神域の見送人   作:Senritsu

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6. 神域の見送人

 

 

 その日は、珍しく早朝から霧が立ち込め、静かな雰囲気に包まれていた。

 アトリエのドアが、きし、と音を立てて開かれる。そこから現れたのは、駆け出しハンターのような装備に身を包んだ青年、マーチの姿だった。背中には大きめの鞄まで担いでいる。

 

「わざわざこんな装備まで……ありがたい」

「いいのよ。働かせた分の対価だと思ってくれれば。それより、動きづらいところはないかしら?」

 

 グレイはさくさくと話を進めようとするが、流石のマーチもこれだけの装備品が対価に見合うはずがないことくらいは分かる。

 服も鞄も靴も、全て新調品だ。服は機能性を重視した構造で、鞄は容量大きめで軽いもの。靴は厚底で予備まで用意されている。至り尽くせりと言っても過言ではない。

 

 マーチがアトリエを発とうとしていることを告げたあの日から、グレイは寝る時間をいくらか割いて、こつこつとこの装備を作っていた。

 彼女からすれば、それこそ年に一、二回訪れるというハンターズギルドからの密使にマーチを突き出すという選択肢すらあったのだ。その方が手間もかからないし、こんな僻地ではマーチに拒否権はなかったのだから。

 しかし、それでもグレイはマーチの「できれば一人で旅立ちたい」という意見を拒まなかった。それどころか、こうやって支援を図ろうとする。

 

 マーチは商人だ。こういった無償の支援に対して疑いを持たなければならない世界で生きてきた。

 それは恩という金では買いにくいものを売る行為であったり、無料という文字に釣られて訪れた者に商談を持ち込む戦法だったりする。

 うまい話には必ず裏があると、そう教えられてきたし、そうしてきた経験もある。

 

 だが、このグレイは。

 未だにマーチは彼女の人物像が掴めない。こんなに長い期間共に過ごしたのに、マーチはある程度の人間観察も訓練してきたのに、それでもよく分からない。

 恩を売る行為に意味はない。再び出会うことなど、互いの意志が無くては決して叶わないような僻地に彼女は住んでいるからだ。金銭目的でもない。そもそも、ここで通貨という概念はほとんど意味を為さないからだ。

 そうやって疑いを向け続けた先に辿り着くのは──彼女は本当に見返りを求めていないという単純な答え。

 

 ああ、彼女は、本当に人の社会には馴染まないな、と。

 夜中に炉に火を灯し、錬金窯と工作台を行き来するグレイを見て、マーチは不思議な確信を得た。

 そうと分かると、疑いの壁が崩れると、本当に甘えてしまいそうになる。

 けれど、マーチは元商人だ。そして、飛行船が墜落し、生きる気力を失っていたあの日から今現在まで来て、またその過去を拾い上げて生きていこうとしている。

 ならばこれは、ひとつの譲れない信念のようなものであり、彼女の嫌う、商人の意地のひとつなのかもしれない。

 

「……いつか」

「?」

「いつか、借りを返すよ。グレイがここにいるなら返しに来る」

「あら、もうこんな場所は二度と近づかないって言ってなかったかしら」

「ああ。心変わりまでしたわけじゃない。相変わらず、この空を見ると気分が悪くなる」

 

 マーチはそう言って空を見上げる。

 ついぞ、青空を見ることは叶わなかった。太陽らしきものが見えた日もあったが、空を通る光までもが歪んでいるのか、夕焼けよりもなお紅い色合いをしていた。

 今、霧で霞む景色の向こうに朝日が見える気がする。しかし、あの白靄の向こうの朱色は、朝焼けだけでは決して説明できないのだろう。

 

「ただ、それとこれとは話が別なんだ。俺の自己満足っていうか……まあ、期待しない方がいいかもしれない。それでも、口約束だって約束だからな」

「はいはい。意気込むのはいいけれど、まずは生きて人里に戻ることを最優先になさい。ここから先の道は、ハンターでも油断はできないんだから」

「……ごもっともで」

 

 まずは生きて帰ること。さらに、できる限り怪我をすることなく。グレイの言う通り、それが最優先だ。

 マーチは今、決して生還とは言えない状況にある。帰る場所にも拠るが、まずはここから人里と呼べる場所に着いて、ようやくだ。それまでにモンスターに襲われたり遭難したりして命を落とせば、結果的には神域で死んだ彼らと変わりない。

 

「装備品の確認はできてる? こやし玉の使い方は覚えたかしら。川の水を飲むときにはろ過してからしっかり火を通すのよ」

「ああ、昔キャラバンに乗ってた頃に叩き込まれたから、基本は抑えてるはずだ。むしろ、装備が充実してるから油断しないように気を付けないといけないくらいだな」

「ええ。本当に気を付けて。地図の通りなら、七日もすれば集落に辿り着くはずよ。私はそこに行ったことはないけれど、私については悪い噂が流れているようだから……名前は出さずに、探検家のふりをしなさい」

 

 それはそうだろう。マーチは頷かざるを得ない。

 この地に棲まう龍は天災の具現化だ。人の社会が築かれる前からこの状況だったのか、後からそうなったのかは知る由もないが、少なくともグレイが異端者の扱いを受けるだろうことは容易に想像がつく。

 排斥の思惑すらあるかもしれない。しかし、それを実行するにしても、ここはあまりに遠すぎるのだ。

 

「それと、ひとつ気になったのだけど」

「なんだ?」

「あなた、その名前はどうするのかなと思って」

 

 それは、マーチの今後を的確に示唆している問いだった。

 恐らくマーチの所業は街の役人やギルドに知られてしまっている。密輸商人たちが神域を目指して飛んで行ったことも、その後行方知れずになったことも。

 つまり、マーチは死亡者として扱われている可能性が高い。そこで、名前が問題になってくるのだ。

 

「もちろん、名前は変える。死亡者扱いはむしろ都合がいい」

「とことん現金ね……私、犯罪者を助けて本当に良かったのかしら」

「まあ、損させた市場にはこっそり融資でもしておくよ。それができたらな」

 

 その前に、そもそもの借金の元凶となった相手に一泡吹かせたい気持ちもある。そういう悪だくみにこそ、生きる元気が湧いてくるというものだ。

 かつては翻弄されたが、今となっては可愛いもの。知恵比べにさえ勝ててしまえばどうにでもなる。

 小物臭さも器の小ささも改まってはいないが、恐れには鈍感になった。この世で最も恐ろしいもののひとつに触れて、死んだほうがましと思える悪夢の代償に得たものがそれだ。

 

「俺は一度、あそこで死んだ。ここから先はおまけのようなものだと思って生きていくよ。新しい名前ももう、考えてあるんだ」

「ふうん? 聞かせてもらってもいいかしら」

「……トゥリ。俺はこれから、トゥリと名乗って生きていく」

 

 その言葉を聞いたグレイは少しばかり目を丸くして、それからすぐにくすくすと笑い出した。

 

「あなた、案外詩的なところもあるのね。龍の名前から抜き出すなんて。少年期はよく本を読んでいたらしいから、それかしら。まさか、自分から囚われに行くとは思わなかったわ」

「ここまで人生を歪まされたら、もう目を逸らすのも面倒なんだ。それに、これを言うと怒るかもしれないが、俺から見たらグレイだってそうなんだぞ」

「そう、そうね。あなたの言う通りかもしれないとだけ言っておこうかしら。あなたがいつか借りを返しに来るときが楽しみになってきたわ。せいぜい道中で死ぬような、つまらない結末を迎えないようにね?」

「ああ。あとやっぱり、微妙に性格悪いだろ。魔女……いや、錬金術師さんよ」

 

 日が昇る。そううかうかはしていられない。このように静かな天気は実に稀なことで、いつ雨や雪が降り始めるかも分からない。

 それに、朝方が過ぎると肉食竜たちが目覚め始める。厄介な連中との遭遇は極力避けるのが最善だ。

 

「長話が過ぎたな。そろそろ出発するよ」

「……あっ、ちょっと待って。最後に一つだけ、渡しておきたいものがあるの」

 

 グレイはとたとたとアトリエの奥の方に歩いていって棚を開け、手に何かを持って戻ってきた。

 屈んで、じっとしてて。とグレイに言われてそれに従っていると、首の後ろから回すように何かをかけられる。

 

「……ネックレス?」

「ええ。なんというか、お守りのようなものね」

 

 彼女に渡されたそれは、しなやかで丈夫そうな紐で編まれたネックレスだ。

 アクセサリの部分には、宝石の源石のような、やや荒削りな石に紐が通してある。見た目は質素だが、何か力を放っているように感じられる、不思議な石だった。

 

「旅の無事を祈って作っておいたものだから、できるだけ肌身離さず持っていなさい。……間違っても売らないでね」

「流石にそんな恩知らずなことはしねえよ……。本当に後利益がありそうだしな。素直に心強いぜ」

「ちゃんとお礼は言えるところがあなたのいいところね。それじゃ、達者にね」

「ああ。そっちこそ借りを返すまで生きててくれよ。それじゃあな」

 

 ネックレスを服の内側へとしまいこみ、別れの言葉を交わしてマーチは歩き出した。

 見送りはドアの前まで。既に見慣れたと思っていたマカルパの衣装がどこか印象深い。

 グレイはまたいつもの日々に戻るだけだ。マーチもこれからトゥリとしての人生を生きていくだけ。後ろ髪を引かれる必要はない。

 

 天然の木の幹の壁を越え、龍殺しの実の群生地を超えれば、彼女の姿はもう見えない。そこは見知らぬくすんだ森の中だ。まずはここを踏破していかなくてはならない。

 少し丘を登って空の彼方を見れば、森の木々が途切れた先で蒸気と噴煙が立ち込める、赤い不毛の大地が延々と続いていた。

 

 向こうの空を見れば、真黒な雲が青白い稲妻を散らせながら渦巻いている。飛空船が飲み込まれていった雲そのものだ。

 神域。

 肉眼でそれを見るのは二度目となるか。やはり地獄と表現するのが相応しい光景だ。

 空飛ぶ飛竜も、大地で啼く竜も見当たらない。命の気配が不自然なまでにはっきりと途絶えた、あの地の最奥に伝説の黒龍が控えている。

 

 あれと人間が同じ大地に同居しているというのは、ひょっとすると龍の側の配慮なのかもしれない。

 案外、馬鹿げた発想とも思えなかった。

 

 しばらくその景色を眺めた後、踵を返してマーチは丘を下り、いくつか山を越えた先にあるという人里を目指す。

 森の中では火山の大型竜はあまり姿を見せないが、ドスフロギィやラングロトラといったモンスターすら、一般人のマーチにとっては命取りになる。

 痕跡を頼りに理詰めで遭遇を避けるのも難しいだろう。こやし玉や閃光玉、煙玉を頼りになんとか凌いでいくしかない。

 ここからの数日間が正念場だぞ、とマーチは意気込んだ。

 

 彼女はもう悟っていただろうが、マーチは再び商人に戻るつもりだ。

 だが、もう街には行かない。犯罪歴的に行けないというのが正しいが、もし商いの運がうまくいけば、この地域を転々とする行商人として生きていきたい。

 利率は悪いし、命の危険もかつてよりぐっと増す。かなりしんどいだろうが、その方が性に合っているような。グレイと過ごした日々の中で、マーチはそう感じていた。

 

 それに、そうやって生きていくことで、己に課した宿題もこなしやすくなる。彼女に借りを返しに行くという宿題が。

 実は彼女と何気ない会話を交わす中で、不足している材料や素材をそれとなく尋ねて把握している。その数百種類以上。流石は錬金術といったところだが、ある程度網羅したつもりだ。

 いくら定期的にハンターズギルドからの支援物資が届くとはいえ、それは機材や建材、特殊な道具などであって錬金術の材料ではない。それは彼女とそれなりの期間過ごさなければ把握できない。

 そして、そんな需要に確実に応えてみせるのが商人というものだろう。既にマーチの頭の中では、目的の素材を得るための販路が少しずつ組まれている。

 

 過去の恐怖に呑まれて発狂するのが先か、こうやって旅をする中で野垂れ死ぬのが先か。未来は分からないが、とりあえず、とにかく今は歩を進める。

 

 血に濡れたような色の空を背に、人並みに怯えながら、黙々と歩いていくのだ。

 

 






これにて閉幕……ではなかったりします。
もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。
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