神域の見送人   作:Senritsu

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2. 神の棲まう地の片隅で

 

 

 神域。あるいは、神の棲む領域。

 少なくとも、マーチが今まで行商で巡っていた街では、その名を知らない飛空船乗りはいなかった。また、彼らの多くはその名をあまり口にしないようにしていた。

 彼ら曰く、その空域は通過するどころか近づくことさえ避けるのだという。各地のハンターズギルドも飛行禁止令を出していた。

 

 名前は大層なものだが、別にこの世の最果てにあるわけでもない。

 ある火山地帯の奥地にその空域は存在し、突っ切ってしまえば近道になる都市や集落がいくつもある。そういう意味では、人の社会との距離はそう遠くない。

 まるで、かのシュレイド城の伝説のようだ、とは誰が言ったか。

 

 だからこそ、人の目を欺くために密輸船はあの空を飛ぶのだ。誰も近寄らないということを、もっとも安全な道であると錯覚して。

 自然よりも、人の方を恐れるというその選択の、なんと愚かなことかも分からないままに。

 

 

 

 

 

 

「流石にここは神域の外よ? あんな場所に家なんて建てたら、一日も経たないうちに潰れちゃうんじゃないかしら」

 

 そう言うのは、今マーチがいる家の主ことグレイだ。どうやら、この家は彼女一人だけが暮らしているらしい。

 人ひとりが住むには広すぎるような気がしたが、そこまではまだ詮索していない。

 分かっているのは、この家を訪れる人間は絶無というわけではなく、マーチは来客用のベッドを使わせてもらっているということくらいだった。

 

「ここも相応に酷い気がするが……」

 

 マーチは不安そうに家の外を気にする。家を縫っていく風が笛のような音を立てている。かなり強い風が吹いている証拠だ。

 マーチがこの家で療養し始めてから数日が経つが、家の外は常に悪天候に見舞われている気がした。しかも、目覚める度に別種の天候に様変わりしている。

 

「あら、今日はまだいい天気な方だと思うけど?」

「そ、そうなのか……?」

「確かめてみましょう。ほら」

 

 彼女はそう言って、窓を閉ざしていたカーテンをざっと開けた。

 マーチは咄嗟に目を逸らした。が、いつまでも外に怯えているわけにもいかない。療養を終えれば出ていくように言われているのだ。今のうちに少しずつでも過度な恐れを解かなくては。

 ガラス張りの窓などかなり珍しい代物だが、なぜかこの家には設置されている。おかげで、窓を開けずともカーテンを広げるだけで外の様子を確認できるのだが。

 

 窓の外の空は厚く暗い雲が立ち込め、地上には砂塵が待っていた。

 いや、あれは砂塵ではなく火山灰か。神域付近の火山地帯の噴煙が、風に流されて灰となって降り注いでいるのだ。

 

「いい天気ね!」

「どこが!?」

 

 迷いなく笑顔で言い切ったグレイに思わず突っ込んだ。

 これをいい天気と言うのなら、かの砂塵舞う大砂漠の都ロックラックは天国になってしまう。

 

「だって大雨が降っていたり、雪が積もっていたりするわけではないでしょう? 視界が悪いと問題だけれど……マスクとゴーグルさえ用意すれば問題はないわ」

「家から出るのか? この空模様で?」

「ええ。だって資源は外にしかないもの。畑で育つのなんてドテカボチャくらいのものよ。意外かもしれないけれど、けっこう狩猟採集で賄ってるんだから」

 

 そこで胸を張られても、反応に困る。とはマーチは言い出せなかった。

 天候に対する認識が根本から食い違っている。彼女はこの地で長らく生きてきたのだろう。故にこれが普通になってしまっているようだ。

 翻せば、ここはまだ人が生きていける環境ということなのだろうか。マーチは未だに疑いを拭えなかった。

 

 自らが宣言した通り、彼女は外に出ていくべく専用の装備へと着替え始めた。流石にマカルパと呼ばれるあの魔女装備で出ていくことはしないらしい。

 探索用というその装備は、マーチにも見覚えがあるものだった。

 街のハンターたちの中でも、駆け出しの者たちがよく身に着けている装備によく似ている。名前は確か、レザーと言ったか。

 さらに腕ほどの大きさのナイフと大きめの鉄製のボウガンを担いだ彼女は、そこいらのハンターよりもよほど場慣れした玄人の雰囲気を醸し出していた。

 

「どう? 似合うでしょう」

「その一言がなければ良かった。途端に不安になってきたぞ……」

「そこは素直に褒めてくれたっていいじゃない!」

 

 むう、と口を尖らせながら、手際よくポーチに道具や弾薬を詰め込んでいく。

 昼過ぎには戻るから、と言って、グレイは外へと出ていった。

 

 強風で家の中に火山灰が入り込まないよう、ドアの隙間から滑り込んだのだろう、盗人が忍び込んできたかのような静かな音だけを残して。

 やはりそれも、慣れた者の身のこなしだった。

 

「……はあ」

 

 もう何度目かも分からないため息をつく。

 何とか身の回りの状況は受け入れたつもりでも、実感の方が追い付いてこない。短期間でいろいろなことが起こりすぎた。

 

 あの天災によって、密輸の共犯者たちは行方知れずとなり、恐らく自分だけが生き残った。

 そして自分はというと、素性や生業もよく分からない魔女のような女性に拾われて、今はその謎多き家に一人放置されている。

 

 身体を捩ろうとして、じわりと響く痛みに顔をしかめた。まだ腹を中心として、体中が不快な痛みを発している。

 彼女の言う通り、しばらくはまともに動くこともままならないだろう。排泄のために立ち上がることができるだけまだ救いがあったが、今はそれだけで精いっぱいだ。

 

 さらに、薄々気づいてはいたが、恐らくこの近くに集落など存在しない。本格的に孤立した場所にこの家は建っている。

 下手に体力も回復していないような状態で旅立とうものなら、外の過酷な環境も相成ってすぐに野垂れ死んでしまいそうだ。

 

 そんなことをつらつらと考えていると、今は彼女の厚意に甘えていたほうが楽だと思える。肉体の方もそうだが、もういろいろと疲れた。

 損得よりも苦楽で物事を考えてしまっていることに、やはり精神的に参っているんだな、と他人事のように感じながら、マーチは再び目を閉じた。

 

 

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