女の方を見て、その目を少し見開いた。

 

 水滴は少女の頬から伝っていて、その出所は、彼女の瞳から。

 唇をぎゅっと結んだアストレアは、ぽろぽろと涙を零していた。

 

「エル。エルはひとつ、かんちがいをしてるとおもう」

 

 そして、泣いているにしてははっきりとした口調で、強い眼差しでエルタを見る。

 

「エルはやさしい。こころが、きれいだ。ソナタと同じくらい」

 

 アストレアは分かった。理解できてしまった。彼を再びかの龍の目前には出さないと、彼の手を押さえていた手を放しざるを得なくなってしまった。

 そうでなくては、彼は自分の生き様を自分で否定することになってしまう。それを間違っていると止めようとすることは、すなわち彼の大切な記憶を否定することにも等しくて、そんなことはアストレアには決してできなかった。

 

 その上で、アストレアは怒っている。そう。怒っているのだ。涙を流しながらも、彼に言いたいことがあるのだ。

 

「つまらない話なんかじゃなかった。エルのりっぱな生き方の話だった。ほんとうにエルの気もちを知れたかは分からない。分からないけど、それをつまらないなんて、エルが言っちゃいけない」

 

 胸の内から溢れ出す悲しい気持ちを、どう言い表せばいい。エルタが自嘲気味に笑いながら、その壮絶な生き様を語ることへの悲しみを、どう伝えればいいのか。

 誰かにこんなに共感したのは初めてで、初めて知る感情が痛くて、痛くて。自然に溢れ出す涙を、彼女は止めることができなかった。

 

「エルが自分をぶきだっておもうなら、きっとそれでいい。わたしも、自分を人だっておもったことはあんまりなかった」

 

 火の国で生まれたときには現人神、あるいは悪魔として扱われ、海に捨てられてラギアクルスに拾われてからは、自らを竜だと思って生きてきた。

 モガの村で人として生き始めたのは数年前からだ。しかし、やはり馴染むことはできず、生きづらいとまではいかずとも、息苦しさを感じていた。

 もともと老いていたラギアクルスが死んでからも森に居残っていたアストレアを、外へと連れ出してくれたソナタには本当に感謝している。けれど、この感覚だけはどうしようもなく伝わらない。同じ痛みを経験した者にしか伝わらないのだ。

 

「あなたは、あなたらしく生きた。生きてる。だからあのりゅうにたったひとりで立ち向かえた。たたかいのあいだ、わたしをささえてくれた。わたしはもう、それが分かった。わたしはエルの生き方をそんけいする。だからエル。そんなにかなしいかおをしないで」

 

 自らの舌足らずをここまでもどかしく思う日が来るとは思わなかった。その歯痒さにまた涙が出てくる。

 今日の自分は本当におかしいとアストレアは思った。物心がついてから泣いたことなんて今までで一度か二度しかない。なんで今日はこんなに感情が溢れ出すのか。あまりにもたくさんの人の死に触れすぎて、慣れない心が悲鳴を上げているのかもしれない。

 

 訴えかけるようなアストレアの言葉。それを黙って聞いていたエルタは、ややあって動揺を隠しきれない口調で呟いた。

 

「……驚いた。君は、僕の相棒と同じことを……言うんだな」

 

 アストレアは顔を上げた。いたのだ。アストレアの他にも、エルタの理解者が。その生き様を追ったものが。

 エルタはかつての日々を思い出しているかのように目を閉じた。

 

「確かにその通りだ。僕は、僕が信じたもののために……生きた。後ろめたさなんて、感じる暇もなかった。……ごほっ……悪い癖だ。いつもどこか自分に自信がない」

 

 どうしてこれを忘れていたんだと、エルタは咳き込みながら嘆息する。もしかすると、そんな大切な者の存在すら忘れかけてしまう程に、エルタは自らを追い込んでいたのかもしれない。

 あるいは、今までの語りが走馬灯のようなものだったとしたら。彼は言葉を話せているだけで、実際は死の淵にいるのかもしれない。焼き尽くされたその命は、ともすれば今も、その見た目の通りに途切れ途切れなのかもしれない。

 

「アスティ。君の……あの日の相談の、僕なりの意見を……今、言おう」

 

 それでも、エルタは言葉を続けた。

 モガの村でささやかな宴が催されたときに、桟橋に座って語り合ったあの日の、アストレアの彼への相談事。どうしたらソナタや村の人々に守られる日々から一人立ちできるのかという、少女の等身大の悩み事。

 あの時のエルタは、ただ自分の生き様を見ていてほしいと言うことしかできなかった。言葉で伝える術はないと思っていたが、今なら、それが言葉にできそうな気がした。

 

「僕は、自分の過去に囚われ続けながら生きた。自分の命が続く限り……それを全うするつもりだ。それに共感して、涙さえくれた君は……きっと誰かに託されて生きてきたんだろう?」

 

 アストレアは驚いた顔をして、ややあって頷いた。

 実際、その通りだった。ラギアクルスと意思の疎通ができていた彼女は、かの竜との別れのとき、お前は生きろと願われて生きている。それを彼に話したつもりはなく、単純に言い当てられていたことに驚いていた。

 

「この戦いの後のことを考えていない僕は……君の未来に口出しをする権利は、ない。一人立ちの方法についても、同じように。だが……お礼ぐらいなら、言わせてもらってもいいだろう」

 

 喘息のように掠れた息をしながら、訥々と紡がれるエルタの言葉。それを一言一句聞き逃すまいと真剣に聞いていたアストレアだったが、お礼という言葉を聞いて動揺した。

 エルタはそれに構わず、畳みかけるように言葉を重ねた。

 

「今、この瞬間に立ち会えていることが……っぅ……本当に、幸せなことだと思ってる」

 

 自分は幸せだったと、迷いなく彼は言った。

 皮膚と防具が溶け合って、全身の火傷は血に滲んで、水膨れを起こして、その顔は誰が見ても酷いと言わざるを得ないほどに傷ついていて。

 いつ発狂してもおかしくないほどの痛みと苦しみに見舞われているはずでありながら、そんなものはいつものようにと切り捨てて、この地獄の中で幸せと話す人は、彼以外にいるだろうか。

 

「君がいてよかった。君に、この話ができてよかった。君に出会えて、よかった」

 

 それはエルタの本心からくる言葉だった。

 友とは既に決別し、孤独に自らの戦いを終えるはずだったエルタは、再び観測される機会を得た。

 黒龍の翼から落ちたあのとき、かろうじて耳に届いた「あとは任せて」という言葉。自分がそんな言葉を貰うことができるなんて、思ってもいなかった。

 ソナタとアストレア。戦いの間際に、本来は関わることのないモガという小さな村でこの二人に巡り合えたということが、幸運でなくて何だというのだろう。

 

 そして、そんなエルタの言葉は。

 アストレアにとって。モガの森とモガの村という広くて狭い世界の中で生きてきた少女にとって、ラギアクルスと、ソナタに次いで三人目の。

 少女の存在の肯定として、少女に伝えられた。

 

「…………僕は、君が胸を張って生きる、その一つの支えになれただろうか?」

「……っ、ぅん……うん……!」

 

 アストレアは最後に溢れ出した涙を拭う。もう泣くのは十分だ。

 アストレアが一人立ちする素養は十分にあると、エルタは相談を受けた日から言っていた。その悩みは自分から解決していけると。

 

 ならば、何が足りなくてアストレアは足踏みをしていたのか。

 単純な話だ。アストレアが一歩を踏み出す、その最後の一押しだけが足りていなかった。

 そこまで辿り着く遥か彼方から、アストレアと共に歩んだのだろうソナタとラギアクルスは、そうであったが故に最後の一押しができなかった。彼らに守られてばかりではいられないというアストレアの意思が彼らの手を借りることを許さなかった。

 

 けれど、もう大丈夫だ。エルタがその背中を押してくれた。

 竜に育てられ、竜の瞳を持つ少女は、自分の意思で歩いていけるはずだと、エルタはアストレアの瞳を見て思った。

 

 

 

「それにしても、おどろいた。エルも、龍と交信する者(ドラゴンコミュニア)だったなんて」

「本当にそうかは分からないが…………今は、あの少女は何かしらの龍だったのではと、そう思っている。……そういえば、君はあの少女にそっくりなんだ。だからさっき間違えてしまった」

「わ、わたしはそんなりゅうにおぼえはない……」

「もちろん、偶然だろうとは思っているさ。しかし……不思議な縁だと思ってな」

 

 瀕死の重傷患者と、そのうわ言に付き合う身内の少女。

 傍から見れば彼らはそう映る。しかし、繰り広げられている会話は彼らにしか伝わらず、そして他愛もないものだった。このテントの外の惨状を鑑みれば、いよいよ全てを諦めたか、気が狂ったかと思われるかもしれない。

 

 もちろん、彼らは諦めてなどいなかった。むしろ、この一帯で二人は最も諦めから遠い立ち位置にいた。それはある意味、気がおかしいと言えるのかもしれなかった。

 しばらくの沈黙を挟んで、アストレアがエルタに告げる。

 

「エル。わたしはどうすればいい。あなたのために何ができる。もうエルを止めない。力になれることがあれば、言ってほしい」

 

 エルタが立ち上がりたいと言えば彼女は彼の肩を支えるだろうし、体力を回復したいと言えば彼女はエルタをさらに遠方まで運んでからソナタたちの加勢に行くだろう。アストレアにはその意思があった。

 

「…………ひとつだけ、頼みごとがある」

 

 しかし、エルタがそう言って後に続けた頼み事は、そのどちらでもなく。誰も思いつきはしないだろう内容だった。

 

「タンジアの集会場の辺り、その武器倉庫に……けほっ、青と紫の剣が仕舞われている。箱は触ると冷たいから分かるはずだ。……それを箱ごと持ってきてほしい。僕は、残ってる医者に頼んで……この手の皮と穿龍棍を引き剥がしてもらう」

 

 戦うつもりだ。全身大火傷でまともに動けない身体になっても、まだ。

 その死にかけの身体で何の役に立てるのかという一般的な意見をアストレアは飲み込んだ。きっと彼には何か考えがある。それに、この戦いで、エルタのためならできるだけのことをしようと心に誓ったのは他ならないアストレア自身だ。

 

「わかった。すぐにとってくる」

「ありがとう。もしかしたら津波で海に沈んでいるかもしれないが……よろしく頼む」

 

 アストレアは頷いて、立ち上がってすぐにテントの外へと出ていった。エルタよりも泳ぎがずっと上手い彼女であれば、それが海に沈んでいたとしても取ってきてくれるだろう。

 途中でグラン・ミラオスにも接近することになるが、かの龍の瞳に義手の短剣を突き刺してみせるほどの胆力を持つ彼女ならやってのけるはずだ。

 

 それよりも自分の心配をするべきか。立ち上がろうとしたエルタは、身じろぎするだけで全身に無数の針と突き刺されたかのような痛みに襲われて呻いた。

 ただ、筋肉はまだ死んでいない。骨折も致命的なものはない。極度の疲労状態から、体力だけは徐々に回復していることを感じ取る。事前に飲んだ秘薬の効果が続いているだけで、皮膚の壊死から命の危険に繋がっているという事実に変わりはないが。

 

「…………薬でごまかしきれるかと言ったところか……ごほっ。それで、いい。あと半日持つなら……それで十分だ」

 

 自分にそう言い聞かせて、エルタは掠れきっていながらもなんとか周りが聞こえるほどの声で看護師を呼んだ。

 テントに押し寄せていた人々が自主的に避難していったことで、後続となる医者や看護師が手隙になり始めていたのが幸いだった。しかし、彼らはエルタの依頼に仰天することとなるだろう。麻酔となるネムリ草が在庫切れになっていないことを祈るばかりだった。

 

 翻せば、自分の好きなように戦ってこんな状態になっても、エルタはまだ、自分の望む行動を起こせる可能性が残されているということだ。

 エルタの呼びかけに応じて駆け付けようとしている看護師を横たわったまま見ながら、エルタは小さく呟いた。

 

「本当に、幸せものだな。僕は」

 

 







前回の最新話から三か月経った……だと……?
エタってないよと信用できない沼から叫んでいる旋律です。短編の投稿やTwitterでの創作企画に筆を持っていかれていました。申し訳ないです。エタることはないですという言葉はフラグなのであまり使いたくなく、心が折れない限りは頑張りますとだけ(これもフラグでは?)
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