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いつかの春の桜の下(救済の技法:真)/Novel by gondawara_taizo

いつかの春の桜の下(救済の技法:真)

18,379 character(s)36 mins

とりあえず自分が文字書きであることを覚えている内にアップ。ずっと立案状態で放置しっぱなしにしてある、救済の技法の改訂版。春に書きましたがすっかり季節が外れるまで待ってしまいました囧rz…うん、そのうちイラスト描いてくれる人が居たらバランス取ってアップし直します。

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いつかの春の桜の下
救済の技法(改訂版)


「満開の桜の花をもう一度この目で拝めるとはな。」
そう弓兵はとても穏やかな表情を浮かべた。


槍兵はその日も海に釣り糸を垂らして引きを待っていた。
温かな午後の光。海鳥の声が鳴り響く。海は穏やかで波は高くない。柔らかい潮風が鼻孔をくすぐる。
今日は中々あたりが悪い。
退屈そうにあくびをすると、ポケットからタバコを取り出してライターで火をつけた。手持ちぶたさだ。今日はどうやって食料を調達しようかという心配が頭をもたげ始める。
と、そこに、思ってもみない来客の姿を確認する。
「どうした?嬢ちゃん。」
遠坂凛である。
赤い悪魔と呼ばれるその少女はひと通り軽やかに挨拶をかわすと、そのままランサーの横にちょこんと座り込んだ。
珍しいことというのは重ねて発生しやすいものらしい。
それからとても静かで穏やかな海を眺めながら、暫くの間互いに無言で釣り糸が引くのを一緒に待つ。
そして世間話でもするように、大した抑揚もなく口を開く。
「ねぇ、知ってる?あの山の上に有名な桜の老木があってね、最近春でもないのに花を咲かせたんですって。」
「へぇ。」
さほど関心も無さそうにランサーは相槌を打つ。口にくわえたタバコの灰がそろそろ零れ落ちそうだ。関心をそこの一点に集中する。あえて赤い悪魔の方は見ない。見てはいけないことが予想される。多分とてもよい笑顔をしているはずだから。
「ランサー、あんたの仕業でしょ。」
「何の話だ?」
テンプレート通りの捻りのないシラバックレに、遠坂凛は一気に体感温度を下げる一言を告げる。
「わたし、一応冬木の管理者なんだけど。」
分かってるわよね?
遠坂凛の真っ直ぐに向けられた視線がとても痛い。突き刺さるようだ。
現代社会においては魔術の神秘は秘めておかなければならない。人目につくような場所で人目を引くような魔術を使うのはご法度だ。管理者の責任は、地域の魔術師の魔術行使を監視し管理して、適格に静動を制御することにある。
確かに桜の花は見た目が華やかで大変人の目につきやすい。しかも秋に咲けば尚更だ。これを放置する訳にはいかない。そういうことだ。
なぜバレたし。
ランサーはゲンナリと青ざめる。
凛は管理者の義務において必要なセリフを言うだけ言うと、凍てつくような空気を幾分和らげる。
「うん。でも、あの木は実はもう何年も花を咲かせたことなかったのよね。桜に言わせると、もうそれだけの力も残ってないんですって。」
そして独り言のように付け加える。
「だから、あの桜の木は、どういう理由であれ、最後に咲くことができて幸せだったんじゃないかしら。」
ランサーはタバコの灰を携帯灰皿に落としながら、穏やかに呟いた。
「ああ、なるほど。」
なんだかとても嬉しそうだ。
すべての合点がいったかのようなランサーの表情に、凛は聞き返す。
「何がよ?」
「いや、アーチャーが、あの樹なら咲かせても構わないと言ってたんで、なんでだろうとは思ってたんだ。」
槍兵の言葉に、凛はすごくいい笑顔で相槌を打つ。
「へぇ。アーチャーが?そうなんだ。」
あなたたち、何してんのよ。
「あ。」
言ってからその凛の反応に、槍兵は自分の迂闊さに気がつく。
しまった。自白した。
凛は大きくため息をつきながら一応突っ込んでおく。
「しらばっくれるなら、最後までちゃんとバックレなさいよ。」
それから目的は果たしたとばかりにすっくと立ち上がる。
「まぁいいわ。最初からわかってたことだし。」
上に軽く伸びをして、可愛らしくランサーの顔を覗き込む。
「今回は見逃したげる。その代わり、今夜ちょっと付き合いなさい。」
夜のお誘い。しかも女性から。
などと甘い期待しては命取りだ。凛は魔術師だ。そして夜は魔術師の時間だ。
槍兵は一瞬身構える。
「うん?今夜?」
何の悪巧みをするつもりだ?
槍兵の警戒に対し、凛は逆に思いもかけないことを提案する。
「ちょっとお酒を飲みたい気分なんだけど、生憎今日は相手が居ないのよ。あなた責任取りなさいよね。」
酒盛りの相手というのなら大歓迎だ。ケルトの人間でお酒の嫌いなものなど居ない。酒は正義だ。遠坂の家にはきっとその家格に相応しい美酒が眠っていることだろう。きっとランサーの給料の1ヶ月分を軽く超えるようなボトルまであるかもしれない。
しかし責任とはまた随分穏やかではない言葉だ。
「あなたがアーチャーと酒盛りしてたってセイバーが聞きつけたらしくてね、「私もアーチャーと飲みたいです!大きくなったシロウと一緒に飲みたかった!」だって。アーチャーを今日は取られちゃった訳なのよ。」
お陰で今日は家で留守番って訳。やれやれと、両手を広げてうんざりしたポーズで感情を発散する。
「ついてきゃいいだろ。」
「未成年はダメなんですって。こういう時、士郎もアーチャーと同じ事言うのよね。」
あいつもわたしと同じ年のくせに!
凛はやり場のない怒りに拳を震わせてみせるが、流石は正義の味方、士郎の言うことの方が正しいことは紛れも無い真実だ。反論の余地などあろうはずがない。
しかし酒は正義だ。人類の宝だ。百薬の長だ。それもまた真実だ。
相反する真実がぶつかった時、決して正面から解決を図ってはならない。
不毛な争いは避けるのが世界平和の鉄則だ。


夕方7時。約束の時間ピッタリに槍兵は手土産に花束などを携えて遠坂の館に到着する。
魔術師の約束は契約だ。時間厳守は鉄則だ。
更に言えば、女性との待ち合わせに遅れるなどという失態は、男として失格だとランサーは思っている。
ランサーのノックの音に呼応するように、魔術の館の重厚な扉が開かれる。
「本日はお招きに預かりまして。」
慇懃に畏まって騎士然として挨拶をする槍兵の姿はそのカジュアル過ぎる服装にまるで似つかわしくなく、凛は思わず吹き出した。
赤いバラの花束を礼儀正しく差し出されては、笑わざるをえない。
あ、でも妙に様になってる。流石はブルーブラッド。高貴なる血筋は一応本当なのね。
凛はひとしきり笑うと、涙を拭きながら花束を受け取ってランサーを邸宅の中に招き入れる。
「いらっしゃい。さ、入って。」
ランサーはそのまま綺麗に片付いた洋間に通される。
仕立ての良いアンティークの調度品が室内を彩り、白熱灯の暖かな光があたりを柔らかく包む。しかし一人で住まうにはあまりにも大きな空間にも思えた。
ああ、一人で居たくなかったんだな。
ランサーは納得する。
「しかし嬢ちゃん、今更何だが、若い一人住まいの女が男を自宅に招いき入れるってのは、現代の日本じゃ何でもねぇことなのか?」
聖杯の無駄に膨大なデータベースの中には大和撫子とか言う無駄な単語もインプットされている。日本とは本来貞淑な女性が好まれる風土ではなかったのだろうか。そんな女性、槍兵も今回現界してからただの一度もお目にかかった記憶はないが。
「そうね。人を見る目がなくて、自分の身も守れないようなか弱い女性の場合は、有るまじき愚行よね。」
「俺のこと、そんな信頼していいのか?」
仮にも100人も妻が居たとさえ言われる伝説の女たらしだ。随分舐めてかかってくれているんじゃないでしょうか?と誂うように警告を自己申告してみる。
「あら、わたしのこと、女性として扱ってくれるの?随分なめられたものね。」
凛も挑発的に目を細めて口元を緩める。
そんなこと、実力と自信に基づく行動の範囲内だ。
この館は遠坂の本陣だ。あらゆる防御策が綿密に張り巡らされている。下手に外に居るよりは余程身を守るのには適している。抜かりなど有る訳がない。
その気配を探り、ランサーは改めてため息をつく。
「やっぱり大した女だな。」
「それにね、ランサー、私、あなたのこと、結構好きよ。」
実際凛はランサーを気に入っていた。その義理堅さや性質は信用しても良いと思っている。だから魔術師の本拠地である自宅の結界内にも招き入れ、無防備にも酒を飲んで酔っ払ってしまおうなどと考えられるのだ。それは遠坂凛にとっては破格の取り扱いだ。
そもそも主従揃ってツンデレ属性の主側だ。ツンが先にきてデレた場合、凡そ偽りのない好意だ。
しかしそのとって付けたような言い草に、槍兵は話半分以下で受け流しておく。
「そいつは光栄だ。いっそ薄情な弓兵なんざほっぽって、俺と契約しねぇか?」
「そうね。それ、かなりいい考えだと思うわ。」
気は合うと思う。
ランサーの能力値も捨てがたい。なにせアーサー王伝説のベースとなった神代の大英雄だ。
しかし、凛にとってアーチャーの代わりになりうるサーヴァントなど有りはしない。これが戯言にすぎないことは、互いによく分かった上での軽口だ。
ランサーの手土産のバラの花束を手早く整えて花瓶に挿し、居間のテーブルの上に飾り付ける。途端に落ち着いた部屋が華やぐ。花の効力は絶大だ。
ランサーはその傍らに随分と可愛らしい花が飾り気の無いグラスに生けられているのに気がつく。季節外れの桜の小枝だ。
「ああ、それ、あなたが咲かせたやつよ。」
調査用に拾ってきたものらしい。
「証拠物件というやつか?」
「そういうこと。途中で逃げ出そうなんて、おかしな気は起こさないことね。」
凛はアンティークの食器棚の下から飴色の装飾されたボトルを取り出した。
「ウィスキーは嫌いかしら?アイルランドのお酒だけど、貴方の生前にはなかったわね。」
ウイスキーの由来はゲール語の命の水(uisce beatha)と言われている。アイルランドに起源を持つ酒だ。ただし、その歴史は15世紀頃とそれ程古いものではない。
でも同じアイルランドならそう口に合わないことはないでしょう、と凛は要領よく水割りを作り始める。
「結構手馴れてるな。なるほど、そりゃたしなめられるわけだ。」
槍兵が感嘆の意を表すと、それを文言通りの悪意と取ったのか、凛は唇をとがらせる。
「どういう意味よ。」
槍兵は、案外この赤い悪魔にも歳相応の少女らしい単純さを見つけて思わずにやける。
「奴の過保護か、独占欲かって話だろ。」
その言葉に、凛は少しがっかりしたように、半ば自分に言い含めるように反論する。
「独占欲か、アーチャーに限ってないわね、それは。」
一言の元バッサリだ。魔術師として仕方がないことだが、自制心が強すぎるのも考えものだろう。槍兵は少し弓兵が気の毒になる。
「容赦ないな。」
凛は苦虫を噛み潰したような表情で、この場に居ない弓兵に更に容赦なく追い打ちをかける。
「あいつったら、君を尊重する、なんて口先では言いながら、結局は私のこと子供だと思ってるのよね。」
ああ、目に浮かぶようだ。
なんだかんだ言って、あの男はこの遠坂凛にはめっぽう甘い。赤い悪魔をどこか心の奥底で、”か弱くて守るべき存在”だとか思っているのだ。そしてそれを当の本人に完全に看破されている。
そういうところ、結構脇が甘いよな。
槍兵は遠いところを見ながら笑った。
「今日も私がいくら参加したいって言っても、お酒は二十歳を過ぎてから。なんて、頭ごなしよ?これが飲まずにいられますかっての。」
まさしく正論だ。遠坂嬢は相当お冠の様だが、この場合アーチャーのほうが日本法律上は圧倒的に正しい。
しかし槍兵は古代ケルト人だ。聖杯のデータベースの中の日本の法律より、彼にとって正義は酒だった。


お酒のグラスを傾けながら凛は槍兵に気になっていたことを聞いた。
「そう言えばあなたたち、最近よく二人でつるんでるわよね。」
凛が諸々の処理を終えて数ヶ月ぶりに英国から帰国してみると、それまで犬猿の仲だと思っていた弓兵と槍兵が、何故かよく一緒につるむようになっていた。
この前の酒盛りの件だけではない。
海辺で一緒に釣り対決をしていたとか、ワクワクザブーンでセイバーと士郎のプールデートの邪魔をしていたとか、何かと微笑ましい噂は絶えない。
負けず嫌い同士で意地の張り合いでもしているのかと思えば、案外普通に食事を共にしたり話し込んでたりもするらしい。
「あなた達?弓兵と?勘弁してくれ。」
弓兵と一括りにされたことに槍兵はげんなりしたように吐き捨てる。
確かに、偶然色んなところで鉢合わせることはある。
弓兵は料理が上手いので、槍兵が釣った魚を調理してくれるように頼んだりすることもある。
その時、ついでに色んなものを付け合せで作ってもらったり、酒を飲んだり、情報交換したりもする。
何せ他のサーヴァントに比べて気やすいのだ。同性で年も近いし話も合うし、互いに敵対も利用もしない関係。漫才体質なのかちょっと呆けると律儀に突っ込んでくれるので、軽口も叩きやすい。
この関係に名前などは付けられていない。名付けてやる必要もない。言ってみれば腐れ縁のようなものだ。
彼ら分霊は、本体の記憶を引き継ぎながら、本体ではない。一時的とはいえ一個の確立した個人だ。それが一人の人間としてこれほど自由に自分の時間を持ち得るというのは極めて特異な現象だ。その個人としての分霊が他と繋がり関係性を維持する。この極めて珍しい関係は、ある意味個としての分霊ランサーが初めて持ち得た、本体とは独立した縁だ。
こんな面白い関係、腐れ縁で十分だ。
凛は眉をひそめて真面目そうに尋ねる。
他に誰も聞いてないのに、わずかに声がひそやかになる。
「あいつ、なんか掴んでる?」
「直接聞いてみりゃいいだろ。」
「聞いてるわよ。でも、あいつ時々私にも隠し事するもの。」
前科は消えない。遠坂凛はにやりと悪い顔をする。
ああ、そうだったな。アーチャーさん、根にもたれてますよ。と槍兵は弓兵との情報交換で得られた情報を大まかに説明する。
聖杯が汚染されていたこと。
中からアンリマユが生まれいでたこと。
今の状況が、それが関連しているかもしれないということ。
およそランサーの告げる内容は、凛のつかんだ情報の範囲を超えていない。
「この世全ての悪か。要するにアーリマンのことよね。」
確か善悪二元論の元となった古代の宗教の聖典に出てくる、しかも悪魔の大元締めだ。
絶対悪の象徴だ。
「でもそこまで悪い気は満ちてないわよ。」
確かに毒々しい、悪い気が潜んでいるのは分かる。
しかしそれはそこまで凶悪でもなく、むしろ凛の知り合いの神父様の方がよほどその地位にふさわしい。信じられないことにもう死んでしまったのだが。
「まぁ、昔は戦で勝った国が負けたところの神を悪魔に堕としちまうってのはよくある話だったからな。」
「元は神様だったってこと?」
そう言えば半神と名高いクー・フーリンだってとある超人気ゲームではすっかり悪魔の仲魔だ。
「そこまでは言わねぇが、絶対悪ってのは大概、権力者に都合のいい人身御供みてぇなもんってこった。」
それとは別に外道は居るけどな。と槍兵も同じ人物を指して突っ込む。
しかしそれは単なる悪い行いをする人であり、存在自体を否定されるべき絶対悪などではない。
などと取りとめもなく考えながら、凛はお陰で条件反射的に局所的な食欲中枢が刺激される。
「あ、なんか麻婆豆腐食べたくなってきちゃった。」
ウィスキーを飲みながら中華では統一性もなく格好がつかないが、タンパク質が豊富に含まれた辛味のある濃い味わいは実はお酒一般のお供に結構適している。
冷蔵庫にはひき肉と木綿豆腐の買い置きが合ったはずだ。ネギや大蒜、生姜類は常備菜で手抜かりはない。
今にも立ち上がろうとする凛を、槍兵は必死の形相で凛を押しとどめる。
「いや、それはいいから!」
眉間にシワを寄せながら、真剣な表情で凛に訴えかける。
「あら、あなた、やっぱりアジアの料理は食べなれない?」
この前行ってきたばかりのイギリスの料理は相変わらず美味しくはなかったし、古代を生きたクー・フーリンがそれを超える美食家のはずはない。
「んなこたねぇが、麻婆豆腐は勘弁してくれ。」
ランサーのうんざりした様子を見るに、余程嫌な思い出でも有るのだろう。間違いなくあの神父絡みで。


凛が台所につまみを補給に行っている間、槍兵は一人で酒を舐めながらテーブルの上の桜の花を眺めていた。
こうしてグラスに挿して有るのを見る限りでは、存外こじんまりとしてつつましやかな花だ。桜は矢張り木になっているのが一番見応えがある。
弓兵は、もう一度桜が咲く所を見たかったと言っていた。
その姿は酷く寂しそうに、槍兵には映った。
だから槍兵は、花見酒に誘ったのだが。
「あのバカ、慎重なんだか臆病なんだかな。」
吐き出すように言葉を紡ぐ。
「何?それアーチャーのこと?」
戻ってきた凛がすかさず槍兵の真意を確認する。
「よくわかったな。」
それは桜を見ながらそんな残念そうな顔をしていたのだ。対象はもう一方の当事者であるらしいアーチャーだという事くらい凛にも容易に想像がつく。
それに
「そりゃ分かるわよ。慎重で臆病で大馬鹿野郎だって、時々私も思うもの。」
凛はそう苦笑した。
「せめて誠実と言ってやれよ。」
槍兵は罰が悪そうに頭を掻きながら、一応フォローしておく。
「春になったら花見酒をしよう、って言ったんだ。」
「あら、素敵。」
「そしたら、不確実なことは約束できないんだとさ。」
ランサーの言葉に凛は表情を曇らせる。
その意味は明白だ。
彼らはサーヴァントであり、その身はいつまで持つか保証されては居ない。むしろ、この世界が異常らしい。聖杯戦争の終わったこの世界で、サーヴァントが現界し続けている幸せな夢のようなこの状況が。
それは凛にもわかっている。
「…そう。あいつ、そんなことを。」
静かにそうため息を漏らす。それからお酒をぐいっと煽り、コップをたんとテーブルに置く。
「でも普通、不確実だからこその約束よね!」
約束は不確定の未来への確定の意思表示だ。確実なことばかりでは意味が無い。
「ああ、分かってねぇんだよな。約束ってぇのは、たとえ確実でなくっても、それでも守るべきものだから意味があるってーのに。」
槍兵は大げさに肩をすくめて首を振る。
出来ることではない。為すと誓ったことをするものだ。
「だから朴念仁なのよね。」
「全く、気が利かねぇ。」
二人共気が合うことだけは確かのようだ。
ひとしきりこの場に居ない人間への文句を言い切ると、凛は少し困ったようにため息をつく。
「でもね、そういうとこ、アーチャーって菩薩様みたいだな。って思うのよ。」
菩薩とは仏門の修行者で、悟りまで開いてしまったものの称号だ。
彼の利他主義はもはやその領域だ。
「未来の世界で人類まで救っちゃうんだから、さしずめ弥勒菩薩ってところかしら。」
凛は半ば冗談のつもりで言いながら、思わぬ違和感の無さに苦笑する。
「は?弥勒菩薩?あいつが?」
ランサーは少し不満気に反論する。
あんなに剣呑とした救い主が居てたまるか。
「あら、彼は正義の味方よ。」
弥勒菩薩とは未来に現れる救世主でミトラ神を祖とする。
しかし要するに、絶対悪も救世主もシンボルであり、目的のために利用される人身御供のようなものだという概念において意味するところは同じだ。アンリマユが絶対悪として人を悪から切り離す役割を負わされたのと同様に、マイトレーヤは人々の救済のための人身御供だ。その存在は徹底して人格を要さない。
「あいつの行動原理は常に、完璧なまでの利他主義なのよ。自分のことは考えない。自分の意思も願望も、どうでもいいんだわ。」
彼はいつも人のことだけを考えている。それは凛が尊敬する部分でも有る。でも。
「だから、約束も、できないんだわ。」
自分の意志は要らない。
自分の傷も、自分の闇も、壊れてしまった心も、顧みられることはない。それでは自分は何時まで経っても救えない。
「救い主は人を救うけど、救い主を救うのは一体誰なのかしら。」
「奴には救いが必要なのか?」
「心に傷があるわね。」
衛宮士郎には傷がある。
それは凛も知っている。
彼が歪んでいる原因は、そこにあるはずだ。
でも人は変われる。
凛は変えてみせると誓っている。
だけどアーチャーは、あの結末は、結局傷は癒されなかったということだ。
「ランサー、彼を救ってあげてよ。あんた、仮にも一応神の子なんでしょ?」
仮にも一応、とは結構な言い草である。
目の前に居るこの人物がとても気安いので言えるセリフだ。
ランサーにとって、女の子にそう思われるのは実際とても好ましい。
凛も、ランサーがそう思ってもらいたがってることを知っているからの表現だ。
「生憎だが、俺は救い主の方じゃねぇ。」
「そうね、自然崇拝の神様じゃ、メサイアにはならないわね。」
人は罪人であり、その罪を贖うためにクライストは磔にあった。
神に選ばれた救済者が人を救うことになるのは迫害された歴史を持つ一神教由来の伝統である。
クー・フーリンはそれが世界的に流布されるよりも前の時代の、自然への畏怖の対象としての多神教の時代の人間だ。
槍兵は苦虫を噛み潰したかのように言葉を吐き出した。
「例え神だったとしても、実際人間一人すら救うことなんてできやしねぇよ。」
「あら、どうして?」
「ひとりの男が一生かけて生きて通った道を、たかが神ごときに許す権利があるとでも?そいつは随分傲慢な思いあがりだ。」
傷を負わない心はない。
誰でも無条件に許されれば救われた気分にはなるだろう。
だがその傷は永遠に消えない事は、誰よりも本人が分かっていることだ。
それが例え罪だったとして、生者が命懸けで選択し乗り越えてきたものを、ただの第三者たる絶対者が許すなど、それこそ大した侮辱だ。
凛は悔しそうにつぶやいた。
「でも私にできるのは、そばにいてネガティブシンキングに茶々を入れてあげるくらいだもの。」
ランサーは、凛は本当に良い女だと思った。
「まぁそれが実際一番の薬だけどな。手を握って抱きしめて頭を撫でてやりな。この手は離さないと。そいつがあれば、十分上等だ。」
それが実際、人が人に対して出来る、唯一の救済だ。
その手に気がつかない弓兵は、本当に馬鹿だと思う。
「だけどあいつの本体は、今でも世界に捕まって、無限の時を苦しんでいる。私じゃ無理なのよ。」
「ここにいるあいつだけじゃ足りねぇか?」
強欲だな。そう指摘すると、凛は寂しそうに笑った。
「お願い、クー・フーリン。彼を救ってあげてよ。私じゃ手が届かない。」


それはとても月が綺麗な晩のことだった。
あんまり月が綺麗なので外で飲もうということになり、二人で近くの山の上の公園で缶ビールを開けていた。
郊外の、しかも山の上の公園など、平日の夜ともなれば人っ子一人居ない。
騒いだり散らかしたりすれば問題だろうが、静かにのんびりと気軽に飲む場所としては最適だった。
「そういえば。」
風の音を聞きつけて、弓兵が口を開いた。
「この辺は桜の名所だったな。」
風が葉音を連れてくる。カサカサと乾いたようなざわめきだ。
「桜?」
そういう名前の女の子が居たはずだが、弓兵の言葉はそれでは意味が通じない。
槍兵の疑問符に、弓兵は遠くを見ながら説明を補足する。
「日本の春の花なのだが、君は知らないだろうか。」
植物についてはランサーも多少は見識を持つ。花屋でバイトしていたのは最近の話だが、元々ドルイド信仰の元で生まれ育ち教育を受けた身の上だ。これについては弓兵より詳しいという自信が有る。知らないか、などとは心外だ。
「どいつだ?」
聞いたことのない花の名前でも葉の形や姿を見れば、ある程度の系統立てや分類は可能なものだ。
「この辺り一体、後あそこの大きな枝ぶりの。」
弓兵の指し示す方向にある樹木を確かめる。しかし確かにクー・フーリンの記憶にある木で合致する種類のものは無さそうだった。
「それがどうかしたのか?」
弓兵は遠くを見ながら、桜が気になった適切な理由を探す。
「実は桜の木には毛虫が多い。」
「げ。」
弓兵の言葉に槍兵は思わず警戒する。虫は怖くもないが、刺されると痒い。痛いのは我慢できても、痒いのは一度気になると無視することは難しい。しかも槍兵は半袖だ。被害は大きい。
「しかしこうして月見酒というのも悪くはないが、この場所ならば、やはり季節は春がよかったな。」
日本には花を見ながら酒を呑むという習慣も有るらしい。
一年中口実が有るのだから余程酒を愛した開放的な民族なのか、それとも口実がないと飲めない可哀想な民族なのかどちらだろう。
ともあれ、花を見ながらの酒宴というのは中々魅力的なセッティングだ。
「春になったらまた飲もうぜ。」
槍兵は弓兵に嬉しそうに提案する。
酒を愛する古代ケルト人だ。口実がなくてもいくらでも飲めるが、口実があれば弓兵も誘いやすい。酒は皆で飲み交わす方が美味しいに決まっている。
その軽口を叩くような約束の提示に、弓兵は少し困ったように眉を寄せる。
「君は意地が悪い。出来もしない約束だ。」
それともアタマが悪いのか。
皮肉で言葉の重さを誤魔化すが、隠してもそれは意味のない事実だった。
超えられない期限。
届かない明日。
それを知っていて、敢えてその先の未来に約束を繋ぐ者。
それを知っていて、その未練を断ち切ろうとする者。
いずれにせよ、彼らは10月12日を超えて存在できない。
二人共分かりきった結末だ。
「毛虫は戴けないが、桜の花は綺麗なものだよ。出来ればもう一度位見たかったな。」
それは未練だ。
弓兵が自分の願望を口にするとは、それは随分と珍しいことだった。
ランサーは少し考えて、嬉しそうに提案する。
「なら、咲かせてやろうか?」
「は?」
「桜、綺麗なんだろ?そんなに言うなら俺も見てみたい。」
この人を小馬鹿にしたような弓兵に、自分の能力を見せつけるいい機会でもある。
槍兵は立ち上がって魔術を含むスペルを空に刻む。周囲が魔力を帯び始める。
慌ててアーチャーはそれを静止する。
「よせ。それはダメだ。」
馬鹿か君は。そんなことも出来るくせに、馬鹿なのか君は。
呆れたように槍兵をたしなめる。
「堅いこと言うな。」
「春の花だ。これから冬に向かうのに可哀想だろう。」
仮にもドルイド信仰を持つ者にとってその指摘は逆らい難い正論だった。
「む、そうかよ。」
色々な意味で折角の機会を失った残念そうなランサーを見て、アーチャーは代替案を提示する。
「しかし、そうだな、あの大きな枝ぶりの古い木があるだろう。あれならば構わないだろうか。」
弓兵の指し示した老木は、他の木とは少し離れたところに、ただ1本独立して立っていた。
それは随分と大きく立派な枝振りで威勢はいい。ただ少し元気が無さそうに見えた。
そして随分と孤独に見えた。
槍兵はその根本まで歩み寄り、その太い幹の上に手を延ばす。
かさかさと乾いた表皮。殆ど落ちてしまった葉。内部に樹脈がほとんど感じられない。やはり遠目から見えた以上に生命力が落ちている。
槍兵は魔術を載せたスペルを木肌に刻む。一陣の風が吹き上がり、殆ど枯れかけた老木が光りに包まれる。
落ちてしまった生命力を少し分けてやる。わずかに残った樹脈の循環を補助してやる。そして、暖かな陽の息吹を流し込む。
枝が一斉にざわめいたかと思うと、桜の蕾がぽつりぽつりと灯るようにその内側から沸き起こる。
それは早回しで動画を再生しているかのようだった。
その綺麗な白色の花の蕾はすべての数が揃わぬ内に開き始め、その数を増やしながらやがて全身に零れ落ちるほどの花を鈴なりにつける。
咲き誇るとはこのことを言うのだろう。
白い花びらがその枯れかけた老木を、荘厳な別の存在に塗り替える。
ランサーが満開の桜を目にするのは初めての事だった。
「へえ、言うだけのことは有る。綺麗なもんだな。」
槍兵は自分の仕事ぶりに満足気に頷くと、どうだ?と弓兵を振り返った。
「ああ、本当に。」
そう弓兵はとても穏やかな表情を浮かべた。
「満開の桜の花をもう一度この目で拝めるとはな。」
月の光りに照らされた老木のその白い花びらはまるで雪のようで、すぐに消えてしまう夢のようだった。


未練は断ち切らなければならない。
弓兵はそう望んだ。
せめて共に闘い、別れるときは笑顔で告げなければならない。
答えは得たと。
これだけを持っていければ十分だと。
分かりきった結末に備えて、未練など、郷愁など、あってはならない。
あの桜の木には、もう未来はなかった。それを弓兵は知っていた。
だから、これは手向けだ。
もう存在しない未来への。


未来の約束をしよう。
槍兵はそう望んだ。
超えられない未来であっても、望みをつなぐことが可能性というものだ。
可能性があれば、まずはそれで十分だ。
例えどんな結末が用意されていても、最後まで諦める必要などどこにもない。
あがくことが出来る。
それは不確実な未来に対する決意表明だ。


「お願い、クー・フーリン。彼を救ってあげてよ。私じゃ手が届かない。」
遠坂凛はそう願った。
それは紛れもなく、未来への約束だ。
いい考えだ。
槍兵はにんやりと同意する。
「そうだな、じゃ、まずは来年の春、花見酒をしようか。」

未来の約束をしよう。
その約束をカテに共に居られる。
あの老木に、来年もう一度咲いてもらおう。
簡単には眠らせてなどやらない。
満開の花など、飽きるほど見ていればいい。


以下蛇足。

エミヤさん本体の救済方法。一つの未来の可能性の改竄。


赤錆びた鉄の臭いがする。
遠くに重く軋んだ音が鳴り響く。
ランサーが目を開けると、そこには荒涼とした赤い大地が広がっていた。
燃えさかる炎と無数の剣が突き刺さるだけの一面の荒野。
空は赤く、無数の鉄の歯車がひしめき合っている。
一見、地獄にも似たその場所は、明らかに人が住まう大地ではない。
こんな草木もないところに閉じこもってれば、それは純真で可愛かった少年だって、がっかりしたり捻くれたり落ち込んだり摩耗したり暴走したり絶望したりしそうなものだ。
彼が最初に抱いた感想がそれだった。
赤い弓兵の本体、霊長の守護者の座。
いや、エミヤシロウを永遠に戒める牢獄と表現するほうが相応しいだろう。
槍兵は漸くその場所たどり着いた。
クー・フーリンに一度は殺された、この座の主のその縁を伝って。
赤い悪魔は召喚術を応用し、現界した弓兵からその本体に向けて、槍兵を送り込んだ。
魔法とも呼ぶべきそんな大いなる奇跡を、あの少女は成し遂げてみせたのだ。
あらゆる手段を利用し、わずかにしか有り得ない可能性を綿密に濃縮して、成し遂げた。
「全く、大した女だな。」
ランサーは偉大な赤い魔女に改めて賛辞を送る。
伝説も神秘も信仰もない時代にあって、それだけのことを成し遂げるのは、神秘の加護を受けるランサーには想像もつかない大いなる技だ。
全く人間というものは何時の時代も強かにできている。
それこそが人が神秘を捨てた一番の理由だ。
加護などなくとも、新しいものを受け入れ、自分の力としていく。
とんでもない場所に飛ばされた筈なのだが、槍兵の足取りは自然と軽かった。

槍兵が男の姿を見つけたのはそれからしばらくしてからだった。
見渡す限りの平原、剣で埋め尽くされてはいるものの、遮るもののない、全てが静止した世界。
唯一の存在を見つけることはそう難しいことではないはずだった。
当初の想定よりも手間取ったのは、保護色をまとっていた為だけではない。
彼が、存在と呼ぶにはあまりにも静かだったからだ。彫像と見まごうほどに。
ランサーは、どう声をかけるべきか、一瞬戸惑う。
こんなにむき出しの刃の様な弓兵を見るのは、聖杯戦争以来だ。
しかしすぐ気を取り直して、いつも弓兵にしているのと同じように話しかけることにする。
「よう。弓兵。」
弓兵と同じ存在だが、ここではサーヴァントのクラスなど何の意味もなさない。
ランサーは苦笑して言い直す。
「いや、エミヤシロウ。ここは久しぶり、ってことになるんだろうな?」
アーチャーとはつい先程まで一緒だったが、この男に会うのは、恐らく彼が聖杯戦争に衛宮士郎として参戦した時以来の筈だ。
親しげにも馴れ馴れしくも聞こえる言葉で、エミヤシロウは漸くその声の主に視線を向ける。
「誰だ?君は?」
気付いてなかったわけはない。あの賢しい弓兵の本体だ。そんな手抜かりなど有ろうはずがない。
ただ、無駄なことはしない。それだけのことだ。
エミヤシロウの本体は、さほど関心もなさそうに、あるはずのない突然の来客に形通りの質問をした。
もちろん、とっさの対応はいつでも取れる程度に体制は整えてある。
隙など全くない。
それに対する客人は、逆に徹底して緊張感の欠片も見せない。
「俺のことも忘れちまったのか?」
やっぱりな。とは思いながら、槍兵は頭を掻く。
確かエミヤの本体は、守護者として酷使された挙句、色々摩耗して沢山忘れたり抜け落ちたりしているはずだった。
そして多忙すぎて、分霊の記録した聖杯戦争の顛末など、気に留めてもいないのだろう。
「済まない。どこかで会っただろうか?」
エミヤは済まないとは絶対思ってなさそうな明らかに形式ばかりの謝罪を何の感情もなく並べ立てると、形式通りにその来訪の目的を探る。
「どうやってここに来た?」
「それは割とどうでも良いことなんだがな。何をしに来たかは答えられる。」
「では問おう。」
槍兵はエミヤをまっすぐに見つめて少し真面目な声で応える。
「約束を果たしに来た。」
その一言にエミヤの眼光が一寸鋭くなる。
「私は君を知らないと言ったと思うが、なにか約束をしただろうか。」
エミヤシロウは人の恨みなら一々覚えていられないくらい沢山買っている自信があった。
勝手にに復讐を誓われたり一方的に末代までの呪言を紡がれたりなどは、守護者の仕事上避けられないことだ。
今回も間違いなくその手の類だろう。
そのあからさまな警戒を物ともせず、槍兵は腕に抱えていた荷をエミヤに差し出した。
それは酒のボトルのようだ。多分ウィスキーとかブランデーとかそういう洋酒の類の。
全く理解が追いつかなかった。
エミヤは眉間に眉を寄せて、解決の緒を要求する。不機嫌というより困惑しているようだ。
「…すまない。理解できない。説明を願えるだろうか?」
「遠坂凛は覚えているか?」
「遠坂、凛?」
しばらく考えるようにして、ふと瞳に光が宿る。記憶をたぐり寄せることに成功したらしい。
「遠坂、だと?君は遠坂凛の関係者なのか?」
槍兵は、ああ、嬢ちゃんなら覚えてるのね。とちょっと面白くない顔をした。
そりゃカワイイ女の子の顔と名前を忘れるなんて、男として風下だと思う。
だけど心臓に一撃された相手のことも、普通はあんまり忘れちゃいけないと思う。
とは言え、そこから説明しなくてもいいのは幸いだ。槍兵はボトルをエミヤの腕に押し付ける。
「そいつは嬢ちゃんからの差し入れだ、エミヤシロウ。花見酒だ。受け取れ。」
「花見、酒?」
しかし矢張りエミヤには何のことだかさっぱりだ。
花などこの大地には存在しない。
酒のボトルだけいきなり渡されても、花見酒とは、一体どうしろというのだろう。
「で、こっちは俺からの差し入れだ。」
槍兵は抱えていた少し大きな包を地面に下ろして、その封を解く。
中には少し大ぶりの木の枝が入っていて、白い蕾をつけている。
「ああ、良かった。散ってねぇ。」
男はその枝を確かめるとホッとしたようにそう呟く。
その花はどこかエミヤにも見覚えがあった。
「…桜、か?」
エミヤの言葉に、槍兵は嬉しそうに応えた。
「おうよ。お前がもう寿命が尽きると諦めた、冬木の老木だ。ちゃんと花を持つんだぜ。」
冬木の老木。
それを聞いてかすかに思い出すのは、白く美しい花をつけると評判の、故郷の美しい桜の大樹だ。エミヤが旅立ってから、間もなく立ち枯れてしまったと聞いた。まさかソレのことだろうか。
「嬢ちゃんからの伝言をまだちゃんと伝えてなかったな。極上の酒を持たせてやるから、そこで花見を楽しみなさい、だとさ。」
いきなりの命令形。
エミヤは初めて表情らしいものをその顔に表した。
「それはまた随分と…彼女らしい。」
苦笑のようなホッとしたような、泣き出しそうな顔だ。
それだけでも槍兵は、ここに来た価値があったのだと思い知る。
「しかし花見、とは、その君の抱える桜の木の枝のことかね?」
「ああ。この枝じゃ花見酒には残念ながらちと貧相かもな。だがバカにしたもんじゃねぇぞ。桜ってのは挿し木で増えるもんだ。」
つまり、この男はこの桜の枝をただ眺めるだけでなく、この大地で育てようと言うつもりなのか。
エミヤは呆れた顔をする。
「この鉄さびた大地で植物なぞ根付くわけがあるまい。」
土壌の成分と植物の生育の相関性には詳しくはないが、この大地が生育に良い筈がない。
エミヤの指摘を槍兵は否定しない。否定しない代わりに、解決策を提案する。
「そうだな。ただじゃ無理だろうな。そこで提案なんだが、てめぇ、俺と契約しろ。」
「は?」
あまりの突然の申し出に、エミヤの理解は益々追いつかなかった。
そんなエミヤの混乱をよそに、槍兵は自分の決意を淡々と告げる。もうこれは彼が決めたことだ。
「てめぇのことは気に入らねぇが、折角俺が丹精込めた桜の木がムザムザ立ち枯れていくのは見過ごせねぇ。俺がきっちり面倒を見てやるよ。」
こう見えて植物を育てるのが得意なんだぜ。
槍兵は胸を張る。
しかしこの座に属さぬものがこのまま世界に現界し続けるには、魔力と楔が必要だ。
この世界の主たるエミヤシロウであれば、その楔にふさわしい。
「だから、お前、俺のマスターになれ。」
これは彼自身の望みでもある。
この男には自分が必要だ。
そして彼は、この男と未来の約束をしたいと願った。
「そんなことのために、わざわざ私と契約しようというのかね?」
「俺はてめぇと約束したんだよ。一度口にした約束は果たすべきものだ。違わせるな。」
「では君の名を教える気になったのか?」
「それじゃてめぇは俺のこと思い出さねぇだろ。」
エミヤシロウはどうしたものかと考えあぐねいているようだ。
「…そう言われても、私は君のことを知らない。参ったな。」
約束を知らない。約束を果たすと言われても見当がつかない。そもそも召喚されたものと契約を結ぶということは、召喚された者の真名を知る必要がある。しかしエミヤは彼の名を知らない。
そして、この男は思い出すまで名乗らないと言う。
それでは契約しようにも土台無理な話だ。
槍兵は人懐こそうに笑って、なんでもない事のように提案する。
「だったら思い出すまで待ってやる。」
槍兵の言葉に、エミヤは一瞬驚いた顔をする。
しかしすぐに目をつむり、己に言い聞かせるように告げる。
「思い出す可能性は低い。」
多分またすぐ仕事が来る。
そして目を背けたくなるような世界の救済を、その為の虐殺を、その手で遂行することになる。
そうすれば、また、大切な何かを失ってしまうのだと思う。
全身はもう血まみれで、洗っても鉄錆びた赤のにおいが取れない。
この赤の外套はきっとこの手で殺した人々の血の呪いで染め上げられている。
どんどん失いこそすれ、何かを思い出せる道筋など、ない。
これは呪いだ。いや、罰なのかもしれない。
より多くの人を救うという目的であれ、人を殺すのに罪がないわけがない。
槍兵はエミヤの肩をしっかりと叩き、決意したように言い聞かせる。
「思い出させてやる。絶対だ。」
大切な人を思い出しただけで、そんなにホッとした顔をするのだ。それを放っておける訳がない。
平行線の槍兵に、エミヤは重要な懸念事項を指摘する。
「だが、それでは姿を保てまい。」
現界するには魔力がいる。
契約をしなければ、供給源を確保できないはずだ。
食べ物や空気からある程度吸収できるにせよ、その量は十分とは言えない。
槍兵はにんやりと人が悪そうに笑って、とっておきの奥の手を披露する。
「だからさ、今からゲッシュを立てるんだよ。」
「ゲッシュ?」
エミヤはその言葉をどこかで聞いた記憶がある気がする。
確か古いアイルランドの契約で、神の祝福を得られるという呪言やお守りの一種ではなかったか。
遠い昔に、それをどこかで聞いたことが有る気がしていた。
しかしその緒をたぐり寄せる前に、槍兵は神秘の力を披露する。
「これから俺はこの桜の木をこの大地に根付かせ、守っていく。ずっとだ。」
神々しいまでの決意表明。
言霊の魔力をその身にまとい、絶対の加護を与える。
そばにいる。手を離さない。
遠い昔からの腐れ縁を運命として。そう、これは運命だ。
そう誓いを立てる。
そのゲッシュを楔に、槍兵はその存在をエミヤの座に固定する。
彼はクー・フーリン本体ではない。
あくまで聖杯戦争に参加した分霊に過ぎない。
だけど衛宮士郎を知るのは、エミヤシロウが知っているのは、その分霊たる槍兵なのだ。
だからこそここにくる意味と意志を持ってここにたどり着いた。
それはクー・フーリン本体にはできないことだ。
エミヤシロウはその神秘を目の当たりにして、一言呆れたように呟いた。
「…君は、馬鹿か?」
そんな壮大な力を、こんな座に留まる為だけに使用する。
これがどんな呪言の類か、正確には思い出してはいなくても、彼も魔術師の端くれだ。どれほどの神秘か、見れば分かる。
あまりにも不相応にしか思えなかった。
槍兵は不機嫌そうにエミヤの言葉に反応する。
「なんだと?」
バカとは聞き捨てならない。
折角ここまで来てやったのに、その言い草はひどい。彼自身からは頼まれてもないけど。
エミヤは申し訳なさそうに、この座に留まる理由が自分に有るらしいことにつて詫びる。
「私のところに居ても、君に利することはなにもないだろう。」
ああ、またそういうことを。
槍兵は大きくため息を付き、頭をガツンと叩いてやる。
「そういう生意気なことは、ちゃんと俺のこと思い出してから言え。」

愛らしい儚げな白い花が、その空間に似つかわしくなくとも、凛として咲き誇る。
槍兵はそれを眺め杯を飲み干すと、満足気に笑った。
「思い出すさ。絶対。保証する。」
人懐こそうなその表情に毒気を抜かれそうになるのを、エミヤシロウは正論で防御する。
「それを信じろとでも?」
信じるという行為は、宗教の前提だ。
現実を生き抜くためには、それは自殺行為というものだ。
槍兵はそれでもまっすぐとエミヤの顔を見ながら、信じていると言い切った。
「俺は雑多な可能性の一端だが、お前にとって俺は必然だ。だからお前は必ず俺にたどり着く。」
その信頼に満ちた言葉にこそばゆさを覚え、一瞬怯む。
信じる者に対して、他者ができることというのは実に少ない。
エミヤシロウは大きくため息をつきながら、目一杯の皮肉を込める。
「その論拠の提示のない自信は一体どこからくる。」
そして槍兵は反論しがたい言葉で丸め込む。
「運命かな。」
それはまだ僅かな片鱗にすぎないが、いつかこの大地に根付くだろう。
大きな大木となって、あの白い花を咲き誇るだろう。
弓兵は穏やかな顔をしていた。
「満開の桜の花をもう一度この目で拝めるとはな。」
エミヤシロウの焦れた冬木の枯木。彼もその時きっと笑うだろう。


少し未来の約束をしよう。
桜の花が咲く頃に。


Comments

  • そー
    October 10, 2017
  • マフメト2世
    March 2, 2017
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