終わりゆく日々と、終わらない世界への七日間   作:Senritsu

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六日目:狭くて、広すぎる世界

 

 子どもの駄々のような理屈を、よく思い浮かべる。

 

 この社会は生産性とコミュニケーション能力が重視されている。それは当たり前のこと。

 見ている世界が狭すぎるかもしれないけれど、もとより、広い世界や社会を見るだけの気概もないから、言っても仕方がない。

 そんな風に、可能性を自ら閉ざしに行くような人が、生産性の観点から処断されないのは、なぜなのだろう。

 それこそ、未来への希望というものなのだろうか。あるいは、将来背負うべき責任を果たしていないからか。

 

 でも、そうやって将来に賭けても生産性は伸びないどころか、むしろ引きこもりになって他人の生産したものを食い潰す。生涯を総合的に見て、マイナスになってしまう。

 そんな未来になることが、今の心の持ちようからとても高い確率で導き出されることが、なにかの分析で分かってしまったとき。

 その人の生死について周りの人から意見を募ったとき、それでも生きるべきだと言ってしまえる人は、はたしてどれくらいいるのだろう。

 

 大きな罪を犯した人に対して、死刑という選択があるように。

 存在が誰かの利益になるよりも損失になる方が大きいと分かった時点で、命を奪われる義務が生じてはくれないだろうか。

 今、自分が命を落とすことで将来的に消費されずに済むお金や資源は、確実に他の人の助けになるはずなのに。どうして、こんなに効率の悪いことをするのだろう。

 

 日々、そんな何にもならない妄想を繰り返している。

 そこから脱却するためには、恐らくいろんなことを学ばないといけない。けれど、それすらやる気が起こらなくて、怠惰な妄想と、安易な逃避を繰り返している。

 

 そう、足りない頭で考えることだけは。そのための時間はたくさんあった。

 自分で自分の内側に引きこもることはできた。それすらひどく浅いものだけど、いくつか言語化できそうなものも、できた。

 好きなもの、というよりも、縋りつきたいもの、と言った方が正しいのだろうけど。

 そこに逃げ込んでもやっぱり苦しい思いをするのだとしても、ごみなりに思うところはあったのだろう、と珍しく認めることのできる、断片だ。

 

 

 

 誰かが、他の誰かと、緊張せずに話せる。そんな話が好きだった。

 それは本当に、ふつうの人からすれば当たり前のことでもいい。例えば、何気ない雑談ができる二人を描くことができれば、それは十分に救い足りうる。

 以前に語ったように、誰かと気兼ねなく話すことは、現実の私にとっては本当にそれだけで難しいことだった。

 難しいとか易しいとか、そういう次元ではないところで、私という人はこける。

 同じ言語を使っているのに言葉が通じない人、と言えば想像がつくだろうか。それと同じ枠に放り込んでくれればいい。少し違うけど、感じるだろう苛立ちや違和感はだいたい同じくらいだと思う。

 

 だからこそ、雑談というものができる関係は私の憧れだった。

 私が考えるのだから、私がそういう会話を思い描くとき、ふつうの人は忌避するような気持ちの悪い会話になってしまっているのだろう。それでも羨ましく想うことを止められない。

 何かしら、話すことに意味を含めたいと思ってしまう。ふつうの人はそれを嫌がる。それはもう、最も効率的で効果的なすれ違いだった。自分自身へ向けて、どうしてこんなのが生まれてくるのだろう、と呟きたくなる。

 

 だから、そう。私の思う会話というものは、ふつうの人の認識からは離れているのかもしれなくて。

 意味のある話がしたい私に、付き合ってくれる人が欲しい、という欲求が潜んでいる。

 本当にそれは、気持ちの悪いものだな、と思った。

 自分が歩み寄る努力を捨て、ただ自分が楽だと思う領域に相手を引きずり込もうとしてしまう。ひどく傲慢なことだ。

 

 そうやって自分を否定すればするほどに、拗れた欲求だけが募っていく。その歪みの矛先が、読んだり書いたり、考えることに向いているのだろう。

 書く動機とはそういうものだった。現実から目を逸らし、人であるべき努力をせず、今のごみの手の届く範囲で、ただ理想に浸れるから。

 

 誰かと話して話が通じるという体験は、私にとって本当に得難くて、涙が零れそうになるくらいに嬉しい。

 それを嬉しいと思うような心を持ち、その感性を変えずに居続ける。それはその時点で罪でしかなくて、償うための努力をしない限り、生きていくことは許されない。

 それくらいに重い、罪なのだ。

 

 

 

 我欲というものが薄く、でも純粋な目標を持っている人を描いてみたかった。

 思わず苦笑してしまう。それもまた、以前に語った私の理想のひとつだ。

 

 我欲や自尊心は邪魔でしかない、と思う。それらは、怖いものだから。いや、目標を達成するためにそれが必要なら、仕方がないことかもしれないけれど。そういうものから遠い目標を選びたい。

 どちらかと言えばそれは、自我が薄い人がいたとしたときに、その人がそのままで在り続けられるような世界であってほしいという意味合いなのかもしれない。

 それこそ、ひどい夢物語だった。ある意味の理想郷だ。

 

 その世界で目標は濁らない。濁らせる人と出会わない。自我が薄いまま、まっすぐに、ただひたすらに目標へ突き進むことができる。その道筋を周囲がただ支える。そんな、偶然を幾重にも合わせたような世界を。

 それは言わば、自分にとってひどく都合のいい場所だ。それなら、少しは生きやすいのかもしれないと勝手に思う場所だ。私にとっては分かりやすくて。他の人にはまず望まれないのだ。気持ちが悪いから。

 たとえ、そんな世界であったとしても、私の行先はたぶん変わらないだろう。そこまで、できた人にはなれなかった。だから妄想に託すのだろうし、これもまた、実世界での努力に結び付けないから許されないのだ。

 

 

 

 誰かが、何かに価値を感じることを、赦してくれるような話が好きだった。

 

 人とは異なる価値観を持つことは罪だ。いや、この言い方だと語弊がある。

 社会人にすら手が届かないような不適合者、存在そのものが人々の負担になっているような人でありながら、感性すらも他の人と合致させることができなければ、もうどこにも救いはない。

 

 現実がそうであって、対象者は紛れもなく私で、命を返す以外の逃避先は空想しかなかった。そういう話だ。

 つまるところ、他の人と異なる価値観を持つことが、迷惑にならない世界に浸っていたかったのだ。たとえそれが、絶対にありえるはずのない歪んだ思想だとしても。

 

 これもまた、以前に語ったように。

 本来、ものの見方の違いを持つことはごく自然に許されるのだ。ただし、自分に自信があることを大きな前提にしなければいけない。

 その強い意志があれば、価値観を共有することができるからだ。それで他の人を協調させることができれば、それは他の人も同じ意見を持つことと同義になる。

 それがものの見方の侵食というもので、それらが無数に繰り広げられて折り重なって、『ふつう』というものを構成している。とても、被害妄想的な考えだけれど。

 

 どちらかと言えばそれは、自分に自信がないことが罪なのかもしれない。

 だからこそ、自分に自信がなくても許される世界を夢に見て、それこそを、絶対にありえないと強く信じているのだろう。

 

 

 

 他にも、下劣な願い事ならいくらでも思いつく。

 

 大きい音が突然しない世界であってほしい。痛覚を切り捨てることのできる世界であってほしい。怒りや嫉妬が消えて、すべて悲しみで処理されるような世界であってほしい。自分という存在が見えない世界であってほしい。意識だけ雲の向こうへ飛ばせる世界であってほしい。

 ────何かをがんばれなくなってしまったときに、ごく自然に命を落とせる世界であってほしい。

 

 とても気軽に、確実に。自らの命を終わらせるという決断が、自らの手で下せる世界であってほしい。

 自己責任の大切さが人々に伝えられる中で、その責任をしっかりと果たせるように。

 

 もしそうなら、自分は、もう何回もその決断を下してしまっているだろうけれど。そうであると信じたい。実際は難しいのかもしれない。でも、本来は今まで生きてしまっていることが間違いというか、奇跡のようなものだから。

 それともそれは、命を返すという手段は、自己責任の範疇に入らないのかもしれない。当たり前のことかもしれないけれど、それはひどく残酷で、理不尽なものだとも思う。

 

 ただ、珍しく私から、はっきりと言えることがある。

 命を終わらせたいという願いは、何よりも切実で、叶えられるべきものだ。その段階で苦しませるのはおかしい。

 そして。

 この命を終わらせるつもりだと言って、それを実行に移さないことが、何よりも許されないことだ。

 

 それが言葉の綾で、本当は、目の前に在る世間が全て自分の思い通りになってほしいという幼児退行した願いが凝縮されていると分かっていて、だからこそ、それを実行してしまえることが、幼い頃の私たちとの差別化点だから。

 分かっている。よく分かっているつもりだ。こうやって雁字搦めになっている人ほど、本当は自分のことしか考えていなくて、踏み止まろうとする気持ちが強くはたらくだろうことは。

 

 それを否定してはいけない──否定してしまっては、生きようとする気持ちの思う壺だ。自分だけが好きで頑なに閉ざされた心は、たとえ自分でもこじ開けられないだろう。

 だから、そうだ。これまでの日々の中で、ただただ泣きわめく幼児のように説得を拒み続けていた。何よりも自分が好きな自分。

 

 それを認めて、その目を見て。ひとつひとつ、諭してきた。

 たぶん、もう手は取れていると思う。あとは、この心と二人で歩いていくだけ。

 

 心を決めなくてもいい。何も覚悟なんてする必要がない。理由なんていくらでもあるし、考えるまでもない。

 何も変わらない日々の中で、ようやく一歩を踏み出せそうだ。踏み出すまでに、本当に長い時間がかかった一歩だった。

 だからその日も、いつもと変わらないままで。何気ない日々の中に埋もれるように。特別なことなど何もないかのように、いや、本当に何でもないことなのだから。

 

 明日は、少しだけ長く眠ろうと思って、笑った。

 

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