第12話 私とあなたの小さな挑戦
夜が明けてきたころに、ようやく私は落ち着いた。この十年間、泣くことはあまりなかったけれど、それを全て清算したかのようだ。
泣き腫らした顔を洗って、後片付けをして、私は怪我の完治を少しでも早めるためにベッドへと戻る。
その途中に、フィールドマスターと今後のことについて話した。
組織の運営をする人たちの頭は固いわけではないから大丈夫だ、とフィールドマスターは話してくれたけれど、やっぱり心配だ。
常識的な見方とは真逆の提案であることには違いなく、説得はきっと難しいものになる。将来を託した身ではあれど、一期団としての権限を使いざるを得ないような事態にはなってほしくなかった。
そう言うと、フィールドマスターは意外と素直に頷いた。
「そうだね。あたし一人の意見だと弱いかもしれない。そんなに権力が集中されても、むしろこっちが困るしね。……だから、ある人の力を借りさせてもらうよ」
その言葉を聞いて、私はきょとんとしてしまった。その後に戸惑いが浮かぶ。
ある人の力を借りる、つまり、フィールドマスター以外に力を貸してくれる人がいるということだ。こんな私に対して、それはいったい誰なのだろう。
ここにきてはぐらかされるということは、私に対して匿名を希望していたりするのだろうか。
だめもとで聞いてみると、フィールドマスターはにやりと笑ってみせた。
「うーん。悪いけど、今は保留にさせとくれ。あんまりあんたに期待させるのもよくないしね。ただ、手応えはあると思うんだ。職業病ってやつをうまく使わせてもらおう」
その回答でますます謎が深まってしまい、頭にたくさんの疑問符が浮かぶ。
そんな私を見て、フィールドマスターは軽く手を叩いて話を切り上げ、いつもの気丈な笑みを浮かべた。
「ま、こっちのことは任せておきな。あんたは落ちた体力を戻す準備だ。落ちた筋肉はまず口から補給するものさ。今からたくさん食べておくんだよ」
「はい。……フィールドマスター、相談に乗ってくれて、ありがとうございました」
「あら、まだお礼を言うには早いよ。……それに、面と向かってお礼を言われるの、慣れてないから恥ずかしいね」
少し照れくさそうにそんな返しをする彼女に対して、やっぱり、彼女は生粋のフィールドワーカーなのだな、と思った。あまり人に慣れていなさそうな、そんな感じから。
ひょっとしたら自然との対話の方が得意なんじゃないかとすら思える彼女は、それでも私に誰よりも真剣に向き合ってくれた。
彼女は唯一無二の道を走る人かもしれないけれど、その後ろ姿は相変わらず、私を含む誰かの憧れであり続けるんだろう。
それから何日かして、私の調査団への残留が決まった。
フィールドマスターは本当に、私の処遇に対して調査団に異議を申し出て、その方針ごと変更させてしまった。
有言実行の人だから、言ったからには本当に動くのだろうと思ってはいたけれど、それでも驚きを隠せなかった。
つまりそれは、こういう言い方もどうかとは思うけれど、人を害することもある竜に、人が寄り添って生きていくことを、特例とはいえ人の組織が認めたということになる。
現大陸ではまず考えられない。ある意味で、新大陸らしいと言えるのかもしれない。ふつうは異端とみなされるものを先進的の枠に放り込むには、それだけの器の大きさが必要だから。
新大陸に来てからの私は、身の回りの人々が忙しく動き回っているのを、どこか他人事のように感じていた。
もちろん私自身の仕事も、彼らの調査の進捗に合わせて増えたり減ったりしたし、五期団としての役割をこなそうという想いもあったけれど。心を占めていたものが、あまりに大きかったのだろう。
けれど今は、自分の抱える仕事を、しっかり自分事として。
自分がやるべきこととしてよりも、自分がやりたいこととして。
調査団から脱退はしないことが決まった私だけれど、アステラからは離れることになった。
私が赴く先は現大陸でもない、研究基地でもない。────古代樹の森の奥地、そこでトビカガチと暮らすことになる。私がそれを希望し、要望が通ったのだ。
前代未聞かと言うと、そうでもない。ここには調査拠点を長く留守にしている人が案外たくさんいる。
遠征任務に就いた五期団のハンターや、現地調査を主とする学者や編纂者たち。フィールドマスターや竜人のハンター、この調査団の大団長などだ。
後者に至っては、数年間戻ってこないこともざらにあるという。調査拠点が帰ってくる場所として機能しているのかを疑ってしまう、ある意味で目撃困難な人たちだ。
私の取り組みは、そんな彼らの延長線上というか、派生に過ぎないのかもしれない。
どうして前例が存在するんだと困惑してしまいそうなところだけど、それが新大陸に生きる人々なのだと思えば、妙な説得力がある。
私とトビカガチの関係を調査団が支援する。字面だけ見るといろいろとやりすぎな気がしてしまうけれど、要は私が森で生活することを認める、というだけの話だ。
そんなことで許可が必要なのか。それが大いに必要なのだ。それは、調査拠点アステラと古代樹の森が、隣接と言っていいほどに近しい距離にあるから。
現大陸においては、人の集落以外の全ての土地がモンスターの住処、というわけではなく、互いの領域の合間がある。モンスターが寄り付きにくい場所を竜人族などの賢人が見つけ出し、集落を作っているとも言えるだろう。
調査拠点アステラにはそれがない。特に、古代樹の森方面は互いの領域が微妙に重なっている。私が過去に潜り抜けた拠点周りの柵は、冗談抜きで毎日役立っているのだ。
一応、森の端の辺りで大蟻塚の荒地との境界線上でもあるし、今の星の船もとい一期団船があんな場所に突き刺さってしまったのだから、仕方なかったのだろうけれど。
だからこそ、調査団はどうしても古代樹の森の生態系に干渉せざるを得ない。
当代のリオレウスが星の船を狙おうとすればこれを撃退しなければならないし、野菜や果実といった食糧事情も力を借りているところが大きい。
調査団は古代樹の森の狩猟許可区域外も含め、その生態系の現状を常に把握しておく必要性がある。そうでなければ、アステラに被害が及ぶかもしれないような出来事の予兆を察知できないからだ。
そんな理由で、私とトビカガチに対しても干渉が避けられないとのこと。たしかに少し居心地は悪いかもしれないけど、私は当事者でもあったので断ることはできなかった。
これが大峡谷や瘴気の谷、龍結晶の地であればまた話は違っただろう。でも、その何れもが私とトビカガチで生きていくには厳しすぎる。
それに干渉とは言えど、常にアイルーや人に監視されるようなものではない。というよりも、その程度は私のサバイバル能力にかかっていると言えた。
つまり、私が森で元気に生きて、狩猟許可区域にトビカガチが近づかず、定期的な報告さえこなしていれば特に手出しはされないということだ。私たち相手に多くの人員を割くほどの余裕はない、という生々しい事情がむしろ信憑性を上げている。
あのトビカガチについても、今でこそ人とは距離を置いているけれど、以前はモンスターライドでお世話になった人も多く、中には身を守ってもらった人もいたようで、狩猟を望まない声もあったのだという。
それでも必要とあればしっかりと狩るのがハンターだろうとは思う。ただ、トビカガチはトビカガチで、多くの同種とは違う道ながらも一頭で生きていくための土台を作っていけていたのだ。私の手助けなどなくとも。
本来、私とトビカガチは、人と竜は寄り添って生きていかなくてもいい。人は同種の社会というものに守られ、竜は一人で生きていくことができる。
それでも、私とトビカガチは既に二度もその境界を脅かしている。一度は十年前、そして一月ほど前にもう一度。どちらも意図しないながらも、その体験を経て、私とトビカガチの繋がりは強くなってしまった。
その後、私と人の社会、ここでは調査団の方がいろいろと拗れてしまって、トビカガチも竜である自分と人である私との違いに戸惑い、今に至る。
ざっくりと言えば何も解決していないし、解決はとても難しい。
これが物語なら悲劇というものに続くのだろうし、そういう曖昧にしておくべきものをどんどん具体化していこうとするのが調査団らしいというか、なんというか。
とにかく、私とトビカガチの現状をそのまま維持してもらったのが今の私なのだ。その先がどうなろうと、できるだけ良いものになるように、私はできることをしよう。
まずは何と言ってもリハビリだ。怪我人の基礎の基礎ながら、これが一番しんどかったかもしれない。
何せ、以前できていたことができなくなっているのだ。ロープを使って上り下りなんてもっての外で、最初は階段を歩くことすらしんどかった。
さらに直射日光もきついので、日没後にしか動き回れない日々が続いた。物理的に肌が焼けてしまったので甘んじて受け入れたけれど、これは相当にへこむ。
ただ、これは自慢できることではないけれど、私は似たような状態から立ち直った経験が既にある。十年前の瀕死の重傷がここで活きてくるというのは、何とも言えない気持ちだ。
できるだけ、今できることと明日できるようになりたいことにだけ焦点を当てるように。
療法士の人の助言も頼りにしつつ、黙々と訓練を重ねていった。
次にフィールドマスターから、人の社会の外で生きていくための知識をできる限り教えてもらう。実践も織り交ぜながら、教わったものを自分の手札にしていく。
お腹が痛くなったらどうしたらいいか、そもそもお腹を痛くしないにはどうしたらいいか、痛くなりにくいお腹をどうやって作るのか。そんな話を、あらゆる分野で詰め込んでいく。
五期団の躍進によって本来の調査も大忙しな状況の中で、フィールドマスターはできる限りの時間を作ってくれた。本当にどうやったら、この恩を返せるのだろう。
道具や物資の準備も、できる限り入念に。
組織の支援が入るとは言っても、私の実情と計画を知る人はそう多くない。だから支給されるものは最低限で、あとは自分で経費を申請して用意しないといけない。
表向きは、森の奥地、大峡谷に沿って進んだ先の長期調査となる。行動としては本来の目的とそう変わらないから、なんとかごまかしは効く。
離れに森小屋も建設される予定らしい。これは私のためというよりも調査団全体の取り組みのようで、各々の僻地に建てて調査の足掛けにしたいとのこと。
こうして目に見える準備を整えていくと、なんだか実感が湧いてきて足元がふわふわする。気を緩めないように、と自分を戒めないといけなかった。
私一人ではできなかったこと、思いつかなかったこと、辿り着けなかったことを、人々の手を借りながら。
こんな私をもひとつの挑戦とみなして調査項目に据えてしまう調査団は、優しいとか肝要だとか言うよりもむしろ、どこまでも貪欲なのだろう。
そして、各地で古龍の痕跡が見つかったり、明らかに戦い慣れて強くなったモンスターが続出したりといった騒ぎに関わったりもしつつ、数か月をかけて準備を進めていって。
いよいよ、アステラから森へと赴く。
今度こそは規則破りの密行でも、部外者でも傍観者でもない。紛れもない当事者として、見守ってくれる人がいるという実感を元に、不安を抱えきれるだけの余裕を持って。
高く長く、メルノスを呼ぶ指笛を吹いた。
トビカガチとはあの日から顔を合わせていなかった。近くに調査に行った人から話を聞いていて、しっかり生きているらしいことは知っていたけれど。
態度は相変わらずそっけないままらしい。他のトビカガチと同じように戻っただけ、とも言えるけれど、その背景は驚くほど曲がりくねっている。
調査団から止められていたのもあるし、自制する意思もあった。準備が十分でないと、また衝動の方に引きずられてしまいそうだったからだ。
私は今、深い森の中に立っている。既にトビカガチの縄張りの中だ。
わくわく……はどうだろう、どきどきはしているけれど。うっすらとした緊張感、最も大きいものは決意かもしれない。
身の回りにケストドンやランゴスタなどの脅威がないことを確認した上で、私はまた指笛を吹く。
調査団のメルノスを呼ぶときとは違う、モンスターライドを頼むときとも若干違う、独特の抑揚をつけた、私と、トビカガチだけの。
じっと待ち続けて、何分か経っただろうか。岩棚の上のシダの葉が大きく揺れた。がさがさと枝葉を潜り抜ける音と共に、白藍の竜が顔を出す。
背中の全体に広がる、炎がのたうち回ったかのような不揃いな毛並み。その表皮は火傷によってできた皺が深く刻まれている。過去の出来事を象徴する、彼の証だ。
あの指笛を吹くのは私だけだから、呼んだのが私であることは既に分かっているだろう。その上で、彼はどう動くのか。
端から見ればとても危ない行為だ。そのため、実は遠くからフィールドマスターが状況を窺っている。彼女の隠密ならまず気取られることはないだろう。
この日のために、わざわざ付き添ってくれたのだ。もしトビカガチが私に危害を加えるような行動を取ったときには、すぐに駆け付けてくれるはず。
だから後は、目の前にいる彼の判断に委ねるしかない。
竜の心は読み取れないし、話すこともできない。あの日からどういう心境の変化が起こっているかなんて、会ってみなければ分からない。私への興味すら失っている可能性はある。そのときは、そのときだ。
かくして、私とトビカガチは向き合った。
内心で、私たちは似たような出会いばかりしているなと思う。子どものときも、十年後に再会したときも、同じような状況だった。その何れも、ふしぎな緊張感を伴って。人であれば不器用が過ぎると笑われてしまうかもしれない。
でも、そういう状況でいつも歩み寄るのはトビカガチの方で、今回もその流れに則ってくれるなら。三度目の正直が、叶うなら。
────昼下がりの木漏れ日の中で、トビカガチの頭が私のお腹に埋まる。
あぁ。
私という人はもう、本当に。どうしようもなく。
人にも、竜にも。本当にいろんな生き物に支えてもらって、生きている。
「
人は、竜と一緒に生きれるか。
おとぎ話の問いへの、小さな挑戦だ。