神域の見送人   作:Senritsu

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7. 黒く煌めく星の龍

 

 

 マーチを見送って、その姿が見えなくなっても、しばらくその場に佇んでいた。

 やがて、何かない限りは戻ってこないだろうという時まで待って、ようやくアトリエのドアを開ける。

 ばたん、とドアが閉まって、その扉板を背もたれにするように。

 ずるずると、その場に座り込んだ。

 

「……何とか、隠し通せたかしら、ね」

 

 恐らく、逃れられるはずだ。あと数日間の猶予がある。その間に森を抜けることができていたら、きっと。

 グレイは小さく笑っていた。その口元は、僅かに震えていた。

 

 

 

 

 

『ったく、生贄なんて風習は二百年以上時代遅れだって、あの国のお偉いさんがたの頭に直接ぶち込んでやりたいねえ』

 

 グレイの記憶はそんな嗄れた声から始まる。

 細いが、逞しい腕に抱えられ、状況が飲み込めずにぼうっとしていたのだ。

 

『アタシん家を託児所か何かと勘違いしてるんじゃないかねえ! 捨てるに捨てれんもんをぽんぽん放っていきよって!』

 

 そんなことを言いながら、そっと大事なものを抱え込むように。溶岩に飲み込まれていく岩場から幼いグレイを助け出したその人が、このアトリエの元の主だった。

 アイザと名乗るその女性は耳の尖った竜人族で、しかし一般的な竜人族の性質とは対極にいるような性格だった、らしい。

 というのも、グレイが深く関わっていた竜人族は彼女一人であったため、基準が読み取れなかったのだ。時折アトリエを訪れる友人らしき竜人族は物静かなもので、何となく感覚を掴めはしたが。

 

『よく生き残ったね。あんたは運がいい。人の子は何度か拾ったが、どれもアトリエに辿り着く前に命を零しちまった。その命、大切にするんだよ』

 

 びしりと指差されてそう言われたが、当時は命の大切さなどよく分からないというのが正直なところだった。本当に幼かったのだ。

 アトリエに来る前のことはよく覚えていなかった。身体の傷は少なく、ひどい目に遭っていたわけではなかったようだが、なぜか記憶はあやふやだった。

 そういう薬でも飲まされたんじゃないか、とアイザは言っていたが、おかげで人恋しさや寂しさといった感覚も薄れていたので、グレイとしては特に気にならなかった。

 

 それからの数年間、グレイはひたすらにアイザのために働いていた。本や紙の片付けから簡単な料理、洗濯、畑仕事に至るまで、あらゆる雑用をこなしていた。

 ちょうど、数日前のマーチがやっていたことを実際にやっていたのだ。マーチを見て在りし日の自分を重ねていたことは、もちろん彼には言っていない。

 

『ここを出ていこうが出ていくまいが自由だ。でも、どちらを取ったとしても、ハンターの狩猟技術か、錬金術のどっちかを身につけなきゃ足りない。あんたは人間だが、学んでみる気はあるかい』

 

 言われるがままに錬金術を習った。

 アイザもまた錬金術師ではあったが、その腕は卓越したものだったと、後々になってから分かった。

 彼女は必要とあらば即興でレシピや手順を編み出し、今までになかったものを創り出す技術を持っていた。彼女の窯から溢れる様々な反応の発色は、感性が乏しかったあの頃をもってしても、その美しさに目を瞬かせるほどだった。

 

 対してグレイの錬金術は、彼女の模倣かそれよりも簡素化したものしか創れない。

 そもそも、読み書きや計算ができるようになるまで三年、素材や道具の基礎を学ぶのに五年かかった。決して要領がいい方とは言えなかったとグレイは思っているが、アイザは根気強くそれを教えた。

 最終的には才能が絡むという古典的な錬金術。果たしてグレイは、初めての実践で失敗を繰り返しながらもひとつの道具を創った。

 僅かながらでも才能に恵まれていて、アイザを失望させずに済んだとほっとしたことを覚えている。

 

『アタシが難しい錬金をするときに着るんだがね。あんた用のも作っといたよ。背が伸びたときに合わせて大きめに作っておいたからね。裾を踏まないように注意しな』

 

 そう言ってアイザが寄越したのが、今グレイが着ているマカルパ装備だ。さらに言えば、採取に行くときのレザー装備もアイザのお下がりを修繕しながら使っている。

 今になってようやくぴったりの大きさになるほどだから、当時はかなりぶかぶかだった。それでも、裾をまくり上げながら一生懸命窯をかき混ぜ、炉の火を見て、作業台で試行錯誤を繰り返して、今のグレイができあがっている。

 

 マーチに見せた地下の本棚。あれのほとんどはアイザが記した錬金術の本だ。実はまだ半分も読めていないのだが、マーチの前ではつい見栄を張ってしまった。

 実際の錬金術もマーチに何度か見せたが、尊厳を保つことはできていたと信じたい。

 彼の話によれば、一般にも錬金術は普及してきているようだ。しかしまだまだ、本場の錬金術は奥深い。

 蛙の皮と小笛を組み合わせて音を詰め込んだ袋を作ったり、竜骨を融かして頑丈な樽を作ったり。組み合わせと応用先を挙げていけばきりがないのだ。

 

 そんな錬金術をアイザの下で練習しながら、十年ほどが経った。

 ざっくりと二十年。それくらいの時間が過ぎて、いよいよアイザもグレイのおかしな点に気付き始めたようだった。

 

『あんた、見た目は人間なのに、成長が遅いね。それどころか、時が止まっているように見えるよ』

 

 そう言われても、と当時のグレイは首を傾げることしかできなかった。アイザは困惑しただろう。それは、おおよそ人間の持つべき特性ではないからだ。

 子を為せるとは思えないが、竜人族と人間の混血か。あるいは人体に何らかのからくりを施したのか。アイザの書斎に仕舞われていた日記にはそう書かれていた。

 

 やろうと思えば、専用の道具を使って調べることもできたらしい。作成中のレシピも残されていた。

 けれど、結局止めることにした、という記述でその日記は締めくくられていた。

 グレイが何者かは些細な問題だ。この地を離れるつもりがないらしい彼女が、ひとりでも生きていけるように。土台を整えることが最優先だ、と。

 

『アンタの出自はアンタが気になったときに調べな。アタシはそれを詮索しない。なに、こう言っちゃあなんだが、錬金術を修めるには人間の寿命はちと短すぎるのさ。どうやら気長にやれそうだって、それくらいに思っておけばいい』

 

 そう言って、アイザはグレイの頭をがしがしと撫でるのだった。髪が乱れるので、少し嫌がっていた気がする。

 けれど、その優しさは本物だった。彼女はいろいろと粗雑だったが、後にも先にも一人だった神域の生き残りを大切にしてくれた。

 

 グレイは人との関わり方がよく分からない。だから実は、マーチと接するときには「アイザだったらどうするか」をよく考えて振舞ってきた。

 アイザだったらどんな風に接するか。どのように言葉を選ぶか。どうやって自立を見守るか。

 ひとつひとつ、真似したり、自分なりの意見も交えながら。そうとばれないように気を付けつつ手探りの交流を図った。

 

 その結果、最初に目覚めたときにはあんなに顔色が悪かったマーチが、ここを去る前には笑顔を浮かべられるまでになっていた。

 いつも心のどこかで神域の、かの龍の気配に怯え続ける。精神の余裕を常に削られているであろう状況下でしっかり笑えるということは、きっと何よりも立派だ。

 グレイはそう考える。そして、今でも記憶の中で役立つ知恵やものの見方を授けてくれるアイザを、グレイは心から尊敬している。

 

 そんなアイザはある日、本当に突然、帰らぬ人となった。

 戻ってこない彼女を探して探して、奇跡的に見つかったのは、荒れ果てた大地にこびりついた血痕と、彼女がいつも身に着けていたネックレス、それだけだった。

 

『人間も竜人族も、いつ死ぬかなんて誰も分からん。竜人族が聡いなんて錯覚さ。あれは単に生きてる時間が長いから、ちょいと物事を俯瞰して見れるようになっただけ。油断していたら足元を掬われるし、そうでなくとも死ぬときには死ぬ。だからねグレイ、アンタはアタシがいなくなったときのことをいつもちゃんと考えて、生きるんだよ』

 

 アイザが口を酸っぱくして言っていた言葉だった。彼女の死は、まさにその言葉通りのものだった。

 死因は分からない。遺体は既に鳥や小型竜たちに食い荒らされた後だったからだ。

 岩の高いところから足を滑らせて落ちたのかもしれないし、心臓や腹を患って動けなくなってしまったのかもしれない。

 あるいは、かの龍に襲われたか。そんな可能性すらある。あり得てしまう。

 何れにしても、アイザは死に、グレイは一人でアトリエを支えて生きていくことになった。その事実だけがグレイの肩に乗っかった。

 

 ところで、あの場所から唯一持ち帰ってきたアイザのネックレスだが。

 実は、マーチにお守りとして渡したのがそれだ。

 

 グレイの親も同然の人物の、たったひとつの形見。

 そんなものを渡されていたと知ったとき、マーチはどんな顔をするだろう。

 さらに言えば、そのネックレスに括りつけられた、あの歪な石の正体を知ったとき、彼はいろいろな感情が綯い交ぜになったような、そんな表情をしそうな気がした。

 

 身に着け続けていれば、いずれ気付くことになるだろう。

 自らの名に龍の名を刻むほどに、マーチがかの龍に囚われて生きることを受け止めたこと。それがあの石を渡すきっかけになったことも、そのうち察するだろう。

 

 あれこそ、この神域の欠片に相応しいもの。

 黒く煌めく龍の逆鱗だ。

 

 本体から剥がれ落ちてから、相当な年月が経っていることは間違いない。もしかすると溶岩に落ちて流されたのかもしれない。色褪せ、風化し、しかし形を未だに保っている。

 竜たちは聡い。それが自分たちでは足元にも及ばない存在から零れ落ちたものであることを察して、用心する。関わりのないように遠ざかっていく。

 定期的にここを訪れるハンターズギルドの者は、それを『威嚇』スキルだと言っていた。しかも、たったそれだけで一部の大型種にさえ影響を与える強力なものだとも。

 

 スキルという概念はグレイにはよく分からないものだが、あれの効果が確かなことははっきりと言える。

 グレイもまた、アイザにそのネックレスを作ってもらっていたからだ。アトリエの外に出るときにはこれを身に着けている。

 フロギィたちがアイザを遠巻きにしている光景は何度も見てきた。決して万能ではなく、余程の空腹のときには襲い掛かってくるが、それでも探索の気苦労は大きく軽減されている。

 

 実を言えば、人族にも影響はある。若干怯ませてしまうかもしれない程度だが。ハンターたちの物々しい装備が人を怯えさせるのと同じようなものだろう。

 実際に身に着けるとなるとそうも言っていられないのだが、グレイもアイザもマーチも、この石の主たる者の恐怖を肌で感じてきた。そういう意味では若干感覚がマヒしていると言えるかもしれない。

 

 だから、本当に何か不運なことが起こらない限りは大丈夫なはずだ。マーチは。いや、トゥリは生きてこの神域の麓から抜け出せる。そのことをグレイだけは知っている。

 

 なぜそんな、見知らぬ誰かのために。その問いはグレイにとってあまり意味のないものだ。

 

 神域の外から来て、神域へと向かっていく者はいても。

 神域から来て、神域の外へと向かっていく者はマーチが初めてだったからだ。

 少なくとも、グレイがこのアトリエの主となってから、初めての出来事だったからだ。

 

 あの日のことを思い出す。

 どこか遠くから、自然の音とは決定的に異なる、巨大な金属の管を震わせているような声が聞こえてきて、外にいたグレイは空を見上げて目を眇めた。

 そこにはいつの間にか、寒々しく稲妻の迸る雲が迫っていた。瞬く間にその黒雲が広がっていく様を見た。

 そして、その雲に空が覆い尽くされる直前に、寒風が吹きつけ始めて視界が悪くなる中で、垣間見たのだ。一隻の飛空船が神域へと向かって引きずり込まれていくところを。

 

 またか、と呟いた。数年に一度はこんな愚か者たちが現れる。神域の主も迷惑しているだろう、とすら思っていた。

 そして、グレイはその船の墜落先の見当がつけば、一応現場を確認しに行くことにしている。

 だいたいが神域の内部に落ちるので遠くから双眼鏡で見るくらいしかできないし、見つからないことの方が多い。けれどそれが、アイザに育てられた自分の為すべきことだ。

 

 そうやって半ば事務的に、しかしいつもよりは警戒心を高めて探索に出て。

 森と荒地の境界線の辺りで瀕死の状態で倒れ伏すマーチの姿を見て、心の底から驚いたのだ。

 

 マーチには当たり障りのないことしか言っていない。

 いにしえの秘薬や生命の大粉塵といった貴重な薬や、大掛かりな錬金術まで駆使してその命を拾い上げたことを、重く捉えてほしくなかったからだ。

 アイザであれば迷いなくそうしていた。そういうときに後先を考えないのは、良いところでもあり悪いところでもある。けれど身体が動くのだと、そう笑っていたアイザを脳裏に浮かべながら、その命に向き合った。

 

 そうして、鬼人薬などを少しずつ飲みながら、成人男性であるマーチをどうにかアトリエまで運んできて。マーチが目を覚ましたそのとき。

 かの龍は、グレイのいるアトリエに向けて明確に視線を送った。

 

 マーチが早くこの地から離れようとしたり、悪夢にうなされて叫んだり、目覚めた直後に吐いてしてしまった要因は、外の天候や体の不調が全てではないのだろう。

 かの龍がこの方向に興味のようなものを向けている。気配に質量が伴うかは分からないが、それは明らかにグレイにも感じられるものだった。

 

 グレイは一昔前から、千里眼の薬とよばれる薬液を定期的に飲んでいる。ハンターズギルドとの繋がりからその存在を知り、自らで独自にレシピを組んだものだ。

 第六感が鋭くなり、モンスターの居場所を気配から察知しやすくなるというものらしい。グレイなりに言えば第六感というよりも、世界の見え方を少しごまかすような薬のように感じるが、効能についてはその通りだ。

 

 おかげでグレイは、かの龍が今、神域のどのあたりにいて、どこに意識を向けているかがなんとなく分かる。

 薬の副作用を含めても、それは日々の負担を増すものではあったけど、それだけならまだよかったのだ。

 

 それまでは、かの龍の意識は散発的で、縄張りを巡回するような、かの龍も生物であるというのが感じられる振る舞いをしていた。

 それが、マーチが来てから、いや、それが引き金になったのかは分からないが、このアトリエを、あるいはそれよりも先の空を向いて、気にしているような仕草を見せていた。

 たったそれだけの変化が、あまりにも重い。

 

 マーチとグレイが初対面でよかった。例えばこれがアイザだったなら、一日と経たずしてグレイの異変に気が付いたはずだ。そこまで完璧な仮面を被れるとは思っていない。

 なるべく日常を崩さないように、けれど、マーチが早く回復できるように、食事や湿布に薬を混ぜながら。巨大な竜に間近で睨みつけられているかのような緊張と共に過ごす。

 千里眼の薬を飲まなければいいのだが、それはできなかった。できなかったのだ。そこには様々な理由と、心境があった。

 

 そんな日々を重ねて、月日と呼べるだけの時間が過ぎて、普段はゆったりと歩くか眠っているかの龍がこちらに向けて明確に一歩を踏み出し、翼を羽ばたかせたとき、マーチはアトリエから旅立った。

 いつも荒れている空の合間に訪れた隙間のようなあの霧は、ひょっとすると何かの予兆だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 心臓が早鐘を打つ。喉が渇いて呼吸が浅くなる。本能がここから逃げ出したいと叫ぶ。

 グレイはそんな内心に抗って、アトリエに居座った。

 特に何か備えるというわけではない。するべきことと言えば、大切な資料が保管されている地下の書斎を厳重に封鎖することと、もうひとつ。

 

「行ってらっしゃい。がんばってね」

 

 ハンターズギルドから受け渡された、やや大きな伝書鳥。

 その脚に手紙を括り付けて送り出す。グレイが察知した事象をそのままに。行き先は、ここから最寄りのギルドの支部だ。

 これで、辺境調査員としての仕事はこなしたことになる。その手紙を読んでどうするかは彼ら次第だ。

 

 そもそも、かの龍に対して下手に守ろうとしたり、迎え撃とうとすることは無意味としか思えなかった。

 人の社会がどのような武器を備えているかは知らないが、ありったけの火薬や刃を詰め込んで、ようやく小細工と言えるような、そんな気さえする。個人でできることは、あまりにも少ない。

 

 マーチと共に逃げてしまえばよかったのでは。

 一度どころではなく、二度も三度も浮かんだ考えだ。

 マーチは自分のことを凡人だと自虐していたが、グレイも所詮、ひとりの人に過ぎないのだ。少し特殊な歳の重ね方をするというだけで、能力も、感性も、きっと人並みだから、そんなことを考える。

 

 けれど、それでもこうやって残る選択をしてしまった理由は、他でもない。あの日のマーチが去り際に告げていた。

 

『おまえも、囚われてるんだろ』と。

 

 そして、とうとうその日が来る。

 

 






次回が最後のお話になります。
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