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エミヤ教授は推理する/Novel by gyoree

エミヤ教授は推理する

33,363 character(s)1 hr 6 mins

カッコよく事件を解決する槍弓が見たいと思い書き始めた結果、ただの推理小説もどきになりました。
CPというよりバディものですが、書いてる人が腐っているのと、続きを書くとしたら腐らせたいので槍弓タグ入れております。

以下概要

・ランサー刑事と大学教授アーチャーのなんちゃって推理小説。
・現パロ、冬木市の名を借りていますが別の時空の別世界
・犯人はフェイトのキャラの誰か。
・作品は腐ってませんが、書いている人は腐っています。

以上ご理解の上お楽しみください

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  午後1時45分。
 左手に着けた腕時計を確認して、ランサーは助手席に座るバゼットに目配せをした。
 車内にまで響くけたたましい蝉の鳴き声に、今からエンジンを止めて、この快適な空間から外へ出なければならないのかと、いくらかウンザリとしながらも、手は素早く車のキーを手前に回して引き抜いた。
「行くぞ」
「ええ」
  短く言葉を交わし、二人はほぼ同時に車から降りた。
 瞬間、押し寄せる熱風。アスファルトの地面から立ち上ったぬるい蒸気が、鼻孔を通って肺を満たす。エアコンのおかげで冷えていたはずの肌が、一瞬で茹だった。
「お前さ、それ暑くねえの」
「なにがです」
「ジャケット、よくそんなの着てられるな」
「身だしなみは大事ですよ、ランサー」
  タイトなスーツを身に纏った相棒の、生真面目な返答に肩を竦めて、ランサーは青灰色のTシャツの首元を扇いだ。一見、モデルかと見間違うほどに整った容姿と鍛えられた身体は、ドラマの主人公のようである。一つにくくった空色の長髪を尻尾の様に揺らしながら、バゼットと連れ立って歩く最中、すれ違う女性達がうっとりと頬を朱色に染めた。
「大学ってのは良いもんだな。若くて綺麗な姉ちゃんが、いっぱいいるじゃねえか」
「また、あなたはそのような事を」
「なんだよ、声に出すくらい良いだろ別に……あ、そこのあんた、ちょっといいか?」
  呆れたと、ため息を吐く相棒の渋面を無視して、ランサーは近くを通り過ぎようとした青年に声を掛けた。
 いぶかしげに振り返る青年に、人懐こい笑顔を向ける。
「なあ、学生食堂がどこか、教えてくれないか」

  新都大学は、冬木市の中心部にある大きな大学だ。近隣の中でも比較的偏差値は高く、文理共に幅広い学部を有している。大学の広大な敷地を真っすぐに突っ切って、ベンチの置かれた芝生の中心を蛇行して伸びる石畳の先、白璧の建物へと向かう。
  建物の出入り口付近はざわざわと人だかりができ、制服を着た警察官が、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープの前に陣取っていた。
「よお、お疲れさん」
「ご苦労様です」
 ランサーとバゼットは、それぞれズボンと上着のポケットから小さな手帳を取り出すと、出入り口を塞ぐ制服の男に向かって掲げてみせた。
「ランサー警部補、バゼット巡査。ご苦労様です、どうぞ」
  敬礼の姿勢を取った相手は半歩下がって道をあけ、二人は規制線のテープをくぐって、食堂の中へと入っていった。
 ランサーは、現場をぐるりと見回した。
 制服姿の鑑識官が、せわしなく動き回っている。床に貼られた白いテープの中には、灰色のビニールシートが掛けられた塊がある。飛び散った赤色のシミがなんであるかなど、考える必要も無いだろう。
「ディルムッド、現場の状況を教えてくれ」
  ランサーは、現場の中心で指揮をとっている制服の男に声を掛けた。振り向いた男の顔は、泣きぼくろが特徴的な目の覚めるような美形。相変わらず、警察官にしておくには勿体ないほどのイケメンだと、自分の容姿にそこそこの自信があるランサーでさえそう思う。ディルムッドと呼ばれた鑑識課の巡査部長は、その美しい顔を生真面目に固めて、お疲れさまですと敬礼をしてみせた。
「被害者はここの学生です。21歳男性、情報学科の生徒で、身長は182㎝、衣服には争った形跡があり、首の後ろ……項に深い刺し傷を受けて死亡しています。死亡推定時刻は昨晩の午後10時前後、午前9時に大学の清掃員が、食堂開放前の清掃にやって来たところ死体を発見、通報しました。」
「食堂への出入りは……鍵は誰が管理しているんだ」
「鍵に関しては、自動管理です。最近の建物は凄いですね、この大学の全ての建物の出入り口は保安室で機械管理されています。午前0時に自動で施錠し、午前8時に開錠する仕組みだそうです。午前1時に保安員が確認した時は正常に施錠されていたという事ですので鍵が閉まる午後10時から午前0時の間での犯行でしょう」
 要するに誰にでも犯行は可能という事か。小説のように、密室殺人でトリックを華麗に推理、というような展開にはならなさそうだ。顔の美しさに見合った、柔らかな美声でよどみなく現場状況を説明するディルムッドに感心しながら、ランサーはズボンのポケットから手袋を取り出すと、手にはめながら灰色のビニールシートに近づいた。
 ペラリとめくると、歳の割には老けたような、あまり真面目そうとは言いがたい男が青白い顔をして転がっている。
 死体なんて、いつ見ても気分の良いものではないな、と独りごちながら、被害者の様子を検分していく。
 死因となった首の傷は、見ただけでは正確に分からないが、随分と深そうだ。傷以外にうっ血した痣があるのを見ると、刃物を根元まで突き刺したせいで、柄の部分で打ったのかもしれない。
 首に致命傷を負っている割には出血が少ない。おそらく別の場所で殺されて、ここに運び込まれたのだ。
「凶器は見つかっていないのか?」
「現状特定はできていません。食堂ですから、凶器になりうるものがあり過ぎて、現在食堂内の刃物を全て鑑識に回して調査しています」
「この傷は、ナイフを根元まで押し込んだように見えますね。筋肉質な男性の首にこれほど深くナイフを突き立てるには、相当の力が必要ですよ」
 バゼットが、死体の首を観察しながら、ランサーと同様の考えを口にした。
「凶器の幅は2㎝くらいか、それなら普通の包丁じゃなくて、果物用みたいな小さめのやつだろうな」
「果物用……ペティナイフというのでしたか」
「いや、それは違うだろう」
 ランサーとバゼットとの会話に、突如割って入った声。二人は驚いて顔を上げた。
「なんですか、あなたは。ここは殺人現場ですよ。勝手に入って何をしているのです」
 バゼットが強い口調で叱責したのは、見覚えの無い、グレーのワイシャツ姿の男。警察の関係者ではなさそうだ。白い髪を後ろに撫で付けた褐色肌という、珍しい色彩に黒ぶちの眼鏡をかけた体格のいい男は、その精悍な顔に皮肉な笑みを浮かべている。
「おい誰だ、一般人を現場に入れたやつは、早くつまみ出せ」
 近くの係官に声を掛けようとしたランサーに、男は手を掲げて静止のポーズをとってみせると、ふっと一つ呼吸をして、そして一気に捲し立てた。
「私は火曜日と金曜日の2限と3限は、ここの近くの第8校舎で講義をしている。その後、次の5限にまた同じ講義室で教壇に立つのだ。その間、ここから歩いて10分以上掛かる自分の研究室に戻るのが億劫でね、授業のない午後2時40分から午後4時までの間、ここで紅茶を飲みながら次の講義の準備をするのが習慣なのだ。人が死んだかどうか知らないが、私の生活に割って入ったのは君たちだろう。私は私のライフスタイルの為に即刻ここを開放して欲しい。だから君たちの間違った推理について指摘したまでだ」
 ランサーには男の言いたい事の半分も理解出来なかったが、どうにも頭のおかしな奴だと言う事だけは理解出来た。
「おまえさんの習慣がどうか知らんが、ここは殺人現場だ。部外者は出て行け。それとも公務執行妨害で逮捕されたいか」
「公務執行妨害? まさか、逆に協力してやろうと言っているのだ私は」
 男はやれやれと首を振ってみせると、腕組みをし、先ほどと同じ調子でやはり一息に捲し立て始めた。
「私は刃物に関しては少々知識があってね、君たちのいうペティナイフ、確かに刃先の幅は2㎝ほどで、刃の長さは9〜15㎝まで幅広い。だが、この学食の厨房にあるペティナイフの長さはおよそ13㎝だったと記憶している。その男の首の太さを見てみたまえ、13㎝の刃物を項から根元まで差し込めば、刃先は喉を貫通するはずだ。けれどそうなってはいない。刃の幅が2㎝程度で長さが10㎝以下のものは何か、第一に考えられるのは十徳ナイフの刃物部分。殺傷能力があるし持ち帰ることも容易だが、被害者の体格を見ると、犯人は相当な力の持ち主でなければいけない。彼のような体格のいい男の背後から襲い掛かり、切れ味の悪いナイフを根元まで、痣が残るほど深々と突き立てるなどということは、よほど巌のような大男の仕業か、まず人力では不可能だろう。となると、不運が重なった事故死だと考えるのが妥当だ。しかし、十徳ナイフがたまたま収納されずに飛び出していて、それが偶然に突き刺さってしまう状況というのは考えにくい。よって十徳ナイフは凶器ではないと考える。次に怪しいのは掃除用のスクレーパー。スクレーパーは清掃用のポリバケツに適当に放り投げられて収納されているから、バケツに頭を突っ込めば刺さることもあるやもしれん。しかし、この学校の備品として使用されているスクレーパーは全て幅広の、イチョウ型のものだと私は知っている。となると他に何が該当するか。規格が存在せず、あらゆる形状のもの。個人の持ち物で学外に持ち去られても問題が無いもの。それにこの食堂の裏手に、美術サークルのアトリエがあることを考慮すると……つまり凶器は美術用のパレットナイフ、が正しい」
 絶句。
 唐突に現れて、怒涛の推理を展開する男に、現場にいる警官たちは目を点にして立ち尽くした。
 男は続ける。
「犯人は予想外に起きた事件に怯え、死体を食堂に移動させた。美術サークルには画板や石膏を運ぶための台車があるから、それを使ったのだろう。問題なのは現場に残ったであろう血液の痕跡だが……美術用のアトリエの床に赤い染みができていたとして、気にする者などいるだろうか?詰まる所、この犯人に課せられる罰は殺人罪ではなく、過失致死と死体遺棄だ。どうかね、刑事殿」
 自慢気に、腕組みのまま顎を逸らす男と暫し見つめ合う。
 男の言葉を一語一句漏らさずに思案して、ランサーはぎりりと奥歯を噛み締めた。
 男の推理は強引だ。論理的ではあるが確率論に偏り過ぎていて、まるっきり御都合主義ではないか。しかし、強引だが中々に的を得ている(様な気がする……)とランサーは思った。
 突然現れた、わけのわからない素人相手に悔しいが、そうであるなら自分のとる行動は一つだけだ。
「おい、ディルムッド、ここの裏手に美術サークルのアトリエがあるのか」
「は…はい、確かにそのような建物が」
「なら、そこを調べてくれ。何か手掛かりがあるかもしれん」
「分かりました」
 ランサーの指示に、麗しの巡査部長は素直に頷き、指定の場所へと駆け足で向かう。
「さっさと事件を解決して、この御遺体を供養したまえ」
 隣に立つバゼットも、胸中は同じだろう。偉そうに宣う男を二人揃って睨みつけた。

 これが、ランサーと、奇妙な男……エミヤ教授との出会いであった。

 刑事といえば、あんぱんだ。
 いつ誰が何故そう決めたのかは分からないが、ドラマで観る刑事は大抵、あんぱんを食している。
 ランサーは、未記入の報告書を前に、まだ暖かいパン屋の袋に、ガサガサと手を突っ込んだ。
「ランサー、またクリームパンですか」
 書類提出から戻ってきたバゼットが、ため息混じりに声を上げた。
「おう、ここのパン美味いんだよな」
 刑事といえばあんぱんではあるが、ランサー刑事にはクリームパンだ。懇意にしている店は石窯で焼いたパンが売りで、連日、人だかりができるほどの人気店。中でも手に持つだけで中のクリームが零れ出しそうな、とろとろのクリームパンがランサーのお気に入りだった。
「いい匂いですけど、香りが部屋中に充満していますよ」
 飯テロです。と、恨めしげに睨んでくるバゼットを「食いたけりゃ、お前も買ってこいよ」とあしらって、大きな口で朝食に齧り付く。薄いパン生地を歯で破ると、控えめな甘さのクリームが口の中いっぱいに溶け出して、卵黄とバニラビーンズの香りが鼻の奥で広がった。
「食事中のところにすまない」
 束の間の幸福を満喫していたランサーの元にやってきたのは、捜査一課の直属上司であるジークフリート警部だ。
「未遠川で死体が上がった。直ぐに現場に向かってくれ」
 “すまない”が口癖の低姿勢な男ではあるが、上司であることに変わりない。ランサーは、好物をゆっくり食べることも許されない、自分の運の無さにがっくりと肩を落とした。
「マジかよ、まだ前の現場の報告書も終わってねえんですけど」
「それはあなたが、面倒を後回しにしていたからでしょう。ほら行きましょう」
 バゼットに背中を押され、現場へ急行する。机の上に置き去りにされた袋から、できたてのパンが柔らかなバターの香りを放っていた。帰ってくる頃には、冷めて硬くなっているだろう。それでも美味いのは確かだが、やはり出来立てが食べたかった。
「すまない。間の悪い男で本当にすまない」
 未練を垂れ流す背中に、ジークフリートが謝罪の言葉を掛けてきた。
(すまない、で済んだら警察なんていらねえんだよ!)
 などと、湾曲した考えが頭を過ぎるのは、仕方のないことだろう。

 冬木市の中心部である新都と住宅街である深山町を東西に分断する未遠川は、水深があり、流れも速い。急行した現場は、幅広の川を横断する真っ赤な大橋の麓にあった。
「遺体は若い女性です。現在身元を調査中、死亡推定時刻は不明。川に流されたのでしょう、遺体の損傷が激しく、岩などで打った痕が至る所に見られます。第一発見者はすぐそこにある古本屋の店主です。今から一時間ほど前に、開店準備をしていた所、異変を感じ橋の下を見て遺体を発見」
 相変わらず、美形の巡査部長が、現場検証の結果報告を淀みなく行う。
 ランサーとバゼットは、川辺に打ち上げられた形でうつ伏せに倒れている遺体に近付くと、重い気持ちのまま検分を行った。
「せっかくの美人が勿体ねえな」
「不謹慎ですよ、ランサー。本当に酷いことを……」
 水を含んで膨張した遺体は、慣れないものが見ればとても耐えられないだろう。慣れていたって、耐え難い。
「犯行現場はもっと上流だろうな、どのくらいの距離を流れてきたのか分かるか?」
「司法解剖で死亡推定時刻が解れば、川の流速から、おおよその犯行エリアが割り出せるかと」
 これは随分難しい案件だと、ランサーは頭を抱えたくなってしまった。水死体は死亡推定時刻が解りにくい。腐食の進行度が水温に左右されるからだ。
「岩にぶつけただけで、これほど遺体がボロボロになるのでしょうか」
「いえ……それなのですが……」
 遺体の損傷の酷さを指摘したバゼットに、ディルムッドが言い澱む。ランサーが、なんだと先を促せば、彼は観念したように息を吐き、遺体の側に膝を突くと、手袋をはめた手で水を含んだ衣服を捲った。
「見てください。あらゆる箇所を滅多刺しです。刺し傷によるショックと出血多量が死因でしょうね。よほどの恨みを持っていたか、とんでもないサイコパスの仕業か……」
 服の下の酷い傷痕に、バゼットが思わず口元を手で覆った。
「バゼット、吐くなら現場の外に行けよ」
「……飲み込みましたから、大丈夫です」
 青ざめた顔からは、その言葉が本当なのか、冗談なのかは解らない。
「正確な事は、司法解剖するまで分かりませんが……この傷口、統一性がなくて合致しないんです。まるで、ありとあらゆる刃物で刺し貫かれたようで……」
 私の思い過ごしかもしれませんが。
 ディルムッドはそう言うが、ランサーには、鑑識課の巡査部長の検分が、的を外れているとは考えられなかった。
「無数の刃物で貫くだなんて、そんな魔法のような事が出来るでしょうか」
 ディルムッドの検分に、バゼットが驚きの声をあげる。そんな大量の武器を所持して、あまつさえ使用したりすれば、怪しい事この上ない。誰にもバレずにそんな事が出来たとすれば、それは確かに魔法のようだ。
「凶器の特定か……」
 己の呟きに、ランサーは、つい最近に解決したばかりの事件の事を思い出した。それと同時に、鮮明に記憶に残ってしまった、何とも奇妙な男の顔を思い出す。
「遺体をさっさと解剖に回した方が良さそうだな。ディルムッド、結果が分かったら連絡をくれ。バゼットは誰か巡査を一人連れて周辺の聞き込み。俺はちょっと気になる事があるんでね、別行動だ」
 ランサーの指示と散会の合図に、各々が敬礼をして持ち場を離れた。ランサーは一人、車に乗り込みエンジンをかける。
 向かう先は、数日前に解決した事件現場。
 新都大学だ。


 衛宮・S・アーチャーは新都大学、物理学部の教授だ。専攻は鉱物学。いわゆる”合金”を作成して、建築物の強度向上などに貢献しているらしい。
 幼少期をロンドンで過ごし、現地の大学である時計塔を飛び級で卒業。父親の仕事の都合で来日以降、研究生として新都大学に籍を置きながら、地道に研究成果をあげ、34歳の若さで現在教授の地位に落ち着いている優秀な男、と言うのが調べて分かった事だった。
「突然やってきたかと思えば、ストーカーの真似事かね。この国の警察は、暇を持て余しているようだな」
 ランサーは、新都大学にある、件の男の研究室を訪れていた。男の神経質そうな雰囲気に見合った部屋は、整然として塵一つ落ちていない。
「これも仕事だ。いきなり現場に割って入った第三者の素性を調べないまま放置しておくと思うのかよ」
 ランサーの答えに、男は「それもそうか」と、椅子に腰掛けたまま鼻で笑った。いちいち癪に触る男だ。
「ところで、例の事件はどうだったのかね。まさか未解決のまま此処に来たわけではあるまい」
「ああ、あんたのいう通り、過失致死だったよ。ひ弱な美術部員が、厳つい不良にカツアゲされそうになって、抵抗してもみ合った結果、倒れ込んで喉をぐっさり。アトリエの床から、血液反応が出たあとは、指紋やら毛髪やら証拠のオンパレードだった」
 美術部員からすれば災難以外の何者でもない。カツアゲされそうになった上に殺人罪だ。まあ、正当防衛とも取れる状況から、情状酌量の余地ありで、罪に問われるのは死体遺棄のみといったところか。
 ランサーが事件のあらましを簡潔に説明すると、どういうわけか、男の眉間のシワが見る間に深くなっていった。
「たわけ。私が聞いたのはそんな事ではない。凶器は何だったのかと聞いているんだ」
 吐き出された言葉に、空いた口が塞がらない。事件の概要より凶器が気になるなどと、頭のおかしな奴だと思っていたが、間違いなかったようだ。
「……それも、あんたの言った通り、小さめのパレットナイフだったぜ」
 口元を引きつらせながら、答えると、途端に男は険悪な顔を和らげて、ほら見ろと自慢気に胸を反らせた。
(こいつ、本当は馬鹿なんじゃないか?)
 本人に伝えれば、ありったけの嫌味と皮肉が飛んできそうな事を思う。
「正直なところ、あんたのアドバイスがなくても、俺たちは今回の犯人には辿り着けた」
 この研究室に入ってから、まだ一度も席を勧められていないランサーは、入り口付近に立ち尽くしたまま、男に向かって己の考えを吐露した。
 現代科学の発展は目覚しい。鑑識の詳しい調査と司法解剖を行えば、傷口に付着した絵の具の存在には気がつけただろう。そうなれば、アトリエの調査に向かうのは必然だ。
「けどな……」
 ランサーは感情の読めない顔でこちらを見つめる男の、少し変わった鋼色の瞳をしっかりと見返す。
「結局、捜査ってのはスピード勝負だ。鑑識の結果待ちじゃあ解決までにもっと時間が掛かっただろうし、そうなれば証拠は隠されてたかもしれねえ。犯人は逃げちまってたかもしれねえ」
 ランサーは、自分の仕事に誇りを持っている。だからこそ、言い訳はしたくない。筋は通すのが信条だ。
「感謝するよ教授。あんたのおかげで早期に事件が解決できた」
「驚いたな」
 そう言葉にする男の表情は、驚いたというよりも、困っているようだ。
「私は、頑固でプライドの高い刑事に”余計な口出しはするな”と釘を刺されるかと思っていたのだが……キミは、随分と気持ちの良い男だったようだ」
 ランサーは、和らいだ男の表情が、思いの外幼いことに気がついた。嫌味な態度と言葉は、童顔を隠す仮面なのかもしれないと気が付いて、胸の奥がむず痒くなる。
「そこでだ」
 ランサーは気恥ずかしさを無理矢理押し隠して、ボリボリと頭を掻きながら、本来の目的を思い出した。此処に来る前は多少重かった気持ちも軽い。
「これはオレ個人からの依頼なんだが、ひとつ、捜査に協力しちゃくれないか」
 警察として頼むのではなく、ランサー個人として、男に協力を仰ぎたいと思ったのだ。殺人事件における凶器の特定がどれほど重要なことか。凶器そのものは当然犯罪の証拠となるし、せめて種類や入手経路が解れば犯人の手掛かりになる事もある。態度と言動にはアレなものがあるが、男の専門家としての知識は魅力的だった。
「断る……といったらどうするかね」
 その答えは、予想がついていた。
「教授、オレはあんたについて調べたって言ったよな」
 ランサーは椅子に腰掛ける男に近づくと、耳元に顔を寄せる。
「あんた、実験室で武器を作ってるらしいじゃねえか」
 男の眉尻がピクリと跳ねた。
「……なんのことかね?」
「おいおい、警察官に嘘はいけねえな。銃刀法違犯に公務執行妨害のおまけ付きだ」
「研究の一環だ。実験室外に持ち出す事はしないし、作成後は速やかに融解している」
「それでも、自分が法を犯してる自覚はあるんだろ?」
 ランサーの言葉に、男は、深く刻まれた眉間の皺を指で押さえ込み、フー、と長い息を吐き出すと、苦々しげにランサーを睨みつけた。
「前言撤回しよう、やはりキミは最低の警官だ。地獄に落ちろ、公僕め」


「第一発見者のヘンリー・ジキル氏です」
「署へのご同行ありがとうございます。どうぞ楽に」
 署に戻ったランサーは、バゼットに渡された資料を片手に、パイプ椅子を引きずった。簡素な机の向かいには、硬い表情をした第一発見者が青ざめた顔で固まっていた。薄い茶髪は地毛だろう。真面目な好青年といった雰囲気で、ハーフフレームの眼鏡越しに見える青い瞳が不安げに揺れていた。
「ジキルさん、被害者を発見したときの状況を説明して頂けますか」
 ランサーは、相手を怯えさせないよう、殊更丁寧な口調でゆっくりと話しかける。
「状況と言っても……大した事は何も」
「川沿いで古本屋を経営なさっているんですね。開店の準備をしていたと伺っていますが、どうして橋の下が気になったんです?」
 古本屋は未遠川の川沿いに店を構えていたが、店から橋の下を直接覗く事はできない。何故彼がそのような行動をとったのか。具体的な質問をして、相手の言葉を誘い出す。
「あの……今日は朝から暑かったので、店の前に打ち水をしようとしたんです。それで、水道代節約のつもりで、バケツに水を汲みにいって……あの、これってもしかして、罪に問われたりするんでしょうか、水泥棒とかその……」
 ジキルが必要以上に怯えている理由に、ランサーはなるほど、と納得した。罪の意識があったのだ。
「たしかに、川からの取水は違法行為ですが、バケツ一杯分取った程度で逮捕なんてしませんよ。それで、水を汲む為に橋の下にいったと」
「はい、人が倒れていて、近づいて声を掛けたんですけど、その……どう見ても返事が返ってくる雰囲気じゃなくて、びっくりして僕は……ごめんなさい、あまりよく覚えてません」
「他になにか気になる事はありませんでしたか。近くになにか落ちていたり、不審な人物を見たりは?」
「すみません……わかりません」
 身体を小さくして、ジキルは今にも泣きそうな様子だった。発見時の事を思い出しているのだろう。血の気の無かった顔がさらに青白くなっている。たしかに、刑事のバゼットでさえ吐き気を催すほどの悲惨な遺体だった。素人がこうなるのも当然か。
 ランサーは椅子に腰掛けたまま、小部屋の外で様子をうかがっているジークフリートに目配せをする。
 これ以上質問をしても、ジキルから得られる情報はなさそうだ。
「分かりました。ジキルさん、ご協力ありがとうございます。係の者がパトカーで御自宅までお送りしますので。また何かありましたらご連絡を」
 解放の言葉に、ジキルはホッと息を吐き出した。紫色の唇に、少しだけ赤みが戻ってくるのを見届けて、ランサーは小部屋を出る。
「ランサー、バゼット、司法解剖の結果が出た。すまないがDr.ロマンのところに行ってくれ」
 小部屋をでるなり、ジークフリートからの指示が飛ぶ。ランサーはちらりと自分のデスクの上を見た。朝から放置されているパンの袋がそのまま置いてある。
「りょーかい、まったく飯食う暇もねえな。いくぞバゼット」
「はい」
 相棒と二人、車に乗り込んで新都大学へ向かう。本日二度目の来学だ。

「やあ、ランサー、バゼット、来てくれてありがとう」
「よおドクター、検視結果を教えてくれよ」
 病院の霊安室のような場所。長い髪を頭頂で一つ括りにした、へらへらと締まりのない顔の男が二人を迎え入れる。男の名前はロマニ・アーキマン。通称Dr.ロマン。新都大学に勤める法医学者だ。
「まずは、直接の死因だね。見た通り、両手足を縛られて、全身……主に腹部を刺されての失血死。性的暴行の痕跡はなく、川に投げ込まれたのは死亡した後だ。死亡推定時刻は一昨日の夕方から晩にかけて、身体の腐敗と膨張具合を見るに、全身が水に浸かっていたのは丸一日といったところだろう。下半身と上半身で膨張の具合が違うから、岸に打ち上げられてから発見に至るまでに6時間以上空きがある」
台の上に寝かされた遺体を前にしてDr.ロマンが行う報告に、バゼットは指を使って数を数えた。
「遺体の発見は今朝の8時頃でしたね」
「ってことは、日付が変わる頃に川に放り投げられて、橋下に打ち上げられたのは真夜中の2時頃ってところか」
「それから凶器に関してだけど……」
 Dr.ロマンは、遺体に掛けてられていたシートをめくり、数えきれないほどの傷跡を指差した。バゼットもさすがに二度目は吐き気を堪えられたようだが、やはり気分のいいものではない。
「ディルムッド巡査部長が言っていましたね。まるで、ありとあらゆる武器で滅多刺しにされたようだと」
「そうだね、鋭利な刃物で切り裂かれたような傷もあるし、鈍器で殴られた後、槍のような尖ったもので突き刺した傷もある。ディルムッド君の言うとおり、凶器が一つではないのは確かだ」
「問題は、それだけの凶器をどうやって入手し、保管しているかだな」
 結局はそこだ。
 それほど大量に刃物を購入していて、所持していれば必ず足がつくはずだ。インターネットの購入履歴か、デパートの刃物売り場か、その辺りから洗い出すしかないようだ。ランサーはDr.ロマンに礼を述べ、医学部の校舎を出た。腕の時計を確認する。午後3時10分だ。
「少し寄り道をするぞ」
 バゼットに声をかけ、学生食堂のある方に足を向けた。


「よお、教授。また会ったな」
 昼時を終えて閑散とした、学生食堂の一角に男はいた。
「私はキミの顔など二度と見たくは無かったがね、刑事殿」
 不機嫌な顔を隠しもせずに、男……エミヤは、ラップトップの脇に置かれたティーカップを持ち上げて、一口啜る。
「まあ、そう言うなって。ちょっとばかし聞きたい事があってよ」
 ランサーは、相手の返事も聞かずに目の前の椅子を陣取ったあと、現状が理解できずに動揺しているバゼットに、お前も座れと声を掛けた。
「何かね、あと30分程で次の講義がある。手短にしてくれたまえ」
 連れねえな、と冗談めかせば、ギロリと強く睨まれる。ランサーは、戯けたように肩を竦めてから、真面目な顔で本題に入った。
「例えばなんだが、自由自在に形状が変えられて、武器として扱えるような金属っていうのはあるのか?」
「ふむ、基本的に金属というのは熱さえ加えれば自在に形状を変えられる。しかし、それなりの設備がある場合での話だな。なんの設備もなく常温で変形し、一定の硬度を保っているかという質問なら、私の知る限り存在しない」
「お得意の合金、てやつでも作ることは出来ないのか」
 ランサーの質問に、エミヤは暫し思案する。顎に手を当てて、頭の中の知識を探っているのだろう。最初こそ邪険にされていたが、大学で教鞭をとるような人間は、総じて、教える事が嫌いではないのだ。
「キミの知りたい事とは少し違うかも知れないが、アモルファス金属というものがある。基本的に、金属とされるものの原子構造は規則正しい配列をしているが、この金属は列を為さずにランダムに配列されている。まあ、専門的な話は置いておこう。アモルファス金属というのは極めて粘性の高い液体だとする説もある。ガラスが液体だという話は聞いた事があるかね」
「ガラスって、窓とかについてるガラスの事ですよね?」
 バゼットが不思議そうに首を振る。ランサーも、そんな話は初めて聞いたと、エミヤの話の次を促す。
「ガラスはアモルファス構造で、その原子はわずかだが流動している。その素である二酸化ケイ素を使用した合金であれば、キミの言うような、液体の様に変幻自在でかつ金属の強度を持った武器とやらも、作成出来るかも知れん」
 けれど、現段階では存在しないと、そう言う事だ。はなから当てにはしていなかったが、特殊な金属を使った凶器という線は消えたわけだ。ランサーにとっては、一つの可能性が消えただけでも収穫だった。
「ところで刑事殿、私からも質問をさせて貰っていいかね」
 エミヤは、ラップトップの画面を閉じて、顔の前で両手を組むと机の上に身を乗り出した。
「キミは若そうだが、歳はいくつだ」
「28だが、それが何だ」
 若造がと馬鹿にするつもりか。社会に出れば年齢差など関係はない。来るなら来いと身構える。
「なるほど、確か警部補と呼ばれていたな。見たところノンキャリアの叩き上げ。その歳で警部補とは、キミは随分と優秀な様だ」
「何が言いてえ」
「キミが事件を解決し、得るものは何かね。金か、名声か」
「なっ、あなたっ、失礼にもほどがあります!!」
 エミヤの言葉に、バゼットが激昂して立ち上がった。食堂内にいる学生達の視線が集まるのを感じ、ランサーは片手で座れと、彼女を制した。
「しかし、ランサー……」
「いいから座ってろって」
 怒りが覚めやらないと、渋るバゼットを宥めるランサーは、腹を立ててはいなかった。生憎と、あからさまな挑発に乗るほど若くはない。試されているのだと感じた。
「まあ、そりゃあ、オレだって、霞を食って生きてるわけじゃねえからよ。出世して、給料増えれば万々歳ってな」
 正義の為に悪を滅ぼすなんて、夢見がちなことを思っているわけでもない。ランサーはそんな高尚な理想などを持って警察官になったわけではない。
「今回の事件、殺されたのは若い女だ。身元がまだ分かってねえが、もしかすると10代かも知れねえ。いや、女子供が護られるべきだとは言わねえさ。現に、俺の横にはその辺の男よりも腕っ節の強い、ゴリラみてえな女がいるしな」
「待ってください、聞き捨てなりません」
 ゴリラとは何ですか、ぶん殴りますよと憤慨するバゼットに、くつりと笑って「ほらな」とエミヤに同意を求める。
「警察官、特に刑事ってのは危険な仕事だ。追い詰めた犯人に返り討ちにされる事だってあるだろうし、逮捕した奴の仲間に恨まれる事もある。それを分かっていて、オレもコイツも刑事をやってんだ。要するに、オレ達は自分の意思で闘いの場に立ってるって事だろ」
 ランサーの言葉をエミヤは静かに聞いていた。バゼットも、今は黙って事の成り行きを見守っている。
「だが、殺された被害者は違う。戦う意思もないのに無理やり戦場に引っ張られて死ぬなんて、こんな理不尽な事ってあるかよって、な。犯人に其れ相応の報いを受けさせてやらんと気が済まん。正直自分でもよく分からねえけど、そういう性分なんだわ」
 そういう風に産まれてきたのだ。誰かに教えられたわけでもなく、自然とそういう考えを持つようになった。ごく当たり前の様に、今の職業に就いている自分がいて、少なくとも天職だと、そう思っている。
「なるほど、そうか」
 エミヤは一言頷くと、腕にはめていた時計をチラリと見遣った。
「キミの心情は理解したが、もう講義が始まる時間だ。私はこれで失礼する」
「分かった。時間を取らせて悪かったな」
 ラップトップを持ち上げ席を立つ男に倣い、こちらも立ち上がった。時計を見る。一度、捜査本部に戻って現状の報告を行った方が良さそうだ。
「刑事殿」
 低く、通りの良い声に名前を呼ばれた。どうかしたかと顔を上げる。
「6時前には講義が終わる。そのあと、私に付き合う気はあるかね」


『鑑識の結果、被害者の体内から気になるモノが検出されました』
「気になるもの?」
 ディルムッドからの連絡に、ランサーは電話越しに聞き返した。
『それが、まるで先日の事件のような話なんですが……僅かながら体内から塗料のようなモノが』
「おい、まさか、また凶器はパレットナイフだとでも言うんじゃないだろうな」
 こんな短期間に二度も、そんなマニアックな凶器で殺人が起きてたまるかと、ランサーの声も思わず大きくなる。
『あれだけ色んな武器で滅多刺しですから、凶器の内の一本がそうだったという可能性も否定はできませんね』
 考えたくないですけど。ディルムッドの悲観的な声とため息が電話の向こうから聞こえて来た。あんな殺傷能力の低いもので何人も死ぬなんて、いったいどこのホラー映画だ。
「まあいい、分かった。報告ありがとよ」
『検出された塗料を特定すれば、犯人の手掛かりになるかも知れません。また何か分かり次第、連絡します』
 電話の向こうで敬礼でもしていそうだ。部署は違えど、自分を慕う真面目な後輩の姿を想像して、少しだけ気が楽になる。電話を切って、やれやれとため息を吐く。

 午後6時45分。
 夏の日はながく、まだ空は明るい。冬木市から車で30分ほど離れた隣の市に、ランサーは来ていた。学生食堂での別れ際、エミヤから待ち合わせにと指定された奇妙な形状の建物には、青髭ミュージアムと書かれ、現在催されている展示会の広告がデカデカと貼り出されている。日付を見ると、どうやら今日が公開初日の様だ。
『太古の武器展』
 厳しいフォントで書かれた表題。
 あの教授は何の意図で自分をこの場所に呼んだのだろう。

「待たせたかね」
 待ち合わせの第一声としては無難な言葉。時間きっかり。この暑い中、長袖のシャツにネクタイ姿で現れた男は、大学の教授というよりもサラリーマンの様に見える。
「今来たとこだって、答えればいいか?」
 ランサーの冗談を鼻で笑って、男は建物の中に入っていく。白っぽい洋風の建物の入り口には、見合わない現代風のチケット売り場。お互いに大人一枚の入場券を購入し、ゲートで捥ぎりをしている職員へ渡す。
 スタンド型の看板に貼られた、安っぽい矢印に従って館内を歩いた。ガラスのショーケースの中に飾られた武器が、スポットライトを浴び輝きを放っている。こういった静寂を強いられる場所は苦手だ。エミヤを見ると、何やら真剣な面持ちで、展示品を見詰めている。男の秘密の趣味といい、どうやらただの刀剣オタクらしいと気が付いて、これに付き合ってなんの意味があるのかと、馬鹿らしく感じる。こんな事をしている場合ではないのだが、と思いながら辺りを見回した。見渡す限り武器一色。『太古の武器展』なのだから当然か。まるで、武器庫の様だと思い至って、ふと考える。
 いや、まさか。
 捜査している事件がもし、大量の武器を凶器としているのなら、展示会というのは立派な隠し場所の様に思えた。

 もしかして、エミヤは、ランサーにそれを伝えたかったのだろうか。ゆっくりと館内を歩く男の、まっすぐに伸びた背中を見つめる。

 不意にエミヤが歩みを止めた。一つの展示品の前に立ち、じっとその姿を見る。視線の先には一本の刀。黒い刀身は濡れ羽色。その怪しげな光は今にも溶け出して滴り落ちそうなほどで、何故だがぞっと鳥肌が立った。
「村正……無銘と書いてあるな。こんなところでこれ程の品にお目にかかるとは」
 ムラマサ。刀剣の類に詳しくはないランサーでも、聞いたことのある名前だった。
「すげえ刀なのか?」
「この刀自身にどれほどの歴史があるかは分からんが、これ程の照り、人を斬ったことがあるのは間違いないだろう。村正特有の、寒気がするほどの実用一辺倒。だからこそ美しい」
 うっとりと呟く顔は、まさにマニアと呼ぶに相応しい。
「人斬りの妖刀てやつなのか。妖刀なんてものが本当にあるのかねえ」
 展示品の横に貼り付けられた解説の文章を読む。長すぎて全部読むのが面倒だ。
「実際に刀が妖力を持っているかと言うことなら、分からんが。斬れ味の良すぎる刀で、人を斬ってみたい欲求に駆られる気持ちは理解できる」
「警官を前にして、よくその発言が出来るな。あんた」
 そんな事をすれば即刻逮捕だ。
 名刀の前で涎でも垂らしそうなマニアを横目に、釘をさす。
「日本刀は人を斬る為の道具だ。それを正しく使用したいという感情に罪はないさ。行動に罪があってもな。この刀が、過去人斬りを誘発する妖であったとしたなら、それは現代でいうところの最新の電子機器と変わりない。高性能なものを使ってみたいという、ごく当然の欲求に過ぎない」
「お気に召されましたか」
 不穏な見解を述べる男の横顔を眺めていたランサーだが、不意に背後から掛けられた声に振り向いた。見ると、ウェーブの掛かった髪を大雑把に縛った痩せぎすの男が、微笑を浮かべて立っている。
「失礼、そちらの方があまりにもお詳しいようなので、ついつい興味が出てしまいまして。私は、この美術館の館長、ジル・ド・レェと申します」
 ジルと名乗った館長は、エミヤに向き直ると胸に手を当て、気障な動作でお辞儀をした。
「あなたが館長か。ここの展示品は素晴らしい。どのようなルートでこれほどのものを?」
「とある方がスポンサーになって下さいまして、貴重な品を期間内お貸しいただいているのです。最近は刀剣のブームとかで、皆様からの強い要望がありましてね。普段は絵画を取り扱っているのですが、今回は特別に。私自身はドミニク・アングルのような気品と力強さの両立された作品が好きなのですが……」
 ああ、やはりこの男もマニアか、と。ランサーはさらに続きそうな男の話をどこで遮るべきかと、タイミングを伺った。
「絵画の話は、また次回お聞かせ頂こう」
 エミヤは、何のためらいもなく館長の話を遮った。マニアに対抗出来るのはマニアしかいない。マニアVSマニアの頂上決戦。ランサーは、完全に置いてけぼりを食らっている自分の思考をなんとか繋ぎ止めるために、現状をおもしろおかしく捉えることで、なんとかこの退屈な空気の中意識を保つ。
「ところで館長、この展示品の中にはレプリカがいくつか混じっているようだが、何故かね」
「レプリカだと?」
 聞き捨てならない言葉が聞こえて、ランサーは、飛び立とうとしていた意識を慌てて引き戻した。
「はて、私には武器を見る素養はありませんので、恥ずかしながら気が付きもしませんでしたよ」
 館長は悪びれる事無く肩を竦める。
「本物はどこに?」
「さあ、スポンサーの方がお持ちなのでは? それとも最初から持っていないのか」
 これはどうにもきな臭い。
 大量の武器が使用されたであろう殺人、始まったばかりの武器の展覧会と、レプリカにすり替わっている展示品。これは調べる必要がありそうだ、とランサーはズボンのポケットから警察手帳を取り出した。
「悪いな館長さん。オレはこういうものでね。そのスポンサーとやらの話をちょっと聞かせちゃくれねえか」
 紳士な笑みを浮かべていた館長が、一瞬で不快そうに顔を歪めた。


 この世の財全てに愛された男がいる。
 元は中東の王族だが、独力で財をなし、その財を投げ打って新たな財を得る。見る間に膨らんだそれは、どれほど豪遊しようと尽きることは無く、不思議と使った分だけ、それは男の元に戻って来た。
(こいつは、アポなしでおいそれと合えるような相手じゃないな)
 館長への聞き込みによって、例のスポンサーだという相手の身元はあっさりと分かった。しかしそのスポンサーが大層な権力者とくれば、一介の刑事には手が出せそうにない。一度本部に戻って上司に相談をした方が良いだろう。
 美術館から外に出る。一時間ほど中にいただけだが、外はすっかり暗くなっていた。
 隣に立つ男を見る。レプリカの話をしてからというもの、考え込む様に口を閉ざしている。結局男がどういった目的でランサーをこの場に読んだのかは分からずじまいだが、収穫があったことは確かだろう。
「あー……じゃあ悪いが、オレは署に戻るわ」
「刑事殿」
 片手を上げてその場を去ろうとするランサーを男は引き止めた。
「キミは私に協力しろと言ったな。ならば、キミが今追いかけているその事件、内容を話してはもらえないだろうか。何も知らせずに協力しろなどというのは、いささか礼に欠けると思うのだがね」
 言い方に腹は立つが、エミヤの言う事はもっともだ。事務所に残って報告書をまとめているバゼットは怒るだろうが、今更2、30分帰るのが遅くなったところで変わらないだろう。しかし、捜査の内部事情を喫茶店で気軽に話すわけにもいかない。ランサーは周辺を見回し、美術館の敷地内にある不思議な形のオブジェを見た。どうやらベンチの変わりらしいそれは、人気もなく話をするのに丁度良さそうだ。
「わかった。そこで少し話そう」
 二人並んで、ベンチと呼んでいいのかよくわからないそれに腰を落とした。
「今朝、未遠川で遺体が見つかった……」
 朝からの出来事を順序立てて話す。遺体の状況、第一発見者の話、検視の結果報告、鑑識からの情報。自分の知る限りの情報を男に開示する。話す間、エミヤは黙って聞いていたが、どこか顔色が優れなかった。話し終わった後も、唇に人差し指を当てて考え込んでいる。
「それで、なにか気づいた事でもあったか、教授」
 エミヤの暗い顔に気が付かないフリをして、ランサーは殊更明るい調子で話しかけた。男はしばらく無言でいたが、観念した様に口を開いた。
「キミは、この事件の犯人が私だといったらどうする」
「は?」
 空気が凍る。男の目は真剣だ。
「キミは現状の捜査状況を犯人に軽々しく話し、しかも人気の無い暗がりに二人きりだ。敏腕刑事が聞いて呆れる」
 なんとなく、男の言いたい事が理解出来た。つまり、もっと警戒しろと言いたいのだろう。たしかに、無関係の第三者にランサーは喋り過ぎた。責任ある立場としては、守秘義務があっただろう。けれど、とランサーは唇を噛んだ。
「馬鹿にしてくれるなよ、教授。これでも長年刑事やってんだ。人を見る目くらいある」
「ほう、刑事の勘と言うやつか。随分と曖昧な自信だな」
「分かってねえな、あんた」
 ランサーは座ったまま、男にぐっと顔を寄せた。相手が仰け反って避けるものだから、さらに近づいて、至近距離でその瞳を覗いてやる。黒ぶちの眼鏡越しに見える鋼色の瞳。人を殺すような男が、こんな澄んだ光を持つはずも無い。エミヤは何かを隠している。だから突然こんな事を言い出したのだ。だとしたら、ランサーがするべきは、この男の望む確実な証拠で、男を信用する理由を提示することだ。
「大学で起きた事件のときだ、あんたが現場に割って入ったとき、頭がおかしい上に、ムカつく野郎だと思ったさ。けどな、あんた最後に言っただろ”さっさと事件を解決して、このご遺体を供養したまえ”ってな」
 男には警察に義理など無いし、あったとしても護られるべき市民にそれを果たす義務などない。けれどこの男には堪え難かったのだ。捜査の間中、テープ一本挟んだ現場の外から、被害者の遺体が好奇の目に晒され続けることが。自分が公務執行妨害で逮捕されるかもしれない、そのリスクを冒してまで、知りもしない赤の他人を憐れみ、行動した。
「人殺しなんてするかよ。あんたはとんでもないお人好しだ。だからオレは、教授……あんたに全部話したんだぜ」
 ランサーが言い切ると、男は背を仰け反らせたまま目を閉じる。フーと長く息を吐き、顔の横に両手を挙げて、降参のポーズをとってみせた。
「私の負けだ、刑事殿。君は素晴らしい警察官だな」
「認めたなら、隠してる事を教えろよ」
 少年の様に屈託無く笑うランサーにつられて、エミヤも思わず笑みをこぼした。それが恥ずかしかったのだろうか、こほんと、わざとらしく咳払いをして、そそくさと居住まいを正した。
「……キミは、例のスポンサーと話がしたいのだろう? 実は、その男と顔のきく人物が、今キミの目の前に座っている」
「本当か!?」
 予想外の繋がりだ。驚きに身を乗り出すランサーを避ける様に、エミヤはベンチの上で身体一つ分距離をおく。
「今回の事件と奴が関係あるかは分からんが、話を聞いて確かめて見ればいい。もし……もし奴が何か事件と関わりがあるのならば……」
エミヤは唇をギュッと引き結ぶ。その顔は迷子になった子供に似ていた。
「私も、この事件とは、無関係ではないだろう」


「来たか、贋作者フェイカー
 冬木市にある、ハイアットホテルの最上階。スイートルームにその男はいた。ホテルの支配人の案内を受け、部屋の前にはボディーガード。いかにもVIPな様子から、男の財力の計り知れなさが伺える。ノックをすれば、ドアの向こうから入れという許しの言葉。部屋の中には、唯我独尊を地でいくような、金髪赤目の男がソファに座り、ワイン片手に踏ん反り返っていた。そして先ほどの迎えの言葉。絵に描いたような王様っぷりだ。
「このような時間に押し掛けてくるなど、随分と無作法よな。まあよい、用件を言え。聞いてやろう」
「ギルガメッシュ。あれはどういう事だ」
 開口一番。エミヤは部屋に立ち入るなりギルガメッシュに詰め寄った。
「あれは貴様が観賞用としてのみ使用するのを条件に渡したものだ。何故展示品として飾られている」
「ふん、何の用かと思えばくだらんな、贋作者よ。贋作だと気が付かぬ雑種どもが見たところで、アレを鑑賞しうるがオレだけであると何故分からん。第一、本物と贋作の違いも分からぬ目しか持たぬような輩に、我の宝を見せる価値などあるまい。ところで、其処な雑種は何者だ」
 そこで初めて、ランサーに視線が寄る。
 ランサーは、二人の会話の内容が気になったが、それは後で問えば良いかと、ポケットから手帳を取り出し、顔の前で開いて見せた。
「オレは、冬木署刑事部捜査一課、ランサー・クー・クラン警部補だ。今朝判明した殺人事件について調査している。あんたが大量の武器を所持してるというから話を聞きたくてね」
「ほう、警察の犬か。駄犬は好かぬが……よかろう、許す」
 お許し戴き恐悦至極とでも言えばいいのだろうか。男の尊大な態度と、人のことを犬扱いにする様に、内心胸倉を掴み挙げてやりたい気分だが、腹の下に力を込めて耐えた。
「あんたの所持する武器は普段はどこに保管されている」
 順を追って、質問をしていく。
「言わずもがな、我の宝物庫よ。我以外、何人も立ち入ることは許されぬ場所だ」
 それはつまり、武器を使用できるのもこの男、ただ一人という事だ。
「レプリカと入れ替えられていた武器のオリジナルもそこに?」
「無論」
「一昨日の夕方から晩にかけてはどこで何を」
「我を疑うか、不敬な輩よ。知りたくばシドゥリに聞け。我の秘書だ」
 あからさまに疑いの目を向ければ、余裕の笑みを浮かべていたギルガメッシュも、流石に憤ったらしい。不機嫌な声で吐き捨てるように言う。
「秘書の証言は信憑性に欠ける。会社の代表を庇う可能性があるからな」
「くだらんことを考えおって、駄犬めが。一昨日の午後は。カルナック建設という会社の代表と共にいた。打ち合わせの後に酒宴を張ったのでな、アリバイとしては十分であろう。後はその足で調べるがよい」
 しかし、こちらの言葉に案外と素直に答えてくれるあたり、相応に懐の深さはあるらしい。只々踏ん反り返るだけの男ではない、正しく王なのだろう。自分以外の他人を"雑種"と見下げる、その根性には畏れ入るが、ランサーは変人とも取れる男の振る舞いに納得した。
「失礼な事を聞いたな。悪かった」
「全くだ。何故、王である我が、雑種などを手に掛けねばならん」
 こちらも素直に謝罪をしたが、暫く不機嫌は治らないだろう。仕方ない。アリバイを確認してはいないが、ギルガメッシュは白だ。曖昧な自信ではあるが、刑事の勘がそう告げている。
「私からも聞かせてもらおう」
 一息ついたランサーの横から、未だ憤慨した様子のエミヤが、再度ギルガメッシュに詰め寄った。
「展覧会を開いたのはこれが初めてか」
「いや、先月だったな。別の街で要望があったので、今回と同様に宝物の一部を貸し出してやった」
「私の作ったレプリカだが、今回の展示品の中には見当たらないものもあった。あれらは、当然貴様が持っているのだろうな」
 エミヤは"私の作ったレプリカ"と言った。先程から其れらしき言葉は聞こえていたが、改めてその事実に驚く。ギルガメッシュがエミヤのことを贋作者と呼んでいたのはその為だったのだ。
 しかし、そうだとすればこの男はどれだけ、多事を卒なくこなすのか。展覧会で見た武器は、ランサーの目にはどれも本物に見えた。
「ああ、そういえば先月の展覧会のおり、面白い女がいたぞ」
 ギルガメッシュがワイングラスに入った赤ワインをくるくると回しながら、どこか含みのある笑みで言った。
「見る目のある女だ。展示品が贋作であると気が付いたようでな。特別に我の宝物を見せてやろうと部屋に招いた。女は帰り際、我の宝物を強請る事ができんかったのだろう、身の程を弁え、変わりに贋作が欲しいなどと言っていた。しかし我とて、そこな贋作者との約束もあるのでな。その申し出を断ったのだが、どうにも、それ以来いくつか見当たらん品がある」
 それは、つまり、女がレプリカを持ち帰ったという事だ。
 エミヤを見る。握りしめた拳が、怒りでぶるぶると震えている。もういっそ、己の分までこの王様を殴ってはくれないだろうかと、そう思ってしまったのは秘密だ。
「我の宝物とは比べるべくもないが、アレもただの彫刻と見ればなかなかに出来の良いものだ。贋作であっても人の心を引きつける事ができたと喜ぶがよい」
「貴様という男は……」
 エミヤが絞り出すような声で唸る。
 ランサーには、ギルガメッシュが、分かっていて火に油を注いでいるようにしか見えなかった。
「その女の身元は分からないのか」
 レプリカを無断で持ち帰ったとなれば、それは盗難だ。そのような倫理観のない相手なら、事件に関わりがあってもおかしくはない。
「知るわけ無かろう、見る目があろうとも、たかが雑種を我がわざわざ気に掛けるとでも?」
 しかし、流石に王様。下々の事など知らぬ存ぜぬ。
「せめて名前ぐらいは知らねえのか」
「名前か……たしかブリュンヒルデと名乗っておったか」
「ブリュンヒルデ!?」
 ランサーは、聞き覚えのある名前に身体を飛び上がらせた。驚きのあまり長く伸ばした髪が逆立ちそうなほどだった。
「なんだ、知り合いであったか。よかったではないか」
 果たして知り合いと言ってもいいのだろうか。ランサー自身とは関わりはない。だが、自分の上司であるジークフリートと、ブリュンヒルデという女は、どう言葉に言い表せば良いのか、なんとも複雑な間柄なのだ。
 相手の身元がはっきり分かっているのなら、聞き込みもやりやすいか。
 チラリと時計を確認する。午後10時30分。朝からずっと働き詰めで、なんとも長い1日だ。
 ランサーは、ギルガメッシュに礼を述べると、未だ不満げなエミヤと連れ立って、居心地の悪いホテルのスイートルームから早々に退散した。


 肌に触れる空気がぬるい。舗装された道が、昼の間に吸収した熱を空中に放っているのだろう。ホテルの中の適温から放り出され、じっとりと汗の浮く首筋を手で拭う。
「あのレプリカって、あんたが作ったんだな教授」
 駐車場までの道すがら、先程からしかめ面で口を噤んでいるエミヤに、重い空気のまま話題を切り出した。
「石包丁、という旧石器を知っているか?」
 突然解説が始まるのにも慣れてきた。石包丁、名前から想像が容易いが、詳しいことは知らなかったので、首を横に振った。
「その名のとおり、石で作られた包丁なのだが、アレを応用して短剣を作成しようと試みたのだ。原材料はその辺にある石や岩。パーツを切り出して研磨し組み立てた単純なモノだ。塗装を施して質感を再現したり、ただの趣味だったんだが、いつしか完成度も上がってな。どこで知ったのか、あの男の目に留まってしまった」
 それが運の尽きだと、諦めの表情を浮かべるエミヤに「特別に許す」とでも言いながら踏ん反り返ってレプリカを作らせるギルガメッシュの姿が容易に浮かんだ。
「なあ、どうしてあの美術館にオレを呼んだんだ」
「……キミが、なにか珍しい武器について知りたがっていたようだったのでな、参考になればと思っただけだ。まさか、こんなことになるとは思っていなかった」
 実際に捜査と関係があるのかは分からないが、疑わしい情報が手に入ったのだからこちらとしてはありがたかったのだが。
「……ガラスが液体だという話は覚えているかね」
 脈絡のない問いかけ。きっと何か意図があるのだろう。ランサーは、大学で交わしたやりとりを思い出し、頷いた。
「だが、反面、ガラスはきわめて不安定な固体だとする説もある。君はどう思う? ガラスは液体か、それとも固体か」
 硬い液体か、柔らかい固体か。普段の生活で液体だの固体だのと考えてもいないのだ。そんな事をきかれても、理解不能だった。
「ガラスはガラスだ。詳しい事なんてわかんねえよ」
「そうだな、ガラスはガラスだ。液体であろうと、固体であろうと、ガラスの成分は変わりはしない。けれど、未だにガラスが液体か固体かで言い争う者達もいる」 
 決められた枠にはめたいのだ、異端を理解出来ないから、自分の理解出来うるものに無理に当てはめようとする。そう語るエミヤは、では、どんな枠にはめられたのだろう。
 その言葉が、ガラスのことだけでなく、もっと深い部分を指している気がした。
「君たち警察は、何故凶器が何かを知りたがるのかね」
 それは、凶器を辿れば犯人に繋がる可能性があるからだ。入手経路、保管場所、物的証拠。凶器のあるなしで、裁判の判決が左右されることだってある。
「そうだな、確かにそうだ。だが、そもそもの考え方が間違っている。何故凶器が既製品だと思うのかね。犯人自身が凶器を作り出したのだとすれば、特定したところで、アシなど付かない」
 エミヤはそう言うが、武器を作る設備など、普通の人は持たないのではないか。そんなものを持っている人間がいれば、やはり特定に繋がるのではないのかと、ランサーは考えた。
「キミから事件の詳細を聞いたとき、ありとあらゆる種類の武器と言われて私の頭に浮かんだのは、石だった」
「石?」
「人間がマンモスを追いかけている時代に、何を武器として戦っていたか、それくらい知っているだろう」
  石だ。
  砕いて研いだ石、ただの塊の石。先端を尖らせた石。斬りつけて、殴りつけて、刺し穿つことのできる武器。しかも、使い終わった後は粉々に砕けば砂になる上に、特別な設備がなくとも、砥石と金槌で加工が出来る。
「話を聞いているうちに、君は恐ろしい事を口にした。被害者の体内に、塗料のようなものが残っていたと」
 まさか、凶器が美術用具だとは思うまい。
「犯人は私と同じ事をしている。いや、もしかすれば、私の作った贋作が、犯人にきっかけを与えてしまったのかもしれないと……」
 そうなると、犯人が、必要以上に被害者を傷つけた理由も分かる。試したかったのだ。自分で作った武器の出来栄えを。あの濡羽色に輝く刀身の様に、人を殺す道具の切れ味を知りたいという、欲求を抱いた。エミヤは自責の念を抱いているのだろう。眉間の皺は深く、噛み締めた唇は今にも千切れそうだ。
「教授、例えそうだとしても、あんたの所為じゃねえ。人を殺すやつはどうやったって殺す。きっかけなんて関係ないんだ。それこそ、腹が減っただとか、階段で躓いただとか、そんなくだらない事でだって引き金になったはずだ」
 ランサーは、エミヤの責をなんとか和らげることができないかと、声をかける。
「そうか……そうだな」
 エミヤの顔は浮かないままだ。無理矢理に自分を納得させようとしているようだった。割り切るのは難しいのだろう。
「なあ、あんたはなぜ剣を形作ろうとする」
 せめて話題を切り替えようかと、そう問いかけた。
 あれほどの出来栄えのものを作る腕があるならば、芸術家か、それこそ刀匠にでも成ればよかったのだ。だのに、何故、大学で教授なんぞをやっているのか、それがランサーには不思議だった。
 エミヤは、遠くを見つめたまま、暫く黙っていたが、ゆっくりと口を開く。
「心の中に、一本の剣がある」
 まるで、神話の中に出てくる、英雄が持つ様な、光を放つ一振りの剣。どこでそれを見たのか、夢の中なのか。子供の頃から自分の内にあったそれをいつしか憧れの目で見ていたのだとエミヤは言う。
「それはとても美しく輝いていて、私は、その剣がいったい、どんな素材で出来ているのか、それを知りたい。答えを求めているうちに、気が付けば学者なんてものになってしまったが……そうだな、君の言葉を借りれば、そういう性分なのだろう」
 暗がりの中、一歩先を歩くエミヤの背中を見る。
 ああ、なんとも、面倒な生き方をしている男だと、ランサーはそう思った。


10

 翌日、午後1時。署の一室。重要参考人として、ブリュンヒルデという女に同行を依頼した。
 模造刀を盗んだ事に関しては、盗難届が出されていないため、咎める事ができない。しかし、ジークフリートが声をかけると、彼女は至極あっさりと、立会いに同意してくれた。
「ああ、シグルド。あなたから声をかけてくるだなんて、そんなに優しくされたら……私、困ってしまいます」 
「なんですか、あの心の底からヤバそうな女性は」
 バゼットが、若干引き気味に言うのも仕方ない。
「部長のストーカーらしい」
「……俺の知り合いが迷惑をかけているようですまない」
 一見、色白の肌と色素の薄い長い髪を美しく切りそろえた、女神のような美貌をもつ女性ではあるが、妄想の世界を生きているらしい。部長のジークフリートをシグルドと呼んで付きまとっている。しかし、付きまとってはいるものの遠くからジークフリートを眺め、ああだめ、困る、殺したい、とかそんな事を物陰で呟いているだけで実害がないため手の施しようがないことが問題だった。なにより、ジークフリート自身がその状況にすっかり慣れてしまい、日常の一環として受け入れてしまっている。
 そんな状況のため、事情聴取をジークフリートに任せるのはまずいだろうと、ランサーは担当を買って出た。
 小部屋に入り、パイプ椅子を引く。
「あー、ブリュンヒルデさんですね。警部補のランサーです」
「ええ、私はブリュンヒルデ、あの……私に優しくしないで下さいね……ランサー」
 なんだこいつ、マゾなのか。そう思いながら適当に相槌を打って、ブリュンヒルデの対面に座った。
「先月、あなたは太古の武器展という展示会でギルガメッシュという人物に会ったそうですが、間違いありませんか」
「あぁ、困ります……そんなに根掘り葉掘り聞こうだなんて……」
 駄目だ、話が通じない。せめて質問には答えて欲しいが、このままだと先に進む事ができなさそうだ。とりあえずブリュンヒルデの反応を是と受け取って、ランサーは強引に話を進めた。
「ソレデデスネ……その男性から聞いた話では、あなたの来訪後、何点か所持品が無くなっているとのことでして。なんでも、石で出来た模造刀だとか」
「ええ、ええだって、あの品からは、どことなくシグルドの面影を感じたのです」
「その模造刀は、いまどこにありますか?」
「さあ、どうだったか……ああでも、私彼に会いにいったんです。古い友人に。彼もあの人にどこか似ていて」
 古い友人。もしブリュンヒルデがそこに模造刀を忘れて来たのだとしたら、その古い友人とやらのことを調べる必要がありそうだ。第一、こんなにヤバそうな女と友人付き合いができるなど、ヤバい奴に決まっている。
「そのご友人の名前は?  どこに住んでいますか」
「どこに? いいえどこにも……だってあの人は……シグルドはもう」
「いや、だからシグルドじゃなくて、その古い友人をだな……」
 さっきから言ってるそのシグルドとか言うのは誰なんだと、聞いてみたいが聞くのは憚られる。ブリュンヒルデの口振りからおそらく故人だろうことは窺えた。
「あら、あなた……その面影は……もしかしてシグルド? いいえいいえ、そんな困りますだって、こんな近くにあなたがいるなんて、あぁ困ります私、あなたを愛してしまったら……」
「ちょっ、ちょっと失礼!!!」
 唐突に暴走を始めたブリュンヒルデに危険を感じて、ランサーは小部屋から飛び出した。殺すとかなんとか物騒な語尾が聞こえた気がするが、そんな事にかまっている場合ではない。
  はっきり言って、参考人は心神喪失状態だ。事情徴収も何もあったものではない。正直なところ、ヤンデレとかメンヘラとかの類いは色々とお腹いっぱいなのだ。
 第一シグルドというのは部長の事なのではないのか、誰彼構わずシグルドなのか。ギルガメッシュはどうやって彼女と会話をしていたのだろう。まあ、あの調子なら、会話がかみ合っていなくても気にしていなかっただけかもしれないが。
「すまない、嫌な役を押し付けて本当にすまない」
(あんたのストーカー、ヤバすぎだろ!!)
 もう早いとこ逮捕してしまった方がいいんじゃないかと思うが、実害が出ていないのだから逮捕のしようもない。願わくば、あのギルガメッシュが、盗難届を出してくれて、窃盗容疑で逮捕できないかと思うのだが。あの王様はそんなことはしないだろうなと、簡単に想像ができてしまった。


11

「麦茶です、どうぞ」
「おう、悪いなバゼット」
 コトリ、とデスクに置かれたグラス。冷たい麦茶が並々と注がれたそれを手にとって、一息に飲み干す。ブリュンヒルデとの対面でカラカラに乾いた喉には丁度よかった。
 結局、ブリュンヒルデからは詳しい情報が得られなかった。古い友人という人物の事を知りたかったのだが、とても聞ける様子ではなかったのだ。先ずはブリュンヒルデ本人の素性を洗い出して、昔からの交友関係を当たるしかないか。
 行き詰まりを見せた捜査状況に頭を抱えていると、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。表示画面を見ると、エミヤからだ。昨夜別れ際になにかあればと連絡先を交換しておいたのだ。通話ボタンを押し、電話を耳に当てる。
『やあ、刑事殿』
 相変わらずそっけない。
「なんだ、なにか分かったのか」
 用がないのに電話をするタイプでもないだろうと、捜査に行き詰まった今、藁にもすがる気持ちで尋ねた。
『ああ、そうだな。分かったというより、謝罪をしようと思ってね』
 謝罪とはなんのことだろう、眉間にしわを寄せ言葉を待つ。
『私は……本当は犯人が誰なのか、分かっているのだ』
 喉からヒュッと音が出たが、声にはならなかった。すまなかった。と謝る声からは、反省の色は伺えない。
『ただ、自分の過ちを直視するのが恐ろしくて、君に伝える事ができなかった』
 だが、一晩考えて覚悟を決めたのだとエミヤは言う。
「凶器の事を気にしてるのか、だとしたら、あんたに責任はないだろう」
 声が震える。この男は、何かとんでもないことをしでかそうとしている。そんな危険信号が点滅しておさまらない。
『本当に、そうだろうか。私があんなモノを作らなければ、被害者の女性は殺されずにすんだだろうし、犯人も罪を犯さずにいられたかもしれない』
 それは違うと伝えたはずだ。殺人を犯すような奴は、どう転んだところで人を殺すと。けれど、エミヤはその言葉を受け入れてはくれない。
『できる事なら、この犯人を説得したいと思っている。だから君には証人になってほしい』
 嫌な予感に、指先が冷たくなっていく。
『仮に、私が死んだとしても、これは私のただの自殺だ、とな』
 我慢の限界だ。やはり、この男は頭がおかしいのだ。殺されると分かっていて行くのだと、そう言っているも同然だった。
「おい待て、ふざけんなよてめえ! 自己犠牲も大概にしやがれ!!」
 怒りの感情が溢れすぎて、頭のてっぺんから噴き出している。男のネジの外れたような考え方に腹が立って仕方がない。どうしてそうなるんだ。オレの言葉を聞いていなかったのかと、大して叫んでもいないのに喉が張り裂けそうだった。だというのに、電話の向こうから、クツクツと喉の震える音が聞こえる。
「おい、何笑ってんだ!」
 こちらは真剣に怒っているのだと、相手に伝わるようにがなり立てる。
『君は私をお人好しだと言ったが、君も大概だ』
 笑みを乗せた穏やかな声だった。
『刑事殿、たった半日共に過ごしただけだったが、私は君の事を好ましく思うよ』
 ではな。
 一方的に切られた通話。終了を知らせる無機質な機械音に、怒りが飽和して吐き気がした。
「ランサー、いったい今のは……誰からの連絡だったのですか」
 バゼットが恐る恐る伺ってきたが、答える余裕はない。
 考えろ、考えろ。
 必死で頭の中を整理する。
 エミヤは、犯人が分かったと言っていた。つまり、今、ランサーが知りうる情報から犯人を導き出す事ができるという事だ。
 考えろ。
 容疑者になり得るのは誰か。
 エミヤは犯人の所へ一人で向かうと言っていた。居場所を知っているのだ。ブリュンヒルデではない。
 そもそも、犯人は何故、死体を川に捨てたのか。死体が見つかりさえしなければ、犯行そのものを隠蔽する事も出来ただろうに。埋めるなり、燃やすなり、手段はあったはずだ。
 そう考えると、ギルガメッシュもきっと違う。あの男は人ひとりくらい、その気を出せば簡単に消せる。となると、美術館の館長が怪しい。美術館なら台車もあるし、死体を隠すための大きめの箱もある。
 だが、何かがひっかかる。
 何故川に死体を捨てたのか。地面に埋める事も出来ただろうに。何か、川に沈めなければいけない理由があったのか。
 選択を誤ればエミヤが死ぬ。焦りと緊張が、思考の邪魔をした。
「くそっ」
 声をあげてデスクを殴りつける。
 ガシャンと大きな音がした。
 デスクの上に置いてあったグラスが、転がり落ちて割れたのだ。バラバラになったグラスの破片。透明なそれは、液体なのか固体なのか。あの男は、そう問いかけてきた。
(違う、そもそもの発想が違うんだ)
 男の言葉を思い出した。
 考える。
 川に沈めたのはそれしか方法がなかったからだ。いや、そもそもだ。本当にあの死体は川に投げ捨てられたのだろうか。
 自分の考えに、衝撃が走った。
「ランサー!? 待ってください!」
 唐突に事務所を飛び出したランサーの背に、バゼットの声がかかる。それを振り切って、ランサーは鑑識課へと向かった。
「おい!ディルムッド、ディルムッドいるか!?」
「どうしたんです!?」
 部屋の奥から慌てて出てきたディルムッドの肩を鷲掴む。
「教えてくれ、死後1日以上経った水死体は仰向けに浮くか、それともうつ伏せかどっちだ」
 ランサーの気迫に慄きながらも、ディルムッドはなんとか答える。
「そうですね、男性の場合はうつ伏せになりますが、女性の場合、腹部にガスが溜まりますから仰向けに……」
 言いかけて、言葉が止まる。ディルムッドも、自分の言葉と現場の状態に違いがあったことに気が付いたのだ。
「もう一つ教えてくれ、あの遺体は間違いなく、"あの川"の水死体だったんだよな」
「はい、体内から検出された水には、あの川と同じ成分や微生物が見られました」
 間違いありません、と美しい顔を青ざめさせながら、ディルムッドは答えた。
 鑑識の仕事は、科学的に遺体から異常を見つけること。異常でないことをわざわざ報告したりはしない。だが、異常がなかったことこそが異常だったのだ。川で死んでいない遺体から、川の水が検出された。それはつまり"そういう風に偽装された"ということに他ならない。
 そして、そんな事が出来るのは一人だけ。
 ランサーは踵を返し、捜査一課の事務所へと走る。
「バゼットいくぞ!!  犯人は古本屋だ!」


12

 こんな簡単なことになぜ気が付かなかったのだと、車を走らせながら思う。古本屋と川は目と鼻の先だ。浴槽に川の水を貯めておけば、水死体の偽装など簡単にできる。
「でも、分かりません。何故わざわざ自ら第一発見者として名乗り出たのでしょう」
 バゼットの問いの答えなら、ランサーでも分かる。
「そりゃあ、おまえ。自宅の風呂に入れてたんだ。死体から、自分の痕跡が出てきた時の保険だろうよ」
 髪の毛一本でも出てきたとして、発見時に落ちたものだと言い訳ができる。
 完璧な計画的犯行だ。衝動的にやったなんて言い訳はさせねえぞと、ランサーはけたたましくサイレンを鳴らすパトカーのアクセルを踏み込んだ。
「そもそも、朝の8時に古本屋が開店準備なんかするかっつーの!!」
 本屋の開店準備なんて、ドアの鍵を開ける程度だ。どう考えたって早すぎる。
 叫びと同時にブレーキを踏む。車を停め、車外に飛び出した。古本屋の入り口に近づき、時計を確認する。午後2時だ。営業しているはずの時間だが、入り口のガラス戸には鍵が掛かっている。古本屋の建物を見渡した。本屋と直結して奥に家屋がある作り。出入り口はここと裏手と二つだけのようだ。本来なら、家宅を捜索する為には令状がいる。警察官と言えども、令状なしに突撃すれば住居侵入罪で訴えられてしまう。
「おい、バゼット。今悲鳴が聞こえたな」
「へ? いえ、なにも……」
「悲鳴・がっ・聞こえた・な!!?」
 ただし、緊急時は別である。
「きっ、聞こえました!!」
「よしっ突入だ! おまえは裏口をまわれ!!」
 目の前のガラス戸を、渾身の力で蹴り破る。銃を手に取り、部屋の奥へと進んだ。
 本屋の奥にある、母屋へと続く扉を蹴破った直後。
「銃を捨てろ!」
 ジキルと思わしき男が、ぐったりとしたエミヤの首にナイフを突きつけて叫んだ。いや、男は本当にジキルなのだろうか。面影は似ているが、声も顔付きもまるで違う、別人のように見えた。
「畜生、あのいい子ちゃんの野郎が余計な事をしたせいだ。あいつビビりやがってクソが!」
 ジキルは苛々と、誰に対してか分からない、罵りの言葉を吐き出した。
「落ち着け、いまから銃を置く」
 極力相手を刺激しないよう、ランサーは引き金から指を外し、右手に銃を持って相手に見せ、しゃがみ込んでゆっくりとした動作で床に置いた。
「その必要は無い」
 銃から手を離す寸前、エミヤが声を張り上げた。
「私に構うな、どうせ死にかけだ」
 短く息を吐くエミヤの腹部から、大量の血が溢れ出て、グレーのワイシャツを黒に染めている。
「すまなかった刑事殿。君のいうとおり、私の考えが浅はかだったのだ」
 君たちを巻き込む形になってしまったと、エミヤは血の気のない顔で項垂れた。
「おい、黙ってろぶっ殺すぞ!!」
 ジキルは叫んで首元の刃物をエミヤの喉に食い込ませた。しかし、死んでもいいと言っている相手に、その脅しは通用しない。
「だが、勘違いしてくれるな。私は……哀れな被害者などではない」
 鋼色の瞳に宿る意思は固い。それは死を覚悟してなお、強い輝きを放っていた。
「私は……私の意思で……この戦場に立っているのだ」
 だから私ごと、この男を撃て。
 少年漫画のような展開だと笑い飛ばせればよかったのだが、生憎、男の目は真剣だった。
「ああそうかよ、教授」
 床に置きかけていた拳銃を握り直す。
 ジキルが驚愕の罵声を繰り返すが、ランサーの脳は理解するのを拒否した。
 視界に映るのは、褐色白髪の不器用な男。
「わかった……あんたの心意気」
 ランサーは獣のような瞳で笑う。
「責任もって、その心臓ごと喰らってやるぜ!!!」
 張り裂けるような銃声が部屋の中に響いた。銃口から飛び出した弾丸が、煙を纏いながらエミヤとジキルを貫く、と思われた。
 しかし、そうはならなかった。的を外れた弾丸は、背後の壁に突き刺さる。
「いけバゼット!!」
「どりゃあああぁああ!!!」
 ランサーに”ゴリラ”と言わしめたバゼットの鉄拳が、貫通弾を避けようと身を反らせたジキルの顎に食い込む。
 なんて事は無い。背後から回り込んでいたバゼットから気をそらす為の演技だ。しかし、それは、エミヤの決死の覚悟があったからこそできたハッタリだった。
「被疑者確保!」
 バゼットは、脳震盪で気絶したらしいジキルの両手を後ろ手にし、手錠をかける。
「おい、教授しっかりしろ!」
 ランサーはエミヤに駆け寄った。できるだけ動かさないように、怪我の状況を確認する。
 首の出血は皮一枚だが、腹部の刺し傷はかなり深そうだ。
「これで止血を、医療班を誘導します」
 バゼットは、来ていたジャケットを脱ぎ、ランサーに投げて寄越すと、古本屋の外へ飛び出していった。
 確かにバゼットの言う通り身だしなみは大事だったなと、Tシャツ一枚の自分を反省し、ランサーはバゼットの一張羅でエミヤの腹部をキツく縛った。
「死ぬなよ教授、あんたのやらかしたアレコレに、たっぷり説教しなきゃなんねえんだからなあ」
 声を出す気力は無いのだろう。ランサーの言葉に、エミヤは緩く、瞬きをした。


13

 ジキルの自宅の浴室から、被害者のものと思われる毛髪が出てきた。凶器は見つからなかったが、本人の自白によれば、エミヤの予想していた通りだったようだ。
 ジキルとブリュンヒルデは学生時代に付き合いがあったらしく、先月、彼女がエミヤの作った模造刀を持って店を訪れたのだという。面白い模造刀だと思い、自身も真似ていくつか作ってみたのだとも。使用した凶器は粉々に砕いて川に捨てたと言っていた。他の殺人犯たちがこれを真似しだしたら、と思うと、何とも恐ろしい事件だったと思う。
 しかし、ジキル自身は犯行を否認している。被害者を殺したのは、自分ではなくエドワード・ハイドという人物だと。自身が行ったのは、石で模造刀を作ったことと、ハイドの犯行を恐れて、隠蔽工作をしたことだけなのだと、そう言っていた。それに関しては、今後の精神鑑定などで白黒つけることになるだろう。
 確かに、あの場所で見たジキルの姿は、最初に事情徴収をした時とかけ離れていた。犯人が解離性同一性障害だというケースはまれにあるらしいが、この事を書類にしてまとめるのは手間がかかりそうだなと、ランサーは肩を竦めた。
「迷惑を掛けた」
「全くだぜ」
 病院の個室。清潔なカーテンから漏れる夏の日差しが、白い室内に反射して、ランサーは目を細める。なんとか一命を取り留めたエミヤは、点滴を受けながら、ランサーが話すことのあらましを黙って聞いていた。
「……それで、私は逮捕されるのかね」
 原因となってしまったエミヤのレプリカの中には、殺傷能力があると見なされるものも含まれていたので、その事を言っているのだろう。
「いいや、今回は厳重注意だけだ。趣味の方もほどほどにな」
 いっそ断罪された方が、男にとっては気が楽だったのかもしれない。
「了解した」
 しかし、エミヤは、目を閉じて静かに頷いた。これから自分の中で、感情の落としどころを見つけていくのだろう。
 ランサーはエミヤの横顔を見る。当たり前だが、最後に見た時よりも血色が良くなっている。褐色の肌なので分かり難いが、この男は案外に考えている事が顔に出やすいのだ。
「なあ、教授。あんたのこと”アーチャー”って呼んでも良いか?」
 別に大した理由などない。ただ、あの時。古本屋に乗り込んで話をしたとき。緊迫した状況の中で呼ぶ名前が、随分と他人行儀だったことが空しく感じられた。それだけだ。
「好きにしたまえ」
 了承の言葉を受けて、口角をあげる。さて、そろそろ署に戻って事務処理に取りかからねばと、立ち上がる。
「じゃあな、退院したら飯でも食いにいこうぜ」
「ランサー」
 軽く挨拶をして部屋から出て行こうとするランサーを低い声が引き止めた。
「君に迷惑を掛けた詫びと言ってはなんだが……」
 コホンと咳払いするのは、男が照れ隠しをする時の癖なのだと気が付いている。
「また、何かあれば来ると良い。次は紅茶の一つでも御馳走しよう」
「おう、またな。アーチャー」
 ああ、まったく。面倒な男だ。
 病院の廊下を歩く、ランサーの足取りは軽かった。

「夜食にどうぞ」
 午後7時30分。日中の仕事を終え、ランサーは未だ報告書と格闘中だった。犯人が二重人格だなんてケースのため、普段より多い書類に悪戦苦闘している。その上発砲による始末書まで残っているだなんて、まさに地獄だ。
 そんなランサーの目の前に、見覚えのある袋が置かれた。ランサーお気に入りのパン屋のものだ。
「残念ながら閉店前だったので、クリームパンは売っていませんでしたが」
 顔をあげると、同じく事務処理のために残業をしている相棒のバゼットが、微笑んでいる。
「それに、売れ残りだったので、焼きたてでもありません」
 バゼットの言葉に袋の中をのぞくと、すこし萎んだように見えるカレーパンとメロンパンが一つずつ。
「かまわねえさ」
 バゼットに礼を言って、袋の中のカレーパンを手に取った。
 時間の経過とともに、油が吸収されべったりとしてしまったパン生地は、見た目にはあまりよくはない。
 けれど、第一印象が悪くとも、食べれば案外悪くない事を知っている。
 大きな口を開けてカレーパンに齧り付く。パン生地にまぶされた衣が口の中でサクサクと音をたて、中にある硬めのルーが小麦の味によく馴染んだ。
「うん、美味えな」
 美味いものは美味い。どんなことになったって、きっとその本質は変わらないのだ。


EPILOGUE

「センタービル付近で転落事故だ。ランサー、バゼットすまないが現場へ向かってくれ」
 本当にすまないと思っているのか。最近疑っている部長の指示に従い、ランサーは相棒とともに出動する。

「よおディルムッド、現場の状況は?」
「会社員男性。目撃者の証言によると男性が勤めるこのビルの屋上から転落したとのことです」
モデルかアイドルかと見紛う、顔の綺麗な巡査部長が、調査の報告を即座に読み上げた。
「では、事故死ということですね」
「いえ、それが」
 指差された遺体の胸元。
 くっきりと残された謎の三角形の穴。何がどうなって人間の身体にこんな穴が空くんだと、三人そろって頭を抱える。
「なんだこりゃ」
 これはもう、確実に専門家の知識がいる状況だ。
「ランサー、不謹慎ですよ」
 思案していたランサーに、バゼットからの野次が飛ぶ。
「何がだよ」
 いわれの無い指摘にムッと口をへの字に曲げた。
「いえ別に。会いにいく口実ができたことを喜んでいるように見えただけです」
 酷い言われようだった。人の不幸を喜んでるみたいに言うなよな、と憤慨しながらも、ランサーの足は新都大学へと向かう。

「全く、君は税金で働いているという自覚はあるのかね。素人に教えを請う前に、自分の頭で考えようとは思わんのか」
「うるせーな、考えて分かんねえからここに来てんだろうが。馬鹿で悪かったな」
 褐色の肌に白髪黒ぶち眼鏡の男は、眉間を指で押さえてため息を吐く。相変わらず、やる事なす事癪に触る男だが、専門家としての知識を持っているのは確かなのだから、利用して何が悪いのか。ランサーは脳内で、人の事を馬鹿にした相棒に文句を言った。
「君の足りない頭でも、少し考えれば分かる事もあるだろうに、最初から考えることを放棄しているとしか思えんのだがね」
 男は溜め息を吐きながらも、その手をてきぱきと動かして、研究室にある湯沸かし器の湯をティーポットに注いだ。
 簡素な室内に似合わない、やけにハイソなティーカップが目の前に置かれると、椅子に腰掛けていたランサーの面前に男も腰を落とす。
「それで、何が聞きたいのだ」
 現場の状況を説明してみたまえ。
 宣う男にランサーは破顔する。
 こういう奴だ。
 なんだかんだと文句を言いながらも、結局このお人好しの男は……エミヤ教授は推理する。



Comments

  • May 3, 2022
  • 森永ちよ
    July 19, 2020
  • 塩大福

    すごくハイクオリティな推理小説でした。 正直二次創作というのを抜きにしても楽しめるもので、槍弓推しの私にとって至福です、紙にして手元で読みたいぐらいです。 続編も読んできます!

    September 19, 2017
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